金曜日, 5月 23, 2025
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コーヒーのこと 《続・平熱日記》85

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【コラム・斉藤裕之】母は当時では珍しく料理学校に通っていて、先生の「お免状」のようなものを持っていた。覚えているのは地方テレビの料理番組に出演したことだ。何を作ったのかは覚えていないが、幼かった私は出来上がったものを食べて、カメラに向かって「おいしい」と言う役であった記憶がある。祖母をはじめ親戚のおばちゃんがおめかしして放送局にはせ参じていたのも覚えている。

そんな母が作る高校生の時の弁当の話。なぜか私の卵焼きは茶色い。腐っているのか? いや味は悪くない。不思議に思いながら、それほど気にもしなかった。しかしある時、謎は解けた。母が卵焼きを作るときに使う、砂糖の缶に入っているスプーン。そのスプーンの先には茶色いものが…。

その正体は、なんとインスタントコーヒー。おそらく母は同じスプーンでコーヒーも砂糖もすくってマゼマゼしていたせいで、卵焼きがコーヒー色に染まっていたというわけだ。なんともずぼらな母に、その時は腹も立ったが、後にはある意味での母のおおらかさとして思い出に残る逸話となった。

それから、一番長くやったアルバイトはコーヒー屋さん。20歳そこそこのころ、所は新宿。予備校に近いという理由だった。場所柄、今風に言えばジェンダーレスなお兄さんやお姉さんも常連で、時代に先駆けてダイバーシティを学ばせていただいた? そういえば、当時常連のお客さんにプロレス関係のお偉いさんがいて、やたら誘われたのを思い出した。

「サイトウコーヒー」は20周年

そして、火曜日の朝出かけるのは「サイトウコーヒー」。よく親戚ですかと聞かれるが、親戚以上に付き合いのある他人だ。

奥から2つ目のカウンターに座る。そうすると、ミルクのちょっと入ったコーヒーが出てきて、それをすすっていると、おなじみさんがひとり、ふたりとカウンターに。話しかけるときもあればそうでないときもある。このお店がこの5月で20周年を迎えるという。

ギャラリーを併設したカフェを始めると聞いて、「文化はカフェで生まれるんだよ」なんて、当時フランス帰りの私としては、サンジェルマン・デ・プレのカフェに集った文化人の話でもしたような気がするが…。

男気あふれるマスターは信頼厚く、こだわりの自家焙煎珈琲屋としてはもちろん、牛久の文化発信基地として知る人ぞ知る店となった。かくいう私も、「平熱日記展」をはじめ、仲間とTシャツ展を開かせてもらったり、ここはいろんな人や作品と出会って刺激を受ける場となった。

というわけで、風薫る吉日にささやかな記念イベントを催したいと言うので、記念の手ぬぐいを作ってさしあげた。いろいろ考えたが、カッパたちが遊園地のコーヒーカップに乗って楽しんでいる絵を描いた。それから、ずいぶんと久しぶりになるが、買ったばかりの軽トラにヘーベル窯を積んで、お店の駐車場でピザを焼いてあげることにした。

なにせ、ここの娘が「一番おいしいピザ!」と言ってくれるそうだから、焼きに行くしかあんめえ。(画家)

自然死の介護体験 《くずかごの唄》85

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】わが家の愛犬「ミミ」、外へ行きたくなると鎖を引きちぎって脱走する。散歩が大好きで、朝早く、ワンワンほえて散歩の催促をする。平成15年(2003)3月3日生まれの雌の野犬。18歳(人間にすると100歳に近い)なのに、昨年末まですこぶる元気がよかった。

今年の1月半ば、後ろ足がおかしくなって歩けなってしまったが、前足をひっかいて結構移動する。歩けなくなって一番困るのがウンチとオシッコ。それまでは犬の紙おむつというものが世の中に存在するのさえ知らなかった。ペットショップコーナーへ行ってみて驚いた。尻尾の大きさによって大中小の穴の開いた紙おむつが、たくさん並んでいる。

庭の犬小屋は寒いので家の中に連れてくる。おむつがぬれたり、ウンチがついたりすると気持ちが悪いらしく、ほえるのですぐわかる。鎖をやめても、2メートルくらい前足で移動してしまう。元の位置に戻すと怒る。

よく食べるのに体は骨と皮。肉がほとんどない。肉がないのに移動するせいか、褥瘡(じょくそう)が方々にできてしまった。中には化膿(かのう)した褥瘡もあり、よく洗って拭いて、抗生物質の軟こう、亜鉛華軟こうなど、いろいろ塗ってみる。人間と違って、犬は毛が生えているので、膿(うみ)を拭き取ったりするのに人間より時間がかかる。3月末に褥瘡は8か所になってしまった。

愛犬ミミちゃんありがとう

食べ物もペット用の介護食。固体、半固体、流動食、いろいろな種類のものが売っている。材料も鶏肉入り、豚肉いり、チーズ入りなどと凝ったものもある。値段もかなり高価だ。

犬は鼻がいい。その日食べたくなる餌の好みの匂いが問題だ。何種類も買ってきて用意し、その日食べてくれるものを口に押し込む。歯は健在でかむ力は最後までかなり強かったので、食べさせながら自分の手の指を何回もかまれてしまった。立てなくなってからは水が飲めないので、水は注射ポンプの太いもので口の中に入れてあげる。

4月。目も真っ白。白内障でほとんど見えなくなってしまった。「ミミちゃん」呼ぶと反応したのに、反応しなくなる。4月末、ほえなくなる。5月2日、とうとうご臨終を迎える。私の腕の中で、満足そうな顔をしながら少しずつ冷たくなっていくミミちゃん。

自然死というものはどういうものか。介護体験をしながら、いろいろ考えさせられた。「ミミちゃんありがとう」。(随筆家、薬剤師)

トランポリンで宇宙へ 《食う寝る宇宙》85

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【コラム・玉置晋】仕事から帰ってくると、6畳の僕の作業部屋兼寝室に、直径1メートル、高さ20センチメートルくらいのトランポリンが置いてありました。寝る場所がないぞ。

「最近さ、運動不足だからヨガでも習いに行こう」と、ウチの奥さんに提案されたのが3月上旬。行きつけの床屋でその話をしたところ、マスターから、「ヨガ教室は女性ばかりなので、そこに男性が入っていくのはなかなか勇気がいるよ」と妙な圧を受けて、おじけづいた僕。

奥さんに「いや、女性ばかりのところにおっさんが入っていくのは、ちょっと」と抵抗してみたものの、奥さんに「大丈夫、大丈夫」と押し返されて、市のヨガ教室に応募したのが3月下旬。しかし、コロナ禍のせいか、4月上旬、生徒が集まらず中止になりましたと通知があり、少しほっとしていました。

そしたら奥さん、次の手を打って、トランポリンがやってきたというわけです。インターネットで調べてみると、トランポリン・ダイエットがはやっているらしく、きっかけは、どうやら、NASA(米航空宇宙局)が宇宙飛行士の訓練にトランポリンを取り入れたことのようです。

トランポリン・ダイエットの成果は?

