日曜日, 4月 28, 2024
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宇宙天気を朝ドラに出すぞ! 《食う寝る宇宙》93

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【コラム・玉置晋】僕がコラム54で「求ム!宇宙天気防災カリスマリーダー」と、看板人物の募集を出したのは2020年1月でした。その後、同年4月に宇宙ビジネスサロン「ABLab」で宇宙天気プロジェクトを設立しました。そこに加入してくださったのが、気象予報士の斉田季実治さんでした。

斉田さんはNHKの「ニュースウオッチ9」で気象キャスターを担当されており、ご存知の方も多いと思います。そんな斉田さんですが、将来、宇宙天気キャスターを目指しており、プロジェクトマネジャーになってもらえないかというお願いを聞いてくださり、ABLab宇宙天気事業の顔となっていただきました。

今年4月、斉田さんから相談があって、気象考証を担当するNHKの朝の連続テレビ小説で宇宙天気を話題にしてみないか、というものでした。このコラムでは宇宙天気という言葉を当たり前のように使っていますが、世の中の認知度はまだまだです。

朝ドラで宇宙天気が話題に出れば、たくさんの方に知っていただけるに違いない。というわけで、斉田さんとプランを練り始めました。物語の流れとしては、主人公は気象予報士で、その職場の民間気象会社で新規事業を提案するコンペが開催されます。その中で、ボツになる提案の中に宇宙天気を取り込むというものでした。

「面白いね、最高! 才能あるよ」

9月7日、ついにオンエアー。お笑いの「もう中学生」さん演じるプレゼンターが、得意の段ボール工作で「宇宙天気プロジェクト」を猛アピール。社長さんに「面白いね、最高! 才能あるよ」と褒められるも、「宇宙天気を観測する衛星を打上げるには何百億円もかかる」「宇宙天気はまだまだ大きな利益は見えにくい。今の暮らしに役立たなきゃ、我々の仕事じゃない。なので、却下」と言われてしまいました。

これ、僕がこの10年間、民間会社でずっと言われてきたことで、斉田さんにシナリオ提案の際に組み込んでもらったものでした。ドラマでは却下になってしまいましたが、僕たちは本気で宇宙天気の普及を進めようとしています。仲間も増えてきました。今後に備え、仕込みもいろいろ進めているところです。(宇宙天気防災研究者)

窓の内側から見たセンター広場 《映画探偵団》47

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イラストは筆者

【コラム・冠木新市】昔見た映画を今見ると印象が変わる場合がある。アルフレッド・ヒッチコック監督の『裏窓』(1954)がそれだった。

J・スチュアート主演の『裏窓』

報道カメラマンの主人公ジェフ(ジェームズ・スチュアート)がケガをし、ギプスで身動きが取れずにいて、窓から正面アパートの住人たちの暮らしを観察する。そのうちジェフは、セールスマンが寝たきりがちな口うるさい妻を殺害したことに気付く。

眼下の小さな庭を囲むビル。アパートには「独身で売れない作曲家」「肌の露出を気にしない若いダンサー」「子犬を子どものように熱愛する中年夫婦」「夫も恋人もなく寂しさを感じている上品な婦人」「現代アート風な彫刻を作る老婦人」ら、窓の内側で暮らす人たちの人間模様がそれぞれ1本の映画のように描かれている。

今見ると、セールスマンの殺人よりもこちらの方にインパクトがあった。新型コロナ感染拡大の状況下で、巣ごもりを強いられた現代と似た景色に見えたからだ。さらに、建物に囲まれた庭がどことなくセンター広場と重なったからかもしれない。

秘かに「妻の遺体を切り刻み」処理

センター広場も、外で眺めるのと窓の内側から見るのとでは印象が変わる。ホテルの眼の形をした11Fから見下すと、小さく見える広場は地球ではなく、どこか遠い惑星かのように錯覚させられる。

だが、吾妻地域交流センター5Fの和室から見ると、意外に庶民的な空間に映る。また、ノバホール3Fの三角窓から眺めると、エキスポセンターから一直線の秩序的な道が階段を降りると混沌(こんとん)とした広場となり、対比をなしていてとても面白い。私のお気に入りは、市民活動センター1Fの印刷室から見た広場の噴水だ。窓枠が額縁となり静謐(せいひつ)な絵となっている。

半年前、「広報つくば」3月1日号に、センタービルのリニューアル計画が初めて発表された。しかしそこには、ノバホール脇の階段が削られ急なスロープになることも、正面玄関の白壁が無くなることも、市民活動センターの窓ガラスが壊され取り替えられることも、何一つ説明は出ていなかった。

これでは、秘かに妻の遺体をバラバラに切り刻み少しずつ処理していく、『裏窓』の犯人と同じ方法といっても過言ではないのではなかろうか。

だから、何か発見あるのではと思って、久しぶりに『裏窓』を見てみたのだが、今回はそんな「犯人」よりも、窓の内側で暮らす「作曲家」「ダンサー」「彫刻家」たちの方が気になった。

改造計画発表後、これまでセンタービルや広場を利用してきたアーチストの声が、賛否を含めてほとんど聞こえてこない。「つくばセンター研究会」のメンバーから、アーチストは市や関係者とのしがらみがあり弱い立場なので、何も言えないのではないかとの声も聞かれた。すでに自由な空気は失われ、匿名の世界でしか発言できない状況なのだろうか。

『つくばセンタービル謎解きツアー』

『つくばセンタービル謎解きツアー』という企画を、メンバーから提案があり「アイラブつくばまちづくり補助金募集」に応募することとなった。センタービルの状況を内側から知るよい機会だと思った。

8月11日、ヒアリング審査がつくば市役所で開かれた。企画内容を説明しようとしたら、すぐ止められ、いきなり質疑応答になった。ところが、議長が促しても質問が出ず、議長から「予算が出なくてもやりますか?」と聞かれ、「やります」と答えた。(その後2名から短い質問があった)

8月12日付で10万円の交付が決定した。センタービルでの活動なので、市の担当部署は中心市街地振興課と思っていたら市民活動課だった。

アイアイモール(これも半分の狭さになる)によって囲まれた、一見何もないように見えるセンター広場には、あるエネルギーが流れているように思える。その正体は何なのか? 『つくばセンタービル謎解きツアー』で解答を示すつもりである。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

ヨーロッパは負けない 五輪閉会式パリ紹介動画に思う 《遊民通信》24

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【コラム・田口哲郎】
前略

TOKYO2020オリンピック・パラリンピックが紆余曲折(うよきょくせつ)を経て開催され、閉会しました。今回はオリンピック閉会式で印象的だったことを書きたいと思います。

次の五輪開催地はフランス共和国の首都パリです。東京都知事小池百合子氏からパリ市長のアンヌ・イダルゴ氏に大会旗が手渡される際に、パリ大会の紹介動画が流れました。オーケストラが、パリの名所を背景に、フランス国歌のラ・マルセイエーズを奏でます。これは何の変哲もない紹介動画として受け流すこともできますし、かつて世界の首都を誇った古都がクラシック音楽にのせられて映し出されることに違和感を覚える必要はないでしょう。

