金曜日, 4月 19, 2024
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つくば学園都市は公立高過疎地 《吾妻カガミ》118

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】困った数字がこのサイトで紹介されています。教育環境が自慢の学園都市には県立の全日制高校が少なく、つくばは公立高の過疎市だというのです。平均的な学力の中学生を私立よりも学費が安い公立に入れたいと思っている親にとって、つくば市は「住みにくいまち」のようです。

詳しくは「つくば市に県立高校新設を 市民団体が市議会に請願」(9月29日掲載)と「付属中併設は泣きっ面にハチ」(9月30日掲載)をご覧ください。

▼市内の県立高に進んだ中学生は18%に過ぎず、46%が市外の県立高に、36%が市内外の私立高に行った、▼以前は6つあった全日制高が、近隣市の県立高への併合、定時制への移行、中高一貫への衣替えによって半減した、▼この20年間に減った全日制学級数は、水戸が2%、日立が21%、土浦が20%だったのに、つくばは61%も減った―などがポイントです。

つくば市は県全体の流れとは逆に住民が増えているのに、県は少子化に伴う学校・学級の整理整頓という方針の下、実におかしな対応をしています。大井川知事の経歴(経産省キャリア→IT企業役員)も影響しているのか、県はエリート教育には熱心ですが、平均的な学生を抱えた平均的な家庭の事情に鈍感ではないでしょうか。

優秀な学生を育てることには賛成です。私は、今春に中高一貫を併設した県立土浦一高の評議員を10数年やっています。その議論の中で、中高一貫を導入するよう歴代の校長に進言、現知事の1期目にやっと実現しました。競争環境を整え、突出した学生を鍛えることが日本はもちろん世界に必要と思うからです。

「市設・県営」高校はどうか?

しかし、経済政策の尖(とが)った成長志向が格差を生み、その見直しが必要になっているように、教育分野でも平均層に目配りをしなければなりません。

岸田さんは成長に傾いたアベノミクスに「分配」を加味するそうです。「共同富裕」を掲げて超金持ちに寄付を強要する習さんも同じ発想です。「米国ファースト」を連呼したトランプさんの政策も中間層を意識したものでした。世界の政治リーダーは平均層の乱を敏感に察知、尖った政策は内外で修正されつつあります。

話が大げさになりました。元に戻します。リンクを張った先の記事によると、つくば市の要望にもかかわらず、県はおカネがかかる全日制の新設には腰が引けているようです。でも、学園都市の教育環境の劣化を無視はできませんから、既存校の学級増を言ってくるかも知れません。

ここまで書いてきて、昨秋の市長選挙に立った富島純一さんの公約を思い出しました。彼は、平均的な市民の声を聞いていたのか、県の冷たい態度を知っていたのか、主要公約に「市立高校設置」を掲げていました。この案を少しいじり、「市設・県営」はどうでしょう。ハード(校舎)は市が造り、ソフト(授業)は県が動かすという折衷案です。おカネの面では県立or市立よりも両者の負担が軽く、教育効果は県立と同じになります。

世の流れに敏感な政治家の皆さん―市議さん、市長さん、県議さん、知事さん、この案を検討してみてください。平均的な市民の怒りを買ったら終わりですよ。(経済ジャーナリスト)

子どものころ 土浦の遊び ① 《夢実行人》1

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霞ケ浦の帆掛け船=撮影・永田正克

【コラム・秋元昭臣】下高津小学校への通学は、「あきおみちゃん、学校へイーきましょ」の声で始まりました。今のように親が出ることもなく、田んぼや畑の中を仲間同士で登下校するのは楽しいものでした。菜の花を摘んだり、チョウチョを追いかけたり。麦の穂を友だちの袖に奥に入れてしまうイタズラはしましたが、イジメではなく遊びでした。

このころ、大人はハーモニカを吹いてましたが、子供は麦笛を吹いていました。花見は親に連れられて桜川に行き、土手に座ってたくさんの貸しボートを眺め、お弁当を食べました。これがボートとの出会いです。

エビガニの穴を掘ったり、農作業する牛を見たり、散った桜の花びらで首飾りを作ったり。毒があると知らず、学校裏のお寺に青梅を盗みに行き見つかり、廊下に立たされたり。しかし、花祭りにはお寺さんに甘茶を振る舞ってもらい、秋はイチョウの大木から落ちた実を土に埋め、冬にたき火で焼いて食べました。

夏になると、田んぼにはホタルが飛び交い、捕まえて蚊帳の中に入れて楽しみました。大人と一緒に夜の田んぼに行き、カーバイトランプを灯した「ドジョウぶち」では、眠っているドジョウを串刺にし、カーバイトの匂いと、くねるドジョウに興奮しました。エビガニ、ドジョウ、釣った魚、食用ガエルが、たんぱく源として食された時代です。

泳ぎと言ってもプールなどなく、ガキ大将に連れられ、ため池「高津池」に行き、親にばれないようにパンツを脱いで水遊びをしました。雑木林の「ターザンごっこ」では、木から木へ渡り歩き、ロープにぶら下がって遊びました。転落やケガもありましたが、今と違い、「落ちたほうがドジ」の一言。問題にはならない時代でした。

霞ケ浦にあった大岩田水泳場

土浦駅の転車台(蒸気機関車の向きを変える装置)や貨車の連結代え、土浦港の船の荷揚げ作業、造船所の船大工さんなどが見たくて、片道40分以上かけ、仲間と駅周辺に出かけました。汽車が大好きで、通過する汽車に手を振ると機関士が汽笛を鳴らしてくれ、煙の匂いを胸一杯吸い込みました。汽車が来るかどうか、線路に耳を当て聴いたものです。

このころ、霞ケ浦の土浦沿岸に大岩田水泳場はありましたが、子供会では、水郷汽船の「さつき」(250人乗りの大型旅客船)に乗り、浮島水泳場(現稲敷市)に行きました。2時間かけて霞ケ浦を横断することが、どれほど楽しかったことか。土浦で一番の豊島百貨店には、水郷汽船の船長服や船長帽が展示されており、憧れたものでした。

夏休みのラジオ体操は、自宅前の広場までコードを伸ばしたラジオを聞いて行い、幼い兄弟も参加して、人数も多く和やかなものでした。

夏休みには、松林にムシロを敷いてちゃぶ台を置き、仲間と宿題をして遊びました。大洗や磯浜など海水浴場には、地区をあげて目印になる旗を立てて行きました。当時、大洗には竜宮城の形をした小さな水族館があり、真夏の太陽に透けて見える波、そして大海原は非日常の世界でした。(ラクスマリーナ前専務)

  • 【あきもと・あきおみ】土浦一高卒。明治大工学部卒、京成電鉄系列のホテル会社に入社。奥那須、千葉、水戸、犬吠埼、白浜、土浦などのホテルに勤務。土浦京成ホテル閉鎖にともない、2008年からラクスマリーナ(株主は土浦市)専務。遊覧船運航、霞ケ浦湖上体験スクール、小型ヨット体験、ボート教室、足湯浴場、サイクリング事業などを展開。 2021年4月退職。1942年生まれ、土浦市在住。

カーナビで「現在地」を知る 《続・気軽にSOS》95

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【コラム・浅井和幸】カーナビゲーションシステム、いわゆるカーナビはとても便利なものですね。方向音痴な上に、物覚えの悪い私にとっては、茨城県内の相談依頼人のところに自動車で伺う時には、なくてはならないものです。

