月曜日, 5月 6, 2024
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かや屋根で懐かしい未来を創る 《邑から日本を見る》89

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石岡市小見のかや屋根の家(旧柘植屋敷)

【コラム・先﨑千尋】田植えが終わったばかりの5月、〝産直と有機農業の里〞と言われている旧八郷町(石岡市)を1日歩いた。八郷は知り合いがたくさんいるので、これまでにもたびたび行っている所だ。今回歩いてみて、ここは〝常陸国のまほろば〞だと感じた。「まほろば」とは古語で「すばらしい場所、住みやすい場所」という意味だ。古事記には「大和は国のまほろば」という歌がある。

産直と有機農業が柱の「やさと農協」

八郷地区は筑波山、加波山、足尾山などに3方を囲まれ、山根(やまね)盆地と言われてきた。農業面では、河川沿いの水田、丘陵地の畑や樹園地と制約された条件での経営が営まれているため、大規模な産地にはなっていなかった。逆に、変化に富んだ地形や豊かな自然を生かし、水稲、葉タバコ、花卉(かき)、果樹、酪農、養豚、養鶏、野菜、シイタケなど、古くから少量多品目の複合経営が行われてきた。

暖地でしかできないミカンや富有(ふゆう)柿も栽培され、最近ではイチゴやブルーベリーなどもあり、観光果樹園、イチゴ狩りもにぎわっている。

同地区にある「やさと農協」は、産直と有機農業が運営の柱。その歴史は古く、産直のスタートは1976年。東京の東都生協に鶏卵生産者が卵を届けたことから始まった。東都生協は、卵、肉、米、野菜といった単品の取引は地域農業を破壊すると考え、「地域総合産直」を提案し、現在では鶏卵、野菜、果物、米、納豆と総合的な産直に発展している。

有機農業も産直の実践の中から生まれた。生協との交流が深まり、農協内部に野菜果物産直協議会が誕生し、1997年には有機栽培部会がスタートした。1999年には、新規で有機農業をやりたい人を対象に「ゆめファーム」新規就農制度を立ち上げ、現在まで続いている。

農協が有機農業に取り組む前の1974年に、東京の消費者グループ「たまごの会」が同地域に自給農場をつくり、魚住道郎さん、合田寅彦さん、筧次郎さん、中島紀一さんらが次々に移住してきた。中島さんは茨城大学農学部長も務め、有機農業研究の第一人者。地域の人たちとの交流を大事にし、多くの人を育ててきた。

山田晃太郎・麻衣子さん夫妻

その中に山田晃太郎・麻衣子さん夫妻がいる。2人は、落ち葉(がしゃっぱ)、雑草、敷き藁など植物の力を活用し、自然に寄り添ったたくさんの生き物と共に生きる農業を目指し、「旬の野菜セット」を保育園の仲間など70世帯に届けている。さらに、八郷地区の北部・小見(おみ)にある築100年のかや屋根の家(旧柘植屋敷)を譲り受け、家の保存と、その家を地域の人たちの交流の場(みんなの広場)にしようと活動を始め、NPO法人設立の準備を進めている。

広場では子供たちが裸足で駆け回り、地域のばあちゃんたちが集まり、おしゃべりをしたり、柏餅など季節の食べものを作ったりしている。山田さんの農作業、野菜の出荷には近所の人が手伝いに来る。今冬にはかや屋根の葺(ふ)き替えをするという。2人は「共同作業を通じて、自然とつながった豊かな農ある暮らしを再発見し、〝懐かしい未来〞を創る第一歩にしたい」と夢を語る。

かつて、有機農業は「勇気農業」と言われたことがあった。有機農業をやるには勇気が要るという意味だ。しかし山田さんたちはごく自然に村の人の中に入り、村の人たちもそれを歓迎し、力を貸している。2人と話していて「まほろば」という言葉を思い出したのだ。(元瓜連町長)

宇宙の物質は弱虫とマッチョ 《食う寝る宇宙》87

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【コラム・玉置晋】5月26日に皆既月食がありました。本州には雲がかかっており、全然見えないというつぶやきにあふれていたのですが、茨城県では月食後半の20時ぐらいに雲の切れ間から見ることができました。

この時、宇宙天気防災研究者として足元を警戒していました。空には地球の影に入った月、直径1万3000キロの地球、はるか150万キロ先にある太陽。5月22日に太陽から放出された電気を帯びたガスの塊(コロナ質量放出=CME:Coronal Mass Ejection)が、足元から月の方向に通過中でした。

地球の磁場によるバリアは、電気を帯びたガスの進路を曲げて、僕らを守ってくれました。2019年12月から始まった第25太陽活動サイクルは、2025年の極大期に向けて徐々にその力を解放しつつあります。しっかりと宇宙の状況を見極められるように、大学院で研さんしております。

内臓の周りに見えてはならないモノがある

先日人間ドックを受けたら、お医者さんに「内臓の周りに見えてはならないモノがありますね」と怒られました。スマホの万歩計によると、僕の1日当たりの歩数は推奨されている1万歩からほど遠い2000歩。見えてはならないモノとは内臓脂肪です。

宇宙には、あるはずなのに光学的に観測できないモノがあります。1980年代に始まった全天サーベイミッションは、宇宙の大規模構造の存在を明らかにしました。でも、この構造を形成させるには、観測できる物質だけではあまりに軽すぎる、観測できる物質は全体の5パーセントにすぎない―という衝撃的な結果でした。

残りはダークマター(暗黒物質)やダークエナジー(暗黒エネルギー)と予想されています。ダークマターのうち、ニュートリノのような観測の難しい素粒子をWIMP(Weakly Interacting Massive Particle)と言います。弱虫(WIMP)という意味ですね。そして、ブラックホールや白色矮星(わいせい)のように暗くて見えない天体をMACHO(MAssive Compact Halo Object、マッチョ)と言います。

うちの奥様は「細マッチョ」が好きだと言います。お医者さんから「見えてはならないモノ」なんて言われている場合じゃないのですよ。(宇宙天気防災研究者)

TX延伸の障害 地磁気観測所の移転はなるか?《茨城鉄道物語》12

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地磁気観測所(左上、石岡市提供)とTX研究学園駅

【コラム・塚本一也】6月4日の茨城県議会において、大井川和彦知事は私の一般質問に答える形で、石岡市柿岡にある地磁気観測所について、県として国に対し移転と補償を求めていく考えを表明しました。これは数十年ぶりに復活した中央要望であり、県南・県西地区の今後の開発計画を進める上で、画期的で重要な発言といえます。

地磁気観測所とはどのような施設なのか、簡単に説明しておきます。気象庁・地磁気観測所は旧柿岡町に位置しており、地球の磁気を継続的に定点観測し、研究機関や磁気図作成などにデータを提供しています。1912年、東京・赤坂から柿岡へ移転、それから100年以上が経ちました。

観測する地磁気には短周期と長周期がありますが、電車が走る際の直流電流が磁場を荒らしてノイズを発生させるため、観測所から半径35キロ以内は直流電源を使用してはならないと、法律で定められています。そのため、JR常磐線やTX(つくばエクスプレス)は、経済的負担の大きい交流電源を使用しなければならず、長い間、地域の鉄道計画の足かせとなっていました。

観測所が東京から移転したのも、都電荒川線を走らせるに当たって、赤坂では観測に支障があるため、「将来的に都市化とは無縁の場所」として柿岡が選ばれたそうです。気象庁は継続的なデータ観測の有用性を主張して、これまで移転を拒否していましたが、直流の影響を受けやすい短周期観測についてはデータ補正が技術的に可能となったため、移転に柔軟な姿勢を示すようになりました。

