土曜日, 5月 24, 2025
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庭の片隅の食べもの ミョウガ《県南の食生活》28

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【コラム・古家晴美】今夏も猛暑に見舞われ、かつ新型コロナの緊急事態宣言が発せられ、外出もままならない。暑苦しく、行き場のないいら立たしさを感じている方々もいらっしゃるのではなかろうか。しかし、このような中で、キーンと冷えたお素麺(そうめん)を喉から流し込む瞬間の心地よさ。そのお伴が、本日のお題の庭の片隅でひっそりと出番を待っているミョウガだ。主役になる機会は少ないが、なくてはならない脇役だ。今回はミョウガを取り上げてみよう。

実は、3世紀の『魏志倭人伝』に、すでにその名が記されている。日本人と長い時間を共に過ごしてきた。

阿見町大室のHさんは、ミョウガを輪切りにして素麺、蕎麦(そば)、うどん、味噌汁の薬味や吸い口にする。また、子どものころから、家の竹山にできるミョウガを摘んできて、母が甘酢漬けにしていた。水洗いした後に、十分に水を切らないと、そこから傷んでしまう。竹山のミョウガは竹の根が張っているせいか、全然増えないが、その分、他家のミョウガよりも大きく育った。

ミョウガには、7月ごろに摘み取る早生で小ぶりの夏ミョウガと、9月に入ってから採れる中生・晩生の秋ミョウガがある。ミョウガの芽が出始めて、程よい大きさになったものから順番に摘んできて使うのは、夏から秋にかけての楽しみの一つだ。

また、繁殖力が非常に旺盛で、一度摘んでしまっても、4~5日するとすぐに次の芽が出て、肥料もいらない便利な香味野菜といえる。天ぷらや卵とじにして吸物の具、ぬか味噌漬け、粕漬け、味噌漬けにしたり、浅漬けにもみ込むこともある。その利用法は多岐にわたる。さらに、甘酢漬けにすれば1年間持つという優れものでもある。

たくさん食べると物忘れする?

古くは茎を乾燥させ、繊維から縄をない、草鞋(ぞうり)や下駄(げた)の緒に用いた。また、根茎から取った粉末は目薬となった。

落語に「茗荷宿(みょうがやど)」という話がある。神奈川宿につぶれそうになった宿があった。そこに珍しく客が来て、百両を預けて寝てしまい、宿主はそれが欲しさにたくさん食べると物忘れするというミョウガをいっぱい食べさせる。旅人が百両のことを忘れて出立するが、すぐに戻ってきて事なきを得て別れる。宿主の妻は「何か忘れたものはないか」と聞くと「そう、そう宿賃の払いを忘れていった」と言う落ちである。

子供のころにミョウガは食べさせてもらえなかったという記憶のある方もおられるだろう。どこぞの政治家は、ミョウガを食べ過ぎたのであろうか。(筑波学院大学教授)

胃カメラが見つけたものは? 《続・平熱日記》92

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【コラム・斉藤裕之】迎える60回目の誕生日。その前に毎年恒例のアレを飲みにいかなくてはならない。「胃カメラ」。大事な検査であることはわかっているが、かなり憂鬱(ゆううつ)。大のおっさんが、涙を流しながら背中をさすられるあの苦しさ。もしもこれで拷問されたら、すぐにギブだ。麻酔を使う方法を勧めてくれた友人もいたが、「麻酔を希望しますか?」という看護師さんの事前説明に、やせ我慢して「いいえ」と答えてしまった。

いよいよ検査当日。まずは喉の奥に薬を数分間ためながら思う。「これ効果あんのかなあ?」「胃カメラを開発した人は自分で何度も飲んだんだろうな?」

そして横になるとチューブが挿入される。「はーい、食道を通過しますからね」。ここが一番の難所。「オエッ」となって涙が一筋流れる。指示通り大きく呼吸を試みる。「あれ? 意外にいけるかも」。何がどう違ったのかはわからないが、これまでよりも大分楽な感じで検査を終えることができた。もしかしたら胃カメラとともにコツも飲み込めたかも?

病気とは無縁に生きてきたが、偶然ともいえるタイミングで数年前に見つかった腫瘍。運よく命拾いしたのも胃カメラのおかげ。それから、コロナの時代を予測し準備していたわけではないが、ちょうど2年前の誕生日に特に決意することなく酒をやめた。煙草もあっさりやめた。

一汁一菜。9時前には眠くなり、夜明けとともに起きる。朝、小さな絵を描き、この夏の午前中は草刈りに出かける「晴耕雨描」の生活。

「肋骨が2本も折れてますが…

さて次の週、担当の先生の問診。血液検査や画像を見ながら、「胃の方は問題ないですね」。ほっとひと安心。しかし油断はできない。

「斉藤さん、腎臓に石ができてますねえ」と言われて、カテーテル手術に臨んだのは2年前。頼む、CT画像に変なものが映っていなければいいが。すると先生、CTの画像を見ながら「さいとうさん…」「はい」「肋骨が折れてますが」「はい?」「思い当たることはあります?」「あっ!」

はいはい。このエッセイにも書いた通り、昨年、イルミネーションの設置作業中に脚立から落ちた際のあれ。豊かな?骨折経験から「多分やっちゃったな」と思いつつも、医者に行かずじまいだったのを思い出した。半年以上多経ってもわかるんだなあ、と感心していると、「それも2本」「え!」「くっついてますけどね」。

「では1年後に」。マスク越しの先生のあきれたような薄笑いを感じながら、マスク越しにほほ笑み返し。病院を出ると、途端に熱波が体を包む。さあ、頑張って草刈りに行くとしよう。(画家)

菅総理、小池知事は即刻お辞めください 《邑から日本を見る》94

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【コラム・先﨑千尋】私はこれまで、政府や東京都の五輪や一連のコロナ対応について、あまりにもバカバカしく、論評に値しないと考えてきた。しかし、コロナウイルスのまん延による医療崩壊という国難を見て、モノを書く1人として黙ってはいられない、黙認すれば、菅義偉総理や小池百合子東京都知事のやっていることを認めたことになる。そう考え、この際「お2人は国民のために1日も早く職を辞してください」と申し上げる。

今年のお盆はずっと雨。この辺りは大したことはないけれど、九州、中国、長野などでは河川の氾濫やがけ崩れなどの災害が発生し、死者も出ている。気象庁は危険な地域に避難を呼びかけ、市町村は避難所を設置している。高齢者や1人暮らしの人などには、消防団員や自治会長、隣近所の人が声をかけ、救助したり避難所に連れて行ったりする。自助だけでは自分の命を守れないから、共助、公助があるのだ。