30年ほど前、ほとんどカーナビが普及していない時代には、数千円する地図を買って、前日に行き先を調べていました。大切な用事の時は、前日までに予行演習で目的地まで行って確かめることもしていましたね。20年前でも、インターネットの地図をプリントアウトして調べていました。

道順を赤ペンで書いて確かめていましたが、1回でもその道順から外れてしまうと、自分がどこにいるか分からなくなり、お店の人や道を歩く人に現在地を聞くしかありませんでした。

現在地が分かることが、カーナビの最大の利点だと思います。ナビの指示通りに行かず道を間違っても、またそこからの道順を再検索してくれます。

「どこまでできているか」を確認

悩み相談でも、全く同じことが言えます。いかに現在地が分かるかが大切です。不登校やひきこもりの子を持つ親御さんが相談に来た時に、お子さんがどのようなことができるのか、親御さんがどのようなことができるか、どのように関わることができるのかを洗い出していきます。

全くコミュニケーションがないとか、親の言うことは全く聞かないという悩みで来談される方もいますが、話を聞いてみると、ご飯やお風呂の呼びかけに返事はなくても応じていることもあります。これだけでも、親御さんが言っていることを子供さんは受け入れて行動しているということになります。

返事をしなければ全くコミュニケーションがないというわけでなく、意図をくんで行動に移すというやり取りができているのです。

そこまでができることと考えれば、もしかしたら簡単な掃除や洗濯などの手伝いをお願いすることができるかもしれません。すぐに家事の手伝いをしなくとも、いつもと違い、さらに一歩進めた言葉がけができる可能性があるということです。

どのような言葉がけをするかは、「目的地」により変わります。いつも頑張りすぎて疲れてしまっているお子さんであれば、リラックスできるような、休むことができるような働きがけをすることになるでしょう。仮にでもよいので、目的地はつくることが大切です。

支援者が相談に来られた方に質問をする時は、目的やニーズなどを聞き、現在地である「どこまでできているか?」を確認することが大切です。「どのように不幸であるか?」とか「どのカテゴリーに属するか?」などを大ざっぱに聞いていることが、現場で多いのではないかと私は感じるのです。

「筑波山の西側にいるから、東の方に向かえば海に着くかな?」で、うまくいくのならば、むしろ大ざっぱな方がよいのですが、それでうまくいかない時は、具体的な現在地を確認する試みが必要でしょう。(精神保健福祉士)

「怪人二十面相」と2・26の時代 《映画探偵団》48

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陸軍若手将校の三浦友和

【コラム・冠木新市】昭和7(1932)年から昭和11年にかけ農村の貧困と陸軍の内部闘争を描いた高倉健主演の『動乱』(1980)、陸軍若手将校の4日間のクーデターを追った三浦友和出演の『226』(1989)、海軍と陸軍の攻防と昭和天皇の動きに迫ったNHK『全貌 二・二六事件 完全版』(2020)―これらを見直した。

江戸川乱歩の『少年探偵』シリーズ第1作『怪人二十面相』は、昭和11年(1936)、『少年倶楽部』1月号から連載が始まり人気を呼んだ。だが、2月には2・26事件が起き、東京に戒厳令が出された。当時の少年たちはどのような思いで読んでいたのだろうか。その気分を感じるため、2・26関係の作品を見てみたのだ。

乱歩との出会いは東映『少年探偵団/首なし男』(1958)である。シルクハットをかぶり、二十面相にふんした伊藤雄之助は、大人の演技を見せ真実味を感じさせた。その後、小学校の図書館で光文社版『少年探偵』を次々と読み、独特な世界に魅了されていく。私は長い間、このシリーズは戦後の作品だと信じて疑わなかった。

しかし、『怪人二十面相』『少年探偵団』『妖怪博士』『大金塊』の4作は「大東亜戦争亅へ突き進む戦前に執筆されたものだった。多分、戦前の少年たちにとって、『怪人二十面相』は強烈なリアリティを感じたように思える。

明智小五郎は第1作後半に、黒の背広、黒の外套、黒のソフ ト帽という、全身黒のいでたちでオシャレに登場する。満洲国(戦後版は某国)の依頼で新京に行き、重大な事件を解決し帰国したとの設定である。満洲国の背後には関東軍がいたのだから、明智は関東軍とつながりがあったと見るのが自然である。一体何を解決したのだろうか。

主人公の小林芳雄少年は、明智の助手で一緒に暮らしているが、両親をなくしている様子である。明智との関係はどこで結ばれたのだろうか。明るく理想的な少年として描かれるため、心中や自殺、東北農村での身売りがあった時代とは真逆である。

二十面相が狙うダイヤを所有する羽柴壮太郎は、麻布に屋敷を構える大実業家だが、なぜか長男の壮一が10年前に家出をしている。次男の壮二は二十面相に誘拐されるが、小林少年の活躍で助かる。壮二は少年探偵団の結成を提案する。探偵団を計画したのは裕福な少年なのである。羽柴家には何で財をなしたのかを含め謎が多い。

怪人二十面相は一層謎めいている。宝石や美術品を好み、現金に興味がなく、人を傷つけたり殺したり残酷なふるまいはせず、血がきらいなのだ。盗みを除けば、時代に逆流する極めて平和的な怪人で、悪役ではない。

謎だらけのセンタービル改造問題

いま『怪人二十面相』のような謎めいた世界が、つくば市に広がりを見せている。センタービル改造問題で、誰が要望を出したかも分からないまま広場に屋根やエスカレータが計画されたり、市民団体が2度にわたって要望書を出しても5カ月間も返事はなかったり、解体工事を進めながら意見を募集したり、プリツカー賞の意匠を可能な限り保存するといいながら、外壁と窓ガラスを壊すことはいまだ隠されたままだ。

昔は今で今は昔である。2・26のようなクーデターが起きたらどうするのだろうか。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

<つくばセンタービル謎解きツアー>参加者募集
▽内容:センタービルに隠された建築の謎を解きながらビルを回る
▽日時:第1回=11月3日(水)、第2回=同13日(土)、第3回=同23日(火)、13時から約1時間、参加費無料
▽定員:10名、小中高生大歓迎
▽予約先:090-5579-5726( 冠木)

自立生活とは自分らしい生活 《電動車いすから見た景色》23

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【コラム・川端舞】普段、障害者運動に関わっていると、「自立生活」という言葉をよく使う。最近、改めて「自立生活」とは何かを考え直す機会があった。

障害者運動における「自立生活」とは、必ずしも食事やトイレなどを自分1人ですることではなく、自分の生活を誰にどのように手伝ってもらうか、どこで誰と住むかを自分で決めながら、自分らしく生活することだ。自分1人で決めるのが難しい場合は、周囲の人と一緒に考えながら決めることもあるだろう。大切なのは、どんな生活がその人らしいのかということだ。

一方、「自立生活」は、障害者が介助者など必要な公的支援を受けながら、一人暮らしをするという意味で使われることがほとんどだ。家族と生活していると、どうしても家族の生活に合わせる必要が出てきて、障害者自身が心地よいリズムで生活するのが難しくなることが多いからだろう。私も「自立生活=1暮らし」と今まで思っていた。しかし、最近、家族と生活していても自立生活はできるのではないかという意見を聞いた。

家族と暮らしても自立生活はできるのか

私は大学進学を機に1人暮らしを始めるまで、家族と一緒に暮らしていた。当時は介助者を使っておらず、家の中ではほとんど母親から介助を受けていたため、入浴するのも外出するのも母親の生活リズムに合わせる必要があった。冷蔵庫から飲み物を出すのも家族にやってもらう必要があるため、喉が渇いたら、家族の誰かが台所にいるタイミングを見計らって、「お茶を取って」と言う必要があった。

