月曜日, 4月 21, 2025
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巡回指導より野犬捕獲こそ必要 《晴狗雨dog》7

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県動物指導センターに収容された犬たち(笠間市)

【コラム・鶴田真子美】茨城県では多くの野犬が捕獲されています。今日も野犬の子犬たちが県動物指導センターに収容されてきました。茨城県の狂犬病予防接種実施率は平均で62.9%です。畜犬登録率も同じくらいかと思われます。飼い犬でさえ、まだまだ管理がしきれていません。

なぜこのように多数の飼い主不明の犬が、茨城にはあふれているのか? 減らすにはどうすればよいのか? 人口密度、地形、住民意識にも左右されますが、自力で解決しようと努力する市町村(牛久市、守谷市、取手市、常総市など)と、対策が講じられていない市町村は、市町村別の犬収容頭数表にも表れています。

母犬を中心に保護を進めるのが野犬抑止の鍵です。昔から、犬は安産、多産と言われてきた通り、犬はひとはらで5~10匹も出産します。そのうち半数がメスとします。犬は半年で妊娠可能となります。1頭のメスから5頭のメスが産まれたら、次のシーズンには60頭に増えるのです。野犬の繁殖を抑えるには、メス犬を捕獲することが重要です。

県は2019年から保護指導課に任命職員2名を配し、野犬多発地域の放し飼い取り締まりを始め、それから4年が経ちます。しかし、その成果については疑問が残ります。開示請求した文書をみても、飼い主不在の家の巡回を繰り返すだけで、たまに、つなぐよう指導した、柵を直すよう指導した―と記載されているだけです。

巡回指導より、野犬捕獲こそが必要です。野犬多発地域の解決のために、早急に協議会開催が求められます。獣医師会、NPO法人、個人ボランティア、住民代表、市町村環境政策課職員をメンバーにして、野犬撲滅のワーキンググループを結成する必要があります。2015年、常総市が野犬140頭を皆生かして譲渡し、ゼロにした経験を踏まえ、同じことを自治体で一斉に行うのです。

犬の畜犬登録や狂犬病予防接種の実施は市町村の業務ですから、飼い犬に関する膨大なデータを市町村は保有しています。地域ごとに町内会や地区会があり、どこにどんな犬がいるか、野犬多発地帯の情報などは集約可能なはずです。

ワーキンググループで、チームごとに自治体を分担し、捕獲と順化を行うのです。そのための収容施設と医療、譲渡までのスタッフを揃えるために、目的を明確にしたふるさと納税制度を作ったらどうでしょう。県犬猫殺処分ゼロを目指す条例第10条には「犬猫の収容頭数を減らすため必要な施策について…協議会を組織し協議するものとする」と記載されています。

一昨年から、県には外国製捕獲機の購入を要望してきましたが、昨年、県は試みに輸入しました。野犬は、従来の鋼鉄のハクビシンやイノシシ用檻ではなかなか入りません。米国製の軽量組み立て式檻を用いれば、警戒心の強い犬も保護できます。(犬猫保護活動家)

マザー・テレサが教えてくれたこと 《遊民通信》56

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【コラム・田口哲郎】
前略

寒中お見舞い申し上げます。有名なカトリック修道女にマザー・テレサという人がいます。コルカタの聖女と呼ばれ、インドのコルカタ(カルカッタ)で死期が近い路上生活者たちへの保護活動など、弱者に寄り添う慈善活動を精力的に行いました。1997年に亡くなり、2016年に列聖されて、カトリック教会の聖人になりました。

わずか19年での列聖は異例の早さということが話題になりました。日本でも有名なイエズス会士の聖人フランシスコ・ザビエルは1552年に亡くなり、列聖されたのは1622年で、70年かかっています。通常、列聖には厳密な調査があり、何十年もの年月が費やされるとされているのです。

さて、そのマザー・テレサのドキュメンタリー映画を見たときのことです。マザーは人道的な活動をするために、コルカタの街に出かけていき、路上で生活している人々に会い、いたわり、やさしい言葉をかけ、必要な人に必要なことをしていました。

その誠実な活動に感動したのですが、一方でこう思う自分がいました。恥をしのんで正直に告白します。「マザーは路上の人を救っている。でも、ここにも苦しんでいる人間がいるのに。マザーは私のような者のところには来ないのか」