コロナの場合はどうか。医療ひっ迫、医療崩壊、災害だと言う。コロナの陽性者が増え続け、病床が足りなくなり、入院基準を厳格化し、重症者以外の中等症、軽症者は入院させない、自宅療養だと言う。自分の命は自分で守れと言う。東京だけですでに入院待ちの人は3万人を超えている。家は病院ではない。自然災害と同じに、国民の命に直結している。

逆ではないか。自分で守れないから保健所に相談し、病院に行く。自助では自分の命は守れないから、共助、公助の方法、手段として行政や医療機関がある。それなのに、ベッドが足りないからお前は助けられないと言う。火事になっても、消防車が足りないから仕方がないと言っていいのか。コロナが災害だと言うなら、地震や大雨などの災害と同じではないか。コロナ患者にとっての避難所は病院なのだ。

こうした重大な決定を、政府は国会や諮問機関に諮らず、与党にすら相談なしに決めてしまったようだ。場当たり的な政府の対応について、ネットでは「コロナ敗戦」という言葉が飛び交っているとか。菅総理は無策、無反省を恥じることなく、ワクチン接種、3密を避ける、人流の抑制、不要不急の外出は自粛、とオウム返しのように言い続けている。ラムダ株にはワクチンはほぼ無効だという情報も伝えられているのに。

プランBを用意すべし

私は、国でも自治体でも企業でも、今進めていることが失敗したらどうするのか、最悪の場合はどうするのかを考えるのがトップの責務だと考えてきた。プランB 、プランCを用意するということだ。オリンピックを開けば、国民はそれに熱を上げ、支持率が上がるはずなどというチンケな人にはプランBなど持ちようもないだろうが。菅総理も小池知事もこの2年近く、権力とカネを持ちながら、一体何をしてきたというのだ。

私ならどうするか。すでに多くの人が提言していることだが、PCR検査を無償でできるだけ多くの人に実施する。軽症感染者を隔離する施設をつくる。オリンピックの選手村、ホテル、体育館などを活用すれば、新たにつくらなくとも済む。野戦病院だ。中等症、重症者向けの病院をつくる。スタッフを養成する。陽性者や雇用している事業主には現金、現物を給付する。やる気になればすぐにできることだ。菅総理はやる気がないので、できないと思うが。(元瓜連町長)

地球温暖化が宇宙ゴミを増やす? 《食う寝る宇宙》92

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【コラム・玉置晋】それにしても今年の夏も暑い日が多いですね。ウチには室内犬(べんぞうさん)がいるので、仕事で出かけても冷房つけっぱなしで電気代が怖い。僕が子供のころ(昭和末期)は、もっと過ごしやすかった。地球温暖化問題が我が家の家計を直撃しています。

温暖化といえば、工場、発電所、自動車…。直接的であれ間接的であれ、私たちが生活するために、多くの二酸化炭素が排出されています。ほかにも、地球温暖化を引き起こす気体であるメタンが、家畜のゲップだけでなく、永久凍土が溶けて、地下で凍結されていたものが大気に大量放出されると懸念されています。

これらの物質は、太陽からのエネルギーを吸収して赤外線を出す特性があります。赤外線は電気コタツで想像できると思いますが、空気を暖める効果があります。その熱は地上近くでは厚い大気に閉じ込められて、どんどん熱がこもる。僕らが暑い暑いと言っているのは、このためです。

太陽活動が低調→紫外線量が減少

このコラムでも何度か取り上げている「宇宙ゴミ問題」。宇宙ゴミは運用を終えた人工衛星や打ち上げロケット、それらが衝突した破片で構成されています。高度600キロ以上の宇宙ゴミの多くは、僕らが生きている間に自然に落ちてくるのは難しいです。一方で、高度600キロ以下は薄いながらも大気が存在するため、宇宙ゴミにブレーキをかけることから、数年~十数年で大気圏に落ち、その数を減らす作用があります。

なんと、地球温暖化が宇宙ゴミを増やしているというのです。高度が高くなると大気が薄くなるために、熱は宇宙空間に逃げていきます。熱がなくて温まらなければ、大気を構成する分子や原子の移動が鈍いので、地球の重力に負けて下に落ちます。国際宇宙ステーションが飛ぶ高度400キロくらいだと、2000年以降、大気密度が2割も減りました。

主な要因は、最近太陽活動が低調で、太陽からの紫外線量が減ったことによります。地球温暖化問題が、これに拍車をかけている可能性があります。大気密度が減ると、宇宙ゴミにかかる大気抵抗が減るために、大気圏に落ちて消滅するまで時間がかかることになります。地球温暖化問題が、宇宙ゴミを増やす原因になるというのです。(宇宙天気防災研究者)

完璧な能力は人生に必要?《続・気軽にSOS》91

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【コラム・浅井和幸】人間の脳には臨界期というものがあるようです。「人間の能力には」と言ってもよいかもしれません。ネットで「脳の臨界期」を検索すると興味深い論文などがみられるので、ぜひ調べてみてください。面白いですよ。ま、ひねくれ者の皆さんは、プラスして「批判」の検索も楽しいです。

平たく言うと、〇〇歳までに習得しないと完全に習得できない能力というものがあり、その〇〇歳というのが臨界期というわけです。あらゆる音が絶対的なド、レ、ミ…に聞こえる絶対音感、語学の発音、バランス感覚などなどがあるようです。この理論を重んじると、早期に教育しなければ立派な大人になれない、といった教育論につながりやすいですね。

商売というものは、そこをうまくついて広告するものですね。「資格をとろう」なんて、気を付けてくださいね。

全てを否定するつもりはありませんが、私が否定的な文章を書いている理由の一つは、それが個人個人に合った教育からかけ離れてしまう危険性です。例えば、「ハイハイ歩き」よりも「つたい歩き」の方が人間として価値が高いと言って、「ハイハイ歩き」をさせないと、これで習得する大切な能力が得られない可能性があります。

成長には個人差があるのに、〇〇カ月で「つたい歩き」を習得しないと、まるで子育て失格だと自分を責めてしまう親御さんもいますね。

立派な勉強は実を結んだ?