家族はリビングで座っているときでも、私が頼むとお茶を持ってきてくれるのだが、家族には1人1人自分の生活があるため、私が何か家族に頼むことで、家族自身の生活を中断させるのが申し訳なかった。実家にいる間、私は常に家族の顔色を見ながら生活していたのだ。

一方、介助者は障害者の介助をするために障害者の家に来る。介助者に介助を頼むのに遠慮する必要はない。確かに、家族と暮らしていても、必要な時間は介助者のサポートを受け、家族に気を遣わなくても、自分のやりたいことができるなら、自分らしい生活はできるのかもしれない。

しかし、11年間介助者の介助を受けて1人暮らしをし、自分の心地よい生活リズムが分かってきた私でも、実家に帰ると無意識に、家族の生活リズムに合わせてしまう。ずっと家族から介助を受けてきた障害者は、なおさらどんな生活が自分らしいのか分からないだろう。家族と暮らしながら、自分らしい生活である自立生活をするのは本当に実現可能なのだろうか。(障害当事者)

政治の影響から自由な人はいない 《ハチドリ暮らし》6

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大根の葉についたテントウムシ

【コラム・山口京子】母とのおしゃべりで選挙の話になりました。「選挙なんか行ったことがない」と母。「ちゃんと投票しないと政治はよくならないよ」と私。母は「政治な んて知ったことじゃない。誰がやったって変わらないだろ」と言うのです。私は心のなかで、「政治に無関心でもその影響から自由な人は1人もいないよ。社会で起こることは人が判断を下しているのだよ」とつぶやいていました。

そう思いつつ、自分も分からないことだらけです。ただ、この30年を振り返ると、格差を広げる法律が各国でつくられてきました。それによって日本では、2008年末、派遣で働く人たちの「派遣切り」が起きました。その背景には2つのことがありました。

1つは、世界規模の金融危機のきっかけになった投資銀行リーマンブラザーズの破綻です。2000年以降、アメリカは住宅バブルでしたが、2007年ごろから住宅価格が下落、住宅ローン債権が不良債権化しました。それが、証券化されて組み込まれていた金融商品に波及、金融危機が起きました。背景として、金融緩和や「グラス・スティーガル法」(銀行と証券会社の兼業禁止)の改定が指摘されています。

2つ目は、労働者派遣法の改正です。1986年施行された時は専門業務に限定されていた派遣業務が改定で拡大。原則自由化され、製造業の派遣も認められていきました。これらのことが、構造的な格差を生む一因になったと思います。コロナ禍の下でも、解雇や派遣切りが深刻です。

勉強になる宮本太郎氏の本

もうすぐ、総選挙があります。大事なのは、①自分はどういった暮らしや社会を望むのか②現在の暮らしや社会はどうなっているのか③どういうやり方で望ましい社会に向かうことができるのか―などを、自分なりに考えることです。

手掛かりになるのが、宮本太郎氏の「貧困・介護・育児の政治」(朝日新聞出版)です。福祉政策の変遷と政治力学の関わりを「例外状況の社会民主主義」「磁力としての新自由主義」「日常的現実としての保守主義」という3つの表現を使って丁寧に分析されています。そして、「新しい生活困難層」の出現に向け、ベーシックアセットの福祉国家を提案しています。

9月にまいたダイコン、ハクサイ、ニンジンの芽が出てきました。夏に比べ、草取りは楽になりました。「雑草という草はない」と言いますが、種をまかなくても生え、人間の役に立たないと思われているのが雑草。人が種を植えて、手間をかけないと育たないのが野菜かなと…。(消費生活アドバイザー)

光る言葉-初めて詩集を買った 《続・平熱日記》95

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【コラム・斉藤裕之】益子(ましこ)の古道具屋で本を買ってしまった。ミニマルアートの作品のごとく、棚にぽつんと置いてあった分厚い白い本。開くと、オフホワイトのマットな質のページが柔らかいカーブを描く。活版印刷の印字が版画作品のようでもある。表紙に記された著者を見て、もう本は買うまいと決めていたのだが、初めて詩集を買った。

例えば宇宙のことを考えていると、やがて数学や物理学が、哲学や神、そして芸術というものにさえ接近する瞬間があるという。少なくとも、宇宙の始まりから気の遠くなるような時間を経て生まれた目で宇宙をのぞくということは、十分に芸術的な命題になりうる。詩人はそのことに気づいているかのごとく、言葉で宇宙に触れようとする。画家は時々、偶然できた絵具のシミや完璧な五角形の花びらに宇宙の兆しを感じる。

帰宅後、やや慇懃(いんぎん)に本を開く。中学の国語の先生は「詩は『光る言葉』で書いてある」とのたまわれた。まさに「考えるな!感じろ!」か。ハイブローな比喩表現はスルーしながら、でも時折自分が考えていたことや絵を描いていて感じることがズバリ光る言葉で書かれている部分に出会うと、ちょっとドキドキする。

ある日、20歳を超えた娘が哲学の本を読んでいたのを思い出した。およそ似ても似つかない姿に、なぜそんな本を読んでいるのかと問うと、「だって私の考えていることが書いてあるんだもん!」と答えた。この詩集は、もしかすると、私にとってそういう本なのかもしれない。

「面と空間の詩学」

かつてひとりだけ詩人と友になったことがある。ある時、薄っぺらい本を渡され、「これは私の詩集です」と言われた。残念ながら、それはスウェーデン語で書かれていた。だから、いまだにその内容は解らないままだが(スウェーデン語の辞書を手に入れて解読を試みたが挫折した)、当時、まだ若かった彼は十分すぎるほど詩人らしく見えた。

実は彼のパートナー(結婚していたのか否かはわからない)は絵描きで、パリの国際芸術都市にいた折に、お互いに小さな子供がいたのをきっかけに、彼より前に知り合いになった。数年後、彼女は腕白(わんぱく)な息子とともに、50号ほどの絵を持って日本を訪れた。その絵は今も階段を上がったところに架けてある。

あれから20年余り。彼女は今もスウェーデンで高い評価を得ているとのことだが、白いキャンバスに生々しい絵具で一息に描かれた絵を見て、これは彼女の詩だと考えるとまた新鮮なものに見えてきた。

秋の夜長、高級なお菓子をちょっとずつ食べるように、もったいぶって詩集を開く。ふと思い出した。大学の恩師が退官の記念展にまとめられた作品集。そのタイトルこそ「面と空間の詩学」。晩年、静謐(せいひつ)な抽象画面にたどり着かれた先生。いまさらながら、お会いして詩と絵画についてお伺いしたいと思った。(画家)

幻の織物「倭文織」でWEB交流会 《邑から日本を見る》97

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【コラム・先﨑千尋】この頃は聞かなくなった言葉に「衣食足りて礼節を知る」がある。また、人間の暮らしに最も大事なものは「衣食住」だ。どちらも衣が最初だ。その衣。人が衣をまとうようになったのは約1万年前と言われている。最初は獣や魚の皮、樹皮などだったようだが、わが国では藤、葛(かずら)、麻、榀(しな)、苧麻(からむし)、楮(こうぞ)、芭蕉(ばしょう)などの表皮を糸にし、それで衣類を織った。自然布と呼ばれている。

