【コラム・古家晴美】過去最強の台風が9月9日に関東地方を直撃し、その傷跡がまだ生々しい地域も多いようです。被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。

9月といえば、台風と共にお月見の季節ですね。今年の十五夜は、9月13日でした。霞ケ浦南岸の阿見町大室では、昭和30年代までは、十五夜にお月様のために供えものをしました。子どもたちが2メートルくらいの細い篠竹(しのだけ)の先をとがらせ、月見団子を突いて回る「団子突き」が行われていたのです。

縁側にテーブルを出し、お盆の上に餡(あん)で包んだ新粉団子を盛り、自宅で穫(と)れた早生(わせ)の柿や梨、また、早生の栗、ススキ・オミナエシ・ボンボチコ(ワレモコウ)などを採ってきて共に供えました。現在は香りを楽しむ粒あんが人気ですが、当時はお年寄りが朝から手間暇かけ拵(こしら)えたこしあんを使うことが多かったようです。

お月見のころに穫れる早生の柿は小ぶりで甘さが少なく、包丁で皮をむくと粉をふいて、梨のようにガリガリと音を立てて食べるような未熟なものでしたが、実りの秋を願う供えものとして貴重でした。

どこの家でも、3~4本の種類が異なる柿の木を庭に植えていたそうです。収穫時期が異なる品種を植えることにより、少しでも長い間、柿を楽しめるようにという暮らしの知恵だったのですね。また、早生の栗も小粒で、まだあまり美味しいものではなかったようですが添えられました。

お供えを盗りに来る子どもたち

供えものの団子を狙ってやってくるのが、近所の子どもたち(主に男の子)です。十五夜の晩になると、オコヤ(現在の集落センター)の庭に集まり、ガキ大将が3人くらいに班分けし、どの辺りを回るかを指示します。割り当てられた家の縁の下に潜り込み、蜘蛛(くも)の巣をかき分けながら、お供えものを篠竹に刺して頂戴してくる。

そして、それをオコヤに持ち帰り、みんなで食べたそうです。子どもの親たちも、また団子を突かれた家の人たちも、これらのことを特に咎(とが)め立てすることもなく、微笑ましく見守っていたとのこと。

現在は、エアコンが効いた家の中で、網戸とアルミサッシによって蚊や暑さから守られた快適な生活を享受していますが、それと引き換えに暮らしの中のささやかな楽しみと大らかさがひとつ忘れ去られてしまったのかもしれません。(筑波学院大学教授)

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