金曜日, 3月 29, 2024
ホーム ブログ ページ 44

「面の皮」の薄い人、厚い人 《くずかごの唄》93

0

【コラム・奥井登美子】

「肌の荒れないマスクありますか?」

「顔のお肌に何か炎症でも…」。

客は若い女の人。マスクを外して肌を見せてくれた。

「ほら、こんなに赤くなってしまって」

目の下、頬のあたりが赤くなってしまっている。ここ2~3日の蒸し暑さは普通ではない。マスクでふたをされて、顔にいわゆるアセモができてしまっている。

「あら、赤くなってしまっていますね」

「皮膚科で診てもらいたいと思っても、お医者に行くのにもマスクが必要なので困っているの」

世の中には、私みたいに精神的にも肉体的にも面の皮の厚い人と、薄い人がいる。薄い人は敏感で、ちょっとした刺激でも皮膚に炎症を起こすので、暑さの中、マスクと顔の皮膚炎の心配もしなければならない。

自分の「精神安定剤」を自分でつくる

コロナ禍のなか、友達からの電話相談も多い。

「もしもし、家族がコロナになったらどうしよう。心配で、心配で、夜、眠れないのよ」

「体を動かしていたら、疲れて、夜、ぐっすりよく眠れるわよ。体を動かせばいいのよ」

「外へ出たりしたら、コロナが大変だから、どこにも出たくないの」

「私は家庭菜園をやって、体を鍛えているの。今日も、ナス3本とキュウリがとれたわよ。どうやって料理して亭主に食べさせようか、料理を考えるのも楽しいし」

「そんなの、私には無理だわ、明日、医者に行く日なの。先生に頼んで、よく効く眠り薬を入れてもらいたいの。名前教えて…」

「睡眠薬? それだけはやめた方がいいわ。副作用で認知症が進むというデータもあるし、認知症にだけはなりたくないでしょ」

「父の認知症で苦労したの。絶対なりたくないわよ」

「自分の精神安定剤を自分でつくりなさいよ」

「薬? 薬なんか、つくれないでしょうよ」

「何か一つ、創造的なものを目標にして、それにまい進してみるの。絵でも、俳句でも、料理でも…」

友達だから面の顔の厚さで、ずけずけと、精神安定剤の怖さも言えるけれど、薬局のお客には言えない。(随筆家、薬剤師)

常総線の未来は?《茨城鉄道物語》15

0
守谷駅の常総線車両

【コラム・塚本一也】茨城県内で乗車できる鉄道は11路線あります。古河駅から乗車できる東北線、下館駅から乗車できる真岡線、鹿島神宮駅から乗車できるJR鹿島線などもカウントしておりますが、県内を通過しているものの、乗車できない東北新幹線などは含んでおりません。これまで取り上げた路線は8路線となっており、残りが少なくなってきました。

今回は身近に存在し、歴史もあるのですが、話題として取り上げづらかった常総線について少し触れたいと思います。

常総線は取手駅から下館駅まで、関東鉄道が経営する非電化の私鉄です。営業距離は51.1キロですが、取手駅から水海道駅までの17.5キロは1984年に複線化が完了し、首都圏へ通勤客を輸送する役割も果たしています。平日の7時台は上下線とも6~7分間隔でダイヤを編成しており、取手駅ではJR常磐線、守谷駅ではTX(つくばエクスプレス)と接続しています。

常総線沿線は、東京23区の過密対策として、1970年代に入ると常総ニュータウンの開発が始まりました。当時の住宅公団による、計画人口9万人の大規模な開発です。開発当初、常総ニュータウンから東京駅へ直通電車が通るという触れ込みに引かれ、多くの方が住宅を購入したといわれています。

そのため、丸の内の大手企業に勤務するエリートサラリーマンが多く住んでいるといううわさを聞いたことがあります。しかし、およそ35年後にTXが開通したときには、そういった方々は定年を迎えていたという「ブラックジョーク」もささやかれているそうです。

常総線の路線図

非電化でも複線区間を持つローカル線

非電化でありながら複線区間を持つ営業線は全国でも珍しいですが、鉄道貨物輸送が華やかだったころには、こういった路線は結構ありました。その後、貨物輸送が衰退したために、電化に至らずにそのまま営業線として残っているようです。

その点で常総線の場合は特異であり、非電化の原因は本コラムでも以前取り上げたこともある気象庁地磁気観測所(石岡市)の影響です。東京近郊の通勤電車としての機能を期待されながら、「非電化のローカル線」というレッテルを貼られてしまう常総線は、将来構想が大変描きづらい路線と思われます。

私たちが子供のころ、県西地区の田園地帯を走る常総線は「まぼろしの常総線」と言われていました。特に2両編成で走る姿を見られたときには、何か良いことがあると言われたものでした。今、常総線は、通勤時2両編成、イベント時4両で走っています。

コロナ禍により、在宅勤務という新しいライフスタイルが注目されていますが、TXや常磐線と接続している常総線は、そのポテンシャルをどう活かしていけばいいのか、関係者のご尽力に期待したいと思います。(一級建築士)

外国語を学ぶコツ③ 《ことばのおはなし》37

0

【コラム・山口絹記】「あいつのこと、好きなの?」というセリフがあったとする。特に違和感はない。しかし「トマトのこと、好きなの?」とは言わないだろう。

理由を説明できるだろうか? 説明できなくてもよいのだ。経験上おかしいと感じられるのが多くの日本人の言語感覚であり、これこそが大量の文章を丸暗記する価値だ。

今回は、語彙(ごい)力をつけるための、次のステップについて述べていこうと思う。

あなたが仮に「鯔」という漢字が読めなくても、魚だろうと推測ができるように、英語にも知らない単語を推測する手がかりが存在する。

それは、ラテン語由来の接頭辞+語幹+接尾辞で構成される「語源」というものだ。英単語は日本語訳で多くの意味を持つことが多い。詳しい解説は割愛するが、これは英語がラテン語、ギリシャ語を語源とする語が数多く存在することによるものだ。

例えばastronaut「宇宙飛行士」、astronomy「天文学」、disaster「天災」。これらはast(e)r-「星」という語幹によるものである。

語源の知識が付くと、気持ちの良い和訳が見つからなくとも大体の意味がつかめるようになることが多い。

また、そろそろ洋書の単語帳を用いた学習を始めてもよいかもしれない。英語ネイティブが語彙力を伸ばすために使用するものだ。今ではネット通販で簡単に手に入るものも多いため、ペーパー版で手に入れてみるとよいだろう(書き込み式が多いため、電子版はおすすめしない)。

語彙の知識にこだわる

さて、どうしてここまで語彙の知識にこだわるのか。

私たちは日常的に多くのことばに出会う。もはや無意識に、注意深く読むべきか、耳を傾けるべきか取捨選択をし、誤字脱字はある程度補完し、たとえ知らない単語でも大体の意味が分かれば調べなくてもよいと判断している。例えば、

「私は昨日、織田信長と桃太郎と釣りに行き、鯔(ぼら)を食べて復をこわした」

この文章を一蹴するには、実は日本の歴史や童話の基礎知識を前提に、「復」という誤字を自然と「腹」に置き換えなければならないのだが、さらっと読み飛ばすことができるだろう。

しかし、人物がConfucius「孔子」とLittle Red Riding Hood「赤ずきん」に入れ替わり、その後の文章に知らない名詞や誤字脱字があったら?

