土曜日, 5月 4, 2024
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ウクライナ子供のつぶやき 《くずかごの唄》103

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【コラム・奥井登美子】「空が光って、変な大きな音がして、怖かった」。テレビニュースで、ロシア軍に攻撃され、地下壕に逃げたウクライナの子供のつぶやきを聞き、涙が出そうになってしまった。77年前の日本でも、同じようなことが起こった。今はみんな忘れて、まるで違う世界の出来事みたいに思っている。

私が小学校6年生のときだった。夏休みの間に、東京の小学3~6年生はどこかに疎開しなければいけないという命令が下りた。親戚の家に疎開するのが縁故疎開。学校ぐるみ疎開するのが学童疎開。クラスはバラバラになってしまう。

私が通っていた小学校は成績順にクラス分けされ、1番組の男子は都立3中(今の両国高校)、同女子は都立7女(今の小松川高校)を目指して勉強していた。「クラスはバラバラになるけれど、来年3月の受験日には帰ってくるから、そのよき皆で会おう」。誰かが言い出して、再会を約束して別れた。

東京大空襲に遭った学友たち

私は学童疎開で湯の浜温泉(山形県)に疎開したが、食べる物がなくてお腹が空いて、お手玉の中のアズキを食べていた。父に「縁故疎開に切り替えてほしい。迎えに来て」と手紙を書いたが、先生の検閲に引っかかり、取り上げられてしまった。

友だちが熱を出したが、医者に薬を取りに行く人がいない。先生に頼まれて、薬を取りに行くとき、父への手紙をポストに投函した。昭和19年の秋、私は父の友だちのご縁で、長野県の下伊那に疎開できた。

さて、翌20年3月の受験は12日。疎開の人たちはその3日前に東京に帰るという。私も帰って都立中を受験したかったが、父が許してくれなかった。

3月10日。東京大空襲。6年生の受験者は9~10日に東京に帰った。偶然だが、まるで大空襲に遭うために帰るような形になった。現両国高・小松川高の範囲、錦糸町駅~亀戸駅の辺りに、家は一軒も残っていなかった。(随筆家、薬剤師)

答えは急がなくていい《続・気軽にSOS》104

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【コラム・浅井和幸】ある引きこもり状態の青年がいました。母親との関係も悪く、外出をすることはほとんどなく、人との接触はほぼない状況でした。しかし、祖母の介護をしているし、話をしていると気遣いもあり、周りの悪口を言わない、元運動部で健康な様子です。

元気で若いのだから、ぜいたくを言わず働いて、お母さんを助けたらよい―。この状態の青年に、そうアドバイスをするのは簡単でしょう。

今、その青年は実家から仕事に通い、家にもお金を入れ、お母さんの助けになるように生活をしています。だからと言って、最初に会ったときに、そのようなアドバイスをすることがよいことでしょうか。私はそうは思いません。むしろ逆効果になると考えています。

生活習慣は簡単に変えられない

人はそう簡単に生活習慣を変えることはできません。頭でわかっているからと言って、それを行動に移すには時間が必要です。うまくいかないことが続き、なかなか前を向けないときは、ちょっとした喜びを感じるような「伴奏」が必要になるものです。

その青年は最初、私が訪問をしてささいな話をし、その後、親元を離れてシェハウスで暮らようになりました。今までとは違うけれど、何気ない生活をし、たまたま生死も危ぶまれるような体験をし、見ず知らずの人に助けられ、いろいろと考え悩み、苦労をして親元に帰って、仕事を見つけたのです。

仕事の面接に受かって、もう出社するだけというときにトラブルがあり、就職は見送ることになったという体験もしました。その間の良かったことも悪かったことも含めて、かかった時間も含めて、すべてが必要だったのだと思います。薄っぺらな正論のアドバイスは、その前では霞むような、軽い正義感でしかないのです。

その母子の様々なことを取材して書かれた記事が「サイゾーウーマン」に掲載されています。ぜひ、下のリンク先の記事を読んでみてください。(精神保健福祉士)

ずっと良い子だった優秀な息子が―「大量のごみが散乱する真っ暗な部屋」で見た、信じられない光景

https://www.cyzowoman.com/2021/04/post_335365_1.html

大学生の息子がゲーム依存症でひきこもり!「ネット依存外来」に通院も打つ手なし…母が助けを求めた先は?

https://www.cyzowoman.com/2021/04/post_335366_1.html

露のウクライナ侵攻に思うこと 《つくば法律日記》20

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堀越さんの事務所があるつくばセンタービル

【コラム・堀越智也】前回のコラム(1月5日付)で、ソ連邦成立100周年に触れました。こう書くと、ロシアのウクライナ侵攻を示唆していたように聞こえるかもしれません。しかし実は、100周年といってもロシア関連のニュースはそんなにないだろうなと思い、資本主義の話に持っていったわけです。

100周年だから、何か重大事が起きるかもしれないと書いていれば、預言者になれたのですが…。

1月のコラムを読み返して、先見の明のなさを感じながら、正月に何気なく勉強した、ソ連邦の知識を思い出しています。東欧の社会主義圏が消滅し、ソ連邦が解体された後、その構成国がどうなったのか、もやもや状態だったのをすっきりさせたくて、世界史の教科書を読みながら地図を眺めました。

いろいろな文献には、ソ連邦解体後のことについて、早々に独立したバルト3国を除く12の独立国家共同体=緩やかな連合体と書かれています。一方で、プーチンが「強いロシア」の再建を主張して、長期政権となったとも書かれています。

緩やかな連合体の中心に強くなろうとする国がいたら、何が起こるか想像に難くありません。経済的に脆弱(ぜいじゃく)な国は、強い国に依存するか、飲み込まれます。経済的自立ができる国は、強くなろうとする国と対立するようになります。

ロシアから見たウクライナの存在が日本の奈良と京都の関係に近いことが、ウクライナ侵攻の1つの理由に挙げられることがあります。確かに、ウクライナの首都はキエフで、ロシアという国の歴史をさかのぼると、キエフ公国に行きつきます。

ただ、キエフ公国を建てたのはノルマン人ですし、そのキエフ公国はモンゴルに滅ぼされているので、ウクライナが奈良―京都的関係であることは大きな理由になりません。いずれにしても、武力侵攻という手段を取ったことは過ちです。

国際法による抑止力の議論を

ウクライナがロシアに侵攻されたことで、日本も核を保有して抑止力を持つことが必要だという意見が増えています。核保有の正否はともかく、抑止力を有するのは核だけではありません。法律にも罰則があれば抑止力になります。

各国には罰則付きの法律があり、国民の犯罪を抑止します。ロシアのウクライナ侵攻は国際法違反と言われますが、グローバリゼーションが進展した今でも、全ての国を規制する法はなく、武力侵攻をピンポイントで抑止する法はありません。