しばらくして、私は自分がとてもごう慢な思い違いをしていることに気づきました。私は路上生活者と自分が違う人間だと思っていたのです。彼らほど困窮していればマザーが手を差し伸べるけれども、自分のような者にマザーは無関心だろう、と。

これはまったくの間違いです。仮に路上生活者が苦しいのであれば、彼らと何も変わらず、私も苦しいのです。むしろ、彼らよりも狭いこころで生きている私はより苦しい。私こそ救いを求める者なのです。

無知の知のような無意識の競争意識

そして、もうひとつのことに気づきました。私は結局、現代日本という競争社会で生きていて、無意識に差別をして自己を保っているのだな、と。これも恥をしのんで告白すれば、私は先進国に住んでいて、ある程度快適な生活が送れていて、それにしがみついている。でも、そんな生活はまさに競争社会の産物で、それが自分の質を完全に保証することなどないのです。

もちろん、平和な社会で人間的な生活ができることには感謝しかないのですが、それは常に競争の結果です。学歴、職歴、収入、財産、健康など、この社会は競争し、他人との差別化という名の差別をすることを要求します。そういう社会で生まれ育つと、その過酷な渦にのみ込まれていることに気づかないのです。

実はここ20年ほど、人生が楽しくないです。それは私の責任なのです。でも、無知の知のような無意識の競争意識が、「いま、ここ」に満足することを邪魔する。「もっともっと」ばかりが頭をよぎるのです。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

原発政策大転換 国は福島事故を忘れたのか 《邑から日本を見る》127

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古徳沼の白鳥とカメラマン=那珂市

【コラム・先﨑千尋】原子力規制委員会は先月21日、原発の60年を超える長期運転を可能にする安全規制の見直し案を了承した。運転開始30年後からは、10年以内ごとに設備の劣化状況を繰り返し確認することが柱。東京電力福島第1原発事故を教訓に定められた規制制度は大きく転換する。

それを追うように、政府はその翌日、グリーントランスフォーメーション(GX)実行会議で、再稼働の加速や次世代型原発への建て替え、古い原発の運転期間60年超への延長を盛り込んだ、脱炭素化に向けた基本方針を決定した。政府は、福島第1原発事故後、原発の依存度低減を掲げてきたが、ロシアのウクライナ侵略によるエネルギー危機などを口実に、これまでの政策を大きく転換し、新規建設・長期運転にかじを切った。

だが、脱炭素化への道筋は不確かで、核のゴミの行き先も見えない。原発の運転は「グリーン」の名にふさわしいのかという疑問を残したまま、原発回帰に突き進む姿に、福島や茨城の県民からは、あまりにも乱暴で拙速な政策転換だと批判の声が上がっている。

福島県には、今も7市町村に原則立ち入り禁止の帰還困難区域が残り、3万人近くが避難生活を続けている。第一、事故の時に出された緊急事態宣言はまだ解除されていないのだ。汚染水を海に流すという問題も、これからが本番だ。

原発は古くなるほど危険性が高まる

脱炭素の主力は、太陽光や風力などを活用した再生可能エネルギーのはずだ。岸田政権は安全保障政策の大転換に続き、原発政策も、国会での議論や国民への説明をせずに唐突に決めてしまっている。あの安倍政権や菅政権ですら、原発政策は抑制的な姿勢を持ち続けてきたのだ。

岸田首相は「電力需給逼迫(ひっぱく)という足元の危機克服」と言うが、東海原発、柏崎原発を見ても分かるように、両方とも再稼働の見通しは立っていない。順調にいったとしても、原発を再稼働させるのには時間がかかる。まして、新しい原発の建設となると10年以上もかかる。それが実現するかどうかも不安定だ。

原発は、古くなるほど安全面での危険性が高まる。長期間運転すると、放射線によって原子炉圧力容器がもろくなり、コンクリートやケーブルも劣化する。これまでに建設された原発は30~40年の運転を前提にしており、これまでに60年超運転の原発は世界に例がない。世界の原発の平均運転期間は28年余だそうだ。