しかし、移転費用を茨城県に求めており、一時期盛り上がった移転要求もとん挫しているのが現状です。

大井川知事とスクラム組めた

東京の交通の利便性を高めるために、そのしわ寄せが茨城県に来ること自体理不尽な話であり、さらに移転費用負担まで求めるのは全く筋が違う話です。国の施策でマイナス施設を受け入れる際は、地域振興というインセンティブがありますが、茨城県は100年間、その恩恵に何もあずかっておらず、国に対して補償を求めるべき立場にあると思います。

こういった私の考えに対して、大井川知事から同意見という答弁を得ており、個人的には県とよいスクラムが組めたと充実感を覚えています。

今後、TXの東京延伸、都心での相互乗り入れ、あるいは県内延伸や地下鉄8号線の誘致などの際に、この問題が必ず再燃すると思われます。茨城県の将来を見据え、今のうちから解決に向けて取り組んでいくべきでしょう。(一級建築士、県会議員)

つくばセンターでシン旧住民のレジスタンス 《映画探偵団》44

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【コラム・冠木新市】6月1日。つくば市役所で「つくばセンタービルのエスカレーター設置計画等の見直しを求める要望書」を小久保市議会議長に手渡した(6月1日付)。そのあと懇談し、「センタービルは、つくばが未来に引き継ぐ日本と世界の文化遺産なので、ぜひ守ってほしい亅とお願いした。飯野副市長とも面談、リニューアル計画の進め方や市民広報のあり方など、いくつか提案させてもらった。

6月2日。センタービルを歩いていて、ふと「ソトカフェ」の黒テーブルとイスのそばにある鉄製プレートに目がとまった。よく見ると、「桜村」の文字が刻まれている。これまで気付かなかったとは不覚だった。その文字を眺めながら、当時の人はどういう気持ちでこの文字を刻んだのだろうかと想像した。

側溝のふた(グレーチング)に刻まれた「桜村」の文字

6月3日。NEWSつくばの「市議会・中心市街地まちづくり調査委員会」の記事(6月3日付)を見て驚いた。ホテル側の北エスカレーター1基設置が無くなると出ていたからだ。これまで2基設置を主張していた市議が、1基ヘと意見を変えたからである。あとで某市議に聞いたら、我々の要望書は委員会当日に市議に配布されたが、その前から2基を1基にすると決まっていたようだ。

本欄でセンタービル問題を書いてきたが、最近議会では、エスカレーターは不要だ、見直すべきだ―との声が大きくなっている。市民の声が届いたというより、いったん沈静化を図ろうとしていると考えるのが自然だろう。意見を変えた市議たちは、センタービルは老朽化した建築物だから、どうしようと自由だと考えていたのだ。

6月5日。つくばセンター研究会。私は、この問題は要望書提出で一区切りと思っていた。しかし、総合運動公園建設反対を推進した方から「30年前から住んでいるが、センタービルが文化財であることに初めて気がついた。市民にどんどん語っていかなくてはいけない」と、逆にハッパを掛けられてしまった。

『影の軍隊』のリノ・ヴァンチュラ

そのとき、フランスのジャン・ピエール・メルビル監督の大作『影の軍隊』(1969)を思い出した。『いぬ』(1962)、『ギャング』(1966)、『サムライ』(1967)などで知られたメルビルは、フィルム・ノワール映画の名匠。だが他のギャング映画とは雰囲気が異なっていた。登場人物はギラギラした欲望を感じさせず、皆寡黙で淡々と行動する。

ナチスドイツ占領下の仏。レジスタンス活動で捕虜となったジェルビエ(リノ・ヴァンチュラ)は牢獄から脱出し、隠れ家に身を潜める。レジスタンスのリーダーが書いた数学の本を読み、孤独を癒やす。若いころ、メルビルは2年間のレジスタンス生活を送った。メルビルのギャング映画はナチスへの抵抗運動を投影したものだったのだ。

1983年。つくばセンタービル誕生時、その運営管理は桜村が担当だった。同じころ、筑波町、豊里町、大穂町、谷田部町、桜村の合併話が活発化していた。桜村はいずれ村から市となる運命にあった。だから何気ないプレートに「桜村」を刻んで残したのだろう。センタービルには桜村の人たちの思いがこもっている。

あと2年でセンタービルは40周年を迎える。今ではシン旧住民となった私だが、レジスタンス活動はまだ続きそうだ。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

つくば・ニッポン未来予想 《遊民通信》18

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5月に一部オープンした「トナリエ クレオ」

【コラム・田口哲郎】

前略

食品館「ロピア」がオープンし、TXつくば駅そばの「クレオ」が「トナリエ クレオ」として復活しましたね。つくばセンター地区周辺では久々に明るい話題でした。

前に書きましたが、クレオにはかつて西武百貨店が入っており、食料品売り場は「ザ・ガーデン自由が丘」でした。デパートに輸入品スーパーマーケットという、いかにも「都心」仕様です。東京の日本橋や大阪の梅田にある本家「都心」のお裾分けが、つくばでもできた時代でした…。私は反省しました、「都心」が戻ってくることを期待したことに。中心なき時代なのです。東京を頂点としたヒエラルキーなどもう無いのです。

20年前、1度目の大学生時代。通っていた東京の店は、新宿紀伊國屋、渋谷のHMV 、銀座伊東屋です。学生らしく、本屋とCDショップ、文具屋で、新品の本とCD、ノートやペンを買いました。

2度目の今、行くのは近くのブックオフ、そしてスマホでAmazon、メルカリです。買うのは古本と中古CDばかり。雑貨は近所のダイソーやセリアで調達します。かつて3千円かかったものが、今は3百円で手に入ります。デフレの極致です。悲しいのは、その分収入も減っていること。この傾向は貧乏学生の私に限ったことではないんじゃないかと、周りを見て思います。

経済成長期には富の分配機関として機能していた民間企業が、不況とコンプライアンス厳守、厳しい会計監査のせいで、給料をかつてのように配れなくなっている。小泉構造改革真っただ中のころ、とある経済学者は「いい暮らしをしたければ、稼げ。自己責任の時代だ」と発言していました。その同じ人が、今やベーシック・インカム(政府が全国民に毎月定額給付を行う政策)を提唱しています。

資本主義のこの国では、頑張れば報われるんじゃなかったのでしょうか? このごろは政府が給料上げろと号令しても、応える体力が企業に無いように見えます。日本こそは世界で最も成功した社会主義国家だったとも言われます。やはりマルクスが言うように、資本家は労働者から搾取するものなので、富の分配を企業に任せるのはもう限界なのでしょうか?

