《続・平熱日記》21 そもそも風景画って? 発酵させて描く


【コラム・斉藤裕之】「今日はどこいく?」 休みの日は一通り家のことをやってから、かみさんとお出掛け。足利、栃木、佐原、銚子、鹿島、御前山、成田、笠間、行方、真壁、八郷。毎週のように、この夏、かみさんとよく出掛けました。

猛暑と言われる今年の夏でしたが、出掛けた先もとにかく暑かった。おかげで、ビーサンの鼻緒の跡が白くくっきりと足の甲に残っています。余談ですが、手ぶらで、Tシャツ、半ズボン、ビーサン姿は地元の人に見えるらしく、よく道を聞かれたりします。

茨城が魅力あるとかないとか、どうでもいいランク付けはさておき、初めて訪れた街はそれぞれに面白い。鹿島神宮に至っては、御手洗池にあるお店の梅のかき氷をかみさんが気に入ってしまい、通りすがりも含めて3度も赴きました。

今でも、青い夏の空や海、街並みや神社仏閣などの風景が頭の中によみがえりますが、その風景を絵にでもしてみたら、って自分に問い掛けることがあります。

例えば、人を描くのは面白い。知っている人を描くのはなお面白い。その人らしさとか、あるいは臭さみたいなもの。では風景はというと、あまりにも堂々としていて雄大で畏れ多いのかな。

セザンヌ、モネの絵

目の前の素晴らしい風景は描くものではなく、私は眺めることしかできません。セザンヌも、サント・ヴィクトワール山を風景としては描いていない気がします。かつて私もその山の麓に立ち、描こうとしてみましたが歯が立たなかったことは前にも書きましたね。

パリの風景なんて絵になるでしょう、なんてよく聞きますが、あれは風景画じゃなくて、どちらかというと建物画。建築物は意外に面倒くさい。お寺や神社もそうです。描くには覚悟が要ります。巨匠モネは風景を描いたのではなく、風景を借りた実験的表現をしていると思います。色彩に目が留まりがちですが、デッサン力は卓抜です。

それでも、夏空に利根川と橋、広大な田んぼの上を通る高速道路、平野に続く鉄塔など、心に残った風景はいくつかあります。ちょっと発酵させてから描くとしましょう。

それから、この辺りはどこに行ってもそば屋とウナギ屋がありますね。特に名物をいただこうとしたわけではありませんが、できればその土地のものを食べたい。そこで最近便利なのが、「道の駅」。どこも頑張っていてハズレナシ。新鮮な季節のもの。

さて、目ぼしいところは行ってしまった感が。「今日はどうする?」。有難いことに、日本には四季の恵みがあります。秋にはまた同じところを訪ねるとしましょう。違う味覚、風景にも出合えるはずです。(画家)