水曜日, 4月 23, 2025
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《宍塚の里山》47 映画「武蔵野」を29日上映

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認定NPO法人「宍塚の自然と歴史の会」設立30周年記念事業 映画『武蔵野』の上映会と講演会のちらしの一部

【コラム・及川ひろみ】埼玉県南西部、武蔵野地域の所沢市、川越市、三芳町、狭山市、ふじみ野市にまたがる三富新田(さんとめしんでん)。ここでは、約360年にわたり循環型農業が行われています。江戸時代、川越藩主は農民に対し、原野だったこの土地に雑木林と農地を半々の割合でつくることを奨励しました。

この雑木林は「ヤマ」と呼ばれています。秋、ヤマで集められた落ち葉は小動物や微生物の力を借りて堆肥となり、肥沃な土壌を形成します。剪定(せんてい)された樹木を焼いた灰はカリウムとして土に還元されます。近年は雑木林が資材置場などに転用され、失われる例も増えています。この地の農業は、2017年、大都市圏で唯一、「日本農業遺産」に選定されました。

映画「武蔵野」は、川越市の若手農業継承者一家、伝統農法で茶とサツマイモの生産を行う三芳町の農家、ヤマの保全を模索する所沢市の環境派農家の3家族の暮らし、ヤマの再生に取り組む森林管理ボランティア、伐採された老木を家具としてよみがえらせる工芸作家の1年を追った作品です。

里山は農業が支えるもの

われわれ「宍塚の自然と歴史の会」は、1989年9月4日に発足したNPO団体で、発足30年になります。30年前は、まだ里山で農業を続ける方が結構いて、里山の方々で農業が続けられていました。しかし高齢化もあり、大型耕作機が入らない里山は、休耕地が広がりました。

当会では、里山は農業が支えるものとの認識から、休耕した土地を借り田畑の耕作管理を行っています。また里山内で農業を続ける農家を支援するために、収穫した米を高く買い取り、都会の人たちに購入を促す「米のオーナー制」も行い、20年目を迎えました。

会には歴史部会があり、文献、写真、地図などの資料収集と共に、お年寄りからの聞き書きを進めてきました。昔の様子を話して下さった方、織った布や着物、古い道具などを見せてくださった方もありました。

近年暮らしも農業も急変した中で、農業と暮らしに欠かせなかった里山の存在価値は、いったん失われたかに見えましたが、聞き書きによって、大切にしていくべき里山の宝は何なのか、これからどのような里山を目指すべきなのかが明らかになってきました。

今の暮らしに至る努力、頑張り、たくさんの技と知恵、里山の幸、豊かな文化、人々のつながり、1人1人の誇り。この定点の記録が、里山の問題だけでなく、これからの暮らしや農業、自然と人間、人の生き方、社会の在り方を考えるのに役立つことも明らかになりました。

発足30年を迎えた当法人は、里山の今後について考えるために、映画「武蔵野」を上映、同映画のプロデューサー鈴木敏夫氏を迎え講演会を行います。日時は9月29日(日)午後1時30分~4時30分、場所は茨城県霞ケ浦環境科学センター(土浦市沖宿町1853)多目的ホール、入場無料、申し込み不要です。(宍塚の自然と歴史の会代表)

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《ひょうたんの眼》20 気温が平均で1℃上下すると…

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【コラム・高橋恵一】近年の気象変動による自然災害は予想を超えている。以前の台風は、九州・四国地方を経由して日本海側に至ると勢力が弱って温帯低気圧になり、台風のまま北海道や青森に再上陸して大被害を及ぼすことなどほとんど無かった。また、立秋になれば、台風は列島に到達せず、手前で右旋回していたのだ。

今年の台風が日本列島を大回りし進行速度が遅いのは、日本列島に近接する太平洋の海水温が平年より「1℃」高いからだそうだ。気温の「1℃」というのは、日常生活の中では、それほど大げさに感じるものではないだろう。しかし、広がりと時間を掛け合わせると、環境を図る重要な指標になるのだ。

日本人にも馴染みの深い三国志の時代の中国では、急激な人口減少が起こった。日本の弥生時代の終わり、卑弥呼のころ、100年ほどの間に、5千万人以上だった人口が8百万人ほどになってしまったというのだ。繰り返される戦乱で国土が疲弊してしまったこともあろうが、寒冷化で、この間の平均気温が「1℃」下がったことが大きな要因だというのだ。

年間平均気温が1℃下がると、植物の生息適地の高度が170メートル低くなるのだそうだ。耕作適地面積が狭まることになる。にわかに納得しにくい気がするが、専門家の研究結果なのだそうだ。

温暖化で人類の生活適地は北上?

寒冷化による地球生物への影響は、北アメリカへの大隕石の衝突による火山の噴煙が太陽光線をさえぎり、寒冷化して恐竜が絶滅したというのが有名だ。近未来的には、核戦争が起これば、核の雲で同様に太陽光が届かず、今度は人類が死滅することになるのだそうだ。

今は、地球温暖化である。温暖化により、人類の生活適地は北上することになるのだろうか? 地球上でゆとりのありそうな地域は、ロシアのシベリアくらいだろう。しかし、シベリア鉄道の北側は、土質が悪く、耕作には向かない地域なのだ。

世界の政治、政府の温暖化対策もリップサービスでなく、財源措置を伴う本気の取り組みが必要なのだ。

イタリアの女性科学者の研究では、都市部において、街の街路や住宅に樹木が植えられていると、その街の平均気温は「1℃」下がるそうだ。市民レベルでも、さまざまな取り組みを考え、化石燃料の削減につながるような生活態度に変えていかなくてはならないのだ。(元茨城県生活環境部長)

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《県南の食生活》5 ダンゴツキ(団子突き)

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お月見団子-こしあん

【コラム・古家晴美】過去最強の台風が9月9日に関東地方を直撃し、その傷跡がまだ生々しい地域も多いようです。被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。

9月といえば、台風と共にお月見の季節ですね。今年の十五夜は、9月13日でした。霞ケ浦南岸の阿見町大室では、昭和30年代までは、十五夜にお月様のために供えものをしました。子どもたちが2メートルくらいの細い篠竹(しのだけ)の先をとがらせ、月見団子を突いて回る「団子突き」が行われていたのです。

縁側にテーブルを出し、お盆の上に餡(あん)で包んだ新粉団子を盛り、自宅で穫(と)れた早生(わせ)の柿や梨、また、早生の栗、ススキ・オミナエシ・ボンボチコ(ワレモコウ)などを採ってきて共に供えました。現在は香りを楽しむ粒あんが人気ですが、当時はお年寄りが朝から手間暇かけ拵(こしら)えたこしあんを使うことが多かったようです。

お月見のころに穫れる早生の柿は小ぶりで甘さが少なく、包丁で皮をむくと粉をふいて、梨のようにガリガリと音を立てて食べるような未熟なものでしたが、実りの秋を願う供えものとして貴重でした。

どこの家でも、3~4本の種類が異なる柿の木を庭に植えていたそうです。収穫時期が異なる品種を植えることにより、少しでも長い間、柿を楽しめるようにという暮らしの知恵だったのですね。また、早生の栗も小粒で、まだあまり美味しいものではなかったようですが添えられました。