官の街だったつくば

さて、学研都市つくばは今まで官の街でした。広大な敷地を持つ国立研究所がそこここにあり、つくばセンター周辺には官舎が並んでいました。しかし、科学技術政策の予算は減少、緊縮財政のあおりを受けて官舎が廃止されて、官の領域は徐々に民間色に染められつつあります。

今まで親方日の丸だった街にどんな未来があるのでしょうか? 嘆くことはありません。親方日の丸じゃないと自負していた民間だって、結局は親方日の丸だったのです。どうあがいても日の丸からは逃れられないのです。つくばの街づくりが国づくりになるという気概をもっていきましょう。ICT技術を駆使し効率化を追究し、広大な土地を使いユートピアをつくりましょう。

つくば博のテーマ「人間・居住・環境と科学技術」が、ようやく活きる時代になりましたね。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

平均寿命と平均余命 《ハチドリ暮らし》2

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実家での農作業風景

【コラム・山口京子】人生100年時代という言葉をよく耳にする。2016年に出版された「LIFE SHIFT(ライフ・シフト)100年時代の人生戦略」(リンダ・グラットン著)がきっかけになったようだ。その本によると、2007年生まれの人は50%の確率で107歳まで生きるという。

では実際、日本人の寿命はどうなっているのか。2020年、100歳以上の人口は8万人を超えた。そのうちの88%が女性だ。厚生労働省の簡易生命表によると、平均寿命は男性で81歳、女性で87歳となっている。平均寿命とは、0歳の赤ちゃんがこれから生きるだろう人生の長さを示す。

それに対して、すでにある年齢まで生きた人がその時点から、あと何年生きるであろうかということを示す寿命のことを平均余命という。平均寿命とは、0歳児の平均余命を指す。すでに60歳の人の場合は、男性であと23年、女性で29年。もし、今年80歳の人なら、これから男性で9年、女性で12年生きるだろう。

実際に何歳ごろに多くの人が亡くなっているのかを見ると、男性で85~89歳、女性で90~94歳の間で死亡数が高い。そうした数字をふまえ、私のセミナーでは、生活設計は100歳、もしくは95歳を設定することを勧めている。

健康寿命のこと

寿命を考えるに当たって、もう一つ大事な寿命がある。それは健康寿命だ。周りの人の手を借りず、自律した生活が可能な年齢のことだ。男性で72歳、女性で75歳。今は健康寿命を延ばす取り組みが全国で広がっている。そうしても、いつかは介護のサービスをお願いする時が来るだろう。介護状態になるきっかけは、認知症・脳血管疾患・老衰・骨折などがある。85歳以上の約6割は、要支援・要介護認定を受けている。

だれも自分の人生の長さはわからない。また、介護状態になるのかどうかもわからない。あれこれ悩むよりも、心のけじめをつけること、お金の算段を整えること、法律や制度、自治体のサポート体制を知ることなどが大事だ。制度は改正が頻繁にあるので、新しい情報にアンテナを張ること。

昨今、終活やエンディングノートを書くことが流行っているが、それは心配なことを整理して、前向きに暮らすためのツールだからだろう。数年前、母にエンディングノートを書くことを勧めたが、「縁起でもない」の一言。「あとのことはみんなあんたにまかせたから、あんたがやって」と。

母からいろいろな話を聞きながら、様子を見る。初めて聞く、母の子どもだったころの話、私が知りようもない私が赤子であったことのこと。嫁である母としゅうとの食い違い…。現在88歳の母は、85歳を過ぎて歩行能力が極端に落ちてきている。親の老いは、自分の25年後の姿なのか。

もうすぐ玉ねぎやジャガイモが収穫できる。(消費生活アドバイザー)

ぬか床に山椒 《続・平熱日記》87

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【コラム・斉藤裕之】天気のいい日は八郷(やさと)に出向いて薪(まき)を作る。昼は強い日差しを避け、細い林道に止めた軽トラの中でコンビニのおにぎりを食べる。ふと外を見ると山椒(さんしょう)の実がなっているのを見つけた。そういえば、去年もここの山椒を取って帰ったことを思い出した。

山椒の実はぬか床に入れる。季節柄か、先日もSNS上で「ぬか漬けを始めた」「実家から150年物のぬかを分けてもらった」という投稿を見かけた。無精者としては、ご多分に漏れず何度もぬか床をダメにしている。

最近の失敗から学んだことは「オフシーズンに気をつけろ!」。夏場に悪くなりそうなぬか床だが、最近は冷蔵庫に保管することで管理がしやすい。それに、夏は頻繁に野菜を漬け込むから、ぬか床は元気。ところが、冬に向かってしばらくして油断していると、ダメになっていることが多い。

サステイナブルという言葉を初めて聞いたのは、確か建築関係の用語としてだった。世にはやる随分前だが…。ちなみに、大工の弟は建てる時よりも壊す時のことを考えて人力解体のできる、そして、できる限り土に還る材料や工法で家を建てることを信条とする「持続可能的大工」である。

サステインという言葉にも持続という字にも「手」という意味が入っている。要はヒトの手で持ち続けることができるもの、支えていけること。そして自然の中で循環できること。例えば土に還るということは「腐る」ということだ。手のかからない、腐らないものは一見便利そうだが、それが厄介なのだ。

「ワット・ア・ワンダフルワールド」

そこへいくと、ぬか床はなんとステイナブルなことか。野菜を放り込むだけで微生物が調理をしてくれる。「腐敗」は人間に都合のいい場合は「発酵」と呼ぶらしいが、日本の発酵文化は実にサステイナブルである。例えばプラスチックの鉢で朝顔を育てるのもいいが、小学校でぜひともぬか床を作って、夏休み前に持ち帰らせてほしいぐらいだ。

「伝統とは…した者だけが醸し出す気品であり…」。高校の柔道場の壁に貼ってあった一文。「…」のところははっきりと思い出せないが、「醸し出す」という言葉がカッコイイと思っていた。ぬか漬けの場合、「…」は「毎日かき回した」が適切か。

さてさて、早速、山椒の実をぬか床に混ぜ込んだが、旨味を醸し出すのにはしばらくかかりそうだ。ちなみに、ぬか床をかき混ぜる時は、サッチモ風に「ワット・ア・ワンダフルワールド」を口ずさむ。

人の記憶とは面白いもので、結婚した時すでにカミさんがぬか床を作っていたことを覚えていて、お会いするたびにその逸話を今もってご披露してくれる方がいる。今やそのカミさんも、名実ともに「糟糠(そうこう)の妻」という歳になった。そのカミさんが、今日は青い実を大量に抱えて帰って来た。次女も好きな梅ジュースを仕込むそうだ。梅雨入りが近い。(画家)

バイデン大統領から手紙が来た 《吾妻カガミ》108

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米財務省から送られてきた小切手

【コラム・坂本栄】今回は米国の笑える話です。5月連休に入る前に、米国の財務省から私と妻宛てに封筒が届きました。毎年郵送されてくる年金関係の書類だろうと、封を切ってびっくり。1400ドルの小切手が1枚入っていたのです。妻宛ても同じものでしたから、計2800ドル。米政府からのビッグなプレゼントでした。

よく見ると、小切手の左下に「ECONOMIC IMPACT PAYMENT」と記されています。米バイデン新政権の超大型経済対策の一つ、コロナ禍で経済的打撃を受けた人への給付金だと、ピンときました。1年前に1人10万円ずつ配られたコロナ給付金の米国版です。でも私たちは米市民でないし、今は米国に住んでいないのに、30万円ものおカネをどうしてもらえるのか不思議でした。

米のかなり大ざっぱな給付金配り

1979~83年にかけて私は通信社の記者として米国に住んでいました。同社は在米企業にニュースサービスをしていたこともあり、米政府に法人税を納め、駐在員の社会保険料も払うという現地法人。このため、10数年前に結ばれた日米協定のおかげで、米国で徴収された保険料に見合う年金(毎月数百ドル)を日本で受け取っていました。

どうやら米政府は、この年金支給者データに基づいて、かなり大ざっぱに(米市民か否か在米か否かに関係なく)給付金を配ったようです。その区分までは知りませんでしたから、米政府は太っ腹だな、今夏はこれで山荘でも借りるか、上京したときにドル口座に入れておこう―と思っていたら、この大盤振る舞いはミスらしいということが分かってきました。

「米現金給付の小切手、日本にも誤配 元駐在員らに届く」(5月16日、日経)、「突然、米から1400ドルの小切手 銀行に高齢者から確認相次ぐ 永住権なく換金なら違法」(5月17日、朝日)といった記事が出始めたのです。