学生のころ、地球上で文化が異なる国々を同じ法でまとめることに違和感を持っていました。しかし、人が生まれたらその地の法律に従わなければならないように、地球上に国をつくった以上、従わなければならない法があるべきなのではないか―。国際法の父・グロティウスが「戦争と平和の法」を著したのは1625年でした。

それ以来、国際法の「母も子」も現れていません。そろそろ、核による抑止力だけでなく、普遍的に適用される国際法による抑止力について、深い議論ができないものでしょうか。(弁護士)

春を探しに学園都市を散歩 《ポタリング日記》6

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【コラム・入沢弘子】庭先の梅が香りはじめました。梅の別名は春告草。今日はポタリングで春を探しにいきましょう。つくば市の洞峰公園に車を止め、折りたたみ自転車「BROMPTON(ブロンプトン)」を組み立てたらスタート。

つくばでは老舗の洋食店、パン屋などが並ぶ洞峰公園通りを進んでいくと、左手に筑波宇宙センター、右手に産業技術総合研究所つくばセンター。東大通りを渡ると、左手に物質・材料研究機構の国際ナノアーキテクトニクス研究拠点、右手に産総研つくばセンターつくば東事業所と続きます。

この並木地区は、世界有数の研究機関が隣接する地域。垣根のない芝生の庭に造られた低層の公務員宿舎、電線のない街並み、縦横に整備された車線の多い道路は、まるでシリコンバレー周辺の景観のようでした。30年前にパロアルト(米カリフォルニア州)からつくばに引っ越した際、違和感がなかったのはそのためでしょう。

直進していくと視界が開けました。畑が広がり筑波山がくっきり見えています。花室川の橋の上で振り返ると、つくばセンターの三井ビルと高層マンション群。下は枯れ草に覆われた川辺に遊ぶカモの群れ。花室川流域の地層は約3万年前に形成されたもので、ナウマンゾウの化石が発見された場所。新旧が混在したこの景色を眺めるのが好きです。

ここは難読地名で有名な、大角豆(ささぎ)地区。農家の家屋、道端の石碑や祠(ほこら)に癒されます。あぜ道にははうようにタンポポが咲いていました。河川沿いに田園地区を抜け、桜南小学校に出ます。約150年続く歴史ある小学校です。学校裏手から再び田園地帯へ向かうと、畑や雑木林の周辺に建設中の住宅が増えてきました。藤沢荒川沖線を渡り、並木地区に戻ると景色が一変しています。

数年離れていると「浦島太郎」に

段階的に売却が進められていた公務員宿舎の跡地には、分譲住宅地やマンションが完成していました。桜南スポーツ公園や並木公園の周辺も、すべて一般住宅地。並木ショッピングセンターの隣には、新業態スーパー「ブランデ」ができています。この地域に約1800戸あった公務員宿舎が消え、新しいまちに生まれ変わっていました。数年離れていると、浦島太郎の気分になるのではないでしょうか。

藤沢荒川沖線に戻り国道を渡ると、「いちご狩り」の看板。田村農園はミニチュアホースのいる農産物直売所です。イチゴを買って元の道へ。梅の木通りの梅の香りを楽しみながら東大通りを渡り、ペデストリアンデッキを進みます。

梅園公園に到着しました。小山の上に腰を降ろし、梅林を見渡します。花は3分咲きぐらいでしょうか。ここは、つくばに越してきたころから変わらない景色。梅の木は高く、大きくなりましたね。甘酸っぱいイチゴを口に含むと、懐かしい記憶がよみがえってきました。

お弁当持参で散歩した日、ベビーカーを押して日光浴をした日…。激変するつくば市内ですが、変わらない場所を見つけるとホッとします。

梅園公園から赤塚公園を経由し、洞峰公園に至るつくば公園通りも、以前の面影をとどめています。思い出に浸りながら戻るといたしましょう。(広報コンサルタント)

事故物件でもかまわない 《ことばのおはなし》43

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【コラム・山口 絹記】よく、「事故物件」という単語を耳にする。

前居住者が亡くなった物件には安く住めるらしいが、私は実際にそういった賃貸情報を目にしたことがない。この事故物件という用語は定義が少し曖昧らしく、科学的根拠がなくとも場合によっては該当してしまうらしいのだ。興味深い単語である。

個人的には、そこで過去に凄惨(せいさん)な事件が起こって今も地元で有名であるとか、テレビ画面から時折人が出てくるため視聴に著しい問題があるとか、夜ごと枕もとで落ち武者が金打(かねうち)していてうるさく眠れないとかでなければ、私は気にしない。

私は特に信心深いわけでもなく、どちらかと言うと「信心浅い」のだが、自宅に霊や妖(あやかし)が出るとて、今はもう気にすることはないと思っている。

夜中にトイレに行くのを怖がる娘にも、「賃貸だし、本質的に私の所有物ではないから、邪魔でなければ許してあげなさい」と言い聞かせている。夏は暑く冬は寒いし、なにぶん狭い家だが、それでもよろしければ、といったところ。

おはなしがだいぶ脇道にそれてしまった。

実は、私の実家の部屋は、母方の祖父がこの世で最後の時間を過ごした部屋だ。祖父は最期を家族の皆に看(み)取られたわけで、不審死でもなければ遺体が損壊したわけでもなく、これは当然、事故物件には当たらない。

亡き祖父の部屋にある数千冊の蔵書

だが、この物件に今、問題が発生している。

母や叔父が、この家を近い将来に手放して引っ越そうとしているのだ。幸い、相続トラブルのような事態にはなっていないのだが、一つ私にも関わる問題がある。祖父の部屋には数千冊の蔵書があるのだ。これは蔵書の一部であり、別の部屋にも段ボールに入ったものがある。

そして、これの処理は私の担当なのだ。書物に興味のない人間であれば、すべて処分してしまえばよいのだろう。お金はかかるがそれだけのおはなしだ。

しかし私は書物と、そこで紡がれることばを愛していて、これらを手放すのは身を切るような行為なのだ。問題は深刻であり、ごく個人的な精神的負担は相当なものである。

私の部屋にはすでに1300冊程度(ええ、また増えましたとも)の蔵書があり、現状、実家の書物を引き取る余裕もない。とはいえ、捨てたくない。よって、精神的に血を流しながらも徹底的に整理しなくてはならない。あまり泣き言は言いたくないが、有り体に言って内心パニック状態である。

私は幽霊など信じていないが、正直言って祖父の霊が出てきてくれることを心から願っている。そして書物の整理を手伝ってほしい。死人を鞭(むち)打つなどという残虐な行為に及びたくはないが、今は幽霊の手も借りたい。賃金は出せないが、住み込み可。司書資格歓迎。

法律には詳しくないが、労基法は労働者の生存権を保証するためのものだったはず。死後の人間には適用されないだろう。昼夜問わずテレビ画面から出入りしても構わないし、夜中に多少うるさくすることにもこの際、目をつぶろうではないか。(言語研究者)