トランポリンと宇宙の関わりといえば、2014年、ウクライナ情勢が悪化した時のこと。米国がロシアへのハイテク製品の輸出禁止措置を強化した際に、ロシアの副首相が「我が国の宇宙産業に対する制裁の影響を検討した結果、トランポリンを使って宇宙飛行士を国際宇宙ステーション(ISS)に送ることを米国に提案する」と言いました。

当時、米国のスペースシャトルは退役していて、ISSに宇宙飛行士を送る手段がありませんでした。宇宙であれ医療であれ、自国に技術とそれを運用する基盤がなければ世界では弱い立場になります。

その後、2020年に米国のスペースX社が宇宙船「クルードラゴン」の打ち上げを成功させた際には、スペースXのイーロン・マスク氏はジム・ブライデンスタインNASA局長(当時)との記者会見で、「トランポリンがうまくいった」と、トランポリンがネタとして使われています。

トランポリン・ダイエットの成果は如何ほどか? 半年後の僕の姿で立証できるでしょう。そうそう、市のヨガ教室は秋に再び募集をかけるそうです。こちらも注目です。(宇宙天気防災研究者)

憲法記念日に思ったこと 《つくば法律日記》16

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堀越氏の事務所がある「つくばセンタービル」

【コラム・堀越智也】コロナ禍という非常事態の下では、どちらかと言えば、憲法に関する議論は活発でなくなってしまうようです。なぜなら、憲法は国家権力を抑制するためにつくられたものですが、非常事態では、国家権力の発動により事態の解決を期待する方向にベクトルが向きやすいからです。

もちろん、菅首相がコメントしていたように、非常事態では憲法による国家権力への抑制を緩める議論は、コロナ禍で活発になります。しかし、せっかくの憲法記念日なので、コロナ禍であるために脇に置かれてしまった憲法の問題をゆっくりと思い起こす時間にしなければと思って過ごしました。

例えば、仮に楽観的に考えて、ワクチン効果が手伝って、コロナがある程度落ち着いたとすると、憲法に関する問題は山積みのはずです。

安倍前首相は、結局実現しなかったものの、憲法改正を積極的に進めようとしました。憲法改正には、国会の議決に加え、国民投票という厳しい要件があるので、簡単にはいかないにしても、油断しているうちに改正されてしまうのではないかと、心配になった時期もありました。

対中関係で9条の議論が再燃

米国の大統領にバイデン氏が就き、米中関係の影響を受けて、憲法9条の議論が再燃する可能性が大いにあります。現在のアジアでの中国の軍力と米国の軍力を比較すると、圧倒的に中国が勝っています。米国が日本に、今以上のことを求めてくることを想定しなければなりません。

これまで、憲法9条ないし自衛隊の活動範囲の問題は、中東やカンボジアなど、日本の国境から離れた地域の問題をめぐって議論されていましたが、お隣の中国との関係をめぐって議論がなされるとなると、それなりの恐怖感があります。

かつては巨大なマスメディアが君臨し、国民1人1人の政治的意見は届けにくかったのが、インターネットによりSNSの利用が広がり、国民が政治的意見を表現しやすい世の中になりました。その結果、国家権力の表現の自由に対する規制のモチベーションが高くなることに注意しなければなりません。

一方で、SNSを利用して誹謗(ひぼう)中傷される少数者を守るには、国民の表現の自由を一歩後退させざるを得ません。

コロナ禍であるがために、脇に置かれていた憲法問題を挙げればきりがなく、どれも重要な問題です。立ち止まって考える時間を与えてくれる憲法記念日の意義を、改めて痛感する令和3年の5月連休でした。(弁護士)

本当のこと、美しいもの 《ことばのおはなし》33

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【コラム・山口絹記】少し迷ったが、今回は本当のことについて書こうと思う。我ながら、思わせぶりな書き出しだ。何かについての本当のことを語るのではない。「本当のこと」そのものついて話してみよう。

多くの人々が共通の事物に関して本当のことを知りたいと思うとき、というのが、この世界では時折訪れる。多くの人々が求めるということは、すなわちその答えに需要があるということであり、需要があるということは価値があるということだ。

これが一般的な工業製品などであれば、製造には限界があり、対象の製品が品切れや生産中止になれば価値はうなぎのぼりになったりする。

しかし、本当のことは工場で作れるものではない。ざっくり言ってしまえば、私にもあなたにも、いくらでも作ることができる「ことば」だ。規格すら存在しない。需要があり、気軽に作れるからこそ、本当のことは氾濫する。

本当のこととはなんだろうか? 真実、事実、正しい解説、正確な情報? いくらでも言い換えはできるが、この手のことばを目にしたり聞いたときには、私は一歩引いてみることにしている。なぜなら、本当のこと、だとか、真実などというものは、世の中にたくさんあるからだ。求める人が多ければ多いほど、真実が一つになる可能性は低くなる。

私にとっての本当が、あなたにとっての本当であることもあるかもしれないが、そうでないことのほうが多い。この100年ぽっちの歴史を振り返って見ても、多くの人々が信じる本当が、時がたつにつれて当人たちにとっての本当ではなくなってしまったことなど、いくらでもある。

養われる審美眼が必要

つまるところ、本当のことというのは、自分にとって都合がよいことであり、いくらでも存在し、変容するからだろう。別に批判するつもりはない、そういうものなのだから。それでも、よく目にしたり、多くの人々が本当のことを大きな声で語っているときは注意しなければならないと感じている。

ならば、どうしたらいいのか、と言われてしまうかもしれない。ほら、どうしたらいいのかという問いに対する答えもまた、「本当のこと」だ。ここで私が何かしらの答えを提示してしまったら、それはまたひとつ、この世に本当のことを作ってしまうだろう。とはいえ、答えなどない、と投げ出すのも無責任なので、ここはひとつ、私のやり方を紹介しよう。

それは、「美しいものを探す」ことだ。本当でも、正しいでもなく、美しいもの。美しいと感じるものは自分で決めなければならない。美しいものを感じるためには、審美眼が必要だ。そして、審美眼というのは養われるものなのだ。それは、知識や経験、疑い調べ学び続ける意思に裏打ちされた直観だ。

そして、見つけた美しいものは、自分だけの大切なものとして胸の内にとどめておくことも、穏やかに日々を過ごすためのちょっとしたコツなのだ。(言語研究者)

100日目の米バイデン政権 《雑記録》23

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【コラム・瀧田薫】バイデン米大統領は、就任99日目の4月28日、上下両院合同会議で就任後初の議会演説に臨んだ。これは異例の遅さである。しかし、演説は、この短期間内に上げた成果を自画自賛し、さらなる目標の迅速な達成を予告する、自信にあふれたものであった。