米政府のサイトで受給資格を確認

銀行は小切手の受け取りを拒否できないはず、でも入金した後で返せと言われても面倒だな、米財務省の内国歳入庁(IRS)に聞いてみるか、と迷っていたら、米大統領からの手紙が郵便箱に。そこには、米国救済計画に基づいて1400ドルの小切手を送ったので、もし受け取っていなければ、IRSのウェブサイトであなたの資格(status)をチェックしてほしい、と書かれていました。

小切手を受け取ったか確認してほしいということですが、受給資格は自分で確認してほしいとも言っていますから、巧みな文面です。給付区分をよく調べずに送ってしまったかもしれないので、米市民でなかったら返してください―とも読めます。渋々、無効(void)と書き入れ、IRSに送り返しました。今年の夏も、孫たちと市民プールで遊び、アイスを食べ、庭でバーベキュー。そんな過ごし方になりそうです。(経済ジャーナリスト)

宗教法人の社会福祉活動 《介護教育の現場から》7

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専門学校の授業風景

【コラム・岩松珠美】梅雨の季節を迎え、一雨ごとに緑が色濃くなってきた。学校では2年生が、在宅療養する方々の日常生活を援助する訪問介護の実習に行っている。施設実習、在宅実習のどちらについても、1年前から、施設や機関と打ち合わせて準備してきた。

社会福祉の分野では、先の大戦が終わるまで宗教法人が大きな役割を果たしてきた。大戦後、社会福祉は国の責任となり、社会福祉法人が中心となり事業を展開してきた。しかし、ホームレス問題など新しい社会問題が起こってくるなか、宗教法人の「救護思想」が再び存在感を持つようになっている。

日本ソーシャルワーカー倫理綱領にあるように、社会福祉の対象は、あらゆる人間をすべてかけがえのない存在として尊重する―と考えられてきた。重症心身障害児であろうと認知症の高齢者であろうと、オンリーワンであるのと同時にオールであるという考え方である。

私は、社会福祉事業の実践には理念や価値観がなければならないと思っている。その価値観を生み出す源のひとつに、宗教が存在すると感じている。

「尚恵学園」と「土浦めぐみ教会」

土浦市内には、高齢分野・障害分野で、仏教系とキリスト教系の組織がある。ひとつは、仏教系の社会福祉法人尚恵学園さん(土浦市神立町)である。

この組織は、知的障害者を対象に幅広い社会福祉サービスを提供している。故・住田恵孝僧正が1956年に神宮寺境内に開設。現在では、知的障害者支援施設、多機能型事業所、グループホーム、パン工房などを展開している。工房のパンや菓子類は、JAの直売所や市役所内のショップで販売されている。

もうひとつは、キリスト教(プロテスタント)系の宗教法人土浦めぐみ教会さん(土浦市上高津)である。1980年代に会堂し、2003年に高齢者福祉事業、2015年に障害者福祉事業を始め、地域のニーズに応えている。

学生の実習では、急な事情で他所の受け入れが難しくなったとき、両施設が学生を引き受けてくれ、おいしいパンと気持ちも届けてくれた。学生ともども、心が満たされたことを深く感謝している。(つくばアジア福祉専門学校校長)

間違いを恐れる 《続・気軽にSOS》86

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【コラム・浅井和幸】私たちは、「…しなければいけない」「…してはいけない」という、たくさんのルールに縛られています。それは、ある地域や集団であったり、あるイベントであったり、2者間や個人的なものであったり、さまざまです。本当にしなければならないことは少なく、むしろ「…するに越したことはない」とか「…ができたほうがよい」ぐらいに、言葉を直してみるとかなり楽になるものです。

生活の中で多くの場合、何となくの「常識」や「普通」と一般化して、正当性が自分の考えにあると感じてしまいやすいものです。その一般化をしているルールが独りよがりであり、誰もそのルールを押し付けてられていないのに、苦しんでいることもよくあることです。

周りのみんなが自分をバカにしている気がする。それは、自分は勉強ができなかったからだ、稼ぎが悪いから人間的な価値がない、容姿が悪いと人に嫌われる―などなど、挙げたらきりがありません。

また、自分の価値観に自信が持てないため、世間一般を持ち出して自分の意見が正しいと、相手をやり込めようとすることもよくあります。そんな考えは世間じゃ通用しない、普通は私のように考えるのにあなたは普通じゃない―と。ケンカになったときに出やすい言葉ですね。私の意見の方が「常識」「普通」だし、「みんなもそう言っている」という理屈です。

多数派であれば間違いがないのか?

このようなやり取りの中で負け続けると、コンプレックスが生まれます。それで、自分を責め続けたり、相手に対して攻撃的になったりします。間違えることに対して、極端に怖さを感じてしまい、間違いを避けるようになります。だから、「常識」「普通」を味方につけたくなるのです。多数派であれば間違いがないという、安心感を持ちたいわけです。

ただ、多数派であれば間違いがないのか? 間違いは次に生かせないのか? 間違いがないところに成長はあるのか? そもそも間違いとは何に照らし合わせてなのか? 「普通」「常識」をいつも味方につけている人、いつも敵にしている人で、何かうまくいかないなという場合は、もう少し具体的な言葉で考え直してみてください。

意識をするところから人は変わっていくものです。どうして、こんなに間違いを恐れているのだろうか? その間違いはどのようなことが実際に起こるのだろうか? ちょっとした間違い(ミス)を意識することで、きっと新しい気付きをもたらしてくれるはずです。(精神保健福祉士)

コロナワクチン接種 《くずかごの唄》87

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】新聞を見てもテレビを見ても、コロナワクチンの話題ばかり。コロナ禍で行事が全部ストップされてしまっているので、マスコミも取材のタネがない。新聞やテレビにはスペースがあって、埋めなければならない。話題がコロナばかりになってしまうのも、やむをえないのかもしれない。

土浦市の65歳以上の人に「コロナワクチン接種のお知らせ」が届いた。予約開始日が80歳以上、75歳以上、70歳以上、65歳以上―と、年齢によって違う。接種可能日も年齢別で、医療機関と集団接種所に分かれている。

ワクチン供給の見込みの日までが書いてあるので、印刷物4~5枚の活字の全体を読んで、頭の中で整理し、さて、自分は予約をどこへ申し込んで、どこへ、いつ行けばいいのか―具体的な行動を順序立て、行動を起こすまでには、かなりの時間と理解力が必要だ。

市役所から届いた「難解至極な書類」

基礎疾患13項目の分類は抽象的なので、判断できない人も多いのではないかと思う。うちの薬局のお客様はご近所のご老人ばかりだ。こういう「難解至極(しごく)な書類」が配布されると、私は質問責めに会うことを覚悟しなければならない。

「いつも、かかっている医院へ、電話しても、お話し中なの、困ったわ」

「読んでもよく解らないわ、ステロイドって、私、飲んだことありますか?」

「基礎疾患がいっぱい書いてあるの、染色体異常って、何ですか、私の処方箋の薬の中でこの病名に該当するものがあるかないか、教えてください」

「鉄欠乏性(てつけつぼうせい)貧血を除く血液の病気って、何の病気?」

この文書を作った人物は、何か、後で、文句を言われないように、完璧を期して苦心して作ったに違いない。ワクチン供給の見込みの日など、一般の人にとって関係のないようものまでが、ていねいに入っているので余計ゴチャゴチャになっている。

コロナをきっかけにして、お役所も介護医療関係者も「医学的にややこしい事実を一般のお年寄りにも解りやすい理解できる用語で表現する」という難題に、本気になって取り組んでもらいたいと思う。(随筆家、薬剤師)