5人の元首相の書簡が波紋を呼ぶ 《邑から日本を見る》106

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雪がかぶった田んぼ

【コラム・先﨑千尋】東京電力福島第1原発の事故から11年たつ。事故を起こした原発は、放射能が高く、本体にはいまだに手が付けられないでいる。また、原発周辺の住民は避難先から戻れないでいる。その原発事故がもたらしたものの一つに汚染水の処理問題があり、もう一つが子どもの甲状腺がんの多発がある。今回は後者をテーマに取り上げる。

2月27日付コラムでも取り上げられたが、1月27日、小泉純一郎、菅直人、細川護熙、鳩山由紀夫、村山富市の首相経験者5氏が、欧州連合(EU)の執行機関・欧州委員会に「東京電力福島第1原発事故で、多くの子どもたちが甲状腺がんで苦しめられている」と書簡を送った。

それに対して、山口環境相は2月1日、「福島県での甲状腺がんは、同県や国連の専門家会議などにより、現時点では放射能の影響とは考えにくいという評価がなされている。『多くの子どもたちが甲状腺がんに苦しみ』という表現は、差別や偏見につながるおそれがあるので、適切ではない」と抗議文を5人に出した。

また、西銘復興相は2月4日の記者会見で、「5人の書簡は誤った情報を広め、いわれのない差別や偏見につながる」と批判。内堀福島県知事は「科学的知見に基づき正確に情報発信するように」と要請した。さらに、自民党の高市政調会長は「誤った情報で、風評被害が広がる」と非難の声をあげている。

こういった国や県、自民党の批判に対して、2月4日には、東電を提訴している甲状腺がん患者の弁護団が「200人あまりの子どもが手術を受けており、苦しんでいる」と抗議声明を出した。

また、抗議を受けた5人の元首相は、脱原発運動に取り組む市民団体「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」を通じて逆抗議し、「この10年で266人に甲状腺がんが発症し、222人が手術している。一般には、子どもの甲状腺がんは100万人に2人程度。福島では事故前の70倍にもなっている。国や県が、この原因が原発事故由来でないと言うなら、増えた原因は何だと主張・立証するのか」と質問している。

環境省は2月10日、「福島県の甲状腺がんは、国内外の専門家会議により、現時点では放射能の影響とは考えにくいという評価がされている」と答えているが、質問に直接答えてはいない

「科学的知見」は何か?

両者のやり取りを見て、それでは、国や県が言う「科学的知見」とは何だろうかと考えた。

コロナ禍でもそうだが、国はしばしば専門家を持ち出す。しかし、専門家といっても、考え方、手法はさまざまだ。原発一つをとっても、「原子力むら」の研究者の意見と、それに真っ向から対峙する研究者とは全く違う。どちらを信用するか。その人の生き方、暮らし方によって皆違う。専門家が言う「科学的知見」は、皆が納得するものでなければ、それを信用しろと言われても無理な話だ。

今回の問題に戻すと、多発している福島の甲状腺がんは原発事故によるものではないというのなら、それならばどうしてなのかという因果関係を説明するのが「科学的」なことではないのか。汚染水の海洋放出についても同じことが言える。国や東電は「環境に影響がある」という主張を否定する根拠を示さなければなるまい。(元瓜連町長)

ウクライナ情勢が急展開 《雑記録》33

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【コラム・瀧田薫】2月24日、ロシア軍は首都キエフをはじめとするウクライナの主要都市周辺の軍事施設に空からの攻撃を開始した。今回のウクライナ攻撃が「力による一方的な現状変更を禁じた国際法」に違反することは明白であり、日本政府がロシアに対する非難声明を発表したのは当然のことである。今後、ロシア制裁について、政府はG7メンバー国と同一歩調を取ることになるだろう。

米欧側はロシア軍のウクライナ侵攻を抑止できず、今後、大規模な経済制裁を発動するにしても、手詰まり感は否めない。米軍あるいはNATO軍の軍事介入は、ロシアとの核戦争を覚悟しなければできないオプションであり、米欧にできるウクライナへの軍事支援としては、最大限、武器・弾薬と情報の提供ぐらいだろう。

一方、ウクライナ政府は「非常事態宣言」を発し、ロシア軍への反撃を国民に呼びかけている。しかし、彼我の戦力差は大きく、ロシア軍に対する組織的抵抗を長期間続けるには無理がある。ゼレンスキー・ウクライナ大統領は、親ロ派やロシアが送り込んだ工作員によるクーデターやテロの可能性にもおびえなければならない―それが実態と思われる。

他方、プーチン大統領は、ウクライナ侵攻を事前の計画どおりに進めており、現時点で戦争の主導権は完全に彼の手中にある。しかし、プーチン大統領にも不安材料はある。

彼の最終目的は「強国ロシアの復権」であり、そのための条件として、この戦争の後、ウクライナ、ベラルーシそしてロシアとの間で強力な同盟もしくは国家統合を形成する必要がある。この戦争でウクライナを徹底的に破壊してしまえば元も子もない。

そこで、可及的速やかにウクライナの現政権を無力化し、新政府(ロシアの傀儡政権)を誕生させることが、プーチン大統領の最優先課題となる。首都キエフの制圧に手間取って、ロシアとウクライナ双方に甚大な人的・物的損害が出るような事態になれば、プーチン大統領は、たとえ戦争に勝利したとしても、ロシア国民の支持を失うだろう。

旧い国家観のプーチン戦略

ところで、ウクライナ情勢がプーチン大統領の思惑どおりに展開したとして、最終目標の「強国ロシア」の復権は実現するだろうか。

国家を「強国たらしめる要素」は軍事力だけではない。経済力、外交力、文化的影響力など諸要素が相まって、また国内外からの評価もあって、初めて強国たり得るのである。その観点からすれば、プーチン大統領の今回の試みは、ソ連崩壊以来30年、衰退の一途をたどってきたロシアの国力を、軍事力だけで回復せんとするものであり、20世紀前半の旧い国家観にとらわれた戦略でしかない。

今後のロシアが、国際的に孤立するなかで、頼れるのは軍事力だけだとすれば、ロシアが「20世紀に取り残された国家」の枠を超えるのは、プーチン以後を待たねばならないだろう。(茨城キリスト教大学名誉教授)

原発事故の「風評」被害とは 《文京町便り》1

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土浦藩校・郁文館の門=同市文京町
原田博夫さん

【コラム・原田博夫】2011年の東日本大震災による福島原子力発電所事故により、原発の稼働率が大きく落ち込み、20年の電源構成に占める原発の割合は4.3%に低下しています。一方で、太陽光発電も8.5%、水力発電も7.9%、バイオマス発電も3.2%にとどまっています。

こうした状況を打破するために、脱原子力発電・再生可能エネルギー推進を目指して、2017年、「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」(原自連、電事連ではありません)が立ち上げられました。会長に吉原毅・元城南信用金庫理事長、顧問に元首相の小泉純一郎氏と細川護熙氏が就き、私は賛同人の1人です。