バイデン氏が大統領選に勝利した直後、新政権の先行きを危ぶむ声が専門家の間で大勢を占めていた。しかし、100日目現在、新政権への評価は総じて高い。バイデン政権4月時点の支持率は59%(ピュー・リサーチ・センター)と、歴代大統領と比較すると高い方には入らない。しかし、トランプ氏の39%を大きく上回った。トランプ政権末期にあらわになった米社会の分断、分裂現象が依然として吹き荒れている中にしては上出来と言えよう。

さて、演説について筆者が注目するのは、バイデン氏が「世界に背を向けた前政権の姿勢とは決別し、同盟国との国際協調路線をとる」とし、同時に、「国外でのあらゆる活動は、米国の労働者(中間層)を念頭に置いて行う。外交と国内政策の間に、もはや鮮明な線引きはない」と宣言した部分である。

実は、この宣言は、数年前に発表された「報告書」が下敷きになっている。ヒラリー・クリントン氏が2016年の大統領選でトランプ氏に敗北した後、バイデン氏が主導して敗因を分析し、「中間層のための外交政策の見直し」と題する報告書を発表。それには、「外交エリートが支配する外交政策を国民の利益の観点から見直し、衰退する中間層に対する配慮を盛り込む」ことが強調されていた。

中間層のための外交政策の見直し

つまり、バイデン氏は、中間層支援策(国内政策)と外交政策を一つに組み込んだ政策パッケージを早くから用意し、大統領就任と同時に満を持して打ち出したのである。

トランプ氏によって取り込まれた米中間層の支持を民主党に取り戻さなければならない。同時に、中国というライバルやコロナウィルスや地球温暖化という誰も経験したことのない外部要因にも立ち向かって、トランプ政権との違いを際立たせたい。この「中間層のための外交政策の見直し」という、一見ちぐはぐに見える政策パッケージは、多正面作戦を強いられた政権のいわば「苦肉の策」なのかもしれない。

いずれにしても、バイデン政権は時間に追われている。来年の米中間選挙において、復権を狙うトランプ氏と共和党に対し、この政策パッケージが切り札になるだろうか。そうならなければ、現在バイデン与党(民主党)が辛うじて維持している上下両院における多数が崩れ、バイデン政権は一気に「レイムダック」に転落する。

ところで、菅首相とバイデン氏の首脳会談の内容はどのようなものだったのだろうか。その中身の詳細は追々明らかになってくると思われるが、それとともに、両政府の対応能力、特にスピードの違いが目立ってくるものと予想される。(茨城キリスト教大学名誉教授)

つくば市長の名誉毀損提訴 近く裁判開始《吾妻カガミ》105

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】つくば市長の五十嵐さんがミニ新聞の記事に名誉を毀損(きそん)されたと裁判に持ち込んだ件については、本欄でも2度ほど取り上げました。その審理が5月半ばから水戸地裁土浦支部で始まるそうです。今回は、訴状で名誉を傷付けられたと主張している22箇所のうち、「総合運動公園用地返還交渉の回数」と「市職員増=人件費増の読み方」について検証します。

原告・市長の主張は「言い訳」

先のコラム「名誉毀損提訴を笑う」(3月1日掲載)と「名誉毀損提訴を検証する」(4月5日掲載)では、記事と訴状を読み込んで、▼総合運動公園用地返還「公約」は、返還の実現(記事)VS単なる返還交渉(訴状)、▼谷田部給食センター建設「補助金なし」は、当初からの計画(記事)VS県との交渉不調の結果(訴状)―と整理しました。その詳細と私の「判定」については、青字でリンクを張った上記コラムをご覧ください。

ざっくり言うと、いずれも、五十嵐さん側の論述は「言い訳」に終始しているということです。ミニ紙の市政批判記事を「フェイク(虚偽)」と主張するこの提訴、五十嵐市政にプラスではなく、マイナスに作用するかもしれません。

「返還交渉」は「アリバイ作り」?

▼検証「運動公園用地返還交渉の回数」:ミニ紙が「(公約では都市再生機構=URと用地を返還する交渉をすると大見えを切ったのに)わずか1度交渉しただけで(返還を)断念した」と書いたのに対し、訴状で「複数回の交渉を行っている」と反論している箇所です。原告の主張は、複数回交渉しているのだから、交渉は1度だけという記事は間違いであり、市長としての名誉を毀損された―という組み立てになっています。

複数回とは何回なのか? 市が議会に提出した資料(今年2月19日付)によると、たった2回だったそうです。市長がUR首都圏ニュータウン本部を訪ね、「市の意向を伝えた」のが1回目、「文書による回答を求めた」のが2回目。市長選挙時の熱い返還キャンペーンを思い起こすと、やる気に欠ける「アリバイ作り」のような交渉でした。それに、1回も2回も「わずか」ですから、裁判でその回数を争うのは「喜劇」ではないでしょうか。

市人件費の著増は「ファクト」

▼検証「市職員増=人件費増の読み方」:ミニ紙が「(五十嵐市政3年目の人件費は前市長時代の人件費に比べて年間)7億6500万円も増えており、(前市長時代の)努力が水泡と消えてしまいます」と、行革の後戻りを批判。これに対し訴状で「あたかも原告の施策により市の税金を無駄に使っているかのように誘導するもの」と論述している箇所です。

この記事は「市総務部人事課資料」を使って書かれており、4年前に比べ、正規職員が195人、非正規職員が326人増え、その結果、人件費が年7億数千万円増えたことを示すデータも掲載されています。問題はこの数字をどう読むかですが、五十嵐市政の行革の「緩さ」は否定しようがありません。ミニ紙の筆が走ったとしても、記事の数字は「ファクト(事実)」であり、フェイクではありません。(経済ジャーナリスト)

障害ある児童への養育支援 《介護教育の現場から》6

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福祉専門校の学習風景(今回コラムとは関係ありません)

【コラム・岩松珠美】東京都港区南青山に4月1日、児童相談所などが入る複合施設「港区子ども家庭総合支援センター」がオープンした。ここは、子育て中の人を支援する「子ども家庭支援センター」、専門性の高い職員が児童虐待や非行などに対応する「児童相談所」、子どもの養育に支援が必要な母子が入る「母子生活支援施設」から成っている。

この施建設をめぐっては、地元の一部住民が「南青山のブランドイメージにふさわしくない」などと反対したことがあり、その報道を覚えている方もいると思う。コロナ禍で、児童虐待の相談受理数が増加。子どもへの支援とともに、子育て力が乏しい保護者も支援する必要があり、これら3施設の開所は時宜を得たものといえる。

出産や子育て環境が整わない生活環境下で、妊娠から出産、出生した子どもの養育に継続的に寄り添うシェルターの整備が地方でも進んでいる。生まれてくる子どもに最善の生活環境を提供するには、既存の乳児院や児童養護施設だけではなく、里親制度や特別養子縁組制度のような、家庭に近い養育を受けられる制度の整備が進んでいる。

「あすなろの郷」「つくし学園」

最近の傾向として、これらの施設や制度に託される子どもたちには、重度の疾患や障害を持って生まれてきたことで、わが子として受け入れることができず、家庭から離されるケースが増加している。こういった子どもたちには、重度心身障害児入所施設のような場所は少ない。水戸市の「あすなろの郷」でも、医療型障害児入所施設・療養介護事業所としては定員40名ほど。