お供えを盗りに来る子どもたち

供えものの団子を狙ってやってくるのが、近所の子どもたち(主に男の子)です。十五夜の晩になると、オコヤ(現在の集落センター)の庭に集まり、ガキ大将が3人くらいに班分けし、どの辺りを回るかを指示します。割り当てられた家の縁の下に潜り込み、蜘蛛(くも)の巣をかき分けながら、お供えものを篠竹に刺して頂戴してくる。

そして、それをオコヤに持ち帰り、みんなで食べたそうです。子どもの親たちも、また団子を突かれた家の人たちも、これらのことを特に咎(とが)め立てすることもなく、微笑ましく見守っていたとのこと。

現在は、エアコンが効いた家の中で、網戸とアルミサッシによって蚊や暑さから守られた快適な生活を享受していますが、それと引き換えに暮らしの中のささやかな楽しみと大らかさがひとつ忘れ去られてしまったのかもしれません。(筑波学院大学教授)

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《続・平熱日記》46 「尿管結石破壊作戦」完了

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【コラム・斉藤裕之】尿管結石(にょうかんけっせき)粉砕から1カ月の後、意気揚々と訪れた病院。レントゲンで石が無くなったことを確認したその時、「それではステントを抜きますので、呼ばれるまで廊下でお待ちください」と看護師さん。「はあ」と返事はしてみたものの、いまひとつ飲み込めない私。といいますか、この1カ月、ステントなるものが尿管内にあったってこと?

どうりで、目くるめく残尿感と尿意の繰り返しと、なんとなく感じる異物感。というわけで処置室に入ると、「下着を脱いでこの椅子に座ってください」。すると、椅子は自動で回転して私の足を持ち上げます。なすがままのあられもない姿の私。そして奥から先生登場。

「ハイではちょっと我慢してください」。ギュイーン、グイ、スカッ、フ~、一件落着。というか、そういうのが入っているとか抜くとか、ひとこと言っといてよ~。しかし、いやー、気持ちよくおしっこが出るって、なんて幸せなんでしょう。

話は少々遡(さかのぼ)って、入院中に血圧を測る看護師さん。「斉藤さん、マラソンかなんかやってました?」「水泳は…。かなり昔ですけど」「脈拍が45なんですけど。でもって血圧は高め」「はあ」。

血圧が高めなのは気づいていましたけど、脈がそこまで遅いのはなぜ? 頭の中でポンプとホースを思い浮かべてパスカルの法則…? しかし高血圧は万病の元。先日も「サイレントキラー」なる呼び名を見かけたばかり。

目覚ましい技術革新に感謝

以来、ホームセンターの血圧計売り場をうろつくこと数回。かみさん曰く「計ってもしょうがないでしょ。下げることをすればいいんじゃないの」。その通りです。しかし、ダイエット通の友人曰く「痩せるのと一緒で、目に見える記録をとるのが有効」なのだとか。というわけで、血圧計を購入。

そういえば、時代物の小説なんかに「癪(しゃく)」とか「癪持ち」なんて出てきます。尿管結石なんかも含めて、わけの分からない突発性の痛いヤツは全部「癪」だな。原因も治療方法も分からなければ、そりゃ人生50年だわ。私も50までは、ほんと医者なんか行ったことなかったんだけどなあ。

これからは100年いけるらしいけど? あ、血圧ですがなんと極めて平常値。結構高めだったのになあ。お酒止めたし。

それにしても、こと医療については目覚ましい技術革新に感謝しかないのですが、最新技術は兵器開発の副産物という側面もあるとか。「尿管結石破壊作戦」という言い方もできるわけで、人を生かすも殺すも人間の知恵。新しい技術はできるだけ善として使われてほしいと思ったりもしました。

まあそのうち、家庭用血圧計のように「オッケー〇〇、今日の血液データは?」なんて日もそう遠くないでしょう。さて石も取れたし、血圧も異常なし。台風で飛んだ煙突も直したし。これで、個展に向けて思う存分ドタバタな日々を送れます。(画家)

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《邑から日本を見る》48 緊急事態なのに平然と内閣改造

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飯野農夫也氏の版画「憩い」

【コラム・先﨑千尋】福島第1原発の事故に続いてまたも想定外か。9日に上陸した台風15号による千葉県の大規模停電から2週間経つ。しかし依然として停電完全復旧の見通しは立っていない。東京電力は当初、11日中の全面復旧を見込んでいたが、それが13日以降になり、次は27日などと、楽観的な見通しが繰り返し先延ばしされている。東電側の説明は「現場を確認すると、損傷が想定よりも大きかった」。

北海道でのブラックアウトは1つの巨大発電所の故障によるものだった。しかし今回の大規模停電は発電所や送電線が原因ではなく、電線が切れたり電柱が倒れたりしたことによるもので、東電の当初の甘い想定をはるかに超えていた。

テレビは連日、千葉県内の被害状況を伝えている。停電、断水、家屋の倒壊・損傷、農林漁業の被害など。電気も水も来ない病院や福祉施設。ブルーシートで覆われた街並み。倒木で寸断された道路。落ちた梨や死んだ伊勢エビ。

過酷な状況を見ていても、私には何もできないもどかしさを感じる。被害は千葉県だけでなく、新島、式根島などの伊豆七島でも出ているようだが、ほとんど伝えられていない。テレビには給水所などの情報が流されているが、必要な人はそれを見られない。住民には被害状況を知る方法も伝える手段もないという。

それなのに、千葉県の森田健作知事はやっと11日になって、安倍首相に激甚災害の早期指定を要請した。その後、森田知事は記者団に対し、「混乱したことは事実。混乱の中でいろいろ問題が出てきている。誰が悪い、これが悪いではない」と述べたという。

国や地方自治体は誰のためにあるのか

では政府、安倍首相はなにをやってきたのか。予定通り(?)11日に内閣改造だ。小泉進次郎さんが環境相として入閣し、マスコミは小泉フィーバー。内閣支持率も5%上がったとか。異を唱える人はいなかったようだ。

国や地方自治体は誰のために、なんのためにあるのか。二言目には「国民、住民の生命と財産を守る」という。しかし、今回の災害で首相や知事のとった行動は、本気で国民の生命財産を守ることを考えてはいないということを示しているのではないか。

内閣改造など、1週間、1カ月遅らせても誰も困らない。国を守る、国民を守るということは、米国から言われて何兆円もの武器を買うことではない。この緊急事態に、災害地の人たちに食料、電気、水などのライフラインを迅速に確保できる体制をつくることではないか。そのためにはすぐに動く。対応する。しかし、安倍さんも森田さんもそうはしなかった。国民、県民を守るという姿勢が見えてこない。

もう一つ付け加えたいことがある。今回の想像を絶する倒木は、1964年に木材が自由化され、丸太や合板などの関税がゼロないしは一ケタにされたことが真因だ。木材価格は3分の1に下がり、山林は誰も手入れせずに荒れ放題。山林王国なのに、木材の自給率は90%から20%台に落ち込んでいる。自由化のツケが回ってきたのだ。

こうしたことに触れない、メスを入れようとしない、メディアにもがっかりする。(元瓜連町長)

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《食う寝る宇宙》46 宇宙ファミリーと長野の天文台へ③

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【コラム・玉置晋】国立天文台野辺山宇宙電波観測所は、宇宙からやってくる電波をパラボラアンテナで受信します。受信データを研究者や学生が解析し、星の誕生や生命の起源、太陽電波の監視、ブラックホールの発見、銀河の構造を知る研究、宇宙地図作り―などが行われてきました。

宇宙ファミリー、マサヒロ父さん、サチコ母さん、小学生のユズノ、ソメノ、ブンタと共に、長野県の野辺山で天文台を見学しているはずでしたが、僕は山で「遭難」して、なんとか下山するまでが、前回コラム(9月8日掲載)の話でした。

「お~い!行くよ~」、僕が断念した飯盛山の頂上から戻ってきたブンタが大声で叫んで、手を振ってくれました。45メートル電波望遠鏡目指してレッツゴー!

