月曜日, 4月 21, 2025
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ふるさと納税の顛末記 ② 《文京町便り》11

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土浦藩校・郁文館の門=同市文京町

【コラム・原田博夫】ふるさと納税制度は2008年5月からスタートしたが、当初それほど浸透しなかった。確かに、菅義偉前首相が総務大臣当時(2006年9月~07年9月)に創設を表明した制度だが、そもそもこの制度の普及・情報公開には総務省もそれほど熱心でなく、全国的な情報集約は(言い出しっぺの西川一誠・福井県知事=2003年~19年=のこだわりを反映して)福井県HPから閲覧する状況が、数年間続いた。

ふるさと納税の利用は、初年度(2008)の寄附受入5.4万件、受入額81.4億円で、09年度の住民税控除額は18.9億円、控除適用者は3.3万人に過ぎない。2011年3月の東日本大震災の際、この制度を利用して被災地への支援を行いたいという(当初の想定を超えた)動きが生まれたため、2012年度の住民税控除額は210.2億円、控除適用者は74.2万人に急増した。しかし翌年度には減少し、こうした支援意欲もなかなか持続しないと噛(か)みしめた。

寄附控除での自己負担分が(2011年以降)5000円から2000円に引き下げられたが、利用は漸増だった。それが、あるタイミングで変化した。2014年度の受入191.3万件、受入額388億5000万円、2015年度の住民税控除額184.2億円、控除適用者は43.6万人に急増。これには、トラストバンク(社長・須永珠代、2012年4月創設)が開設したポータルサイト「ふるさとチョイス」(2012年9月)が貢献している。これ以降、ふるさと納税はネット通販と化した。

さらに「ふるさと納税ワンストップ特例制度」(2015年4月)で利便性が高まり、2015年度の受入726万件、受入額1652.9億円、16年度の住民税控除額は1001.9億円、控除適用者は129.9万人に急増。直近の2021年度は、受入4447.3万件、受入額8302.4億円、22年度の住民税控除額5672.4億円、控除適用者740.8万人に達している。

返礼品をめぐるトラブル

こうして大化けしたふるさと納税だが、いくつかの問題がある。たとえば、返礼品をめぐるトラブルあるいは騒動である。

この制度利用者の大半が(とはいえ、利用者は全納税義務者中の約12%)、実は返礼品目当てである。こうした過熱ぶりに総務省は、2019年5月、制度の趣旨を逸脱した返礼品で過度の寄附を集めたとして、大阪府泉佐野市を含む4市町を、この制度から除外すると決めた。泉佐野市はこの決定を不服として、国地方係争処理委員会に審査を申し立てた。

その後、この争いは高裁、最高裁まで及び、結局は国(総務省)が敗訴し、総務省は2020年7月に、泉佐野市などの本制度への復帰を認めた。しかしその後も、泉佐野市と国(総務省)との間では、特別交付税の減額をめぐって訴訟が続いている。

私見では、多額の返礼品に制限をかける総務省のスタンス(現在は寄附額の3割が上限)は、その通知をどのタイミングで発したかという手続き上の疑問・瑕疵(かし)はあるにせよ、基本的には妥当と考える。(専修大学名誉教授)

➡ふるさと納税の顛末記 ①(11月27日付)はこちら

TX茨城県内延伸 実現へのシナリオ 《吾妻カガミ》147

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つくばエクスプレス

【コラム・坂本栄】つくば市が終点始発になっているTXの延伸に関心が集まっています。茨城県が今年度中に延伸先を絞り込む作業を進めていることもあり、延伸先4候補(茨城空港、水戸市、土浦市、筑波山)の関係地域では、つくば市を除き、誘致活動が活発になっています。今年最後の本欄はTX延伸問題のあれこれです。

県内延伸と東京駅延伸はセットで

なぜ県は年度内に延伸先を決めたいのでしょうか? 県政通によると、来年度か再来年度、国土交通省の関係審議会で、TXの東京駅延伸が決まるそうです。県は、東京駅延伸とセットで県内延伸を決めてもらう作戦を立て、それには今年度中に延伸先を絞っておく必要があると考えたわけです。

なぜセット決定を狙っているのでしょうか? 現TX(秋葉原つくば)計画が策定された際、当時の竹内知事(故人)は、つくばより先に延ばす場合、その費用は茨城県が負担すると、東京都、埼玉県、千葉県に約束しています。単独負担を避けるため、東京駅延伸と県内延伸をセットで決めてもらい、県内延伸費用を他自治体にも分担してもらう、それには延伸先を国の審議会前に決めておく必要がある―これが絞り込みを急ぐ理由のようです。

つまり、県の絞り込み作業は、国の鉄道建設手順を踏まえ、工事費負担の分散・軽減を図るという、知事の深慮遠謀によるものだそうです。ということは、県内延伸先現TX区間東京駅がパッケージで決定されないと、県内延伸は難しくなるでしょう。この両方向延長に、都が策定中の臨海地下鉄(東京駅東京湾岸)がリンクすれば、壮大な計画になります。

国際空港と学園都市を結ぶ鉄道?

県内延伸先はどこになるのでしょうか? 私は茨城空港と予想しています。136「TX延伸論議…つくば市の狭い視野」(7月4日掲載)で指摘したように、関係地域(水戸市、土浦市、石岡市、小美玉市など)は、自分の市を経由して(水戸は空港から自市まで延伸してもらおうと)空港まで延ばせと主張しているからです。県内延伸=つくば駅茨城空港の政治的な包囲網が出来上がっています。

TX沿線市(守谷、つくばみらい、つくば)の人たちは、このプロジェクトにあまり関心がありません。延伸=東京駅延伸であり、県内延伸はピンと来ないようです。これら地域は東京通勤圏(茨城都民)ですから、県内延伸に想像力が働かないのは仕方ありません。

茨城空港まで延ばす必要性は何でしょうか? 先のコラム136では、▽10~20年先、首都圏の羽田空港と成田空港が満杯になり、茨城空港を第3国際空港として使わざるを得ない、▽それには、空港にアクセスできる鉄道が必須になる、▽つくばを世界レベルの研究学園都市に育てるには、茨城国際空港と学園都市を鉄道で結ぶ必要がある―と述べました。県内延伸は、学園都市の広域化を実現するテコにもなります。

高度な分担比率政治工作が必要

県内延伸にはいくらかかるのでしょうか? 1兆円に近い数千億円は必要でしょう。知事が県内延伸と東京駅延伸(東京湾岸延伸?)をセット決定に持ち込もうとしているのは、茨城単独ではこの額は無理と思っているからでしょう。

先に、首都圏第3空港化に触れたのは、そうすれば延伸費用を国から引き出せると考えるからです。単なる茨城空港延伸でなく、第3国際空港延伸とし、国=3分の1、茨城=3分の1、東京・埼玉・千葉=各9分の1といった分担比率ができれば、延伸は現実性を持ちます。こういった理屈付けと分担比率決定には高度な政治工作が必要です。(経済ジャーナリスト)

ブラボーな花火2022から新しい景色が見えた《見上げてごらん!》9

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第91回全国花火競技大会ワイドスターマイン「土浦花火づくし」(土浦市提供)

【コラム・小泉裕司】「花火サーフィン」にうつつを抜かしていたら、2022年もいつの間にか、あと2週間。居間の「花火カレンダー」は、最後の1枚が間もなく役目を終える。