もう一つは、そんなに完璧な能力を身に着けることが、多様性のある人生においてどこまで必要性かという疑問です。絶対音感はないけれど、素晴らしいミュージシャンは星の数ほどいます。幼児教育で英語を習わなかった英語教師や、海外で英語を使って活躍する研究者は、当たり前にいます。

運動能力にしても、日常生活やある親御さんが目指す子供の成長した生活の中で必要な運動能力は、世界有数の高い能力が必要でしょうか。そこまでの能力は必要ないことの方が多いですよね。

例えば、50歳で100メートル走や垂直飛びの成績がよいのは、元運動選手でしょうか、それ以外でしょうかと質問されたら、今、その運動を続けている人だというのが事実でしょう。ましてや、けがや病気のない健康の状態は、元スポーツ選手である方がけがで引退して、後遺症が残ってないでしょうか。

英語を話せないのは、テストや文法理論偏重の教育のせいだ、もっと早く素晴らしい教育を受け続けられれば、きっと英会話ができる人間が増える―。否定はしませんが、私だったら、英語を話せたらより立派な仕事ができるとか、素敵な女性とつき合えるという実例を感じられた方が、英会話を頑張っちゃうかもしれませんね。立派な数学や化学の勉強は、実を結びましたか?(精神保健福祉士)

障害者の私だからできること 《電動車いすから見た景色》21

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【コラム・川端舞】私は時間管理が下手である。自分の体力を過信し、いろんな予定を入れてしまう。よくよく考えれば、私は話すのにもパソコンを打つのにも他の人より倍の時間がかかるのだから、他の人と同じ感覚で予定を入れたら、パンクするのは当たり前なのだが…。でも、やりたいことはどんどん出てきてしまう。

最近、そんな時は自分がやろうとしていることが「障害者でもできること」なのか「障害者だからできること」なのかを考えるようにしている。「障害者でもできること」のほとんどは、他の人でもできること。障害のない人に任せた方が、短時間で効率的にできることがほとんどだ。もちろん、あえて障害者が時間をかけてやることで、独特の味わいが出てくることも多々あるが。

しかし、障害があってもなくても、1日は24時間。時間は平等に過ぎていく。せっかく時間をかけて何かをするなら、「障害者だからできること」を追求したい。

例えば、このコラムを通して、障害者の私が考えていることを多くの人に発信すること。もちろん、私は障害者の代表ではないし、大した考えを持っているわけでもないが、私の日常を描き続けることで、「障害者も悩みながら生きている、普通の人間なのだ」と多くの人に思ってもらえれば、それは「障害者だからできること」になるのではないか。

何より、電動車いすに乗っている私が街中に出かけ、多くの人の目に入ることで、障害者が街中にいることが当たり前になる。それは障害者を含め、誰もが生きやすい社会につながる。

そんな堅苦しいことをいつも考えているわけではないが、「障害者だからできること」は思ったよりたくさんある。「障害者でもできること」を追及するあまり、「障害者だからできること」をおざなりにするのはもったいない気がする。

社会とまっすぐ向き合う強さ

しかし、社会一般では、障害者は劣っている存在だとみなされ、「障害者でもできること」を探すのに本人も周囲も必死になりがちだ。大学時代までの私がまさにそうだった。

そのような社会で、「障害者だからできること」を主張すると、煙たがられることもあるかもしれない。それをすることは、ある意味、自分の弱さを社会にさらすことにもなり、時には痛みを伴う。しかし、それで少しでも多様な人を受け入れられる社会になるなら、逃げずに向き合う人間になりたいと思う。もし私が本当に間違いを犯したときは、きっと信頼する仲間が叱ってくれるだろう。(つくば自立生活センターほにゃらメンバー)

コロコロ ウツウツ《くずかごの唄》92

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【コラム・奥井登美子】

「ワクチン接種はお済みですか?」

「2回とも済みました」

「よかったわね」

「よくないですよ。2回打っても、コロナにかかる人がいるそうですから」

「変異株がいろいろ出てきたみたいですが、打ってあればひと安心ですよ…」

旧い町の、小さな古い薬局に来てくれる人は、1人暮らしのお年寄りが多い。コロナ禍のなかで、友だちとのおしゃべりもダメ、趣味の会も休み、買い物も行ってはいけないと、娘や息子たちからうるさく禁止されている。誰とも話す機会がない。

寂しいので1日中テレビをつけている。音と話題には事欠かないが、ニュースを見て聞いて、それを判断する基準がない。

コロナ前なら近所の友だちと、「誰かテレビで何か言っていたけれど、ああいう政治家の言うことは嘘も多いから、気をつけた方がいい」とか、なんとか、おしゃべりがニュースの怖さを和らげてくれた。今はそれがない。

ニュースの怖い所だけが膨らんで大きくなり、怪獣のように迫ってくる。

薬剤師としてどう対応したら?

新聞も隅々まで細かく読むらしい。

「新聞の下の方に週刊誌の広告が出ていますね」

「ありますね、タイトルが書いてある」

「この間、そこに、ワクチンで死んだ人が生前飲んでいた薬というのがあったのですよ。飲んでいた薬で生死が左右されるんですか?」

「さあ、コロナはウイルスだから、あまり関係がないと思いますけれど…」

マスコミも行事がなくなってニュースのタネが少ないので、コロナワクチンの副作用などを大げさに宣伝する。コロコロ変わるコロナ情報に左右されて、うつ病まではいかないけれど、うつうつと気の晴れない市民たち。薬剤師としてどう対応したらいいのか、頭を悩ませている。(随筆家、薬剤師)

ファミレス「ココス」つくば小野崎店《ご飯は世界を救う》38

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【コラム・川浪せつ子】暑い日が続いていると思いきや、大雨。被害が出ている場所の方々、お見舞い申し上げます。

新聞の折り込み広告を見るのが好きです。スーパーの特売品、ホームセンターの季節商品など。そして特にお気に入りなのは、折り込み広告の隅っこについている「△%引き」とかいうもの。ここを持っていくと、普通のお値段からお安くなりますよね。

暑さが増してきた7月。その折り込み広告の端っこを切り抜いて、ファミリーレストラン「ココス」さんに。今回の目的は新作のかき氷。ステキなそそられる写真!

定番のイチゴやマンゴーのかき氷、「すいかのふわふわかき氷」。オシャレな感じの「ピスタチオ&チョコクリスピー」は、まるでスイカに見えてしまいます。種の部分はチョコレートです。

そして「氷宇治金時のふわふわかき氷」は、日本の誇るスィーツ・あんこ+宇治茶+生クリーム+白玉という豪華さです。たまりませんねぇ~、選ぶのに困る、困る。でも、ちょっとだけ残念! 一つで750キロカロリー以上です。1回分の食事より高カロリーではありませんか! ムムム…。でも、食べたい。イヤイヤ、食べちゃうぞぉ~!

