【コラム・高橋恵一】青年海外協力隊員として東南アジアに派遣された青年の経験談である。優れた日本農業技術で作物を育てたところ、高温多湿の気候の効果もあって、半年でそれまでの1年分の収穫ができた。現地農民は、大喜びをした。次に、協力隊員は、後半の作付けに取り掛かろうとしたところ、農民は動かない。1年分の収穫ができたのだから、もう働く必要がないというのだった。30年前のことだ。

青年海外協力隊員は、苦笑しながら、現地農民の経済感覚を伝えてくれたが、今なら、ゆとりのできた時間や資金をどう使うかを考えたかも知れない。

日本では、高度成長期から、成果をひたすら企業資金力の強化に回し、労働時間の短縮やセーフティーネットの構築、地球環境の改善・保護に回すことはほとんどなかった。

それから30年。日本の幸福度ランキングは、世界で56位。韓国とピッタリ寄り添って、ロシア、中国の少し上位に位置しているが、OECD(経済協力開発機構)37カ国のうち最下位レベルだ。

我々の生活レベルを考える時、「昔」と比べると、格段に忙しさが変わって来ている。拘束された忙しさ、義務的な忙しさである。

日本の幸福度を改善するためには、就業時間を短縮し、最低賃金を思い切り上げればよい。毎日の労働時間を7時間、週35時間以内にすれば、全く違う世界が見えてくる。当然、フレックスタイムが導入され、満員電車も解消する。生産力を維持するためには、雇用を拡大しなくてはならない。女性の役割が大きくなり、より多様性が拡大する。変化への原動力は、格差社会の解消である。

授業の内容は詰め込み過ぎ

ところで、日本では、子どもも忙しい。授業時間中の学習内容は、詰め込み過ぎであろう。高校や大学の入試の時まで覚えておけばよい「知識・学力」を、詰め込まれるのだ。児童生徒の学力は、小学5年生までと中学2年生までをしっかり押さえておけば、その後の進学や社会生活に対応して行けるといわれている。

それ以上、宿題や学習塾で忍耐力を養う意味があるのだろうか。一時「ゆとり教育」の取り組みもあったが、結果の評価もされないうちに、また逆戻りしてしまった。親たちが子どもの自立能力を信じられなかったことと、教師の側に「ゆとり教育」を遂行する力量がなかったということだろう。

学校の授業が終了すると部活である。部活は、児童生徒の個人的趣向というより、スポーツや合唱・管弦楽など、競争的成果を求められる分野が多い。学校対抗の各種大会が行われ、必然的に過度の練習と勝利への忠誠が求められる。

スポーツ部門をはじめ、多くの部活の集団活動、団体行動の端々に、旧日本陸軍の行動規律を見てしまうのは私だけだろうか。楽しむより、勝つこと。勝つことより、指導に従うことになってはいないか。

近年は、皆勤賞もなくなりつつあるというが、例えば、ゴールデンウイークや夏休み以外の時に、家族旅行などの欠席を認めたらどうか。欠席時間の補習体制を整えれば、真の体験学習ができるだろう。(地図好きの土浦人)