【コラム・浅井和幸】もう20年ぐらい前になるでしょうか。ある女性と2人で酒を飲んでいました。いつも笑顔で朗らかなAさん。なんでもおいしく食べて飲み、どんな話もうれしそうに話をする女性でした。ところが、こちらから何気ない質問をしたら、突然泣き出してしまいました。

突然どうしたのか訳が分かりません。「どうしたの?」と聞くと、質問にうまく答えられないので怖くなったのだと言います。「どうして怖いの?」と聞くと、みんなが自分のことをバカだと言うとのこと。そこからの会話は次の通りです。

浅井「今、2人で飲んで会話しているよね。なんで、みんながバカだというと思うの? それとも、浅井にバカにされていると思うの?」

Aさん「小さい時から、みんながバカだと言うの。分からないから、どうして?と質問しても、そんなことも分からないのかって、みんながバカにするの」

浅井「そうなんだ。でもそれは、Aさんの質問に周りがうまく答えられないから、そんなことも分からないのかと、逃げているだけだね」

Aさんは、とても理解力があり、順序立てて説明をすると、たくさんのことを身に着けていける人でした。分かった気になって物事をやり過ごすことが下手だったので、疑問をよく人に聞く子どもだったそうです。

でも、あまり質問を続けると、周りが怒り出してしまうこともあったそうです。「そんなことも分からないの?」の言葉が怖くなり、質問をすることもされることも怖くなっていったそうです。

分からないことを分からないと言える勇気

事実や言葉に対して理解力がある人が、理解力や表現力がなく強がる人から強い言葉で責められ、押さえつけられて、事実が何であるか分からなくなり、恐々と生きるということが少なからず起こります。

そんなことも分からないの? なんで失敗するんだ? もっと早く相談に来てくれればよかったのに。このような言葉で、相手を責めることで得られることは、ちょっとした自尊心と責任逃れぐらいが関の山です。問題解決にはほとんど役に立ちません。

物事に対して理解力があるからこそ、分からないことを分からないと考えられる。それを、分かることも分からないこともゴチャ混ぜにして分かった気になっている人にたたかれ、質問することどころか、さらに理解しようという気持ちをそがれていく。とてももったいないことですね。

分からないことを分からないと言える勇気、そして環境はとても大切です。どこまでが理解できてどこからが理解できないのか。その境目が、勉強、練習、訓練をする部分なのですから。そこが把握できることが、成長につながる大切な部分です。

もちろん、分からないところをそのままにして前に進んで、ある所でつながって、そのままにした分からないところが、いつの間にか分かるようになることもあります。ですから、あまり一面からだけにとらわれないことは、とても大切です。(精神保健福祉士)