【コラム・浅井和幸】ひきこもりや障碍者、犯罪被害者などが、自分の体験を人に伝えることは、とても勇気がいることです。今の自分の苦しさを、多くの人に伝えることは、大きな苦しさを伴います。そこから立ち直って元気な状態になっても、苦しい時のことを思い出したくないので、過去のことだとしても他の人に話したくない人が多いものです。

ですが、それでも他の人のため、時には自分のためと、勇気をもって苦しい今の状況や気持ち、または、過去のそれらを多くの人に伝えることができる人がいます。心理学用語では、「モデリング」という言葉があり、それは他人の行動をまねることを指します。そうすることで、苦しみから抜け出しやすくなることもあるでしょう。

さらに、それが、自分と同じ境遇の人、同じ境遇だった人であれば、共感されやすく、まねやすいものです。もしかしたら自分にもできるかもしれないと、勇気を持ってもらえます。私は、いろいろな悩みを持つ方、持っていた方に協力を仰いで、できたら似たような方のために話をし、その人たちの希望の光になってほしいとお願いすることがあります。

その中で、少しずつでも、そのように自分の体験が話せる人が出てきていることが、とてもうれしいです。最近では、そのような事例集を作成したり、新聞や冊子を発行したり、マンガを描いたりという方も出てきました。とても良いことだと思います。

格好悪い自分を見せる

では、同じ経験をしていない人は、どの様なことができるのか。特に家族は、どのように接すればよいでしょうか。余裕がないときは、家族のアドバイスは届かないどころか、逆効果になることもしばしばです。どうしても、立派な親として、家族として接してしまうことが出てきてしまいますよね。

落ち着いて、共感的に、焦らずに、いつもニコニコして余裕をもって接し、両親がけんかをしているところなんかは決して見せない、理解のある親として接しようと努力するものです。親の威厳を保ちたい、なめられたくない、安心させたいなどという気持ちがあるかもしれません。

もちろん、それは大切なことですが、それでうまくいかないときは、少し格好悪い自分をむしろ見せてしまいましょう。愚痴を聞いてもらったり、ここ最近はひざや腰が痛いことを話したり、家事を手伝ってもらったりと、弱いところを見せるのです。気分を損ねてしまったら、謝ってもよいでしょう。

周りが立派だと、当事者はそれと比較して、さらに自分がダメな奴だと落ち込んだり、責めたりしやすくなります。それが、周りの人間も、つまらないミスをしたり、落ち込んだりすることを知ることで、むしろ楽になることもあります。

そうすることで、実は誰もがダメなところがある、同じ人間なんだという仲間意識がわき、そこからやっと、何をすればよいかというアドバイスが届く関係性になるのです。(精神保健福祉士)