日曜日, 5月 5, 2024
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名前を考える 《続・平熱日記》86

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【コラム・斉藤裕之】いよいよ出産を控えた長女が戻ってきた。「ところで名前は決まったの?」。長く学校に携わっているので、子供の名前の流行や変遷はリアルタイムで実感してきた。あまりハイカラなのはどうかと思っていたところ、どうやら割と古風な名前が旦那の好みらしい。

孫の名前は?

しかし、日本ほど多種多様な名前をつける、つけられる国も珍しい。西洋をはじめ多くの国では聖人などの先例から選ぶほかないようだし、ある国ではカレンダーに聖人の名前が書いてあって、生まれた日の名前をそのまま命名するなんて聞いたこともある。

そこへいくと、漢字、カタカナ、ひらがな…と、好き放題に、無限に考えられる日本の名前。名前は時代を反映しているというが、音のイメージに当て字というのが今風。でも親が一所懸命考えて付けてくれた名前も、大人になるにつれてあまり呼ばれなくなるのは少し残念。

愛犬の名前は?

さて白い犬が来て3か月が経った。名前は「千と千尋の神隠し」に出てくる「ハク」に似ているという次女の案が採用された。私としては「もののけ姫」の「サン」の方がぴったりだと思ったのだが…。ちなみにもらわれてくる前は、里親の方が8番目に預かった犬ということで、「やえこ」と呼んでいた。これはこれでいい名前だと思った。

このハクだが、水戸あたりでノラをやっているところを保護されたという経験からか、非常に憶病で人見知りが激しい。私とカミさんにはなんとか馴れてきたが、全面的にウェルカムな犬特有の表情は見せない。

呼んでも全く反応がなく、なしのつぶてなので「ツブテ」という名前はどうかとか、散歩のときだけは楽しさ全開なのだが、帰ってくるといつもの階段下の壁際にのノ字に丸まって寝てしまって、うんともすんとも言わないので「ルンバ」というのもいいとか。

極めつけは、雨の日の散歩。マンホールのふたにたまった雨水をなぜか好んで飲むという奇妙な習性を発見。次から次とペロペロする姿がはしご酒をしているようなので、「ハシゴ」というのもありだな。つまり、そう慌てずとも、生まれた後で顔やなりを見てから名前を考えるという手もある。ちなみに、昨年飼われたペットの名前1位は犬猫ともに「ムギ」だそうだ。

私はどう呼ばれる?

長女がやって来てから、しばらくソーシャルいやパーソナルディスタンスを取っていたハク。だがその距離も少しずつ縮まり、この前はやっといっしょに散歩に出かけることができた。ハクは多分、おなかの中のもう1人のこともちゃんとわかっているのだろう。ハクと生まれてくる子の対面も楽しみだ。ハクの正式名は「ニギハヤミコハクヌシ」なんだと。

それはそうと、私自身は「おじいちゃん」と呼ばれるのだろうか。今こそ名前でと思ったが、あちらのお父さんと名前が似ている。なにかよい呼び名を考えよう。(画家)

5年で9割超の大幅減 殺処分 最新集計を検証する㊤

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保護され茨城県動物指導センターに収容されている犬たち=笠間市

【コラム《晴狗雨dogせいこううどく》特別編・鶴田真子美】2016年から20年まで、過去5年にわたる茨城県動物指導センター(笠間市)の犬猫収容数及び殺処分数に関する最新の集計が出てまいりましたので、読者の皆さまとこの数字を検証したいと思います。

今は希望殺到し予約待ち

県動物指導センターの犬の殺処分は、20年までの5年間で612匹から94%減の35匹に激減したことがわかります。

かつて、茨城県は犬の殺処分が8年連続で全国最多でした。2016年には子犬、人慣れした家庭犬さえ505匹が殺処分されました。子犬はきょうだいのうちいちばん可愛い1匹を除いて、残りは殺処分とされたのです。つい5年前のこと、そうした時代が最近までありました。

センターの子犬用モデル犬舎やふれあい犬舎の房数を見ますと、モデル犬舎は5匹分、ふれあい犬舎は8匹分の部屋しか用意されていません。数千匹という収容がある中で、ごくわずかな数しか生かされなかったのです。譲渡に選ばれなかった残りの犬は、収容中の犬猫の情報を公表する公示期限が過ぎたらガス室入りとなりました。

2021年の今は、小型犬や子犬には常に希望が殺到し、予約待ちとなっています。それほどに子犬の収容数が減ったことはほんとうに喜ばしいことです。

茨城県動物指導センター

個体識別され犬違いほぼなくなる

収容数が減れば、犬の過密収容もなくなります。1匹ごとの個体識別が可能になります。以前はセンターに犬を引き取りに行くと、犬違いが頻繁にありました。引き取り予定の犬はセンターが間違えて前日に殺処分しており、命に間に合わなかったことがあります。また、殺処分される前に保護団体が引き受ける「引き出し」申請をした犬とは別の犬が渡されたこともあります。

大部屋にいるたくさんの犬たちを前に、見分けがつかずに難儀することがありました。犬ごとの管理カードがあって犬がいない、探したら別の房の中に移されていたこともあります。あるいは管理カードがないのに犬が多くいる、という事態もありました。犬は一匹ごとに扱われることはなく、個体識別も重要視されていなかったのだと思います。どうせ3日後にはガス室に入るのだし誰も迎えに来ないのだから、と。

大部屋に収容された犬たち=茨城県動物指導センター

これは、センターだけに責任があるのではありません。迷子になった犬を探してセンターに足を運ばなかった飼い主たちの責任でもあります。また、飼い主不明の迷子犬が集められてセンターで殺されるのを知りながら、センターから譲渡を受けずにペットショップに走った消費者である県民の責任でもあります。

しかし現在は、犬違いはほぼなくなり、2020年4月を最後に、成犬の殺処分は1年間は行われていません。

成猫は引き取り拒否に

猫の殺処分数も5年間で1679匹から337匹へと、約5分の1に減りました。

2019年にプレハブ猫舎2棟が建てられる以前は、猫は即日処分でした。今の雑居房2頭房がかつての猫の殺処分部屋でした。市町村や警察から集められた子猫成猫たちは、里親譲渡もされず、存在することさえ内密にされて、収容当日に殺処分されていました。

なぜなら、猫には狂犬病予防法に基づく公示の義務がないからです。飼い主を探すための2日の公示期間は、都道府県により延長され、1週間、1年と、センターや保健所により異なりますが、迷子の犬はまず飼い主探しが義務付けられています。

が、猫の収容と殺処分は法的根拠を欠いています。集めては密室で殺処分。これが繰り返されてきました。しかし、地域猫の取り組みが浸透するにつれ、また外飼いの猫の所有権侵害の問題から、成猫はセンターに持ち込んでも、引き取りは拒否されるように変わりました。

2014年くらいからでしょうか、茨城県は成猫の引き取り拒否に関して、ありがたいことに対応は早かったのです。成猫はだれかが地域で面倒をみている地域猫だったり、出入り自由の飼い猫の可能性があるから、勝手につかまえてセンターに持ち込んでも引き受けないのです。

避妊去勢手術のためパルTNR動物福祉病院に連れてこられた野良猫=土浦市内

茨城県は全国に比べて収容過多

県動物指導センターの収容数は5年間で、犬が1628匹から1063匹に減少しました。約3割減です。猫は2272匹から1401匹へ、約4割減です。もっと減ってもよい、茨城県は全国に比べて、これでも収容過多です。(犬猫保護活動団体CAPIN代表)