茨城県内でも数回、小泉氏の「脱原発講演会」が開かれ、多くの聴衆に感銘を与えました。

原自連はこうした啓蒙活動のほか、今年1月27日、フォン・デア・ライエンEU(欧州連合)委員長に、「脱炭素・脱原発は可能です―EUタクソノミー(持続可能な気候変動対策の事業分類)から原発の除外を」と題する文書を、歴代5首相(小泉純一郎、細川護熙、村山富市、菅直人、鳩山由紀夫)名で送りました。

福島県知事、環境大臣、自民政調会長からクレーム

ところが、その中で「…福島第1原子力発電所の事故で、多くの子供たちが甲状腺がんに苦しみ…」と指摘していることについて、内堀雅雄福島県知事と山口壮環境大臣から、風評被害を引き起こすので異議アリ―とのクレームが届きました。高市早苗自民党政調会長も同じ不満を述べています。

この文書を発出したのは、昨年夏以降、EUにおいて、持続可能な気候変動対策(CO2削減)事業に原子力を入れる方向性が明らかになってきたことから、これを阻止すべく、国際世論を喚起するためのものでした。

「…多くの子供たちが甲状腺がんに苦しみ…」のくだりは、文書の中核ではなく、あくまでも、原子力被害の一例としての言及でした。福島県における子供たちの甲状腺がんの高い発生状況は、県が実施している県民健康調査でも明らかで、そのこと自体は厳然たる事実です。

それなのに、「風評被害を引き起こすので言及すべきではない」といった言説こそ、隠蔽工作ととられかねません。

東電福島第1廃炉については、汚染水の海洋放出やデブリの保管施設など、中長期的に取り組まなくてはならない課題が山積しています。地元福島だけでなく、日本国民、韓国や中国など近隣諸国に対しても、科学的な情報を公開することなくしては、この巨大かつ深刻な課題を克服できないでしょう。(専修大学名誉教授)

【はらだ・ひろお】土浦一高卒、慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程修了。専修大学経済学部教授を経て、2019年4月から名誉教授。米スタンフォード大などに留学。公共選択学会会長、政治社会学会理事長などを歴任。著作(編著)に『人と時代と経済学-現代を根源的に考える-』(専修大学出版局、2005年)、『身近な経済学-小田急沿線の生活風景-』(同、2009年)など。現在、土浦ロータリークラブ会員。1948年土浦市生まれ、土浦市文京町在住。

里山体験プログラム 《宍塚の里山》86

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有機農業を学ぶ

【コラム・森本信生】私たちの会は、33年前から地域の人々の理解を得ながら、生き物調査やボランティアによる里山保全活動を続けてきました。この活動を通して、多様な動植物が生息する貴重な里山が維持されています。訪れた方々は「美しい里山」「珍しい草花」「とても癒される」と言ってくれるようになり、各種観察会や子ども関連行事はたくさんの参加者でにぎわい、環境教育の大切な場となっています。

現在募集中のプログラムは、若い人をはじめ自然に興味のある方々に、里山にもっと気軽に来てもらい、保全活動に参加してもらうものです。参加者は自分に合った方法で活動プランを立て、ゆっくり実践してもらいます。各活動では、その道のベテランが丁寧に寄り添って指導します。

プログラムは、子どもが自然に興味を持ち楽しく体験できるように工夫。谷津田を利用した稲作りや、生き物との共存、生き物の多様性、里山の環境作り―体験のほか、経験豊かなスタッフとの交流もあります。

高校生や大学生も参加

また、環境省指定の「モニタリングコアサイト1000」の調査や土曜観察会では、専門家に貴重な動植物を紹介してもらいます。月例観察会では、専門家による話を聞くこともできます。

この春からは、高校生が自然農田んぼ作りに1年間の予定で来ます。自分が目指す進路に向けての主体的な学びです。つくば市の大学生も、進路をもっと具体的なものにしたいと、70時間もの里山体験をしています。

私たちの会は、里山が未来の子供たちの学びの場となるよう、また生物の多様性を未来につなげるために、持続可能な会の運営を目指しています。活動を修了した方は、理事長から修了証書を授与させていただきます。(宍塚の自然と歴史の会 理事長)

プログラム詳細は宍塚の自然と歴史の会まで

世代間不公平という肩車型の脅し 《ひょうたんの眼》45

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サクランボの花

【コラム・高橋恵一】少子高齢化を語るとき、1人の高齢者を働き盛りの年齢層が何人で支えるかを解りやすく表現するのに、イラストなどを用い、騎馬戦型(3人で1人)や肩車型(1人で1人)と呼んだりする。昔は4人で1人だったのに、今は2人弱で1人、将来は1人で1人を担ぐ肩車型になってしまい、世代間の不公平が進むなど、社会保障費の抑制を求める理由とされたりしている。特に、テレビや新聞などのメディアが安易にこの理論に乗ってしまっている。

元々、「年齢3区分別人口割合」は、国連が各国の人口構成をまとめたもので、開発途上国の現状や世界規模での高齢化を予測した統計である。生産年齢人口を15~64歳としたのも、途上国の現状を踏まえたものだ。65歳以上人口の割合が7%以上を高齢化社会、14%以上を高齢社会、21%以上を超高齢社会という。

しかし、この人口区分が現実と符合しないことは、お分かりだろう。日本の15~18歳は、大枠で就労人口に組入れられるだろうか。女性の就労率や、再雇用賃金の面から64歳まで生産年齢人口に換算できるのか。65歳以降の就労など、年齢人口区分の生産年齢人口と、就労・所得の人口割合とは、性格が異なるのだ。

さらに、生産年齢人口に対して、年少人口と高齢人口を合わせたものを従属人口と言う。つまり、騎馬戦の3人は、高齢者1人と年少人口3人を乗せていたのだ。肩車型では、高齢者1人と年少人口1人しか乗せないのだ。世代間負担の理屈は、年少人口の激減を考えなければ、それこそ不公平なのだ。

必要配分と応能負担の原則

高齢人口割合の上昇は、平均寿命の延びと年少人口割合の減少によるもので、日本の場合は、急激な出生人口の減少である。平均寿命の延びは、食糧事情の改善や生活環境の改善、医療水準の飛躍的発展、社会福祉サービスの向上などがあり、世界的にいえば、戦争や治安の悪化により理不尽に命が奪われることのないことだろう。

少子化については、生活水準の向上により、個人の時間や経済と出産・育児のバランスから、少子化はやむを得ない現象であり、人類社会の発展過程で、女性あるいは夫婦が最善の選択をした結果である。