しかも、わが国は地震や津波などの自然災害が多く、ウクライナで見られるような軍事攻撃の危険性も指摘されている。わが国をミサイルで狙うとすれば、東京や大阪などの大都市を標的とするよりも、原発を狙った方が被害ははるかに大きくなる。誰にでも分かることだ。

岸田さんは、こうした私たちの疑問についてどう考えているのか。それを説明してほしい。自分の権力を維持、高めるために、これまでと違うことを打ち出す。それは止めてくれ。(元瓜連町長)

行方市でコイを養殖《日本一の湖のほとりにある街の話》7

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行方市の理崎養魚場

【コラム・若田部哲】古来、霞ケ浦とかかわりの深い魚、鯉(コイ)。湖周辺の遺跡からは縄文の頃より食べられていた形跡が見つかっており、近年まで滋養に富む食べ物として、妊婦さんが出産後の肥立ちにあたり、体力回復のため食べていたそうです。現在でもこの霞ケ浦一帯は、食用養殖鯉の出荷量日本一の大産地となっています。

そんな中でも大拠点の一つが行方市の手賀地区。航空地図で一帯を見ると、水田とともに多数の養殖池が並び、独特の景観となっているのがわかります。今回は、手賀地区で35年にわたり鯉の養殖を営んできた、霞ケ浦北浦小割式養殖漁業協同組合代表の理崎茂男さんにお話を伺いました。

養殖の流れは3つの段階に分かれており、まず陸上の水田のような「陸(おか)いけす」で4~5カ月ほど稚魚を育て、その後、霞ケ浦の湖面内のいけす「網いけす」に移します。縦横各5メートルに区切られたいけすを多数並べたこの養殖方法は「小割(こわり)式」と呼ばれ、ここで十分大きくなるまで2~3年ほどかけて育てられます。

そして、最後の仕上げに、きれいな地下水が満たされた陸上の「締(しめ)いけす」に移し、内臓をきれいにし、身の旨味(うまみ)を引き出すのだそうです。

イラストは、締いけすから鯉を網ですくいあげ、大きさごとに選別して出荷用の車の水槽に移しているところですが、この手並みが実に鮮やか。鮮度を落とさないよう、長年の経験で素早く選別するさまは実に見事です。

冬は脂がのり煮つけが最適

さて、そんな鯉の出荷量日本一を誇る霞ケ浦ですが、2003年に養殖業を揺るがす一大事件が起こりました。それが鯉の病気「コイヘルペス」の流行。これにより、一時、鯉の生産は完全に停止し、廃業する生産者も現れました。

この苦境に対し、理崎さんはいけす内の鯉の過密を防ぎ、エサのやりすぎを避けるなどの対策を行い、長年の経験をもとに鯉の様子をよりこまめに確認し、常に元気な状態を保つことで乗り切ったそうです。

現在、取引としては活魚での出荷が多いそうですが、息子さんが手掛ける加工場「鯉丸水産」で、煮つけをはじめとする加工品も生産しているとのこと。また近年は、鯉を高級魚として重用する中国との取引も増えてきているそうです。

最後におすすめの食べ方をうかがうと、冬のこの季節は脂ものって煮つけに最適で、通年では洗いがおすすめとのこと。霞ケ浦大橋たもとの「道の駅たまつくり」ほか、近隣の道の駅などでの購入が可能です。霞ケ浦に古くから根差す豊かな味わいを、ぜひお楽しみください。(土浦市職員)

連載位置図7

①サイクリストの宿(2022年7月8日付)
②予科練平和記念館(8月11日付
③石岡のおまつり(9月8日付
④おみたまヨーグルト(10月6日付
⑤冷たくてもおいしい焼き芋(11月12日付
⑥阿見町のツムラ漢方記念館(12月9日付

【付記】本コラムは「周長」日本一の湖・霞ヶ浦周辺の、様々な魅力をお伝えするものです。

延命よりも生活の質が大事? 《ハチドリ暮らし》21

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散歩の途中でユリが咲いていました

【コラム・山口京子】今月で65歳になりました。先月には、介護保険被保険者証が届きました。第2号被保険者から第1号被保険者に切り替わり、保険料額も変わります。納付書は2月中旬頃に送られてくるようです。年金額が18万円以上であれば、原則年金から自動で差し引かれることになりますが、手続きには半年~1年かかると書いてありました。自分としては年金を繰り下げるので、納付書で振り込むことになりそうです。