親元で養育されている障害を持つ子どもたちは、土浦市の「つくし学園」のように療育センターで支援を受けながら、義務教育期間は特別支援学校などで教育と療育を受けられる。これらの制度の多くは18歳までの支援体制である。その後、数少ない障害者の通所デイサービスか、通所作業所を見つけるのが大変で、地域社会での受け皿がとても不足している。(つくばアジア福祉専門学校校長)

そんなことも分からないの? 《続・気軽にSOS》84

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【コラム・浅井和幸】もう20年ぐらい前になるでしょうか。ある女性と2人で酒を飲んでいました。いつも笑顔で朗らかなAさん。なんでもおいしく食べて飲み、どんな話もうれしそうに話をする女性でした。ところが、こちらから何気ない質問をしたら、突然泣き出してしまいました。

突然どうしたのか訳が分かりません。「どうしたの?」と聞くと、質問にうまく答えられないので怖くなったのだと言います。「どうして怖いの?」と聞くと、みんなが自分のことをバカだと言うとのこと。そこからの会話は次の通りです。

浅井「今、2人で飲んで会話しているよね。なんで、みんながバカだというと思うの? それとも、浅井にバカにされていると思うの?」

Aさん「小さい時から、みんながバカだと言うの。分からないから、どうして?と質問しても、そんなことも分からないのかって、みんながバカにするの」

浅井「そうなんだ。でもそれは、Aさんの質問に周りがうまく答えられないから、そんなことも分からないのかと、逃げているだけだね」

Aさんは、とても理解力があり、順序立てて説明をすると、たくさんのことを身に着けていける人でした。分かった気になって物事をやり過ごすことが下手だったので、疑問をよく人に聞く子どもだったそうです。

でも、あまり質問を続けると、周りが怒り出してしまうこともあったそうです。「そんなことも分からないの?」の言葉が怖くなり、質問をすることもされることも怖くなっていったそうです。

分からないことを分からないと言える勇気

事実や言葉に対して理解力がある人が、理解力や表現力がなく強がる人から強い言葉で責められ、押さえつけられて、事実が何であるか分からなくなり、恐々と生きるということが少なからず起こります。

そんなことも分からないの? なんで失敗するんだ? もっと早く相談に来てくれればよかったのに。このような言葉で、相手を責めることで得られることは、ちょっとした自尊心と責任逃れぐらいが関の山です。問題解決にはほとんど役に立ちません。

物事に対して理解力があるからこそ、分からないことを分からないと考えられる。それを、分かることも分からないこともゴチャ混ぜにして分かった気になっている人にたたかれ、質問することどころか、さらに理解しようという気持ちをそがれていく。とてももったいないことですね。

分からないことを分からないと言える勇気、そして環境はとても大切です。どこまでが理解できてどこからが理解できないのか。その境目が、勉強、練習、訓練をする部分なのですから。そこが把握できることが、成長につながる大切な部分です。

もちろん、分からないところをそのままにして前に進んで、ある所でつながって、そのままにした分からないところが、いつの間にか分かるようになることもあります。ですから、あまり一面からだけにとらわれないことは、とても大切です。(精神保健福祉士)

和食の合言葉「まごわやさしい」 《食とエトセトラ》12

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霞ケ浦総合公園=土浦市大岩田

【コラム・吉田礼子】「茨城県は健康寿命が高い県」ということはあまり知られていないかもしれない。平均寿命は、男性が80.2歳(34位)、女性が86.3歳(47位)だが、健康寿命は、男性が72.5歳(9位)、女性が75.5歳(8位)と上位に。おいしい食材が身近にあって手に入りやすく、気候にも恵まれているからだろうか。

ご存じの方も多いと思うが、今回は「まごわやさしい」という言葉で、健康寿命上位の背景を読み解きたいと思う。

豆、ゴマ、ワカメ、野菜、魚、椎茸、イモ

:豆類。日本人の昔からのタンパク質供給源は、大豆、小豆、黒豆。加工して、味噌や納豆などの発酵食品、高野豆腐、湯葉(ゆば)など。 保存性を高めるために、発酵や乾物にする生活の知恵に脱帽。

:ゴマ。そのほか、クルミ、落花生。リノール酸が含まれる油脂、ミネラル、食物繊維が多い。すりつぶして、ゴマあえ、ゴマ豆腐などに。精進料理にも欠かせない。

:ワカメ。そのほか、ノリ、コンブ。塩蔵、乾燥させたものを戻して味噌汁や煮物でいただく。だし(グルタミン酸)として和食に欠かせない。食物繊維も豊富。

:野菜。緑黄色、淡色野菜など。ビタミン、ミネラル、食物繊維が豊富。生でも煮ても蒸しても、四季折々合った食べ方ができ、体の調子を整える。

:魚類。食べ方は、生、焼く、煮る、蒸す、揚げる…。海に囲まれた日本人には必要不可欠な食材。川や湖でも、川魚、小魚、貝類。乾燥・塩蔵して、だしとしても欠かせない。

:椎茸(しいたけ)などキノコ類。ミネラル、食物繊維が豊富。乾燥して、だしとしても優れもの。

:イモ類。炭水化物だけでなく、食物繊維も多い。忘れないように取り入れたい。まずはご飯(胚芽米、古代米、五穀類を入れ)。

和食は高齢者の食事のようにも見えるが、若い人にとってもどこかホットする食事。冷凍、冷蔵、缶詰め、ビン詰めなど上手に活用を。人は今日食べたものでつくられており、日々の食事を大切に。(料理教室主宰)

「端午の節句」の食べ物 《県南の食生活》24

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かしわ餅

【コラム・古家晴美】もうすぐゴールデンウイークだ。時節柄、自粛生活を選ばれる方も多いだろう。今回はゴールデンウイーク中に迎える端午の節句について触れてみたい。単語の節句の食べ物といえば、最初に思い付くのが柏(かしわ)餅かもしれない。現在では和菓子店の店頭に並ぶが、最近まで自宅で手作りすることが普通であった。

初節句のときに、お祝いをいただいた家に柏餅をお返しとして配った(牛久市、かすみがうら市、つくば市、土浦市、龍ケ崎市、阿見町、行方市など)。柏餅以外に、白い餅(かすみがうら市、行方市)や草餅(稲敷市、つくば市、行方市)を配ったり、赤飯をふかして食べることもあった(稲敷市、つくば市、龍ケ崎市)。

県北地域や鹿行地域では、柏餅のほかに、しんこ餅(米粉の餅に食紅で赤や緑の色を点々とつける)を作ったり、柏の葉がない家では、茗荷(ミョウガ)の葉や朴(ホオ)の葉を用いることもあったと言う。