あなたの趣味は何ですか? 《ことばのおはなし》34

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【コラム・山口絹記】このようなご時世だからだろうか。“趣味”というものの需要が高まっているようだ。

と言うのも、私自身が時間ができたら買おうと思っていた趣味的ニッチな商品が、ネット上で続々と売り切れているのだ。例えば、写真のフィルムをデジカメで撮影して、デジタル化する商品とか(かなりニッチな商品だと思う)。

ようは、日々の生活が今までと少し変わった結果として、お金をかけただけでは解決しないもの、時間を必要とするものの需要が伸びているらしい。きちんと調べていないので、真偽の程は定かではないが、言われてみればなるほど。納得できるおはなしである。

同時に、生活の変化をきっかけに新しい趣味をはじめてみよう、という人も多いようだ。

これも、どの程度の規模のおはなしなのかはわからないが、事実なのだろう。私自身、17歳の頃、浪人生活の開始とともに住み慣れた地を離れ、祖母と2人暮らしを始めたときから、いわゆる“趣味”というものが増えたからだ。外的要因で集団から切り離され、ひとりの時間が増えると、人間、何かを始めてみたくなるのではなかろうか。

定年退職した人が、仕事以外にやることが見つからなくて趣味を探し始めるといった、ありふれたおはなしが、世代関係なくいたるところで発生しているとすると、なかなか興味深い。

あなたはどんなとき幸せですか?

さて、本題だ。そもそも趣味とは何なのだろうか。ここまで曖昧な単語もなかなか珍しいように思う。すでに趣味がある人にとってはたいした問題ではないのだろうが、自覚的には趣味が無く、かつ趣味を持ちたい、でも見つからない、という人には深刻な問題だ。

仕事や職業ではなく、人が個人の楽しみのためにやっている事柄、といった定義が一般的なのだろうが、この定義は意外とくせ者だと、私は感じる。

「あなたの趣味は、何ですか?」

誰もが、うんざりするほど訊(き)かれたことのある質問だろう。話題がなくなってきたサインでもある。ここで気の利いた返しができないと、その会話はたいてい、ゆるやかな死を迎えることとなる。“楽しみにやっている事柄”と問われると、どうしても単純な名詞で答えたくなるのが人の性だ。加えて、趣味を訊かれるたびにくどくど説明するのも、実際はばかられる。

言霊(ことだま)信仰とは違うのだが、ことばの持っている力というのを、あまり馬鹿にするものではない。名詞を問われているという思い込みは拭い難い。答えが見つからないと、自分には趣味が無いように思えてくる。

だから、質問を変えてみよう。「あなたの趣味は何ですか?」ではなく、「あなたはどんなときに楽しいですか?幸せですか?」

問うているのは、事柄ではなく、時間である。もしも何か思い浮かぶものがあれば、それはきっと大きなヒントになるに違いない。(言語研究者)

書評:ジョセフ・S・ナイ著『国家にモラルはあるか?』 《雑記録》24

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【コラム・瀧田薫】この著作の原題は「DO MORALS MATTER ?」、直訳すれば「道徳も大切では?」です。書名の邦訳が本書の内容とはいささか「不適合」の印象です。「政治にモラルはあるか?」の方が、売れる本になるかどうかは別にして、タイトルとしてふさわしいでしょう。

さて、本の中身ですが、「アメリカの外交を通貫してきたモラリズム」について論じ、その上で「道義的な外交政策とは何か」を問います。本書の面白いところは、歴代米大統領(F.D.ルーズベルトからD.J.トランプまで)の外交について、「意図と動機」「手段」「結果」に分けて独自の方法で採点し成績評価したところです。

邦訳の監修をされた駒村圭吾慶大教授による、明晰(めいせき)にして含蓄に富む解説を引けば、「ナイの採点表の特徴は一刀両断の裁定ではなく、複合的視点を通じての総合評価」をしている点にあります。ただし、「試験の答案の体をなしていないものや、解答する気のないようなものについては容赦しない」ともあります。

確かに、まだご存命の前そして元大統領(どなたかは読んでいただきたい)が本書を読んでいるとすれば、さぞかしご立腹でしょう。

「グローバルコモンズ」を志向

本書の結論部分で、ナイはパワーの「水平移動」(中国を代表とするアジアの興隆)と「垂直移動」(テクノロジーの発達に伴うプラットフォーム企業などの勢力拡大)が現在進行中だと指摘しています。つまり、西洋主導の国際秩序やアメリカの一極支配が限界にきていることを否定しません。

しかし、それにもかかわらず、彼は近未来の世界とアメリカの行く末について極めて楽観的です。楽観の根拠として彼が指摘するのはアメリカが持つ「ソフトパワー」の威力です。この概念はもともとナイの提唱によるもので、「自国の持つ文化や価値観に対する他国からの理解、信頼、支持、共感によって自然に獲得される国際的影響力」のことです。

つまり、ナイは、アメリカがソフトパワーを活用して、諸外国と「制度的協力の枠組み」をつくるべきだと言い、そうすれば、「開かれたルール」に基づく国際秩序の再構築とその維持に成功できると主張しているのです。ここでいう「開かれたルール」というのは、アメリカの独善的主張のルール化ではなく、諸外国との熟議によって折り合いがつけられたルールを意味します。

私見ですが、ナイの提言は「アメリカファースト」の主張とは明らかに違い、グローバルコモンズ(普遍的価値と秩序)を志向しているように見えます。しかし、ナイの場合、アメリカという国家の可能性を論じているという意味で、かの斎藤幸平による「脱国家、脱資本主義、脱成長によるグローバルコモンズ志向」とはまったく異なる思想の提唱であると思います。

今回、ナイの著作によって、われわれの眼前に、グローバルコモンズという頂上に至る2つ目の登山コースが示された、ということではないでしょうか。(茨城キリスト教大学名誉教授)

つくば市農業委会長選びの田舎芝居 《吾妻カガミ》107

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】都市と田園が混在する研究学園つくば市。6つの町と村が合併して生まれた経緯もあり、農業関係でも面白い話があります。多くの方にとって「つくば市の農業委員会って何?」だと思いますが、今回は、このほど変更された農業委員の選び方、この委員の中から選ばれた会長の適格性について、気になったことを取り上げます。

何が引っかかるのか? 本サイトの記事「地区別人数制や農地法違反をめぐり紛糾」(5月20日掲載)が事実関係を伝えています。問題は2つあります。旧町村別の委員枠が地区別のバランスを欠く形に変えられたこと、農地法違反の過去を持つ人が会長に選ばれたこと―です。

記事の付表を使って計算すると、旧谷田部町の農地面積は市全体の24%、農家戸数は26%です。ところが、24人で構成される農業委の地区別枠が変更され、谷田部地区の委員数は25%から17%に減らされました。6人→ 4人です。2人減分は旧大穂町と旧豊里町に1人ずつ配分されています。旧谷田部町が不公平に扱われていないでしょうか?

会長選びも変です。I氏(旧桜村地区)とT氏(旧谷田部町地区)が争い、I氏=13票:T氏=11票で、I氏が選任されましたが、I氏は会長としての適格性に問題がありました。農地を転用する手続きをせずに駐車場として使うという、農地法違反の過去があったのです。農業委の信頼性が揺らぐのではないでしょうか?

市が会長選に実質関与?