 

最も有効な避難計画は再稼働させないこと 《邑から日本を見る》88

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那珂市議会で講演する桜井勝延南相馬前市長(中央奥)

【コラム・先﨑千尋】「避難計画は実際には機能しない。絵にかいた餅でしかない。最も有効な避難計画は再稼働させないことだ」。東海第2原発に隣接する那珂市議会の勉強会で、桜井勝延前福島県南相馬市長はこう強調した。

同市議会は常設の原子力安全対策委員会を持ち、これまでに原発関係の有識者を呼び、勉強会を開いてきた。また昨年11月には、東海第2原発の再稼働に関して市民の声を聴こうと、「市民の皆さまの声を聴く会」を開くなどしてきた。今回の勉強会は、議員全員が東京電力福島第1原発に隣接する自治体の首長の体験談を聴こうと開いたもので、16人の議員のほか、一般市民にも公開した。

桜井氏はまず、10年前の事故当時を振り返り、体験した者でないと分からないことがいっぱいあると話し、「大津波で多くの犠牲者が出、救助のさなかに福島第1原発の爆発が起きた。国や県からは何の情報も届かず、テレビの画面で避難指示が出たことを知った。市民は自分の命を守ることが最優先で、行政の指示通りには動かない。それぞれが行きたいところに行く。病院の患者や要介護者の避難が大変だった。東電の作業員は真っ先に遠いところに逃げた。住民のために活動すべき議員も半数以上が逃げ出した。議長は事故の4日後に北海道の千歳空港にいた。新潟県の泉田知事から避難者を受け入れるという電話をもらい、助かった」と、情報が入らなかったこと、バリケードを張られ生活物資までもが入らなくなったこと、避難指示などが困難を極めたこと―などを細かく報告した。

南相馬市の居住人口は震災9年後の時点で約1万7000人減少し、独居や高齢者世帯が増え、若い働き手や子育て世帯が減っている。父親が帰還し就労しても、避難先で生活を続ける母親と子どもが多く、パート、アルバイトが不足しているという。

「まだ以前の生活を取り戻せない」

桜井氏はさらに、「市民の多くはまだ以前の生活を取り戻せないでいる。復興というと響きはいいが、復興とはなんぞやと思っている。復興五輪と言っているが、誰のために開くのか。東電は私たち市民に約束したことを守らない。信用に値しない。東電からの賠償金は原発からの距離で差別される。除染でがんばり、避難区域から解除されると賠償金が減らされる。住民に差別を持ち込むと地域が分断されてしまう。被災地の首長は市民からボコボコにされながらがんばってきた」と、自治体とトップの苦悩を語ってくれた。

講演後の質疑では、「情報はどのようにして入手したのか」、「全市民の避難にかかった時間は」、「情報が伝わっていれば、避難の対応は違っていたのか」などの質問が出された。櫻井氏は、水戸地裁が今年3月に、避難計画の不備などを理由に原電に東海第2原発の運転差し止めを命じた判決にも触れ、「判決で明らかになったように、避難計画は実際には機能しない」と話し、「最も重要なことは、市民の命を守ること」と強調した。

桜井氏は現在、「脱原発をめざす首長会議」の世話人として、村上達也前東海村長らと活動を続けている。(元瓜連町長)

宇宙の最前線に迷い込むハチ 《食う寝る宇宙》86

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【コラム・玉置晋】5月の暑い日、僕が常駐するオフィスの窓からハチ君(恐らくアシナガバチ)が迷い込んできて、直上の蛍光灯に止まりました。どうしたものかと、10分ほど様子をみたのですが、動く様子がありません。仕方がないので、部屋のみんなに「電気消すよ~」と宣言しました。部屋を暗くして、ハチを明るい窓際に誘導しようとする試みです。夜、虫たちが電灯に集まるじゃないですか。あれと同じです。

この試みは見事に成功。でも、窓際であと一歩のところで出ていかない。とっさに、脇にあった30センチ×30センチほどの発泡スチロール板であおいだら、板が「ベキ!」と折れて、まるでドリフのコントのよう。新人の方に、「最近で一番大笑いしました」と言われる始末。先輩の面目丸つぶれです。

ちょうどこの日は誕生日だったのにツイてない。でも、ハチ君はびっくりして窓から出ていきました。ちなみに、ここは日本の宇宙開発の最前線の施設。こんな、ほのぼのした日がこれからも続いて欲しいものです。

軽くて丈夫なハニカム構造

さてこのハチ君、宇宙分野でも大いに役に立っているのです。

ハニカム構造とは、ハチの巣(英語でハニカム)のように、正6角形や正6角柱を隙間なく並べた構造です。ハチ君たちはハチミツを効率的に貯蔵する必要があります。どんな形状だと最も効率的か考えてみましょう。すべて同じ形状の組み合わせで面を敷き詰めることができるのは、3角形と4角形と6角形しかありません。それらの外周の長さが等しい場合、最も面積が大きくなるのは正6角形です。

全体の強度の面でみると3角形が最も優れていますが、一方向から力を受ける場合の力の分散からみると、正6角形の衝撃吸収性が最も高くなります。宇宙用の構造物は軽くて丈夫なものが有利です。例えば、ロケットのフェアリング(人工衛星を覆っているカバー)や人工衛星の構体、アンテナにハニカム構造が適用されています。

火星ハチ「Mars Bee

人類が火星で生活するためには、現地で食料となる植物を育てないといけません。植物が実をつけるためには受粉が必要となります。ここで活躍するのがハチ君です。

NASA(米航空宇宙局)が行った実験では、無重力環境でハチ君は上手に飛ぶことができなかったそうです。日本のJAXA(宇宙航空研究開発機構)と玉川大学の先生の航空機を使った実験によると、地球の1/3の重力の火星では、ハチ君たちは飛べる可能性がありそうだということがわかっています。

先日、NASAが火星でドローンを飛ばしたというニュースがありました。2018年にNASAは、「Mars Bee」と呼ばれるハチ型ロボットを飛ばす構想を発表しました。ハチの体にセミぐらいの羽根がついたもので、なんとも不思議な形です。火星にハチ君が飛ぶ日はそう遠くはないと思います。(宇宙天気防災研究者)

にぎやかな谷津田 《宍塚の里山》77

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上段左からコオニタビラコ、オオジシバリ、カラスノエンドウ、中段左からスカシタゴボウ、ツボスミレ、トキワハゼ、下段左からノミノフスマ、レンゲソウ、ケキツネノボタン

【コラム・及川ひろみ】カエルがにぎやかな里山の谷津田(台地の浅い浸食で開かれた田んぼ、両側には雑木林)の畔(あぜ)植物を見て回りました。まさに百花繚乱(りょうらん)。宍塚の田んぼには今もレンゲ草が見られます。田んぼ一面に覆うほどではありませんが、遠目にもピンクが広がっています。そして畔には、足を踏み入れるのもはばかられるほど、草花の絨毯(じゅうたん)が広がっていました。

風にそよぐ黄色の花はオオジシバリ。カスミソウのような白い花を一面に咲かせているのはノミノフスマ。ハコベの仲間です。ムラサキサギゴケは名前のように紫の花がコケのように地面に這って広がっています。どれもよく見ると色も形も全く異なる造形の美。こんな世界が広がっていることに驚かされます。

