【コラム・瀧田薫】9月3日、菅義偉首相(自民党総裁)は党総裁選に立候補しない旨表明した。このところ、菅内閣の支持率が低迷し、菅総裁の再選が危ぶまれる状況ではあった。しかし、菅氏は2日、二階幹事長に総裁選出馬の意向を伝えており、その翌日の辞任表明はあまりに唐突である。コロナ禍への対処を誤って衆院解散のタイミングを失い、総裁と衆院議員の任期切れという時間的制約にも追い込まれ、まさかの「辞任」につながったものと推察する。

報道各社は、総裁辞任の第一原因をコロナ対策の失敗にあると見ている。しかし、菅政権がそうした対応しかできなかった理由は、危機管理能力の欠如とか見通しの甘さといった次元で説明できるものではない。

より深刻な理由がある。それは安倍政権の時から水面下で進行していた政府機関と党組織の劣化そして制度疲労である。自民党歴代政権を行政学の立場から「官僚主導型」と「官邸主導型」の二つに分けた場合、安倍政権が敷いた「官邸主導路線」をそっくり踏襲したのが菅政権である。安倍一強政権が、小選挙区制と人事権を武器として自民党派閥と省庁の統制・管理に乗り出したとき、その先頭に立ったのが、安倍内閣官房長官の菅氏であった。

官邸主導路線は菅政権になって弾みが付く。2020年9月、就任間もない菅首相は日本学術会議が推薦した会員候補のうち6名について任命を拒否した。現行の任命制度になった2004年以降、推薦された候補を政府が任命しなかったことは一度もない。会議側からの抗議に対して、菅氏は政府に人事権があるとの主張を繰り返すだけで、任命しない理由については一切説明しなかった。

こうした強権的な手法によって、権力側の意図が通りやすくはなるだろう。しかし、その副作用もある。官邸主導型政治によって自民党派閥の活力は奪われ、党内民主主義は後退した。また、人事権を奪われた官僚機構からは政策立案能力と実践力も失われ、忖度(そんたく)官僚のみが跋扈(ばっこ)することとなった。

まずコロナ対応に新機軸を

菅政権のこの1年を振り返ってみると、この政権が果した役割は、第一義的には現状の維持であって、党内改革でも国政の刷新でもなかった。一方、岸田文雄元政調会長は、総裁選出馬表明で、党組織と制度の刷新を宣言した。菅政権の局面打開能力に疑問符をつけ、「現状維持路線」の限界を指摘したものであろう。

次期総裁が誰になろうと、まずはコロナ禍への対応に新機軸を打ち出さねばなるまい。同時に、政府機関と党組織の劣化や制度疲労の修復・改善に取り組んでほしい。そのほかにも、経済と財政、福祉と社会保障、国と地方の関係など、課題は山ほどある。眼を外に転じれば、米中対立、安全保障、エネルギーと環境など、ここでも課題は目白押しである。

ともあれ、まずは総裁選と衆院選を通じて、諸課題が議論の俎上(そじょう)にのぼることを期待しよう。状況の変化は政治の遅滞を許してくれない。(茨城キリスト教大学名誉教授)