なぜこんなことが起きたのでしょうか? 解明する前に、農業委員会とはどんな仕事をする所なのか、簡単にまとめておきます。所有する農地を転売したいとか、住宅用や産業用に転用したいとか、農家から申し出があった際に、YESかNOかを判断するのが主な仕事になります。つまり、環境上も経済上も大切な農地を守る役割を与えられている農業委は、農地の転売や転用を承認ないし否認する公的機関です。

田園→都市が進む学園都市つくばのように、住宅用地や産業用地へのニーズが強いところでは、農業委はとても大事な組織といえます。別の見方をすれば、売り手・貸し手の農家はもちろん、買い手・借り手の事業者、売買・賃貸の仲介者にとっても、気になる組織です。

こういったことを考えると、会長選び=委員の多数派固めが激しくなるのはよく理解できます。この結果に決定的な影響を与えたのが、T氏の出身地区・旧谷田部町の委員枠2人減だったことは言うまでもありません。

気になるのは、地区別枠を変更したのが市であるということです。新地区別枠が会長選任結果の主因になったのか、結果は多数派固めの努力によるものなのか、何とも言えません。しかし、I氏会長就任にプラスに作用する仕掛けを整えた市には、不自然なものを感じます。本サイトの「知らせぬまま『各地区3人以上』に変更」(5月28日掲載)の記事からも、I氏陣営と市の親密度が透けて見えるからです。(経済ジャーナリスト)

「つくばインターナショナルスクール」に学ぶ 《令和楽学ラボ》13

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つくばインターナショナルスクール=つくば市上郷

【コラム・川上美智子】茨城県の教育委員は、それぞれ年に6校ほど県内小中高等学校の視察を行っています。つくば市の「みらいのもり保育園」の園長になってからは、できるだけつくば市内の学校を回るようにしています。その番外編として、4月中旬、以前から名前だけは耳にしていた「つくばインターナショナルスクール(TIS)」を見学する機会を得ました。

何の予備知識も無く訪れた学校は、まるで軽井沢の森の中に迷い込んだかのような自然あふれる中にあり、その建物は、アメリカ風の緑色を基調にした木造のおしゃれなものでした。

シェイニー・クロフォード校長先生の大歓迎を受けて、全ての学年の授業を見学することができました。TISには、3歳から18歳までの子どもたち、285名が在籍し、開設12年で生徒数が飛躍的に伸びたと言います。

ダイバーシティー(多様性)の言葉がピッタリの、様々な国の子どもたちがキャンパスに学び、親の国籍は25カ国に上ります。両親が日本人の家庭、片親が日本人の家庭、両親が外国人の家庭がほぼ3分の1ずつで、授業はすべて英語で行われていました。

また、3歳から12歳までを対象とするPYP(プライマリー・イヤーズ・プログラム)、11歳から16歳を対象とするMYP(ミドル・イヤーズ・プログラム)、16歳から19歳までを対象とするDP(ディプロマ・プログラム)のすべての国際バカロレア(大学入学資格・教育プログラム)が取得できるのは、県内では本校1校に限られるため、東京圏から通学する子もいるなど、大変人気があるとのことでした。

ユニークな国際人材育成カリキュラム

そもそも、国際バカロレアの目標は、①子どもたちが世界の複雑さを理解し、それに対処できるよう育成する ②未来に対し責任ある行動をとるための態度、およびスキルを身につけさせる ③国際的に通用する資格を付与し、大学進学へのルートを確保する―ことにあり、探求する人、知識のある人、考える人、コミュニケーションができる人、信念をもつ人、心を開く人、思いやりのある人、挑戦する人、バランスのとれた人、振り返りができる人を育成するとしています。

国際社会で活躍する人材育成のための教育カリキュラムはユニークで、例えばPYPでは、言語、社会、算数、芸術、理科、体育の6教科があり、「私たちは誰なのか、どのような時代と場所にいるのか、どのように自分を表現するか、世界の仕組みは自分たちをどう組織しているのか、地球を共有するとはどういうことか」などを教科横断的に学んで行きます。

私たちや人類にとっての普遍性や実社会の課題を、自分で考える、調べる、表現する、他人の意見も受容し共感する、解決法を探るなど、コミュニケーションを交わしながら学ぶアクティブ・ラーニングが基本のスタイルになっていて、TISでも、クロフォード校長先生の専門であるSDGs(持続可能な開発目標)のテーマで、どの学年の授業もアクティブに展開されていました。

今、日本は国際スタンダードなこの学習スタイルをようやくスタートさせたところです。小学校2年生の女の子の「私たちの体にはもうマイクロプラスティックが入り込んでいるの」の言葉を胸に刻み、学びの多い視察先を後にしました。(みらいのもり保育園園長、茨城キリスト教大学名誉教授)

ボランティアで音楽祭をプロデュース 《塞翁が馬》1

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三浦一憲さん

【コラム・三浦一憲】このコラムに参加することになった私は、「まちかど音楽市場」の代表です。2004年から、音楽をテーマにした企画を立て、ボランティア活動をしてきました。なんで?どうして?音楽イベントを開催することになったのか。その歴史や動機などを話していきたいと思います。

つくば市に来たのは1991

筑波研究学園都市は1963年の閣議了解から建設が始まり、1987年、つくば市が誕生しました。今年で34年という歴史の浅い新しい都市です。私は、両親が1980年にこちらに移住していた関係で、東京からよく遊びに来ました。当時は、富士山や群馬の山並も一望できました。住宅はあまりなく、人も少ない、新興開発地域でした。北風や春風で砂塵が舞い、家の中が砂だらけになることもありました。

1985年につくば科学万博が開催されますが、JR常磐線が唯一の交通手段で、「陸の孤島」とからかわれ、自殺者が話題になっていました。この万博に合わせて、センター地区の複合施設(ホテル、ノバホール、ペデストリアン)が完成し、都市の核になる顔ができました。

私が家族で移って来たのは1991年です。そのころには西武百貨店やダイエーが進出していましたが、センター地区も夜になると寂しいものでした。夜、犬と遊歩道を散歩したときは、誰にも会わないこともあり、これが「学園都市センター地区なのか」と驚きました。

「まちかどに音楽が聞こえる街」

そんな状況を市民レベルで何とかできないものかと思っていたとき、つくば市商工会と市産業振興課が開催したワーキングループに参加、その「まちづくり」部門で、音楽を主体にした地域活性化を提案しました。

その創設チームに、地域まちづくり専門家、筑波大学専門家、音楽専門家、地域スポーツチーム代表などが加わり、「まちかど音楽市場」の前身「つくば・まちかど音楽市場ネットワーク」が誕生、2004年から活動を開始しました。活動テーマ「まちかどに音楽が聞こえる街」がそのまま名前となりました。

つくば市は新しい街なので、試行錯誤を重ねながら、この15年間で113回のライブイベントを開催しました。15年分の膨大な記録や画像を分析・整理し、音楽祭開催のノウハウを次世代につなげられればと考え、今、報告書を作成中です。(まちかど音楽市場代表)

【みうら・かずのり】高校3年生の時に8ミリ映画を自主制作。以来、フリーのフォトグラファー。 電鉄・建築・人物などの撮影のほか、写真館も経営。つくば市市民活動センター・スタッフとして2年間勤務。2004年「まちかど音楽市場」を立ち上げ、代表に就任。現在住んでいる団地内でボランティア環境美化活動(ローズマリーの会)も。1991年、つくば市に移住。1952年、東京都江東区生まれ。

➡まちかど音楽市場ホームページはこちら

ローカルTV番組がおもしろい! 《遊民通信》17

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J:COM茨城が入る延増第1ビル=土浦市真鍋

【コラム・田口哲郎】

前略

コロナ禍前からですが、在京キー局のテレビ番組を見なくなりました。視聴習慣がなくなったと言われて久しいです。確かに昔は何曜日何時に見る番組が決まっていました。バブル期で番組製作費も豊富でセットが豪華、クセのある文化人が炎上なんて気にせずに個性的な発言をしていました。ありきたりですが、そこには「楽しみ」と「夢」がありました。