しかし、私は驚きました。口をついてでた言葉は「なぜ?」です。パリはかつての勢いを失っているなどと言われますが、大国フランスの首都であり、ヨーロッパ有数の巨大都市に変わりはありません。パリは古いと同時に新しい。いまだにファッション、ポップカルチャーの発信地でもあります。世界的に文化はサブカル化しています。日本のアニメ、ゲーム、そしてKawaiiは世界を席巻している。正統ではなく亜流がウケる時代のはず。

現に東京五輪への引き継ぎ式のために、安倍前首相はリオデジャネイロでNintendoのマリオに扮して土管から飛び出したではありませんか。ポップ化する世界。当然パリもポップな先進性を強調する動画を流すと思っていました。

しかし、フランス人はクラシック音楽で首都を飾ったのです。背景にはルーブル美術館にある「サモトラケのニケ」の像も移っていました。これは古代ギリシアの彫刻。つまり、ヨーロッパ人はギリシア・ローマ人の末裔(まつえい)であり、古典的文化を継承しているという主張です。古代中国文明圏にありながら近代化した日本はアジア的大らかさを持っている。和を重んずる性善説の人々です。よそ様が喜ぶとなれば、浮かれてコスプレもする。

でも、我々に近代化を迫った欧州人は、浮かれたようなふりをして実は大真面目に自文化を堅守している。決しておどけたりしない。このコンセプトで行くならば、安倍氏は羽織袴(はかま)を着て、琴・三味線を引き連れて「六段の調」をBGMに旗をもらうべきです。

コロナ禍に勝ったヨーロッパ

そして、コロナ禍にも関わらずトロカデロ広場に密集する群衆が映り、エッフェル塔展望台のマクロン大統領は「共に!」と叫びました。「了解」と私はつぶやきました。ヨーロッパはコロナ禍に打ち勝ったという主張を受信したからです。ヨーロッパは負けません。むしろ勝とうとします。

彼らは確固たるルーツと世界に誇る古典文化を持ち、「教化」しようとします。コロナ禍後の新生活様式により、グローバル化はますます進展します。ヨーロッパ・スタンダードは国のみならず個人に直接働きかけるでしょう。明治以来の日本の近代化はまだ継続中で、我々は欧州に対抗する自覚を持つべきです。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

講演「現在の日本の立ち位置と再生の基軸」 《ハチドリ暮らし》5

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ナスの収穫とニンジンの間引き

【コラム・山口京子】日本コーポレート・ガバナンス・ネットワークの特別プロジェクト「失われた30年 どうする日本」のシリーズ第2回(8月24日)で、寺島実郎氏のオンライン講演を視聴しました。今回は、寺島氏の「現在の日本の立ち位置と再生の基軸」の内容を紹介します。

今の日本で本気に問題にすることは何か? ディベロップメント(開発)を実現させつつ、サステナブル(持続可能)であることではないか。知っておくべきファクトは、埋没する日本を直視すること。「健全な危機感」が問われているとして、世界に占める日本のGDP(国内総生産)の推移を示した。1950年3%、1964年4.5%、1994年17.9%、2000年14%、2010年7%、2020年6%、2030年予想4%―。GDPの額で見ると、日本は2008年来、ほぼ実質ゼロ成長という現実。

アベノミクスを総括すると、三本の矢の一つ目の異次元金融緩和、二つ目の財政出動で調整インフレ政策がとられたものの、資金需要はなく、貸し出しは増えなかった。他方、ジャブジャブマネーは株高と円安に向い、円安は輸出産業の競争のハードルを下げた。しかし、産業構造で食とエネルギーを海外に依存するこの国では、マイナスの面を持つとして、工業生産力モデルにとって円安が望ましいという固定観念には異議を向ける。

アベノミクスは、資本主義の競争を通じて切磋琢磨(せっさたくま)するということより、マネーゲームでラクをして生きる方向に舵(かじ)を切らせたのではないか。株式市場についていえば、公的資金も株高を支えている。GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)や日本銀行のETF(上場投資信託)買いなどで85兆円も注入されており、そのため実力以上の株価になっているのは、「自堕落な資本主義」だと釘(くぎ)を刺す。

「食料自給率は現在の38%から70%に」

そして、日本再生の基軸として、脱工業生産力を提起する。今までの「豊かさを実現すれば、平和と幸せはついてくる」というコンセプトから、「国民の安全と安定」(経世済民)と「持続可能な成長」(SDGs)にシフトさせる。ファンダメンタルズは、原点回帰の産業基盤強化で、食と農・医療・防災に取り組む。イノベーションは、DX(デジタルトランスフォーメーション)、グリーン(環境、脱炭素エネルギー)で対応する。

また、食料自給率をカロリーベースで現在の38%から70%に上げる。食と農についていえば、生産・加工・流通・調理のサイクルを強化し、イノベーションを利用し付加価値を高める。医療では臨床研究を重視し、防災は道の駅を防災拠点とする構想を掲げる。

ファンダメンタルズとイノベーションは両方が大切としたうえで、ファンダメンタルズを立て直さないと、日本の安全と安定は図れないと強調する。「戦後、工業生産力モデルでひた走り、忘れてきたことを立て直すことが求められている」という言葉の意味するところは深い。

自分がどこにいるのか、どういう社会に暮らしたいのかを考えるきっかけとなる貴重な講演でした。実家では、ナスの収穫とニンジンの間引き、次の野菜づくりのために土地を耕しました。見渡すと、手入れをする人がいなくなった畑や田んぼの荒れた様子が目立ちます。(消費生活アドバイザー)

菅政権の限界と次期政権の課題 《雑記録》27

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【コラム・瀧田薫】9月3日、菅義偉首相(自民党総裁)は党総裁選に立候補しない旨表明した。このところ、菅内閣の支持率が低迷し、菅総裁の再選が危ぶまれる状況ではあった。しかし、菅氏は2日、二階幹事長に総裁選出馬の意向を伝えており、その翌日の辞任表明はあまりに唐突である。コロナ禍への対処を誤って衆院解散のタイミングを失い、総裁と衆院議員の任期切れという時間的制約にも追い込まれ、まさかの「辞任」につながったものと推察する。

報道各社は、総裁辞任の第一原因をコロナ対策の失敗にあると見ている。しかし、菅政権がそうした対応しかできなかった理由は、危機管理能力の欠如とか見通しの甘さといった次元で説明できるものではない。

より深刻な理由がある。それは安倍政権の時から水面下で進行していた政府機関と党組織の劣化そして制度疲労である。自民党歴代政権を行政学の立場から「官僚主導型」と「官邸主導型」の二つに分けた場合、安倍政権が敷いた「官邸主導路線」をそっくり踏襲したのが菅政権である。安倍一強政権が、小選挙区制と人事権を武器として自民党派閥と省庁の統制・管理に乗り出したとき、その先頭に立ったのが、安倍内閣官房長官の菅氏であった。

官邸主導路線は菅政権になって弾みが付く。2020年9月、就任間もない菅首相は日本学術会議が推薦した会員候補のうち6名について任命を拒否した。現行の任命制度になった2004年以降、推薦された候補を政府が任命しなかったことは一度もない。会議側からの抗議に対して、菅氏は政府に人事権があるとの主張を繰り返すだけで、任命しない理由については一切説明しなかった。

