【コラム・斉藤裕之】今年の冬は暖かく、その証拠にいつもの年より早めの緑が庭に目立つ。豆もまかなくなった節分のころ、故郷のギャラリーからの便りが届いた。「いりこの絵、2点売れました」。

18まで暮らした街にある、このギャラリーのことは実はあまりよく知らない。もともと画材店だったが、その後ギャラリーや絵画教室を開き、故郷の文化に少なからず貢献されてきたものと思われる。

以前、このギャラリーでは新春企画として、山口県出身あるいはゆかりのある作家の小品展を催していて、何度か作品を送ったことがあったのだが、その後しばらく休止となる。それが今年創業60周年ということで、小品展を再開したいという旨の知らせをもらって、年末に絵を2点送った。

小さな木のかけらや金網に漆喰(しっくい)を塗って、日々の出来事を描き始めて十数年が経つ。ある人の勧めで、それらを額に入れて「平熱日記展」として発表して今年で10年目。そろそろネタも尽きそうになると、冷凍庫の中からごそごそと引っ張り出すのが「いりこ」である。母がまだ元気だったころ、田舎から送ってもらっていたのが味噌といりこ。

限られた中での表現

生まれ育った土地は、多かれ少なかれ、その人の人格形成に何らかの影響を与えているに違いない。風土や言葉はもちろん、食文化もそのひとつだと思う。その意味では、私の体の数パーセントかは麦味噌といりこでできているといえる。

ある日、ふとそのいりこを描いたのが何かの原点となった。その後、ことあるごとに、なんかの節目には、いりこを描くこととなった。

今回は何の絵を出そうかと迷うこともなく、2点のいりこの絵を早々に送った。その心は「いりこの恩返し」。今まで絵を描き続けてこられたことへの感謝を込めたつもりである。

私の絵はマーケットに流通しているわけでもないので、売り値は子供のお年玉でも買えるような値を付けてある。だが、今回に限らず、見ず知らずの方が拙作(せっさく)をお買い求めいただいたことには素直に有難く、名もなき絵描きの絵を評価してくださったことは大きな励みとなる。

ところで、最近、芸能人が俳句を詠(よ)む番組がある。この番組で評価を下す女性の解説がいい。何がいいかというと、私が絵を描く視点や技術にとても近いところがあって、共感できる。片や17文字、片や小さな矩形(くけい)という、ともに限られた中での表現ということが共通しているであろうか。

様々な概念や表現が生まれ消えた前世紀。テクノロジーやコンピューターが新たな表現を広げる今世紀。しかしながら、根底には時代に左右されない人の営みや感情が横たわっていて、結局、表現の根幹はこのやんごとなき人間性なのかもしれない。因(ちな)みに、一昨年、俳句甲子園なるもので全国制覇したのは故郷のわが母校だったらしい。

冬と春の境目、節分。めざしの頭を魔除けに飾る風習があるが、めざしになりそこなったいりこ(?)をまた描き始めた。(画家)

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