こちらのお店は、ママ友、ジム友などと、よく女子会に使わせてもらっていました。ランチとドリンクバーを頼んで、デザート食して。ジックリ語り合う、井戸端会議の時間を楽しく過ごしてきました。

ですが、今はコロナ時代。残念ながら自粛しています。早くコロナが終息して、また皆さんと楽しい時間、空間を、ココスさんで過ごしたいものです。(イラストレーター)

五十嵐つくば市長 今度は被告席に《吾妻カガミ》113

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】元市議を名誉毀損で提訴している五十嵐つくば市長が、今度は6人の市民から住民訴訟を起こされ、五十嵐さんは2つの裁判を抱えることになりました。名誉毀損の方は原告、住民訴訟の方は被告と立ち位置は違いますが、両裁判に気を取られて市長本来の仕事がお留守にならないか心配です。

センタービル再生:監査請求住民訴訟

市が進める「つくばセンタービル再生事業」はいい加減なものだから、すでに支出したおカネは返してもらい、それがダメなら市長が自腹を切れ、これから手をつける設計・工事はすべてストップせよ―と、五十嵐市政の目玉事業に「NO」を突きつけた住民訴訟は、8月上旬、水戸地裁に提起されました。詳しい内容は、記事「つくば市長らに7000万円返還請求 6人が住民訴訟」(8月6日掲載)をご覧ください。

この訴訟は、原告を含む市民グループがセンタービル再生事業の問題点を列挙、市の監査委に監査請求をしたところ、問題なしと棄却されたことから、それでは裁判で白黒をつけようという、市民たちの次の一手です。監査委の結論で引かず、問題点を究極の第三者である司法の判断に委ねるアクションといえます。

監査請求が棄却されたこと、その理由に対する疑問については、コラム「五十嵐つくば市政 揺らぐその原点」(8月2日掲載)でも取り上げ、この再生事業は大規模事業(総経費10億円以上)であるにもかかわらず、五十嵐さんが自ら定めた事業評価(市要綱に規定)をしなかったのは、五十嵐市政の原点(広く意見を聴き事業を推進)を自ら否定するものではないかと指摘しました。

原告団は提訴理由として、上記の要綱軽視のほか、以下の4点を挙げています。①再生事業を担う第3セクター(まちづくり会社)設立の際の評価作業が不十分であり、総務省の指針に反する、②公の場所(センタービル)に民間賃貸会社(まちづくり会社)を置くのも総務省の指針に反する、③基本設計を担当した会社への発注が随意契約になっており、市の入札規則に反する、④センター広場にエスカレーターを設けるのは、広場の文化的価値を壊すだけでなく、著名な設計者の著作権を侵す―と。

問題ありの理由を5つも並べられ、市はどう対応するのでしょうか。再生事業(総経費10億3800万円)は裁判が終わるまで棚上げにする? これまでの経緯を反省して評価作業を立ち上げる? リスク(敗訴に伴うもろもろ)覚悟で再生事業を計画通り進める?

市長の名誉毀損裁判:原告被告?

もう一つの裁判(水戸地裁土浦支部)については、コラム「名誉毀損提訴、取り下げ?」(7月19日掲載)で、五十嵐さんは取り下げるのではないかとの見方が出ていると書いた後、事情通から「そういった動きがあることは確か」と耳打ちされました。一方で、ミニ新聞に掲載された記事の多くは虚偽だと訴えられた元市議(発行人)は、「うそつき」呼ばわりされて名誉を毀損されたと、逆提訴も考えているそうです。

ということは、五十嵐さんは原告と被告の2裁判ではなく、被告と被告の2裁判を抱える可能性もあります。「言論の自由」封じにつながる名誉毀損提訴(あるいは逆提訴?)。市が進める再生事業に異を唱える住民訴訟。両裁判は五十嵐さんの器を問うシーンになりそうです。(経済ジャーナリスト)

<メモ> 監査委員:市長から独立した執行機関。主に市の財務を監査。市民の監査請求にも対応。現在の委員は、高橋博之さん(識見を有する人)、石川寛さん(同)、神谷大蔵さん(市議・前議長)の3人。

真岡鐵道のSLに乗ってみた 《茨城鉄道物語》14

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【コラム・塚本一也】コロナ禍で少々うんざりしているところではありますが、「夏休み特別企画」ということで、真岡鐵道のSLに乗ってきました。真岡鐵道真岡線は茨城県の下館駅から栃木県の茂木駅まで、41.9キロを運行する第3セクターの鉄道会社です。

国鉄の分割民営化の際に、赤字ローカル線であった真岡線を存続させるため、1987年、栃木県と沿線自治体が出資して真岡鐵道株式会社を設立されました。1994年から、休日のみ、「SLもおか」(下館駅~茂木駅)を1往復半運行しています。全国でSLに乗車できる路線は9つありますが、関東では埼玉県の秩父鉄道と茨城県~栃木県の真岡鐵道だけです。

会社自体は栃木県の会社ですが、茨城県の下館駅から乗車できるということで、私もかねてから注目していました。

インターネットで予約し、日曜日の午後に真岡駅から下館駅まで乗車しました。普通列車で真岡駅に到着してまず驚いたことは、真岡駅(真岡鐵道の本社)自体がSLをデザインした造りになっていることです。そのほかにも、敷地内にSL展示館があったり、SL関連グッズを販売していたりと、さすが有名な観光地を抱える県は商魂がたくましいと感じました。

SLをデザインした造りの真岡駅

非日常感をあおる レトロ感あふれる客車

その日はオリンピックも開催されており、コロナ患者数も連日記録を伸ばしている最中であったため、観光客らしい姿はあまり見かけられませんでした。しかし、近隣からいらしたとお見受けする家族連れや、鉄道マニアらしき少年たちが、早い時間から列車を心待ちにしていました。

定刻通りに、蒸気機関車が汽笛吹鳴(きてきすいめい)と共にホームに進入してくると、「鉄ちゃん」というわけではない私でも、何となくウキウキとしてきます。車内に乗り込むと、独特の油の臭いが鼻をつき、扇風機で涼をしのぐレトロ感あふれる客車も非日常感をあおります。

列車が出発すると、沿線には週末の楽しみに蒸気機関車を一目見ようとする見物客やカメラマン、そして我々乗客に大きく手を振る近隣の方が鈴なりでした。真岡鐵道が地域に愛されているということが、しみじみと実感できた瞬間です。

蒸気機関車を運行するためには、機関車の向きを変えるための「転車台(てんしゃだい)」という設備が必要です。真岡駅と茂木駅に転車台がありますが、下館駅にはありません。ゆえに下館駅を始終点としたことによって、気動車で機関車を回送するという手間が発生します。

しかし、下館駅から直接蒸気機関車に接続できることで、首都圏からの観光客を呼び込む大きなメリットが発生します。茨城県が観光立県を目指すのならば、観光先進県とタッグを組むことも重要なことなのではないでしょうか。(一級建築士)

「風立ちぬ」考 その2 《遊民通信》22

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【コラム・田口哲郎】
前略

高橋源一郎氏は小説『風立ちぬ』を読み直し、死者の責務を悟りました。「それは『生きろ』と命ずること、そのことによって、『死者』を(自分を)忘れるように懇願することではないだろうか」と。アニメのエピグラムは「生きねば」です。これは堀が小説の冒頭にポール・ヴァレリーの詩「海辺の墓地」最終節からとった有名な一節「風立ちぬ、いざ生きめやも」の変奏です。