今シーズンの「花火初め」は、1、2月に開催された「土浦の花火~後世に伝える匠の技」。毎週末に花火が上がるという、これまで経験したことのないワクワク感いっぱいの花火企画に始まった。その後は、コロナ禍で悪化した慢性煙分依存症の欲求のおもむくまま、GWに秋田県大仙市で開催された「SPRING FESTA大曲の花火」(5月14日掲載)、長岡や大曲、片貝などのリピート観戦、柏崎や亘理町、新常総花火などの初見参を含めて、県内外22の大会を鑑賞。

12月3日、山﨑煙火製造所が担当した「牛久沼花火大会」を間近で堪能し、今年の「花火納め」とした。

結果、1月から12月まで、毎月、花火を鑑賞することができ、画期的でブラボーな1年となった。同時に、夏の風物詩と言われてきた花火大会だが、四季折々の季節感が醸し出す花火の魅力にもまた趣があることを知った。花火大会のオールシーズン化など、新しい時代のあり方を垣間見ることができたのかも知れない。

いずれにしても、進化した高品質な「日本の花火」をあらためて確認し、格別の余韻で年が暮れていく。ちなみに、花火好きが集まるSNS上の「花火観覧数アンケート」によると、50回以上の猛者を「依存症」と言うらしい。9回以下が「一般人」、筆者の22回は「花火マニア」に該当するとのこと。病状は比較的軽症のようで、家族も一安心だろう。

花火鑑賞講座=アルカス土浦4階

花火鑑賞士in土浦の新たな花火企画

ある全国紙記者が、土浦支局から大仙市の大曲支局に転勤したのを機に、当地で花火鑑賞士の資格を取得した。17年に大曲で再会した際、鑑賞士仲間として、「土浦の花火」をさらに盛り上げるための3つの提案を授かった。

その一つが、花火への「市民の誇り」の醸成だ。彼は両市での取材を通して、市民の花火に対する思い、熱量の違いを目の当たりにしたようだ。この点は、筆者も「土浦の花火」は、市民の誇りにつながる土浦の宝であるとの思いから、かねてより新聞・ラジオ、ネットテレビ局、本コラムなど、様々なメディアへの露出機会をいただきながら、情報発信への取り組みを進めてきた。

特に今年は、3年ぶりの大会開催を機に、長年したためてきた市民参加の企画として、「花火鑑賞講座/土浦の花火の魅力を知ろう!」を実行委員会に提案し、日本花火鑑賞士会や土浦市職員有志のサポートのもと、実現することができた。

講座の幕開けは、石原之壽氏による紙芝居「土浦花火物語」。続いて、土浦市立博物館の野田学芸員による土浦花火の歴史、実行委員会OBである湯原氏の体験談、花火愛好家の穗戸田氏、花火鑑賞士の市川氏と筆者による花火の見方など。盛りだくさんの内容で予定時間をオーバーしたにもかかわらず、ほとんどの参加者から次回開催への希望が届くなど、高評価を頂戴した。今後については、あまり間隔を置かず開催できるよう準備を進めている。

新年まで10日あまり。大掃除やら年賀状書きやら、年末の恒例行事は山積みだが、まずは居間に掛ける花火カレンダーの後任を決めることが、最優先なのだ。本日はこの辺で「打ち止めー」。「ドン ドーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

親友にアドバイスするつもりで 《続・気軽にSOS》123

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【コラム・浅井和幸】物事を怠けてしまったり、感情的になってしまったりと、うまく物事が前に進まないことがありますよね。分かってはいるけれど実行できないということもありますが、その場になると分かってもいない状況になります。なんでできないのだろう、自分はダメな人間だとネガティブになって、さらに前に進めないという悪循環になることもあるでしょう。 そのようなとき、冷静に自分を客観視することがなかなかできないないものです。自分が望む次の一歩を踏み出すために、いくつかの方法をお伝えします。真剣になればなるほど前に進めないときは、自分自身をちゃかしてしまうのも一つの方法です。 「はい、浅井選手、全く原稿を書く気になれません。たまっている仕事が気になったり、こたつの上のミカンが気になっております。おっと、手がキーボードに乗った~。いよいよ仕事に取りかかるかと思ったら、SNSからのYouTubeを見始めた~。浅井選手、いったい何を言い訳に原稿から逃げるでしょうか。それとも、無理やりでも手につけるか~~?」 なんて、自分で自分の実況中継をすると、ペースを変えたり、客観視したりすることができて、前に進むことができるかもしれません。自分の今の評価をリフレーミング(違う枠組みで見る)やリアプレイザル(物事の見方を変える)するとよいでしょう。 今は仕事が手につかないけれど、1時間前は頑張れていた。できるときはできる自分がいる。緊張しているのは、やる気が出てきたからだ。今仕事をしたくないのは、疲労がたまっているからだ。なので、休憩を取ろう。などなど、ダメだダメだと繰り返すのではなく、別の見方をするということです。

前に進めないときは少しだけ休憩をとる

別の見方をするときに、一つの枠組みとして使う価値があるのが、「自分の好きな人が今の自分と同じ状況になったら、どのような声掛けをするか?」という疑問に回答することです。例えば、部屋の掃除になかなか取りかかれず、自分はものぐさなダメな人間だと落ち込んでいたとします。そのような考え方に家族や親友が陥っていたら、どのような声掛けをするでしょうか。 できるだけ具体的な人を思い浮かべて考えるとよいでしょう。嫌いな人ではなく、好きな人や尊敬している人がよいです。 自分に対してだと、「なんてダメな奴なんだ」と考えてしまうけれど、自分が好きな人が同じ状況だったら、「掃除ができないぐらい疲れているのだから、休んだ方がよい」とか、「できるところだけ掃除をすればよいよ」とか、「今掃除をしないことだけで、あなたの評価が最悪になることは無いよ」などの優しい言葉が出てきやすいものです。 前に進めないときは、少しだけ休憩をとること。そして、他の人にかけられる優しい言葉を自分にもかけてみてください。厳しさと同じぐらい、自分に対する優しさも大切なものなのです。(精神保健福祉士)

人権はすべての人の問題 《電動車いすから見た景色》37

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【コラム・川端舞】12月は「人権月間」と呼ばれている。法務省のホームページには、「『誰か』のことじゃない」をテーマに、セクシュアルハラスメントやいじめ、感染症に起因する差別などを描いた短編動画が公開されている。「人権問題」というと、障害者や外国籍の人、LGBTQ当事者など特定の人たちの問題として扱われることも多いが、法務省の動画では、すべての人に関わる問題として描かれている。

「人権」は、この社会に生きるすべての人が平等に持っている、人が人らしく生きるためのものだ。「自分には人権がある」と分かってこそ、ハラスメントなど人権侵害を受けたとき、自分から周りに助けを求められ、自分で自分を守ることができる。

人権の主体になる

今年9月、障害者権利条約の対日審査の結果、国連から日本に「すべての障害者を他の者と同等に人権の主体と認める」ように、法律や政策を見直すことという勧告が出された。

国連は、日本ではいまだに父権主義的な考えが強いことを指摘している。父権主義とは、本人の意思に関係なく、本人の利益のためだとして、本人に代わって意思決定をすることだ。障害者を人権の主体と認める障害者権利条約とは相反する。

また、日本は、19年に「子どもの権利条約」の審査においても、国連から「子どもに関わるすべての事柄について自由に意見を表明する権利を保障し、子どもの意見が正当に重視されることを確保するよう」促されている。