こうした強権的な手法によって、権力側の意図が通りやすくはなるだろう。しかし、その副作用もある。官邸主導型政治によって自民党派閥の活力は奪われ、党内民主主義は後退した。また、人事権を奪われた官僚機構からは政策立案能力と実践力も失われ、忖度(そんたく)官僚のみが跋扈(ばっこ)することとなった。

まずコロナ対応に新機軸を

菅政権のこの1年を振り返ってみると、この政権が果した役割は、第一義的には現状の維持であって、党内改革でも国政の刷新でもなかった。一方、岸田文雄元政調会長は、総裁選出馬表明で、党組織と制度の刷新を宣言した。菅政権の局面打開能力に疑問符をつけ、「現状維持路線」の限界を指摘したものであろう。

次期総裁が誰になろうと、まずはコロナ禍への対応に新機軸を打ち出さねばなるまい。同時に、政府機関と党組織の劣化や制度疲労の修復・改善に取り組んでほしい。そのほかにも、経済と財政、福祉と社会保障、国と地方の関係など、課題は山ほどある。眼を外に転じれば、米中対立、安全保障、エネルギーと環境など、ここでも課題は目白押しである。

ともあれ、まずは総裁選と衆院選を通じて、諸課題が議論の俎上(そじょう)にのぼることを期待しよう。状況の変化は政治の遅滞を許してくれない。(茨城キリスト教大学名誉教授)

後期高齢者の区分に入りました 《吾妻カガミ》115

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3点セット:スマホ、パソコン、タブレット

【コラム・坂本栄】9月初めの誕生日で後期高齢者になりました。一生の分け方はいろいろあると思いますが、~20歳を「準備期」、~65歳を「仕事期」、~75歳を「引退期」とすれば、75歳~は「そろそろ期」でしょうか。先日観た「キネマの神様」の元映画人(沢田研二)は、懐かしい映画と自作の脚本をダブらせながら、上映館の座席で死んでいきます。78歳でした。私もあと3年ぐらいは頑張りましょう。

体は劣化しても頭は20代後半?

数年前から使っているフェイスブックでは、「関心は政治/経済/軍事。身体は劣化しているが頭は20代後半。独製セダンから国産SUVに乗り換え若ぶっている」と自己紹介しています。直すか考えましたが、そのままにすることにしました。10年数前の顔写真もそのままにし、SNSの世界では仕事期が続いていることにします。

大学の方は今年度いっぱいで講師の任期が終わります。時事問題を織り交ぜながら、国際経済や国際政治の構造について講義してきました。仕事期(経済記者)の知識を最新版に更新でき、私にとっても勉強になりました。若い先生たちとの懇親はとても愉快でした。

主流メディアはネットにシフト

フェイスブックでも大学講義(一部リモート)でも、ネットの便利さを痛感しています。携帯するスマホ、デスク上のパソコン、その間の使い勝手のタブレット。これら3端末を使い分けながら、各方面とコンタクトできます。いつでも、昔の仕事仲間、今の仕事仲間とつながります。以前は文字と写真の活用が主でしたが、最近、映画もネットで観るようになりました。

新聞もネット経由です。今、朝日を紙とネットで、日経とウォール・ストリート・ジャーナルをネットで購読しています。3新聞とも紙メディアの限界を感じているのか、ネット経由の発信に力が入っています。企画記事などはネットを優先、紙よりも先にネットに載せるようになりました。紙<ネットに、経営戦略をシフトしたようです。私の仕事期には想像もできなかったことです。

「そろそろ期」でも何か起きる?

私の仕事期45年のうち、4分の3は通信社、残り4分の1は地域紙でした。転職したとき、新聞業界紙の取材に「ニュースの卸売業を卒業して小売業に転じた」と答えましたが、これは理由の一つ。通信社のネット開発部門を任されたものの、その可能性に無理解な(従来の媒体モデルにこだわる)トップと衝突、情報伝達手段の先を読めない経営陣にサヨナラしたのがもう一つの理由でした。

仕事期最後の10年と引退期前半の5年を、地域紙に関われたことはハッピーでした。いろいろな分野の方と知り合えたからです。4年前、ネット媒体(本サイト)に参画できたこともハッピーでした。「そろそろ期」でも何か起きそうです。「頭は20代後半」ですから。(経済ジャーナリスト)

「何を伝えたいか」の一つ先を 《続・気軽にSOS》92

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【コラム・浅井和幸】引きこもって家から出ないお子さんを持つ親御さんが、相談室に来談することがあります。私は、お子さんの人とのつながりがどのようなものかお聞きします。外に出ることもないので全くないという回答もあります。

親御さんに、お子さんとどれぐらいのコミュニケーションがあるのかお聞きしますと、「ほとんどない」「全くない」と答える方は多いものです。全くないということは、意思疎通が全くないということですから、「生きていけるのかな?」と疑問を持ち、例を挙げて詳細に質問をします。

例えば、テレビを見て雑談はするか? ご飯は食べるかと聞いてうなずくか? 全く顔を合わせることがないとしても、食事をドアの前においたら、食べ終わった食器をドアの前に置いておくか?

ここに挙げたような例もないという答えもありますが、ほとんどは、それぐらいのやり取りはあるようです。コミュニケーションというと、「笑顔での会話」と捉えていることが一般的のようですが、私は「意思疎通」だと思っています。このようなズレを、まさにコミュニケーションで縮めていくために、相談時間を費やすことも多いものです。

ネット検索では反論も併せて検索

自分が感じたり考えたことを、言葉や身振り、表情などで伝え、それを相手が感じ取り、解釈して返事をしたり、質問をしたりする。これを繰り返すことが大切です。特にうまくことが進まないときは、こういったやり取りを丁寧にする必要があります。

物事を単純化して、「元気になるためのたった3つのこと」とか「世の中には2つの人間しかいない」とか「簡単〇〇ダイエット」とか「これをするだけでお金持ち」といった表現がもてはやされますが、それでうまくいかないことの方が多いはずです。

全てを信じること、全てを疑うこと―どちらも同じぐらい危険や不便をはらんでいます。なので、ネットで検索するときは反論も併せて検索するとよいでしょう。人の言うことを全て鵜吞(うの)みにしていたら詐欺に引っかかるかもしれませんが、全てを詐欺と疑っていたら郵便物さえ受け取れなくなってしまいます。

失敗し、悩み、事実を受け入れながら行動をして学んで、また次に学びを生かしていくことが大切です。これさえやればよい、あるいは大逆転―といった方法はそうそうありません。

「何を伝えたいか」は日常的によく考えることだと思います。その一つ先、「どのように伝わるか」を考える習慣をつけてみましょう。そして、さらに一つ先の「物事がどのように動いて、どうなってほしいか」という目的にかなう手段として、コミュニケーションを考えてみてください。などなどと、独りよがりの押し付けの文章を書きながら、自問自答する毎日です。(精神保健福祉士)