守衛所で入構の手続きをして歩いて行くと、直径10メートルのミリ波干渉計のアンテナが出迎えてくれます。レールが縦横に走っていて、レールに沿ってアンテナ配置を変えながら観測してきたこのアンテナ群の性能を視力に換算すると、視力60に相当するそうです。残念ながら、すでに科学運用は終了しています。

遠くには太陽電波強度偏波(へんぱ)計群が見えます。これらのアンテナは50年以上太陽電波を観測しています。見学コースをさらに進むと、アンテナ直径45メートルの電波望遠鏡があります。これは野辺山のシンボルですね。写真撮影しようとしてもアンテナが入りきらない。とにかくデカい。

みなさん、小学生のとき50メートル走ってあったでしょ。全力で走って10秒くらいかかる距離ですね。僕なんて、30メートルくらい走ったら嫌になって帰りますけど。

4次元デジタル宇宙ビューワー 

展示室では、大変ユニークなエンジニアや研究者の方が解説してくださいます。模型を使ったアンテナの解説、「4次元デジタル宇宙ビューワー “Mitaka”(ミタカ)」を使って、地球から出発して、銀河系を飛び出し、銀河団の大規模構造をウォッチ。

また、太古の原始地球に天体が衝突した破片が集まって月が出来上がった「ジャイアント・インパクト」をシミュレートしたアニメーションを見せてくれました。非常にエキサイティングで、宇宙好きならば、大人も子供も楽しめます。

宇宙関係の仕事に憧れる小学生のユズノのために、「宇宙関係の仕事に就くにはどうすればよいのですか?」と聞いてみました。「何でも興味を持って勉強してね」とのこと。勉強に王道なしでございます。ユズノ、がんばれ。

野辺山旅行編はこれで完結。帰りもず~っと運転してくれたマサヒロ父さん、お疲れ様でした。そして、エンドレスに続くソメノとのしりとり勝負はまだ決着がつかない。(宇宙天気防災研究者)

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《続・気軽にSOS》45 住む所に困っている人の相談先は?

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【コラム・浅井和幸】視覚障害のあるAさんは、とてもまじめな20代。いつも笑顔で対応し、一生懸命に働きました。しかし、昔気質(むかしかたぎ)の根性論の社長の下での休日のない生活。自分の意見は後回しにされ、能力のある分、無理な仕事を任され、心身がすり減るような毎日を送っていました。

ある時、あまりにも疲労がたまり、もう仕事を続けることは無理だと判断しました。労働基準監督署にも相談しました。辞めた方がよいというアドバイスももらいましたが、闘うにしろ、逃げるにしろ、次の住む場所を確保してからの方がよいだろうという話になりました。

理知的でしっかり者のAさん。きちんと貯蓄もして、遠く離れている家族も協力的でした。今いる社宅から引っ越せる物件を探し始めました。しかし視覚障害があることで、出火するのではないかというオーナーや物件管理会社の偏見のため、引っ越し先を見つけることが出来ず途方に暮れていました。

そういえば、ある学校の先生の「障害があるだけで火が出るなんて、そんな超能力者みたいな話があるか」という、怒り交じりの冗談を思い出します。

Aさんは、ある理解のあるオーナーと偶然出会い、少しの充電期間のあと、今は次の就職先で働き始めています。しばらく会っていませんが、元気にしていることを願うばかりです。

住宅確保要配慮者居住支援法人

このように、住む場所に困難を持つ方を、住宅確保要配慮者と言います。低額所得者、被災者、高齢者、障害者、子育てする者、外国人、児童虐待を受けたもの、DV被害者など、様々なカテゴリーの対象者が定義されています。

それぞれのカテゴリーの支援はありますが、住宅確保要配慮者居住支援法人という、茨城県が指定した法人が2019年9月現在、3団体あります。以下のサイトをご覧ください。

https://www.pref.ibaraki.jp/doboku/jutaku/minkan/05chintai/jutakusafetynet/shiteihojin.html

https://www.pref.ibaraki.jp/doboku/jutaku/minkan/05chintai/jutakusafetynet/documents/shiteihoujinichiran.pdf

そして、その住宅確保要配慮者を受け入れる物件として、セーフティネット住宅があり、そのシステムを以下のネットで検索することが出来ます。

https://www.safetynet-jutaku.jp/guest/apart_list.php?pref=8

まだまだ登録が少ないので、今後の増加が望まれます。また、その住宅に対する家賃補助の整備も進むことも望まれます。望むだけではなく、働きかけているところです。また、セーフティネット住宅に似た、あんしん住宅というものもあるので、参考までにアドレスを載せておきます。

http://db.anshin-kyoju.jp/guest/room_list.php?pref_code=8

低所得、障害、孤独死、住民トラブルなど、様々な問題がある中、支援団体や地方公共団体の支援を組み合わせることで対応できることも多々あります。ほんの一例ですが、土浦市には「愛の定期便」という、65歳以上の1人暮らしの方に、週2回、乳製品を配達しながら、安否の確認をするサービスがあります。

https://www.city.tsuchiura.lg.jp/page/page002660.html

支えあいの社会を目指すと言っても、なかなか情報を集めることは難しいことです。住む場所の確保が難しいと感じた時は、住宅確保要配慮者居住支援法人に相談してみてください。(精神保健福祉士)

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《霞ケ浦 折々の眺望》9 霞ケ浦で聴きたい音楽(クラシック編)

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湖水晩景

【コラム・沼澤篤】以前、本コラムで、霞ケ浦で聴きたい音楽のうち、イージーリスニングの名曲を紹介した(6月21日掲載)。今回はクラシックの名曲を取り上げたい。ヘンデルの「水上の音楽」は、1715年にジョージⅠ世のためにロンドンのテムズ河畔で催された王宮の音楽祭で初演された。開放的な河畔での演奏であったから、王侯貴族だけでなく庶民も聴くことが出来ただろう。

トランペットで華やかさを、バイオリン、ホルン、オーボエ、ファゴットのアンサンブルで優雅さを表現しながら、全体の曲調で王家の威厳を保ち、荘厳さを強調しているようだ。それだけでなく、個々の楽章では、親しみやすい優しい曲調も組み込まれており、庶民も心地よく鑑賞したに違いない。

この第1組曲の序曲で、アダージョとスタッカートの小気味よい旋律が期待感を高め、第2組曲から第3組曲の終章まで、アレグロ、メヌエット、アンダンテのリズミカルで浮き立つような旋律が続き、舞踏会が開催されたのだろう。

