月曜日, 10月 12, 2026
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堀越麻紀氏 最後の訴え 全文文字起こし 茨城6区 衆院選’26

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こんばんは。寒い中お集まりをいただきましてありがとうございます。茨城6区、衆議院選挙に立候補しました堀越麻紀と申します。よろしくお願い致します。私は、政治の道に進むなどとは、1ミリたりとも思っていませんでしたが、この日本の姿を前にして、どうにかしなければ、どんどんどんどん日本が壊れていってしまうと思いこの場に立っています。そしてこの選挙が始まるときにですね、選挙カー、選挙カーは借りられなかったんですよ。選挙カーを借りられなかったから、小さい車で闘っています。そして、Xのアカウントまで一時は凍結されました。この時に本当に大きな勢力と戦っているんだなと思いました。

失われた日本経済、30年と言いますが、もうすぐ35年経とうとしています。私は生まれも育ちも、つくばみらい市です。つくばみらい市は、かつては、5月になると田植えが始まって、カエルの鳴き声が聞こえる町でした。そして夏になれば青い空に白い雲、そして、緑の絨毯のような稲が風になびく美しい田園風景の景色だったんです。そんな町でした。ですが今は、減反、減反と言われ、荒野が広がりつつあります。そして、いつの間にかメガソーラーが広がってきています。失われた日本経済30年と言われますが、こうした美しい日本の景色までも壊れてきてしまったんです。私はこの美しい日本をどうしても今の子どもたち、守ってきたい、子どもたちに残したいと思い、参政党に入ってこの選挙を闘っています。

そして皆さん覚えていますか。日本は戦争に敗れましたが、たった20年、たった20年で日本経済はアジアでトップ、世界でトップクラスの日本になれたのに、35年間も、35年間もですよ、日本経済が停滞して、35年間も給料が上がっていないって、明らかに間違った政治が行われてきた結果なんです。日本人は真面目で辛抱強いですよね。いつか良くなる、いつか良くなると、毎日コツコツコツコツ働いて待ってたと思うんです。

私はこの選挙活動をして、農家のおじいさんにも会いました。息子に農業を継がせたが、本当に悪いことをしてしまったと。政府は減反、減反政策をしたから収入が減ってしまったと。息子に農家を継がせなければよかったと、本当につらそうな、悲しそうな顔をしていたおじいさんでした。そしてまた88歳のおばあさんも、いつかよくなるとずっと待ってたらしいです。選挙にも投票してたらしいですよ。ですが、全く良くなってない。もう88歳になってしまった。今回の選挙にはもう行かないよ、もう良くならないからと私に訴えてきたんですよ。でも私はもう、今回の選挙で必ず政治を、日本人を大切にする、日本を大切にする政治を取り戻し、いい日本を築いていくから、もうちょっと、お母さん、頑張って楽しい暮らしをしていきましょうよって言ったんです。希望ある日本を必ず築いていくからと、頑張って一緒に生きていこうよと言いました。なので、私はこの選挙、全身全霊で闘って参りました。必ずいい日本をつくっていきたいからです。

我々参政党には宗教団体からの献金、宗教団体からお金や企業からのお金、一切いただいておりません。いただいてないから組織票や団体票などないんです。国民一人一人の一票が大事な一票となります。そしてその一票が、政治を変える一票となるんです。どうか我々参政党とともに声を上げ、この政治を変えていってください。この選挙が日本の政治を変えるターニングポイントとなっているんです。我々参政党の代表もこの選挙がターニングポイントといって、190人、190人の候補者を挙げてこの選挙を闘っているんですよ。失われた日本経済30年が40年になって、増税増税増税ばかりになり、増税大国となって、働いても働いても報われない社会にしたくないから。そして、移民大国にしたくないから闘ってます。私は、今の子どもたち、孫たち、未来の子どもたちのために、この日本をどうしても命をかけて守っていきたいんです。80年前、命をかけてこの日本を守ってきた英霊たちがいるからです。次は私たち大人がこの日本を守るべきではないでしょうか。