今後引かれる社会保険料は、国民健康保険と介護保険の2つです。国民健康保険は75歳になると後期高齢者医療制度に移行し、介護保険料とともに死亡するまで差し引かれます。国民健康保険料も介護保険料も引き上げの方向性が打ち出されているので、自分の場合どうなるか確認することが大事です。

思った以上に両保険料が引かれるのではないでしょうか。高齢社会における医療や介護のあり方はどうなのか? どういう制度がふさわしいのか? 国や専門家の間でも様々な議論がされており、新聞や書籍などで読むことができます。

文明が不幸をもたらす?

ある新聞に、2021年の米国人の平均寿命が前年より短くなったという記事がありました。平均寿命が前年比で短くなるのは2年連続とのことです。新型コロナウイルス感染症、薬物の過剰摂取、自殺や殺人などの影響もあるようです。

『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』(クリストファー・ライアン著、河出書房新社)にも、米国人の平均寿命が短くなったことやその社会的背景について書かれていました。「医療制度が死にもの狂いで果てしなく延命することへの懸念」「異常な社会に対する忠実な順応は精神疾患の指標である」など、少し過激とも思える言葉に驚きました。

米国社会はどうなっているのか? 日本は米国を後追いしているといいますが、日本でも精神疾患などの人が増えているのではないでしょうか?

「延命よりも生活の質が大事である」という言葉を聞きます。追加して言うと、経済(お金)一辺倒ではなく、生活の質をすべての世代が向上させることが求められている、と感じるのですが…。人間そのものというか、私たちの暮らし全体が粗末にされているように思うのは私の勘違いでしょうか。

今、南直哉さんの書かれた『善の根拠』(講談社現代新書)という本を読んでいます。自分の人生をしっかりと自分が引き受けなさい、自分とは自己であり、他者であり、社会でもある、関係性の中で作られるものだ―としています。心して生きなさいと、諭された思いになりました。(消費生活アドバイザー)

3年ぶりの餅つきと新しいノート 《続・平熱日記》125

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イリコの絵を描く…

【コラム・斉藤裕之】年の瀬を感じるものは人それぞれ。クリスマス、大掃除、忘年会…。しかし私にとっては餅つき。今どきは十分においしい餅がスーパーで売っているし、わざわざ餅をつくこともなかろう。否、私の中ではその年を締めくくる大事な伝統行事。特に、昨年生まれた孫が物心つく頃までは是非とも続けていきたい私遺産。

それに、3年前に新調した餅つきの道具一式を、コロナのせいでこのまま使わず仕舞(しまい)にするのはどうにも癪(しゃく)だった。それから迎えるは兎(うさぎ)の年といえば、やはり餅つきだろう。そしてやっぱり杵(きね)つきの餅はおいしいし、餅はみんなを笑顔にする。

だから、3年ぶりに餅つきをすることは前から決めていた。しかし餅は1人ではつけない。餅つきは家族、友人との共同作業だ。

穏やかな晴天の下、総勢20人。朝から火を入れておいた竈(かまど)に乗せた蒸籠(せいろ)から湯気が立ってきたら、いよいよ餅つきの始まりだ。まずは杵で捏(こ)ねる。餅つきとは言うが、この捏ねる作業がほとんどで、つくのは最後の仕上げ程度。実はこの地味に見える捏ねの作業が体力を奪う。

やっと杵を振り下ろす頃には、想像以上に体力を消耗している。特に昔のケヤキの杵はすこぶる重い。そして時間とともに、杵を打ち下ろすよりも、臼から持ち上げるのが大変になってくる。加えて粘り始めた餅が杵に着くと、一層重く感じる。昔は4升餅をひとりでつき上げると、1人前の男として認められたとか。

しかし、そこはあまり無理がないように、大中小のサイズの中から体力に合った杵を選べるようにして、何人かでつくようにする。かくいう私は、大工仕事と薪(まき)割りで右手の肘を痛めているので、もち米を蒸しあげて臼に投入する係に徹するが、これはこれでシビアな役だ。