「面の皮」の薄い人、厚い人 《くずかごの唄》93

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【コラム・奥井登美子】

「肌の荒れないマスクありますか?」

「顔のお肌に何か炎症でも…」。

客は若い女の人。マスクを外して肌を見せてくれた。

「ほら、こんなに赤くなってしまって」

目の下、頬のあたりが赤くなってしまっている。ここ2~3日の蒸し暑さは普通ではない。マスクでふたをされて、顔にいわゆるアセモができてしまっている。

「あら、赤くなってしまっていますね」

「皮膚科で診てもらいたいと思っても、お医者に行くのにもマスクが必要なので困っているの」

世の中には、私みたいに精神的にも肉体的にも面の皮の厚い人と、薄い人がいる。薄い人は敏感で、ちょっとした刺激でも皮膚に炎症を起こすので、暑さの中、マスクと顔の皮膚炎の心配もしなければならない。

自分の「精神安定剤」を自分でつくる

コロナ禍のなか、友達からの電話相談も多い。

「もしもし、家族がコロナになったらどうしよう。心配で、心配で、夜、眠れないのよ」

「体を動かしていたら、疲れて、夜、ぐっすりよく眠れるわよ。体を動かせばいいのよ」

「外へ出たりしたら、コロナが大変だから、どこにも出たくないの」

「私は家庭菜園をやって、体を鍛えているの。今日も、ナス3本とキュウリがとれたわよ。どうやって料理して亭主に食べさせようか、料理を考えるのも楽しいし」

「そんなの、私には無理だわ、明日、医者に行く日なの。先生に頼んで、よく効く眠り薬を入れてもらいたいの。名前教えて…」

「睡眠薬? それだけはやめた方がいいわ。副作用で認知症が進むというデータもあるし、認知症にだけはなりたくないでしょ」

「父の認知症で苦労したの。絶対なりたくないわよ」

「自分の精神安定剤を自分でつくりなさいよ」

「薬? 薬なんか、つくれないでしょうよ」

「何か一つ、創造的なものを目標にして、それにまい進してみるの。絵でも、俳句でも、料理でも…」

友達だから面の顔の厚さで、ずけずけと、精神安定剤の怖さも言えるけれど、薬局のお客には言えない。(随筆家、薬剤師)

常総線の未来は?《茨城鉄道物語》15

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守谷駅の常総線車両

【コラム・塚本一也】茨城県内で乗車できる鉄道は11路線あります。古河駅から乗車できる東北線、下館駅から乗車できる真岡線、鹿島神宮駅から乗車できるJR鹿島線などもカウントしておりますが、県内を通過しているものの、乗車できない東北新幹線などは含んでおりません。これまで取り上げた路線は8路線となっており、残りが少なくなってきました。

今回は身近に存在し、歴史もあるのですが、話題として取り上げづらかった常総線について少し触れたいと思います。

常総線は取手駅から下館駅まで、関東鉄道が経営する非電化の私鉄です。営業距離は51.1キロですが、取手駅から水海道駅までの17.5キロは1984年に複線化が完了し、首都圏へ通勤客を輸送する役割も果たしています。平日の7時台は上下線とも6~7分間隔でダイヤを編成しており、取手駅ではJR常磐線、守谷駅ではTX(つくばエクスプレス)と接続しています。

常総線沿線は、東京23区の過密対策として、1970年代に入ると常総ニュータウンの開発が始まりました。当時の住宅公団による、計画人口9万人の大規模な開発です。開発当初、常総ニュータウンから東京駅へ直通電車が通るという触れ込みに引かれ、多くの方が住宅を購入したといわれています。

そのため、丸の内の大手企業に勤務するエリートサラリーマンが多く住んでいるといううわさを聞いたことがあります。しかし、およそ35年後にTXが開通したときには、そういった方々は定年を迎えていたという「ブラックジョーク」もささやかれているそうです。

常総線の路線図

非電化でも複線区間を持つローカル線

非電化でありながら複線区間を持つ営業線は全国でも珍しいですが、鉄道貨物輸送が華やかだったころには、こういった路線は結構ありました。その後、貨物輸送が衰退したために、電化に至らずにそのまま営業線として残っているようです。

その点で常総線の場合は特異であり、非電化の原因は本コラムでも以前取り上げたこともある気象庁地磁気観測所(石岡市)の影響です。東京近郊の通勤電車としての機能を期待されながら、「非電化のローカル線」というレッテルを貼られてしまう常総線は、将来構想が大変描きづらい路線と思われます。

私たちが子供のころ、県西地区の田園地帯を走る常総線は「まぼろしの常総線」と言われていました。特に2両編成で走る姿を見られたときには、何か良いことがあると言われたものでした。今、常総線は、通勤時2両編成、イベント時4両で走っています。

コロナ禍により、在宅勤務という新しいライフスタイルが注目されていますが、TXや常磐線と接続している常総線は、そのポテンシャルをどう活かしていけばいいのか、関係者のご尽力に期待したいと思います。(一級建築士)

外国語を学ぶコツ③ 《ことばのおはなし》37

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【コラム・山口絹記】「あいつのこと、好きなの?」というセリフがあったとする。特に違和感はない。しかし「トマトのこと、好きなの?」とは言わないだろう。

理由を説明できるだろうか? 説明できなくてもよいのだ。経験上おかしいと感じられるのが多くの日本人の言語感覚であり、これこそが大量の文章を丸暗記する価値だ。

今回は、語彙(ごい)力をつけるための、次のステップについて述べていこうと思う。

あなたが仮に「鯔」という漢字が読めなくても、魚だろうと推測ができるように、英語にも知らない単語を推測する手がかりが存在する。

それは、ラテン語由来の接頭辞+語幹+接尾辞で構成される「語源」というものだ。英単語は日本語訳で多くの意味を持つことが多い。詳しい解説は割愛するが、これは英語がラテン語、ギリシャ語を語源とする語が数多く存在することによるものだ。

例えばastronaut「宇宙飛行士」、astronomy「天文学」、disaster「天災」。これらはast(e)r-「星」という語幹によるものである。

語源の知識が付くと、気持ちの良い和訳が見つからなくとも大体の意味がつかめるようになることが多い。

また、そろそろ洋書の単語帳を用いた学習を始めてもよいかもしれない。英語ネイティブが語彙力を伸ばすために使用するものだ。今ではネット通販で簡単に手に入るものも多いため、ペーパー版で手に入れてみるとよいだろう(書き込み式が多いため、電子版はおすすめしない)。

語彙の知識にこだわる

さて、どうしてここまで語彙の知識にこだわるのか。

私たちは日常的に多くのことばに出会う。もはや無意識に、注意深く読むべきか、耳を傾けるべきか取捨選択をし、誤字脱字はある程度補完し、たとえ知らない単語でも大体の意味が分かれば調べなくてもよいと判断している。例えば、

「私は昨日、織田信長と桃太郎と釣りに行き、鯔(ぼら)を食べて復をこわした」

この文章を一蹴するには、実は日本の歴史や童話の基礎知識を前提に、「復」という誤字を自然と「腹」に置き換えなければならないのだが、さらっと読み飛ばすことができるだろう。

しかし、人物がConfucius「孔子」とLittle Red Riding Hood「赤ずきん」に入れ替わり、その後の文章に知らない名詞や誤字脱字があったら?