日本は、障害者や子ども本人の意思を聞き、「人権の主体」として位置づけることが苦手なようだ。

「自分には他の人と同じように人らしく生活する権利があり、その権利が侵害された時は『おかしい』と主張していいのだ」と思えるのが「人権の主体」になることではないか。日本では自分の権利を主張すると、「わがままだ」と思われがちだが、自分の権利を侵害されていることに気づけない人が、他の人の権利を大切にできるはずがない。

障害者や子どもだけでなく、すべての人が「人権の主体」になれるように促すことが「人権啓発」なのかもしれない。(障害当事者)

マライカBAZAARつくば店《ご飯は世界を救う》53

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【コラム・川浪せつ子】西大通りを筑波山に向かう途中、筑波大学病院の反対側にある「マライカBAZAAR(バザール)つくば店」(つくば市春日3丁目)。巨大な木でできた「ゾウさん」のオブジェがあります。かなり前は、ファミレスでした。数年前に出現した、ちょっと不思議なお店。「怪しい感じ~」と避けていましたが、気になって仕方ない。ネットで調べたら、なんと!私の好きなエスニックのお店だとわかりました。

店内には、アジア、アフリカ、南北アメリカと、世界各地の手仕事や天然素材のものが、小物から、洋服、バック、宝石まで。民族衣装は、見ているだけで、テンションが上がります。でも、ちょっと値が張るし、どこで着たらいいのかわからない。

でも何か買いたくて、小さなポシェットや帽子を購入。持っているだけで元気になります。どんな場所で、どんな方が作ったのかなぁ、どうやって日本まで、たどり着いたのかなぁ…。作った方々、品物を日本に輸出することで、少しは潤うことができたかしら。

ホンワカした甘さのワッフル

ここには、私の大好きなワッフルがあるのです。他のお店では、ほぼスイーツなのですが、こちらは食事でも提供。ワッフルのホンワカした甘さと、ベーコンの塩加減が絶妙です。付け合せのニンジンも、エスニックなお味。時々、食べたくなります。テーブル席は、温室がお勧めです。

ぷちエスニック旅行気分と、熱帯モードの空間を、どうぞお楽しみくださいね。(イラストレーター)

この1年を振り返る時期に 《ハチドリ暮らし》20

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野菜の収穫がありました

【コラム・山口京子】1年を振り返る時期となりました。みなさんにとって、この1年はどのような年でしたでしょうか。自分としては、体力の低下を実感する年でした。

今まで普通に持てていた物を重いと感じ、今まで普通に歩けていた所までが遠くに感じられるのです。以前と変わらない音量の音が小さく聞こえ、以前と変わらない硬さの食品を硬いと感じるのは、しっかり老化が進んでいるということでしょう。

「体力の低下」を実感した1年。体力はどこに消えてしまったのか…。元気なときは、体のことなど頓着していませんでした。これからは気にしなければと思いますが、自分の体なのに体の内部はブラックボックスで、本当に不思議です。

終活やエンディングのセミナーでは、いつも3つの寿命の話をします。平均寿命、健康寿命、平均余命です。日本人の65歳がこれからあと何年生きるかを予想すると、男性で約20年、女性で約25年です。75歳であれば、男性で約13年、女性で約16年ですので、長生きするほど、平均寿命の年齢を超えていきます。

ですが、一寸先は闇ですので、来年どうなるのかは誰もわかりません。理想は、来年逝くことになっても、百歳を迎えることになっても、それをよしとできる覚悟を持つことだと…。

働く・学ぶ・遊ぶ・関わりあう・介護する

時間は無限に続くとしても、私の時間は有限で、その時間で何をするのかを考えるには、今の年齢がちょうどいいのかもしれないと思うようになりました。そして、私の時間は大きな歴史の時間のなかのどこに生まれて、育っていったのかをわかりたい。改めて、この半世紀の社会がどういう社会だったのかを学び直したいと感じています。

物心ついたときに、目にしたものが何であったのか。どんなものに触れ、どのような感覚を抱いたのか。耳にした話がどんな話だったのか科学技術の輝かしい未来を素直に信じられた時代には、生産力が発展し、人が働かなくてもよい時代が来るかもしれないという話がありました。

現在は、大量生産、大量消費、大量廃棄のシステムが、地球の持続可能性を脅かして、そのシステム変更が待ったなしという話になっています。

それぞれの専門家が、様々なことを書いたり、話したりしています。それらの説明に耳を傾け、本に学びながら、自分なりに考えてみる作業が、これからの楽しみになりそうです。「働く・学ぶ・遊ぶ・関わりあう・介護する」の5つがつながりあい、バランスが取れたらいいなと願います。(消費生活アドバイザー)

止血のためのアドレナリン 《くずかごの唄》120

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】半分宇宙人に近くなってしまった夫は、自分の好きなものを見ると、我慢ができない。秋は栗。茨城は栗も名産地である。自分で作って、採りたての見事な栗を届けてくださる人がいる。生の栗を見ると、彼はうずうずしてくるらしい。

夫の学生時代、京都大学薬学教授の井上博之先生は植物生薬の権威。山や野原から木の実、草の実などを採集してきて、その成分分析をなさる。井上先生はドイツやオランダの生薬にもくわしいので、卒業後も先生のお供で、何回もドイツやオランダに連れて行っていだいた。

植物成分の分析というのは、全くの根気仕事だ。小さな種を何千粒も集め、皮と薄皮と実に分けて、検体をつくる。栗のような大きな実の厚皮と薄皮をはがす作業は 彼にとって、学生時代を思い出しながらの、実に楽しい作業なのだ。

彼は栗を見ると包丁を研ぎにかかる。我が家の名物「栗の渋皮煮」は、全自動栗剥(む)き機(私が彼につけたあだ名)がいてくれても、出来上がるのに1週間近くかかる。しかし、しかしである。彼が包丁を研ぎ始めると、私は、出血を止めるためのアドレナリンの0.1%液を用意しなければならない。

高峰譲吉氏が発見した外用薬

彼はワーファリン系の血液凝固を阻止する薬を飲んでいる。そういう種類の薬は血を固まりにくくする作用が強いので、出血したときの手当てが大変なのだ。特に、心臓から上の位置の出血は圧力があるから怖い。

夫が風邪を引いて鼻から出血したときも、洗面器を探している間に5~60ml.の血が飛び散って、居間が血だらけになってしまった。そういうときに、アドレナリン液を綿球に含ませて鼻に入れると、すぐに出血が止まる。こんなありがたい外用薬はないのである。

1900年、アドレナリンの発見者は高峰譲吉氏。高峰譲吉氏のめいの明子さんには、小学生のときにかわいがっていただいた。私が疎開して食べる物もないとき、明子さんが「小公女」など、少女向きの本を10冊も送ってくださったので、これらの本を読んで気を紛らわすことができた。明子さんにも「ありがとう」と言いたい気持ちである。(随筆家、薬剤師)

田中正造の研究会、50年で幕 《邑から日本を見る》125

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【コラム・先﨑千尋】今月3日、群馬県館林市の文化会館で「渡良瀬川研究会閉会記念鉱害シンポジウム」が開かれ、50年の活動にピリオドを打った。このシンポには約100人が参加し、50年の活動を振り返り、同研究会顧問の赤上剛さんの「田中正造はどのような人物か。今の時代に何を訴えているのか」と題する基調講演などがあった。

