【コラム・大島愼子】「日本人は礼儀正しいと聞いてきたが、無礼な発言が多く驚いている」と欧米人に言われることがある。これはビジネス対応に関しての話である。一般の観光客は「日本は清潔で、親切で礼儀正しい」とコメントするし、「おもてなし」精神があるという印象を述べる。無礼と言われるのは、会議などでの議論の展開に関してだ。

アメリカの大学に留学していた時、1年、2年は「スピーチの講座」という必修受業があった。この講座を履修して初めて、アメリカの大統領たちの演説の基礎は大学教育なのかと合点がいったものである。

「暗唱」「スピーチ」「ディベート」を学んだのだが、戯曲のセリフまたは詩や著名人の演説を暗唱すること、与えられたテーマに沿ってスピーチ原稿を用意してプレゼンテーションすること、そして、あるテーマに関して賛成派・反対派に分かれて議論するのである。

ディベートは、自分の意見をただ主張するのではなく、相手の主張を理解したうえで、客観的・論理的に反論、または発表できるか否かを採点される。つまり、論点を定め、主張を明確にし、根拠が示されているかが重要である。自分を正当化して相手を攻撃するのではない。

そして、「スピーチの講座」の教科書は、心理学の書籍を使用する。相手に自分の考えを理解させる、共感させるためには、心理学の要素が必要だからである。

議論の習慣が育っていない

ところが日本では、心理学よりも「話し方」のテクニックに走る傾向にある。そして、グローバル社会で、欧米人と対峙する時は自己主張が必要と思い込み、一方的に自分の意見を主張する若者が増えている。

自分の考えを説得力のある表現で他に伝えることと自己主張は異なるが、深夜の討論番組のようなテレビ番組が、人の発言を全否定して自分の主張のみを声高に叫ぶのがディベートと思い込む若者をつくったのかも知れない。

また、日本の独特の笑いの文化、つまりテレビで関西の漫才芸人が「おまえ、アホとちゃうか」などと、人格否定発言を日常的な笑いとすることに慣れていると、「その考え方は間違っている」と発言するところを、You are stupid などと無礼な発言をしてしまうのではないか、と思うのである。

国会中継など見ていても、言葉尻をとらえて個人攻撃するような発言が横行し、これが会議の見本としてニュースに流れる。日本では議論をする習慣が育っていないが、アメリカの大学の「スピーチの講座」を導入したとしても効果があるとは思えず、幼児教育から意見を述べる習慣を育てる必要を感じている。(筑波学院大学 学長)