かつて各地の水田や水路に生息していたドジョウやカエル、アメンボなどの生き物にも出会えます。日本の原風景の一部でもあったこの生物たちは、自然と共生した伝統的な農法が育む、水田や水路などの環境に適応し、息づき、進化、食物連鎖が成立しています。

水田・水路は、人の手が入った2次的な自然環境であり、原生の自然ではありません。しかし、隣接する山地や雑木林と一体となった、水田、水路、ため池は、生物多様性がきわめて豊かな場所。里山、里地と呼ばれる景観の重要な構成要素の一部です。

谷津田の米オーナー制

水田やそれにかかわる水環境は、日本をはじめ、稲作文化を持つアジア地域に広く分布していますが、国際的な湿地保全条約「ラムサール条約」でも、これを保全すべき重要な水環境(ウェットランド)の一つとして定義しています。日本におけるこれらの水田・水路は、国内で最も生物多様性の高い自然環境の一つであり、多くの日本固有種を含む、5,668種もの野生生物が確認されています。

谷津田の田んぼは平場の田んぼと異なり、面積が狭いことから大型の農耕用機械を使った耕作が行えません。農作業者の高齢化に伴い、耕作者が激減し、谷津田の田んぼは絶滅危惧状態です。宍塚の谷津田は「認定NPO法人宍塚の自然と歴史の会」と耕作者が協定を結び、「谷津田の米オーナー制」によって収穫した米の買い取り、谷津田での耕作を維持しています。

そして、この田もようやく田植えの準備、田のくろ(畔)塗り、代かきが始まります。田植えの準備が終わった田の畔を歩くことは禁物です。(宍塚の自然と歴史の会前会長)

人権は「やさしさ」なのか 《電動車いすから見た景色》18

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【コラム・川端舞】子どものころ、自分が普通学校に通い続けるためには、常に良い成績をとり、教員のご機嫌をとる必要があると思っていた。そんなことをしなくても、自分にも普通学校に通う権利がもともとあるとは考えもしなかった。

日本の学校教育では、「人権」と「思いやり」「やさしさ」は同じものとして教えられることが多い。私の小学校時代も、毎年12月の人権週間では「友だちにやさしくしよう」のようなスローガンが掲げられていた。もちろん人間にとって「思いやり」「やさしさ」が大切なのは言うまでもない。

しかし、例えば「障害者にやさしくする」と言った場合、「やさしくしよう」と決めるのは障害者の周りにいる人である。周りの人の気持ち次第で、「昨日は時間に余裕があってやさしくできたけど、今日は忙しいから難しい」と言ってしまうこともできる。

障害児が普通学校に通うのは権利

障害のない子どもは、原則、少なくとも中学校までは家の近くの学校に行ける。少子化による学校の統廃合はあるが、子どもの数が多いという理由で、特定の子どもを他の学校に転校させることはせず、教員や教室の数を調整するだろう。それは学校側が「やさしい」からではなく、子どもには、家の近くの学校に通う権利があるからだ。

しかし、障害児の場合、支援の手が足りないなどの理由で、家の近くの普通学校ではなく、市町村に数ヵ所しかない特別支援学校に通うことを簡単に提案されてしまう。障害児が普通学校に通うのは、障害のない子どもと同等の権利のはずなのに、「障害があるけど、普通学校に通わせてあげる」という「やさしさ」にされてしまい、学校側に「やさしくする」余裕がなければ、当然のように特別支援学校への転校を提案されてしまう。

障害のない子どもが当たり前に通う普通学校に、障害児も当たり前に通えるのが権利であり、周囲の気持ち次第で変わってしまう「やさしさ」に左右されるべきではない。障害がある子とない子がそれぞれ必要なサポートを受けながら、同じ教室で学べる環境が前提にあって、初めて「やさしくする・される」「やさしくしない・されない」という経験がお互いにできるのだろう。

人間関係を学ぶ上では、時に友達とけんかし、「やさしくされない」経験も必要だが、障害児は友達にやさしくしてもらわないと学校に通えない環境にいる場合、友達と本気でけんかする経験もできなくなる。(つくば自立生活センターほにゃらメンバー)

自然死に近い理想の死に方 《くずかごの唄》86

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イラストは筆者

【コラム・奧井登美子】犬のミミちゃんの自然死を体験して(5月8日掲載)、私たち夫婦も「どうしたら人間らしく死ねるか」という大問題に突き当たってしまった。

「僕も、寿命がきたら、無理に生かさないでくれよ。自分の部屋で、自然に死んで行きたい。家で、安らかに死んだミミちゃんがうらやましいよ」

「松尾芭蕉の奥の細道は、彼なりの理想の自然死を求めて出発したという説があるけれど、江戸時代ならともかく、今の医療の中で、家で死ぬ自由があるのかないのかわからない」

「入院したら、いろいろな管につながれて管だらけ、犬の鎖と同じだ」

「ミミちゃんも、鎖を外して開放してあげたとき、とてもうれしそうだった」

高齢者に課せられた難しい課題

今、コロナの流行中で、クラスターをふせぐために家族が病院に面会に行っても、直接会わせてもらえないことが多い。臨終という、家族にとっても、本人にとっても、人生で一番大事な最後の時が、なくなってしまっている。

知り合いで、「絶対死なないぞ」と言っていたご主人が、救急車で入院し、がんで亡くなってしまった。最愛の人が骨になって帰ってきたあと、奥さんは、臨終に立ち会えなかった寂しさとむなしさでノイローゼみたいになってしまった。

パルスオキシメーターという医療器機がある。指を入れるだけで血液中の酸素が計測できる。私たち世代の人にとっては夢のようなものだ。うちの薬局へ、これを買いに来た人は「医療用の、高価で、いい機械が欲しい」と言う。

コロナ対策として使ったあと、この機械で自分の寿命のあるなしを想定して、善後策を考えるのに使うのだと言う。すごい人だ。

どうしたら人間らしく、その人らしい個性を維持しながら、平和に、あまり人に迷惑をかけないで死ぬことができるか。私たち高齢者に課せられた難しい課題である。(随筆家、薬剤師)

「ペニーレインつくば店」 《ご飯は世界を救う》35

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イラストは筆者

【コラム・川浪せつ子】コロナウイルスがちょっと落ち着いたころ、イオンモールつくば(つくば市稲岡)内の「ペニーレインつくば店」のレストランに。このお店が10年ほど前にできたとき、友人と行ったのを思い出し、行ってみました。

「ペニーレイン」という名前が不思議だったのですが、今回判明。レストランの中は、ビートルズがいっぱい。「ペニーレイン」とは、イギリスのリバプールにある道路の名前。ビートルズは、その道路名の曲を作ったのだそうです。

そして建物正面左には、ビートルズゆかりの地「アビイ・ロード」をレコードジャケットにしたもののリメイク壁。そこには、フォルクスワーゲンが半分壁に突っ込んでいました。どこまでビートルズがお好きな経営者なんなのでしょうね!