ワイワイガヤガヤ、丸めたり伸したり、汁やあんこを絡めて腹を満たしながら、餅はつき上がっていく。今年も色々あったけど、終わりよければ全てよし。昼までに30キロのもち米を無事につき上げた。

イリコの絵を描く、餅を焼く

ところで、年末にB5のリングノートを買った。B5でなくてはならないし、リングノートでなくてはいけない。もう20冊近くになるこのノートだが、その日にあったことや食事のことなどを記してある。絵や文章の下書きや日曜大工の寸法図、新聞の切り抜きなども貼る。

特に見返すこともない厚さ1センチほどのノート。ちょうど1年前、2022年1月1日から使い始めたノートが、計ったように大晦日(みそか)に最後のページを迎えたのだ。

明けて正月。古の遺跡よろしく南東に向いたアトリエの扉からは、元旦の朝に昇った陽が部屋を横切って、反対側の壁にまぶしいほどの光を放つ。薪ストーブに置いた餅の表面がパクっと割れて膨らんだ。口に含むと、ほのかに臼と杵のケヤキのサステーナボーな風味がする。

「2023年1月1日(晴れ)3時に起きる、イリコの絵を描く、餅を焼く…」。その日の終わりに、新しいノートの1ページ目に書き込んだ。(画家)

危険から遠ざかるという危険《続・気軽にSOS》124

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【コラム・浅井和幸】新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

何かと物騒なこのご時世。外に出かけても、場合によっては家の中にいても、危険なことが目白押しです。転ばぬ先のつえなんて言葉もありまして、大けがしないように前もって準備することが大切だよなんて言いますよね。

かといって、何事も行き過ぎはよくありません。けがをした後に装着するコルセットやサポーターなんかも、下手に使いすぎると筋力が落ちてしまうらしいですね。ましてや、けがをする前から体を支えるつえを使いすぎてしまうと、体がゆがむかもしれないし、筋力は落ちるかもしれませんね。

危ないからと刃物を持たせない、危ないから川遊びをしない、殺菌や滅菌をする、怒鳴るような場面には会わせないなども、度を越せば危険なことにつながります。人を傷つけたくないとか、自分が傷つきたくないとかへの対処も行き過ぎると、部屋で一人過ごし続けるということになります。いわゆる、ひきこもりという状態も起こりうることなのです。

塩や油が体に悪いと全く摂取しなければ、健康を害するものです。それと同じように、心理的なストレスはいけないものだと、ストレスを減らしすぎると不調が起こります。光や音などの刺激のない、ストレス(ストレッサー)がない状況が危険であるという結論の心理実験もあるようです。

苦手なことに適切に挑戦する

成長段階では、様々なことを習得するために苦手なことに適切に挑戦するのが大切なのは分かりやすいと思います。大人になってからの苦手なもの、怖いものに対処するにはどうすればよいでしょうか。

例えば、嫌な上司や仕事、緊張する人前での発表など、出来れば逃げたいけれど完全に逃げられない事柄には、どうすればよいでしょう。手が震えて呼吸も早くなり、想像しただけでも抑うつな気分になってしまうことに。

出来るだけ考えないというのも一つの方法ですが、行動療法の一つに暴露療法という技法があります。人は嫌な事柄から遠ざかれば遠ざかるほど、想像により不安や恐怖心が大きくなることがあります。なので、危険がない状況下で、むしろ嫌な事柄に近づいて安全を確かめていく方法です。

例えば、犬にかまれたことが原因で、犬や犬のほえる声が怖いとします。夜も眠れないぐらいで、明日、犬がいる家に訪問しなければいけないことを考えると、夜も眠れないような犬嫌い。安心できる人に横にいてもらって、10メートルのところまで犬に近づくとか、まずはカウンセリングルームで落ち着いた状態で犬の写真や動画を見ることから始めるなど、思ったより怖がる必要がないことを確認して、徐々に刺激を強くしていくのです。

毎日の生活の中で、自分自身が感じているほど、その恐怖や不安の対象は深刻なものではないことがほとんどです。全てを抱え込まずに、周りの信頼できる人に手伝ってもらって、昨日よりも少しだけ怖いものに近づいて、危険でないことを確かめてみてください。世界が少しだけ明るく見えるはずです。(精神保健福祉士)