そうした自然布の一つに楮があり、那珂市静地区で織られていた倭文織(しづおり)もその一つだ。その存在は常陸国風土記、万葉集、日本書紀、延喜式などに記されている。しかし、これが倭文織だという現物が見つかっていないので、今日では「幻の織物」だ。

それを再現しようと、1988年に兵庫県緑町(現南あわじ市)倭文(しとおり)小学校で、子どもたちが手探りで織り始めた。当時瓜連町長だった私はそのことを知り、ゆかりのあるこの地区でも倭文織を復活しようと、町の仕事として取り組んだ。それが今度は岡山県倭文の郷(津山市)に伝播(でんぱ)し、現在は3地区で織られている。

私は「それなら3地区で交流しよう」と長いこと考えてきたが、やっと、この8月に「倭文織WEB交流会」を開くことができた。コロナ禍のため1カ所での交流はかなわず、オンラインを仕掛けたのは那珂市シティプロモーション推進室だ。

交流会では、最初に先﨑光那珂市長が挨拶し、那珂市からは、瓜連小学校教諭の羽金瑛美子さんと市の継承グループ「手しごと」のメンバーが、取組事例を発表した。次いで南あわじ市からは、倭文小学校の服部和幸教頭が、これまでの経過と授業の一環として倭文織体験を実施していること、イベントなどで販売していることを報告された。

津山市からは、倭文織にゆかりのある史跡や歴史の研究についても報告され、子どもたちが倭文織の体験を通して同市の歴史を継承していくことが大事だと強調していた。

さらに私が瓜連町での取り組みの経過を報告した後、織物や衣文化の研究者で倭文織の復元に取り組んでいる帝塚山大学名誉教授の植村和代さんが、これまでの研究成果を報告した。

研究の継続と技術の確立が課題

倭文織が織られていたのは5、6世紀から10世紀頃までとされているが、倭文織に関わってきたと考えられる倭文(読み方はしとり、しずりなど)神社が全国に10数社あり、倭文、志鳥、志土呂、静など、倭文織に由来すると思われる地名や姓も各地に散在している。この織物は神事に使われていたとみられ、神秘的な色合いが濃い。わが国ではこれまでに織物はいろいろ存在したが、倭文織に由来する神社や地名、姓名などが残っていることから、倭文織は特殊なものというのが私の考えだ。

今回の交流会を契機に倭文織の素材や用途などの研究が深まり、ルーツをあきらかにすることや「これが倭文織だ」という技術を確立すること、さらに“織姫”の育成も期待される。(元瓜連町長)

宇宙で髪を切る 《食う寝る宇宙》95

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【コラム・玉置晋】前回のコラム「宇宙天気キャスター」で僕は痛恨のミスを犯しました。宇宙人クラブ代表の福海由加里さんの名前の漢字を間違えてしまい、NEWSつくば編集室に修正依頼を出すという御迷惑をかけてしまいました。謹んでお詫び申し上げます。現在、責任をとって頭を丸めるという企画が進行しております。坊主頭は幼稚園生のころ以来なので、ドキドキワクワクです。

頭を丸めるに当たり、宇宙飛行士の方は宇宙での散髪をどうしているのだろうと疑問に思いました。だって無重力環境だと、切った髪がそこら中に散らばってしまいます(まさに散髪!)。万が一、宇宙飛行士の皆さんが誤って吸い込んでしまったら、大変なことになります。機械類に紛れ込んで、ショートでも起こしたらと考えると、散髪なんてしている場合ではないのではと思います。

調べてみたら、普通にバリカンで散髪している動画がたくさん出てきて動揺しました。どうやらバリカンが特別な構造で、掃除機のようなものが付いていて、髪の毛は吸引される仕組みのようです。

動画の多くは同僚の宇宙飛行士に刈ってもらっているものでしたが、中には自分で刈っている強者も(日本のベテラン宇宙飛行士の方)。想像するに、無重力環境で自らバリカンを入れて、散った髪を確実に吸引するのは、難易度が高いと思います。散髪の訓練もされているのでしょう。

宇宙で洗髪もしたい

国際宇宙ステーションにはお風呂もシャワーもありません。無重力環境で水を扱うのは非常に危険です。水が機械に付着して故障の原因になるだけでなく、顔面にへばりついて窒息する危険性もあります。でも日本人としては風呂に入りたいし、それが無理ならシャワーを浴びたい。散髪の後ならシャンプーもしたい。

1970年代~1980年代、宇宙を飛行したスカイラブ宇宙船にはシャワーがあって、宇宙飛行士の方は水泳用ゴーグルをつけ、鼻をクリップでつまみ、シャワーを浴びていました。溺れそうになった方もいたとか。宇宙でのシャワーは命がけであるようです。

現在、国際宇宙ステーションでは、タオルに石鹸を含ませた「衛生タオル」に、給湯器からのお湯を含ませて、頭や体を拭いているとのこと。宇宙でシャワーを浴びたいという欲求を満たすのは、大変なことのようです。(宇宙天気防災研究者)

我が家の名物 栗の渋皮煮 《くずかごの唄》95

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】

「栗の渋皮煮、今年はまだかしら。崩れたのでいいから、送ってね」

娘から催促の電話。

「宍倉の栗が今日届いたの。でも『全自動栗むき機』がうまく作動するかどうか?心配なのよ」

「『全自動栗むき機』なんてあだ名付けられて、パパもかわいそうに。元気なんでしょう」

「元気よ。栗を見せたらむきたくなって、むいてしまうけれど。パパ、血液凝固防止剤を飲んでいるでしょう。刃物でけがした時の出血が心配なのよ」

つやつやした栗を見たトタンに、亭主の目の色が変わった。

「僕は栗むきのような単純作業が大好きだ」

筋取りから1週間

彼は学生時代に植物成分の研究の手伝いをさせられ、その時の思い出がよみがえってくるらしい。早速、丁寧に包丁を砥石(といし)で研いでいる。私は急いで止血剤のアドレナリン液を用意して、彼の手元に置いた。

アドレナリンの発見者は高峰譲吉先生。1900年にこの薬を発見した。私の10歳年上の兄の婚約者、明子さんが高峰譲吉の姪(めい)であった。小学生の時、安房大原の明子さんの家へ、夏休みによく遊びに行ったのを覚えている。

アドレナリン0.1パーセントの液。亭主がけがをすると、止血剤としていつも利用している。我が家にとってアドレナリンはありがたい救急薬なのだ。

栗の堅い皮をむき終わっても、渋皮の筋取りが根気仕事だ。私は重曹を少し入れて、2~3分煮沸する。中にいる虫を殺して、筋も柔らかくなる。一晩そのまま放置すると、液が真っ赤になる。そこで、竹串を使って渋皮の太い筋を丹念に取る。

重曹で真っ赤になった液を捨てて、今度は1時間煮沸。栗に火を通す。一晩おいて、まだ赤身の残っている液を捨ててよく洗い、また筋取りをし、今度は砂糖を5%だけ入れて1時間煮沸する。

この時の砂糖の入れ方が難しい。濃いと、栗がしまって堅くなってしまう。少し甘くなった栗を2~3日放置し、最後の仕上げにかかる。ザラメ糖35%の液を煮沸し、そこへ、よく洗った渋皮の栗を入れて30分煮沸、液を栗にしみこませて、出来上がりとなる。筋取りをはじめてから、1週間かかってしまう。

亭主と私の根気。どちらが欠けても我が家の名物・渋皮煮はできない。(随筆家、薬剤師)