今時の若者みたいになんでもYouTubeで見るわけでもなく、偏向報道とゴリ推しあふれるキー局番組の「見せ方」にウンザリしていたとき、ふと見たローカル局の番組に引きつけられました。

うちは有線テレビ局J:COMで受信しているので、J:COM茨城、テレビ神奈川、千葉テレビも視聴できます。ローカル局とはいえ私企業ですから、スポンサー提供があっての番組制作という図式は変わりません。でも、たとえ番組内容が地元企業などのプロモーションであっても、作り込まれていない感じと良い意味の隙が自然なので視聴者はくつろげるのです。

それを知ってから、テレビをつけているときはローカル局を観ています。朝、キー局各社の情報番組は東京のグルメスポット紹介ばかり。一方、チバテレでは「モーニングこんぱす」をやっていて、我孫子の飲食店なんかを紹介している。

昼時、キー局ワイドショーは目新しくもない情報と政権批判ばかり。テレビ神奈川では「猫のひたいほどワイド」で、神奈川全域のおもしろスポットを紹介している。

夕方や夜は、J:COMで「いいじゃん!」「ジモト応援!茨城つながるNews」「マイシティつちうら」が身近な話題、おすすめスポットを伝えてくれる。不思議ですが、近所の情報にはがぜん興味が湧きます。深夜帯はローカル放送激戦区。旅番組「キンシオ」、音楽番組「関内デビル」「吉井さんGOLD」のラインナップで、テレビ神奈川が独り勝ちです。

J:COMの「いいじゃん!」「ジモト応援!」

JCOM茨城の「いいじゃん!」は、お笑い芸人のオジンオズボーンの高松さんと鈴木涼子さんが県南の飲食店やイベントを紹介します。「ジモト応援!茨城つながるNews」は、高松さん、鈴木さんたちがアナウンサーと一緒に地元ニュースを紹介。「見せる」ための情報提供ではなく、茨城に「ある」から伝えるというスタンス。

キー局番組に対しては斜に構えていた私も、ローカル局番組にはうなずいていることが多いですし、紹介されていた店や公園に行ってみたりします。東京中心時代には身近ながら遠かったローカルが段々近くなり、空白が多かった地元地図が埋められていきます。

今後は「いばらき人図鑑」のような、ゲストに話を聞くトーク番組や音楽番組、旅専門番組、歴史番組を制作して欲しいと思います。比類なき学研都市つくば、伝統的中核都市土浦には、ローカルメディアだからこそ発見・紹介できる人材・社会資源があるはずです。

全国に「見せる」情報ではなく、情報も地産地消を目指しましょう。それでいいのです! ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

最弱の戦国大名は超生命力家 《ひょうたんの眼》37

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ヤマボウシ

【コラム・高橋恵一】来年のNHK大河ドラマのタイトルは「鎌倉殿の13人」。鎌倉幕府の2代目執権・北条義時が主人公で、源頼朝の急死後に合議制を敷いて2代将軍・頼家の施政を担った13人の物語のようだ。

合議制と言っても、すさまじい権力争いが生じ、将軍頼家も3代将軍・実朝も周囲に翻弄(ほんろう)され、結局、正統の源氏将軍は3代で断絶してしまい、以降は執権北条氏の政権になるわけだが、13人の実力者が相克を繰り返し、結局、北条義時が権力を獲得する。

この時代を、地元土浦・つくばから眺めると、源頼朝が鎌倉に政権を確立した時に、現在の茨城県南地方に領地を得て登場したのが、八田知家(はった・ともいえ)。常陸守護の大名・小田氏の開祖である。「鎌倉殿の13人」の1人で、頼朝と同年代。13人の中では、長老格になる。

大河ドラマでは、どのように展開するのかわからないが、歴史ファンにはおなじみの、悪役・梶原景時(かじわら・かげとき)をはじめ、比企能員(ひき・よしかず)、畠山重忠(はたけやま・しげただ)、和田義盛(わだ・よしもり)などが滅ぼされ、大江広元(おおえの・ひろもと)のように老齢死去したものもあって、3代執権・北条泰時の時代には、親族でもある三浦泰村(みうら・やすむら)一族も滅ぼされて、有力武将はほぼ打倒されてしまう。

北条氏と一心同体のように幕府で権勢を維持してきた安達盛長(あだち・もりなが)の一族も元寇の後、安達泰盛(やすもり)の時代に滅ぼされてしまう。「霜月騒動(しもつきそうどう)」と言って、有力武士よりも内務官僚が実権を持ってしまった結果であり、政権が長期化するといつの時代にも起こる老化現象である。

地元の名士は郷土自慢の種

そのような情勢の中、若干の盛衰はあったものの、常陸の守護職小田家は、鎌倉時代を生き抜き、南北朝時代は、負け組の南朝に組みしながらも存続し、室町時代、そして戦国時代も常陸南部の有力大名として、存続し続けた。

戦国最末期に、小田城、土浦城を奪われてしまうが、戦国最弱の大名と評される当主小田氏治(おだ・うじはる)は、生き延びている。武田氏や朝倉氏、小田原北条氏のように、当主までが命を取られることなく生き延びたのだ。

2021年のNHK大河ドラマに便乗して、水戸市では一橋慶喜や水戸斉昭で盛り上がろうとしているようだ。歴史では、高萩市が長久保赤水(ながくぼ・せきすい)を押し上げている。地元の名士は、名所や特産品と共に、嫌みのない郷土自慢の種である。筑波山と霞ケ浦の抱える壮大な物語を、大いに売り込もうではないか。(地図好きの土浦人)

江戸時代の梅酒 《県南の食生活》25

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梅酒

【コラム・古家晴美】この時期、店頭にはチラホラと青梅が姿を見せ始めている。昨夏は梅の土用干しについて記したので(20年7月22日付)、今回は梅酒について見てきたい。現在、水割りや炭酸割梅酒が手軽に飲めるサイズで販売されているが、それでも自家製のものをお作りになる方もいらっしゃるだろう。

以下は「梅酒」の作り方についてしばしば引用される、江戸時代前期に著された『本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)』の一節である。著者は、庶民の日常生活に用いる食に関して記したと述べている。

「痰(たん)を消し、渇きを止め、食を進め、毒を解し、咽痛を止める。半熟の生梅の大ならず小ならず中くらいのを、早稲草の灰汁(あく)に一晩浸し、取り出して紙で拭き浄め、再び酒で洗ったものを2升用意する。これに好い古酒5升・白砂糖7斤を合わせ拌勺ぜ(かきまぜ)、甕(かめ)に収蔵める。20日余を過ぎて梅を取り出し、酒を飲む。あるいは、梅を取り出さずに用いる場合もある。年を経たものが最も佳い。梅を取り、酒を取りして、互いにどちらも用いる」(人見必大著・島田勇雄訳注『本朝食鑑2』 平凡社東洋文庫 1977年)

現代との違いは、いわゆる薬酒として用いられているが、焼酎ではなく、3年物の古酒の使用を勧め、あく抜きに藁(わら)の灰汁を使用している。慶安期の引き札によると、薩摩焼酎が1升500文なのに対し、酒が40~60文(古酒はこれよりは高いだろうが)で、焼酎は高価だ。庶民にとって、手頃な価格で火入れの技術が発達していなかった当時、3年間腐敗を免れた古酒は、果実酒作りにふさわしかったとの指摘もある。