さらに全国的に見ると、その多様性に目を見張る。柏餅とちまき、笹(ササ)団子、笹餅などが入り乱れて分布しており、一概に「東の柏餅」「西のちまき」とは言い切れない。

シンプルに見える「ちまき」でも、中身がもち米のもの(山形県)、米粉のもの(山形県)、両方をブレンドしたもの(福井県)、小麦粉のもの(徳島県)、包む葉が笹(新潟県、山形県、新潟県、富山県、福井県、大阪府、三重県)以外に、カヤ・ヨシの葉(愛知県、奈良県、兵庫県、徳島県)、あるいはススキの葉でつと状に包む(愛知県)など、さまざまだ。

子どもの成長と家の繁栄を願う

柏餅も、柏の葉以外に、サルトリイバラの葉(三重県)や朴の葉(静岡県)を用い、これに干だらを添えて、お祝いのお返しとする(東京都、埼玉県)。中身に米粉以外に、もち米・粟の粉・きびの粉(静岡県)を用いることもある。

むろん、この他に、初節句の来客に対しては、銘々膳もしくは大皿で、天ぷら、白和え、キンピラなど、地域によっては、刺身、煮魚、色とりどりの太巻きずしなどのご馳走が出される。

ところで、奈良県には、特大のちまき2本と柏餅をイグサで縛り付けた「ふんぐり」という行事食がある。これは、特に入り婿した家で初節句を迎える際に、婿の実家に贈られていた。男性の象徴であることは、形態からも名称からも容易に想像がつく。

このように、節句のごちそうは、気候や産物などが深く関わり生み出された行事食だが、その根底に流れる子どもの成長と共に家の繁栄を願う切実な思いは、共通している。今日でも、形を変えつつ、子どものイベントで作られる行事食として「こんぐり(こふんぐりが語源)」が生き続けている所以(ゆえん)ではなかろうか。(筑波学院大学教授)

島の赤いレンガの建物 《平熱日記》84

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【コラム・斉藤裕之】レンガの建物は珍しい。地震が多く多湿な風土にも不向きなのだろう。ゆえに示準(しじゅん)化石のようでもあるし、その当時の経済や文化の状況を示す示相(しそう)化石のようでもある。横浜の赤レンガ倉庫や牛久シャトーのようにその時代の繁栄を象徴するかのように残っているものもあれば、忘れられたかのようにひっそりと佇(たたず)むものもある。

京都南禅寺で出会った水道橋や、引っ越してきた当時見つけた龍ケ崎のレンガの門がそうだった。

それにしても、幼少期から何度もこの島を訪れていたのに気が付かなかった。夏に展覧会を予定している、ホーランエー食堂のある郷里の粭島(すくもじま、山口県周南市)を訪れたのはまだ桜の残るころ。半分は釣り目的。打ち合わせが終わって、車窓からちょっとだけ見えた赤い建物。

言われなければわからないほどの、短く平たんな橋で半島とつながっている小さな島、粭島。ちなみに粭とは籾殻(もみがら)のことで、名前の通り籾殻の山のような形をしている。島の南側は険しい岩場で、なおかつ波や風がもろに当たるのだろう、民家は島の北側の海っぺりに集まっている。

今は廃校となっている2階建ての小学校も、学校にしては珍しく北向きの校舎だ。その建物も十分趣があるのだが、そのすぐ近くに1棟のレンガ造りの建物があるという。「これが売りに出ちょるんよ」と運転席の弟。

瀬戸内海は穏やかな海だ。埼玉育ちのカミさんなどは、初めてこの海を見たとき、「みずうみ?」とこぼしたほどだ。実はこの内海でシーカヤックを駆って釣りを楽しむ弟は、常々この島でのシーカヤックでのレジャーの可能性を考えていたという。その拠点としてこの赤いレンガの建物に目をつけたらしい。

また、最近はサイクリングの目的地として、この島までは市街地から程よい距離にあり、最高に気持ちのいいコースとのこと。実際、私たちがホーランエー食堂で名物の「ジャコ天そば」をごちそうになっていたとき、サイクリングのユニフォームを着た女性が入って来た。

いよいよ斉藤画伯の美術館か?

そういえば今から30年ほど前。「赤レンガの東京駅を残す運動」というのがあって、当時有名な文化人に混じって大学の恩師がそこに名を連ねていた。その保存活動の一環として、赤レンガの東京駅の絵を描いた子供たちの絵を隣接する百貨店に展示する手伝いをしたことを思い出した。そうやって東京駅も今の姿を残した。

そこで急にイメージがわいてきた。あの建物に展示スペースも作ろう。シーカヤックは天候や季節の影響も受けるだろうし…。いよいよ斉藤画伯の美術館か? 弟の長女が最近描いているボールペンによる作品の展示もいいな。先立つものはないけど、夢想するのは絵描きの得意とするところだ。

まれに、考えていることが世の中の出来事とシンクロすることがある。今日も暗闇の中の散歩を終えて新聞を開くと、日立の高校生が「カラミ煉瓦で町おこし」なる記事を見つけた。やはりレンガの赤は人を引きつけるらしい。(画家)

福島第1の汚染水、海洋放出へ-問題点は 《邑から日本を見る》86

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18日、いわき市で開かれた「廃炉・汚染水・処理水対策福島協議会」の様子

【コラム・先﨑千尋】政府は今月13日、東京電力福島第1原発で増え続ける放射性物質を含んだ処理水を海洋に放出する方針を決め、18日にいわき市で「廃炉・汚染水・処理水対策福島協議会」を開き、地元市町村長、漁連、農協など関係者にその方針を伝えた。県内の首長や団体代表から意見を直接聞いたのは初めて。

それに対して、「放出には反対。政府の方針は関係者の理解を得ておらず、国、東電への信頼性に疑問がある」(野崎哲県漁連会長)という声をはじめ、「方針を決めた後で説明するということは、結論ありきではないか。海洋放出は、漁民だけでなく県民全体にも影響を及ぼす。正確な、透明性のある情報を出してほしい。海洋放出による損害は、風評ではなく実害だ」など、政府の方針に批判的な意見が多く出された。

しかし、政府や東電の答弁は「今回の意見は今後の検討に反映させたい」などというもので、具体策には触れなかった。今回の経過を取材したが、そのなかで私にはいくつか疑問が湧いた。

東電は2015年に県漁連に「関係者の理解なしにはいかなる処分も行わない」と文書で約束している。今回の政府の決定では、このことには触れていない。地元との約束を守らず、「丁寧な説明をする」と言われても、誰が信用するのだろうか。「国が決めたのだからそれに従って放出する」と、東電は主役のはずなのに脇役に回って、他人事のようだ。

第一番に、被害を受ける漁業関係者らが反対しても、国と東電はそれを無視して海洋放出する。沖縄・辺野古への新基地建設と同じ構図ではないか。

もう一つは、風評被害(実害)に対する賠償問題だ。東電は16日に公表した賠償方針で「期間や地域、業種を限定せずに賠償する」と明記した。商品やサービスの取引量の減少、価格の下落などに基づき、損害額を算定する。しかし、その基準はまだ決まっていない。風評と損害の因果関係を厳しく審査され、被害があっても救済されないこともあり得る。

事故賠償と同じことの繰り返し?