地価が上昇 ウィズ・コロナ時代の郊外 《遊民通信》26

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ひたち野うしくに出た虹

【コラム・田口哲郎】

前略

先日、郵便受けに不動産仲介業者のチラシが入っていました。近所の土地が売りに出されていたのですが、見て驚きました。地価がコロナ禍前の4〜5倍になっていたのです。新様式の生活でテレワークが進み、東京郊外や地方都市に移住する人が増えているとは聞きますが、まさか「ひたち野うしく」にもその波が押し寄せているとは…。

でも、よく考えてみると、確かに最寄りのひたち野うしく駅周辺は、スーパーマーケットは西友、ヨークベニマル、ドラッグストアはツルハやセイムズ、ホームセンターはホーマック、書店はワンダーグー、それに市役所の出張所を兼ねた郵便局があり、さらにスターバックスもあり、便利です。

例えば、県南の常磐線沿線を思い浮かべても、駅近で商業施設が徒歩圏内に一通りそろっていて、しかも郊外的な住宅地も駅の近くにある駅というのはひたち野うしくくらいかもしれません。土浦駅周辺は都会で住宅地はあまりないし、取手駅や藤代駅、佐貫駅を見ても、生活便利施設と住宅地のセット開発は見当たりません。牛久駅東口は便利そうですが、生活便利施設同士が少し離れています。

鉄道駅が中心の生活はもう主流ではなくなるから、駅近はパワーワードではないかもしれませんが、テレワークといっても月に何度か出社しなくてはならないから、ギリギリ東京に通えるところと考えると、ひたち野うしく駅が北限なのかなと思います。東京ほど密集していない郊外で、便利な駅近というのが不動産では今はやりなのでしょう。

世の中は想像以上に変わるもの

親戚が横浜市青葉区あざみ野に住んでいます。開発初期に住み始めたので、駅近です。地価は随分高いようです。コロナ禍前にひたち野うしくを散歩しながら、この辺りの地価があざみ野みたいに高くなることはないだろうな、大きな社会変革があれば、ここが都心になる日が来るかも…などと考えていました。

あざみ野ほどにはならなくても、地価が上がって、これから多くの人が移住してくる可能性があるだけでも、世の中は変わるものだなと思います。

新型コロナ専用病院を野戦病院と言ったり、飲食業が大打撃を受けてテナントが続々退去する歌舞伎町を焼け野原と言ったりする人がいるということは、コロナ禍は戦争に例えられるような一大事です。戦後は東京一極集中が加速しましたが、今度は分散開発をするらしい。コロナ禍前には、倦怠(けんたい)感と閉塞(へいそく)感でしか語られなかった郊外が見直されて、本来の価値を与えられるのは自然なことですし、よいことだと思います。

あるハウスメーカーの宣伝文句が気になります。「生きるための家」というフレーズです。今までは寝に帰る家が、生活の大半を過ごす空間に変わりました。人間的生活の到来を予感させるよい兆候ですね。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

東北本線・古河駅が面白い 《茨城鉄道物語》16

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古河駅の電光掲示板

【コラム・塚本一也】前回述べた通り、茨城県内で乗車できる鉄道は11路線ありますが、これまでのコラムで、そのうち9路線を制覇しました。残りわずかとなりましたが、今回は東北本線の古河駅へ行ってきました。

古河駅は1885年に茨城県で最初に開業した駅であり、130年以上の歴史があります。建設当時は、利根川に橋を架ける技術が確立されておらず、水戸~東京間は水戸線経由で小山から東北線を利用していたそうです。古河駅を訪れたのは初めてでしたが、3つの点に驚きました。

1つは、古河駅の形態です。鉄道の駅舎は、地下駅、地平駅、橋上駅、高架駅―と、基本この4パターンに分類できますが、古河駅は、茨城県内ではTX(つくばエクスプレス)以外ではあまり例のない、高架駅という形態になります。

これは、例えば武蔵野線の駅舎のように、元々高架橋に線路があって、あとからホームを造る場合などに採用されます。しかし古河駅の場合は、駅舎だけを高架駅にして、その前後は線路が地平に降りてしまうという、ある意味、無駄な造りをしていることが不思議に思いました。

自由通路を優先して造る場合は橋上駅が基本であり、山手線の五反田駅のように、幹線道路が駅近辺を横断する場合には、高架駅が採用されます。しかし、あえて古河駅だけを高架にした理由について、元鉄道建築技術者の私は大変興味を覚えました。

古河駅のホーム

東京駅・新宿駅まで乗り換えなし

さらに、改札を抜けてホームへ上がると、始発駅でもないのに2面4線というぜいたくな設備にも驚きましたが、時刻表と行先の電光掲示板を見て一層驚きました。なんと、東京駅にも新宿駅にも乗り換えなしで行けるではないですか。千葉駅でさえ、新宿へ行くには錦糸町で乗り換えなければならないのに、古河駅はどちらへ行くにも乗り換えなしで、およそ75分の乗車時間です。

そして、最後の驚きは、なんと日中の湘南新宿ラインは快速の停車駅になっているではないですか。快速を利用すると、新宿までは約1時間であり、東海道線の駅に例えるならば平塚駅と条件的に等しくなると思われます。また、1日の乗降客数は約26,000人で、常磐線ならば勝田駅とほぼ同じぐらいです。

このように、いつの間にか底知れぬポテンシャルを備えてしまった古河駅ではありますが、駅前のビルは空室が目立ち、駅ビル以外にこれといった商業施設はありません。先月は古河駅に入構している20台ぐらいのタクシー会社が、事業から撤退してしまいました。

古河近辺では、圏央道を利用できる工業団地や企業の誘致に取り組んでいると聞きます。鉄道による都心へのアクセスも非常に便利ですので、2次交通などの整備に取り組めばさらに発展が見込めるのではないでしょうか。(一級建築士)

自民党新総裁誕生 この国はどこへ? 《雑記録》28

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【コラム・瀧田薫】9月29日の自由民主党総裁選の結果、岸田文雄前政調会長が新総裁に選任された。岸田氏は4日の衆参両院本会議で首相に指名され、新内閣を発足させた。

岸田氏の勝因には、菅首相の総裁選不出馬宣言により自民党の支持率が回復し、それに伴って、自民党議員の次の選挙への危機感が薄れたことがあると思う。つまり、「安倍・菅氏路線」の刷新を標榜(ひょうぼう)しなくとも、衆議院選挙を勝ち抜ける見通しが立ったということだろう。

岸田氏は、総裁選出馬にあたり、安倍・菅路線の基本的な方向性は受け入れつつ、小泉政権以来の「新自由主義的な経済政策」を改め「成長と分配の好循環」を目指すと宣言した。安倍・菅路線を正面から否定はせず、部分的な修正を施しながら新味も出そうという狙いだろう。

この岸田氏の妥協姿勢が、河野氏と比較して、より「穏健」なものと受け止められた。自民党国会議員の間に、衆議院選を前にして、党内の力学を優先する余裕あるいは内向き志向が働いたという見方もできるだろう。

しかし、この総裁選の結果を受けて、この国の今後を楽観することができるだろうか。新型コロナウイルス禍もあり、この国の経済も外交も安全保障も極めて困難な状況にある。外に吹き荒(すさ)ぶ嵐を自民党の党内安定だけで乗り切れるものではないだろう。