少子高齢化を「国難」と言った総理大臣がいたが、個人の最適な生き方選択の結果が少子化であれば国難ではあるまい。長生きを遠慮させる国策などありえないだろう。

少子化の進行が人口をゼロにしてしまうわけではない。高齢化も無限ではなく、団塊の世代の山が、2040年くらいには平準化し、日本の人口は将来的には7000万人くらいで落ち着くはずだ。現在のドイツやフランス、英国並みの水準になり、人口密度は少々高めだが、海に囲まれ森林が豊富なので、安定した生活を維持できるだろう。

高度な福祉国家を維持する財源はどうするのか。世代間の負担の不公平はどうするのか。答えは簡単だ。「必要配分と応能負担の原則」。少子高齢化の波を正面から受け止め、安心で平和な政策と、それを正しく助長するメディアを望む。(地図好きの土浦人)

つくば、日本、世界の諸行無常 街は変わる 《遊民通信》35

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元公務員宿舎(つくば市内)

【コラム・田口哲郎】
前略

先日、手代木公園から松代公園までの遊歩道を散歩していたら、公務員宿舎の建物を見つけました。つくば市内に点在する宿舎は順次売却されるそうです。つくば科学万博では明るい未来を描く舞台となったつくば市は、いま変化の過渡期といったところでしょうか。年季のはいった宿舎の建物は「公団住宅」を思い出させるので、私世代にはノスタルジーを感じさせます。

こうして人は街をつくりますが、時がたてば街は変わるのだな、諸行無常だなと思いました。いま、つくば市のみならず、日本、世界が変化の過渡期に直面しています。国の内外がここまで多方面で騒がしいのは、明治維新や先の大戦後のころに似ているのでしょうか。

英の名門パブリック校が「柏の葉」に

そういえば、つくばエクスプレス(TX)沿線の話ですから、つくば市に無関係ではないと思うのですが、2023年9月、柏市・柏の葉に、英国の名門私立校・ラグビー校の分校が開校するそうです。ラグビー校はハロウ校やイートン校と並ぶパブリック・スクールです。

ちなみに、慶應義塾は福澤諭吉がパブリック・スクールを参考にして創設したと言われています。義塾というのがパブリック・スクールに当たるそうです。西洋文明を和魂洋才のスローガンのもとに取り入れてきた日本に、いよいよ西洋の本丸が乗り込んでくるというのは衝撃です。

慶應義塾には付属高校にニューヨーク校というのがあって、ニューヨークに住んでいる家庭の子弟がそこで学んで、日本に進学するというパターンはありました。ほかの大学でも海外校を持っているところはありますよね。

でも、ラグビー校は日本に住む英国人のための学校という感じではなさそうです。すでにシンガポールに分校をオープンさせているそうですから、ラグビー校の海外戦略はシンガポール校を見ればわかるでしょう。

価値観が気軽にやってくる時代

何年か前、常陽銀行が足利銀行と経営統合する際に、共同持ち株会社の本社を東京に移すという話があり、地元水戸の大反対に遭い、中止したというニュースがありました。銀行もいろいろと大変で、地銀同士のナワバリ、つまり県境を守っていては時代についていけないという事情が背景にあるようです。こうした状況は、コロナ禍以降、県境どころか国境にまで広がっていますね。

ICT(情報通信技術)によるネットワークが整備され、「リモート」が進むと、それを主導して推進しようとしている欧米の価値観が日本にも流入すると以前書きましたが、こんなかたちで最初の波が現れてくるとは思いませんでした。精神に関わる教育というものが、本格的なイギリス式になる。それも日本にいながらにして。

これは黒船の来航というよりも、フランシスコ・ザビエルの来日に近いかもしれません。当時は宣教師が命がけでやってきましたが、これからは価値観が通信網に乗って簡単に、いつも気軽にやってくる時代です。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

市村すみいさん・典子さん 《菜園の輪》1

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市村さん宅の菜園

【コラム・古家晴美】新タイトルの「菜園の輪」では、人の緩やかなつながりに注目したい。ここでいう「菜園」は、家庭菜園から直売所に品物を出荷する自家用畑まで含む大まかなくくりだ。

そこで主な生計を立てているわけではないが、食生活の一部に深く組み込まれている「菜園」は、様々な形で「人のつながり」をもたらしている。家族で食べきれない野菜をおすそ分けする友人知人。育て方のコツを教えてくれる畑の隣人。土地を貸してくれる地主さん。そして、家族もつながりの中に入る。

初回は3町歩(3ヘクタール)の稲作を行いながら、トマトやキュウリなど栽培している、市村すみいさん(92)と市村典子さん(65)の菜園を紹介したい。

市村さん宅の菜園は、母屋裏手の長さ50メート、幅5メートル弱の長細い畑と、自宅から少し離れた1畝(せ、1アール)の畑の2カ所に分かれている。筆者は30年近く、様々な菜園のあり方を見てきたが、このように、家の敷地内や近くで、日常よく使う葉菜類や果菜類を育て、少し離れた畑で根菜類を育てる自家用畑は多い。

食卓を鮮やかに彩る野菜

家裏手の畑は、土起こしや果樹の剪定(せんてい)以外は、基本的にすみいさんが、種まきから草取り、収穫までを健康維持のために管理している。ほうれん草や小松菜などの菜っ葉類や小豆、えんどう豆などの豆類、聖護院(しょうごいん)大根が中心だ。

聖護院大根の栽培は「普通の大根が霜に当たったときに備えて…」と言う、すみいさんの配慮によるものだ。もう1つの畑は、典子さんが管理している。こちらでは、夫とともにトラクラーを使用して、自家用の大根と白菜を中心に育てている。

これまで菜園のお話をうかがった方は、70代までの方がほとんどで、1人あるいはご夫婦で複数の自家用畑を面倒見ている方が多かった。70代とはいえ、青年に近いほどの気概と迫力をもって、様々なことに取り組んでいる。

では、80~90代の方はどうか。市村さん宅では、2つの畑の運営管理については、お互いに口を出さず、自分のやり方で野菜を栽培している。無論、何10年もなさってきた畑仕事に違いないが、年を重ねれば、それなりの苦労もおありだろう。

陰で家族を支えながら、信頼され任されることにより生まれる、「やりがい」と「心の張り」が、お年を感じさせぬ肌の艶をもたらしているのだと思う。お互いを見守りながら、2つの菜園、そしてご家族が、緩やかにつながり支え合う。

2つの菜園から収穫された野菜が、市村家の毎日の食卓を鮮やかに彩っている。(筑波学院大学教授)

にわかに浮上した 3つのお願い 《続・平熱日記》104

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【コラム・斉藤裕之】昔からお願いはなぜか3つと決まっている。今年で築20年になる我が家でも、にわかに浮上した「3つのお願い」。

1つ目は畳の入れ替え。洋風でもなく民家風でもない我が家にも、畳が7枚半ほど敷いてある場所がある。20年敷きっぱなし。昨年末、思い切って入れ替えることにした。若かりし頃に住んでいたアパートのかび臭い畳も懐かしいが、最近はほとんどがフローリング。