新年の抱負の代わりに《ことばのおはなし》53

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冬の木立(筆者撮影)

【コラム・山口絹記】新年あけましておめでとうございます。 ということで、この時期になりますと、“新年の抱負”なんてことばを見聞きしますね。三が日の最終日に、この記事を外出先であわてて書いているような、いわゆる計画性が根本的に欠如している私からしてみれば、年単位の計画など絵空事なわけです。

今回は計画性のない私が、新年の抱負を述べる代わりにやっていることをご紹介したいと思います。よく見聞きするライフハック(仕事術)に、“何事もリスト化する”というものがございますね。ですがこのリスト、実現する前にだいたいどこかにいってしまうんです。こういったハイエンド(高性能)かつ整然とした暮らしというのは、計画性のない人間にとっては無縁なのでしょう。

そこで、私が代わりに提唱したいのが、紙とペンを持って喫茶店に行くこと。コーヒーでもジュースでもなんでもよいのですが、注文して飲み終わる前にやってみたいことを書き出しましょう。そして、店を出る前にその中から何か一つ選んで、その足で必要なものを買いに行くわけです。英会話の参考書でもよいですし、フルサイズの電子ピアノでもよいでしょう。

生活が崩壊しない範囲で清水の舞台からダイブするわけです。短絡的ですが、何と言われようと何も始めずにまた1年を過ごすよりは幾分かマシだと思うんですね。メモのなくなる暇を与えないというのがミソでございます。

大切なのは自分の直感を信じて速攻即決することと、へたにネット検索しないこと。まったく新しい物事に挑戦するにあたって、事前調査というものはほとんど役に立つことがありません。つまるところ、やってみなければ何もわかりません。

必要なのは、失敗する覚悟と勇気。そして転んでしまってもタダでは立ち上がらない気合です。精神論かよ、と言われてしまいそうなのですが、精神論なんですね。

セレンディピティ、プランド・ハプスタンス

このままですと、新年早々なんとも無責任なことばかり言い放っているだけになってしまうので、二つ、面白いことばを紹介しましょう。

一つはセレンディピティということばです。ざっくり説明すると、「何かを探している過程において、別の何か面白いものを発見してしまうこと」です。本屋さんでお目当ての本を探す途中でとんでもなく面白い本を見つけてしまう、みたいなものですね。

もう一つは、プランド・ハプスタンス(計画された偶発性)というものです。こちらはキャリア形成の中で「とりあえずで行動し続けていくなかで、『これは』と思えるものが見つかること」の大切さに関する理論です。

ソレっぽく横文字を並べてみたのですが、ようは「やってみようぜ」というおはなしなんですね。

自分の代わりに誰かが挑戦して、成功したり失敗したりといった経験談をいくらでも見聞きできる便利な世の中になっているわけですが、そうしてわかったのは、結局自分でやらなければ何もわからない、という端的な事実だったりするわけです。今からでも遅くはないので、喫茶店に向かってみてはいかがでしょう。(言語研究者)

県と市町村の連携による動物愛護《晴狗雨dog》6

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【コラム・鶴田真子美】迷子犬、徘徊(はいかい)犬、捨てられた子猫、野良犬が産んだ子犬たち。茨城県動物指導センター(笠間市)には多数の犬猫が、水戸市を除く全県から収容されてきます。市町村の窓口を経て回収されてくるもの、警察からの依頼によるもの、指導センターが依頼を受けて直接捕獲をした野犬など、様々です。

収容犬猫情報は、指導センターのホームページで毎日更新されています。収容のない日もありますが、1日の頭数が7頭になる日もあります。2022年3月の「飼い主死亡による犬18頭収容」や、7月の「飼い主逮捕勾留による犬42頭収容」など、多頭飼育崩壊が続けば、一気に頭数が増えます。12月には、犬だけで160頭を超えました。

指導センターでは、未去勢の犬たちが大部屋に詰め込まれ、小競り合い、餌の奪い合い、強い犬の弱い犬いじめなどが起こります。

2019年6月には、パルボウイルスによる伝染性疾患のまん延(21年5月24日付25日付)を理由に、指導センターが閉鎖されても、周辺市町村から犬猫が運び込まれました。指導センターに運べば引き取ってもらえる、という認識なのでしょうか。