単語帳の語彙だけでは太刀打ちできず、辞書を引いても該当する単語が無い。

テストでは高得点が取れても、英語の児童文学すら読めなかったりするのは、こういったところにも原因があるのだ。

日本人の多くは『ハックルベリー・フィンの冒険』も、『聖書』も読んだことがない。恥ずべきことではなく、そういうものだ。

言語とは、その使用者が積み重ねてきた歴史と文化の上に形成される。広く前提とされているような知識に欠落があるということがいかに苦しいことか。しかし、そういった発見が苦しさから楽しさに変わる瞬間というのが必ず訪れる。

その瞬間というのが、ある程度の語彙を身に着けた状態、つまり、一定の語彙力を手に入れた瞬間なのだ。(言語研究者)

コロナ医療崩壊 つくば市の誤判断 《吾妻カガミ》114

0
日本財団つくば研究所跡地

【コラム・坂本栄】コロナ感染者が急激に増え、首都圏で医療崩壊が起きています。陽性者を含む医療が必要な人の数と、これらの人を受け入れる病床数の需給が崩れ、コロナ患者が医療システムの外に置かれるという非常事態です。昨春、日本財団が打診してきた軽症者収容施設をつくば市が受け入れていたら、こういった惨状はかなり緩和されたのではないかと、残念でなりません。

「戦争ができない国」になった日本

本欄ではコロナ禍を有事と捉え、何回か、国や自治体が実施すべき(あるいはやってはいけない)対コロナ策(作戦)を取り上げました。初回「…つくば市のコロナ対応」(昨年4月6日掲載)では、ワクチン(武器)入手や接種所(前線)への配送(後方支援)はもちろん、対コロナ(敵)の基本は国境・県境で阻止する、それに失敗したら密空間(戦域)での拡散(戦闘行動)を抑える―ことが大事と指摘しました。

こういった枠組みで考えると、県境を越えるGO・TOトラベル、国境を越える東京五輪は間違った対応でした。ワクチンの自国開発不調は後日検証するとしても、河野太郎氏をワクチン担当相(兵站司令官)に就けたのは人事ミスでした。目立ちたがりの彼は、次々と場当たり策を打ち出し、ワクチン配送と接種所を混乱させたからです。米国では軍の兵站(へいたん)部門が配送を担当したと聞きます。

また、政府が私権制限を可能にする法整備を怠ったのは失態でした。これでは、国民が密になる場所に集まることを放置、コロナの犠牲になる(効果的な機銃掃射の標的になる)のを許すようなものです。菅首相は有事と平時の違いを理解できないのでしょうか。誤解を恐れずに言えば、日本は「戦争ができない国」になってしまいました。

残念だった「コロナ野戦病院」拒否

小粒ですが、つくば市にも似たような対応がありました。コラム「…コロナ対応を点検」(昨年5月4日掲載)で、2つの事例(小中学校の密状態容認、人の市境越え誘導)を挙げておきましたので、詳しくはリンク先をご覧ください。それよりも、9000もの病床を備える軽症者施設の市内設置を断ったことは、大局観に欠ける失態でした。

競艇の収益で公益活動をしている日本財団が、つくば市にある1万7300坪の同財団研究所跡に、軽症コロナ患者(戦傷者)を収容する大テント病棟群を設置したいと、市に同意を求めてきたところ、五十嵐市長は市民の同意を得るのが難しいとの理由で拒否した、というのがその経緯です。秋の市長選を前にして、「迷惑施設」は政治的にマズイと判断したようです。詳しくはコラム「『大型コロナ病床の是非』の是非」(昨年4月20日掲載)に出ています。

このテント病棟(野戦病院)が実現していれば、首都圏の重症者(治療は集中治療室)、中症者(同病院か在宅)、軽症者(同原則在宅)のうち、軽症者と中症者の相当数を収容でき、首都圏の病床需給は劇的に改善されたでしょう。コロナ禍を有事と考え、施設を受け入れていれば、五十嵐さんはその見識が評価され、将来の首相候補になっていたしょう。残念。 (経済ジャーナリスト)

村上茉奈も金メダリストも観たかった《ひょうたんの眼》40

0
百日紅

【コラム・高橋恵一】東京オリンピックが終わり、24日からパラリンピックが始まった。多くの課題を抱えたままのオリンピック開催だった。日本選手団は、金メダル27個を含め計58個のメダルを獲得し、史上最多になった。

日本メディアの報道は、日本人選手のメダル、特に金メダル獲得が主題で、私たちがオリンピックに託している期待、理想を踏まえた報道とは、かけ離れていた。メディアが、国民の好みに合わせて報道しているのであれば、日本人の品格、感性はこれほどまでに低下してしまったのだろうかと情けなくなってしまい、やはり日本は、オリンピックを開催する資格の無い国だと思えて仕方がない。

体操競技では、内村航平選手の最後の挑戦があり、19歳の橋本大樹選手が個人総合と鉄棒で金メダルに輝いて、日本体操を引き継いだ。女子体操では村上茉奈選手が床運動で銅メダルを獲得し、その素晴らしい演技は何回も繰り返し放映された。

ところで、女子床運動の金メダルはジェード・キャリー選手(米国)、銀メダルはフェラーリ選手(イタリア)なのだが、中継時に視聴していなかったので、どのような演技だったのかわからない。世界一の演技も観たい。金メダリストのインタビューもプロフィールも知りたい。銀メダリストについても同じだ。

体操競技だけではなく、日本のオリンピック報道の偏狭さが目立ちすぎる。前評判の高い日本人選手の情報は、有り余るほど披露されるが、外国人選手の情報は乏しい。それどころか、格闘技のテレビ中継中に「(日本の)〇〇選手が相手の選手の……」という表現があった。外国人選手の名前も、所属国地域もとっさに言えないのだ。

甲子園の中継で、対抗チームの学校名が言えないアナウンサーがいるだろうか? オリンピック報道なのに、日本の対戦相手選手の名前も所属も紹介されず、日本の弱い種目の金メダルを獲得しても、競技の放映もプロフィールの紹介もされなければ、大変失礼な扱いなのではないか。主催国の報道姿勢が問われる。

メディアは日本選手の金メダルだけに集中?