かなり甘く濃厚 酒というより薬

では、現在の梅酒の分量と比べるとどうなるだろうか。
青梅2升=(中粒の青梅で計量したところ1.2リットルが1キロなので)3キロ
砂糖7斤=4.2キロ
古酒5升=9リットル
―に換算できる。

これを現在の一般的な梅酒レシピの分量である、青梅1キロ、氷砂糖600~1000グラム、焼酎1.8リットルと比較すると、梅:砂糖:酒の割合が、前者は1:1.4:3であるのに対し、後者は1:1:1.8となる。江戸時代の梅酒は、梅の量1に対して、砂糖と酒の割合がかなり高い。江戸前期の砂糖はまだ量産されておらず、高価であったろうが、気前よく使用している。

ただし、前者は氷砂糖を、後者は白砂糖を使用している。糖度の違いが99.95Z°と97.69Z°で多少の違いがあるが、残念ながら、糖度と甘味度の相関性の説明は専門外で難しい。古酒は当時も上等なものだろうが、醸造学の小泉武夫氏によれば、江戸時代の原酒はアルコール度数が17~22度で、アミノ酸度や酸味が高く、糖度に至っては4~5倍で味の濃いものだったので、希釈して飲んでいたと言う。

これらのことから大胆不敵に想像の翼を広げると、『本朝食鑑』の梅酒は、希釈せよ、とも書かれていないので、かなり甘めで濃厚な、「酒」というよりも風邪気味の時に飲む「薬」のイメージだろうか。

現在、いくつかの酒蔵で、江戸時代の日本酒を再現したものや、古酒を醸造している。これを機に、それらの酒で梅酒を作ってみようか。(筑波学院大学教授)

ワクチンなど4つの取組が成果 殺処分 最新集計を検証する㊦

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殺処分をなくすため茨城県動物指導センターで毎週、収容されている犬を保護団体が引き受ける「引き出し」活動をする鶴田真子美さん。収容されている犬1匹1匹の管理カードと犬を確認し記録している=茨城県動物指導センター

【コラム《晴狗雨dogせいこううどく》特別編・鶴田真子美】かつて全国最多だった茨城県動物指導センターの殺処分数はなぜ大幅に減少したでしょうか?

理由の第1は、パルボワクチン接種です。

2015年6月以降、常総市の野犬保護の取り組み時に、センターに収容された野犬が感染症のパルボウイルスに罹患したのを契機に、センターのパルボ撲滅を強く要望しました。このときセンターは、パルボを抑え込んだ千葉県のセンター等に視察に行かれ、全頭接種が鍵であることを聞かれたそうです。間もなく茨城県動物指導センターでも、パルボワクチンがすべての収容犬に接種されるようになりました。

それまでセンターに蔓延していたパルボウイルスにより、健康な犬たちも収容されてすぐに罹患し、血便と嘔吐で弱り、ガス室に入る前にはすでに衰弱していたというのがセンターの状況でした。殺処分前提で収容が行われていたからです。

しかし2015年夏から現在、ワクチンにより、ウイルスから個体を守ることができるようになったため、ボランティアが安心してセンターから犬を引き出せるようになりました。犬の殺処分を減らせた大きな契機はワクチン接種の実現でした。

残念ながら子猫にはまだ充分にワクチン接種がなされておらず、センターでも猫パルボが発生しております。パルボさえ抑え込めたら子猫の収容中死亡率も下がり譲渡が進みます。

これを防止するのは、幼齢の子猫への仮ワクチンの接種です。小さいからワクチンは打てないのでは、パルボウイルスにより命を落としてしまいます。パルボウイルスの体内増殖と競うように1日も早く抗体をあげるには収容時点での速やかなワクチン接種が必要です。

さらに、センターでは環境整備が課題となるかと思われます。子猫は一カ所に集めず、センター内外に小さなスペースを用意し、きょうだいごとに隔離収容することができたら、罹患したひと腹の兄弟猫と、健康体であるひと腹の兄弟猫とを一緒にせずに、より安全に助けられると思います。

また、センターに入れる前に、子猫を預けられるミルクボランティアさんの登録と養成も、猫の延命率を上げるのに有効でしょう。

条例制定で財源確保

なぜ殺処分が大幅に減少したのか? 理由の第2は、茨城県犬猫殺処分ゼロ条例の制定による財源確保です。

2018年12月、茨城県で犬猫殺処分ゼロ条例が施行され、これにより、収容犬猫へのワクチン接種や避妊去勢手術、地域猫活動に予算が下りることになりました。

2015年に常総市で野犬保護問題に取り組んで四苦八苦していたとき「待ってろよ、いまに犬猫を生かすための条例を作ってやるからな」と県議に言われました。保護犬の公示期間も2週間に延長されました。

2019年にはプレハブ猫舎が2棟建設され、古墳ドッグランが出来ました。

また、2020年にはドッグトレーナーが採用され、9月には雑居房にエアコンが入りました。

動物指導センターに整備されたドッグラン

センターが直接、一般譲渡

なぜ殺処分が大幅に減少したのか? 理由の第3は、センターが直接、一般譲渡に踏み出したからです。

2019年3月までセンターは、犬猫が欲しい県民を門前で断っていました。必ず登録ボランティア団体を通して譲渡を受けることが義務付けられており、県民は犬猫がほしくてもセンター登録団体をみつけて交渉するか、ペットショップに走るしかありませんでした。

2019年度からはセンターから一般の方に直接譲渡ができるようになりました。

直接一般譲渡する犬が待つ「ふれあい犬舎」

保護団体が毎週引き出し

なぜ殺処分が大幅に減少したのか? 理由の第4は、当会CAPINが、殺処分平均数である週4匹を毎週、センターから引き出す活動を続けているからです。これは県内外のボランティアさんの頑張りによります。

当会CAPINでは、センターから毎週4頭ずつ、野犬、老犬、怖がり犬を中心に引き出してきました。2019年1月から21年5月までの合計で犬398匹となります。

飼い主に返還は少ないまま

センターに収容された後、飼い主に無事返還された数はどうなっているでしょうか。

犬は2016年から20年まで、順に152匹、122匹、128匹、149匹、133匹が返還数です。収容数そのものの減少を考慮しても、相変わらずの返還率の低さです。収容頭数と比べると2016年は7%、20年は12%です。

猫の16年から20年までの返還数は、1匹、6匹、2匹、2匹、9匹という少なさです。負傷していない限り成猫は原則引き取らないセンターに、居なくなった猫を探して足を運ぶ方も少ないようです。

返還率の低さは、個々の猫の飼い主さんに、終生飼養や逸走防止の心得、完全室内飼育が当たり前という意識が育っていないこともあるでしょうが、行政側からの畜犬登録指導や鑑札迷子札の装着徹底の啓発が進んでいないことが背景にあります。

狂犬病予防法に基づく人命救助の観点からも、飼い主不明の犬がこれほどたくさん徘徊していること自体が深刻な問題です。狂犬病予防接種と畜犬登録は市町村の業務であり、市町村も飼い犬の迷子札装着や逸走時の予防線として犬の情報をつかむことが必要と思われます。

迷子や遺棄は後をたたず、収容犬猫は県内外の譲渡ボランティア団体の努力で何とか殺処分を減らしているような現状では、真の解決は遠いと思われます。

水戸市の動物行政は独立

なお2020年度から、水戸市は中核市として動物行政を独立させ、水戸市動物愛護センターを開設しました。水戸市独自で収容と譲渡を行っているので、こちらの統計は水戸市を除いた数となっています。

水戸市では現在まで殺処分は行われていません。(犬猫保護活動団体CAPIN代表)