おいしいって幸せな時間

でも建物はとてもスタイリッシュ。前庭から正面入り口の導入までお花が一杯です。ちょっとしたミニ公園風。そして、建物右側には、ワンちゃんと一緒に食事ができるコーナー、ドッグランもあります。

新しいお店に行く場合、ネットで事前にいろいろ調べます。場所はもちろん、「何を食べようか」「何が人気あるか」。そして、注文。今回は連れ合いと一緒で、チーズフォンデュとハンバーグ。この注文だと、パンが食べ放題。

お店の方が、カゴにいろいろな種類のパンを持って、お店の中を回っています。おいしいので、つい追加を頼んだら、お腹がいっぱいに。

帰りには、レストラン隣のパン屋さんで、人気のブルーベリーブレッドのハーフを購入。パン屋さんは大人気で、レジまで長蛇の列。リタイアしようかと一瞬迷いましたが、根気だして並びました。お腹いっぱいのはずなのに、オウチでパクパク。おいしいって幸せな時間です。(イラストレーター)

つくば中心地区再生 出だしでつまずき 《吾妻カガミ》106

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】つくば市の中心市街地再生事業が動き出しましたが、その仕事を担う「まちづくり会社」への資本金払い込みが一部滞っているとか、センター広場に設けるエスカレーターは要らないとの意見が議会で出ているとか、出だしのつまずきを伝える記事が本サイトに載っています。今回はこれらの問題に目を通したあと、事業策定プロセスでの「手抜き」について点検します。

本サイトの記事「(まちづくり会社の)資本金2900万円少ない」(4月30日掲載)には笑いました。市が中心になって設立したこの会社には、地元の3社が3000万円ずつ出資することになっていたのに、うち1社の設立時払い込みが100万円だけだったという話です。同社はその理由は市に聞いてくれと逃げ、市は「分割で構わない」と弁解しています。新会社に注目していた市民は、さぞ拍子抜けしたことでしょう。

もう1つのつまずきは「(市議会で)エスカレーター設置をめぐり論戦 」(4月27日掲載)に出ています。この事業の目玉、エスカレーター2基設置について、2基とも要らない、1基だけでいい、2基あってよい―と、議会で論争になったという話です。深地下のTX秋葉原駅にはエスカレーターが絶対必要ですが、センター広場にはどうでしょうか。

総額10億超なのに大型事業でない?

問題含みで始まったこの案件、10億円超の経費が投入される大プロジェクトです。ところが市の策定作業では、市民・識者の声の収集や市議との対話が十分でありませんでした。上の2つのつまずきも、この辺に遠因があったようです。

前市長の運動公園計画に反対する運動の熱量を引き継いで市長になった五十嵐さんは、2018年秋、「大型事業の進め方に関する基本方針」をまとめました。前市長時代の大型事業計画を批判的に検証、総事業費10億超の大型事業を進める際には「民意の適切な把握」「議会への適切な報告」などが必要と、執行部のひとりよがりを戒めたのがポイントです。

中心市街地再生事業費は、基本設計費979万+出資金6000万+実施設計費6300万+工事費9億500万=10億3779万円ですから、計10億円超の大型事業になります。ところが、本サイトのコラム「映画探偵団」の筆者、冠木新市さんもたびたび指摘しているように、市による「民意の適切な把握」はおざなりで、基本方針で定めた手順がお留守になりました。

この点を議会で質問した市議、飯岡宏之さんによると、五十嵐市長は「リニューアル事業だから大規模事業評価には当たらない」「6000万の出資金はリニューアル事業費ではない」と答えたそうです。

つまり、再生事業は10億円超でも大型事業に該当しない→だから民意の把握は形だけでよい、仮に再生事業を一般事業に分類するとしても事業費ではない出資金をマイナスすれば10億円以下→だから大型事業に該当しない―ということです。大型事業の定義(総額10億円超、ただし再生事業は対象外)を盾にした2段構えの理屈ですが、追求をかわすための言い訳のように聞こえます。(経済ジャーナリスト)

追記:この原稿を書き終えたあと、「つまずき」どころか「大転び」を予感させるニュースが入りました。中心市街地再生事業について「18人が住民監査請求」(5月12日掲載)という記事です。市民の関心度が高いこの案件、議会論議にとどまらず市民運動にまで広がってきました。

正岡子規『水戸紀行』追歩(7) 《沃野一望》27

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恋瀬川から見た筑波山

【コラム・広田文世】
灯火(ともしび)のもとに夜な夜な来たれ鬼
我(わが)ひめ歌の限りきかせむ とて

明治22年、水戸在住の友人を訪ね、東京から水戸へ徒歩で向かった正岡子規は、土浦を過ぎ、意地っ張りを貫き通し、千代田町、ではなく今や「かすみがうら市」の水戸街道を北上した。

令和追歩組も、6号国道を石岡へ向かう。ゆったりした下り坂の先に、常磐自動車道千代田石岡ICへの誘導路が分岐する。上を常磐高速が横切り、下を6号国道、くぐったすぐ脇へ旧水戸街道が左手から合流してくる。合流点には、旧街道時代の一里塚が、気ぜわしく行き交う現代の車列をひっそりと見つめている。子規は、この一里塚を、くたびれきって通過していったにちがいない。

恋瀬川への坂を左カーブで下り、恋瀬橋の付け替えにともない設置された休憩施設が、恋瀬川ロードパーク。子規の時代に整備されていたら、子規先生、どんなにか喜び、足をもみさすったことか。

恋瀬橋を渡るとすぐに石岡市街。石岡駅への分岐の先で、JR常磐線の渡線橋をこえる。子規はその日、石岡泊とした。令和版は、まだ日も高く、両足からの不平信号も届かず、快調に歩を進める。

小美玉市に入る。園部川にかかる園部橋から西を遠望すると、筑波山の男体山、女体山の二峰がちょうど重なり、ひとつの鋭角三角形に見えてくる。子規は、土浦を過ぎたところで道標を見落とし筑波山へ立ち寄れなかったが、訪ねてみたかった無念が行間にうかがえる。

6号国道は、大曲を過ぎる。千貫桜という地名がある。水戸藩二代藩主光圀が、街道沿いの桜の名木を褒賞した由来にちなむ。子規も、桜について記している。「この辺の街道は松縄手にあらずして路の両側に桜の木を植う。木のたち皆のびのびとして高さ十間もあり」と、まだ咲かぬ三月の桜の枯れ枝を見上げている。

「足がすりきれるまで」歩く

茨城町に入り、6号国道は、ひときわ立派なバイパスへ分岐する。バイパスに歩道はなく、歩行者は立ち入れない。やむなく歩道の残る旧6号へ迂回する。

涸沼川を渡る。バイパスの開通のとばっちりで歩行者は、渡線橋を越えたり側道を上がり下りして、大回りのあげくに旧水戸街道=現在の国道50号へ出る。子規の時代は、かえってすっきり歩けたはず。

ここまで来れば、あとはひたすらまっすぐ進み、水戸は偕楽園の脇をとおり千波湖へ、さらにもうひとふんばりで水戸駅のはず、と目標が見えてきたとたん、足やら腰やら肩までが、ストライキのシュプレヒコールをあげはじめる。

もう少しだ、もう少しだ。となだめすかしながら歩くと、バス停の粗末なベンチを発見。バスに乗るわけではないが、ありがたい休憩ポイントとさせていただく。子規の「足がすりきれるまで」の述懐に、思わず納得。とはいうものの、休んでいてはいつまでも到着できないことは自明の理。

最後のふんばり。「どっこいしょ」と立ち上がる一歩が辛い。(作家)