日本の金メダルへのこだわりは、メディアの一角を成す解説者にもあり、元々口数の多い元アスリートは、日本の酷暑と感染症の蔓延を、外国からの参加が少なくなるので、日本人選手に有利だと解説していた。開催する以上、外国選手に良い環境を用意しなくてはならない側としては、許せない、というよりあまりにも情けない発言だった。日本の選手が金メダルを取ると、重要な政治課題の番組中でも、臨時のスーパー字幕が流される。外国人選手のオリンピック新記録はニュースにもならない。

我々は56年前、柔道のヘーシンクやエチオピアのアベベなどの活躍で、世界のアスリートの偉大さを実感し、それまで知らなかったアフリカや東南アジア、中南米の小さな国からの参加選手に親しみを持ち、応援もした。

開催中のパラリンピックは、障害者アスリートたちが、持てる能力と存在のたくましさ、すばらしさを主張して、参加している。しかし、日本のメディアは、相変わらず、日本選手の金メダルだけに集中するのだろうか? 日本の品格が問われている。(地図好きの土浦人)

ナラ枯れの脅威! 被害対応奮戦記(下) 《宍塚の里山》80

0

【コラム・佐々木哲美】ナラ枯れ被害木の対応は何とかなりましたが、次に問題となるのは、ナラ枯れ被害が比較的軽い経過観察木と新たにカシナガの削孔(さっこう)が発見された樹木の対応です。

経過観察の樹木のナラ枯れ対応には、クリアファイルのトラップが有効であると森林総研の升屋主任研究員から教えられ、実施することにしました。このトラップは、トランク・ウインドウ・トラップ(TWT)と呼ぶ静岡県で考案されたもので、市販のA4クリアファイルの1枚と1/4を使って作るため、非常に安価にでき、設置も簡単です。

さっそく、調査の希望者を募ったところ、会員の山口かなえさんが、子どもたちにも挑戦させたいと手を挙げてくれました。山口さんにTWTを100枚ほど作っていただきました。

6月初めに升屋主任研究員に来ていただき、大人5名、子ども10名でナラ枯れ対策のトラップを設置しました。子どもたちも活躍し、楽しく作業ができました。山口さんが、子どもたちにチャレンジさせたいと思ったのは、ナラ枯れ対策を通じて子どもたちが生態系を学ぶいい機会になると考えたからだそうです。

以後、毎週、トラップを子どもたちと巡視して、捕獲状況の確認と石けん水の補充を続けています。また、状況に応じてトラップを増やす、隣接した樹木にもトラップを設置するなどしています。

「ナラ枯れ対策は『試行錯誤』」

ナラ枯れの基礎知識を学ぶために、「ナラ枯れ学習会」を7月17日(土)に開催しました。升屋勇人さんを講師に「カシナガキクイムシによる樹木の枯損」と題して1時間半ほど話してもらい、その後、現地で説明していただきました。参加者は環境教育部会を中心に12名でした。環境部会は、9月に筑波大学生命環境系の学生30名ほどを受け入れますが、野外体験学習に「ナラ枯れ」をテーマに行いたいと考えています。学習会は大変有意義で好評でした。

学習会の最後に、升屋さんから「ナラ枯れ対策手法は確立されておらず、試行錯誤を繰り返している状況である。ただ、熱意をもって、やり方を考えながら取り組んだ地域は成功している。3年ほど頑張らなければ、効果は確認できない」と、継続して取り組む必要性をアドバイスされました。

今後、3年も継続するには、子どもたちに新たな目標を示してやること、地元の小学校や中学校の自然観察や自由研究の題材、高校生や大学生の研究課題として示し、関わるように働きかけていきます。被害木の被覆作業や伐採作業も比較的重労働なこと、資機材の購入費などもあることから、何らかの助成金をいただいての対応も考える必要があります。

対処方法は、火災と同じで初期消火が一番効果あり重要なことですが、ボランティアだけでは対応に厳しいものがあります。現実の問題として見えてくるのは、行政、研究機関、学校、市民などが連携して取り組むことがカギのような気がします。(宍塚の自然と歴史の会 副理事長)

つくば工科高校サポートクラブ(3) 《塞翁が馬》4

0

【コラム・三浦一憲】前回(7月30日掲載)、工科高生の見学先4つを紹介しましたが、今回はその続きで、人気があった3カ所を紹介します。「お台場科学技術未来館~ビーナスフォート~東京国際フォーラム」、「クラッシックフレッシュコンサート」、「外国人宿舎二の宮ハウス工事現場」です。大手建築会社の現場見学は普通の人では不可能ですが、建築科生の見学要望はすんなりと通り、大会社も高校生には優しいのだと驚きました。

第8回 お台場科学技術未来館~ビーナスフォート~東京国際フォーラム このコースは、修学旅行のコースにもなっていますが、建築科の高校生が見学することはとても重要です。日本人の常識を超える建築を体験できるからです。アーティストとして建築家は職業建築士とは立ち位置が違うことを体験できたと思います。

第7回 クラッシックフレッシュコンサート クラッシックコンサートは、普通の高校生はまず行きません。だから、目の前で聞かせる、これが重要なのです。同年代の若者が高いレベルで音楽を奏でることを、工科高生に伝えたいと思い、学内音楽室でコンサートを開催しました。毎日過酷な練習をして、芸大などに合格できる演奏レベルになる―これから大学受験を迎えはる高校生に伝えられたでしょう。

第5・9・10回 外国人宿舎二の宮ハウス見学 二の宮ハウスはつくば市内に設けられた外国人研究者向けの宿舎です。3回の見学会では、センスのよい住宅を見てもらい、日本人がいかに味気ない部屋に住んでいるか、どうしておしゃれな住居に住めないのか、高校生なりに問題意識を持ってもらうことを期待しました。

理論だけでなく現場を見せる

一連の見学会を総括すると、全11回のいろいろな建築を何も知らない高校生に見せ、よい刺激を与えられたと思います。机上の理論だけでなく現場を見せ、感じさせることの重要性を再認識したプログラムでした。

高校生が何を感じたのか、アンケートを取らなかったのでよくは分かりません。でも、大学受験が終えた学生と母親が私のところにお礼のあいさつに来たとき、「あのプログラムのおかげで、建築の面白さに目覚め、建築科に合格しました。ありがとうございました」と言われ、つくば「工科高校サポートクラブ」の苦労が吹き飛びました。

こういったボランティア活動の最初の経験が、私の「まちかど音楽市場」につながっていくとは、この時は想像もしていませんでした。人生無駄になることはない。一喜一憂しないで目の前のことを解決していくことが未来につながる。まさに、塞翁が馬(さいおうがうま)です。(まちかど音楽市場代表)

庭の片隅の食べもの ミョウガ《県南の食生活》28

0

【コラム・古家晴美】今夏も猛暑に見舞われ、かつ新型コロナの緊急事態宣言が発せられ、外出もままならない。暑苦しく、行き場のないいら立たしさを感じている方々もいらっしゃるのではなかろうか。しかし、このような中で、キーンと冷えたお素麺(そうめん)を喉から流し込む瞬間の心地よさ。そのお伴が、本日のお題の庭の片隅でひっそりと出番を待っているミョウガだ。主役になる機会は少ないが、なくてはならない脇役だ。今回はミョウガを取り上げてみよう。