そしてこの茨城県にはですね、不法労働の外国人の労働者がたくさんいるんですよ。数を優先して、経団連の言いなりになって、安い賃金の外国人の労働者をこのままどんどんどんどん入れ始めると、茨城県の不法労働の数がどんどんどんどん増すだけではなく、日本人の賃金が上がっていきません。そして今のヨーロッパ見てください。移民が10%を超えた国は明らかに治安が悪くなっているんです。先ほど池田(悠紀)議員がお伝えした通り、レイプの件数が恐ろしく多いんですよ。日本の外国人の犯罪件数も毎年毎年上がってきてますよね。それはなぜか、東南アジアにある国には犯罪歴抹消法というのがあります。犯罪を犯しても1年後、3年後、5年後には犯罪歴が消えてしまうんです。そういった人たちが日本に普通に労働者として入ってこれてしまっているのが今の制度なんです。我々参政党は外国人を差別しているわけではありません。日本が大好きで、日本の文化や伝統、ルールをきっちり守ってくれる外国人なら歓迎すべきでしょう。ですが、数を優先してこのまま外国人を受け入れ続けると、日本の治安が明らかに悪くなってしまうんですよ。そして、35年間、日本経済が停滞したことによって、ここ日本には180万人の失業者がいるんです。去年1年間だけでも7万人増えました。去年1年間だけでも倒産件数が1万件増えたんですよ。我々参政党はまずここにいる日本人の雇用支援をすべきだろうと言っているんです。本来政治とは国益を守り、誰もが豊かに過ごせる国をつくるものではないでしょうか。

財源がない財源がないと国は言ってますが、5年連続国の税収は最高値を達してます。毎年毎年最高なんですよ。ですが国民一人一人の暮らしは良くなりましたか。良くなってませんよね。ですが今の政権与党は、外国人を雇うと企業に最高72万円の助成金を渡してるんです。そして年金もですよ。日本人の年金は10年間払わないと65歳から受け取りができませんよね。ですが外国人は5年間年金を払った分、100%近い返金がされるんです。一時帰国をすると100%近い年金5年分払った年金が返金できるんですよ。そしてまた1、2カ月したら日本に入国して新しい年金番号をもらって、また年金に加入します。また5年間払ったら帰国をして5年分の年金をもらっているんです。だだ漏れじゃないですか。なぜ日本人、それって日本人の税金ですよね。そして年金制度とは付加制度なんです。今の高齢者を支えるために我々日本人が払ってるんじゃないでしょうか。私はこういった外国人に優遇されている制度を直したいと思っています。日本の子どもたちのためにも、孫たちのためにも、未来ある、未来の子どもたちにも、どうか今の日本の社会、そしてこの外国人の受け入れ制度を、我々参政党と一緒に、堀越麻紀と一緒に見直しをお願い致します。

そして我々参政党には企業からの献金、宗教団体からの献金、一切ございません。なので、組織票はないです。団体票がないです。一人一人の票が大事な一票となります。どうか参政党と一緒に未来ある国づくり、希望ある国づくり、働いたら報われる社会を作っていきましょう。今回の選挙が最後のチャンスなんです。失われた30年を40年にしたくないんですよ。働いたら報われる社会をどうしても作っていきたい。今の子どもたちのために安心安全な社会、安心安全な国、希望が溢れる日本を作っていきたいです。どうか思い出してください。初めて抱いた、子どもを抱いた瞬間を、そして守りたいと思った気持ちを。お願いです。日本を守っていきましょうよ。今回の選挙がラストチャンスなんです。日本が変われるかどうかの選挙です。一人一人の一票が日本の未来となります。どうか力をお貸しください。参政党、堀越麻紀に力を貸してください。未来あふれる日本をつくって参ります。ご清聴ありがとうございました。

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