【コラム・小泉裕司】神龍寺の秋元梅峯師(1882~1934)が組織した大日本仏教護国団の主催により始まった「全國煙火共進會」(現在の土浦全国花火競技大会)は、回を追うごとにその規模を拡大させていった。しかし、その華々しい盛況ぶりとは裏腹に、財政面では累積した借財が大きな負担となり、大会の継続そのものが危ぶまれる窮地に立たされる。この状況を救ったのが土浦町の人々であった。
「土浦煙火協会」を結成
1932年の第6回大会以降、土浦町の商工関係者らが「土浦煙火協会」を結成。名称も「全國煙火競技大会」へと改められ、町の振興を担う重要行事へと発展した。1941年に戦争で中止となるまでの15年間は、3回の中止を挟みながらも、大会の草創期といえる時代であった。
協会は、国務大臣も務めた原脩二郎氏(1871~1934)を名誉総裁、梅峯師を会長に据えて組織され、地区長や町会議員、1929年に創立された土浦商工会のメンバーも賛助員として加わり、まさに全町協力の下、第6回大会が開催された。
秋元梅峯師と豊島庄十郎氏
翌年、梅峯師が病により会長を辞任。実業家の豊島庄十郎氏(1874~1944)が後任に就き、第7回大会が開催された。なお、梅峯師は名誉会長へと退いた。 1934年3月に原脩二郎氏、同年7月に梅峯師が相次いで没したことから、同年の第8回大会初日の午後、競技に先立ち両氏の追悼法要が執り行われた。その折には、霞ケ浦海軍航空隊から3機の水上機が飛来し、空から哀悼の意を表したという。

豊島氏は中城町の豊島家に婿養子として入り、土浦繭糸(けんし)市場や百貨店の経営などを通じて一代で財を築いた、希代の事業家である。
町会議員に推挙されるほどの堅実な人間性と郷土愛を兼ね備え、文化的な都市計画にも建設的な知見を述べるなど、行政側からの信望も極めて厚かった。町当局の強力な支援を背景に、運営難に陥っていた収支は速やかに改善。1936年の第10回大会を空前の大成功へと導いた。
花火大会の経済波及効果は?
3年後の亀城会会報第18号には、当時の状況について次のような記述がある。「花火師の交通費や宿泊費、火薬代などに6千円を要するが、一方で町に約20万円が落ちると推定される花火大会は、土浦の福の神である。ぜひ定着させたい」。
これを「レファレンス協同データベース」の資料を参考に現代の貨幣価値に換算すると、支出は約1千万円、経済効果は約3億5千万円に相当すると考えられる。
経済効果の専門サイト「経済効果.NET」は、2023年11月4日に開催された第92回土浦全国花火競技大会の経済波及効果を算出している。 発表された総観客数は60万人。2023年茨城県観光客動態調査によると、1日当たりの入り込み客数は県内最大を記録している。
試算の結果、宿泊や飲食、土産物購入などの直接消費額は1日で51億2200万円にのぼり、新たに発生した2次・3次波及効果を含めた経済波及効果は全国で107億5100万円。うち茨城県内への波及効果は12億300万円、税収効果は5300万円に達し、地域経済の活性化に大きく貢献した。
イオン土浦も大会運営に協力
一方、大型商業施設「イオンモール土浦」が大会運営に協力して当日営業を休止するなど、開催に伴い通常の経済活動が一時的に停止する側面があることも併記しておきたい。本日はこれにて、打ち留めー。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)
<参考文献>
「亀城会会報第18号」(亀城会事務局、1939年刊)
「茶の間の土浦五十年史」(市村荘雄一著、いはらき新聞社、1965年刊)
「土浦町内ものがたり」(本堂清著、常陽新聞社、1989年刊)
「花火と土浦」(土浦市、2018年刊)






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