「今、センターに入れてはダメですよ」

2022年夏、子猫の授乳室にパルボが出て、ワクチン未接種の子猫が命を落としました。そのときも、市町村は指導センターに子猫を運び込みました。私は、小美玉市の公用車に子猫を乗せて来た公務員さんを呼び止め、こう言いました。

「その子を、今、センターに入れてはダメですよ。パルボが出ているから、センターに入れると死んでしまいます。自分たちの町の動物は自分たちで解決する時代です。頑張る自治体は里親会を開き、飼い主に返還する努力をしていますよ」

公務員さんは、パルボが出ているのも知らされていませんでした。施設内での感染症の有無は、犬猫の命と健康を守るために重要な情報であるのに、県と市町村で共有されていなかったのは残念です。

県の動物愛護管理推進計画は、県と市町村の連携をうたっています。2019年の法改正では、市町村に動物愛護管理担当職員を置くよう努めることを求め、市町村による協議会設置や条例制定の際には、県は技術的な協力をすることになりました。動物行政は県だけではなく、市町村の取り組みも期待されています。(犬猫保護活動家)

➡鶴田真子美さんの過去のコラムはこちら

安全保障戦略の転換と新年度予算案 《雑記録》43

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【コラム・瀧田薫】昨年12月16日、政府は「国家安全保障戦略」を閣議決定し、同24日、防衛費の大幅増を含む来年度当初予算案を閣議決定した。これは戦後日本の安全保障政策の大転換であり、憲法9条に基づく「平和国家」と「専守防衛」の国是を揺るがすものだ。

記者会見で「唐突な決定ではないか」との質問に対して、岸田首相は「国家安全保障会議(NSC)や有識者会議で意見を聞いたし、与党のプロセスも経ているので、問題はない」と答えている。国民への説明は後回しということであろう。

さて、新聞各紙はどのように報じたろうか。社説を比較読みして、以下に見出しを列記してみた(「」内が見出し、・印が小見出し)。各紙の主張、その概略を把握できると思う。

▽茨城「信問うべき平和国家の進路」

▽毎日「国民的議論なき大転換」・揺らぐ専守防衛・緊張緩和する外交こそ

▽朝日「平和構築欠く力への傾斜」・反撃でも日米一体化・中国にどう向き合う・説明と同意なきまま

▽読売「国力を結集し防衛体制固めよ」・反撃能力で抑止効果を高めたい・硬直的な予算を改めた・サイバー対策が急務・将来の財源は決着せず

▽日経「防衛力強化の効率的実行と説明を」・戦後安保の歴史的転換・安定財源確保進めよ

▽産経「平和守る歴史的大転換・安定財源確保し抑止力高めよ」・行動した首相評価する・国民は改革の後押しを

国会熟議と国民説明が必要

茨城、毎日、朝日の3紙は批判的論調、読売、日経、産経の3紙は肯定的論調と、ほぼ予想通り。防衛予算についても同様の論調であった。意外だったのは、安保戦略の歴史的転換を扱っているにしては、各紙とも抑えた書き方をしている、そんな印象を受けたことだ。その分、今回は軍事や外交の専門家の発言が目立った。その中からいくつか拾い出してみよう。

香田洋二氏(元海上自衛隊自衛艦隊司令官)は、大幅増となった防衛予算について現場サイドによる検討がなされた形跡がないとし、予算の無駄は本当に必要な防衛力とトレードオフの関係にあるとして、予算の中身に深刻な懸念を表明している。(朝日、12月23日付)

田中均氏(元外務審議官)は、防衛予算の拡充も必要だが、それ以上に経済、技術、エネルギーなどの国力を強化すべきだといい、さらに外交とインテリジェンス(情報の収集と分析)の役割の大きさを強調した。

藤原帰一氏(東大名誉教授・国際政治論)は、新安保戦略の本質を「日米同盟のNATO化」であると喝破した。その上で、抑止力に頼るだけの対外政策は戦争のリスクを高めるとし、外交による緊張緩和の努力が欠かせないとした。岸田政権は抑止力強化には熱心だが、外交努力が足りず、そこが危ういと藤原氏はいう。