東京電力福島第1原発の事故に伴う賠償を求める方法は、東電への直接請求と、国の原子力賠償紛争解決センター(ADR)への提訴、訴訟の3つがある。

このうちADRへの申立件数は、2020年末現在で約2万2000件。このうち約6000件は和解に至っていない。私と交流のある飯舘村の菅野哲さんらは、ADRが示した和解案を東電が拒否したため、訴訟に持ち込んだ。この10年の経過を見ていると、賠償するかどうか、またその金額は、東電が決めること、としか思えない。

今度の汚染処理水の海洋放出がなされれば、原発本体の事故の際の賠償と同じことが繰り返されるのではないか。

朝日新聞は19日の紙面で「処理水を放出しても、雨や地下水の流入で増える汚染水が処分量を上回るので、(処理水をためる)タンクの増設は避けられない」と報じている。そうだとすれば、「廃炉作業のスペースを確保するために処理水を放出する」という政府の方針とは食い違うことになる。国、東電はどうするのだろうか。(元瓜連町長)

宇宙が観光地に 《食う寝る宇宙》84

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【コラム・玉置晋】先日、映画館に行きました。どうしても、映画「シン・エヴァンゲリオン」を見たくて。ウチの奥様はエヴァには全く興味なくて、休日朝イチの回にオッサン1人で行きましたとも。僕はオッサンだけれども学生証を持っていますので、映画は学生料金で見ることができます。

ところが、今回、映画館のアルバイトスタッフの方に「学生ですか?」と、けげんそうに止められてしまいました。「学生証を見せてください」と言われたので、「はいはい、どうぞ。オッサンだけど社会人学生なのです!」と、学生証を確認してもらいました。すると、このスタッフさん、「おお、すごい、私も将来、社会人学生をやってみたいです」と言ってくれました。

社会人学生というステータスも悪くないね、とニコニコしつつ、自分がオッサンと認知されて止められたことに、ちょっぴりセンチになりました。

「シン・エヴァンゲリオン」の宇宙描写

新世紀エヴァンゲリオンが最初にテレビで放映されたのは、1995~96年でした。僕が高校生のころです。巨大ロボット兵器エヴァンゲリオンに少年少女が乗り込み、使徒と呼ばれる謎の敵から人類を救うという、シンプルなお話では済まず、大変に難解なストーリ展開をしていきまして、実に25年にわたり僕の心をわしづかみにしてくれました。

95~96年の作中では、エヴァンゲリオンが「ロンギヌスの槍」を投てきし、衛星軌道上の使徒をせん滅しました。しかし、槍は地球の重力圏を脱して、月の周回軌道に移行し、現代の技術では回収不能であるというくだりがありました。

しかし、2009~21年にリビルドされて公開された「シン・エヴァンゲリオン」では、普通に衛星軌道上での作戦行動が描写されています。今や衛星軌道上の活動はSFでも何でもなくて、ひと昔前までの「宇宙開発」のブランドは「月軌道および月面開発」になるのかしら。

じゃあ、ひと昔前の「月面探査」ブランドは「火星探査」になるのか。今は宇宙開発のフィールドが変わる過渡期にあるのでしょう。

じゃあ、「衛星軌道」の立ち位置はどうなるかというと、南極が探検の地から観光地になったのと同様の運命をたどるでしょう。10年以内に高度400キロぐらいまでは、観光地になるに違いない!と思っていたら、旅行雑誌で「宇宙旅行」が特集されたり、ワクワクする時代です。(宇宙天気防災研究者)

教育も医療も役立たない「時代の変化」 《くずかごの唄》84

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】今の中学1年の時、疎開先で敗戦を体験した私は、3年生の時に都立校の転校試験を受けるために、母、妹、弟よりも一足早く東京に帰ることになってしまった。

父と兄と3人の生活は精神的に大変だった。慶応大生の時、学徒動員で土浦海軍航空隊(阿見町)に入隊し、軍隊の訓練を受け、敗戦で家に帰って来た兄は、どういうわけか昔の兄ではない。まったく別の人間になってしまっていた。航空隊で何か重大な事件があったらしいが、何も言わないので皆目見当がつかない。「死にたい」とだけ言って、家を出てしまう。

航空隊に入る前、彼には結婚を約束した恋人、明子さんがいた。しかし、戦争に駆り出されて死ぬ覚悟なので、彼女を一生しばりつける結果になってしまうと、婚約を解消してしまった。夏休みには、安房大原にあった彼女の家の別荘に連れて行ってもらった。明子さんは、私が集団疎開する時も、少女向けの本を10冊送ってくれた。この本にどれだけ慰められたかわからない。私も大好きな人だった

「死にたい」と墓地を歩き回る兄

兄自身、死を覚悟して、婚約も解消し、入った軍隊。友達がたくさん死んだのに、自分だけおめおめと帰って来て、どうしていいかわからない。焦り、いら立ち、「死にたい、死にたい」と言って、墓地を放浪する。

「お兄ちゃん、お兄ちゃん、出てきてください」。兄の名を叫びながら、真夜中の多摩墓地を歩きまわって兄を探したこともあった。多摩墓地がこんなに広いとは思わなかった。喉がカラカラになり、怖かったが、怖いとも言えない切迫感があって、兄の死をくい止めるために、何とかするしかない。15歳の私には歩き回るしか知恵がなかった。

父もほとほと困りはて、父の尊敬する先輩・小泉信三氏に相談。彼の形だけの私設秘書として採用してもらい、話し合ってもらう作戦に出た。教育も医療も役立たない時代の、大きな変化の中の若者の心理。「性格の合う人、歴史の変化を読める人、そういう人を見つけて、少しずつ歩み寄ってもらうしかない」と、考えたのだろう。(随筆家、薬剤師)

日本の子どもは可哀そう 《ひょうたんの眼》36

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踊り子草

【コラム・高橋恵一】青年海外協力隊員として東南アジアに派遣された青年の経験談である。優れた日本農業技術で作物を育てたところ、高温多湿の気候の効果もあって、半年でそれまでの1年分の収穫ができた。現地農民は、大喜びをした。次に、協力隊員は、後半の作付けに取り掛かろうとしたところ、農民は動かない。1年分の収穫ができたのだから、もう働く必要がないというのだった。30年前のことだ。

青年海外協力隊員は、苦笑しながら、現地農民の経済感覚を伝えてくれたが、今なら、ゆとりのできた時間や資金をどう使うかを考えたかも知れない。

日本では、高度成長期から、成果をひたすら企業資金力の強化に回し、労働時間の短縮やセーフティーネットの構築、地球環境の改善・保護に回すことはほとんどなかった。

それから30年。日本の幸福度ランキングは、世界で56位。韓国とピッタリ寄り添って、ロシア、中国の少し上位に位置しているが、OECD(経済協力開発機構)37カ国のうち最下位レベルだ。