しかし、日本の風土に合ったサステイナボーなタタミフロアーはもっと見直されるべきだ。新しいイグサの色と香りで迎えた新年は、何ともすがすがしく感じられた。

2つ目は洗濯機。壊れたわけではないが、カミさんがそろそろ買い替えたいという。気が付けば、15年選手ということが分かった。ひとつ前のヤツはタッチパネルが作動せずに、いわば脳死状態となってしまったのを覚えている。

電気屋に行ってみると、乾燥機能もプラスされて、縦型やドラム式など、いろんなタイプのものがあって迷う。洗濯物も夫婦2人だとわずかな量だが、娘たちが孫を連れて帰って来ると、一気に増える。こういう場合は口を出さず、カミさんに任せるのがよい。

数日後にやって来た新しい洗濯機と入れ替わるように、古い洗濯機は引き取られていった。その時私は留守だったのだが、子供たちの重い柔道着なんかを一所懸命洗ってくれたことを思い出すと、引き取られていく洗濯機の後姿?に、カミさんは涙がこぼれそうだったとのこと。先代が脳死なら、今回は勇退というところか。

新洗濯機は「なんちゃら方式」が売り

新しい洗濯機は、洗濯槽にシャワー状の水流が自慢の「なんちゃら方式」が売りらしい。しかし前のヤツと比べてとても静かで、いや静か過ぎて、本当に洗っているのか不安にさえなる。カミさんは自慢の方式をその眼で見たいと思ったらしいが、シャワーのような音こそすれ、作動中はフタを開けることもできず、その仕事ぶりを確認することはかなわない。

「まるでツルの恩返しね。私の働いているところは決して見ないでくださいね、みたいな」とカミさんが言うので、私はこの洗濯機を密かに「おつう」と呼ぶことにした。

3つめは給湯器。留学時の経験から、風呂の追いたき不要論者である私だが、その理論が正しいのかどうかは分からない。ガス屋もビックリ! 20年もの間、故障もなく湯を沸かし続けてくれているのだが、壊れないうちに交換を決めた。ところが、例のコロナの影響で入荷が数カ月先らしい。そう聞くと人は不思議なもので、もしも給湯器が壊れたらどうしようと急に不安になる。

実際、テレビでは給湯器が壊れて、銭湯に通う家族の話が取り上げられていた。この寒い時期に、それは困るなあと思っていたら、3回目のワクチン接種の案内が来た。3つ目のお願いがかなう前に、3度目のワクチン接種のお願いとは。

おっと、あの電子音の優雅なメロディーは!おつうが仕事を終えたようだ。(画家)

つくば元市議の市政批判はウソだった? 《吾妻カガミ》127

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【コラム・坂本栄】前回「つくば市長の市民提訴…を検証する」(2月7日掲載)では、五十嵐市長による<元市議提訴~和解取り下げ>の経緯をチェック。市長の振る舞いについて、その適格性に問題がある、大人の常識が足りない、広報理念に反する動きがあった、「言論の自由」が分かっていない―と指摘しました。

しかし五十嵐さんは、提訴の誤りは認めながらも、元市議の亀山さんが発行したミニ紙の市政批判記事にはウソが多いと、相変わらず主張しています。提訴時(2020年11月)は22カ所、取り下げ時(2022年1月)には8カ所を挙げていますが、今回は運動公園用地問題に絞って、五十嵐さんの言い分を検証してみます。

「返還交渉」という訴訟テクニック

2016年の市長選挙で五十嵐さんが掲げた目玉公約は運動公園用地関連でした。2020年の市長選の前に、ミニ紙はこの問題について「都市機構(UR)への返還 あれは一体どうなった」(写真右)と、用地返還が実現していないことを批判。これに怒った五十嵐さんは、公約は「返還」ではなく「返還交渉」だったのだから、記事はウソだと指摘。今でも同じことを言っています。

市長選で配られた討議資料(写真左)を調べたところ、大字タテ見出しは「総合運動公園問題の完全解決へ」、「運動公園用地返還交渉を進めます」は中字ヨコ見出しでした。「完全解決」とは、用地UR返還+陸上競技場建設のことですから、公約の主眼は「返還」でした。

つまり、運動公園問題の公約(政策目標)は「返還」であり、「返還交渉」はその手段という位置付けです。「返還交渉」が公約だったとする主張は、ミニ紙の記事がウソだと言い張るための「問題のすりかえ」です。そこで判定。記事は的を突いていました。

五十嵐さんが訴状で「返還交渉」を据えたのは、訴訟テクニックだったといえます。返還は実現しなかったものの、交渉はありましたから、訴状の組み立てに「返還交渉」は便利だったのでしょう。

目玉公約は「フィクション」だった

でもその実態は、UR都市機構の地域支社を訪れ、「市の意向を伝え」(1回目)、「文書による回答を求めた」(2回目)という、「返還交渉」の証拠準備のようなものでした。目玉公約だったのですから、国会議員を動員する政治工作、理屈をこねた訴訟戦術―など、あの手この手を繰り出すべきなのに、形を整えただけでした。

どうして返還交渉がお座なりだったのでしょうか? 五十嵐さんは、市長就任後、用地売買契約書に瑕疵(かし)がない限り、URは買い戻しに応じなくてよい―という条項があることを知ったようです。土地処分を急ぐ「国策不動産会社」URにミスがあるはずがありませんから、熱い交渉をしても返還は無理と判断したのでしょう。

ここで疑問が浮かびます。公約「返還交渉」を作るとき、五十嵐さんはURとの契約書を調べなかったのでしょうか? だとすれば、いい加減な公約作りです。実現ほぼ不可能な、公約になり得ない「返還交渉」を公約に掲げたわけですから、公約はフィクション(虚構)だったといえます。(経済ジャーナリスト)

※参考(青字部をクリックするとご覧になれます)
五十嵐市長の提訴取り下げ声明(1月20日)
亀山元市議の記者会見リリース(1月21日)

「お迎え写真」の撮り方・撮られ方 《写真だいすき》5

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【コラム・オダギ秀】写真講座の講師を長くしていると、たいていは、マンネリと言うか、ダレてくると言うか、飽きがくる状態になる。ところが、そんな時に講義すると、がぜん盛り上がるテーマがある。受講生皆がこれ以上夢中になるテーマはない。必ず、大変な盛り上がりを見せる。それが「お迎え写真の撮り方・撮られ方」だ。

なぜ皆がこんなに喜々として、お迎え写真の撮り方・撮られ方を学びたいのだろうか。

もちろん、お迎え時の写真というのは、その人のお葬式や仏壇に飾る顔写真、つまりポートレイトのことだ。自分が居なくなった後に、最良の顔で見られていたいという願望があるのだろうが、そんな写真を大抵の者は持っていないことに、最大の理由があるのだろう。