実は、3世紀の『魏志倭人伝』に、すでにその名が記されている。日本人と長い時間を共に過ごしてきた。

阿見町大室のHさんは、ミョウガを輪切りにして素麺、蕎麦(そば)、うどん、味噌汁の薬味や吸い口にする。また、子どものころから、家の竹山にできるミョウガを摘んできて、母が甘酢漬けにしていた。水洗いした後に、十分に水を切らないと、そこから傷んでしまう。竹山のミョウガは竹の根が張っているせいか、全然増えないが、その分、他家のミョウガよりも大きく育った。

ミョウガには、7月ごろに摘み取る早生で小ぶりの夏ミョウガと、9月に入ってから採れる中生・晩生の秋ミョウガがある。ミョウガの芽が出始めて、程よい大きさになったものから順番に摘んできて使うのは、夏から秋にかけての楽しみの一つだ。

また、繁殖力が非常に旺盛で、一度摘んでしまっても、4~5日するとすぐに次の芽が出て、肥料もいらない便利な香味野菜といえる。天ぷらや卵とじにして吸物の具、ぬか味噌漬け、粕漬け、味噌漬けにしたり、浅漬けにもみ込むこともある。その利用法は多岐にわたる。さらに、甘酢漬けにすれば1年間持つという優れものでもある。

たくさん食べると物忘れする?

古くは茎を乾燥させ、繊維から縄をない、草鞋(ぞうり)や下駄(げた)の緒に用いた。また、根茎から取った粉末は目薬となった。

落語に「茗荷宿(みょうがやど)」という話がある。神奈川宿につぶれそうになった宿があった。そこに珍しく客が来て、百両を預けて寝てしまい、宿主はそれが欲しさにたくさん食べると物忘れするというミョウガをいっぱい食べさせる。旅人が百両のことを忘れて出立するが、すぐに戻ってきて事なきを得て別れる。宿主の妻は「何か忘れたものはないか」と聞くと「そう、そう宿賃の払いを忘れていった」と言う落ちである。

子供のころにミョウガは食べさせてもらえなかったという記憶のある方もおられるだろう。どこぞの政治家は、ミョウガを食べ過ぎたのであろうか。(筑波学院大学教授)

胃カメラが見つけたものは? 《続・平熱日記》92

0

【コラム・斉藤裕之】迎える60回目の誕生日。その前に毎年恒例のアレを飲みにいかなくてはならない。「胃カメラ」。大事な検査であることはわかっているが、かなり憂鬱(ゆううつ)。大のおっさんが、涙を流しながら背中をさすられるあの苦しさ。もしもこれで拷問されたら、すぐにギブだ。麻酔を使う方法を勧めてくれた友人もいたが、「麻酔を希望しますか?」という看護師さんの事前説明に、やせ我慢して「いいえ」と答えてしまった。

いよいよ検査当日。まずは喉の奥に薬を数分間ためながら思う。「これ効果あんのかなあ?」「胃カメラを開発した人は自分で何度も飲んだんだろうな?」

そして横になるとチューブが挿入される。「はーい、食道を通過しますからね」。ここが一番の難所。「オエッ」となって涙が一筋流れる。指示通り大きく呼吸を試みる。「あれ? 意外にいけるかも」。何がどう違ったのかはわからないが、これまでよりも大分楽な感じで検査を終えることができた。もしかしたら胃カメラとともにコツも飲み込めたかも?

病気とは無縁に生きてきたが、偶然ともいえるタイミングで数年前に見つかった腫瘍。運よく命拾いしたのも胃カメラのおかげ。それから、コロナの時代を予測し準備していたわけではないが、ちょうど2年前の誕生日に特に決意することなく酒をやめた。煙草もあっさりやめた。

一汁一菜。9時前には眠くなり、夜明けとともに起きる。朝、小さな絵を描き、この夏の午前中は草刈りに出かける「晴耕雨描」の生活。

「肋骨が2本も折れてますが…

さて次の週、担当の先生の問診。血液検査や画像を見ながら、「胃の方は問題ないですね」。ほっとひと安心。しかし油断はできない。

「斉藤さん、腎臓に石ができてますねえ」と言われて、カテーテル手術に臨んだのは2年前。頼む、CT画像に変なものが映っていなければいいが。すると先生、CTの画像を見ながら「さいとうさん…」「はい」「肋骨が折れてますが」「はい?」「思い当たることはあります?」「あっ!」

はいはい。このエッセイにも書いた通り、昨年、イルミネーションの設置作業中に脚立から落ちた際のあれ。豊かな?骨折経験から「多分やっちゃったな」と思いつつも、医者に行かずじまいだったのを思い出した。半年以上多経ってもわかるんだなあ、と感心していると、「それも2本」「え!」「くっついてますけどね」。

「では1年後に」。マスク越しの先生のあきれたような薄笑いを感じながら、マスク越しにほほ笑み返し。病院を出ると、途端に熱波が体を包む。さあ、頑張って草刈りに行くとしよう。(画家)

菅総理、小池知事は即刻お辞めください 《邑から日本を見る》94

0

【コラム・先﨑千尋】私はこれまで、政府や東京都の五輪や一連のコロナ対応について、あまりにもバカバカしく、論評に値しないと考えてきた。しかし、コロナウイルスのまん延による医療崩壊という国難を見て、モノを書く1人として黙ってはいられない、黙認すれば、菅義偉総理や小池百合子東京都知事のやっていることを認めたことになる。そう考え、この際「お2人は国民のために1日も早く職を辞してください」と申し上げる。

今年のお盆はずっと雨。この辺りは大したことはないけれど、九州、中国、長野などでは河川の氾濫やがけ崩れなどの災害が発生し、死者も出ている。気象庁は危険な地域に避難を呼びかけ、市町村は避難所を設置している。高齢者や1人暮らしの人などには、消防団員や自治会長、隣近所の人が声をかけ、救助したり避難所に連れて行ったりする。自助だけでは自分の命を守れないから、共助、公助があるのだ。

コロナの場合はどうか。医療ひっ迫、医療崩壊、災害だと言う。コロナの陽性者が増え続け、病床が足りなくなり、入院基準を厳格化し、重症者以外の中等症、軽症者は入院させない、自宅療養だと言う。自分の命は自分で守れと言う。東京だけですでに入院待ちの人は3万人を超えている。家は病院ではない。自然災害と同じに、国民の命に直結している。

逆ではないか。自分で守れないから保健所に相談し、病院に行く。自助では自分の命は守れないから、共助、公助の方法、手段として行政や医療機関がある。それなのに、ベッドが足りないからお前は助けられないと言う。火事になっても、消防車が足りないから仕方がないと言っていいのか。コロナが災害だと言うなら、地震や大雨などの災害と同じではないか。コロナ患者にとっての避難所は病院なのだ。

こうした重大な決定を、政府は国会や諮問機関に諮らず、与党にすら相談なしに決めてしまったようだ。場当たり的な政府の対応について、ネットでは「コロナ敗戦」という言葉が飛び交っているとか。菅総理は無策、無反省を恥じることなく、ワクチン接種、3密を避ける、人流の抑制、不要不急の外出は自粛、とオウム返しのように言い続けている。ラムダ株にはワクチンはほぼ無効だという情報も伝えられているのに。