我々の生活レベルを考える時、「昔」と比べると、格段に忙しさが変わって来ている。拘束された忙しさ、義務的な忙しさである。

日本の幸福度を改善するためには、就業時間を短縮し、最低賃金を思い切り上げればよい。毎日の労働時間を7時間、週35時間以内にすれば、全く違う世界が見えてくる。当然、フレックスタイムが導入され、満員電車も解消する。生産力を維持するためには、雇用を拡大しなくてはならない。女性の役割が大きくなり、より多様性が拡大する。変化への原動力は、格差社会の解消である。

授業の内容は詰め込み過ぎ

ところで、日本では、子どもも忙しい。授業時間中の学習内容は、詰め込み過ぎであろう。高校や大学の入試の時まで覚えておけばよい「知識・学力」を、詰め込まれるのだ。児童生徒の学力は、小学5年生までと中学2年生までをしっかり押さえておけば、その後の進学や社会生活に対応して行けるといわれている。

それ以上、宿題や学習塾で忍耐力を養う意味があるのだろうか。一時「ゆとり教育」の取り組みもあったが、結果の評価もされないうちに、また逆戻りしてしまった。親たちが子どもの自立能力を信じられなかったことと、教師の側に「ゆとり教育」を遂行する力量がなかったということだろう。

学校の授業が終了すると部活である。部活は、児童生徒の個人的趣向というより、スポーツや合唱・管弦楽など、競争的成果を求められる分野が多い。学校対抗の各種大会が行われ、必然的に過度の練習と勝利への忠誠が求められる。

スポーツ部門をはじめ、多くの部活の集団活動、団体行動の端々に、旧日本陸軍の行動規律を見てしまうのは私だけだろうか。楽しむより、勝つこと。勝つことより、指導に従うことになってはいないか。

近年は、皆勤賞もなくなりつつあるというが、例えば、ゴールデンウイークや夏休み以外の時に、家族旅行などの欠席を認めたらどうか。欠席時間の補習体制を整えれば、真の体験学習ができるだろう。(地図好きの土浦人)

里山の春はにぎやか 《宍塚の里山》76

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写真は、①シュレーゲルアオガエルの卵塊、②鳴くアマガエル、③里山の上空を飛ぶサシバ、④アマガエル。⑤シュレーゲルアオガエル

【コラム・及川ひろみ】本格的な春、里山はとてもにぎやかです。谷津田(やつだ)で明るくコロコロ鳴くのは、シュレーゲルアオガエル。姿はなかなか見られませんが、目の高さの樹木の葉の上、枝に鎮座しているのが見られます。アマガエルより大きく、時に黄色の水玉模様が体全体に見られるものもいます。

また、田んぼの縁をよく見ると、アメリカザリガニが空けた穴に真っ白な泡の塊を見つけたら、しめしめ。このカエルの卵塊。多くのカエルは水の中に卵を産みますが、このカエルの仲間は突き出た枝や湿地の枯草の隙間などに生みます。シュレーゲルアオガエルの小さなオタマジャクシは、雨降りのときに田んぼに滑り降ります。

このオタマ、他のカエルの卵と異なり、卵塊の中のたまごの色は黄色。生まれたオタマジャクシは、最初は薄茶、間もなく色が濃くなります。

木の上で大きな声でケケケケケと鳴くのは、ニホンアマガエル。汗ばむような暑い日に、よくこの声が聞かれます。夜になると、あちこちで「ゲロゲロゲロ」とにぎやかに鳴きます。人が近づくと、ピタッと一斉に鳴き止みますが、そっと探すと鳴いている姿が見られます。口の下の皮膚を風船のように大きく膨らませ、懸命に鳴くアマガエル。

田んぼは平らなようでも、懐中電灯で照らして探すと、あちこちに水の上にできたわずかな陸が方々にあり、その上や、草が茂る根際などで懸命に鳴くカエルが見られます。

今年も「田んぼの学校」がスタート

それにしても、昼間は樹上でケケケ、夜は田んぼでゲロゲロと、日中と夜では居場所も声も全く異なります。若いころ、木の上でケケケと鳴く生き物の正体が知りたいと、よく目を凝らし探したものです。ようやく正体が分かった時の驚き、今も新鮮によみがえります。

今ごろの田んぼをのぞくと、♪型のオタマジャクシがたくさん泳いでいます。ニホンアカガエルのオタマジャクシ。寒い時期に産み付けられた卵から生まれたオタマジャクシは、もうすぐ子ガエルになって陸に上がります。

上空からは、里山の鷹「サシバ」が春を謳歌(おうか)しています。サシバがひなを育てるときには、カエル、ヘビがたくさん必要です。里山では毎年、複数のサシバのひなが育っています。

認定NPO法人「宍塚の自然と歴史の会」では、親子で田んぼ体験、食育、自然学習などを行う「田んぼの学校」が今年も始まりました。参加者は41組の親子約100名。密にならないよう数回に分け、種もみをまきました。近隣の幼稚園、保育園の子どもたちも里山の自然を求めてやって来ます。

春の里山には、子どもの声がこだましています。よい季節になりました。皆さまもお越しください。(宍塚の自然と歴史の会 前会長)

たゆたう歌物語① 都鳥 《遊民通信》15

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水墨画都鳥

【コラム・田口哲郎】
前略

コロナ禍になる前は、本郷キャンパスに通うのに、JR上野駅から上野公園、不忍池の弁天堂を通って、池之端門から構内に入っていました。東大病院の裏手にその門はあり、坂を登ると安田講堂の裏に出ます。さらに坂を登ると法文1号館という建物があり、文学部の講義は主にそこで行われているのです。

さて、不忍池の鳥の話です。池にはハトやスズメ、カモが集まり、さながら鳥の集会所のようですが、その中でひと際目を引く鳥がいます。ユリカモメです。東京は臨海都市ですが、上野辺りに海沿い感はありません。

でも、カモメがいる。吉本ばななが銀座に行くと潮の香りがする、とどこかに書いていましたが、カモメを見ると淡水の不忍池にも潮の香りが漂ってくるようです。ユリカモメは東京都の鳥になっていますから、特段珍しい鳥ではないのでしょう。少し釣り上がった目が愛らしく、立ち止まって眺めていました。ふと、口をついて出たのは、

名にし負はば いざ言問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと

という和歌です。これは『伊勢物語』第九段「東下り」と『古今和歌集』に収録されている在原業平の歌で、京都から下った業平が隅田川沿いで都に残してきた恋人に想いをはせて詠んだ歌です。

郷愁を誘う鳥?!

そういえば都鳥ってどんな鳥なんだろう、とスマホで検索してみると、ユリカモメだと分かりました。都鳥は郷愁を誘う鳥なんでしょうか。なんだかしみじみしてきて、私の故郷はどこなんだろう? と考え始めました。

当時、宗教学の講義を受けていたのだと思います。人はどこから来て、どこへ向かうのだろうか? 人間には霊魂というものがあるんだろうか? あるとしたら死後どこへ行くのだろう? もし霊魂などなくて、死んだら体が原子に分解されるだけだとしたら…。

あらゆる宗教は死後の生命を前提に成り立っています。死んでも「わたし」は「わたし」なのです。人はそう思いたいのです。はかない命は終わらない、と。でも、死んでも「わたし」が存続することが本当に幸福なんでしょうか? 死んだら、超新星爆発した星の欠片が宇宙空間に飛び散るように、我々の体も原子になって地球上を風に乗ってさまようのだとしたら。それはそれで救いのあることなんじゃないか?

