【コラム・斉藤裕之】和子さんは91歳。今も東京で1人で暮らしている。和子さんは長女の嫁いだ先のおばあちゃんで、つまり私の孫からすればひいおばあちゃんということになる。その和子さんの絵を描いてほしいという。たまたま私の描いた孫の絵の画像をご覧になった、和子さんご自身が望まれたそうだ。

ちゃんとキャンバスに描いた方がいいのかな?とも思ったが、いつも描いている素材がいいということで、遠慮なくそうさせていただいた。人を描くのは嫌いじゃない。なぜかというと、ひとつには余計なことを考えなくていいから。人という単体を描けばいいから。そして、その人「らしさ」が描けるのが面白い。

やがて、ご家族が選んだ写真がメールで送られてきた。集合写真の中から、和子さんを拡大しながらよさそうなのを探すのだが、写真写りがいいのと、絵に向いているのとは若干違う。お若いときの写真もある。迷った末に、1枚の写真に決めて描くことにした。

人を描くのが好きだとは言ったが、うまいとは言っていない。だいたい、最初の描き出しからしばらくは調子がいい。ところが、しばらく描いているうちに、何となく雲行きが怪しくなってくる。

描いているときには、比例、奥行き、明暗、質、立体感、固有色…など、様々なことを瞬時に考えながら筆先を動かしているのだが、人の顔を描くと、どうしても目鼻口などに気を取られて、知らず知らずのうちに、芯のないペラペラな絵になっている。

例えば、日本の地図がいかに正確に描けていても、丸さが描けていなければ地球には見えない。一見複雑に見えるものにでも、必ず軸がある。その軸に対して構造があり、秩序があり、バランスがある。天体にも走る犬にも人の顔にもある。

はからずも前回の逸話の続きになってしまうのだが、それを最初に教えてもらったのが高3の夏。ひたすら石膏(せっこう)像を描いたアトリエだ。先生は初めて木炭を持つ私に、このことだけをしつこく言われ続けた。あれから何10年も経っているのに…。「斉藤! やり直し! 」

戦争を経験した母と同じ世代

選んだ写真は数年前のものだったが、お年の割に皴(しわ)もなく、年寄じみた感じがしない。和子さんのことはほとんど知らないのだが、絵を描きながら、勝手にお人柄などを想像しながら筆を進める。送ってもらった写真のほとんどは何かのお祝いでご家族が集まったときのものだった。

和子さんは一族の母親としていつも中心にいらっしゃる。もしかすると、数年前に亡くなった母と同い年かもしれないとも思った。

戦争を経験した母の世代。生前の母の姿や言葉なども思い出された。もしも生きていたら…ひ孫を抱く姿も容易に想像できた。私が母の絵を描くことはなかったが、母が私に書いた手紙が額に入れて残してある。字を書くのが好きだった母が、我が家の新築を祝って寄こした手紙。

改めて読んでみると、母の気持ちが素直に書かれていて、和紙に少し薄めの墨の色も美しい。あれ?おかあちゃん、カナコの漢字が違っちょるよ!

さて、小さな絵を描き始めて何日目かの朝、私が勝手に想像する「和子さんらしさ」が何となく感じられてきた。出来上がった絵を手製の額におさめた。(画家)