月曜日, 10月 12, 2026
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パブコメを「儀式」にしないために《水戸っぽの眼》10

【コラム・沼田誠】国において、SNSでパブリックコメント(意見公募)実施を告知している案件は全体の5%未満に過ぎないー。産経新聞に掲載された山田太郎元デジタル政務官の調査記事を読み、つくば市と水戸市のパブコメはどうなっているか気になりました。そこで今回は、両市の2024(令和6)年度実績を比較したいと思います。

つくばと水戸を比べると…

市民への「見せ方」には明確な差がありました。つくば市は15案件を実施し、延べ107人から439件の意見を得ています。「生物多様性つくば戦略(案)」には81件(13人)の意見が寄せられています。専門知識を持つ市民が多い土地柄もあり、行政案に対して科学的な裏付けを求める市民が多いことがうかがえます。

また、パブコメ一覧ページは、各案件の概要から「結果」までが簡単にたどれるよう整理されています。

これに対し、水戸市の募集数は33案件に上ります。しかし、一覧表を開くと、「結果の詳細については担当課へ問い合せください」という記載が目立ち、意見提出0件も散見されます。情報が見つからない、あるいは担当課に問い合わせる必要がある、という時点で、市民による意見表明の機会が「参加コストの高い閉ざされた手続き」に映ってしまいます。

SNSを活用する周知方法

SNSを活用した周知についても、両者に差が見られました。公式Xで“意見募集/意見公募”などで検索した範囲では、つくば市の公式アカウントでは「つくば市下水道事業経営戦略(案)」を除く全ての案件の告知が見つけられました。

一方、水戸市の公式アカウントでは、同条件では昨年度分のパブコメ告知を見つけられませんでした。ただ、検索仕様上の見落としや、投稿が削除された可能性はあります。これが事実であれば、かつて水戸市の広報を担当していた立場として、パブコメをSNSで必ず告知する手順を整備すべきだったと、反省せずにはいられません。

ただ改善の芽もあります。例えば「水戸市こども計画(案)」のパブコメでは、「さまざまな子育て支援制度などがあるが、ネットで探すのは困難である。水戸市のHPでは情報や答えを見つけることができない」との住民からの指摘に対して、市側が「子育てに関する情報につきましては(中略)SNSや子育て支援アプリ『みとっこ子育て応援アプリ』など、各種媒体を活用し、…広く発信してまいります」と回答しています。

このように、情報発信に課題意識を持つ部署や職員が増えていけば、パブコメ告知についても、自ずと改善が進むと思います。

行政が見落とした視点を掘り起こす

重要な施策において、行政はパブコメに先立ち、有識者らを集めた審議会を開くことが通例です。委員の選び方や、議論の実質などはさておき、審議会も経てやっとまとめられた案に、一般市民の意見で修正を加えるのは、実務者にとって心理的・手続き的なハードルが高い面もあるでしょう。

ともあれ、パブコメ(審議会も)が「行政案の追認」という、アリバイづくりに陥るリスクは常にあると言わざるをえません。しかし、パブコメは本来、形式的な手続きではありません。行政が見落としていた視点を掘り起こし、議会に対してより質の高い、吟味された議論の素材を提供するプロセスです。

パブコメを単なる「儀式」にしないため、行政機関はその実施を積極的に公開し、それに対して住民の側は意見を出し続ける―そうした地道な積み重ねこそが、地域をよりよくする土台となるのではないかと思います。(元水戸市みとの魅力発信課長)

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