同研究会は、1973年に群馬県教組邑楽支部が主催した渡良瀬川鉱害シンポジウムが起源。渡良瀬川研究会として正造と鉱毒事件を研究し、正造の思想や運動を継承し、後世に伝えようと発足した。館林市を中心に、これまでに50回のシンポジウムと30回のフィールドワークを行い、会報や会誌を発行してきた。これまでに、宇井純さんや東海林吉郎さんら研究者や被害地の地元関係者などが、公害先進国日本をどうするか、学校での公害教育をどう進めるかについて議論、学習するなど、わが国の正造研究をけん引してきた。

しかし、会員や運営に当たる幹事の高齢化や後継者の不足、さらにコロナによる活動の停滞により、今回のシンポで幕を閉じることにした。36年の歴史を持つ栃木県佐野市の田中正造大学も先月閉学している。

私が田中正造に関心を持つようになったきっかけは、旧水海道市立図書館長の谷貝忍さんから「村で仕事をするなら、田中正造のことを勉強しろ」と言われたことだった。それから田中関係の本を読み、佐野市の生家や谷中村、松木村、足尾銅山の構内などを歩き、正造のような生き方をしたいと思ったこともあった。北海道の雪印乳業の創始者黒沢酉蔵は、すぐ近くの常陸太田市の出身だが、北海道に渡る前に、正造の手足となって谷中村などで活動したこともあとで知った。

目前の事件に真正面から向き合う

ここでは、同研究会の歩みとこの日のシンポの全体については書けないので、私がこの日に学んだことを記す。

「足尾鉱毒事件とは何か。煙害+毒水害であり、最上流の松木村と最下流の谷中村が廃村になった。この事件は近代日本で起きた最大の公害事件であり、この教訓が今まで生かされてこなかった。チッソ水俣病、三井金属鉱業イタイイタイ事件、東京電力福島第一原発事故などすべてで足尾銅山鉱毒事件の総括をせずに、問題を先送りしていることが原因だ」

「政府は国策の加害企業を一貫して擁護してきた。誰一人責任を取らない。謝罪しない。国は被害地域全体の健康・病理調査をせず、被害を隠蔽し、事件はなかったことにしようとしている。マスコミ、労組、司法も含めて、政・官・学・業が癒着・一体化している。生命よりも利益、経済優先の社会が続いている。被害者が立ち上がらない限り救済はされない」

「一般的な正造像は、近代日本の公害を告発した先駆者、命を賭けて天皇に直訴した偉い人、義人というもの。しかし、祭壇に祭られた偉人正造ではなく、欠点や失敗もあった普通の人正造が、目前の事件に真正面から向き合い、そこで学び、血肉化して死ぬまで成長し続け、民を裏切らなかった。その過程を学ぶことが大事」(元瓜連町長)

地方大学の改革が求められるわけ 《地方創生を考える》26

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ダイヤモンド筑波(筑西市)

【コラム・中尾隆友】日本の大学の卒業生は、米国と比べて決して劣っていないと思う。決してお世辞ではない。それでは、なぜ日本の企業は米国の企業に比べて成長性や生産性が著しく低いのか。それは、日本の大学がリーダークラスの学生を育てることができていないからだ。優秀な経営者が企業を変革し、社会全体を変えていくのだが、日本ではそれが起こりにくいのだ。

大学に決定的に足りないもの

日本の大学に決定的に欠けているのは、日本を引っ張るリーダーを育てるという役割だ。当然のことながら、それは地方の大学にも求められる。茨城の大学にも、地方のリーダーになることができる人材、すなわち、グローバルな視点を持って地方にイノベーションを起こすことができる人材を育成するようなコースがあってよいと思う。

地方が発展するためには、地方からイノベーションを起こすことができる社会にしなければならない。そのために、知の拠点となる大学と地方の経済発展というのは、これまでとは比べものにならないほど密接に関わっていくことになるだろう。

地方大学改革の必要最低条件

日本の少子化が加速していくなかで、多くの大学が淘汰(とうた)される厳しい状況下にある。とはいえ、地方自治体は有為な若者を地元にとどまらせるために、地方大学の改革を通して、その魅力度を底上げできるように懸命に努力しなければならない。

そこで、地方大学を改革するために必要最低条件となるのは、卒業要件を非常に厳しくするということだ。大学が卒業生に対して、リーダーとしてふさわしい知識やスキル、柔軟な思考力を担保できなければ、地方経済の発展に貢献することなどできるはずがないからだ。

首長のリーダーシップにかかる

そういった意味で、私は、地方が少子化をできるかぎり抑え、地方創生を成し遂げるためには、地方自治体の首長のリーダーシップによって地方大学を変革することが欠かせないと確信している。

知事にしても市長にしても、首長が先見性を持った思考力と本質を見抜く才覚を持っていることはもちろん、地域の住民に何が何でも明るい未来を見せたいという情熱を持たなければ、地方の大学の改革、ひいては、地方の明るい未来は期待できないだろう。

できるだけ多くの首長に、地方大学の改革を地方の成長に結び付けるような取り組みを始めてもらいたい。そう願っている。(経営アドバイザー)

早く目覚めた 十三夜に 《続・平熱日記》123

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【コラム・斉藤裕之】目が覚めて時計を見る。まだ朝には大分早い時間だ。それに昨日よりも一昨日よりも早くなっている。人の体内時計は月の暦になっているらしいということを、東京芸大の名物授業であった生物学の講義で三木先生は力説しておられた。私の中の時計も月に操られているのか。このままだと、どんどん起きる時間が真夜中に近づいていってしまう。

もう少し眠ってみようかと思って布団をかぶるが、完全に目が覚めてしまった。コーヒーを淹(い)れてから描きかけの絵に向かう。バイクが近づいてきてパタンとポストに新聞を入れる音がした。新聞を斜めに読んでから、まだ暗い中、犬の散歩に出かける。

そういえば今日は十三夜だと言っていたな。住宅街の屋根に近い月は驚くほど大きい。なぜ月がこれほど大きく見えるのか。専門家の説明を聞いても納得できない。散歩コースの住宅街に残された竹林の脇を通ると、必然的に思い出すのは竹取物語。竹から生まれた女性が散々わがままを言って月に帰って行くという、何とも煮え切らない物語。

まんまるお月さん。昔の人がまんまる、いわゆる正円を見るとすれば、月か太陽、それから瞳…、竹の断面。「うさぎ うさぎ なに見て跳ねる…」。正円という特別な形は神秘性や物語を生むらしい。しかし十三夜や十六夜(いざよい)のように、ほんの少し不完全なものに風情を感じるところにも日本の感性の懐の深さ。

月の影響でなく歳のせい

最近、有名な絵画にトマトスープやマッシュポテトを投げつけたというニュースが流れた。何百億円もする一枚の絵が、今の格差社会のアイコンとして生贄(いけにえ)になったわけだ。近年、中国が月に基地を造るとかアメリカがアルテミス計画を進めているとか、ここにきてにわかに月面が騒々しくなっている。そのために、それこそ天文学的なお金がつぎ込まれているはずだ。

裕福な、いわゆる1パーセントの「持つ者」が、驚くような金額を支払って宇宙旅行に出かけようともしている。99パーセントの「持たざる者」は、もっと地に足の着いたことに公金を使ってほしいとその映像を冷ややかに見ている。