単語帳の語彙だけでは太刀打ちできず、辞書を引いても該当する単語が無い。

テストでは高得点が取れても、英語の児童文学すら読めなかったりするのは、こういったところにも原因があるのだ。

日本人の多くは『ハックルベリー・フィンの冒険』も、『聖書』も読んだことがない。恥ずべきことではなく、そういうものだ。

言語とは、その使用者が積み重ねてきた歴史と文化の上に形成される。広く前提とされているような知識に欠落があるということがいかに苦しいことか。しかし、そういった発見が苦しさから楽しさに変わる瞬間というのが必ず訪れる。

その瞬間というのが、ある程度の語彙を身に着けた状態、つまり、一定の語彙力を手に入れた瞬間なのだ。(言語研究者)

コロナ医療崩壊 つくば市の誤判断 《吾妻カガミ》114

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日本財団つくば研究所跡地

【コラム・坂本栄】コロナ感染者が急激に増え、首都圏で医療崩壊が起きています。陽性者を含む医療が必要な人の数と、これらの人を受け入れる病床数の需給が崩れ、コロナ患者が医療システムの外に置かれるという非常事態です。昨春、日本財団が打診してきた軽症者収容施設をつくば市が受け入れていたら、こういった惨状はかなり緩和されたのではないかと、残念でなりません。

「戦争ができない国」になった日本

本欄ではコロナ禍を有事と捉え、何回か、国や自治体が実施すべき(あるいはやってはいけない)対コロナ策(作戦)を取り上げました。初回「…つくば市のコロナ対応」(昨年4月6日掲載)では、ワクチン(武器)入手や接種所(前線)への配送(後方支援)はもちろん、対コロナ(敵)の基本は国境・県境で阻止する、それに失敗したら密空間(戦域)での拡散(戦闘行動)を抑える―ことが大事と指摘しました。

こういった枠組みで考えると、県境を越えるGO・TOトラベル、国境を越える東京五輪は間違った対応でした。ワクチンの自国開発不調は後日検証するとしても、河野太郎氏をワクチン担当相(兵站司令官)に就けたのは人事ミスでした。目立ちたがりの彼は、次々と場当たり策を打ち出し、ワクチン配送と接種所を混乱させたからです。米国では軍の兵站(へいたん)部門が配送を担当したと聞きます。

また、政府が私権制限を可能にする法整備を怠ったのは失態でした。これでは、国民が密になる場所に集まることを放置、コロナの犠牲になる(効果的な機銃掃射の標的になる)のを許すようなものです。菅首相は有事と平時の違いを理解できないのでしょうか。誤解を恐れずに言えば、日本は「戦争ができない国」になってしまいました。

残念だった「コロナ野戦病院」拒否

小粒ですが、つくば市にも似たような対応がありました。コラム「…コロナ対応を点検」(昨年5月4日掲載)で、2つの事例(小中学校の密状態容認、人の市境越え誘導)を挙げておきましたので、詳しくはリンク先をご覧ください。それよりも、9000もの病床を備える軽症者施設の市内設置を断ったことは、大局観に欠ける失態でした。

競艇の収益で公益活動をしている日本財団が、つくば市にある1万7300坪の同財団研究所跡に、軽症コロナ患者(戦傷者)を収容する大テント病棟群を設置したいと、市に同意を求めてきたところ、五十嵐市長は市民の同意を得るのが難しいとの理由で拒否した、というのがその経緯です。秋の市長選を前にして、「迷惑施設」は政治的にマズイと判断したようです。詳しくはコラム「『大型コロナ病床の是非』の是非」(昨年4月20日掲載)に出ています。

このテント病棟(野戦病院)が実現していれば、首都圏の重症者(治療は集中治療室)、中症者(同病院か在宅)、軽症者(同原則在宅)のうち、軽症者と中症者の相当数を収容でき、首都圏の病床需給は劇的に改善されたでしょう。コロナ禍を有事と考え、施設を受け入れていれば、五十嵐さんはその見識が評価され、将来の首相候補になっていたしょう。残念。 (経済ジャーナリスト)

村上茉奈も金メダリストも観たかった《ひょうたんの眼》40

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百日紅

【コラム・高橋恵一】東京オリンピックが終わり、24日からパラリンピックが始まった。多くの課題を抱えたままのオリンピック開催だった。日本選手団は、金メダル27個を含め計58個のメダルを獲得し、史上最多になった。

日本メディアの報道は、日本人選手のメダル、特に金メダル獲得が主題で、私たちがオリンピックに託している期待、理想を踏まえた報道とは、かけ離れていた。メディアが、国民の好みに合わせて報道しているのであれば、日本人の品格、感性はこれほどまでに低下してしまったのだろうかと情けなくなってしまい、やはり日本は、オリンピックを開催する資格の無い国だと思えて仕方がない。

体操競技では、内村航平選手の最後の挑戦があり、19歳の橋本大樹選手が個人総合と鉄棒で金メダルに輝いて、日本体操を引き継いだ。女子体操では村上茉奈選手が床運動で銅メダルを獲得し、その素晴らしい演技は何回も繰り返し放映された。

ところで、女子床運動の金メダルはジェード・キャリー選手(米国)、銀メダルはフェラーリ選手(イタリア)なのだが、中継時に視聴していなかったので、どのような演技だったのかわからない。世界一の演技も観たい。金メダリストのインタビューもプロフィールも知りたい。銀メダリストについても同じだ。

体操競技だけではなく、日本のオリンピック報道の偏狭さが目立ちすぎる。前評判の高い日本人選手の情報は、有り余るほど披露されるが、外国人選手の情報は乏しい。それどころか、格闘技のテレビ中継中に「(日本の)〇〇選手が相手の選手の……」という表現があった。外国人選手の名前も、所属国地域もとっさに言えないのだ。

甲子園の中継で、対抗チームの学校名が言えないアナウンサーがいるだろうか? オリンピック報道なのに、日本の対戦相手選手の名前も所属も紹介されず、日本の弱い種目の金メダルを獲得しても、競技の放映もプロフィールの紹介もされなければ、大変失礼な扱いなのではないか。主催国の報道姿勢が問われる。

メディアは日本選手の金メダルだけに集中?

日本の金メダルへのこだわりは、メディアの一角を成す解説者にもあり、元々口数の多い元アスリートは、日本の酷暑と感染症の蔓延を、外国からの参加が少なくなるので、日本人選手に有利だと解説していた。開催する以上、外国選手に良い環境を用意しなくてはならない側としては、許せない、というよりあまりにも情けない発言だった。日本の選手が金メダルを取ると、重要な政治課題の番組中でも、臨時のスーパー字幕が流される。外国人選手のオリンピック新記録はニュースにもならない。

我々は56年前、柔道のヘーシンクやエチオピアのアベベなどの活躍で、世界のアスリートの偉大さを実感し、それまで知らなかったアフリカや東南アジア、中南米の小さな国からの参加選手に親しみを持ち、応援もした。

開催中のパラリンピックは、障害者アスリートたちが、持てる能力と存在のたくましさ、すばらしさを主張して、参加している。しかし、日本のメディアは、相変わらず、日本選手の金メダルだけに集中するのだろうか? 日本の品格が問われている。(地図好きの土浦人)

ナラ枯れの脅威! 被害対応奮戦記(下) 《宍塚の里山》80

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【コラム・佐々木哲美】ナラ枯れ被害木の対応は何とかなりましたが、次に問題となるのは、ナラ枯れ被害が比較的軽い経過観察木と新たにカシナガの削孔(さっこう)が発見された樹木の対応です。