「つくばセンター」に見る満映の影 《映画探偵団》43

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【コラム・冠木新市】「広々とした大野原の中に、魔術の如(ごと)く聳(そび)え立つ、豪華な建築—寛城子(かんじょうし)を見た直後なので、狐(きつね)につままれたやうだ。宮殿の如く、銀行の如し」(徳川夢声)。

岩下志麻主演『極道の妻たち』

つくばセンターを象徴する映画は『仮面ライダー』シリーズだとずっと思い込んできた。しかし最近では、同じ東映の『極道の妻たち』シリーズではないかと揺れ動いている。この映画はセンタービル誕生3年後の1986年に公開され大ヒット 。ビデオも売れ、テレビ放映の視聴率も高く、関係者を仰天させた。

日下部五朗プロデューサー、高田宏治脚本、五社英雄監督―このトリオと、題名から受ける印象で誰もがヤクザ映画と信じていた。ところが、任侠・実録ヤクザ映画ブームはすでに終わっている。

岩下志麻主演でその後10年以上続くこのシリーズは、対立組織との抗争で性根の定まらない男性を支える、女性を描いた作品との理解が深まる。つまり純粋な女性映画だったのである。

東映映画史を振り返ってみよう。

▽1950年代:『笛吹童子』『紅孔雀』などのお子様時代劇『新諸国物語』シリーズ。

▽1960年代前半:内田吐夢監督が敗戦後の青春像を描いた『宮本武蔵』シリーズと大作『飢餓海峡』。

▽1960年代後半:高倉健の『網走番外地』『昭和残侠伝』シリーズ。

▽1970年代:暴力団組織で日本社会の仕組みを批判した実録『仁義なき戦い』シリーズ。

▽1980年代:『鬼龍院花子の生涯』など宮尾登美子文学の映像化シリーズ。そして『極妻』につながる。男性路線中心だった東映が方向転換し始めたころだ。

映画ブロデューサー 根岸寛一

学生時代、私は東映企画調査部でアルバイトをしていた。後に『映画「極道の妻たち」ノ美学』(1995年、近代映画社)を出版。丸の内本社と撮影所に出入りしていた私は、よく「東映は満映関係者の受け皿」との話を聞いた。

1937年、満洲国と満鉄の出資で設立された満洲映画協会は、「五族協和、王道楽土」のスローガンの下の国策映画会社だった。少し遅れて甘粕正彦が理事長に就任する。甘粕の片腕となったのは、『大菩薩峠』『人生劇場』『土』など名画を製作した、元日活撮影所長のブロデューサー根岸寛一だった。

根岸は、李香蘭をスターに育てあげ、中国人の監督、脚本家、スタッフを起用し、多くの作品を残す。終戦後、満映は消滅するが、撮影所は中国人映画関係者のために守られた。冒頭の引用は、夢声が満映撮影所を見た時の感想を映画雑誌に書いたものである。

戦後、根岸は東映と深く関わり、満州から帰国した映画人の生活ために、病を押して奔走する。私はつくば市に移転して来て、根岸寛一が筑波郡小田村(現つくば市)の出身と知ってうれしくなった。

議論の鍵を握るのは女性たち

4月27日掲載された「NEWSつくば」の記事で、センタービル広場のエスカレーター設置をめぐり、市議たちが「2基とも必然性がない亅「1基のみでよい亅「2基とも必要」ともめていることを知った。これまでの検討がいかに不足していたかがよく分かった。

また、男性市議よりも女性市議の発言が目立っているようにも感じた。市議は市民の代表である。このエスカレーターをめぐり、つくば市の女性たちの意見も割れているのだろうか。

私は何故こんなにもセンタービルに引かれているのか、ようやく謎が解けた。大平原にこつ然と現れた満映撮影所をセンタービルに重ねていたからだ。未来の遺跡に、1億6000万円もかけてエスカレーターを付けて、文化財に傷跡を残すかどうか。カギを握っているのは女性たちである。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

街の記憶 東京・つくば 《遊民通信》16

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5月19日、1階がオープンする「トナリエ クレオ」=つくば市吾妻、つくば駅前

【コラム・田口哲郎】

前略

「木綿のハンカチーフ」などで知られる作詞家、松本隆さんは2012年に東京から神戸に移住したそうです。当時雑誌記事で読んで、衝撃を受けました。松本さんは生粋の東京人です。生まれ育ちは港区青山、慶應義塾に通い…と、シティ・ボーイの体現者です。のちの渋谷系につながる、いわゆるニューエイジの山手文化を生み出し、けん引してきたことはご存知の通りです。

都心文化を屈託なく表現できる人は、上京者の街でもある東京にはそれほど多くいません。その松本さんが東京を離れたことは、一個人が地方に引っ越したという事実以上の何かがあるに違いないと思わせられました。東京がかつての東京では無くなったという旨の発言をされていました。

コロナ前の東京は色々限界だったのかもしれません。諸々(もろもろ)が集中・蓄積しキャパシティ・オーバーとなり、はち切れる寸前でした。そんな東京をコロナ禍が襲いました。東京は破裂せず、しぼみ始めました。今後も東京は東京として続くでしょう。でも、かつての東京はもう戻ってこないでしょう。

恐らく、かつての東京、例えば第2次大戦前の東京は戦後の東京とは全く違う東京でした。戦前の東京を戦後に語ったところで、それはノスタルジーに過ぎないわけですが、街の記憶は人をなんとも言えない感覚に誘います。沈みゆく東京は、これから無数の記憶の華に飾られるでしょう。

つくばに陽は昇る

では、つくばはどうでしょうか? つくばの記憶…。つくばの記憶は、特に1985年のエキスポ以後、東京の栄華とは逆の衰退のものでしかありません。かつて、つくばセンター前の西武百貨店には高級スーパー・マーケットのザ・ガーデン自由が丘が入っていました。高級スーパーがあることが、その街の東京度を測る基準となります。例えば、六本木や横浜の青葉台には、明治屋ストアがあり、港区の魚藍坂には大丸ピーコックがありました。

昔のつくばは、茨城屈指の東京っぽい街でした。外国人が多い国際性は、さらに東京の港区っぽくもありました。でも、その西武が撤退し、官舎が取り壊され、つくばの中心から人がいなくなりました。東京圏に飲み込まれるにしては、遠い距離感がつくばを苦しめました。一極集中の歯止めが効かず、東京は巨大竜巻のように周辺の街の栄華を吸い取りました。つくばエクスプレス(TX)は格好のストローになりました。

しかし、コロナ禍によって、東京に向いていた流れがつくばに向かって流れています。つくばには東京と真逆のことが起きるでしょう。沈没する大都会を眺めながら、常に陽の当たる街は静かにそのエネルギーを回復すると思います。

新しい繁栄はこれまでの栄華とは違うことは確かです。人と物資を集中させることしかしてこなかった人類が、初めて分散をも目論(もくろん)んでいます。群れることなく楽しむ術は、類まれなる田園学研都市つくばの市民が得意とするところでしょう。

ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

私も経験した介護離職 《ハチドリ暮らし》1

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介護のため栃木県の実家に帰り、畑の手入れをする筆者(左下の写真)
山口京子さん