曲調が変わるたびに、踊り手が交代し、休憩や軽い飲食を取りながら、河畔で夏の夜が更けるのを楽しんだことが容易に想像できる。またテムズ川には、王侯貴族を乗せた、豪華な船が何艘(そう)も浮かび、船上にも楽隊が配置されたかもしれない。

バロックの名曲「水上の音楽」

タイ・バンコクのチャオプラヤ川で、当時のプミポン国王即位60周年祝賀行事(2006年)の、見事な竜頭で装飾された船列を写真で拝見したことがある。晴れやかで荘厳な雰囲気が伝わってきた。

霞ケ浦でも12年に1度、式年大祭鹿島神宮御船祭(おふねまつり)が行われる。大船津の一之鳥居から祭神を載せ、龍頭で飾られた御座船(ござぶね)を中心に、約百艘の供奉船(ぐぶせん)が従う船渡御(ふなとぎょ)は見事だ。こうした行事で楽隊は欠かせない。

バロック音楽の名曲である「水上の音楽」を霞ケ浦でも聴いてみたい。ライブは無理でも、遊覧船上から湖面を眺めながら、CDで格調高い名曲を聴けば、霞ケ浦への思いも募るだろう。霞ケ浦周辺を車で廻(まわ)る時、岸辺に車を停めて、CDで「水上の音楽」を聴くのも一興。雲や空の色の変化、波、岸辺の葦の輝きを眺めながら聴けば、至福の時を過ごせる。

ただし,車を運転しながら聴くのは危険だ。バロック音楽は宇宙空間を流れる旋律のように脳をリラックスさせ(幸せホルモンのセロトニンなどが分泌される)、責任を伴う運転業務の注意が疎かになり、事故を起こしかねない。英国の調査報告では、運転時に聴くと危険な曲として、クラシックが幾つか挙げられている。天才作曲家たちは、車の運転時に聴くことを想定していないのだ。

閑話休題。ヘンデルは名曲「王宮の花火の音楽」も残した。この曲は「土浦全国花火競技大会」で聴いてみたい。遊覧船や屋形船、堤、桟敷席、橋、高津の高台、マンションなどのお気に入りの場所で、色彩豊かで華やかな花火を楽しみながら、「平和」と「歓喜」を主題にしたこの曲を聴けば、我々庶民でも豪奢(ごうしゃ)な気分を味わえる。(霞ヶ浦市民協会研究顧問)

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《ご飯は世界を救う》15 古民家カフェ・木鋸(きのこ)

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きまぐれ木鋸ランチ(コーヒー付き)1200円

【コラム・川浪せつ子】建築士会の友人が、工務店をやりながら、日曜日はカフェまでやってしまうという「古民家カフェ・木鋸(きのこ)」さん。我が家からは、車で50分くらい(稲敷市伊佐津)。前々から行きたくて、やっと実現。道中距離はありましたが、本当に行って良かった~! お料理はもちろん、古民家、その周辺。時間が、ユッタリ流れていて。「となりのトトロ」の世界にタイムスリップしたような感じでした。

お店をやっている建築士の彼女は、私と同世代です。先祖代々の工務店を継いでいます。若かりしころから女性が40年も、建築業界で活躍し続けるのは、並大抵でのことではなかったと思います。彼女との出会いは、茨城県建築士会の女性部会の集まりでした。偶然、お隣に座っていて意気投合。

建築士会の「男前女子」

カフェは、1年ほど閉店していたようですが、今年に入って再開。理由を聞くと、「都内での仕事が忙しくてお休みしていたの。でも東京の仕事をやっている間、地元のお客様がだんだん疎遠に。これからは、やっぱり地元重視でやっていきたい。カフェをやっていたら、いろいろな方と繋がることができるからね」。

その言葉通り、いろいろな方々がくつろぎに来ていました。皆さんに、ユッタリとマッタリと、対応する彼女。前日は、千葉県まで、古民家の調査に行き、カフェを考えている方にアドバイスをしてきたとか。工務店の業務だけでなく、若いころにはアジアにも頻繁に「民家」調査をしにいっていた彼女です。

前日、そんなに忙しかったのに、なんでこんなにステキなお料理、ご接待ができるのか! 本当に、敬服しました。そんな「男前女子」は、彼女だけではないのです、建築士会の女性はね。建築士会の「女性活躍」のお話は、たくさんあるのですが、また今度。(イラストレーター)

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《くずかごの唄》46 ジェネリックと後発医薬品は別?

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【コラム・奥井登美子】「ジェネリック。安くて、いい薬が出来たって、テレビで偉い先生が言っていたんだ」。Aさんが、笑いながら処方箋をひらひらさせて、薬局に入ってきた。

「こんどから薬は全部ジェネリックにしてくりぇや」

「この処方箋の5種類の薬、全部変えちゃってもいいの?」

「もちろん全部ジェネリックだ」

胃がムカムカして、胃がんではないかと心配で、心配で、少し鬱(うつ)状態だったAさんだが、その日はどういう加減か、ニコニコしてとても機嫌がいい。

厚労省でジェネリックを推進しているけれど、うちの薬局のように、患者さんも超高齢化している場合は、患者さんが薬を変えたがらないことが多い。薬の形と、色と、数を、今の形で覚えてしまっているので、途中で変えて、自分でわからなくなってしまうのが怖いのだ。

わけのわからない横文字が跋扈

健康保険で1割負担の人が多いせいか、先発品と後発品を価格で比べて、負担がそれほど多くなければ、慣れ親しんできた薬の方がいいと言って、いくらこちらがお勧めしてもジェネリックの希望者が少ない。Aさんみたいに、患者さんから言い出して全部ジェネリックにしたいというのはきわめて珍しい。

次の日。Aさんが、湯気を立てて、怒りながら薬の袋を持ってやってきた。「ジェネリックって言ったのに入っていねえョ、後発品ばかりだ」。

「後発品のことを、ジェネリックというのよ」

そこで、やっと、私は気がついた。テレビを見て、Aさんは、ジェネリックという、安くていい薬があると勘違いしてしまったのだろう。老人が慣れない横文字などを使うときは、最初に疑って、探りを入れなければいけなかったのだ。私も平身低頭し、反省。

昭和ひとけたにとっては、わけのわからない横文字が跋扈(ばっこ)するややっこしい世の中になったものである。(随筆家)

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《法律かけこみ寺》10 星の歌 水の道

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土浦市神龍寺(本文とは関係ありません)

【コラム・浦本弘海】前回(8月20日掲載)は、隣家から木の枝や根が自分の敷地に入ってきた事例について取り上げました。今回も、前回から引き続き相隣(そうりん)関係(隣りあった土地の間の法律関係を定めるルール)のお話をしますね。

民法には、他人の土地に囲まれていて、公道に接していない土地の所有者が、他人の土地を通行できるという規定があります(210条)。

他人の土地に囲まれていて、公道に接していない土地を「袋地」(ふくろち)、「袋地」を囲んでいる土地を「囲繞地」(いにょうち)、「囲繞地」を通行する権利を「囲繞地通行権」と言ったりします。以下、条文です。

(公道に至るための他の土地の通行権)
210条1項 他の土地に囲まれて公道に通じない土地の所有者は、公道に至るため、その土地を囲んでいる他の土地を通行することができる。
210条2項 池沼、河川、水路若しくは海を通らなければ公道に至ることができないとき、又は崖がけがあって土地と公道とに著しい高低差があるときも、前項と同様とする。