経過観察の樹木のナラ枯れ対応には、クリアファイルのトラップが有効であると森林総研の升屋主任研究員から教えられ、実施することにしました。このトラップは、トランク・ウインドウ・トラップ(TWT)と呼ぶ静岡県で考案されたもので、市販のA4クリアファイルの1枚と1/4を使って作るため、非常に安価にでき、設置も簡単です。

さっそく、調査の希望者を募ったところ、会員の山口かなえさんが、子どもたちにも挑戦させたいと手を挙げてくれました。山口さんにTWTを100枚ほど作っていただきました。

6月初めに升屋主任研究員に来ていただき、大人5名、子ども10名でナラ枯れ対策のトラップを設置しました。子どもたちも活躍し、楽しく作業ができました。山口さんが、子どもたちにチャレンジさせたいと思ったのは、ナラ枯れ対策を通じて子どもたちが生態系を学ぶいい機会になると考えたからだそうです。

以後、毎週、トラップを子どもたちと巡視して、捕獲状況の確認と石けん水の補充を続けています。また、状況に応じてトラップを増やす、隣接した樹木にもトラップを設置するなどしています。

「ナラ枯れ対策は『試行錯誤』」

ナラ枯れの基礎知識を学ぶために、「ナラ枯れ学習会」を7月17日(土)に開催しました。升屋勇人さんを講師に「カシナガキクイムシによる樹木の枯損」と題して1時間半ほど話してもらい、その後、現地で説明していただきました。参加者は環境教育部会を中心に12名でした。環境部会は、9月に筑波大学生命環境系の学生30名ほどを受け入れますが、野外体験学習に「ナラ枯れ」をテーマに行いたいと考えています。学習会は大変有意義で好評でした。

学習会の最後に、升屋さんから「ナラ枯れ対策手法は確立されておらず、試行錯誤を繰り返している状況である。ただ、熱意をもって、やり方を考えながら取り組んだ地域は成功している。3年ほど頑張らなければ、効果は確認できない」と、継続して取り組む必要性をアドバイスされました。

今後、3年も継続するには、子どもたちに新たな目標を示してやること、地元の小学校や中学校の自然観察や自由研究の題材、高校生や大学生の研究課題として示し、関わるように働きかけていきます。被害木の被覆作業や伐採作業も比較的重労働なこと、資機材の購入費などもあることから、何らかの助成金をいただいての対応も考える必要があります。

対処方法は、火災と同じで初期消火が一番効果あり重要なことですが、ボランティアだけでは対応に厳しいものがあります。現実の問題として見えてくるのは、行政、研究機関、学校、市民などが連携して取り組むことがカギのような気がします。(宍塚の自然と歴史の会 副理事長)

つくば工科高校サポートクラブ(3) 《塞翁が馬》4

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【コラム・三浦一憲】前回(7月30日掲載)、工科高生の見学先4つを紹介しましたが、今回はその続きで、人気があった3カ所を紹介します。「お台場科学技術未来館~ビーナスフォート~東京国際フォーラム」、「クラッシックフレッシュコンサート」、「外国人宿舎二の宮ハウス工事現場」です。大手建築会社の現場見学は普通の人では不可能ですが、建築科生の見学要望はすんなりと通り、大会社も高校生には優しいのだと驚きました。

第8回 お台場科学技術未来館~ビーナスフォート~東京国際フォーラム このコースは、修学旅行のコースにもなっていますが、建築科の高校生が見学することはとても重要です。日本人の常識を超える建築を体験できるからです。アーティストとして建築家は職業建築士とは立ち位置が違うことを体験できたと思います。

第7回 クラッシックフレッシュコンサート クラッシックコンサートは、普通の高校生はまず行きません。だから、目の前で聞かせる、これが重要なのです。同年代の若者が高いレベルで音楽を奏でることを、工科高生に伝えたいと思い、学内音楽室でコンサートを開催しました。毎日過酷な練習をして、芸大などに合格できる演奏レベルになる―これから大学受験を迎えはる高校生に伝えられたでしょう。

第5・9・10回 外国人宿舎二の宮ハウス見学 二の宮ハウスはつくば市内に設けられた外国人研究者向けの宿舎です。3回の見学会では、センスのよい住宅を見てもらい、日本人がいかに味気ない部屋に住んでいるか、どうしておしゃれな住居に住めないのか、高校生なりに問題意識を持ってもらうことを期待しました。

理論だけでなく現場を見せる

一連の見学会を総括すると、全11回のいろいろな建築を何も知らない高校生に見せ、よい刺激を与えられたと思います。机上の理論だけでなく現場を見せ、感じさせることの重要性を再認識したプログラムでした。

高校生が何を感じたのか、アンケートを取らなかったのでよくは分かりません。でも、大学受験が終えた学生と母親が私のところにお礼のあいさつに来たとき、「あのプログラムのおかげで、建築の面白さに目覚め、建築科に合格しました。ありがとうございました」と言われ、つくば「工科高校サポートクラブ」の苦労が吹き飛びました。

こういったボランティア活動の最初の経験が、私の「まちかど音楽市場」につながっていくとは、この時は想像もしていませんでした。人生無駄になることはない。一喜一憂しないで目の前のことを解決していくことが未来につながる。まさに、塞翁が馬(さいおうがうま)です。(まちかど音楽市場代表)

庭の片隅の食べもの ミョウガ《県南の食生活》28

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【コラム・古家晴美】今夏も猛暑に見舞われ、かつ新型コロナの緊急事態宣言が発せられ、外出もままならない。暑苦しく、行き場のないいら立たしさを感じている方々もいらっしゃるのではなかろうか。しかし、このような中で、キーンと冷えたお素麺(そうめん)を喉から流し込む瞬間の心地よさ。そのお伴が、本日のお題の庭の片隅でひっそりと出番を待っているミョウガだ。主役になる機会は少ないが、なくてはならない脇役だ。今回はミョウガを取り上げてみよう。

実は、3世紀の『魏志倭人伝』に、すでにその名が記されている。日本人と長い時間を共に過ごしてきた。

阿見町大室のHさんは、ミョウガを輪切りにして素麺、蕎麦(そば)、うどん、味噌汁の薬味や吸い口にする。また、子どものころから、家の竹山にできるミョウガを摘んできて、母が甘酢漬けにしていた。水洗いした後に、十分に水を切らないと、そこから傷んでしまう。竹山のミョウガは竹の根が張っているせいか、全然増えないが、その分、他家のミョウガよりも大きく育った。

ミョウガには、7月ごろに摘み取る早生で小ぶりの夏ミョウガと、9月に入ってから採れる中生・晩生の秋ミョウガがある。ミョウガの芽が出始めて、程よい大きさになったものから順番に摘んできて使うのは、夏から秋にかけての楽しみの一つだ。

また、繁殖力が非常に旺盛で、一度摘んでしまっても、4~5日するとすぐに次の芽が出て、肥料もいらない便利な香味野菜といえる。天ぷらや卵とじにして吸物の具、ぬか味噌漬け、粕漬け、味噌漬けにしたり、浅漬けにもみ込むこともある。その利用法は多岐にわたる。さらに、甘酢漬けにすれば1年間持つという優れものでもある。

たくさん食べると物忘れする?