撮って、撮って、撮りまくる

そこで今回は、私の講座でやっている、お迎え時に使う写真の撮り方・撮られ方の話をしたい。撮られ方が分かれば、撮り方は自然に分かる。撮られるようにやってもらって、撮ればいいだけだ。

カメラは、コンパクトデジタルだろうが、スマホだろうが、一眼レフだろうが、何でもいい。アクションカメラは、広角過ぎるので、ちょっと撮りづらい。で、なるべくアップに撮ること。ウェストから上だ。

小道具として白い板(アゴレフと言うが)、これを使う。大きなカレンダーの裏の白い紙でもいい。このアゴレフを、身体の前、ウェストあたりに広げておく。前にテーブルがあれば、その上でもいい。すると、アゴの下が明るくなり、しわも目立たなくなる。

そして表情。口が「への字」にならぬよう、両口角を上げる。目は少し開き気味に。少し上を向いたり、下を向いたり。鏡を見ながら、何度も何度も何度もやってみると、いい表情ができるのが分かる。ああ、この顔で撮られればいいのか、と。誰でもいい顔ができるのに、どうすればいいか知らないだけだ。

そして、いろいろな表情を作りながら、何十枚も撮る。撮って、撮って、撮りまくるのだ。数枚でなく、何十枚も。いまはデジタル時代だから、すぐ見直せる。そして、気に入ったものを選び、プリントしてもらう。以上。

「万一の時はこれを使ってほしい」

余談になるが、そのようなお迎え写真がない場合、かつては、葬儀屋さんが作ってくれた。生前の記念写真か何かから顔を取り出し、紋付、背広、礼服などのボディと組み合わせて作っていた。

その土台になるボディの部分のモデルをやれと、写真会社の社長が部下に命じたが、誰も嫌がってやらない。仕方なく、社長自身がモデルをやったが、彼は若くして亡くなった。彼の体は、生きている時から拝まれていたわけだが、早死にしたのは、あの写真のせいだなんて陰口をたたく者もいて、気分は微妙だった。

ボクは、仕事でポートレイトをずいぶん撮影したので、「万一の時はこれを使ってほしい」と言われているのが、たくさんたまっている。だが幸い、使う羽目になった写真はあまりない。人生100年時代だものなあ~。(写真家、土浦写真家協会会長)

ハラスメントに対するハラスメント 《続・気軽にSOS》103

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【コラム・浅井和幸】情けは人のためならず、巡り巡って自分のために。因果応報。目には目を、歯には歯を。罰が当たる。などなど、良いことをすれば良いことが自分に起こり、悪いことをすれば自分に悪いことが起こる―。こういったことは揺るぎない一般常識ですよね(私は全面的に肯定しませんが…)。

しかし、別の方向にゆがんでいくと悲劇が起こります。例えば、何か不運が起こった人は、日ごろの行いが悪いせいだと決めつける。例えば、悪い行いをしている人には、積極的に悪いことをしてやろうと思ったり、あるいは平然と行動を起こしたり。

けがをしている人や、事故に巻き込まれた人に対して、日ごろの行いが悪いからだと考える。コロナに感染した人の家に石を投げつける。嫌な気分をさせられたと、あおり運転をする、土下座をさせる。いじめをした人や集団に対して、もっと大きな集団でいじめる。何かのハラスメントをした人に対して、嫌がらせをする。

悪意に悪意で対抗してもコスパはよくない

何となく正義の執行をしているようで、心地よい部分もあるかもしれません。自分のコンプレックスやストレスから目をそらして、気分のよさを味わえるかもしれません。その感覚に依存的になり、次の悪者を探し回る人もいるでしょう。

それを続けることは心地よい反面、いつも悪いことに意識を使っているので、嫌な世界に居続けることになります。ストレス解消をしているようにみえて、自分のストレスを抑圧し、精神的なダメージを受け続けることになりかねません。

先日、YAHOO!ニュースに「筋トレ、1日3秒でも効果 手軽な運動法開発へ」という記事がありました。

これと同じように、精神的なダメージも、逆にダメージ回復や喜びの習慣も、わずかな時間の繰り返しの中で、身に付くことを想像してください。そして、あなたはどちらの方向に向かいたいのか、探ってみてくださいね。悪意に悪意で対抗することは、長い目で見ると、コスパはよくないですよ。(精神保健福祉士)

権利を教えてくれた海老原宏美さん 《電動車いすから見た景色》27

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2019年に出版された海老原さんの著書

【コラム・川端舞】昨年のクリスマスイブ、海老原宏美さんが天国に旅立った。何冊か本も出版し、NHKに何度も出演している。私にとっては「権利とは何か」を教えてくれ、子ども時代を肯定するきっかけをくれた人だ。

本人の著書によると、海老原さんは1977年に進行性の障害とともに生まれ、小学校から高校まで車いすで普通学校に通い、大学進学後、24時間介助を受けながら1人暮らしを始めた。

私が初めてお会いした2017年には、人工呼吸器をつけながら、自立生活センター東大和の理事長をしていた。初対面のとき、東京で普通学校に通う障害児を支援していると話す海老原さんに、私も障害児支援に関心はあるが、何をすればいいのか分からないと話した。

海老原さんとの出会いをきっかけに、彼女が代表を務める東京インクルーシブ教育プロジェクト(TIP)に関わるようになった。海老原さんはよく、「どんな障害児でも普通学校に通う権利がある」と言っていた。初めて聞いたとき、権利とは何なのか分からなかった。

しかし、海老原さんやTIPの仲間と国連障害者人権条約を読み込み、「権利とは他の人が当たり前にやっていることを、障害者も当たり前すること。障害のない子が当たり前に通う同じ学校に、障害児も当たり前に通うことなんだ」と理解した。

私の役割

子どものころ、障害のある自分が普通学校に通うのは悪いことなのだと思っていた。だから学校でどんな嫌なことがあっても、我慢しなければいけないのだと。

しかし、海老原さんから権利という言葉を何度も聞くうちに、当時の自分には堂々と普通学校に通う権利があったのだと思えるようになった。障害児がどんなに困っていても、その子どもの支援はすべて介助員に任せ、他の教員は障害児に直接声も掛けない普通学校の環境こそ変わるべきだった。

自分の子ども時代を肯定できたことで、今、普通学校に通っている障害児に対しても「君はそのままでこの学校にいていいんだよ」と言ってあげたくなった。

自分のように普通学校でつらい経験をする障害児が減るよう、子どものころ、周囲の大人にどう関わってほしかったのかを、障害児の保護者や教員に伝えていくことが、私の役割だと思っている。「どんな障害児でも必要な支援を受けながら、普通学校に通う権利がある」と言い続けよう。

障害児が普通学校に通うのは本当に正しいのか迷っていた私の考えを、たった5年間でここまで変えてしまった海老原さん。責任を持って、学校教育の当たり前が変わるまで、天国から見守っていてくださいね。(障害当事者)