「成長と分配の好循環」に注目

いずれにしろ、次の衆議院選挙が間近に迫っている。新政権が心すべきは、国民の思い、意志、希望を真摯(しんし)に受け止め、それを国政全般そして外交に反映させていくことだ。もし、新政権が前政権と同様に、異論を封じ込め、疑問に正面から向き合わず、説明責任を果さない独善的な政治姿勢を踏襲するなら、この国の将来はまことに暗いものとなる。

菅首相の退陣は、9年近く続いた安倍・菅路線の功罪を検証し、それを清算、克服する絶好の機会である。アベノミクスは為替を円安に誘導し、輸出企業の業績を好転させ、株高をもたらし、雇用を拡大したというが、この間、日本の経済成長は停滞し、勤労者の生活は以前より貧しくなっている。この事実をどう評価するのか。

IMF統計によれば、1990年代初頭、日本のGDPは全世界のGDP総額の約17%を占めていた。2020年現在、この数字は6%まで落ち込んでいる。つまり、世界経済における日本の存在感はこの四半世紀間に3分の1にまで縮小していることになる。経済の専門家は、30年には4%、つまり、1960年代の水準までさらに落ち込むと予想している。

岸田氏は、首相になった暁、「これまでの新自由主義的な経済政策を改め、成長と分配の好循環を目指す」と約束した。時宜にかなった政策であると思う。ただ、この約束を果すことが容易なこととは到底思えない。岸田新首相には、この困難に敢然と立ち向かい、正直で誠実な政治家がこの国にまだ存在していたことを証明してもらいたい。(茨城キリスト教大学名誉教授)

外国語を学ぶコツ④ 《ことばのおはなし》38

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【コラム・山口絹記】

「英会話スクールって、どうなんですか?」。周囲からこんな質問を受けることがある。漠然と訊(き)かれても困ってしまうのだが、すでにある程度英語を話すことができるのであれば、発音や語彙(ごい)表現力の向上には役に立つというのが私の意見だ。少なくとも、0から1を作るには効率の悪い場だ。

また、普段から英語で話す機会があっても、友人知人から会話表現の不自然な部分をいちいち訂正されることもあまりないので、講師と生徒という関係、レッスンという形には意義があるだろう。

実際に会話の中で「困る」という体験を繰り返すことで、今の自分に何が足りないかを効率よく知ることもできる。

私も2年ほど、毎日25分のオンラインレッスンを受けていた時期がある。英会話のレッスンといっても、英語で書いた論文の文章チェックをしてもらいながら議論したり、退官した哲学の教授に英語で講義をしてもらったりといった活用方法だった。

要は、英語で英語を教えてもらうだけではもったいないということだ。必要なこと、興味のあることを、英語を使って学んでしまえば一石二鳥である。

もちろん、本来の目的も忘れてはいけない。私の場合、自分の英語表現の不安な部分を会話の中で質問し、発音や文法に関しては厳しくチェックして、適切な表現はリアルタイムでチャットに書いてもらっていた。チャット欄に残されたテキストは印刷して、自分の英語表現上の悪い癖を直す教材にしていた。

普通の学校生活同様、主体性なしに意義のある時間を過ごすのは難しいだろう。

「今日はフリートークで」

また、どうしても疲れているときは、「今日はフリートークで」とお願いしていた。講師との関係性にもよるが、家族の話や、音楽、映画、写真などの趣味の話をするのは、よい気分転換にもなるし、語彙力の向上にもかなりの効果がある。

同じ英会話スクールを何年も利用していれば、中にはお互いのことも深く知り合うような関係も生まれてくる。そうなってくると、「この間、他の生徒さんがこんな話をしてたんだけど、日本にはこういう文化があるの?」と逆に質問をされたり、英語では検索しても出てこないような情報を、こちらが英語に訳して説明をしたり、料理のレシピを提供したり、時には人生の節目における相談事を受けたり、落ち込んだ時はお互いをなぐさめるような場面もあったりする。

仲のよい講師に出会えるかどうかはもちろん運次第なのだが、英語というのは言語であり、言語はコミュニケーションのための道具なのだ。もっと話したい、相手のことを知りたい、自分のことを知ってもらいたいと思う気持ちに勝る勉強の動機はなかなか無い。

英会話スクールでこれだけ英語力が伸びました、という要素はもちろん第一義なのだが、この人に会えて良かったと思えるような出会いの可能性があることも、英語を学び、英会話スクールに通う意義であると、私は考えている。(言語研究者)

霞ケ浦から桜川へ自転車散歩 《ポタリング日記》1

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三帆ひろばからラクスマリーナを望む。チョコ(右)はナショナルサイクルルートのロゴ入り
入沢弘子さん

【コラム・入沢弘子】高架道でまちを抜けると霞ケ浦が見えてきました。こんな快晴の日の湖面は透明感のある瑠璃色。沖には数隻のヨットの白い帆がくっきり。今日は湖の近くを走ってみましょうか。

りんりんポート土浦の駐車場は、県外ナンバーでほぼ満車。ロードバイクのサイクリストの間で車から自転車を降ろします。さっき見えた土浦港に行ってみようかな。隣接する三帆ひろばでラクスマリーナのヨットを撮影。見晴らしがよく気持ちがスッとします。

停泊するモーターボートを眺めながら港沿いを行くと、日本三大水天宮の水天宮に到着。水神宮と稲荷大明神と三社が並んで見送ってくれました。近くの出島状に湖に突き出た港町地区には湖岸道があったはず。ジョギングや散歩の人たちがちらほら。岸から釣り糸を垂らす人がたくさん。小さな船だまりの木造船の先に養殖さおや漁網もあるのは、漁をしていた頃の名残かな? 湖面を渡る風は、かすかに潮の香り。

おやつは「りんりんチョコ」

秋は土浦全国花火競技大会が開催される時期。今年も中止だけれど、会場付近の様子を見に桜川を上ってみましょう。桜川堤の右岸は歩行者と自転車のみ通行可能な道が整備され、自動車も通行可能な区間は、河川敷の道に降りられるので安心。約500本の桜並木の堤防は、昔からのお花見の名所で有名です。

港町から水郷橋のたもとを渡り、常磐線の橋梁をくぐり、桜川橋、匂橋、銭亀橋、土浦橋を通過すると学園大橋に到着。この辺りが花火大会の時は桟敷席になる場所です。来年は夜空に咲く大輪の花が見られますように。

広い河川敷で休憩。土浦駅前の老舗・高月堂で買った「りんりんチョコレート」でおやつタイムです。特産品のレンコンのチップ入りチョコは食感が楽しく、まろやかな甘さに癒されます。さあ、この後はどこに行こうか。町なか探検をしようか…。

自転車と泊まれる駅のホテル

日本で2番目に大きな湖・霞ケ浦のほとりにある城下町土浦市。世界に誇る「ナショナルサイクルルート」に認定された「つくば霞ケ浦りんりんロード」の玄関口です。JR土浦駅は日本で唯一のサイクリスト仕様のアトレ(「プレイアトレ土浦」)。部屋に自転車と泊まれる星野リゾートのホテルも開業しました。

サイクルウェアに身を包み、輪行バッグで改札口を通る人も多く、市内の店舗のサイクルラックにも、ロードバイクが停められている「自転車のまち」。

駅前の図書館に勤務していたころは、土浦が「自転車のまち」として変貌するのを他人事のように見ていましたが、次第に自転車ライフを楽しみたくなり、駅ビルの店で自転車を購入。小型自転車BROMPTON(ブロンプトン)は、折りたたんで車に乗せられる気軽さをとても気に入っています。