【コラム・山口京子】コロナ禍で生活や家計が一変した人が多いのでは! 自分もその1人として感じたことを伝えたい。

昨年5月、コロナの影響で、両親が通っていたデイサービスが一時閉鎖。介護のために栃木県の実家に帰り、一緒に生活することになった。仕事の方は、初めのうちは介護休暇や有給休暇を取り、それがなくなると欠勤扱いにしてもらった。自宅と実家を往復する生活が半年。結果的に、復帰の見通しが立たずに退職した。現在、父は施設に入所、母はデイサービスに通っている。

調べてみると、全国の65歳以上の人口は3600万人を超え、要支援・要介護認定者は約670万人。働きながら介護をしている人は約350万人。介護を理由に仕事を辞める人が年間で10万人弱。国は介護と仕事の両立支援のために制度を作ったが、まだまだ周知されていない。また、使い勝手の点で課題が多いことを当事者となって分かった。

結果的に退職となった場合、例えば、50歳で年収600万円の人が介護離職した場合、その後の収入の損失は1億円近くになるだろう。辞めた後は、厚生年金ではなく国民年金加入者となり、65歳から受け取れる年金額も下がってしまう。介護が終わって再就職したいと願っても、正社員として働くことは非常に難しいのが現実だ。

人生後半の生活設計が狂う

人生後半のライフプランが大きく狂ってしまうのが、介護離職だ。介護に直面した場合、1人で悩みを抱えずに、いろいろな相談機関に出向いてほしい。勤務先にもその旨を伝え、働き続けたいという意思を示したうえで話し合ってほしい。

問題解決には、最新の情報を入手し、どんな制度を利用できるのか知ること。そして、介護される人が親であれば、親の年金や資産についても確認すること。親のお金でやりくりできるのか、どんな介護の方法があるのか―などについて、専門家を交えて決めたい。

私は現在、1人暮らしをする母の様子を見るために月3回ほど帰省する。病院通い、銀行通い、買い物、行政から届く書類の確認、農家だった家の周りの掃除、草取り、野菜作り…。春になると自然は足早に進み、忙しくなる。母に指示されて、庭の一角に作った畑を耕し、種をまく。(消費生活アドバイザー)

【やまぐち きょうこ】2020年まで、いばらきコープ生活協同組合の「くらしの電話相談ダイヤル」相談員を15年務める。また組合員を対象にした「くらしの講座」講師として、生活設計、家計管理、年金、相続、遺言、終活、保険見直しなどのセミナーを企画。現在「社会保険労務士 やまと事務所」所属。ファイナンシャルプランナー、社会保険労務士、消費生活アドバイザー。1958年、栃木県生まれ。龍ケ崎市在住。

ほんとうに海に流してしまっていいのですか 《邑から日本を見る》87

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エネルギーの地産地消を目指す飯舘電力

【コラム・先﨑千尋】表題を福島県いわき市で発行されている「日々の新聞」4月30日号から借用した。同紙はこの号で「汚染水の海洋放出」を特集しており、12ページの紙面のうち実に11ページを使っている。発行者の安竜昌弘さんはいわき市で地方紙の記者をしていたが、そのあり方に疑問を持ち、2003年に「日々の新聞」を創刊した。現在は大越章子記者と2人で紙面をつくっている。

タブーのない、個の思いが詰まった新聞づくりをしていて、毎号届くのが楽しみだ。紙面の下には「海洋放出反対の理由」、「放射能汚染水で海を汚さないで」など、他の新聞にはほとんど見ることのない意見広告も載っている。

同紙は1面で「ほんとうに海に流してしまっていいのですか」と読者に問いかけ、2面で「海洋放出の反対はいささかも変わらない」と主張。これまでの経過をたどり、トリチウムなどを含む汚染水の説明、いわき市漁協の江川章組合長ら4人の話を載せている。

このほか、北海道がんセンター名誉院長の西尾正道さんの「トリチウムの海洋放出は人間の遺伝子組み換えによる殺人行為」という寄稿文があり、『被曝インフォデミック』という西尾さんの本を紹介している。

それによると、「トリチウムは原発から近いほど濃度が高く、生態系の食物連鎖の過程で生物濃縮する。トリチウムは人のDNAを構成している塩基の化学構造式まで変えてしまう。(これは)人間の遺伝子組み換えを行っていること。処理コストが安いからといって海洋放出することは、人類に対する緩慢な殺人行為」と警告している。

これらを受けて、安竜さんは最後に「一番は、海に流される液体の正体をきちんと知ることだ。これで引き下がっていいのか。他人事ではない」と訴えている。

国は水俣病の経験をなぜ活かせないのか

生体濃縮の怖さを指摘したのは水俣病患者たちだ。東京電力福島第1原発の処理水を海に流す政府の方針に対し、熊本、新潟両県の水俣病患者9団体などでつくる「水俣病被害者・支援者連絡会」は4月19日に反対声明を発表した。水銀を含む工場排水の海や川への放出が水俣病の原因になったことを踏まえ、国と東電は「同じ過ちを繰り返そうとしている」と抗議し、国に白紙撤回を求める要請書を提出した。

声明では、政府が放射性物質のトリチウムを含む水を希釈して海洋放出する方針を示していることについて、「希釈しても(トリチウムの)総量が減るわけではない。(食物連鎖によって濃縮する)生体濃縮でメチル水銀が人体に影響を及ぼした事実を私たちは水俣で経験した。(トリチウムなどの)人体への影響が明確になっていない段階での放出は許されない」と訴えた。

トリチウム汚染水をどれだけ薄めても、総量は変わらないという水俣病患者たちの指摘に注目したい。

水俣病はチッソ水俣工場が海へ流した工場排水に含まれるメチル水銀によって引き起こされた。1956年に公式に水俣病の発生が確認されたが、チッソは「八代海への排出に伴い、水銀は海中で希釈される」と主張していた。65年には昭和電工鹿瀬工場(新潟県)の廃水を原因とする新潟水俣病も確認されている。国は水俣病の経験をどうして活かせないのか。(元瓜連町長)

コーヒーのこと 《続・平熱日記》85

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【コラム・斉藤裕之】母は当時では珍しく料理学校に通っていて、先生の「お免状」のようなものを持っていた。覚えているのは地方テレビの料理番組に出演したことだ。何を作ったのかは覚えていないが、幼かった私は出来上がったものを食べて、カメラに向かって「おいしい」と言う役であった記憶がある。祖母をはじめ親戚のおばちゃんがおめかしして放送局にはせ参じていたのも覚えている。

そんな母が作る高校生の時の弁当の話。なぜか私の卵焼きは茶色い。腐っているのか? いや味は悪くない。不思議に思いながら、それほど気にもしなかった。しかしある時、謎は解けた。母が卵焼きを作るときに使う、砂糖の缶に入っているスプーン。そのスプーンの先には茶色いものが…。

その正体は、なんとインスタントコーヒー。おそらく母は同じスプーンでコーヒーも砂糖もすくってマゼマゼしていたせいで、卵焼きがコーヒー色に染まっていたというわけだ。なんともずぼらな母に、その時は腹も立ったが、後にはある意味での母のおおらかさとして思い出に残る逸話となった。

それから、一番長くやったアルバイトはコーヒー屋さん。20歳そこそこのころ、所は新宿。予備校に近いという理由だった。場所柄、今風に言えばジェンダーレスなお兄さんやお姉さんも常連で、時代に先駆けてダイバーシティを学ばせていただいた? そういえば、当時常連のお客さんにプロレス関係のお偉いさんがいて、やたら誘われたのを思い出した。