海辺に住んでいる人や釣りの好きな人達には、大潮だの満潮だのが話題になることがあるけど、ほとんどの人は月を見て潮の満ち引きに考えを及ばせることはない。食品のほんのわずかな値上がりには敏感な庶民には、例えば国防予算の増大などはあまりにも大きくて、遠くで起きていることとして実感が沸かないのと似ているかもしれない。

私の早起きは月の影響ではなく、恐らく歳のせいだと思うのだが…。そういえば、うちの子もセーラームーンが好きだったな。車の中でエンドレスで聞かされたCDのおかげで、今でも主題歌をソラで歌えるもんなあ。でもなんで「月に代わってお仕置き」なんだろう…。そんなことを綴(つづ)っていると、やれやれやっと東の空が白み始めた。(画家)

阿見町のツムラ漢方記念館 《日本一の湖のほとりにある街の話》6

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ツムラ漢方記念館

【コラム・若田部哲】医療用漢方製剤の国内シェア8割超を販売し、漢方業界をけん引する株式会社ツムラ。その国内最大の生産拠点と国内唯一の漢方記念館が、霞ケ浦の豊富な水資源を背景に、阿見町に設立されていることをご存じでしょうか? 今回はそのツムラ漢方記念館の瀬戸館長に、奥深い漢方の世界についてご紹介いただきました。

医療関係者を中心に漢方の歴史や製造工程を伝え、漢方への理解を広めるために設立されたこの記念館は、阿見町のツムラ茨城工場や研究所のある敷地内に位置しています。来館してまず驚くのが、敷地内に入るとその場に満ちる漢方薬の香り。

期待とともに記念館に足を踏み入れると、正面奥には漢方薬の原料となる生薬がぎっしり詰まった透明な円柱が建ち並んでいます。植物・動物・鉱物など、自然由来の原料生薬はアースカラーのグラデーションをなし、さながら美しい現代アートのよう。

ところで「漢方」と聞いて「中国医学」と思う方も多いかもしれません。ところが実は漢方とは、5~6世紀頃に中国より渡来した医学をベースに、日本の気候風土・日本人の体質に合わせて発展した、日本独自の伝統医学。

漢方医学は考え方が西洋医学と異なり、病気の「原因」を探しそれを取り除くという西洋医学に対し、患者全体を診て自然治癒力や抵抗力に働きかけ、体全体のバランスを整えるという考え方から成っています。

また漢方薬は、自然由来の生薬を原則2種類以上組み合わせてつくられます。西洋薬は、一つの病因の解消を図るのに対し、漢方薬は多成分の生薬を複合させた薬であるため、一つの薬で複数の症状に効果を発揮することもあります。

患者の症状や体質に着目することから、検査値などに現れない不調や病名がつかない未病など、西洋医学では対応が難しい体の不調に対応できるケースも多く、現在認可されている148種の漢方薬は、9割に及ぶ医師により医療現場で処方されているとのこと。

長い歴史と研鑽による英知の結晶

記念館では、アクリルケース内の生薬原料見学のほか、様々な生薬の匂いを嗅いだり、薬学部の学生向けに調剤を体験できるコーナーなど、漢方の奥深さを体感することができます。

展示されている116種の原料生薬の中には、「なんでこれが体にいいと分かったの?」と思うようなものも数多く、例えばボタンの根から作る「ボタンピ」は、根の中心の数ミリの芯を取り除いた外皮の部分のみを使うそうです。芯を取り除くのが最良と分かるまで、どれほど臨床を重ねたのでしょうか…。思わず目がくらみます。

長い歴史と悠久の研鑽(けんさん)による英知の結晶を、肌で感じることができるこの漢方記念館。幅広く魅力が伝わるよう、ウェブ上で「TSUMURA バーチャル漢方記念館」も公開されており、概要の見学が可能です。また、12月から県内の中学、高校向けにもオンラインでの見学を受け付けるとのこと。ぜひ一度ご覧ください!(土浦市職員)

①サイクリストの宿(7月8日付
②予科練平和記念館(8月11日付
③石岡のおまつり(9月8日付
④おみたまヨーグルト(10月6日付
⑤冷たくてもおいしい焼き芋(11月12日

【11日午後4時30分追加】本コラムは「周長」日本一の湖・霞ヶ浦周辺の、様々な魅力をお伝えするものです。

「5時に夢中」の岩下さんの見せる「文化」《遊民通信》54

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【コラム・田口哲郎】

前略

東京メトロポリタンテレビジョンの月~金曜日夕方5時からの番組「5時に夢中」を楽しく視聴していることは、以前書きました。「5時に夢中」は東京ローカルのワイドショーという感じですが、コメンテーターが多彩で、サブカルチャーの殿堂のようです。

私が好きなのは、木曜日の中瀬ゆかりさんと火曜日の岩下尚史さんです。中瀬さんは新潮社出版部部長で、文壇のこぼれ話を巧みな話術で披露して笑わせてくれます。岩下さんは新橋演舞場勤務から作家になった方で、東京のいわゆるハイ・カルチャーをよくご存じの方で、こちらも話術が巧みで笑わせてくれますが、ひとつひとつのお話に含蓄があるというか、うなずくことが多いです。

岩下さんの小説『見出された恋 「金閣寺」への船出』の文体は流麗で、引き込まれます。岩下さんは國學院大学ご出身ですが、國學院の偉大な民俗学者にして作家の折口信夫の小説『死者の書』などの文体を思わせる傑作だと思います。

さて、岩下さんのインスタグラムの話題が出ていて、美食家としての一面が見られるというので、見てみました。岩下さんらしい、ハイソな生活を垣間見られるのでおすすめです。シティ・ホテルでのパーティーや会食、料亭とおぼしきところでの高級料理など、きらびやかな世界が広がっています。

岩下さんはいつも和装。青梅の築100年の日本家屋にお住まいです。新橋演舞場で日本舞踊のイベントを手がけていた関係で、芸者さんや古典芸能関係の人脈をお持ちです。岩下さんの生活には「文化」のかおりがします。

知らないのに、あこがれる、どこかなつかしい「文化」

文化は日本津々浦々、世界あまねくどこにでもあるものです。でも、岩下さんが見せてくれる「文化」は東京という街がどんどん新しくなってゆく中で、どこかなつかしさを保っている文化です。正直言って、私など新興住宅地、核家族のサラリーマン家庭に育った人間には縁のない世界です。でも、どこかなつかしく、憧れを抱かせる世界です。

宝塚歌劇団の初期の演目に「モン・パリ」というレヴューがあります。私のパリという意味ですが、そこでフランスのシャンソンを翻訳した「わが巴里」という曲を宝塚の男装のスターが踊り歌いました。大正時代、観客の中にパリに行った人などほとんどいなかった時代ですから、パリを「わが巴里」と言える人はほぼいなかったのですが、それでも観客はあこがれの都パリにあこがれを抱いて、そして郷愁さえ抱いたそうです。

岩下さんの東京の「文化」に、私もあこがれと郷愁を覚えます。「文化」とは不思議ですね。「文化」は、日々いろいろなものが変わり、流れてゆき、せわしない世の中にあっても、ひとときのやすらぎを与えてくれるものと言えましょう。やはり「文化」は良いものですね。

ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

つくば洞峰公園問題をめぐる対立と分断 《吾妻カガミ》146

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】つくば市にある茨城県営洞峰公園の運営方法をめぐり、県と市が対立、市民の間には分断が生じています。本欄ではこの問題を何度か取り上げてきましたが、今回は対立と分断の起因を整理して、県と市、市民が納得できる策を探ってみます。

維持管理費をどう捻出するか?

