【ノベル・伊東葎花】
みのりが、春のあぜ道を走っている。赤いカーデガンがかわいい。
畑仕事のおじいさんが、目を細めて話しかけた。
「みのりちゃん、どこに行の?」
「駅。ママを迎えに行くの」
みのりのママは都会の病院に入院していたが、今日退院して帰ってくる。
「そうか。ママが帰ってくるのか」
おじいさんは幼い背中を見送って、おばあさんに尋ねた。
「みのりちゃんは、いくつになったかな?」
「5歳ですよ」
「5歳か。かわいい盛りだ」
駅には、誰もいない。小さな無人駅だ。
ベンチに座ると、どこからか髪の長いおねえさんが来た。
「お嬢ちゃん、誰か待ってるの?」
「パパとママを待ってるの。入院したママが電車で帰ってくるから」
「そう」
「おねえさんは誰を待ってるの?」
「私は、時間が過ぎるのを待ってるの」
「ふうん。こんな暗い駅より、もっといいところで待てばいいのに」
「ここじゃなきゃだめなの」
「どうして?」
「だって、ここにいれば年をとらずに済むわ」
「えっ?」
「ここでの1時間は、外での1年。ほら、浦島太郎の竜宮城みたいにね」
竜宮城は知っているけど、みのりにはピンとこなかった。
「外に出てごらんなさい。ちょうど10分過ぎたわ」
みのりが外に出ると、蒸し暑かった。今にも雨が降りそうだ。紫陽花が咲いていた。
「ね、2カ月進んで、6月になっていたでしょう」
おねえさんは、何でもないような顔で言った。
「うそだよ。電車は? パパとママは?」
「春まで待てば電車が来るわ」
「そんなのうそだ」
みのりは、外に飛び出した。
セミが鳴いていた。太陽が容赦なく照りつけて、じりじりと肌を焼く。
8月だった。そして季節はすぐに秋に変わった。
みのりは怖くなった。おねえさんの言うことは、本当だ。
「いいじゃない。あなたにとっての1年なんて、大したことないわ」
「いやだ。電車いつ来るの? パパとママに会いたいよ」
泣き叫ぶみのりを横目に、おねえさんは時計を見た。ちょうど1時間が過ぎた。
「ああ、また春が来たわ。お嬢ちゃん、ありがとう。もういいわ」
「みのり、起きなさい」
みのりは、肩をゆすられて目を覚ました。目の前に、パパとママがいた。
「パパ、ママ」
「みのり、ひとりで迎えに来たんだね」
「待ちくたびれて眠っちゃったのね」
パパの大きな手が、みのりを抱き上げた。
「ただいま、みのり」とママが笑った。よかった。パパとママ、ちゃんと帰ってきた。
あれは怖い夢だった。おねえさんは、どこにもいない。
みのりは、パパとママと一緒に、あぜ道を歩いた。あれ?靴が少しきつい。
赤いカーデガンの袖も、短くなっている。
畑仕事のおじいさんが「退院おめでとう」と手を振った。
おじいさんは、幸せそうな親子を見送って、おばあさんに尋ねた。
「みのりちゃんは、いくつになったかな?」
「6歳ですよ。もうすぐ小学生です」
何も変わらないのに、春の駅で、みのりの1年だけが奪われた。
(作家)




