「サイトウコーヒー」は20周年

そして、火曜日の朝出かけるのは「サイトウコーヒー」。よく親戚ですかと聞かれるが、親戚以上に付き合いのある他人だ。

奥から2つ目のカウンターに座る。そうすると、ミルクのちょっと入ったコーヒーが出てきて、それをすすっていると、おなじみさんがひとり、ふたりとカウンターに。話しかけるときもあればそうでないときもある。このお店がこの5月で20周年を迎えるという。

ギャラリーを併設したカフェを始めると聞いて、「文化はカフェで生まれるんだよ」なんて、当時フランス帰りの私としては、サンジェルマン・デ・プレのカフェに集った文化人の話でもしたような気がするが…。

男気あふれるマスターは信頼厚く、こだわりの自家焙煎珈琲屋としてはもちろん、牛久の文化発信基地として知る人ぞ知る店となった。かくいう私も、「平熱日記展」をはじめ、仲間とTシャツ展を開かせてもらったり、ここはいろんな人や作品と出会って刺激を受ける場となった。

というわけで、風薫る吉日にささやかな記念イベントを催したいと言うので、記念の手ぬぐいを作ってさしあげた。いろいろ考えたが、カッパたちが遊園地のコーヒーカップに乗って楽しんでいる絵を描いた。それから、ずいぶんと久しぶりになるが、買ったばかりの軽トラにヘーベル窯を積んで、お店の駐車場でピザを焼いてあげることにした。

なにせ、ここの娘が「一番おいしいピザ!」と言ってくれるそうだから、焼きに行くしかあんめえ。(画家)

自然死の介護体験 《くずかごの唄》85

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】わが家の愛犬「ミミ」、外へ行きたくなると鎖を引きちぎって脱走する。散歩が大好きで、朝早く、ワンワンほえて散歩の催促をする。平成15年(2003)3月3日生まれの雌の野犬。18歳(人間にすると100歳に近い)なのに、昨年末まですこぶる元気がよかった。

今年の1月半ば、後ろ足がおかしくなって歩けなってしまったが、前足をひっかいて結構移動する。歩けなくなって一番困るのがウンチとオシッコ。それまでは犬の紙おむつというものが世の中に存在するのさえ知らなかった。ペットショップコーナーへ行ってみて驚いた。尻尾の大きさによって大中小の穴の開いた紙おむつが、たくさん並んでいる。

庭の犬小屋は寒いので家の中に連れてくる。おむつがぬれたり、ウンチがついたりすると気持ちが悪いらしく、ほえるのですぐわかる。鎖をやめても、2メートルくらい前足で移動してしまう。元の位置に戻すと怒る。

よく食べるのに体は骨と皮。肉がほとんどない。肉がないのに移動するせいか、褥瘡(じょくそう)が方々にできてしまった。中には化膿(かのう)した褥瘡もあり、よく洗って拭いて、抗生物質の軟こう、亜鉛華軟こうなど、いろいろ塗ってみる。人間と違って、犬は毛が生えているので、膿(うみ)を拭き取ったりするのに人間より時間がかかる。3月末に褥瘡は8か所になってしまった。

愛犬ミミちゃんありがとう

食べ物もペット用の介護食。固体、半固体、流動食、いろいろな種類のものが売っている。材料も鶏肉入り、豚肉いり、チーズ入りなどと凝ったものもある。値段もかなり高価だ。

犬は鼻がいい。その日食べたくなる餌の好みの匂いが問題だ。何種類も買ってきて用意し、その日食べてくれるものを口に押し込む。歯は健在でかむ力は最後までかなり強かったので、食べさせながら自分の手の指を何回もかまれてしまった。立てなくなってからは水が飲めないので、水は注射ポンプの太いもので口の中に入れてあげる。

4月。目も真っ白。白内障でほとんど見えなくなってしまった。「ミミちゃん」呼ぶと反応したのに、反応しなくなる。4月末、ほえなくなる。5月2日、とうとうご臨終を迎える。私の腕の中で、満足そうな顔をしながら少しずつ冷たくなっていくミミちゃん。

自然死というものはどういうものか。介護体験をしながら、いろいろ考えさせられた。「ミミちゃんありがとう」。(随筆家、薬剤師)

トランポリンで宇宙へ 《食う寝る宇宙》85

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【コラム・玉置晋】仕事から帰ってくると、6畳の僕の作業部屋兼寝室に、直径1メートル、高さ20センチメートルくらいのトランポリンが置いてありました。寝る場所がないぞ。

「最近さ、運動不足だからヨガでも習いに行こう」と、ウチの奥さんに提案されたのが3月上旬。行きつけの床屋でその話をしたところ、マスターから、「ヨガ教室は女性ばかりなので、そこに男性が入っていくのはなかなか勇気がいるよ」と妙な圧を受けて、おじけづいた僕。

奥さんに「いや、女性ばかりのところにおっさんが入っていくのは、ちょっと」と抵抗してみたものの、奥さんに「大丈夫、大丈夫」と押し返されて、市のヨガ教室に応募したのが3月下旬。しかし、コロナ禍のせいか、4月上旬、生徒が集まらず中止になりましたと通知があり、少しほっとしていました。

そしたら奥さん、次の手を打って、トランポリンがやってきたというわけです。インターネットで調べてみると、トランポリン・ダイエットがはやっているらしく、きっかけは、どうやら、NASA(米航空宇宙局)が宇宙飛行士の訓練にトランポリンを取り入れたことのようです。

トランポリン・ダイエットの成果は?

トランポリンと宇宙の関わりといえば、2014年、ウクライナ情勢が悪化した時のこと。米国がロシアへのハイテク製品の輸出禁止措置を強化した際に、ロシアの副首相が「我が国の宇宙産業に対する制裁の影響を検討した結果、トランポリンを使って宇宙飛行士を国際宇宙ステーション(ISS)に送ることを米国に提案する」と言いました。

当時、米国のスペースシャトルは退役していて、ISSに宇宙飛行士を送る手段がありませんでした。宇宙であれ医療であれ、自国に技術とそれを運用する基盤がなければ世界では弱い立場になります。

その後、2020年に米国のスペースX社が宇宙船「クルードラゴン」の打ち上げを成功させた際には、スペースXのイーロン・マスク氏はジム・ブライデンスタインNASA局長(当時)との記者会見で、「トランポリンがうまくいった」と、トランポリンがネタとして使われています。

トランポリン・ダイエットの成果は如何ほどか? 半年後の僕の姿で立証できるでしょう。そうそう、市のヨガ教室は秋に再び募集をかけるそうです。こちらも注目です。(宇宙天気防災研究者)

憲法記念日に思ったこと 《つくば法律日記》16

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堀越氏の事務所がある「つくばセンタービル」

【コラム・堀越智也】コロナ禍という非常事態の下では、どちらかと言えば、憲法に関する議論は活発でなくなってしまうようです。なぜなら、憲法は国家権力を抑制するためにつくられたものですが、非常事態では、国家権力の発動により事態の解決を期待する方向にベクトルが向きやすいからです。

もちろん、菅首相がコメントしていたように、非常事態では憲法による国家権力への抑制を緩める議論は、コロナ禍で活発になります。しかし、せっかくの憲法記念日なので、コロナ禍であるために脇に置かれてしまった憲法の問題をゆっくりと思い起こす時間にしなければと思って過ごしました。