原文《Le vent se lève, il faut tenter de vivre!》から感嘆符を抜き、《Le vent se lève, il faut tenter de vivre.》とした上に、直訳ならば「風が立った!…生きなければならない!」とするところを、「生きめやも(生きるべきか、いやそうもいかない)」と意訳し、生きることへの躊躇(ちゅうちょ)をあえて表現した堀の意図とは趣を異にします。

小説の主人公は定職を持たない青年です。許嫁(いいなずけ)に付き添ってサナトリウムで生活するくらいですし、定職を持っていては人里離れた高原に入り浸ることはできません。社会性が皆無のこの小説には生きるための職業問題など一切書かれていないように思われますが、実はその点はきっちりと書かれています。

許嫁を見舞いに来た父親と主人公の間に次のような会話が交わされます。

「……だが、あなたも冬まで一緒にいて下されるのか?」
「ええ、勿論(もちろん)いますとも」
「それはあなたには本当にすまんな。……だが、あなたは、いま仕事はしておられるのか?」
「いいえ……」
「しかし、あなたも病人に構っておらずに、仕事も少しはなさらなければいけないね」
「ええ……これから少し……」と私は口籠(ごも)るように言った。

小説とアニメの「生きる」の意味の違い

アニメでは堀越二郎の許嫁は菜穂子という名で、結核を患い二郎と離れて暮らすことを余儀無くされます。堀越は菜穂子に付き添いたいと言いますが、菜穂子の父親は言います。「男は仕事をしてこそだ」。堀越は未練を残しつつ、菜穂子のいる東京を離れ、名古屋へと旅立ちます。

小説『風立ちぬ』には社会不安が全く描かれないといわれますが、代わりに個人の不安は描かれています。高等遊民の主人公も安穏としていたわけではなく、社会の非難の眼差(まなざ)しを免れてはいない。一般大衆にとっての不安は、人間の生とは何かと哲学的に問うことではない。いち市民としてどうやって飯を食い、結婚を通じて再生産を果たし、運命共同体たる社会を存続させてくのかということになるでしょう。働けるのにあえて働かない者の心情を社会が非難するのは当然です。

堀の小説の「不安」はこの点においても、時事問題とか社会問題など殊(こと)に男性が好んで語るとされる社会をどうするのか?という問いからは遠く離れ、いち個人の生活の不安に終始しています。続きは次回。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

「たたり」と「科学都市」 《映画探偵団》46

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イラストは筆者

【コラム・冠木新市】桜川流域にある「つくばセンタービル」は、研究学園都市のシンボルとして1983年「桜村」に誕生した。「桜村」は、昭和30年(1955)に栄村と九重村と栗原村が合併してできた村だ。この栗原には「天狗党殉国烈士之墓」と刻まれた石碑、天狗塚が残されていて19人の若者が眠っている。ほかにも天狗塚はあるようなのだが、詳しいことは分からず、つくばではこの話はタブーみたいである。

ある農家の人が「あの土地は売れてないんだ。天狗党を処刑した場所だから」と、草原を指し教えてくれた。またある人は「あそこは天狗党処刑地近くなので、交通事故が多発する」と語っていた。

『八つ墓村』の探偵役・渥美清

私は天狗党の話を耳にすると、松竹『八つ墓村』(1977)を思い出す。横溝正史原作、橋本忍脚本、野村芳太郎監督、芥川也寸志音楽。主人公の寺田辰弥をショーケンこと萩原健一、探偵の金田一耕助役は渥美清が扮し、空前の大ヒットを記録した。

寺田辰弥は毒殺事件に巻き込まれ、亡き母の故郷八つ墓村にやって来る。村は、400年前に毛利との戦に敗けた尼子一族の落武者8人が流れ着いた場所だった。毛利方の褒賞に目がくらんだ村人たちは、祭りの晩に酒に毒を盛り落武者を酔わせ、竹やりで次々と突き殺してしまう。時は流れて昭和24年(1949)、落武者殺しを指揮した村総代の子孫が急に狂い出し、村人32名を惨殺する。

物語は「現代(1977)」「昭和24年」「400年前」の3つの時代が交錯して描かれる。回想シーンに回想シーンが挿入され、込み入った手法がさえわたっていた。

強烈なキャラクターが次々登場するのであまり目立たないのだが、最初は「たたり」をばかにして笑っていた村の若者たちが、殺人事件が重なるにつれて、村に来た辰弥が原因だと思い込み集団リンチしようとする。つまり「たたり」をいつの間にか信じてしまうのだ。400年前の「たたり」は現代でも存続しているというのが作品のテーマで、推理物よりも怪談映画の雰囲気に近かかった。

センタービルと広場は「鬼門封じ」

つくばセンタービルは、東京の北東、鬼門の方角に建っている。鬼門とは邪気が侵入して来る位置を示す。鬼門封じには白い石を置くとよいともいわれている。子どものころ、怪談映画を見て因果応報を信じて育った私は、白っぽいセンタービルと広場は鬼門封じの建物だと思っている。

だから、センター地区の中心線につながるセンタービルの壁と階段を壊すとの改造計画を聞いたときは、ショックを受けた。さらに、ノバホール正面玄関の片側の重厚な白い壁も壊すと知ったときは、非常に恐ろしくなった。鬼門封じのバランスが壊れるからだ。そんなことをしては「たたり」があるのでないか。

センタービルは2年後に40周年を迎える。「桜村」で1983年前後に生まれた子どもたちは、40歳前後の大人たちとなる。「科学都市」の洗礼を受けて育った世代はAI社会の明るい未来を信じ、スマートシティ、スーパーシティを目指しているのだろうか。「たたり」などは、『八つ墓村』の最初の若者たちみたいに、非科学的と無視するに違いない。

映画探偵の私は、金田一耕助のように、センタービル改造計画の行方を見届けるつもりだ。「たたり」がないことを切に願うばかりである。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

「大事ノート」「家族年表」 《ハチドリ暮らし》4

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【コラム・山口京子】日々の暮らしに追われて、生活を時間軸で意識することはあまりない。でも、日々の暮らしの積み重ねが人生をつくるのだと思う。ファイナンシャルプランナーの勉強を始めたころ、「大事ノート」と記した1冊のノートをつくった。そのインデックスの最初に「家族年表」をつけた。結婚してからの家族の年齢や出来事を毎年書き出した。

一般的に生活設計で使うライフイベント表は、将来の出来事を書き込むものだが、この家族年表は確定した出来事を書く。結婚して2人暮らしになり、子どもが生まれて3人暮らし、4人暮らしと続く。子どもたちが大学に入り家を出て3人暮らし、2人暮らしと家族は小さくなっていった歳月。住宅ローン返済に苦労したこと、大学授業料や仕送りに頭を悩ませた時期があったことを、ノートは教えてくれる。