県の考え方は、▽園内にグランピングなどのレジャー施設を設けたい、▽その目的は、公園の維持管理費の一部を施設運営会社の収益で捻出することにある、▽同時に、新しい施設は県の観光振興策にも合致し、県の魅力度向上に寄与する、▽新施設を迷惑に思う利用者に配慮し、レジャー施設には利用ルールを設ける―と要約できます。

この計画に対し、公園の日常的利用者が、▽園内にレジャー施設ができると、自然公園の形が壊れる、▽そのような施設は公園になじまないので、公園の現状を変えないでほしい―と反対。市は日常的利用者の側に立ち、▽県の改修計画には賛成できない、▽維持管理費は、公園運営の民間委託でなく、体育館などの利用料引き上げで捻出したらよい―と主張。

要するに、公園運営に民間の知恵を導入し、県財政から出る維持管理費を浮かせ、公園にキャンプなどを楽しむ場としての役割も持たせたいとする県と、今の公園の形は変えず、維持管理費は県財政ではなく、施設利用者に負担させたらよいとする市の対立です。

市長対案を県知事は明確に拒否

複雑なのは、つくば市民は一つにまとまっておらず、県の改修計画に賛成する市民と反対する市民がいることです。県の調査では、賛成市民39%、反対市民27%でした。市民の間に分断が生じているわけです。賛成したのは洞峰公園をあまり利用していない市民、反対したのは日常的に使っている市民と推測されます。ちなみに、県民の賛成は50%(反対は27%)でした。

上のような市民と県民の世論を踏まえ、大井川知事は記者会見で、つくば市の対案(施設利用料値上げ)を明確に拒否。計画の基本(民間委託によるレジャー施設設置と維持管理費捻出)は変えない方針を打ち出しました。

その発言は、▽利用料値上げ案は施設利用者の負担を重くさせ、バランスに欠ける、▽民間委託で運営費用をまかなう県の計画は変えず、近く必要な手続きを開始する、▽県が実施した調査では、県民はもちろん、つくば市民も改修に賛成する人が多かった、▽公園をつくば市に無償で移管するという選択肢もあり、そうすれば市の考え方で運営できる―と整理できます。

徹底抗戦/市民説得/市営移管

日常的利用者に押されて対案を用意し、それを県に示した五十嵐市長は、知事の拒否に遭い、対応を迫られています。市長の選択肢は、▽27%の反対市民を背にして反対運動を展開する、▽39%の賛成市民の意を汲(く)んで県案を呑(の)むよう反対市民を説得する、▽知事が用意した対案(市営に移管→市が自由に運営)に乗る―に絞られます。

本欄では、知事と市長の思考癖を踏まえ、この案件は迷走すると予想。市は「公園を買い取ったら」と提案しました。反対市民を説得できないのなら、運営方法をめぐる県との対立の深刻化を避けるために、市に譲ってもらうのが賢い策でしょう。(経済ジャーナリスト)

<参考> 洞峰公園問題記事と関連コラム

▽記事「…大井川知事…利用料金値上げを否定」(11月20日掲載

▽記事「…利用料値上げを …市長、県に要望…」(11月2日掲載

▽記事「…年明けにも手続き開始…知事 市管理なら無償譲渡」(12月2日掲載

▽144「…洞峰公園問題…県と市の考えが対立」(11月7日掲載

▽139「上り坂の市と下り坂の県のおはなし」(8月15日掲載

▽134「県営の洞峰公園、つくば市が買い取ったら?」(6月6日掲載

台湾の地方選 与党・民進党の大敗《雑記録》42

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コラム・瀧田薫】11月26日、台湾で4年に一度の統一地方選が行われ、台北市長など多くの首長選で野党・国民党が勝利した。蔡英文総統が率いる与党・民進党は大敗し、蔡氏は直ちに党主席(党首)を辞任したが、総統の任期2024年5月)は全うする旨表明した。

蔡氏は選挙戦を通じて、地域振興策とともに「抗中保台」(中国に抵抗し台湾を守る)政策を掲げ、それを争点化して選挙戦を勝ち抜こうとしたが、選挙は対中融和路線を標榜(ひょうぼう)する野党・国民党の大勝に終わった。これを受けて、中国政府は「平和と安定を求める民意の表れ」と国民党の勝利を歓迎するコメントを発表した。しかし、この選挙結果を見て、台湾の有権者の多くが中国との融和を望んでいると判断すれば、実態を見誤る。

台湾の選挙事情は独特で、国の基本政策(外交方針など)を争点にするのは総統選挙、国民生活の身近な問題(物価、景気など)は地方選の争点といった具合に、国民の意識の中で分けられている。さらに、地方選の場合、地域事情や候補者の地縁・血縁が選挙結果に大きく影響することもあって、対中方針といった国政上のテーマは争点になりにくいのである。

実際、今回の選挙で野党が大勝した理由は、与党の国内政策(コロナ、経済、社会保障など)批判が国民一般から支持されたことにあったわけで、野党の親中路線が国民一般の支持を得たわけではない。民進党としては、選挙結果をうけて、まず内政重視の姿勢を取らざるを得ず、野党・国民党としても与党の国内政策に攻撃を集中する方が党勢拡大のための最適解と考えるだろう。

つまり、対中国政策で与野党が正面切って火花を散らすのは次期総統選が事実上始まる来年夏頃からになると予想される。これまで対中国で強硬路線を続けてきた蔡政権は、当面、内政重視の姿勢を国民向けに見せることになるが、他方、欧米、日本などとの連携(対中国)方針について大きく変えることはないだろう。

次期総統選の行方に注目

さて、中国政府は、地方選後の台湾政治の焦点は次回総統選(2024年1月)に移ったと考えているだろう。総統の任期は2期8年で次回選挙に蔡氏は出馬できない。従って、誰が次期総統になるか、それが中国政府最大の関心事になる。

10月半ばに実施された世論調査によれば、支持率は民進党33.5%、国民党18.6%であり、副総統の来清徳氏が民進党の次期総統候補として最有力視されている。来氏は対中国について、蔡氏以上に強硬な姿勢の人物として知られている。中国政府は、民進党を「台湾独立勢力」と位置づけており、来氏の次期総統就任を阻止するため、今回の民進党の惨敗を好機ととらえ、台湾内の親中勢力に呼びかけて台湾政権に揺さぶりをかけるだろう。

中国に抵抗する民進党が政権を維持するのか、対中融和路線の国民党が政権を奪還するのか、次期総統選の行方が台湾海峡情勢を左右する最大要因であることは言をまたない。(茨城キリスト教大学名誉教授)

頑張ろうとすると嫌なことが起こる 《続・気軽にSOS》122

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【コラム・浅井和幸】あることがきっかけで、部屋に引きこもるようになった。このままではだめだと思い、がんばって外に出るようにした。あるとき、コンビニで買い物をしていたら、店員に嫌な目つきでにらまれた。もう外には出たくない。

頑張って仕事を始めたら、嫌な客にクレームをつけられた。一念発起してサイクリングを始めたら、自転車がパンクした。バイトを始めたら、体調を崩した。がんばって本を読もうとしたら、道路工事が始まった。

これらは実際に相談に来られた方が話してくれた事柄です。そして共通に言います。「自分は何かを頑張って始めようとすると、必ず邪魔なことが起こる。頑張ると嫌なことが起こるのはどうしてなのか。もうこんな人生嫌だ」