これから、土浦市やその周辺を自転車散歩した様子を「ポタリング日記」として記していきます。本格的な自転車乗りの方には物足りないと思いますが、ご容赦ください。(広報コンサルタント)

料理を作らない人が味に文句を言う 《続・気軽にSOS》94

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【コラム・浅井和幸】「うちの旦那は、いつもは何も言わないで、おいしくない時だけ文句を言ってくる。文句があるのならば、自分で作ればよいのにと言ってやりたい。料理を全くできないのに、文句ばかり言うなとも言ってやりたい」

いろいろな場面で見られることですね。上司、親、子供、客、利用者、支援者、評論家などなど。自分ができないのに、人に言ってくるなという感覚も分かります。でも、自分ができないことは誰にも言ってはいけないとなると、完璧な人間でないと不満や指摘も伝えられなくなってしまいます。

なので、言う方と言われる方の関係性が良好であるかどうか、良い部分の指摘もできるかどうかということが、お互いが受け入れられるか拒否感を感じるかの大きな要因となるでしょう。

何か悪いところを指摘する方と指摘される方では、指摘をする方がちょっと上であるような、物事を知っているような、ちょっとした上下関係が生まれます。相手に嫌な思いをさせてまで、相手より自分の方が上だとして優越感に浸る。いわゆる「マウンティング」と言われるものでしょうか。有効的な関係を保つにはよくない、悪手ですね。

相手を打ち負かして勝ち誇る「論破」という言葉が、ネット上でもよく見られます。それは、知恵や知識を使って相手をやっつけるようなやり取りです。それで「論破」できれば、すべて自分の方が分かっている気分になれます。気分はよいでしょうが、それはとても危険なことです。

「あれ? そんなに言い切って大丈夫?」

どんなに頑張っても、人はすべてを知ることはできません。理論によって勝ったところで、現実に何かを組み立てるにはかなり荒っぽいものとなります。まるで、大きなコンクリートブロックだけで建築物を建てるようなものです。細かなところはガタガタで、見ていられないものです。

例えば、優しく人に接すれば、人は優しく接してくれる。「優しく接する」って具体的にはどうすればよいだろう? お互いが頑張って相手に思いやりを持てばよい関係がつくれ、否定はしないけれど、それを聞けば誰とでも仲良くなれるわけではないですよね。

「つくば市から水戸市に行き、おいしいリンゴを買ってくる」。文章にすれば簡単なことかもしれませんが、移動すること、おいしいリンゴを見分けることは簡単ではないと思います。もちろん、人によって何が難しいか、どこで支障が出るかは違ってきます。支障が出る部分をどのようにフォローするかで、ガタガタだった理論が実行に反映されるようになるのです。

かなりの知識人や論破王が、多くの人を納得させる言論をしても、その筋の専門家からすれば、「あれ? そんなに言い切って大丈夫?」と感じることも多々あります。本人がいないところで勢いよく批判をしているコメンテーターも、本人登場で急にトーンが下がり、歯切れが悪くなることも多々あることですよね。(精神保健福祉士)

本サイトはスタートから4年に《吾妻カガミ》117

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左は編集室がある筑波学院大の建物、右は1階入口に立て掛けてある案内版

【コラム・坂本栄】このサイトがスタートしたのは2017年10月1日。それから4年がたちました。開始数日前の発表会見では、1日に何本の記事がアップされるのかとの質問を受け、平均3本を目標にしたいと答えました。コロナ禍でイベント類の記事は減りましたが、逆にコロナ関連を増やすことで、この目標はほぼ達成できています。これからも、元新聞記者、市民記者、大学生記者による記事、一家言ある識者のコラムをご愛読ください。

大学生記者の記事が大ヒット

9月には筑波大生記者の記事が注目されました。(A)ある団体がつくば市の公園で食料無料配布会を開こうとしたが、コロナ禍を理由に公園の使用が認められなかった、(B)この記事が掲載されたあと、記者が担当課に改めて理由を取材したところ、密回避を条件に使用を認めるとの連絡が団体に入った、(C)万全のコロナ対策をして配布会が開かれ、大学生や市民に大変喜ばれた―以上のような流れの3本です。

詳しくは「『公園が借りられない』 つくば市の食料支援団体」(9月15日掲載)→「一転、つくば市が使用を許可」(9月16日掲載)→「支援団体 感染対策を徹底」(9月25日掲載)をご覧ください。コロナ禍でアルバイト先が減り困っている学生、彼らを助けようとしている団体、規則だから公園使用はNOと言う市、当サイトの記事と取材を受けOKに転じた市。一連の記事は大ヒットし、書き込みコメントも増えました。

3本の記事は、本サイトの編集方針である(1)地域の話題を取り上げる(2)自治体の行政をウォッチする―に沿ったものです。これらに地域の方々が強い関心を持ち、結果、市を動かしたことになります。「NEWSつくば4周年」にふさわしい内容でした。

3コラムニストが再・新登場

土浦市を扱ったヒットコラムも紹介します。コロナ禍で花火大会が取り止められたことを受けて書いた「また中止された土浦の花火を考える」(9月20日掲載)です。私はこの中で、花火大会が事故で2度も中断されたことを踏まえ、打ち上げ場所を変えたらどうかと提案しました。これにはアクセスが多かっただけでなく、賛成論・反対論がコメント欄に書き込まれ、論争になりました。これも本サイトの役割ではないでしょうか。

コラムは原則毎日1本アップされており、こちらも本サイトの「売り」です。10月から、入沢弘子さん(広報コンサルタント、元土浦市立図書館長)とオダギ秀さん(コマーシャルフォトグラファー、土浦写真家協会会長)が復帰、秋元昭臣さん(元ラクスマリーナ=土浦港のヨット/ボート係留・遊覧船運行会社=専務)が新たに参加します。三方には、土浦とつくばを中心に、地域の魅力を全国に向け発信していただきます。

もちろん、つくばの総合運動公園用地問題、陸上競技場新設問題、センター地区再生問題など、市民の関心が強いテーマも引き続き取り上げていきます。また、土浦も現市長が公約した課題が動き出しますので、こちらもウォッチします。本サイトの情報が皆さまのご参考になれば幸いです。(NEWSつくば理事長、経済ジャーナリスト)

芸術の秋始まる 《令和楽学ラボ》15

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【コラム・川上美智子】茨城県芸術祭美術展覧会(県展)が10月2日(土)~17日(日)、茨城近代美術館で始まります。新型コロナウイルスの感染下にあって開催が危ぶまれていましたが、デルタ株も沈静化の方向で、無事開催の運びとなります。昨日、自分の作品の搬入を終え、発表の場があること、ありがたく思っています。

振り返ると、第23回国民文化祭茨城大会(いばらき2008)の実行委員会で、陶芸家の荒田耕治先生とご一緒したことがご縁で、先生の教室の生徒になり、それから毎年、県展と水戸市展には欠かさず出展し続け、今日に至っています。かれこれ、陶歴も13年。家の中には所狭しと、10キロの大型作品が30点余り鎮座しています。

県展で2回、水戸市展で1回、賞も頂戴し、いつか個展をやりたい、が夢ですが、60歳からのスタート、夢がかなうかどうかわかりません。荒田先生とは、実行委員としての出会いが初めてでしたが、私が結婚し茨城に移った1970年の笠間佐白山の陶器市で目に止まった、黒釉(こくゆう)彩のコーヒーカップセットを購入した時にお名前をインプットしていました。