インデックスは、「収入」「支出」「資産一覧」「住宅費」「子ども費」「保険証券」「交際費」と続く。40年にわたる推移と現在の内容が確認できる。今だったらパソコンで打つのだろうが、今もノートに書き足している。

そして、別のノートには、家族が生まれた年にどんな出来事があったのかを書き出してきた。祖父母が生まれた年、1900年前後に何があったのか。父母が生まれた1933年は、世界中(と言ってもヨーロッパやアメリカが中心だったと思う)がきな臭い時代。ドイツでヒトラーが政権を握った年。日本では「蟹工船」で有名な小林多喜二が虐殺された年。日本の農村はとっても貧しかったという。

孫1歳の2020年にコロナ禍

1950年代は、サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約が交わされ、現在にもつながる問題を提起している。経済白書は「もはや戦後ではない」と宣言。1958年には、東京タワーが竣工し、東京の観光名物となった。60年代には、東京オリンピック開催され、都会に高層ビルが建ち、景観が変わっていく。経済成長が目覚ましかった。「山高ければ谷深し」。1960年代から2020年代までの60年の変化は、どんな風に説明されるのだろう。

子どもが生まれた1986年は、男女雇用機会均等法、労働者派遣法の施行、旧ソ連でチェルノブイリ原発事故が起きた年。男女雇用機会均等法も労働者派遣法も改正が重ねられ、今に至っている。2011年3月11日、東日本大震災と福島原発事故。孫が1歳になった2020年、コロナ禍で変わっていく社会。

個人の生活を考えるにあたっても、社会、経済、政治の動きは要注意だ。この事態に政府はどんな政策で対応しようとするのだろうか。コロナばかりが目立つが、国会ではどんな法律が通過しているのか。先が見通せない時代。夕方、少し涼しくなる時間を見計らって、インゲンの種を取る。(消費生活アドバイザー)

ハチマンタロウにやられた? 《続・平熱日記》91

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【コラム・斉藤裕之】今年は庭のブルーベリーが驚くほどの豊作だ。ところが、喜び勇んで実を採っていると、枝の間に入れた腕を何者かにチクチクと刺される。その痛みは独特で尋常ではない。とはいえ、次々と熟す実は収穫しなくてはならない。なにせ、袋いっぱいの実は知り合いのカフェのスイーツの材料として引き取られ、ランチと引き換えの手はずになっているのだから。

「ハチマンタロウにやられた?」と、カフェのマスター。茨城ではそう呼ぶらしい。毛虫の仕業ということはわかっていたが、イラガという蛾(が)の幼虫で、虫を触らずとも全身から毒液や毒針を発射するらしい。「デンキムシ」とか「ヒリヒリガンガン」とか、いろんな呼ばれたりするらしいが、洗ったり薬をつけてもなかなか痛みが治まらない。

目に見えないほどの毛虫の毒液とあっては避けようがない。だから、手袋と手甲をして完全防備で摘み取ることを覚えた。それにしてもハチマンタロウとは、たかが毛虫にしてはたいそうな名前で気に入った。

そこで思い出すのが「キンタロウ」だ。故郷山口の日本海側。萩や長門あたりの海沿いを走っていると、このキンタロウに出会うことができる。炭火の上で焼かれる、小ぶりの赤い魚がキンタロウの正体だ。一夜干しにしてあって、とてもおいしい。カミさんは今でもたまに「キンタロウ食べたい!」とつぶやくことがあるほど。正式名称は「ヒメジ」という魚。多分流通にはのらない雑魚だが、こちらもかわいらしい名前だ。

オッコトヌシとキンタロウ!

ここまでくると、もう一丁「〇〇タロウ」といきたいところだ。いろいろ考えてみるが、古くは漫画の主人公、食べ物のチェーン店などに多く、またワクチン担当のタロウやボルサリーノをかぶったタロウなど、やはりタロウは伝統と安定感があるのか、政界では割と好まれるらしい。

そういえば、前総理のお父さんも「シンタロウ」だったか。私の場合は、母親によく「寝タロウ」と言われていたことを思い出す。しかし、3年寝たあとにお金を儲ける寝タロウとは違って、私は「プータロウ」となってしまうのだが。

さて話は戻って、恐らく、毛虫が「ハチマンタロウ」と呼ばれるようになった理由があるはずだ。何かのきっかけで、ある限られた地域や家族の中でしか通じない呼び名が使われることがあるように。

最近耳にして気に入っているのが、弟の嫁さんが魚のカワハギの頭につけた呼び名「オッコトヌシ」。アニメに出てくるイノシシの親分だが、なるほどそっくりである。酢醤油でいただくと、イノシシ同様、ほほ肉は美味だとか。まずは尾頭付きのカワハギをさばいて料理をしなければ、出会うことはないと思うが。

「今日の夕飯は?」「オッコトヌシとキンタロウ!」。ことばひとつで、暮らしは楽しくなる?(画家)

脱原発首長会議が海洋放出で緊急声明 《邑から日本を見る》93

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【コラム・先﨑千尋】脱原発をめざす全国の首長らで構成する「脱原発をめざす首長会議」は7月11日、福島県南相馬市内で記者会見を開き、「政府は汚染水の海洋放出を断念せよ」という緊急声明を発表した。同会議のメンバー14人は、前回本欄(7月26日付)で触れた通り、前日に東京電力福島第1原発の事故現場を視察し、11日には北隣の相馬市の松川浦を訪れ、特産のアオサノリの養殖漁師・遠藤友幸さん(60)から原発事故後の漁業の実態を聞いた。

遠藤さんは、汚染水の海洋放出について「原発事故後、汚染水が出るのはわかっていたことだ。しかし東電はこれまでしっかりした対応をしてこなかった。納得できず、反対するしかない。バリケードを作ってでも阻止したいくらいだ。放射能の汚染を減らしながら収穫量を回復する努力を続けてきたが、市場価格はなかなか回復せず、今回の汚染水放出の決定。残念だ」と不安と怒りをぶちまけていた。

遠藤さんはさらに、後継者がいない漁家の中には、カネ(補償金・賠償金)をもらえば漁業を止めてもいいという人が出てくるかもしれない、と苦悩の表情を見せていた。

東京電力が6年前、福島県漁連に「関係者の理解なしにはいかなる処分も行わない」と文書で約束しながら今回の一方的な海洋放出決定をした背景には、漁民はカネでなんとかなるという心算が政府、東電にあるのだろうと考えている。