プランBを用意すべし

私は、国でも自治体でも企業でも、今進めていることが失敗したらどうするのか、最悪の場合はどうするのかを考えるのがトップの責務だと考えてきた。プランB 、プランCを用意するということだ。オリンピックを開けば、国民はそれに熱を上げ、支持率が上がるはずなどというチンケな人にはプランBなど持ちようもないだろうが。菅総理も小池知事もこの2年近く、権力とカネを持ちながら、一体何をしてきたというのだ。

私ならどうするか。すでに多くの人が提言していることだが、PCR検査を無償でできるだけ多くの人に実施する。軽症感染者を隔離する施設をつくる。オリンピックの選手村、ホテル、体育館などを活用すれば、新たにつくらなくとも済む。野戦病院だ。中等症、重症者向けの病院をつくる。スタッフを養成する。陽性者や雇用している事業主には現金、現物を給付する。やる気になればすぐにできることだ。菅総理はやる気がないので、できないと思うが。(元瓜連町長)

地球温暖化が宇宙ゴミを増やす? 《食う寝る宇宙》92

0

【コラム・玉置晋】それにしても今年の夏も暑い日が多いですね。ウチには室内犬(べんぞうさん)がいるので、仕事で出かけても冷房つけっぱなしで電気代が怖い。僕が子供のころ(昭和末期)は、もっと過ごしやすかった。地球温暖化問題が我が家の家計を直撃しています。

温暖化といえば、工場、発電所、自動車…。直接的であれ間接的であれ、私たちが生活するために、多くの二酸化炭素が排出されています。ほかにも、地球温暖化を引き起こす気体であるメタンが、家畜のゲップだけでなく、永久凍土が溶けて、地下で凍結されていたものが大気に大量放出されると懸念されています。

これらの物質は、太陽からのエネルギーを吸収して赤外線を出す特性があります。赤外線は電気コタツで想像できると思いますが、空気を暖める効果があります。その熱は地上近くでは厚い大気に閉じ込められて、どんどん熱がこもる。僕らが暑い暑いと言っているのは、このためです。

太陽活動が低調→紫外線量が減少

このコラムでも何度か取り上げている「宇宙ゴミ問題」。宇宙ゴミは運用を終えた人工衛星や打ち上げロケット、それらが衝突した破片で構成されています。高度600キロ以上の宇宙ゴミの多くは、僕らが生きている間に自然に落ちてくるのは難しいです。一方で、高度600キロ以下は薄いながらも大気が存在するため、宇宙ゴミにブレーキをかけることから、数年~十数年で大気圏に落ち、その数を減らす作用があります。

なんと、地球温暖化が宇宙ゴミを増やしているというのです。高度が高くなると大気が薄くなるために、熱は宇宙空間に逃げていきます。熱がなくて温まらなければ、大気を構成する分子や原子の移動が鈍いので、地球の重力に負けて下に落ちます。国際宇宙ステーションが飛ぶ高度400キロくらいだと、2000年以降、大気密度が2割も減りました。

主な要因は、最近太陽活動が低調で、太陽からの紫外線量が減ったことによります。地球温暖化問題が、これに拍車をかけている可能性があります。大気密度が減ると、宇宙ゴミにかかる大気抵抗が減るために、大気圏に落ちて消滅するまで時間がかかることになります。地球温暖化問題が、宇宙ゴミを増やす原因になるというのです。(宇宙天気防災研究者)

完璧な能力は人生に必要?《続・気軽にSOS》91

0

【コラム・浅井和幸】人間の脳には臨界期というものがあるようです。「人間の能力には」と言ってもよいかもしれません。ネットで「脳の臨界期」を検索すると興味深い論文などがみられるので、ぜひ調べてみてください。面白いですよ。ま、ひねくれ者の皆さんは、プラスして「批判」の検索も楽しいです。

平たく言うと、〇〇歳までに習得しないと完全に習得できない能力というものがあり、その〇〇歳というのが臨界期というわけです。あらゆる音が絶対的なド、レ、ミ…に聞こえる絶対音感、語学の発音、バランス感覚などなどがあるようです。この理論を重んじると、早期に教育しなければ立派な大人になれない、といった教育論につながりやすいですね。

商売というものは、そこをうまくついて広告するものですね。「資格をとろう」なんて、気を付けてくださいね。

全てを否定するつもりはありませんが、私が否定的な文章を書いている理由の一つは、それが個人個人に合った教育からかけ離れてしまう危険性です。例えば、「ハイハイ歩き」よりも「つたい歩き」の方が人間として価値が高いと言って、「ハイハイ歩き」をさせないと、これで習得する大切な能力が得られない可能性があります。

成長には個人差があるのに、〇〇カ月で「つたい歩き」を習得しないと、まるで子育て失格だと自分を責めてしまう親御さんもいますね。

立派な勉強は実を結んだ?

もう一つは、そんなに完璧な能力を身に着けることが、多様性のある人生においてどこまで必要性かという疑問です。絶対音感はないけれど、素晴らしいミュージシャンは星の数ほどいます。幼児教育で英語を習わなかった英語教師や、海外で英語を使って活躍する研究者は、当たり前にいます。

運動能力にしても、日常生活やある親御さんが目指す子供の成長した生活の中で必要な運動能力は、世界有数の高い能力が必要でしょうか。そこまでの能力は必要ないことの方が多いですよね。

例えば、50歳で100メートル走や垂直飛びの成績がよいのは、元運動選手でしょうか、それ以外でしょうかと質問されたら、今、その運動を続けている人だというのが事実でしょう。ましてや、けがや病気のない健康の状態は、元スポーツ選手である方がけがで引退して、後遺症が残ってないでしょうか。

英語を話せないのは、テストや文法理論偏重の教育のせいだ、もっと早く素晴らしい教育を受け続けられれば、きっと英会話ができる人間が増える―。否定はしませんが、私だったら、英語を話せたらより立派な仕事ができるとか、素敵な女性とつき合えるという実例を感じられた方が、英会話を頑張っちゃうかもしれませんね。立派な数学や化学の勉強は、実を結びましたか?(精神保健福祉士)

障害者の私だからできること 《電動車いすから見た景色》21

0

【コラム・川端舞】私は時間管理が下手である。自分の体力を過信し、いろんな予定を入れてしまう。よくよく考えれば、私は話すのにもパソコンを打つのにも他の人より倍の時間がかかるのだから、他の人と同じ感覚で予定を入れたら、パンクするのは当たり前なのだが…。でも、やりたいことはどんどん出てきてしまう。

最近、そんな時は自分がやろうとしていることが「障害者でもできること」なのか「障害者だからできること」なのかを考えるようにしている。「障害者でもできること」のほとんどは、他の人でもできること。障害のない人に任せた方が、短時間で効率的にできることがほとんどだ。もちろん、あえて障害者が時間をかけてやることで、独特の味わいが出てくることも多々あるが。

