【コラム・山口絹記誰かに手を引かれた気がして目を開けると、先程の医師が肩越しに私の顔を見下ろしていた。立ち去ろうとしている医師の白衣の裾(すそ)を、私の右手がつかんでいたのだ。離そうと思っても手が動かない。何か言わなければ。妻と娘がどこにいるかだけでも聞きたい。口から意味をなさない音がこぼれた。

困った顔をした医師に優しく手を離される。それは意思の疎通(そつう)ができない相手をなだめるような、事を荒立てないための所作(しょさ)だった。他人にとって、今の私は意思表示のできない、何を考えているか、何をするかも全くわからない存在なのだ。

また一人になった。衣服が変わっていないことから、それ程時間が経っていないことはわかるが、なぜここには時計がないのだろうか。それともどこかに時計があるのに、私が認識できていないだけなのだろうか。

人の気配にふと足元を見やると、暗がりに人影が立っていてぎょっとした。よく見れば看護師だ。なぜ無言なのだろう。私が首を傾げると、看護師は尿瓶(しびん)を無言で指さした。私は無言でうなずく。

されるがままに排尿を試みるも、出ない。仰向けで排尿するには何かコツが必要なのか。次回までの課題にしよう。看護師たちに車椅子に移されてトイレまで連れて行かれる。

左腕には点滴がつながれ、右半身はどこか自分のものではないような感覚。なんとかトイレを済まし、ズボンを左手で上げたとき、後ろのポケットに何かが入っていることに気がついた。

ラテン語で書かれた一文

ベッドに寝かされ、再び一人になると、体勢を変えてポケットの中身を出した。いつも持ち歩いている文庫本だ。メモが書かれた紙切れがたくさん挟まった、何度も読んでいる本なのに、文章が頭に入ってこない、音読もできない。私はもう、二度とことばを話せないのだろうか。

私の娘はどの季節が好きなのだろう。そういう話をしたかった。たとえことばを交わせても、私達は真に理解し合うことなどできないだろう。それでも。

本の感想も、話したい。春の匂いについて、語り合いたかった。寝る前にはおやすみと言いたい。

病室で一人きりにされなくとも、今の私は一人なのだ。

私は頭を振って再びメモを読み上げようとした。時折(ときおり)口から転がり出る音が意味をなしていないのがなんとも不思議だ。口から出た音が耳を通して初めて、意味をなしていないことがわかるのだ。読み進めていくうちに、違和感があった。今、何か意味をもったことばが聞こえた気がする。

それはラテン語で書かれた一文だった。私はもう一度そのことばを口にした。読めた? いや確かに読めた。

なぜラテン語だけが話せるのだろう。私は今何者なのだろう。そして唐突な思いつきとともに、私は口を開いた。

「Tu was du willst, Do.. what you will.」

やはりそうだ。私が失ったのは、母語である日本語だけなのだ。-次回に続く-(言語研究者)

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