海洋放出は「人の復興」に逆行

記者会見では、同会議の佐藤和雄事務局長(元東京都小金井市長)が声明文とその背景を説明した後、参加者がそれぞれ視察の感想や汚染水への考えを述べた。同会議ではこれまで2019年、2020年に「汚染水は長期保管を」、「地元関係者が納得し、『人の復興』を最優先にした案を、透明性の高いプロセスにより決定するよう求める」という声明を出している。

それを受けて、今回は「大型タンクによる長期保管、すでにアメリカで実施例があるモルタル固化といった海洋放出を回避するための代替案について検討が尽くされているとは思えない。政府は『人の復興』に逆行する海洋放出を断念し、陸上での保管・処理へ舵を切るよう求める」という声明を出した。

記者会見する首長会議メンバー(右側の列)

記者会見で、同会議世話人の1人である桜井勝延前南相馬市長は「汚染水問題は自分には関係ないと思っている人は、安全だという国と東電の説明をうのみにしがちかもしれないが、漁業者にとっては自分の人生をダメにしてしまうような大きな問題」と語っていた。

私は「政府・東電は風評被害と言っているが、風評ではなく実害。賠償問題に関し、この10年の東電の対応を見ていると、被害者の声に耳を貸さず交渉を一方的に打ち切るケースが多く見られ、今回の海洋放出でも同じことが起きるのではないか。カネでは被害は救済されない」と話した。(元瓜連町長)

夏休みの宿題と風景画 《つくば法律日記》17

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堀越さんの事務所があるつくばセンタービル

【コラム・堀越智也】夏になるたびに思い出すのが夏休みの宿題。大人になっても、夏休みの終盤になって慌てて手を付ける自分を反省させられる、風物詩のようになっている人は多いと思います。実は、僕は早めに夏休みの宿題に手を付ける子でした。それでも、夏が来るたびに宿題の失敗を思い出し、反省します。

小学1年の1学期の最後の日。初めて、夏休みの宿題という「敵」が存在することを、宿題一覧表を渡されて知ることになります。それを見て、早めに片付けようと決意しました。宿題の中でも絵が強敵だと気づき、絵を早めに取り掛かろうと。

そこまでは、自分でもなんて偉い子なんだと思います。しかし、そのあとが自分らしかった。一覧表には「風景画」と書いてあるのに、自分の中で「絵」と認識し、夏休みが終わるまで「風景画」という文字を見返すことなく、画用紙にガンダムの絵を描き続けました。

夏休みが明けて、その絵を学校に持って行き、丸まった画用紙を平らにしようとして、みんなに取り囲まれ、初めてミスに気づきます。「宇宙も風景じゃねえか」という言い訳が頭に浮かびましたが、無理筋だと思い直し、自己弁護を諦めかけたところ、先生が割って入ります。

「こんなに一生懸命、絵を描いてきた人はいますか?」と言ってくれました。なんてナイスな弁護だ。確かに、僕は全身全霊でガンダムの絵を描いてきた。そして、先生は、「金賞はあげられないけれど」と言い、銅賞をくれました。その後、みんなの風景画に紛れて、ガンダムの絵が体育館に飾られました。

先生に褒められ絵が好きになった

それを機に僕は絵が好きになり、毎年、夏休みの宿題で絵を描くことを楽しみにするようになりました。あのとき、誹謗(ひぼう)中傷されていたら、絵も勉強も嫌いになっていたのではないかと思い、毎年のようにその先生に感謝します。

そんな先生に感謝しているのは僕だけではないようで、みんなにからかわれそうなことをしても、その先生に褒められて、勉強好きの大人になった友人がいます。その友人は、いつも勉強が楽しそうで、勉強の話もマンガの話もゲームの話も、同じテンションでした。だから、彼の周りの人も勉強が楽しくなり、成績がよくなります。 SNSによる誹謗中傷が当たり前の世の中になりましたが、それがどれだけ社会のマイナスになるかと心配になります。もちろん、批判的な意見も自由にできなければならないことは、歴史上明らかです。しかし、人のプラス面を生かすことで、その人が救われるだけでなく、長い目で見れば社会も救われるだろうと、小学1年の自分の弁護をしながら思う2021年の夏。(弁護士)

路上生活者からの相談 《続・気軽にSOS》90

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【コラム・浅井和幸】私が代表理事をしているLANSという一般社団法人があります。「住宅確保要配慮者居住支援法人」というカテゴリーで活動をしています。平たく言うと、アパートを借りにくい人たちに住まいの確保についてアドバイス。地域で孤立していたり、住宅に安定して住み続けられない可能性がある方の見守りなどを行っています。

生活困窮者、高齢者、障害者、1人親世帯、被災者、DVからの避難者、外国人など、様々なカテゴリーの方に対応しています。このところ、新型コロナを原因とする離職なども多く、これらの方々にも対応しています。

ある日、次のようなメールが届きました。「はじめまして。今、路上生活をしております。電話回線がつながっていないので、メールさせていただきました。所持金もない状況ですが、相談に乗っていただけないでしょうか」

電話の契約を解除したけれど、フリーWi-FiがあるところでLANSを見つけ、メールしたとのことでした。路上生活で目を悪くし、一刻も早く医療につなげなくてはいけない急を要するケースでしたが、メールでのやり取りなので会うまでに数日を要しました。

お会いしたらとても聡明(そうめい)な方で、電話を解約したのも、社会復帰するときにスマホ契約ができないブラックの状態ではまずいと考えて、自ら解約したとのことでした。気ままな路上生活を数年されていたのですが、多くあった貯金も底をつき、自分だけの力では社会復帰ができないところまで来てしまい、協力をお願いしたいとのことでした。

仕事を見つけ税金を払う生活へ

路上生活は苦にならないけれど、もう少し早く仕事を始めるなどの対策をすべきだったと、その方は言っていました。さらに急激に視力が悪くなり、太陽の強い光がまぶしく感じ、足元も見にくいし、歩くにも支障が出る状況でした。仕事を探すにしても、住む場所、電話回線、視力回復が必要でした。

相談に来られたときは、生活保護申請を自分で済まされていました。あとは、住む場所を確保する必要があります。連携している不動産会社にお世話になりながら、住む場所を確保しました。生活保護を受けられるようになってすぐ、眼科クリニックも受診しました。検査の結果、すぐに手術が必要だとなり、手術を行い、普段の生活には支障がないところまで回復しました。

いろいろな知識を自分で調べて取り入れ、周りに対しても丁寧な語り口で責めることなく、そして必要なことを話すと素直に実行してくれたおかげもあり、思ったよりもスムーズに前に進んだケースでした。これからは、仕事を見つけ、税金を払う生活を送ることとなるでしょう。(精神保健福祉士)