何か行動を起こしても起こさなくても、起こる嫌なこともあります。例えば、道路工事の開始はそれに当たるかもしれません。しかし、ほとんどのことは「頑張るから起こる嫌なこと」なのです。

この場合、「頑張る」とは、行動範囲を広げること、何かに挑戦することです。行動範囲が広がれば、その分、うれしいことも嫌なことも起こる可能性が高くなります。そもそも、頑張れば嫌なことがなくなると思うのが現実的ではないのです。

似たようなことで、能力が上がれば上がるほど、分からないことが増えていくという現象も起こります。能力が低いときは、自分が分からないことが分かっていません。しかし能力が上がり、世界が広がると、知識が増えるのと同時に、自分が知らないこと、分からないことが、より多く実感できるようになります。

失敗から立ち直る経験が大切

話を戻すと、何かに挑戦することは、失敗や嫌な体験が増えることです。それは、成功やうれしい体験が増えるのと同時に起きます。挑戦をせず、自分の能力を伸ばさないで、簡単なことばかり行っていれば、失敗もしないし、余裕を持つことができるでしょう。

簡単な仕事ばかりして失敗をしない人は、他人が失敗をすることを笑うかもしれません。笑われることは嫌なことです。ですが、失敗を笑われるのを恐れるより、失敗する経験すらできないことを恐れてください。

勉強、仕事、恋愛―。人は失敗から多くのことを学びます。失敗の経験をし、そこから立ち直る経験をし、失敗さえも次の目標の糧とすることが大切です。失敗を糧にできる人は、次の難問にも立ち向かって、よりよい方法が見つける才能を持っていることになります。

失敗しない人も、簡単な問題を解決する分には、それほどの劣勢はありません。しかし、少し複雑な問題に対応したとき、経験したことがない場面に出くわしたとき(例えば突然の火事や地震など)には、挑戦をして失敗を乗り越えてきた人が、かなりの優位性を持つことになるでしょう。

人の挑戦や失敗を笑うような人間にはなっていませんか? 成功体験も大切ですが、失敗して、そこから立ち直る経験をすることも、同じぐらい大切なこと実感できていますか?(精神保健福祉士)

バーチャルフォトグラフィーという世界 《ことばのおはなし》52

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【コラム・山口絹記】バーチャルフォトグラフィーという単語を聞いたことはあるだろうか。

最近のゲーム、例えばソニーのプレイステーション5やマイクロソフトのXbox(エックスボックス)などの家庭用ゲーム機、ハイスペックPCで遊べるようなゲームを普段からプレイしている方々の中ではもはや当然になりつつあるのだが、今のゲームのグラフィックというのは本当にすごいことになっている。知らない人が見たら、ゲームの画面だとは信じられないレベルになっていると言ってもよいだろう。

今コラムの写真は著作権的な都合で現実世界の写真を載せているが、これくらいの景色がどこまでも広がっている世界を自由に動き回れると思っていただいて差し支えない。

そんなすさまじいグラフィックの世界を歩き回って遊べるゲームが数多くある中で、このゲームの画面を写真として記録する活動が少しずつではあるが広まっている。

少しゲームやPCに詳しい方には、「それってつまりスクリーンショット(キャプチャ)でしょ?」と言われてしまいそうだ。もちろん最終的にはスクリーンショットに違いないのだが、このスクリーンショットを記録する前段階で、目の前の情景をより思い通りに撮影するための機能が最近の多くのゲームに実装されている。

思いもよらない世界が広がる

この機能は「フォトモード」と呼ばれることが多いのだが、実際のカメラやレンズにある概念や機能、焦点距離や絞りはもちろん、ゲームによっては複数の照明装置(ライティング)、色収差やノイズを調整できるものまである。つまり、ゲームの中に本格的な機材を持ち込んで撮影ができるのだ。

加えて、現実ではいじることのできない天候や時間を操作したり、現実ではありえないアングルから自由な撮影も可能であることが多い。

これはどういうことかと言うと、プレイヤーそれぞれの感性をかなりの自由度の中で写真として表現できるということだ。ここまでくると、もはやひとつのアートだし、ゲームの中の一機能にとどまらない独立した文化になっていく(なっている?)のだと思っている。スクリーンショットではなく、あえてフォトグラフィーと呼ぶのはこういった現状を踏まえているのだ。

SNS、特にTwitter(ツイッター)などでは、かなりの頻度でコンテストなどのイベントや、バーチャル空間での展示会なども開催されている。興味のある方は是非、「バーチャルフォトグラフィー」という単語でネット検索をしてみてほしい。そこには思いもよらない世界が広がっているはずだ。(言語研究者)

お米を極める旅in柏崎 ② 《ポタリング日記》10

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門出の夜明け

【コラム・入沢弘子】前回の「お米を極める旅 in柏崎 ① 」(11月6日掲載)に続き、番外編として、10月に参加した「対話型体験」プログラムについて記します。靄(もや)が黄金色に変わり、門出(かどい)の朝が浮かび上がってきました。朝は「お米を知る特別講座」から。米の歴史、お祭りとの関係、米の品種と産地、柏崎の米の品種、分類と活用に至るまでを学びました。

続いての鍋敷き作りは、農業指導士の鈴木貴良さんにご指導をいただきます。Uターンで門出に戻ってから農業一筋35年。耕作放棄地の景観保全を目的に、「門出総合農場」を設立。合鴨(アイガモ)、マガモ農法での米作りをはじめ、大豆栽培と加工品製造、特産品の「じょんのび鶏」飼育、米作依存脱却のための小麦栽培と加工―など、従来の農業に加え、新たな可能性に挑戦している方です。

鍋敷きは、ドーナツ状の藁(わら)、芯に柔らかくした藁を、手でこすり合わせながら巻いていきます。撚(よ)る、繰(く)る、綯(な)うの繰り返し。次に綯う藁が識別できずにいると、「そういうときは、撚りを戻せばいいんです」と鈴木さん。語源を実感したひと時でした。

昼は、柏崎市中心部の割烹ささ川で、巻き寿司づくり体験です。店主の笹川隆司さんの地元の食材にこだわった料理は定評があります。コツを教わりながら、卵焼き、胡瓜(きゅうり)、海老(えび)、干瓢(かんぴょう)、椎茸(しいたけ)、ひじき、桜でんぶ、甘く煮た胡桃(くるみ)を入れた、太巻きずしを作ります。巻いたお寿司(すし)は各自の昼食に。

お米の活用法を五感で体験

絵付けをした網代焼

続いて、老舗菓子店・新野屋の新野良子専務による米菓・網代(あじろ)焼についての講義。日本最古の工業米菓の網代焼は、柏崎の米と海老を使用したお煎餅(せんべい)。他県に勝つために立ち上げた米菓研究所、職人の確保、独自商品流通ルートの開発―など、百年以上メイン商品として製造を続ける努力が感じられ、感銘を受けました。講義の後は、生地を実際に焼き、チョコペンでの絵付け体験。米菓がより身近に感じられました。

夜は、再び割烹ささ川へ。前菜から食後のお茶まで全ての料理に米を使った「米フルコース」をいただきます。京都の料亭・菊乃井の開発したレシピに笹川さんがアレンジを加え、地酒と料理のペアリングを楽しみます。笹川さんの獲った魚や海藻、鈴木さんの育てた米や鶏、市内4つの酒蔵のお酒。料理素材から調味料、嗜好(しこう)品に至るまでを、半径10キロ以内で調達できる柏崎。ここでしか体験できないもてなしに贅沢(ぜいたく)な気分に浸り、夜はふけていきました。