しかし、障害があってもなくても、1日は24時間。時間は平等に過ぎていく。せっかく時間をかけて何かをするなら、「障害者だからできること」を追求したい。

例えば、このコラムを通して、障害者の私が考えていることを多くの人に発信すること。もちろん、私は障害者の代表ではないし、大した考えを持っているわけでもないが、私の日常を描き続けることで、「障害者も悩みながら生きている、普通の人間なのだ」と多くの人に思ってもらえれば、それは「障害者だからできること」になるのではないか。

何より、電動車いすに乗っている私が街中に出かけ、多くの人の目に入ることで、障害者が街中にいることが当たり前になる。それは障害者を含め、誰もが生きやすい社会につながる。

そんな堅苦しいことをいつも考えているわけではないが、「障害者だからできること」は思ったよりたくさんある。「障害者でもできること」を追及するあまり、「障害者だからできること」をおざなりにするのはもったいない気がする。

社会とまっすぐ向き合う強さ

しかし、社会一般では、障害者は劣っている存在だとみなされ、「障害者でもできること」を探すのに本人も周囲も必死になりがちだ。大学時代までの私がまさにそうだった。

そのような社会で、「障害者だからできること」を主張すると、煙たがられることもあるかもしれない。それをすることは、ある意味、自分の弱さを社会にさらすことにもなり、時には痛みを伴う。しかし、それで少しでも多様な人を受け入れられる社会になるなら、逃げずに向き合う人間になりたいと思う。もし私が本当に間違いを犯したときは、きっと信頼する仲間が叱ってくれるだろう。(つくば自立生活センターほにゃらメンバー)

コロコロ ウツウツ《くずかごの唄》92

0

【コラム・奥井登美子】

「ワクチン接種はお済みですか?」

「2回とも済みました」

「よかったわね」

「よくないですよ。2回打っても、コロナにかかる人がいるそうですから」

「変異株がいろいろ出てきたみたいですが、打ってあればひと安心ですよ…」

旧い町の、小さな古い薬局に来てくれる人は、1人暮らしのお年寄りが多い。コロナ禍のなかで、友だちとのおしゃべりもダメ、趣味の会も休み、買い物も行ってはいけないと、娘や息子たちからうるさく禁止されている。誰とも話す機会がない。

寂しいので1日中テレビをつけている。音と話題には事欠かないが、ニュースを見て聞いて、それを判断する基準がない。

コロナ前なら近所の友だちと、「誰かテレビで何か言っていたけれど、ああいう政治家の言うことは嘘も多いから、気をつけた方がいい」とか、なんとか、おしゃべりがニュースの怖さを和らげてくれた。今はそれがない。

ニュースの怖い所だけが膨らんで大きくなり、怪獣のように迫ってくる。

薬剤師としてどう対応したら?

新聞も隅々まで細かく読むらしい。

「新聞の下の方に週刊誌の広告が出ていますね」

「ありますね、タイトルが書いてある」

「この間、そこに、ワクチンで死んだ人が生前飲んでいた薬というのがあったのですよ。飲んでいた薬で生死が左右されるんですか?」

「さあ、コロナはウイルスだから、あまり関係がないと思いますけれど…」

マスコミも行事がなくなってニュースのタネが少ないので、コロナワクチンの副作用などを大げさに宣伝する。コロコロ変わるコロナ情報に左右されて、うつ病まではいかないけれど、うつうつと気の晴れない市民たち。薬剤師としてどう対応したらいいのか、頭を悩ませている。(随筆家、薬剤師)

ファミレス「ココス」つくば小野崎店《ご飯は世界を救う》38

0

【コラム・川浪せつ子】暑い日が続いていると思いきや、大雨。被害が出ている場所の方々、お見舞い申し上げます。

新聞の折り込み広告を見るのが好きです。スーパーの特売品、ホームセンターの季節商品など。そして特にお気に入りなのは、折り込み広告の隅っこについている「△%引き」とかいうもの。ここを持っていくと、普通のお値段からお安くなりますよね。

暑さが増してきた7月。その折り込み広告の端っこを切り抜いて、ファミリーレストラン「ココス」さんに。今回の目的は新作のかき氷。ステキなそそられる写真!

定番のイチゴやマンゴーのかき氷、「すいかのふわふわかき氷」。オシャレな感じの「ピスタチオ&チョコクリスピー」は、まるでスイカに見えてしまいます。種の部分はチョコレートです。

そして「氷宇治金時のふわふわかき氷」は、日本の誇るスィーツ・あんこ+宇治茶+生クリーム+白玉という豪華さです。たまりませんねぇ~、選ぶのに困る、困る。でも、ちょっとだけ残念! 一つで750キロカロリー以上です。1回分の食事より高カロリーではありませんか! ムムム…。でも、食べたい。イヤイヤ、食べちゃうぞぉ~!

こちらのお店は、ママ友、ジム友などと、よく女子会に使わせてもらっていました。ランチとドリンクバーを頼んで、デザート食して。ジックリ語り合う、井戸端会議の時間を楽しく過ごしてきました。

ですが、今はコロナ時代。残念ながら自粛しています。早くコロナが終息して、また皆さんと楽しい時間、空間を、ココスさんで過ごしたいものです。(イラストレーター)

五十嵐つくば市長 今度は被告席に《吾妻カガミ》113

0
つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】元市議を名誉毀損で提訴している五十嵐つくば市長が、今度は6人の市民から住民訴訟を起こされ、五十嵐さんは2つの裁判を抱えることになりました。名誉毀損の方は原告、住民訴訟の方は被告と立ち位置は違いますが、両裁判に気を取られて市長本来の仕事がお留守にならないか心配です。

センタービル再生:監査請求住民訴訟

市が進める「つくばセンタービル再生事業」はいい加減なものだから、すでに支出したおカネは返してもらい、それがダメなら市長が自腹を切れ、これから手をつける設計・工事はすべてストップせよ―と、五十嵐市政の目玉事業に「NO」を突きつけた住民訴訟は、8月上旬、水戸地裁に提起されました。詳しい内容は、記事「つくば市長らに7000万円返還請求 6人が住民訴訟」(8月6日掲載)をご覧ください。

この訴訟は、原告を含む市民グループがセンタービル再生事業の問題点を列挙、市の監査委に監査請求をしたところ、問題なしと棄却されたことから、それでは裁判で白黒をつけようという、市民たちの次の一手です。監査委の結論で引かず、問題点を究極の第三者である司法の判断に委ねるアクションといえます。

監査請求が棄却されたこと、その理由に対する疑問については、コラム「五十嵐つくば市政 揺らぐその原点」(8月2日掲載)でも取り上げ、この再生事業は大規模事業(総経費10億円以上)であるにもかかわらず、五十嵐さんが自ら定めた事業評価(市要綱に規定)をしなかったのは、五十嵐市政の原点(広く意見を聴き事業を推進)を自ら否定するものではないかと指摘しました。

原告団は提訴理由として、上記の要綱軽視のほか、以下の4点を挙げています。①再生事業を担う第3セクター(まちづくり会社)設立の際の評価作業が不十分であり、総務省の指針に反する、②公の場所(センタービル)に民間賃貸会社(まちづくり会社)を置くのも総務省の指針に反する、③基本設計を担当した会社への発注が随意契約になっており、市の入札規則に反する、④センター広場にエスカレーターを設けるのは、広場の文化的価値を壊すだけでなく、著名な設計者の著作権を侵す―と。

問題ありの理由を5つも並べられ、市はどう対応するのでしょうか。再生事業(総経費10億3800万円)は裁判が終わるまで棚上げにする? これまでの経緯を反省して評価作業を立ち上げる? リスク(敗訴に伴うもろもろ)覚悟で再生事業を計画通り進める?

