《邑から日本を見る》53 ひたちなか市に「ほしいも神社」

黄金色の鳥居のほしいも神社(ひたちなか市)

【コラム・先﨑千尋】茨城の名産品はいろいろあるが、県北地域では何といっても水戸納豆とひたちなか地域の干しいもだ。冬の北風を受け、うま味を出す干しいもの生産が今年も始まっている。それを待つかのように、先月23日、ひたちなか市阿字ケ浦の堀出神社敷地内に「ほしいも神社」が創建された。

干しいもは、江戸時代末期に静岡県御前崎地方でつくられ始め、その製法が明治の末に茨城の地に伝えられた。関係者と生産者の努力によって生産量は1955年に静岡を追い越し、現在ではひたちなか市、東海村、那珂市で全国の生産量の9割を占めている。

干しいもは、以前は乾燥芋(かんそいも)と言っていた。サツマイモを蒸すか煮るかして、皮をはいで細く切って干す。それだけだ。何も足さない。不細工、濁っている、シワだらけ、でこぼこ。それでいてうまい。

干しいもは、戦前は軍人の携行食であり、紡績女工、漁師たちに好まれた。貧しい人たちがつくり、貧しい人たちが食べた。しかし今では無添加の高級和菓子。1本をそのまま丸干しにしたものはなかなか手に入らない。

大子町には「こんにゃく神社」

その干しいもの生産に力を尽くした明治の先人たちを祀(まつ)り、干しいもをピーアールし、農業の振興につなげようと、堀出神社の宮本正詞(まさのり)宮司とひたちなか商工会議所、ほしいも協議会、常陸農協などの関係者が建設実行委員会を組織し、創建にこぎつけた。

神社はグラフィックデザイナーの佐藤卓さんがデザインした。佐藤さんは、10年ほど前に若手のほしいも関係者がつくった「ほしいも学校」のプロジェクトリーダー。「明治のおいしい牛乳」などのパッケージで知られている。参道に並ぶ26基の鳥居は、干しいもをイメージした黄金色。大鳥居の台座には干しいも型の石が据えられている。

同神社に祀られた先人は、宮崎利七、湯浅藤七、小池吉兵衛、大和田熊太郎、白土松吉の5人。それぞれ、明治から昭和にかけて生産を始めたり、普及に貢献したりした人たちだ。

本県には、江戸時代にこんにゃく芋を粉末にする製法を考案した中島藤右衛門を祀った「こんにゃく神社」が大子町にあり、農業に貢献した人を祀った神社としては、今回の「ほしいも神社」の創建はそれに次ぐ。干しいもの神様を祀るだけでなく、御利益は「干しいも」に掛けて「欲しいモノはすべて手に入る」と宮本宮司は話す。

次の夢は「ほしいも資料館」

私は、ほしいも学校プロジェクトの中で干しいもの歴史を担当し、『ほしいも百年百話』(茨城新聞社刊)を書いた。その時、「水を飲む人は井戸を掘った人のことを考えろという言葉があるが、干しいもで暮らしを立てている人は、その先駆者たちを顕彰したらどうか」と提案した。その夢がやっと実現したのだ。

次の夢、課題は干しいも資料館の建設だ。茨城での干しいも生産はたかだか100年の歴史だが、その資料はどんどん失せている。私がこれまでに集めた史資料は、東海村立図書館と那珂市立歴史民俗資料館に収めてある。しかし本家のひたちなか市に資料館を、というのが私の願いだ。(元瓜連町長)

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