今も、陶芸に興味をもたせてくれたそのカップは、マイセンやロイヤルコペンハーゲンのカップと並べて大切に飾ってあります。

陶芸の良さは、作品作りそのものが集中力と持続力をもたらしてくれる時間になることです。日頃のストレスフルな生活を忘れて、ひたすら土をこね、器の表面をきれいに仕上げる手仕事に傾注できることにあります。手指を動かすと、脳の感覚中枢や運動中枢の血流が10%くらい上がり、脳の広範囲の神経細胞が活性化すると言われています。

さらに、手順や段取りを考える、形を創造するなどの高次機能も発達させ、日頃と違う脳の使い方をさせてくれます。高齢者の認知症予防に効果があるため、介護領域ではリハビリのための陶芸療法という言葉も生まれ、高齢社会にピッタリの活動と言えます。

脳の発達や創造性を育てる粘土遊び

また、幼児の粘土遊びも、手指の発達を促し、脳の発達や想像性と創造性を育てるのに効果があり、保育園などの教材としてお道具箱に納められています。男の子は恐竜を、女の子は食べ物と、性差を感じますが、集中して好きなものを作っています。

勤務する保育園ではアート活動に力を入れており、年長さんのクラスには、筑波大学の直江俊雄教授の研究室による絵画活動を導入しています。当方も幼稚園の頃から絵の教室に通い、小学校で大型の油絵を描いていた経験から、幼少期のアート活動が生涯のアートへの関わりにつながることを実感しています。

環境を整え、いろいろな技法を提供するのは園側の仕事ですが、子どもたちが自由な発想で描くこと、創ることを大事にして、多くの機会をつくりたいと考えています。

県内では、芸術の秋に向け、県展のほか、笠間陶芸大賞展、県近代美術館企画展、天心記念五浦美術館企画展など、展覧会が繰り広げられます。新型コロナ禍での巣ごもり生活を少し開放して、アートで癒やされませんか。(みらいのもり保育園園長、茨城キリスト教大学名誉教授)

宇宙天気キャスター 《食う寝る宇宙》93

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【コラム・玉置晋】9月19日、地球に帰還した宇宙船「クルードラゴン」から降り立った4人は全員が民間人でした。民間人だけで宇宙旅行を行ったのは世界で初めてです。宇宙旅行産業の始まりを告げるものというコメントもあります。後の時代、2021年は宇宙旅行元年と呼ばれるようになるでしょう。そして、宇宙旅行の前にチェックしなければならないのが宇宙天気です。

僕たちが毎日見ているテレビのニュース番組で、お天気について解説する気象キャスター。この気象キャスターに宇宙天気をレポートしてもらいたい。僕がリーダーをしている宇宙ビジネスサロン「ABLab」宇宙天気プロジェクトのミッションの1つです。

宇宙天気キャスターは,宇宙天気情報を一般の方々に分かりやすく伝える未来の職業です。「昨日より太陽活動が活発で、地球周辺の放射線が増加しています。不要不急の宇宙旅行は控えましょう。明日には回復する見込みです」。こういった解説を茶の間で視聴する時代は、意外とすぐかもしれませんよ。

コラム78で紹介した宇宙コミュニティ「宇宙人クラブ」(代表:福海由加里さん)では、まさに宇宙天気キャスターの試験運用を開始しています。毎月1回、宇宙天気概況を説明しています。最近では、NHKニュースの気象コーナでおなじみの斉田季実治さんによるレポートを配信しましたのでご覧ください。こちらまで。

アナウンサーとキャスターの違い

斉田さんに3分宇宙天気を実施していただくにあたり、当初は宇宙天気アナウンサーと紹介される予定だったのですが、「アナウンサー」ではなくて「キャスター」としてくださいと要望させていただきました。

実は、アナウンサーとキャスターには違いがあって、アナウンサーは「原稿の通りに正確に情報を伝える」職業です。そしてキャスターは「原稿に独自の洞察を加え情報を分かりやすく伝える」役割です。

この違いは、ABLab宇宙天気プロジェクトの宇宙天気を独自に解釈できる人材を増やしていき、宇宙天気災害に備えるという目標に関わっていて、僕たちが生み出そうとしているのは、「宇宙天気アナウンサー」というより「宇宙天気キャスター」なのです。(宇宙天気防災研究者)

10年経っても変わらない東電の体質 《邑から日本を見る》96

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朝露に光る彼岸花

【コラム・先崎千尋】学友・北村俊郎さんが今月初めに『原子力村中枢部での体験から10年の葛藤で掴(つか)んだ事故原因』(かもがわ出版)という長いタイトルの本を出した。

彼は1967年に大学を卒業し、現在再稼働が焦点になっている東海第二発電所を持つ日本原子力発電に入社。本社の他、東海発電所、敦賀発電所などの現場勤務を経験、主に労働安全、教育訓練、地域対応などに携わってきた。20年前から東京電力福島原発近くの富岡町に住み、福島第一原発の事故で帰還困難区域に指定されたため、現在も福島県内で避難生活を続けている。

原子力村の中枢にいたと言うのだから、立ち位置は私と真逆だ。しかし本書は、反原発の安斎育郎氏の推薦文にあるように「当事者だからこそ見える原発業界の危うい風景。福島の事故はなぜ防げなかったのか。その内幕を縦横に語る、気骨のある『内からの警告書』といえる。著者が日本原電にいて見たのは、政産官学や地方自治体、地元住民を巻き込んだ巨大な運命共同体が閉鎖的になっていく姿だった。

本書は、「福島原発事故は日本の原子力発電の帰結」「巨大組織は何故事故を起こしたのか」など6章から成る。著者は第1章の冒頭で「福島第一原発事故の背景には長い間に積もり積もった問題が多々存在していたのではないか。事故前に規制当局や原子力業界に定着していた考え方、慣習は事故につながる問題点が多く見られる。最近の柏崎刈羽原発再稼働に関する一連の不祥事も、体質、企業風土の問題がいまだに改善されていない」と指摘し、「東京電力は事故後10年経っても変わらない」と糾弾している。

子どもでもわかる汚染水処理の愚

第4章「処分出来ない汚染水と廃棄物」では、汚染水の処理問題を書いている。2015年に福島県漁連に「関係者の理解なしにはいかなる処分も行わない」と文書で確約しているにも関わらず、国と東電は一方的に海洋放出の方針を決めた。こうした動きに対し、「いくら困ったからといって、約束を破れば誰も東電の言うことを信用しなくなる。何故、こんな悪手を使うのか」とあきれ、「小出しにしてなるべく反発を抑え、後で修正するいつものやり方。こんな姑息(こそく)なやり方は不誠実であり、金の無駄遣い」と厳しく指摘する。

国と東電の方針では、年間の海洋放出は3万トン。しかし汚染水は現在でも年間に5万トン増え続けている。足し算、引き算すればどうなるかは小学生でもわかる。こうしたやり方が汚染水問題の解決にならないことをどうしてやるのか、私にはわからない。

最終章「原発の根本的問題は克服できるのか」では廃棄物の処分先未定、テロの不安増大など7項目を挙げているが、おそらくそのどれもが克服できないと著者は見る。問題の先送りで10年経った。ふるさとを追われた人々は今でも数万人いる。現時点では、菅首相の後に誰がなるかわからないが、誰が首相になっても、東電とその後ろにいる経産省の体質は変わらないのではないか、と私には思える。

本書は四六判239ページ。1800円+税。かもがわ出版に電話(075-672-0034)すれば送料無料。著者は事故後、『原発推進者の無念』(平凡社新書)も出している。(元瓜連町長)