ただ、最近は袋地自体が減ってきているように思います。これは、建築基準法43条1項の規定で、原則として建築物の敷地は道路に2メートル以上接しなければならないという、接道義務が課せられているため、通常、敷地が道路に接していないと家が建てられないということも原因と思われます。

ちなみに、土地の所有者が、土地の一部を売って囲繞地が生じたような場合(大地主さんが、公道に接していない土地を売ったような場合をお考えください)には、その土地の所有者(大地主さん)の土地のみ通ることができるという規定(他の地主さんの土地は通れません)もあります(民法213条)。

「通行だけなの?」

先ほど建築基準法の接道義務を挙げましたが、下水道法にも接続義務がありまして、土地の所有者等は、公共下水道に流入させるための排水管等を設置しなければなりません(下水道法10条)。

この関係で、排水管等の設置義務者は、他人の土地又は排水設備を使用しなければ下水を公共下水道に流入させることが困難であるときは、他人の土地に排水設備を設置し、又は他人の設置した排水設備を使用することができます(下水道法11条1項)。

「通行と下水道だけ?」

この点、ガス、上水道、電気、電話については法律上、直接の規定がありません。しかしながら、これらは「都市生活において必要不可欠」として、設置する権利を認めた裁判例もあります。「法律上の規定がないからそんな権利は認められません」と言わなかった粋な判断と思います。ご参考までに。(弁護士)

➡浦本弘海さんの過去のコラムはこちら

《吾妻カガミ》64 土浦の市街地をつくり変える仕事

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土浦市役所

【コラム・坂本栄】現在4期中の中川清土浦市長が11日、5期続投への意欲を表明しました。市長選の告示は11月3日、投票は10日ですから、これから2カ月、土浦も政治の季節に入ります。でも対抗馬の姿が見えません。「政治・行政は選挙によって鍛えられる」が持論の私としては、選挙になることを期待しているのですが、無投票の可能性が大です。

市議会での中川さんの出馬表明は、本サイトの記事「中川清市長が立候補表明 11月の土浦市長選」(9月11日掲載)をご覧ください。答弁テキストによると、「体力、気力とも充実しており…」「引き続き…全身全霊で市の発展に尽くす」と、実に意欲的です。

仮に選挙になった場合は、16年間の仕事と多選の是非がポイントになります。前回2015年の選挙には、4選を阻止しなければと柏村忠志市議が立ちました。しかし、得票比1:2で負けました。2011年と2007年の2回は無投票でした。いい勝負だったのは、最初の2003年(対抗馬はベテラン市議、得票比7:10)だけでした。

前回の市長選に挑み敗北→昨年末の県議選に挑み落選→今春の市議選で復活した柏村さんについては、本コラム46「ホットなつくば>クールな土浦」(昨年12月17日掲載)で取り上げ、「無投票を阻むドンキホーテ」と書きました。今回は? と聞いたら、いまのところ出るつもりはないとのこと。メディアは、争い(選挙戦)が大好きなのですが…。

大名のまち→商業のまち→文化観光のまち

私が東京(通信社で仕事)から土浦(高校まで在住)に戻り、地方紙の社長になったのは2003年の春でした。中川さんが市長になる半年前です。それから16年。土浦市でもつくば市でもいろいろなことが起き、まちの姿形が変わりました。

つくばで言えば、2005年にTXが開通したことで、まちの臍(へそ)がTX終点駅周辺(センター地区)から1駅手前周辺(研究学園地区)に移るという、変化が起きました。これによって市民の動きが変わり、市の大きな仕事が「(市の中心でなくなった)センター地区活性化」になりました。同じまちの中での盛衰(せいすい)です。

大名のまち→商業のまちと、繁栄を謳歌(おうか)してきた土浦は、旧市街地の疲弊に悩んでいました。自動車社会になり、生活者の消費・居住の場が変わり、旧(ふる)いまちの使い勝手が悪くなったわけですから、当然でしょう。時間軸での盛衰です。

中川さんの仕事は、こういった「まちの変化」を踏まえ、旧市街地を商業地区に戻すことではなく、コンパクトな居住地区につくり変えることでした。駅前に市役所(2015年)や図書館(2017年)を持ってきたのも、このコンセプトに沿ったものです。さらに、文化都市(生活の質アップ→定住人口増)と観光都市(資源は霞ケ浦→交流人口増)づくりを目指して欲しいものです。(経済ジャーナリスト)

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《地域包括ケア》43 自分たちが望む 在宅医療や看取り

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「つくば市在宅医療と介護のサービスマップ」と「もしバナゲーム」のカード

【コラム・室生勝】高齢者サロンの参加者たちは、「もしバナゲーム」(8月24日掲載コラム参照)をやることで、自分たちが望む在宅医療や看(み)取りに関心を持つようになった。在宅医療をしてくれる「かかりつけ医」を探す人、終末期医療や看取りを真剣に考える人も増え、個人的に私に相談する人もいる。

サロンでは、自宅で家族に見守られながら最期を迎えたい人たちが多く、私もそうあって欲しいと願っている。私は開業医時代、患者さんの死期が近くなる2~3週間前から、訪問看護師と共に家族に「死の準備教育」を行い、最期の看取りを家族や親しい人たちですることを勧めた。

「看取りCOM」というサイトがあり、「在宅療養クリニック」を市区町村別に探すことができる。つくば市の場合は8カ所が掲載されている。「在宅医療介護マップ」に掲載されていない医師数、診療患者数、緊急往診件数、在宅看取り患者数、看取り率が掲載されている。

「在宅医療介護マップ」の「看取りの対応」は、医師が臨終に立ち会うということらしい。医師は診療時間中や夜間だと、臨終に間に合わないことが多い。しかし、24時間往診と看取りするのが在支診の設置基準にあり、できるだけ対応すべきである。

在宅で看取りができないときは、救急車を頼んで病院へ搬送することになる。看取りを家族で行い、おおよその死亡時間を記録しておき、かかりつけ医が死亡確認に来たときに伝えればよい。家族だけで看取りをするつもりでいても、臨終が近くなり不安になったら、訪問看護師を呼んでもいい。

専門職による在宅医療介護啓発講座

医師は臨終に立ち会わなくても、死亡確認すれば死亡診断書を書くことができる。ただし、死亡に関連した病気を診療していた医師でなければならない。

医師法第20条第1項に「医師は、自ら診察しないで治療をし、若しくは診断書若しくは処方せんを交付し、又は自ら検案をしないで検案書を交付してはならない。但し、診療中の患者が受診後二十四時間以内に死亡した場合に交付する死亡診断書については、この限りでない」とある。

医師は24時間以内に診察していれば、臨終に立ち会わなくても死亡診断書を書ける、と言っているのであって、24時間以内に診察していなければ、死亡診断書を書けないと言っているわけではない。死亡原因でなくても、死亡に関連した病気で1カ月前あるいはそれ以前に診療していれば、死亡診断書は書ける。

在宅医療介護連携推進事業として、9月から来年1月にかけて毎月、つくば市の各圏域で在宅医療介護の専門職による在宅医療介護啓発(けいはつ)講座が始まる。第1回は9月22日(日)14時から「市民ホールやたべ」で開催される。市民に在宅医療を理解してもらう講座で、アドバンス・ケア・プランニング(ACP、8月10日掲載コラム参照)の話にも及ぶだろう。

