【コラム・冠木新市】桜川流域には「小野小町伝説」が残っている。土浦市の旧新治村小野には、故郷に帰る途中で病にかかり亡くなった小町の墓と伝わる五輪塔がある。とはいっても小町の墓は国内に幾つもあり、生没もはっきりしない。

筑波学院大学コミュニティ講座の『桜川文化圏構想』で「小野小町伝説」をとりあげたが、1回の講義では時間不足だった。テキストは明治のジャーナリスト黒岩涙香の『小野小町論』(大正2年)を用いた。涙香の論文は情熱にあふれ、それでいて冷静に小町の謎を解き明かし、上質なミステリーに感じられる。

小町は、弘仁7年(816)、出羽の国(現在の山形県と秋田県)に生まれ、名は小野比右(ひう)姫という。13歳を過ぎた頃、器量の好い娘として選ばれ、姉と一緒に朝廷に上がる。官女を一口に「町」といい、姉は「小野の町」、妹は「小野の小町」と呼ばれた。

和歌は文芸というよりも呪術だった

小町が生きた時代は天災が多かった。富士山噴火(864~866)、貞観大地震(869)、平安京地震(881)、西日本地震(887)など。そのせいか、中央貴族は自分のことのみ考え、地方に下った国司も権力を強めることに執着した。平安とは名ばかりで真逆な世相だった。

当時は藤原一族の力が強く、皇后王妃はたいてい藤原族から上がった。天子といえども、藤原族の機嫌をとらねばならなかった。藤原冬継は、娘の順子を仁明天皇(深草の少将)の皇后へと考えていた。けれども天皇は小町にひかれていた。順子と小町は仲が良かった。計画が狂うので気が気ではなかった冬継は、朝廷から小町を退けた。まるで韓国ドラマのような世界である。

承和7年(840)、小町24歳のときに、思いを寄せる天皇から「雨乞いの歌を読むべし」と勅命が降(くだ)る。『古今和歌集』の序で紀貫之は「力も入れずしてあめつちを動かし、目には見えぬ鬼神をもあはれと思わせ、男女のなかをやはらげ、猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり」と記している。

和歌は文芸というよりも呪術だった。小町は「千早振る神も見まさば立騒ぎ 天の戸川の樋口あけ給へ」と読み、雨を降らした。しかし朝廷への復帰はなかった。嘉祥三年(850)、天皇が崩御し小町は尼になる決意をするが、僧正遍昭から諭され思いとどまる。このとき35~36歳だった。「花の色は移りにけりないたづらに 我が身よにふるながめせしまに」。

オードリー・ヘップバーン主演『尼僧物語』

オードリー・ヘップバーン主演の『尼僧物語』(1959)という作品がある。主人公のガブリエルは婚約者と別れて修道院に入り、シスタールークと名前が付けられる。修行を経てアフリカのコンゴに渡り、看護師となって働き住民から信頼を寄せられる。しかし愛する外科医の父親がナチスに銃殺されたと知り、葛藤のすえ尼僧をやめレジスタンスに身を投じる覚悟を決める。

ラストシーンは、修道院の小部屋から1人外に出て行き一度も後ろを振り返らず姿を消すまでが1カットで描かれ、主人公の意志の強さが見事に表現されていた。オードリーは「わたしは前世日本人だったかもしれない」と、日本人の友人に語っていたという。

私は、権力者に抵抗した小野小町の生まれ変わりの姿を描いた作品が『尼僧物語』だと思っている。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

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