市長の名誉毀損裁判:原告被告?

もう一つの裁判(水戸地裁土浦支部)については、コラム「名誉毀損提訴、取り下げ?」(7月19日掲載)で、五十嵐さんは取り下げるのではないかとの見方が出ていると書いた後、事情通から「そういった動きがあることは確か」と耳打ちされました。一方で、ミニ新聞に掲載された記事の多くは虚偽だと訴えられた元市議(発行人)は、「うそつき」呼ばわりされて名誉を毀損されたと、逆提訴も考えているそうです。

ということは、五十嵐さんは原告と被告の2裁判ではなく、被告と被告の2裁判を抱える可能性もあります。「言論の自由」封じにつながる名誉毀損提訴(あるいは逆提訴?)。市が進める再生事業に異を唱える住民訴訟。両裁判は五十嵐さんの器を問うシーンになりそうです。(経済ジャーナリスト)

<メモ> 監査委員:市長から独立した執行機関。主に市の財務を監査。市民の監査請求にも対応。現在の委員は、高橋博之さん(識見を有する人)、石川寛さん(同)、神谷大蔵さん(市議・前議長)の3人。

真岡鐵道のSLに乗ってみた 《茨城鉄道物語》14

0

【コラム・塚本一也】コロナ禍で少々うんざりしているところではありますが、「夏休み特別企画」ということで、真岡鐵道のSLに乗ってきました。真岡鐵道真岡線は茨城県の下館駅から栃木県の茂木駅まで、41.9キロを運行する第3セクターの鉄道会社です。

国鉄の分割民営化の際に、赤字ローカル線であった真岡線を存続させるため、1987年、栃木県と沿線自治体が出資して真岡鐵道株式会社を設立されました。1994年から、休日のみ、「SLもおか」(下館駅~茂木駅)を1往復半運行しています。全国でSLに乗車できる路線は9つありますが、関東では埼玉県の秩父鉄道と茨城県~栃木県の真岡鐵道だけです。

会社自体は栃木県の会社ですが、茨城県の下館駅から乗車できるということで、私もかねてから注目していました。

インターネットで予約し、日曜日の午後に真岡駅から下館駅まで乗車しました。普通列車で真岡駅に到着してまず驚いたことは、真岡駅(真岡鐵道の本社)自体がSLをデザインした造りになっていることです。そのほかにも、敷地内にSL展示館があったり、SL関連グッズを販売していたりと、さすが有名な観光地を抱える県は商魂がたくましいと感じました。

SLをデザインした造りの真岡駅

非日常感をあおる レトロ感あふれる客車

その日はオリンピックも開催されており、コロナ患者数も連日記録を伸ばしている最中であったため、観光客らしい姿はあまり見かけられませんでした。しかし、近隣からいらしたとお見受けする家族連れや、鉄道マニアらしき少年たちが、早い時間から列車を心待ちにしていました。

定刻通りに、蒸気機関車が汽笛吹鳴(きてきすいめい)と共にホームに進入してくると、「鉄ちゃん」というわけではない私でも、何となくウキウキとしてきます。車内に乗り込むと、独特の油の臭いが鼻をつき、扇風機で涼をしのぐレトロ感あふれる客車も非日常感をあおります。

列車が出発すると、沿線には週末の楽しみに蒸気機関車を一目見ようとする見物客やカメラマン、そして我々乗客に大きく手を振る近隣の方が鈴なりでした。真岡鐵道が地域に愛されているということが、しみじみと実感できた瞬間です。

蒸気機関車を運行するためには、機関車の向きを変えるための「転車台(てんしゃだい)」という設備が必要です。真岡駅と茂木駅に転車台がありますが、下館駅にはありません。ゆえに下館駅を始終点としたことによって、気動車で機関車を回送するという手間が発生します。

しかし、下館駅から直接蒸気機関車に接続できることで、首都圏からの観光客を呼び込む大きなメリットが発生します。茨城県が観光立県を目指すのならば、観光先進県とタッグを組むことも重要なことなのではないでしょうか。(一級建築士)

「風立ちぬ」考 その2 《遊民通信》22

0

【コラム・田口哲郎】
前略

高橋源一郎氏は小説『風立ちぬ』を読み直し、死者の責務を悟りました。「それは『生きろ』と命ずること、そのことによって、『死者』を(自分を)忘れるように懇願することではないだろうか」と。アニメのエピグラムは「生きねば」です。これは堀が小説の冒頭にポール・ヴァレリーの詩「海辺の墓地」最終節からとった有名な一節「風立ちぬ、いざ生きめやも」の変奏です。

原文《Le vent se lève, il faut tenter de vivre!》から感嘆符を抜き、《Le vent se lève, il faut tenter de vivre.》とした上に、直訳ならば「風が立った!…生きなければならない!」とするところを、「生きめやも(生きるべきか、いやそうもいかない)」と意訳し、生きることへの躊躇(ちゅうちょ)をあえて表現した堀の意図とは趣を異にします。

小説の主人公は定職を持たない青年です。許嫁(いいなずけ)に付き添ってサナトリウムで生活するくらいですし、定職を持っていては人里離れた高原に入り浸ることはできません。社会性が皆無のこの小説には生きるための職業問題など一切書かれていないように思われますが、実はその点はきっちりと書かれています。

許嫁を見舞いに来た父親と主人公の間に次のような会話が交わされます。

「……だが、あなたも冬まで一緒にいて下されるのか?」
「ええ、勿論(もちろん)いますとも」
「それはあなたには本当にすまんな。……だが、あなたは、いま仕事はしておられるのか?」
「いいえ……」
「しかし、あなたも病人に構っておらずに、仕事も少しはなさらなければいけないね」
「ええ……これから少し……」と私は口籠(ごも)るように言った。

小説とアニメの「生きる」の意味の違い

アニメでは堀越二郎の許嫁は菜穂子という名で、結核を患い二郎と離れて暮らすことを余儀無くされます。堀越は菜穂子に付き添いたいと言いますが、菜穂子の父親は言います。「男は仕事をしてこそだ」。堀越は未練を残しつつ、菜穂子のいる東京を離れ、名古屋へと旅立ちます。