ACPは、在宅医療を提供する「かかりつけ医」の協力がなければ進まない。病院では医師と看護師がACPの研修を行っているようだが、医師会では診療所医師の研修を実施していないようだ。この講座をきっかけに、高齢者のACPに基づく在宅医療が広がることを期待している。(高齢者サロン主宰)

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《宍塚の里山》46 夜の鳴く虫観察会 今年は9月14日

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ライトを照らして観察

【コラム・及川ひろみ】宍塚の自然と歴史の会では、月例テーマ観察会(第1日曜日9:30~12:00)、土曜観察会(毎週土曜日9:00~12:00)、日本野鳥の会と合同の野鳥観察会(第3土曜日9:00~12:00)を定期的に行っています。これとは別に、夜の生き物観察会も年3回実施しています。

夜の観察会は、 昼間、身を潜めていた生き物の世界を垣間見る、夜の生きざまが見られるチャンスとあって、大人気のプログラムです。5月に行われた春の観察会では、里山の田んぼでにぎやかに鳴くカエル、大声を発して鳴くアマガエルにそっと近づき、その姿を観察しました。

そのとき、水の中をのぞくと、昼間はあまり見られないトンボのヤゴやゲンゴロウの幼虫、オタマジャクシやドジョウなどが見られます。宍塚には5種のカエルがいますが、うまくすれば、そのうちの4種を見つけることができます。

目が慣れてくると、葉に留まり眠る? 休む? チョウやトンボ、ハサミムシなども見つけられます。講師の北方動物研究所の植田さんから、参加の子ども(今年は20数名)1人1人にアカガエルの石膏をプレゼントされました。

夏の夜の観察会は海の日に行いますが、100人近く集まったこともあります。毎年大量に羽化するニイニイゼミを、全員が見つけ観察します。コロギス、ナナフシ、カブト虫、クワガタムシ、キシタバなどなど、様々な生き物が昼間より活発に動き回るのが見られます。

ブラックライトなどを森の中に点灯、虫をおびき寄せる仕掛けもセットし、参加者を待つ会員もいて、準備には怠りがありません。

カンタン、鈴虫、コオロギ、ササキリ

このところ、夜になると一段とにぎやかな虫の声が、大通りの樹木からも聞かれます。今年の夜の観察会第3弾は、9月14日18時半~20時半の「鳴く虫の観察会」です。カンタン、鈴虫、コオロギ、ササキリなどが鳴く姿を見つけます。

昼間よりにぎやかに感じられる夜の生き物、なぜ夜活動するのでしょうか。天敵(主に野鳥)から逃れるためと言われていますが、実は、体が小さな昆虫は昼間の直射日光で体温が過剰に上がってしまうことから、昼間は日が当たらない場所で休み、夜に動くと考えられています。

夜行性と呼ばれる生き物は、色彩を見分ける能力が劣り、夜咲く花には白色のものが多いのも、そのためだと言われています。

夜の観察会の悩みは「危険」です。特にマムシなど危険な生き物にいきなり遭遇することがないよう、細心の注意を払います。参加者にはライト持参を義務付け、やぶなど危険な場所には入らないなどを徹底、さらに昼間の観察会より多くのサポーターの協力を得て実施しています。もちろん参加者全員保険に加入しています。(宍塚の自然と歴史の会代表)

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《映画探偵団》23 善女として描いた「滝夜叉姫伝説」

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【コラム・冠木新市】桜川流域は『滝夜叉姫(たきやしゃひめ)伝説』の本場である。つくば市平沢の山中には佐都ケ岩屋古墳という、滝夜叉姫が朝廷の追手から身を隠した場所がある。また同市松塚の東福寺近くの畑には小さな木の墓があり、寺の山門には重厚な石造りの墓の上蓋(あげぶた)が残っている。明治時代に盗掘に遭ったそうだから、もとはかなり大きな墓だった。

滝夜叉姫とは平将門の娘である。天慶3年(940)、流れ矢に当たり将門が亡くなった後、娘は奥州恵日寺(えにちじ)に逃れ、出家して如蔵尼(にょぞうに)となった。信仰心が厚く、慈悲深い人柄から地元では深く尊敬され、地蔵尼とも呼ばれていたといわれる。

如蔵尼は864年後の文化3年(1806)、読本作家山東京伝(さんとうきょうでん)作『善知鳥安方忠義伝(うとうやすかたちゅうぎでん)』の中で如月尼として登場してくる。

如月尼は異母弟の良門を養育するために筑波山麓へと移ってくる。ところが、父の素性を知った良門は復讐のためにガマの精霊から妖術を学び、姉をもたぶらかす。そして如月尼は還俗して滝夜叉を名乗り、父将門の仇討ちに乗り出すのである。

さらに京伝の読本は30年後の天保7年(1836)に歌舞伎『忍夜恋曲者(しのびよるこいはくせもの)』として上演され、滝夜叉姫は天下大乱をもくろむ妖艶(ようえん)な悪女として描かれる。

私は10年前に滝夜叉姫伝説を知り調べ始めた。すると、隣の守谷市にも多くの将門伝説が残っていることが分かり、現地を歩いてみた。将門の城址跡(実際は相馬氏代々の居城)。将門と7人の影武者たちの供養塔七騎塚がある海禅寺(かいぜんじ)。

さらに「朝日射す夕日輝く丘の上 春は花咲く玉椿の下」という将門埋蔵金のありかを示す歌まであった。そうした伝説を重ね合わせると、何気ない風景の中に眠る「滝夜叉姫伝説」が黄金のように見えてきた。

イタリア映画『黄金の七人』

イタリア映画『黄金の七人』(1965)は、『007ゴールドフィンガー』(1964)を真似た作品である。7人の男たちがジュネーブのスイス銀行の大金庫に眠る金の延べ棒を強盗するお話で、軽快なテーマ曲に乗って楽しい作品に仕上がっていた。

7人の男たちが、道路工事を装って地下を掘り進み、金庫の真下から金塊を盗み取る。強盗をしているというよりも、労働に勤(いそ)しんでいる印象なのだ。そんな7人の仲間でアイドルともいえる女性がジョルジヤ(ロッサナ・ポデスタ)。シーンごとに次々と奇抜な服を着て現れる色気たっぷりの女性である。だがこのジョルジヤがくせ者で、金塊を盗んだ後に、銀行の支配人とつるんで全部をいただこうと企む悪女なのだ。

しかし、仲間を裏切ったにもかかわらず、7人の男たちは誰も恨みはしない。男たちは女神と悪女の二面性を持つジョルジヤに、希望と欲望の対象である金塊とをオーバーラップさせている。このジョルジヤが滝夜叉姫に重なると考えた。

そして2017年に宴劇「桜川芸者学校」で『滝夜叉姫伝説』を取り上げた。多分、地元では初めての試みだったと思う。いや、そんなことよりもいつの間にか考えが変わり、滝夜叉姫を悪女ではなく、将門埋蔵金を民のために活用する善女として描いた。

