【コラム・奥井登美子】夫がお風呂へ入ると、浴槽に漬かって、ウットリしてなかなか出てこない。コロナの騒ぎで、どこにも行けなくなった老人の唯一「ウットリの楽しみ」だと割り切って、私は大目に見てきた。

いつもは20分。今日はもう30分だ。さすがに心配になって、のぞいて見る。

「ずいぶん長く入っているの、ね…」

「うーん」

返事はするけれど、立ち上がる気配はない。

近づいてみて、びっくりした。腰が抜けて、立ち上がれないのだ。立つ力が、完全に抜け落ちてしまっている。

「困ったわね。ほら、私の腕にしっかりつかまってちょうだい」

私が腕を差し出し、彼は気力を振り絞ってつかまるのだが、どうしても立てない。エイ、ヤー。全身の力で引き揚げようと、私も引っ張ってみたが、ダメだった。

風呂に入った人を引き上げるのに、1人ではとても無理なのがわかった。私はとっさに2階にいる娘を呼び出して、孫まで動員し、浴槽から男1匹を引き上げることができたが、1人暮らしの人はどうすればいいのだろうか?

あと15分遅かったら、彼は声を出すことすらできなくなっていたに違いない。危ないところだった。

高齢者は血管の適応力が落ちる

気温が低いと、老人は急に暖かいお風呂に入った温度差で、血圧がものすごい速さで変化して、熱中けいれんを起こしてしまうらしい。若いときは、温度差などすぐに適応できたのに、老人になると血管の適応力も落ちてしまっているのだ。

知り合いや友だち、今年の冬の寒い日に、3人も入浴中に亡くなってしまっている。本人にとって気持ちのよい浴槽が凶器に変わる。

生活の中で、入浴中の事故防止を真剣に考えないといけない、と思う。(随筆家、薬剤師)