火曜日, 10月 13, 2026
ホーム土浦事業協力者に戸田建設など 桜土浦IC周辺に産業用地開発へ

事業協力者に戸田建設など 桜土浦IC周辺に産業用地開発へ

常磐道桜土浦インターチェンジ(IC)周辺で土浦市が検討を進めてきた新たな産業用地の創出について、事業計画策定や造成工事、企業誘致などを一括して担う事業協力者が準大手ゼネコンの戸田建設(東京都中央区)など3社でつくる共同事業体(JV)に決まり、25日、土浦市役所で、地権者団体と戸田建設などが基本協定を締結した。安藤真理子市長らが立ち会った。

同ICと国道6号バイパス建設予定地に近接する同市中村西根の約33ヘクタールに物流倉庫や工場などを誘致する。着工は早くて2028年ごろ。同市で工業団地が新たに造成されるのは1996年以来。

桜土浦IC周辺地区 土地区画整理事業の土地利用構想図(紫色の部分に物流倉庫や工場などを誘致する)=土浦市提供

開発事業は、地権者らが今後、土地区画整理組合を設立して実施する。具体的な計画策定、測量、設計、造成工事、企業誘致などは戸田建設など3社でつくるJVが担当する。地権者は84人で、現在97%が農地や山林などの民有地となっている。昨年1月時点で地権者の90.1%の仮同意を得ている。

総事業費は約50億円。ほかに市が道路や公園、水路など公共施設の整備費用として8億円を負担する。事業費に充てるため地権者は自分の土地を平均73%提供する(平均減歩率)。造成後は、33ヘクタールのうち15.5ヘクタール(保留地)を売却して事業費をねん出する。

予定地の一部

事業協力者は戸田建設のほか、物流・商業施設の開発などを手掛けるデベロッパーの日鉄興和不動産(東京都港区)、不動産事業や解体事業などを手掛ける大洋(東京都中央区)の3社。地権者団体の桜土浦IC周辺地区土地区画整理組合設立準備委員会(中村雄一会長)が今年1月、事業協力者を公募し、応募があった2JVの中から選定した。中村会長は、戸田建設が圏央道常総IC周辺の「アグリサイエンスバレー常総」の開発に関わった実績から選んだと説明し「道の駅常総やトマト、イチゴ農園などを視察した。経験ある戸田建設に安心してお任せしたい」と述べる。戸田建設は事業全般、日鉄は企業誘致、大洋は地権者の合意形成などを担当するという。

事業提案で戸田建設らは①広域交通ネットワークを生かした新たな産業拠点の創出②豊かな自然環境との調和を目指す環境共生サステナブル産業都市を掲げた。「環境共生型に特化したまちづくりを行い、地域ブランドとして、他地区と差別化できるまちづくりをしたい」とする。昨今の建築資材や人件費の高騰に対しては「リスクを加味した事業計画をつくりたい」としている。

あいさつする準備委員会の中村会長(左から3人目)

一方、地権者の平均減歩率が73%になることについて準備委員会の中村会長は「70%を超える減歩率は他地区でもなかなかないと思っている。地区は畑が半分ぐらい、山林が半分ぐらいで、畑はほとんど作っていない状態、管理するのに耕して草が生えないようにしている。山林は奥の方に入るとごみの山。山林の中に昔は農道があったが、今は農道なのか分からない状態。そういう状態をこれから先、次の世代まで続けて、残していくかを考えた時に、こういう機会しか、地域をもっときれいにする機会がないのではないか。地域の皆さんに、皆の大切な財産をもっときれいに、有効に使っていきましょうと話している。そういうことだったらと、90%を超える賛同をいただいている」と語った。

同市は、2019年に県が新たな産業用地の開発を推進する「未来産業基盤強化プロジェクト」を発表したのを受けて、20年から検討を開始した。21年にはゼネコン、デベロッパーなど民間事業者を対象にヒヤリングを実施、高い評価が得られたため、桜土浦IC周辺を候補地とし、22年から地元説明会、23年には地権者意向調査を実施してきた。昨年6月には同地区の地権者団体である準備委員会が設立された。(鈴木宏子)

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