出演者の1人から「陰膳(かげぜん)を用意しましょう」との提案があり、舞台の前に滝夜叉姫の席をもうけた。当日、霊感の強い人が見に来られ、終演後に紙辺をもらった。そこには「(略)主人公の滝夜叉姫の立場で申し上げれば、涙を流されて『満足でございます。何も申し上げることはございません』ではないでしょうか」と書いてあった。

私は上演した甲斐があったと思った。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

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《土着通信部》32 二宮金次郎さん 本を持つ左手を失う

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左手を失った二宮金次郎は何を思う(許可を得て撮影しています)

【コラム・相澤冬樹】まきを背負いながら本を読んで歩く姿に見覚えはないだろうか? 二宮金次郎像。尊徳の名でご存じかもしれない。その人物像をめぐっては時代時代で評価が様変わりしたが、金次郎像も時の世相をさまざまに映してきた。県南の小学校の校庭で見つけた像は、どういうわけか左手の先が欠けている、いわくありげな立ち姿だった。

二宮金次郎(1787-1856)は、江戸時代後半の思想家で、全国各地に赴いては諸藩や村々の財政立て直しを指揮した。その方法は、分をわきまえ勤労を貴ぶもので、「報徳仕法」と呼ばれた。必ずしも成功例ばかりではなかったが、茨城県内でも筑西市やつくば市でその事績をたどることができる。

明治の末には、財政再建の手腕というより、苦学して立身出世を果たしたことが強調されて、国定教科書の修身(道徳教育)の象徴になった。右手で背負子のひもを握り、左手に書物をかざしてうつむき加減に歩く姿は「負薪読書図」というのだそうだ。戦前の滅私奉公のアイコンであった。

その像は各地の小学校などに多く建てられた。特に昭和初期はブームの様相を呈したとされ、銅像も少なくなかった(猪瀬直樹『二宮金次郎はなぜ薪を背負っているのか?』文春文庫)という。日本が戦争に突入すると、金属供出で銅像は“出征”することになるが、代替のコンクリート像が各地に広がり、戦後の小学校校庭にも多くが残った。

しかし、戦後の民主教育で、金次郎像は否定すべき戦前教育のシンボルのように扱われ、さらに交通戦争の激化した高度成長期のクルマ社会にあっては「ながら歩き」のイメージが敬遠された。金次郎像が姿を消すなかで、「報徳仕法」の信奉者たちは座像につくり変えるなどして顕彰を続けた。この夏には映画「二宮金次郎」(五十嵐匠監督作品)が公開され、再評価の機運もあるらしい。

そんな時節に、県南の小学校でこけむしたコンクリート製の像を見つけた。台座を含み1.5メートルほどの高さ、小ぶりな印象だ。その像の左袖口から先、本を持つ左手が欠けている。切り口はすっぱり落とされた風ではなく、ごつごつした面をさらしている。台座に銘などは見られない。

学校管理の教育委員会に聞くと、「いつからこの学校にあり、いつから手がなくなったか、まったく分からない。学校百周年記念誌や図書館など探したが昔の写真、資料類は見つからなかった」という。学童保育に使っている校舎を建設した際、一旦倉庫に収容して、校舎完成後、現在地に移設したということだが、その前後に左手があったかどうかも確認できない。

授業で二宮金次郎を取り上げることもない。学校の教頭は「児童から聞かれれば常識的な範囲で金次郎さんの話をするが、像について質問されたことはない。撤去も考えていない」とないないづくし。歩きスマホをたしなめる教材に使うなど、「考えたこともない」そうだ。

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《続・平熱日記》45 はじめぱっぱ なかちょろちょろ

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【コラム・斉藤裕之】実は先日買っちゃいました。重量60キロ、黒いタイル張りの「か・ま・ど」。「へっつい」とか「おくどさん」なんて呼ばれることもあり、薪(まき)で煮炊(にた)きをするあれです。ある街の道具屋で一目惚(ぼ)れ。

さて、地球上で米がとれるところは米を食べます。とれないところは小麦やトウモロコシを、それもとれない場所ではジャガイモを食べます。要するに米は最強の主食。フランスにいたころ、パリで食べるパンは本当に美味しいのですが、日本から持参した圧力鍋でヨーロッパ産の米を毎日炊いていました。因(ちな)みに、フランスやイタリアでも米を作っています。

そして、日本人のお米愛は相当なもの。より美味しいお米を求めて日夜品種改良に励み、またそれを美味しく炊き上げることへの執念は、炊飯器のテレビのコマーシャルなどでも明らか。事実、ある時から炊飯器は白くて丸い牧歌的なデザインから、メタリックな近未来的デザインに。そして、IHとか〇〇釜仕上げだの〇〇炎炊きだののうたい文句で、今や高級家電。

ところで、先日しばらくぶりに買った本。米の炊き方に関する話。これまで何十年も米を炊いてきたわけですが、米の研(と)ぎ方から膨潤(ぼうじゅん)の時間、火加減や鍋、釜の種類など、世の中には様々な「俺流」があるようです。しかしこの本は言い切ります。「米の炊き方を変えると人生までもが変わる」と。そこまでおっしゃるのならばと、本に記載されている手順通りに米を炊いてみましょう。

かまどで新米!

使うのは直径18センチの厚手の金属鍋。指定された量の米と膨潤時間、クッキングタイマーによる分刻みの火力調節! 結果、これが抜群に美味い。「お米をよく噛みなさい!」と言われずとも、よく噛まざるを得ない絶妙な弾力。固いのとは違います。それ以来ずっと、我が家ではこの方法でお米を炊いております。おまけに、この方法で炊いたご飯は冷めても美味しい。

実は、数学の公式が苦手。今残っている文化や方法は誰かが考え、受け継ぎ、改良してきたもの。偶然の産物もあるとはいえ、それらは科学的に合理的に導かれたかたち。料理はまさにその代表的なものだと思うのですが、マナーやしきたり、発酵や醸造、刃物の研ぎ方など、よく考えれば実に科学的であり合理的。

この本に書かれていることも、実は長い経験と科学的な思考を根拠にして持論を展開しています。因みに私の経験からいうと、「はじめぱっぱ、なかちょろちょろ」が炊飯の火加減の基本。

後日、美味しいご飯を食べるための最後の必須アイテム、さわら(ヒノキの仲間)のおひつ(科学的に言うと炊きあがった米の余計な水分を調節する容器)を、千葉の佐原で買い求めた私をかみさんは静観。さて稲刈りが始まりました。かまどで新米!(画家)

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《邑から日本を見る》47 米産トウモロコシ爆買い 理由は害虫被害?