入浴中の事故防止 《くずかごの唄》102

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【コラム・奥井登美子】夫がお風呂へ入ると、浴槽に漬かって、ウットリしてなかなか出てこない。コロナの騒ぎで、どこにも行けなくなった老人の唯一「ウットリの楽しみ」だと割り切って、私は大目に見てきた。

いつもは20分。今日はもう30分だ。さすがに心配になって、のぞいて見る。

「ずいぶん長く入っているの、ね…」

「うーん」

返事はするけれど、立ち上がる気配はない。

近づいてみて、びっくりした。腰が抜けて、立ち上がれないのだ。立つ力が、完全に抜け落ちてしまっている。

「困ったわね。ほら、私の腕にしっかりつかまってちょうだい」

私が腕を差し出し、彼は気力を振り絞ってつかまるのだが、どうしても立てない。エイ、ヤー。全身の力で引き揚げようと、私も引っ張ってみたが、ダメだった。

風呂に入った人を引き上げるのに、1人ではとても無理なのがわかった。私はとっさに2階にいる娘を呼び出して、孫まで動員し、浴槽から男1匹を引き上げることができたが、1人暮らしの人はどうすればいいのだろうか?

あと15分遅かったら、彼は声を出すことすらできなくなっていたに違いない。危ないところだった。

高齢者は血管の適応力が落ちる

気温が低いと、老人は急に暖かいお風呂に入った温度差で、血圧がものすごい速さで変化して、熱中けいれんを起こしてしまうらしい。若いときは、温度差などすぐに適応できたのに、老人になると血管の適応力も落ちてしまっているのだ。

知り合いや友だち、今年の冬の寒い日に、3人も入浴中に亡くなってしまっている。本人にとって気持ちのよい浴槽が凶器に変わる。

生活の中で、入浴中の事故防止を真剣に考えないといけない、と思う。(随筆家、薬剤師)

お手頃イタリアンなら「オリーブの丘」 《ご飯は世界を救う》44

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【コラム・川浪せつ子】「イタリアン」っていうお店、多いですよね。大衆的なお店から、本格的なお店まで。ピザ、パスタなど。でも、日本人のせいか、おコメの洋風料理を食べたくなることも。そこで見つけたのが、阿見町の「オリーブの丘」荒川沖店。イタリア料理のほか、スペイン料理のパエリアなどもあります。

おまけに、日本でいう「おじや」―洋風で言うと「リゾット」―が食べられて、ニッコニッコ。おコメ大好きの家でも、あまり食べることのない「アクアパッツァ」「チーズフォンデュ」などを頼んで、連れ合いといろいろな味を楽しめちゃう!

食事が終わったあと、甘いものが食べたくなりますよね。ここには、本当に「ちょこっと」だけスイーツもあります。ダイエット継続中の私でも、あまり罪悪感なく食べられます。

ファミレスなので、お値段も低価格。大枚出したら、ぐんとおいしいものをいただけるでしょうけど、ね。庶民には、やさしい。

画材買い出し時に立ち寄り

残念なのは、我が家からは遠いこと。ホームセンター「ジョイフル本田」に、画材などを買い出しに行くとき、早めに訪問。「オリーブの丘」のはす向かいは、本のリサイクルショップ。

ここで掘り出し物を探すのが、とっても楽しみ。駐車場の向こう側は、100円ショップもあるので、いろいろなお店をハシゴできて、本当に便利です。

お店は関東地方だけみたい。我が家の近くに出店して欲しいけど、無理かなぁ。(イラストレーター)

「オズの国」とつくば 《映画探偵団》52

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【コラム・冠木新市】米国映画史を代表する『オズの魔法使』と『風と共に去りぬ』は、1939年8月と12月に公開され、どちらも監督はビクター・フレミングだった。だがそうした事実よりも、両作品から強烈な影響を受けたのが、13歳のノーマ・ジーン、後のマリリン・モンローである。

父親不明のモンローは、映画編集者だった母親から、この人が父親とクラーク・ゲーブルの写真を示され、信じた。後年、『荒馬と女』(1961)で共演し、「少女のころから憧れてきて、今、そのレッド・バトラーに会ってたのよ!」との言葉が残されている。

『オズの魔法使』のJ・ガーランド

また、母親の親友のおばさんに育てられていたモンローは、『オズの魔法使』の主人公ドロシー役を演じた、ジュディ・ガーランド(16歳)を見てファンとなった。モンローはドロシーの姿に自分を重ねた。

確かに、ドロシー役はモンローの少女時代を彷彿(ほうふつ)とさせる。モンローが『オズの魔法使』に言及した資料は見当たらないのだが、葬儀で流されたパイプオルガンの曲が『オズの魔法使』のテーマ『虹の彼方に』だったことで、そう推定してよいと思う。

ドロシーは孤児で、エムおばさんに育てられる。そのカンサス州は何もない場所で、映画ではセピア色で表現され、モノクロの印象に近い。ある日、大竜巻に犬のトトと部屋ごと飛ばされ、オズの国に着く。すると、このシーンからカラーになる。

ドロシーは、脳みそのない案山子(かかし)、ハートのないブリキ人形、臆病なライオンと一緒になり、エメラルドの都を目指す。そこには城があり、願いをかなえる大魔王が住んでいる。ドロシーは大魔王に、故郷に戻してくださいとお願いをする。

大魔王は緑色の巨大な鬼みたいな顔で炎に包まれている。いかにも不気味で恐ろしい。だがラスト近くで、それはペテン師オズが作った映像だと、正体が明らかになる。そして、冒険をへて故郷に戻ったドロシーは「家ほどいいところないわ」と語る。

退屈な現実世界が、夢の国オズから戻ると、一番よい場所だったとなる寓話だが、少女時代のモンローにとっては、逆にエメラルドの都が魅力だったに違いない。映画の都ハリウッドを連想させるからだ。

「つくばを歌った曲がこんなにあるとは」

1月30日。「つくばセンタービル謎解きツアー」(主催・つくばセンター研究会)は最終の8回目。103名が参加して終えることができた。

2月6日。ホテルグランド東雲で「新春つくこい祭ツアー」(主催・国際美学院/つくば舞踊研究会、64名が参加)をプロデュースした。

センター地区からバスに乗り、筑波山に向かい、疫病退散の踊りを披露するという設定で、3部形式の第1景「筑波組曲」では筑波の歌8曲を踊ったが、予想以上に好評だった。長年つくば市に住む婦人が「こんなにも地元を歌った曲があるとは思わなかった」と驚いていた。

翌日、疲れが残る中、久しぶりに『オズの魔法使』を見直した。ドロシーたちを苦しめる西の魔女を見ているうちにウトウト寝てしまい、「オズの国」と「ツクバ・シティ」がゴッチャになってしまった。

今年はマリリン・モンロー没後60年。ツクバに暮らす13歳の少女は何を夢見ているのだろうか。つくばほどいいところはない。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)