小説『風立ちぬ』には社会不安が全く描かれないといわれますが、代わりに個人の不安は描かれています。高等遊民の主人公も安穏としていたわけではなく、社会の非難の眼差(まなざ)しを免れてはいない。一般大衆にとっての不安は、人間の生とは何かと哲学的に問うことではない。いち市民としてどうやって飯を食い、結婚を通じて再生産を果たし、運命共同体たる社会を存続させてくのかということになるでしょう。働けるのにあえて働かない者の心情を社会が非難するのは当然です。

堀の小説の「不安」はこの点においても、時事問題とか社会問題など殊(こと)に男性が好んで語るとされる社会をどうするのか?という問いからは遠く離れ、いち個人の生活の不安に終始しています。続きは次回。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

「たたり」と「科学都市」 《映画探偵団》46

0
イラストは筆者

【コラム・冠木新市】桜川流域にある「つくばセンタービル」は、研究学園都市のシンボルとして1983年「桜村」に誕生した。「桜村」は、昭和30年(1955)に栄村と九重村と栗原村が合併してできた村だ。この栗原には「天狗党殉国烈士之墓」と刻まれた石碑、天狗塚が残されていて19人の若者が眠っている。ほかにも天狗塚はあるようなのだが、詳しいことは分からず、つくばではこの話はタブーみたいである。

ある農家の人が「あの土地は売れてないんだ。天狗党を処刑した場所だから」と、草原を指し教えてくれた。またある人は「あそこは天狗党処刑地近くなので、交通事故が多発する」と語っていた。

『八つ墓村』の探偵役・渥美清

私は天狗党の話を耳にすると、松竹『八つ墓村』(1977)を思い出す。横溝正史原作、橋本忍脚本、野村芳太郎監督、芥川也寸志音楽。主人公の寺田辰弥をショーケンこと萩原健一、探偵の金田一耕助役は渥美清が扮し、空前の大ヒットを記録した。

寺田辰弥は毒殺事件に巻き込まれ、亡き母の故郷八つ墓村にやって来る。村は、400年前に毛利との戦に敗けた尼子一族の落武者8人が流れ着いた場所だった。毛利方の褒賞に目がくらんだ村人たちは、祭りの晩に酒に毒を盛り落武者を酔わせ、竹やりで次々と突き殺してしまう。時は流れて昭和24年(1949)、落武者殺しを指揮した村総代の子孫が急に狂い出し、村人32名を惨殺する。

物語は「現代(1977)」「昭和24年」「400年前」の3つの時代が交錯して描かれる。回想シーンに回想シーンが挿入され、込み入った手法がさえわたっていた。

強烈なキャラクターが次々登場するのであまり目立たないのだが、最初は「たたり」をばかにして笑っていた村の若者たちが、殺人事件が重なるにつれて、村に来た辰弥が原因だと思い込み集団リンチしようとする。つまり「たたり」をいつの間にか信じてしまうのだ。400年前の「たたり」は現代でも存続しているというのが作品のテーマで、推理物よりも怪談映画の雰囲気に近かかった。

センタービルと広場は「鬼門封じ」

つくばセンタービルは、東京の北東、鬼門の方角に建っている。鬼門とは邪気が侵入して来る位置を示す。鬼門封じには白い石を置くとよいともいわれている。子どものころ、怪談映画を見て因果応報を信じて育った私は、白っぽいセンタービルと広場は鬼門封じの建物だと思っている。

だから、センター地区の中心線につながるセンタービルの壁と階段を壊すとの改造計画を聞いたときは、ショックを受けた。さらに、ノバホール正面玄関の片側の重厚な白い壁も壊すと知ったときは、非常に恐ろしくなった。鬼門封じのバランスが壊れるからだ。そんなことをしては「たたり」があるのでないか。

センタービルは2年後に40周年を迎える。「桜村」で1983年前後に生まれた子どもたちは、40歳前後の大人たちとなる。「科学都市」の洗礼を受けて育った世代はAI社会の明るい未来を信じ、スマートシティ、スーパーシティを目指しているのだろうか。「たたり」などは、『八つ墓村』の最初の若者たちみたいに、非科学的と無視するに違いない。

映画探偵の私は、金田一耕助のように、センタービル改造計画の行方を見届けるつもりだ。「たたり」がないことを切に願うばかりである。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

「大事ノート」「家族年表」 《ハチドリ暮らし》4

0

【コラム・山口京子】日々の暮らしに追われて、生活を時間軸で意識することはあまりない。でも、日々の暮らしの積み重ねが人生をつくるのだと思う。ファイナンシャルプランナーの勉強を始めたころ、「大事ノート」と記した1冊のノートをつくった。そのインデックスの最初に「家族年表」をつけた。結婚してからの家族の年齢や出来事を毎年書き出した。

一般的に生活設計で使うライフイベント表は、将来の出来事を書き込むものだが、この家族年表は確定した出来事を書く。結婚して2人暮らしになり、子どもが生まれて3人暮らし、4人暮らしと続く。子どもたちが大学に入り家を出て3人暮らし、2人暮らしと家族は小さくなっていった歳月。住宅ローン返済に苦労したこと、大学授業料や仕送りに頭を悩ませた時期があったことを、ノートは教えてくれる。

インデックスは、「収入」「支出」「資産一覧」「住宅費」「子ども費」「保険証券」「交際費」と続く。40年にわたる推移と現在の内容が確認できる。今だったらパソコンで打つのだろうが、今もノートに書き足している。

そして、別のノートには、家族が生まれた年にどんな出来事があったのかを書き出してきた。祖父母が生まれた年、1900年前後に何があったのか。父母が生まれた1933年は、世界中(と言ってもヨーロッパやアメリカが中心だったと思う)がきな臭い時代。ドイツでヒトラーが政権を握った年。日本では「蟹工船」で有名な小林多喜二が虐殺された年。日本の農村はとっても貧しかったという。

孫1歳の2020年にコロナ禍

1950年代は、サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約が交わされ、現在にもつながる問題を提起している。経済白書は「もはや戦後ではない」と宣言。1958年には、東京タワーが竣工し、東京の観光名物となった。60年代には、東京オリンピック開催され、都会に高層ビルが建ち、景観が変わっていく。経済成長が目覚ましかった。「山高ければ谷深し」。1960年代から2020年代までの60年の変化は、どんな風に説明されるのだろう。

子どもが生まれた1986年は、男女雇用機会均等法、労働者派遣法の施行、旧ソ連でチェルノブイリ原発事故が起きた年。男女雇用機会均等法も労働者派遣法も改正が重ねられ、今に至っている。2011年3月11日、東日本大震災と福島原発事故。孫が1歳になった2020年、コロナ禍で変わっていく社会。

個人の生活を考えるにあたっても、社会、経済、政治の動きは要注意だ。この事態に政府はどんな政策で対応しようとするのだろうか。コロナばかりが目立つが、国会ではどんな法律が通過しているのか。先が見通せない時代。夕方、少し涼しくなる時間を見計らって、インゲンの種を取る。(消費生活アドバイザー)