最終日は原酒造の見学。創業2百年以上の老舗は、関東地区でも「越の誉」が有名です。早くから東京営業所を構え、販路拡大を続けてきた賜物(たまもの)でしょう。

今回の「お米を極める旅in柏崎」では、新潟で一番早く米が収穫される柏崎で“お米”の活用法を五感で体験したのは大きな学び。長い年月、地域の活性化につながる活動をしてきたキーマンたちとの対話も非常に印象的でした。数年がかりで取材を続け、その地ならではの魅力を発掘し、対話型プログラムを創る大羽さんにも感服。今後、全国で展開されるプログラムにも注目していきたいです。(広報コンサルタント)

<参考>未来づくりエクスペリエンス by 未来づくりカンパニー

旧統一教会と政治の関係 《ひょうたんの眼》54

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庭の紅葉

【コラム・高橋恵一】旧統一教会の被害者救済や新たな被害者の発生防止策が国会で検討されているが、なかなか進展しない。合同結婚式や霊感商法が顕在化し、オウム真理教の地下鉄サリン事件でカルト集団の異常さと不気味さが課題になって、旧統一教会に対しても規制の動きがあったが、メディアの報道も減って立ち消えになっていた。

7月8日、参議院選挙の最中に安倍元首相が街頭演説会場で銃殺されるに至って、政治家と旧統一教会との関連が浮上し、改めて信者の異常な高額寄付などによる被害、信者の家庭崩壊などが、長期間続いていることが明らかになった。

旧統一教会は、本部のある韓国ではビジネス集団としての性格が強く、膨大な資金を背景に、韓国国内だけでなく、北朝鮮や米国、南米の諸国で、多様なビジネスを展開している。その資金や赤字の補填(ほてん)は、日本の高齢者や女性の献金などで集められ、韓国の教団本部に送られる年間数千億円が充てられているという。

旧統一教会のスタンスは、過去の日本が朝鮮半島を植民地支配した、日本人は先祖の罪を償(あがな)うために韓国に金銭を提供しなければならない―というもので、その具体化が霊感商法や献金・寄付などだ。結果、マインドコントロールされた信者やその家族が生活破綻するほどになり、教団の意向によって成立した信者同士の夫婦や子供にも、人権問題が生じている恐れもある。

政治家の自浄作用には期待できない

政治家と旧統一教会の関係が調査され、教団イベントへの出席や祝意の提供などとともに、選挙への強力な支援が見えてきた。平成12年(2000)以降の国政選挙では、教団の強力な支援で当選した議員もあり、教団の選挙支援を差配していたのは、元首相という証言が多数報道されている。

旧統一教会は、霊感商法などの批判から逃れるため、教団の名称変更を文部科学大臣に申請したが、当初は認可されなかった。名称変更が認可されたのは、第2次安倍内閣になってからである。同性婚や選択的夫婦別姓など、多様性を認める地方議会でも慎重論が通ってしまう。旧統一教会の主張する方向が、政治の場に表れている。

最近も、貧困や、家庭内でのDV被害などから子供を守るための「こども庁」の設置が、いつの間にか、「こども家庭庁」になっている。

教団は、宗教法人格の取り消しや集金活動の制限を恐れて、政権与党と強く結びついたのであろう。つまるところ、金集め集団にとって、教団を擁護し、収奪活動への制限をさせない役割を政治家に求め、政治家は、無償で強力な選挙応援をしてくれる教団を必要とした。この関係を断たない限り、被害者の救済も防止も成り立たない。

しかし、元首相など、問題の中核にある政治家との関係の調査が拒否されている。不当な金集め教団、いわば反社会団体の選挙支援活動に期待している政治家は、宗教法人の取り消しや被害者救済に消極的だ。

政治家の自浄作用に期待はできない。この状況で出番はメディアである。政治家の、忘れた、記憶にない、知らなかったなどという説明を信用している国民は、ほぼゼロであろう。うそとわかっていながら、追及できないメディアであってはならない。(地図好きの土浦人)

茨城の陶芸家 荒田耕治先生と 《令和楽学ラボ》21

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【コラム・川上美智子】荒田耕治先生の作品との出会いは、結婚して東京から茨城に移り住んだ1970年春のこと、笠間の佐白山(さしろさん)の麓で開かれていた陶芸市をのぞいたときでした。内側がチタンマット、外側が黒釉彩(こくゆうさい)の洗練された素敵なコーヒーカップのセットを見つけ購入しました。新聞紙に包んでくれた係の人が、「荒田耕治さん」という笠間の若手ホープ作家が焼いたものだよと教えてくれました。

当時、先生はまだ32歳で県窯業指導所を終了し、笠間に築窯されたばかりの頃だったようです。実際に、荒田先生にお目にかかったのは、2005年、国民文化祭茨城県実行委員会で一緒に企画委員をしたときでした。

それがご縁で、2009年、国民文化祭が終了した年に、荒田耕治先生の陶芸教室でご指導を頂くことになりました。以来15年間、茨城県美術展覧会と水戸市芸術祭美術展覧会に連続入選することができ、先生のご指導のおかげで奨励賞や市議会議長賞などの賞も頂き、すっかり陶芸にはまってしまいました。

土をこね、土と向き合い大きな壺(つぼ)や花器に仕上げる工程は、もろもろのことを忘れ手仕事に没頭できる貴重な時間です。手を動かすことで、脳も心も浄化されるのを感じます。そのような大切な機会を与えてくれたのが荒田先生との出会いでした。

先生も、ご自分の作品とは異なる新しい形、思いがけないものが出来上がるのを楽しみにしてくれていたようです。手ひねりで大きな作品を作る手法を、この15年間でしっかり学ぶことができ、そろそろ個展を開いて、先生に見て頂きたいと思っていた矢先の、とても残念な先生のご逝去でした。

伝統工芸の第一人者として活躍

荒田先生は、茨城県を代表する陶芸作家で、伝統工芸の第一人者として活躍されました。黒釉彩、緑藻釉(りょくそうゆう)、幾何文様(きかもよう)、木葉天目(このはてんもく)などの先生独自の作風により、文部科学大臣賞、板谷波山賞、大観賞など、多数の賞をとられ、日本工芸会正会員、茨城工芸会顧問、茨城県美術展覧会参与として、茨城の陶芸界をけん引して来られました。まだまだ作品作りへの情熱をお持ちでいらしたので残念でなりません。

12月18日(日)まで、しもだて美術館で「板谷波山生誕150年記念 茨城工芸会展」が開かれています。先生の遺作となってしまった珍しい黄色の木葉天目茶碗(ちゃわん)が展示されています。木葉天目は、葉の葉脈の跡を茶碗の底に残したもので、木の葉には、珪酸(けいさん)分を多く含む椋(むく)の葉を使います。中国の吉州窯(きっしゅうよう、現在の江西省吉安市)で唐代に始まり南宋時代に最盛期を迎えた技法で、きれいに葉脈の形を残すのには高度な技術が求められます。

荒田先生が、県の三の丸庁舎の庭で、ここには椋の木があるんだよと、うれしそうに葉っぱを集められていたのが懐かしく思い出されます。いつか、そのような作品にもチャレンジし、先生に教えて頂いた陶芸の道、歩んで行ければと思います。(茨城キリスト教大学名誉教授)