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飯野農夫也氏の版画「憩い」

【コラム・先﨑千尋】先月末、日米貿易交渉が基本合意に達し、今月末に両国首脳が署名、年内に発効する見通しとなった。その具体的な内容は明らかになっていないが、自動車関税の撤廃は見送り、牛肉や乳製品など対日輸出農産品関税の削減など米国への譲歩ばかりが目立つ、と伝えられている。

周知のように、トランプ大統領は就任直後に12カ国で行われていたTPP(環太平洋連携協定)交渉から離脱し、TPPよりも有利な条件をわが国から引き出したいとして今回の結果になった。来年の大統領選で再選をめざすトランプ氏にとっては大きな成果だ。米国に70億ドルの効果があるという。

私には、そこまでは織り込み済みだったが、驚いたのは、激化する米中貿易摩擦による関税の引き上げで売れなくなった米国産の余剰トウモロコシを、税金も使いながら大量輸入することを約束したというニュースだ。

貿易赤字の解消を最重要課題に掲げるトランプ氏は、大きな市場である中国に農産物の輸入を迫ってきた。中国はいったん約束した農産物に高い関税をかけることにし、輸出できなくなった。行き場のなくなった余剰農産物を、安倍首相はいとも簡単に害虫被害を理由に引き受けてしまった。

トランプ氏は「中国が約束を守らないせいで、我々の国にはトウモロコシが余っている。それを、安倍首相が代表する日本がすべて買ってくれることになった」と喜んでいる。その量は275万トンと見込まれ、通常の輸入量の3カ月分にあたる。

米中貿易摩擦の尻ぬぐい

安倍首相とその取り巻きが考え出した理由は、「国内でツマジロサヨトウという害虫が発生し、トウモロコシの供給が不足する可能性がある」というもの。しかし農林水産省は、現状では影響は出ていないと言っている。国内の飼料用トウモロコシの生産の半数以上を占める北海道では発生が確認されていない。

こんな漫画チックな話が日米首脳会談で行われていたとは信じがたいが、菅官房長官が記者会見でこの輸入について説明しているのだから、間違いないことなのだろう。大手飼料メーカーの幹部は「野菜が足りないからとコメを輸入するようなもの」と憤り、東京大学の鈴木宣弘教授は「安倍政権は、米国との貿易交渉に入る前に『TPP以上の譲歩はしない』と説明してきた。それが米中の貿易摩擦の尻ぬぐいでトウモロコシを日本が輸入することになると、『TPP超え』になってしまう。その言い訳に『害虫被害が発生した』と説明した」(「アエラ」9月3日)と解説している。

飼料用トウモロコシが今後実際に不足するのであれば、その時に考えればいいことだ。それを貿易交渉の道具に使うなどとは愚の骨頂。でも現実はそんなこと。あきれ果ててもどうにもならない。そんな政権を見捨てないのがこの国の国民なのだから。嗚呼!(元瓜連町長)

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《食う寝る宇宙》45 宇宙ファミリーと長野の天文台へ②

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【コラム・玉置晋】前回のコラム(8月22日掲載)の続きです。僕は、「宇宙ファミリー」のマサヒロ父さん、サチコ母さん、小学生のユズノ、ソメノ、ブンタに誘われて、茨城県から長野県の野辺山に向かいました。夜中の2時半に家を出発したので、さすがに眠たくてウトウト。マサヒロ父さんは一睡もせずに、朝の6時半には野辺山に到着。天文台見学には早かったので、どうするのかなと思っていたら…。

サチコ母さん:「じゃあ、山登ろうか!」

僕:「はい?」

サチコ母さん:「あの山」

僕:「マジですか?」

その山は頂上がご飯を盛ったような形をしており、飯盛山(めしもりやま)と呼ばれています。標高は1643メートルです。標高だけ見るとビビリます(ちなみに茨城県民なじみの筑波山は877メートル)。でも登山口の所で標高1300メートルありますので、頂上まで実質300メートルぐらいです。よって、インターネット上には「初心者向け登山コース」と書いてあります。

前日に雨が降り、ぬかるみ気味の足元を気にしながら、岩場に足をかけて登っていきました。マサヒロ父さんと小学生のユズノ、ソメノ、ブンタは、ぴょんぴょん登って行きます。サチコ母さんは僕のペースに合わせて、おしゃべりしながら登ってくれました。山の空気は本当においしい。下山する人とも元気にあいさつを交わして楽しい。

「僕の屍を越えて行け」

僕は忘れていました。半年前の腰痛(3月24日掲載のコラムで触れました)と運動不足から来る膝(ひざ)痛が、想像以上に僕の体を蝕(むしば)んでいたことを。3分の2ぐらい登ったところで、腰と膝が悲鳴を上げ始めて、変な汗をかき呼吸も苦しい。「デスゾーンに入っている。これ以上進むと自力で下山できなくなる」と、僕のゴースト(魂)が囁(ささや)きました。

サチコ母さんに「すまぬ、先に行ってくれ」と言い、岩場に座り込みました。ユズノ、ソメノ、ブンタよ、僕の屍(しかばね)を越えて行け、と訳の分からないことを考えながら、呼吸が落ち着くまで休んで、ゆっくりゆっくり下山しました。初心者向け登山コースでも、運動不足だと遭難のリスクがあることを思い知らされました。

登山口まで下りて来ると、眼下に巨大なアンテナが見えました。次回は、旅の目的地「国立天文台 野辺山宇宙電波観測所」の見学について書きたいと思います。しばらくすると、宇宙ファミリーからは、頂上からの眺めを撮った写真が送られてきました。頂上、僕には遠かったなと、黄昏(たそがれ)ながら彼らの下山を待ちます。(宇宙天気防災研究者)

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《続・気軽にSOS》44 死にたいですか?

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【コラム・浅井和幸】そもそも人には、「生きる本能」と「死の本能」があると、かつての偉い医師や学者は考えていました。「死の欲動」とか「タナトス」と呼ばれます。その後、受け継がれたり、批判されたりして、頭の良い人たちの中では難しい論理が繰り広げられていますが、そのようなことは置いといて、確かに「死にたい」と考える人たちは多くいます。

決して少数ではなく、かなりの人が感じたことのある気持ちでしょう。「死にたいという気持ちが分からない。死にたいと思ったことがない」という人でも、全てを消し去りたい、どこか遠くに行きたい、過去に戻りたい、記憶をなくして人生をやり直したい、と考えたことはないでしょうか?

それぐらい追い詰められる場面が、人生の中には存在します。大きな危機に対して、無力な自分。自分以外の人間がすべて、ずるく、器用に生きていて、何の苦も無く楽しくしているように感じるものです。

何の役にも立たない自分が生きている意味がない。何の楽しみのない人生なんて意味がない。いつかは死ぬんだから今死んでも同じだ。

今が苦しく、先に明るい兆しが見えない、味方がいない、自分がどのように動いても無意味、これからも怖いことが起こる不安がある、などの状況が続くとき、もう打つ手がないと感じるようになるものです。

信頼できる人に話を聞いてもらう

イスラエルの健康社会学者アーロン博士は、首尾一貫感覚という概念を提唱しました。全てのことには意味があり、今や先のことが把握できて、自分や仲間と対応すれば何とかなるという感覚が強い人が、健康であったり、幸せであったりするということです。

それとはまったく反対の状況であるとき、どれほどの苦しみがあるかは当人にしか分からないことです。そのとき、周りにできることは、「知ること」「分かること」ではなく、「知ろうとする、分かろうとする努力をする」ことです。分かった気になることが、一番危ないことと考えてください。

では、当人はどうすればよいでしょう。普段から尊敬している人、信頼できる人をつくっているのであれば、その人に話を聞いてもらうこと、落ち着いたらその人と対応を考えることです。

尊敬できる人、信頼できる人なんて誰もいない人は、できるならば家族、できないのであれば、浅井心理相談室か下記の相談窓口に連絡してください。どうしようもない、もう死ぬしかないような苦しみの中から、何とか生き延びて、あのとき死ななくてよかったという人を私はたくさん知っていますから。(精神保健福祉士)

相談窓口 茨城いのちの電話

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