【コラム・三橋俊雄】昨年の春のことです。UR住宅で一人暮らしをされている97歳のMさんが、ビルの出入口前にある2段の階段でつまずき、仰向けに倒れて頭を少し打ってしまいました。ちょうど近くの遊び場にいた女の子たちがその様子に気づき、そのうちの1人がスマートフォンで救急車を呼んでくれたそうです。ところが、Mさんが「救急車を呼んじゃったの!」と言ったためか、その子は姿を消してしまったとのことでした。幸い、Mさんは病院で手当てを受け、その日のうちに無事に帰宅することができました。
翌日、この話をMさんから伺った私は、救急車を呼んでくれた子どもたちの気持ちがどうだったのか、心にひっかかりました。善意から行動してくれた子どもたちが、Mさんの一言によって「迷惑だったのかもしれない」と感じ取ってしまったのではないかと思うと、そのときの出来事が子どもたちの心に残ってしまいそうで気がかりだったのです。
そこで私はMさんと相談し、「救急車を呼んでくれてありがとう。私が階段で倒れていたところを、みなさんが心配して救急車を呼んでくれました。おかげさまで、病院で頭の傷の手当てを受け、その日のうちに退院できました。みなさんのおかげです。ありがとう! 97歳のおばあちゃんより」と書いた手紙を作り、遊び場にある滑り台の脇に貼りました。
次の朝に見に行くと、その手紙の下に「無事退院できてよかったです。お体に気をつけてください! by 中1の7人より」という小さな書き込みが添えられていました(上の写真)。それを目にしたとき、私は、子どもたちの善意とMさんの気持ちが、ようやくひとつにつながったように感じました。それは、小さな「思いやり」が確かに行き交った瞬間でした。
「お礼」でなく「手立て」
この出来事を振り返ると、親切心から行動した子どもたちでしたが、Mさんの一言によって、かえって不安を抱くことになったと感じたとき、私たちはどうしたらよいのか。ここでは、こどもたちが誰なのかも分からない状況のなかで、子どもたちとMさんの気持ちがもう一度寄り添えるようにと、手紙というかたちで「ありがとう」を伝えることにしたのです。
子どもたちへの手紙は単なる「お礼」ではなく、状況をより良い方向へ導くための小さな「手立て」だったと思います。途切れかけた人と人との関係を、もう一度そっとつなぎ合わせるための「きっかけ」でありました。
こうした行動こそ、小さな問題に気づき、状況を読み取り、より良い関係へとつなぎ直していく、そして素敵なコミュニティにしていくための「思いやりのデザイン」だったと感じています。(ソーシャルデザイナー)






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