水曜日, 10月 21, 2026
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サックス奏者らが開催 「土浦の音」を聞く体感イベント 23日 東光寺

市民がさまざまな音集める

土浦市民が製作した竹のランプを灯し、土浦産のそば殻などで染めたストールを装飾した東光寺(同市大手町)の本堂で、市民が集めた土浦のさまざまな音をスピーカーから聞く体験イベント「音と光の建築at東光寺」が23日夜、開催される。当日は住職の読経も加わり、本堂がライトアップされる。音、光、建物そのものが作品となり、全身で体感するアートイベントだ。

同市在住のサックス奏者、宇津木紘一さん(44)が代表を務める「つちうらサウンド・アーカイブ・プロジェクト実行委員会」が主催し、つくば市在住の染色家で「futashiba(フタシバ)248」を営む関将史さん(36)、裕子さん(36)夫妻、東光寺住職の松井泰信さん(44)らがゲストとして関わる。同市の土浦協働のまちづくりファンドの助成金を得て開催する。

土浦の魅力再発見を

イベントで流す音は、同プロジェクトが昨年10月に開催したワークショップ「土浦 サウンドピクニック」の参加者らが録音した。

宇津木さんは土浦で生まれ、土浦で育った音楽家。これまで、土浦全国花火競技大会に合わせて観光客を歓迎するウエルカムフェスティバルを開催するなど(24年10月29日付)、地元の魅力を発信する活動にも取り組んできた。

今回は、土浦の音を記録して、独自のアートを表現し体感してもらうことで「地元の魅力を再発見しよう」とプロジェクトを始めた。「土浦に住んでいても知らないことは意外とあると思うし、何気ない日常の音でも土浦にしかない音がある」と宇津木さんは語る。

関さん夫妻は、県内の農家から譲り受けた草木、規格外の農作物など本来は廃棄される素材から色を抽出して、染色作品を製作している。

今回のプロジェクトには、所属しているまちづくり団体「土浦界隈まちづくり研究会」(同市中央)の紹介で参加した。「土浦はかつて私たちが工房兼店舗を構えていた場所でもあり、現在も継続的に関わり続けている思い入れのある土地」だとし、「地元のものを生かし、新たな魅力の再発見につながる取り組みになるのであればと思い参加した」と話す。

スマートフォンを使って音を集める参加者=宇津木さん提供

湖岸を自転車で走り録音

音を集めるワークショップは昨年10月に開き、小学生親子10人が参加した。霞ケ浦湖岸を自転車で走り、自分たちの足音、湖の波音、葉のこすれ合う音、水車の音、野球を練習する音などを、数秒から数十秒、参加者がスマートフォンなどで録音した。さらに同日は、遊覧船にも乗船して霞ケ浦を航行する船の音なども録音した。何を何秒録音するかなどの指定せず、参加者に任せた。集まった音源は50本以上になり、宇津木さんが編集して1本に繋げた。

イベントでは、東光寺本堂にスピーカーを設置して流す。スピーカーは立体的に音が聞こえるよう左右に向かい合せて置く。宇津木さんは「本堂の場所によって音の聞こえ方が異なる。当日は、席を決めずいろいろな場所に自由に移動して土浦の音を楽しんでほしい」という。途中、松井住職の読経が加わる時間帯もあり「読経と合わせて土浦の音を聞くことも、新しい体験だ」と話す。

竹に穴を開ける参加者=宇津木さん提供

地元の材料で染めたい

会場に飾る竹のライトと染め物のストールは昨年12月開催したワークショップで、参加者約30人が作った。竹のライトは「にれ工房」(つくば市下平塚)の関係者が指導し、廃材となった竹を切ったりドリルなどで穴を開けて作った。中にLEDライトを入れることで穴から光がこぼれる仕組みだ。

ストールの染色は関さん夫妻が指導した。「地元土浦の材料を使って染めたい」と、小町の館(同市小野)が販売する常陸秋そばのそば殻を譲ってもらったという。さらに土浦地方卸市場(同市卸町)で出た廃棄物となるタマネギの皮も譲り受け、綿のストールを染色した。

関さん夫妻は「当日はワークショップの参加者にも来てもらう予定で、自分で染めたストールを持参してもらう。来ないとそれだけ装飾は寂しくなる。どれだけ参加者が一緒に盛り上げてくれるかという試みもユニーク」と話す。

小町の館のそば殻で染めたストール=宇津木さん提供

東光寺の本堂を会場に選んだのは「非日常を味わえるから」と宇津木さん。住職の松井さんと宇津木さんは中学の同級生で、野球部のピッチャーとキャッチャーだった。松井さんは「東光寺は市民に開かれたお寺として落語や演劇などにも使用してもらっているし、こういったイベントは大変うれしい」とし「この機会にお寺を身近に感じてもらえたら」と話す。「夜のイベントもライトアップも初めてなので、いつもと違う表情のお寺が見えるのではないかと思う」と語る。

観客が当事者に

宇津木さんは「コンサートや展示というと、通常多くは演者と観客が分かれている。しかし今回は観客がイベントの当事者になるというのがテーマ」とし「録音に参加した人は自分が録音した音かな?と聞き入る。録音してない人も、この水音は土浦のどこで録音した音だろう?と能動的に聞く。これらも体験のひとつだ」と話す。「今回のイベントが、積極的に物事にフォーカスを当てることにつながればいい。結果的に市民が自分から率先して動くことで土浦での文化活動が広がるのではないか、それが根付いていくきっかけになれば」と話す。(伊藤悦子)

◆「音と光の建築」は23日(月・祝)午後7時から7時30分まで、土浦市大手町3-14、東光寺で開催。参加費無料。定員50人程度。事前予約が必要。問い合わせ・予約はメール(contact@bbmusic.tokyo)で。詳しくはつちうらサウンド・アーカイブ・プロジェクトのウェブサイトへ。

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