【コラム・山口絹記】「あいつのこと、好きなの?」というセリフがあったとする。特に違和感はない。しかし「トマトのこと、好きなの?」とは言わないだろう。

理由を説明できるだろうか? 説明できなくてもよいのだ。経験上おかしいと感じられるのが多くの日本人の言語感覚であり、これこそが大量の文章を丸暗記する価値だ。

今回は、語彙(ごい)力をつけるための、次のステップについて述べていこうと思う。

あなたが仮に「鯔」という漢字が読めなくても、魚だろうと推測ができるように、英語にも知らない単語を推測する手がかりが存在する。

それは、ラテン語由来の接頭辞+語幹+接尾辞で構成される「語源」というものだ。英単語は日本語訳で多くの意味を持つことが多い。詳しい解説は割愛するが、これは英語がラテン語、ギリシャ語を語源とする語が数多く存在することによるものだ。

例えばastronaut「宇宙飛行士」、astronomy「天文学」、disaster「天災」。これらはast(e)r-「星」という語幹によるものである。

語源の知識が付くと、気持ちの良い和訳が見つからなくとも大体の意味がつかめるようになることが多い。

また、そろそろ洋書の単語帳を用いた学習を始めてもよいかもしれない。英語ネイティブが語彙力を伸ばすために使用するものだ。今ではネット通販で簡単に手に入るものも多いため、ペーパー版で手に入れてみるとよいだろう(書き込み式が多いため、電子版はおすすめしない)。

語彙の知識にこだわる

さて、どうしてここまで語彙の知識にこだわるのか。

私たちは日常的に多くのことばに出会う。もはや無意識に、注意深く読むべきか、耳を傾けるべきか取捨選択をし、誤字脱字はある程度補完し、たとえ知らない単語でも大体の意味が分かれば調べなくてもよいと判断している。例えば、

「私は昨日、織田信長と桃太郎と釣りに行き、鯔(ぼら)を食べて復をこわした」

この文章を一蹴するには、実は日本の歴史や童話の基礎知識を前提に、「復」という誤字を自然と「腹」に置き換えなければならないのだが、さらっと読み飛ばすことができるだろう。

しかし、人物がConfucius「孔子」とLittle Red Riding Hood「赤ずきん」に入れ替わり、その後の文章に知らない名詞や誤字脱字があったら?

単語帳の語彙だけでは太刀打ちできず、辞書を引いても該当する単語が無い。

テストでは高得点が取れても、英語の児童文学すら読めなかったりするのは、こういったところにも原因があるのだ。

日本人の多くは『ハックルベリー・フィンの冒険』も、『聖書』も読んだことがない。恥ずべきことではなく、そういうものだ。

言語とは、その使用者が積み重ねてきた歴史と文化の上に形成される。広く前提とされているような知識に欠落があるということがいかに苦しいことか。しかし、そういった発見が苦しさから楽しさに変わる瞬間というのが必ず訪れる。

その瞬間というのが、ある程度の語彙を身に着けた状態、つまり、一定の語彙力を手に入れた瞬間なのだ。(言語研究者)