古くは茎を乾燥させ、繊維から縄をない、草鞋(ぞうり)や下駄(げた)の緒に用いた。また、根茎から取った粉末は目薬となった。

落語に「茗荷宿(みょうがやど)」という話がある。神奈川宿につぶれそうになった宿があった。そこに珍しく客が来て、百両を預けて寝てしまい、宿主はそれが欲しさにたくさん食べると物忘れするというミョウガをいっぱい食べさせる。旅人が百両のことを忘れて出立するが、すぐに戻ってきて事なきを得て別れる。宿主の妻は「何か忘れたものはないか」と聞くと「そう、そう宿賃の払いを忘れていった」と言う落ちである。

子供のころにミョウガは食べさせてもらえなかったという記憶のある方もおられるだろう。どこぞの政治家は、ミョウガを食べ過ぎたのであろうか。(筑波学院大学教授)

胃カメラが見つけたものは? 《続・平熱日記》92

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【コラム・斉藤裕之】迎える60回目の誕生日。その前に毎年恒例のアレを飲みにいかなくてはならない。「胃カメラ」。大事な検査であることはわかっているが、かなり憂鬱(ゆううつ)。大のおっさんが、涙を流しながら背中をさすられるあの苦しさ。もしもこれで拷問されたら、すぐにギブだ。麻酔を使う方法を勧めてくれた友人もいたが、「麻酔を希望しますか?」という看護師さんの事前説明に、やせ我慢して「いいえ」と答えてしまった。

いよいよ検査当日。まずは喉の奥に薬を数分間ためながら思う。「これ効果あんのかなあ?」「胃カメラを開発した人は自分で何度も飲んだんだろうな?」

そして横になるとチューブが挿入される。「はーい、食道を通過しますからね」。ここが一番の難所。「オエッ」となって涙が一筋流れる。指示通り大きく呼吸を試みる。「あれ? 意外にいけるかも」。何がどう違ったのかはわからないが、これまでよりも大分楽な感じで検査を終えることができた。もしかしたら胃カメラとともにコツも飲み込めたかも?

病気とは無縁に生きてきたが、偶然ともいえるタイミングで数年前に見つかった腫瘍。運よく命拾いしたのも胃カメラのおかげ。それから、コロナの時代を予測し準備していたわけではないが、ちょうど2年前の誕生日に特に決意することなく酒をやめた。煙草もあっさりやめた。

一汁一菜。9時前には眠くなり、夜明けとともに起きる。朝、小さな絵を描き、この夏の午前中は草刈りに出かける「晴耕雨描」の生活。

「肋骨が2本も折れてますが…

さて次の週、担当の先生の問診。血液検査や画像を見ながら、「胃の方は問題ないですね」。ほっとひと安心。しかし油断はできない。

「斉藤さん、腎臓に石ができてますねえ」と言われて、カテーテル手術に臨んだのは2年前。頼む、CT画像に変なものが映っていなければいいが。すると先生、CTの画像を見ながら「さいとうさん…」「はい」「肋骨が折れてますが」「はい?」「思い当たることはあります?」「あっ!」

はいはい。このエッセイにも書いた通り、昨年、イルミネーションの設置作業中に脚立から落ちた際のあれ。豊かな?骨折経験から「多分やっちゃったな」と思いつつも、医者に行かずじまいだったのを思い出した。半年以上多経ってもわかるんだなあ、と感心していると、「それも2本」「え!」「くっついてますけどね」。

「では1年後に」。マスク越しの先生のあきれたような薄笑いを感じながら、マスク越しにほほ笑み返し。病院を出ると、途端に熱波が体を包む。さあ、頑張って草刈りに行くとしよう。(画家)

菅総理、小池知事は即刻お辞めください 《邑から日本を見る》94

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【コラム・先﨑千尋】私はこれまで、政府や東京都の五輪や一連のコロナ対応について、あまりにもバカバカしく、論評に値しないと考えてきた。しかし、コロナウイルスのまん延による医療崩壊という国難を見て、モノを書く1人として黙ってはいられない、黙認すれば、菅義偉総理や小池百合子東京都知事のやっていることを認めたことになる。そう考え、この際「お2人は国民のために1日も早く職を辞してください」と申し上げる。

今年のお盆はずっと雨。この辺りは大したことはないけれど、九州、中国、長野などでは河川の氾濫やがけ崩れなどの災害が発生し、死者も出ている。気象庁は危険な地域に避難を呼びかけ、市町村は避難所を設置している。高齢者や1人暮らしの人などには、消防団員や自治会長、隣近所の人が声をかけ、救助したり避難所に連れて行ったりする。自助だけでは自分の命を守れないから、共助、公助があるのだ。

コロナの場合はどうか。医療ひっ迫、医療崩壊、災害だと言う。コロナの陽性者が増え続け、病床が足りなくなり、入院基準を厳格化し、重症者以外の中等症、軽症者は入院させない、自宅療養だと言う。自分の命は自分で守れと言う。東京だけですでに入院待ちの人は3万人を超えている。家は病院ではない。自然災害と同じに、国民の命に直結している。

逆ではないか。自分で守れないから保健所に相談し、病院に行く。自助では自分の命は守れないから、共助、公助の方法、手段として行政や医療機関がある。それなのに、ベッドが足りないからお前は助けられないと言う。火事になっても、消防車が足りないから仕方がないと言っていいのか。コロナが災害だと言うなら、地震や大雨などの災害と同じではないか。コロナ患者にとっての避難所は病院なのだ。

こうした重大な決定を、政府は国会や諮問機関に諮らず、与党にすら相談なしに決めてしまったようだ。場当たり的な政府の対応について、ネットでは「コロナ敗戦」という言葉が飛び交っているとか。菅総理は無策、無反省を恥じることなく、ワクチン接種、3密を避ける、人流の抑制、不要不急の外出は自粛、とオウム返しのように言い続けている。ラムダ株にはワクチンはほぼ無効だという情報も伝えられているのに。

プランBを用意すべし

私は、国でも自治体でも企業でも、今進めていることが失敗したらどうするのか、最悪の場合はどうするのかを考えるのがトップの責務だと考えてきた。プランB 、プランCを用意するということだ。オリンピックを開けば、国民はそれに熱を上げ、支持率が上がるはずなどというチンケな人にはプランBなど持ちようもないだろうが。菅総理も小池知事もこの2年近く、権力とカネを持ちながら、一体何をしてきたというのだ。

私ならどうするか。すでに多くの人が提言していることだが、PCR検査を無償でできるだけ多くの人に実施する。軽症感染者を隔離する施設をつくる。オリンピックの選手村、ホテル、体育館などを活用すれば、新たにつくらなくとも済む。野戦病院だ。中等症、重症者向けの病院をつくる。スタッフを養成する。陽性者や雇用している事業主には現金、現物を給付する。やる気になればすぐにできることだ。菅総理はやる気がないので、できないと思うが。(元瓜連町長)

地球温暖化が宇宙ゴミを増やす? 《食う寝る宇宙》92

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【コラム・玉置晋】それにしても今年の夏も暑い日が多いですね。ウチには室内犬(べんぞうさん)がいるので、仕事で出かけても冷房つけっぱなしで電気代が怖い。僕が子供のころ(昭和末期)は、もっと過ごしやすかった。地球温暖化問題が我が家の家計を直撃しています。