いや待てよ、やっぱり「わたし」は「わたし」でいたいんだな…。揺れ動く心で、都鳥ことユリカモメを見ていると、1首浮かびました。

都鳥 告げて鳴くのは わたつみの 果てにあるらむ 極楽のさま

やはり、どこか遠くに、霊魂が帰ってゆく楽園があってほしいと思います。愛らしい都鳥はキョトンとしていますが、ちゃんと楽園を知っていて、我々に知らせているのかもしれません。不思議な鳥です。

ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

つくば市の注目案件 2つの変な話 《吾妻カガミ》104

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】今回はつくば市政の注目案件、総合運動公園用地処理とセンター地区再生会社を取り上げます。それぞれ、4月初めにある動きがあり、何か変だな~と思ったからです。市政モニターを売りにするこのコラム、ネタが尽きることはありません。

「防災倉庫」案はまだ生きている?

市は4月1日、運動公園計画用地をどう使ったらよいかアイデアを出してくださいと、民間の業者さんに呼び掛けました。市は「サウンディング」と言っていますが、市には知恵がないので活用法を教えてくださいと、業者さんにお願いしたということでしょうか。入札の一つの形である「プロポーザル」(案件に対する企画提案)ではなく、あくまでもご意見拝聴です。

詳しいことは、本サイトの記事「民間へ、また市場調査開始」(4月1日掲載)をご覧ください。見出しに「また…」とあるように、市長2期目の五十嵐さんは1期中にも同じようなことをしていますから、この案件では2度目のサウンディングになります。

何か変だなと思ったのは、アイデア募集要領に「敷地全体の一体的活用法、または分割しての利活用法などをお示しください」と書かれていた点です。運動公園用地については、2月19日、敷地の3分の1ぐらいを防災倉庫とヘリポートに活用する市案が議会に提出されており(「市長の手法に異議相次ぐ」=2月20日掲載)、この構想は一体どうなったのでしょうか?

五十嵐さんに確認したところ、防災施設案はまだ生きているそうです。そうであればそうと募集要領に書いておかないと、業者さんは防災施設案をどう扱うべきか迷ってしまいます。それとも、「防災倉庫+ヘリポート」案はあまり評判がよくないので、無視しても構わないと暗に言っているのでしょうか。

センター地区再生会社社長のお仕事

もう一つの注目案件、センター地区再生会社も4月1日に動き出しました。市が筆頭株主になった再生会社の概要については、「まちづくり会社社長に内山博文氏」(3月4日掲載)と「まちづくり会社 1日設立」(4月1日掲載)をご覧ください。

こちらの「何か変」は、社長に選任された内山氏のことです。上のリンク記事にもあるように、同氏はTXつくば駅前ビル「クレオ」(主テナントは撤退した西武百貨店)の再生計画を市の委託で策定した方です。ところが五十嵐さんは、その計画では議会の賛意が得られないと読み、関連予算案の議会上程を見送りました。

つまり、内山氏は「ボツ」になった計画の策定者です。それなのに、クレオを含むセンター地区再生を使命とする新会社の責任者に起用されるとは、実に不思議なことです。

しかも、先の記事によれば、内山氏は「つくば市には最低限、週1回は来て、指揮を執る」という仕事のスタイルのようですから、社長というより顧問に近い役回りではないでしょうか。業務を切り盛りする事実上のトップは、市から派遣された小林遼平専務と考えた方がよさそうです。お疲れさまです。(経済ジャーナリスト)

正岡子規『水戸紀行』追歩(6) 《沃野一望》26

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志筑の田井(かすみがうら市)付近からの筑波山

【コラム・広田文世】 灯火(ともしび)のもとに夜な夜な来たれ鬼 我(わが)ひめ歌の限りきかせむ とて

明治22年(1889)、東京から水戸へ友人を訪ねて歩き出した正岡子規は、土浦市内をぬけ真鍋の急な石段を上がる。高台より霞ケ浦を俯瞰(ふかん)する。令和の時代の土浦市民としては、霞ケ浦を眺望していただいたことが、悪印象を残してしまった土浦の、せめてもの救いになる。

「この断崖に立ちて南の方を見れば果して広き湖あり。向ひの岸などは雨にて見えず。されど霞浦とは問わでも知られたり」

真鍋あたりの旧水戸街道は真鍋の町なかから急坂をあがり、土浦一高の手前で旧6号国道に合流する。子規は、石段を上がったとあり、善応寺の裏手あたりの道かとも推察されるが、判然としない。現在残されている旧水戸街道とは、いくぶん異なっているようだ。

土浦一高は、旧制土浦中学校。本館は明治37年竣工の重厚な建物で、重要文化財に指定されているが、子規が真鍋へ来訪した時点では、この本館はまだ建設されていない。子規が『水戸紀行』を歩いた時代は、それほど古い過去の出来事。

ところで文化財の旧本館、われわれの年代は卒業年度に実際に校舎として使用させてもらった。夏になると高い天井からダニが降ってきたり、冬は床板の隙間から寒風が吹きあげたりしたが、やはり味わいのある校舎だった。

と、甘辛い高校時代に思いは巡るが、感慨にひたってばかりはいられない。水戸は、まだ遠い。まだまだ土浦の範囲内だ。

土浦市から かすみがうら市へ

先へ進みます。子規も、そそくさと土浦を後にしている。

真鍋から先、旧水戸街道と6号国道とは、右に別れては再び合流し、左に分かれては再び合流を繰り返す。

両道は、からまりあうように、概ね北東へすすむ。若松町の歩道橋に「水戸41キロ」とある。ウーム、なかなかの距離。さて、歩けるか。板谷の旧道には、一里塚が残っている。

子規は、前泊地の藤代から土浦まで、雨のなかを歩き、さすがにくたびれ、車屋と料金交渉。法外な提示に、さらにご機嫌斜めとなる。

それならばと、「足のさきがすりきれん迄…歩(あゆ)までおかん」と、持ち前の意地っ張りを発揮して石岡まで歩いてしまった。それに比べ令和の歩みは、自宅でゆっくり寛いだ後の快晴好条件。この辺でへこたれてしまっては、子規先生に申し訳がたたない。令和版は、さらに先を目指す。

板谷、中貫宿、稲吉など旧水戸街道と頻繁にクロスするが、ひたすら6号国道をすすむ。いつしか、子規の意地っ張りが乗りうつってしまったようだ。

千代田町、ではなく、平成の大合併で改名した、かすみがうら市へ入る。

旧街道をのんびり歩いてみたいが、道幅が狭く、風情ある街道筋も車の疾走がおそろしい。(作家)