《映画探偵団》28 野口雨情が作詞した「土浦小学校校歌」


【コラム・冠木新市】桜川流域には、茨城県出身の詩人野口雨情が作詞した「土浦小学校校歌」が残っている。同校の卒業生以外にはほとんど知られていないと思い、宴劇(えんげき)「桜川芸者学校/創立祝賀会」(2016)で第1章の題材に取り上げた。というのは、雨情が書いた一つの言葉に私も興味を持ったからである。

昭和10年(1935)5月、校歌づくりの依頼を受けた雨情は、東京の吉祥寺から土浦へとやって来た。雨情は小学校の関係者と町を歩き景色を眺め、時々立ち止まっては質問し物思いにふける。

そして、桜川橋を渡り丘の上(旧市役所があった高台)に立ち、高瀬舟(たかせぶね)が走る霞ケ浦、紫色の筑波山、桜川の曲線の流れ、亀城を包む町の光景を見て感動して、「これ程の景色の中に住んでいる人々は、関東広しといえども他に類を見ない程幸福だな」と語った。

翌日、今度は1人で土浦を散策し、もう1泊すると東京に帰っていった。1カ月後に作詞が届き、雨情の推薦で平岡均之(ひらおか・きんし)が曲をつけた。(古森軍治談話より)

映像的で色鮮やかな詩

3番まである校歌の詞は映像的で色鮮やかである。

1番「明けゆく空に ほのぼのと 紫におう 筑波山」「紅深く うららかに 花咲く春の 桜川」では、空から山と川へと、カメラが上から下に移動する。

2番「見わたすかなた 限りなく 霞ケ浦は 波静か」「いやまし栄え すすみゆく 昔をしのぶ 亀が城」では、霞ケ浦から城へとカメラが横に移動する。

3番「われらの校章 たまきこそ あまらずかけず とこしえに」「天地のごとく つくるなき 動かぬ御代の しるしなれ」では、亀城の横に建つ小学校の校章へとカメラがズームアップするのである。

私は「たまき」の校章を初めて見たとき、驚いた。それは丸い円、何の飾りもないただ一つの円だったからだ。こんな校章は見たこともない。きっと雨情も驚いたのに違いない。だから校章をクローズアップしたのだ。

「たまき」とは輪であり、金色(もとは赤色)で日の丸をイメージしたものと言われている。私は子どもの丸い眼ではないかと思った。

「二十四の瞳」の高峰秀子

木下惠介監督の「二十四の瞳」(1954)は、黒澤明監督の「七人の侍」をおさえてキネマ旬報のベストワンになった日本映画史の名作である。物語は、瀬戸内海・小豆島の小学校教師大石先生(高峰秀子)と12人の教え子との交流を、昭和3年、8年、21年の3つの時代で構成し描いている。

全編に童謡が切れ目のないほど流れ、子どもたちの心情を表現する。実験的な音楽映画といってもよいほどである。中でも「七つの子」(1921、雨情作詞)はテーマ曲となっている。大石先生が戦後に再会する大人となった生徒は戦死で7人になっている。

この作品の時代背景と「土浦小学校校歌」がつくられた時代とがぴったり当てはまる。また「七つの子」の「丸い眼をしたいい子だよ」と、「土浦小学校校歌」の「たまき」がオーバーラップする。雨情が注目した「たまき」とは何を意味するのだろうか。

昭和7年(1932)、「五族協和、王道楽土」のスローガンのもと、日本の傀儡(かいらい)政権である満州が建国された。五族とは、日本人、満州人、漢人、朝鮮人、蒙古人を指している。雨情は、大正12年(1923)から昭和9年(1934)にかけて、7回にわたり満州、朝鮮、蒙古、台湾へと満鉄の招待で旅をしている。

他民族とも仲良くとの思いを、雨情は「たまき」の校章に見たのではないだろうか。サイコドン ハ トコヤンサノセンセ。(脚本家)

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