【コラム・先﨑千尋】沖縄県の翁長雄志知事が膵癌(すいがん)で亡くなって1カ月経った。米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画に反対し、辺野古の埋め立て承認を県が撤回して工事を止め、秋の知事選で争点にし、国に対抗しようとしていた矢先の死だった。

翁長さんはもともと保守の人。自民党沖縄県連幹事長や那覇市長などを務め、沖縄保守政治家のエース的存在だった。それが保守、革新の枠を超えた「オール沖縄」に変わったのは日本政府への不信感からだった。4年前の知事選の時、「イデオロギーよりアイデンティティー(帰属意識)。誇りある豊かさを」と訴え、仲井真弘多氏を大差で下した。

安倍政権は「辺野古が唯一の、選択肢、解決策」と、頭ごなしに押し付ける強硬姿勢を取り続けている。対する翁長さんは「安倍総理は『日本を取り戻す』と言っているが、取り戻す日本の中に沖縄は入っているのか」と、文字通り自分の命を削りながら、沖縄の不条理を訴え続けてきた。

しかし、翁長さんが腹の底から絞り出した声は政府中枢に届かなかったようだ。安倍政権にとって沖縄は、東北諸県と同じく「まつろわぬ邦」。だからか、強引で無慈悲、冷笑と侮蔑の姿勢を取り続けてきたので、沖縄では「翁長知事は安倍政権に殺された」という声が上がっていると聞く。私もそう思う1人だ。

沖縄の自己決定権か 日本への迎合か

国土の0.4%の広さしかない沖縄県に、国内の米軍専用施設の70%が集中する。先の戦争では沖縄は「捨て石」にされた。にも関わらず、政府は米軍普天間飛行場の代替施設として辺野古に新基地を造ろうとしている。

日本国憲法の上に日米地位協定があり、県民の人権が軽視されてきた。普天間や嘉手納基地などは占領した米軍が作った施設だが、今計画されている辺野古は、この国の政府が作り、アメリカに提供するもので、両者は決定的に違う。沖縄のことは沖縄県民が決めるという自己決定権もない。

安倍政権がこのようなかたくなな姿勢を貫き通しているのは、安倍さんだけでなく、「本土」の人たちの多くが、翁長さんの主張(もっと言えば魂)や沖縄の歴史をまともに受け止め、考えてこなかったからだと思える。「日米同盟を維持するためには、沖縄に過重な負担を強いても構わない」と。

沖縄県は先月31日、翁長知事の遺志を受け継ぎ、辺野古沖の埋め立て承認を「計画地が軟弱地盤、サンゴ保全も不十分」などとして撤回し、国と県が全面対決する事態となった。国は今後、撤回の処分取り消しを求める行政訴訟などの法的措置を取るとしているので、裁判で争われることになるが、その前に今月30日に県知事選が行われる。

今度の知事選の争点は何か。翁長さんの弔い合戦という言葉もあるが、翁長さんが道筋を付けた沖縄の自己決定権を通すのか、それともヤマト(日本)への迎合を強めるのか、だ。思想家の内田樹さんは「真の保守は、自国の国土や国民を守ろうとするもの。しかし、現在の保守は、単なる対米追従にしか見えない」と語っている(東京新聞 8月10日)。(元瓜連町長)