温暖化といえば、工場、発電所、自動車…。直接的であれ間接的であれ、私たちが生活するために、多くの二酸化炭素が排出されています。ほかにも、地球温暖化を引き起こす気体であるメタンが、家畜のゲップだけでなく、永久凍土が溶けて、地下で凍結されていたものが大気に大量放出されると懸念されています。

これらの物質は、太陽からのエネルギーを吸収して赤外線を出す特性があります。赤外線は電気コタツで想像できると思いますが、空気を暖める効果があります。その熱は地上近くでは厚い大気に閉じ込められて、どんどん熱がこもる。僕らが暑い暑いと言っているのは、このためです。

太陽活動が低調→紫外線量が減少

このコラムでも何度か取り上げている「宇宙ゴミ問題」。宇宙ゴミは運用を終えた人工衛星や打ち上げロケット、それらが衝突した破片で構成されています。高度600キロ以上の宇宙ゴミの多くは、僕らが生きている間に自然に落ちてくるのは難しいです。一方で、高度600キロ以下は薄いながらも大気が存在するため、宇宙ゴミにブレーキをかけることから、数年~十数年で大気圏に落ち、その数を減らす作用があります。

なんと、地球温暖化が宇宙ゴミを増やしているというのです。高度が高くなると大気が薄くなるために、熱は宇宙空間に逃げていきます。熱がなくて温まらなければ、大気を構成する分子や原子の移動が鈍いので、地球の重力に負けて下に落ちます。国際宇宙ステーションが飛ぶ高度400キロくらいだと、2000年以降、大気密度が2割も減りました。

主な要因は、最近太陽活動が低調で、太陽からの紫外線量が減ったことによります。地球温暖化問題が、これに拍車をかけている可能性があります。大気密度が減ると、宇宙ゴミにかかる大気抵抗が減るために、大気圏に落ちて消滅するまで時間がかかることになります。地球温暖化問題が、宇宙ゴミを増やす原因になるというのです。(宇宙天気防災研究者)

完璧な能力は人生に必要?《続・気軽にSOS》91

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【コラム・浅井和幸】人間の脳には臨界期というものがあるようです。「人間の能力には」と言ってもよいかもしれません。ネットで「脳の臨界期」を検索すると興味深い論文などがみられるので、ぜひ調べてみてください。面白いですよ。ま、ひねくれ者の皆さんは、プラスして「批判」の検索も楽しいです。

平たく言うと、〇〇歳までに習得しないと完全に習得できない能力というものがあり、その〇〇歳というのが臨界期というわけです。あらゆる音が絶対的なド、レ、ミ…に聞こえる絶対音感、語学の発音、バランス感覚などなどがあるようです。この理論を重んじると、早期に教育しなければ立派な大人になれない、といった教育論につながりやすいですね。

商売というものは、そこをうまくついて広告するものですね。「資格をとろう」なんて、気を付けてくださいね。

全てを否定するつもりはありませんが、私が否定的な文章を書いている理由の一つは、それが個人個人に合った教育からかけ離れてしまう危険性です。例えば、「ハイハイ歩き」よりも「つたい歩き」の方が人間として価値が高いと言って、「ハイハイ歩き」をさせないと、これで習得する大切な能力が得られない可能性があります。

成長には個人差があるのに、〇〇カ月で「つたい歩き」を習得しないと、まるで子育て失格だと自分を責めてしまう親御さんもいますね。

立派な勉強は実を結んだ?

もう一つは、そんなに完璧な能力を身に着けることが、多様性のある人生においてどこまで必要性かという疑問です。絶対音感はないけれど、素晴らしいミュージシャンは星の数ほどいます。幼児教育で英語を習わなかった英語教師や、海外で英語を使って活躍する研究者は、当たり前にいます。

運動能力にしても、日常生活やある親御さんが目指す子供の成長した生活の中で必要な運動能力は、世界有数の高い能力が必要でしょうか。そこまでの能力は必要ないことの方が多いですよね。

例えば、50歳で100メートル走や垂直飛びの成績がよいのは、元運動選手でしょうか、それ以外でしょうかと質問されたら、今、その運動を続けている人だというのが事実でしょう。ましてや、けがや病気のない健康の状態は、元スポーツ選手である方がけがで引退して、後遺症が残ってないでしょうか。

英語を話せないのは、テストや文法理論偏重の教育のせいだ、もっと早く素晴らしい教育を受け続けられれば、きっと英会話ができる人間が増える―。否定はしませんが、私だったら、英語を話せたらより立派な仕事ができるとか、素敵な女性とつき合えるという実例を感じられた方が、英会話を頑張っちゃうかもしれませんね。立派な数学や化学の勉強は、実を結びましたか?(精神保健福祉士)

障害者の私だからできること 《電動車いすから見た景色》21

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【コラム・川端舞】私は時間管理が下手である。自分の体力を過信し、いろんな予定を入れてしまう。よくよく考えれば、私は話すのにもパソコンを打つのにも他の人より倍の時間がかかるのだから、他の人と同じ感覚で予定を入れたら、パンクするのは当たり前なのだが…。でも、やりたいことはどんどん出てきてしまう。

最近、そんな時は自分がやろうとしていることが「障害者でもできること」なのか「障害者だからできること」なのかを考えるようにしている。「障害者でもできること」のほとんどは、他の人でもできること。障害のない人に任せた方が、短時間で効率的にできることがほとんどだ。もちろん、あえて障害者が時間をかけてやることで、独特の味わいが出てくることも多々あるが。

しかし、障害があってもなくても、1日は24時間。時間は平等に過ぎていく。せっかく時間をかけて何かをするなら、「障害者だからできること」を追求したい。

例えば、このコラムを通して、障害者の私が考えていることを多くの人に発信すること。もちろん、私は障害者の代表ではないし、大した考えを持っているわけでもないが、私の日常を描き続けることで、「障害者も悩みながら生きている、普通の人間なのだ」と多くの人に思ってもらえれば、それは「障害者だからできること」になるのではないか。

何より、電動車いすに乗っている私が街中に出かけ、多くの人の目に入ることで、障害者が街中にいることが当たり前になる。それは障害者を含め、誰もが生きやすい社会につながる。

そんな堅苦しいことをいつも考えているわけではないが、「障害者だからできること」は思ったよりたくさんある。「障害者でもできること」を追及するあまり、「障害者だからできること」をおざなりにするのはもったいない気がする。

社会とまっすぐ向き合う強さ

しかし、社会一般では、障害者は劣っている存在だとみなされ、「障害者でもできること」を探すのに本人も周囲も必死になりがちだ。大学時代までの私がまさにそうだった。

そのような社会で、「障害者だからできること」を主張すると、煙たがられることもあるかもしれない。それをすることは、ある意味、自分の弱さを社会にさらすことにもなり、時には痛みを伴う。しかし、それで少しでも多様な人を受け入れられる社会になるなら、逃げずに向き合う人間になりたいと思う。もし私が本当に間違いを犯したときは、きっと信頼する仲間が叱ってくれるだろう。(つくば自立生活センターほにゃらメンバー)