国際宇宙ステーションから放出された謎の物体 《食う寝る宇宙》91

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【コラム・玉置晋】社会人大学院生として、興味をもって取り組んでいる研究テーマの一つに、人工衛星の「落ちる問題」と「落ちない問題」があります。

「落ちる問題」は、地球の高層大気の温まり具合が大きくて、高度600キロ以下を飛行する人工衛星の周りの大気密度が増え、人工衛星への大気抵抗が増えること。結果として、人工衛星の速度が落ち、高度が落ちます。許容以上に落ちる場合、人工衛星の運用上よろしくないので、これを研究することはとても重要なことです。

「落ちない問題」は、いわゆる宇宙ゴミの問題に直結していて、高度600キロより高い所を飛ぶ人工衛星は、ブレーキをかける大気がほとんどないため、地球に落ちることなく、軌道上にとどまり続けます。実用衛星の多くは高度600キロより高いところに打上げられているので、落ちてくるのに数10年(高度700キロ)、数百年(同800キロ)、数千年(同1000キロ)かかりそうだということが分かりました。

このような研究を行っているので、宇宙空間にどんな物体が放出されているか、アメリカ軍が公開している宇宙物体の軌道データのカタログを定期的にチェックしています。

何らかの秘密ミッション?

この軌道データのカタログをみると、2021年6月22日、国際宇宙ステーションから日本の機関が所有する新たな物体が放出されたことがわかりました。本コラムの執筆時点で公式の発表はありませんので、何らかの秘密ミッションが遂行されている可能性があります。

8月8日には東京オリンピックの閉会式があります。もしかしたら、何かが明らかになるのではないかと期待しています。東京オリンピックは1年遅れで開催されました。1年前にも国際宇宙ステーションから物体が放出されましたが、オリンピックの延期により、注目を浴びることはありませんでした。

僕は、この謎の物体がその後継ミッションではないかと予想しています。つい先日、民間宇宙旅行が始まりました。今年はきっと「宇宙世紀」の始まりなのでしょう。これ、重要なヒントです。(宇宙天気防災研究者)

黄金虫の運命 《くずかごの唄》90

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【コラム・奧井登美子】野口雨情作詞、中山晋平作曲の童謡「黄金虫(こがねむし)」の歌詞。

黄金虫は金持ちだ

金蔵(かねぐら)建てた 蔵建てた

子供に水飴(みずあめ)かって来た

黄金虫は金持ちだ

金蔵建てた 蔵建てた

子供に水飴なめさせた

私たちが小学生のころ、茨城県生まれの野口雨情の童謡をよく歌った。戦中、戦後、甘い物に飢えていたので、水飴を子供になめさせた虫がうらやましかったのかも知れない。

私たちも子供たちも楽しみにしていた「昆虫観察会」も、今年はコロナの感染拡大で急に取り止めになってしまった。

適応力に優れたゴキブリ

「黄金虫は、昔は山にしかいない山の虫で、卵の鞘(さや)が昔の財布の形をしているので、縁起の良い虫として大事にされていました。何十種類もいる中で、頭の良い2種類だけが人間の家庭に進出し、繁栄したのが、いわゆるゴキブリです。残りの種類はまだまだ山の中にたくさんいますので、見つけてみて下さい」

以前の昆虫観察会のときに、私がつい口を滑らせてしまった黄金虫とゴキブリの話。参加のお母さんに叱られてしまった。

「せっかくきれいな森に来たのだから、ゴキブリの話なんかしないでください。私はゴキブリと聞いただけで、ダメ。気持ちが悪くなるのです」

すばしこくて、頭の良い、適応力に優れた昆虫が尊敬されるのかと思ったら、その反対に、その嫌われ方が、蚊や蠅(はえ)などの比ではない。適応力に優れた生物に対しての恐怖。人間の頭脳との競争。なぜだろう? 黄金虫の運命は人間の運命を予告するのかも知れない。(随筆家、薬剤師)

外国語を学ぶコツ② 《ことばのおはなし》36

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【コラム・山口絹記】英語の習得に必要なものとは何か。私はこう考える。必要性+緊急性。あるいは(他者からは理解されない類の)情熱。この記事を読んでいるあなたは、誠に残念なことに、今のところ両者を持ち合わせていない可能性が非常に高い。

現実問題として我々日本に暮らす日本人は、今のところ英語ができなくとも不自由なく生きていける。おそらく「英語ができる」というのは、「ギターが弾ける」とか「料理がうまい」程度の価値なのではないだろうか。いや、もっと低いかもしれない。

それでもせっかく読んでいただくのだから、私としては後者の“情熱”というものに、かすかな明かりをつけられるような記事を書いていきたいと考えている。お付き合いいただければ幸いだ。

4つの目標を設定

まずは目標設定をしてみよう。高すぎる目標では、やる気にならないので、こういうのはいかがだろうか。

①大まかなストーリーを知っている小説などをほぼ理解できる程度

②好きで何度も観ている映画が楽しめる程度

③必要に迫られれば、言いたいことの7割を話せる程度

④以上3点を利用して、退屈な単語帳などを抜きに、さらなる語学力上達が日常的にできるようになること

さて、日本の学校教育における英語が実践的なコミュニケーションの役に立たないといったお話、よく目にしないだろうか。たいてい、その代価案として示されるのが、アウトプットの機会を増やすというようなことなのだが、正直に言おう。

「日本人同士で英会話なんて私は恥ずかしい」。純度100%の感情論なのだが、あなたもそうではないだろうか。

アウトプット量が足りないことには理論的には賛同するが、そもそもインプット量が足りていないのが実情だ。とはいえ、やって無駄なことなどこの世には存在しない。足りないなら補えばよい。

いくつになっても学べる

ここから先は、過去の学校教育で真面目に英語を学んだことを前提としておはなしを進める(コレができるのが学校教育の大きな意義だ)。

まず用意するものは、365日、毎日5時間(無理なら3時間)の勉強時間と、TOEFLやTOEIC用単語帳2冊。

これより物量作戦に移行する。例文ごと、できれば文章の一部を自分の好きなものに置き換えながら毎日100単語覚えていく。

方法は自由だが、発音だけは音源をしっかりまねして実際に声に出して練習することを強くお勧めする。

「例文ごと」というのが重要で、大量の英文を覚えるというのは、すなわち、こういう単語のつながりはアリなのだ、という感覚をつかむのに絶対必要な通過点だ。

ここまで少し厳しいおはなしをしてしまったので、慰めになるかはわからないが、言語習得論について言語学的な見地からひとつ素敵な研究結果について述べておこう。それは、語彙(ごい)獲得の臨界期は存在しない、という研究結果だ。どういうことかというと、幼児と大学生の間に、語彙に関する記憶力に差がないということだ。

いくつになっても、ことばは学び続けることができる。私もいまだに学んでいる。(言語研究者)