例えば、仮に楽観的に考えて、ワクチン効果が手伝って、コロナがある程度落ち着いたとすると、憲法に関する問題は山積みのはずです。

安倍前首相は、結局実現しなかったものの、憲法改正を積極的に進めようとしました。憲法改正には、国会の議決に加え、国民投票という厳しい要件があるので、簡単にはいかないにしても、油断しているうちに改正されてしまうのではないかと、心配になった時期もありました。

対中関係で9条の議論が再燃

米国の大統領にバイデン氏が就き、米中関係の影響を受けて、憲法9条の議論が再燃する可能性が大いにあります。現在のアジアでの中国の軍力と米国の軍力を比較すると、圧倒的に中国が勝っています。米国が日本に、今以上のことを求めてくることを想定しなければなりません。

これまで、憲法9条ないし自衛隊の活動範囲の問題は、中東やカンボジアなど、日本の国境から離れた地域の問題をめぐって議論されていましたが、お隣の中国との関係をめぐって議論がなされるとなると、それなりの恐怖感があります。

かつては巨大なマスメディアが君臨し、国民1人1人の政治的意見は届けにくかったのが、インターネットによりSNSの利用が広がり、国民が政治的意見を表現しやすい世の中になりました。その結果、国家権力の表現の自由に対する規制のモチベーションが高くなることに注意しなければなりません。

一方で、SNSを利用して誹謗(ひぼう)中傷される少数者を守るには、国民の表現の自由を一歩後退させざるを得ません。

コロナ禍であるがために、脇に置かれていた憲法問題を挙げればきりがなく、どれも重要な問題です。立ち止まって考える時間を与えてくれる憲法記念日の意義を、改めて痛感する令和3年の5月連休でした。(弁護士)

本当のこと、美しいもの 《ことばのおはなし》33

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【コラム・山口絹記】少し迷ったが、今回は本当のことについて書こうと思う。我ながら、思わせぶりな書き出しだ。何かについての本当のことを語るのではない。「本当のこと」そのものついて話してみよう。

多くの人々が共通の事物に関して本当のことを知りたいと思うとき、というのが、この世界では時折訪れる。多くの人々が求めるということは、すなわちその答えに需要があるということであり、需要があるということは価値があるということだ。

これが一般的な工業製品などであれば、製造には限界があり、対象の製品が品切れや生産中止になれば価値はうなぎのぼりになったりする。

しかし、本当のことは工場で作れるものではない。ざっくり言ってしまえば、私にもあなたにも、いくらでも作ることができる「ことば」だ。規格すら存在しない。需要があり、気軽に作れるからこそ、本当のことは氾濫する。

本当のこととはなんだろうか? 真実、事実、正しい解説、正確な情報? いくらでも言い換えはできるが、この手のことばを目にしたり聞いたときには、私は一歩引いてみることにしている。なぜなら、本当のこと、だとか、真実などというものは、世の中にたくさんあるからだ。求める人が多ければ多いほど、真実が一つになる可能性は低くなる。

私にとっての本当が、あなたにとっての本当であることもあるかもしれないが、そうでないことのほうが多い。この100年ぽっちの歴史を振り返って見ても、多くの人々が信じる本当が、時がたつにつれて当人たちにとっての本当ではなくなってしまったことなど、いくらでもある。

養われる審美眼が必要

つまるところ、本当のことというのは、自分にとって都合がよいことであり、いくらでも存在し、変容するからだろう。別に批判するつもりはない、そういうものなのだから。それでも、よく目にしたり、多くの人々が本当のことを大きな声で語っているときは注意しなければならないと感じている。

ならば、どうしたらいいのか、と言われてしまうかもしれない。ほら、どうしたらいいのかという問いに対する答えもまた、「本当のこと」だ。ここで私が何かしらの答えを提示してしまったら、それはまたひとつ、この世に本当のことを作ってしまうだろう。とはいえ、答えなどない、と投げ出すのも無責任なので、ここはひとつ、私のやり方を紹介しよう。

それは、「美しいものを探す」ことだ。本当でも、正しいでもなく、美しいもの。美しいと感じるものは自分で決めなければならない。美しいものを感じるためには、審美眼が必要だ。そして、審美眼というのは養われるものなのだ。それは、知識や経験、疑い調べ学び続ける意思に裏打ちされた直観だ。

そして、見つけた美しいものは、自分だけの大切なものとして胸の内にとどめておくことも、穏やかに日々を過ごすためのちょっとしたコツなのだ。(言語研究者)

100日目の米バイデン政権 《雑記録》23

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【コラム・瀧田薫】バイデン米大統領は、就任99日目の4月28日、上下両院合同会議で就任後初の議会演説に臨んだ。これは異例の遅さである。しかし、演説は、この短期間内に上げた成果を自画自賛し、さらなる目標の迅速な達成を予告する、自信にあふれたものであった。

バイデン氏が大統領選に勝利した直後、新政権の先行きを危ぶむ声が専門家の間で大勢を占めていた。しかし、100日目現在、新政権への評価は総じて高い。バイデン政権4月時点の支持率は59%(ピュー・リサーチ・センター)と、歴代大統領と比較すると高い方には入らない。しかし、トランプ氏の39%を大きく上回った。トランプ政権末期にあらわになった米社会の分断、分裂現象が依然として吹き荒れている中にしては上出来と言えよう。

さて、演説について筆者が注目するのは、バイデン氏が「世界に背を向けた前政権の姿勢とは決別し、同盟国との国際協調路線をとる」とし、同時に、「国外でのあらゆる活動は、米国の労働者(中間層)を念頭に置いて行う。外交と国内政策の間に、もはや鮮明な線引きはない」と宣言した部分である。

実は、この宣言は、数年前に発表された「報告書」が下敷きになっている。ヒラリー・クリントン氏が2016年の大統領選でトランプ氏に敗北した後、バイデン氏が主導して敗因を分析し、「中間層のための外交政策の見直し」と題する報告書を発表。それには、「外交エリートが支配する外交政策を国民の利益の観点から見直し、衰退する中間層に対する配慮を盛り込む」ことが強調されていた。

中間層のための外交政策の見直し

つまり、バイデン氏は、中間層支援策(国内政策)と外交政策を一つに組み込んだ政策パッケージを早くから用意し、大統領就任と同時に満を持して打ち出したのである。

トランプ氏によって取り込まれた米中間層の支持を民主党に取り戻さなければならない。同時に、中国というライバルやコロナウィルスや地球温暖化という誰も経験したことのない外部要因にも立ち向かって、トランプ政権との違いを際立たせたい。この「中間層のための外交政策の見直し」という、一見ちぐはぐに見える政策パッケージは、多正面作戦を強いられた政権のいわば「苦肉の策」なのかもしれない。

いずれにしても、バイデン政権は時間に追われている。来年の米中間選挙において、復権を狙うトランプ氏と共和党に対し、この政策パッケージが切り札になるだろうか。そうならなければ、現在バイデン与党(民主党)が辛うじて維持している上下両院における多数が崩れ、バイデン政権は一気に「レイムダック」に転落する。

ところで、菅首相とバイデン氏の首脳会談の内容はどのようなものだったのだろうか。その中身の詳細は追々明らかになってくると思われるが、それとともに、両政府の対応能力、特にスピードの違いが目立ってくるものと予想される。(茨城キリスト教大学名誉教授)