ともかく、安全保障について次の通常国会で熟議を重ね、国民に十分に説明しなければならない。国会議員自ら超党派で勉強会を開き、専門家の知恵を借りるなどすればと思うのだが、現状の国会では無理だろう。安全保障環境を整えるための最優先課題は、「この国の国会と国連それぞれの待ったなしの改革だ」と考える国民は少なくないはずである。(茨城キリスト教大学名誉教授)

お泊りは輪泊で 《ポタリング日記》11

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客室壁面には自転車のディプレイが可能

【コラム・入沢弘子】目が覚めたら、愛車BROMOTON(ブロンプトン)がこちらを向いている。窓をのぞくと、真下を通過する常磐線。そうでした、昨夜は、自転車と一緒の部屋で過ごせる、JR土浦駅の星野リゾートBEB5土浦に泊まったのでした。

2020年秋、「ハマる輪泊」をキャッチフレーズに開業した同ホテル。自転車を部屋に持ち込んで宿泊することが可能です。開業当初から興味があったのですが、近いだけに泊まる機会がありませんでした。今回は、全国旅行支援適用期間ということもあり、自転車でポタリングして宿泊することにしたのです。

つくば市の自宅からは7キロ。いつも使う慣れた道を通ること20分。土浦市立図書館で本を借り、自転車を押したまま、駅ビルのプレイアトレ土浦のカフェに行き、コーヒーを片手に数ページ読む、というところまでは日常的なこと。今日は、その後にホテルのロビーへ。非日常の始まりです。

チェックインカウンターでの手続き後は、自転車を押したまま部屋に入ります。早速、壁のサイクルラックに自転車をディスプレイ。間接照明だけを点灯し、暗闇に浮かび上がる愛車の姿を堪能します。

掛け時計はチェーンホイールを組み合わせたデザイン。棚に設置されている自転車関連の本や、つくば霞ケ浦りんりんロードのマップを参考のために眺めてみます。かすかに聞こえる列車の警報音。ロールスクリーンを上げると、ホームにいる人と目が合いビックリ。線路が近いことを感じない静かな部屋で、行き交う人や電車を眺めているうち、夜のとばりが降りてきました。

壁にディスプレイした自転車を眺める

空腹を感じロビーに向かいます。このホテルはルームサービスがありませんが、24時間、カウンターで飲み物とスナック類を販売しています。落ち着いた照明のロビーにはテーブルやこたつ、本棚に隠れるように配置されたソファなどがあり、ちょっとした隠れ家のよう。

パブリックスペースでくつろぐ

常陸野ネストビールと、土浦特産のレンコンを使用したスナックを注文。ワインを飲みながら、こたつでボードゲームに興じる女性グループ。ミキサー付き自転車をこいで、スムージーを作る家族連れ。この開放的でくつろいだ雰囲気は、グランピングのパブリックスペースに似ています。

部屋に戻り、今度はガラス張りの浴室でバスタブのお湯に浸りながら、壁にディスプレイした自転車を眺めます。明日はどこをポタリングしようか。この場所からは、つくば霞ケ浦りんりんロードで、霞ケ浦にも筑波山方面にも行くことが可能。常磐線で輪行した先を回るのもいいな。

でも、土浦市内の食べ歩きやお土産買い歩きも魅力的。あれこれ思いを巡らせ、ポタリング気分が盛り上がった一夜でした。(広報コンサルタント)

新年おめでとうございます 《吾妻カガミ》148

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【コラム・坂本栄】物騒な世の中になりました。戦争は政治の手段という古典的な考え方が大手を振って登場。また、軍事と経済が連動する時代になりました。戦後日本の政治・経済・軍事の常識は非常識になってしまったようです。/NPO法人「NEWSつくば」は昨年10月、発足から5年を迎えました。地域の有力法人の支援も得て、自らのサイトとニュース・プラットフォーム経由で地域情報を発信しています。

上のパラグラフは年賀ハガキからの転載です。スタートから6年目に入った本サイトを、今年もよろしくお願い申し上げます。以下、賀状を少し補足します。

政治の延長で戦争をする時代

戦争は政治の手段…は、ドイツの軍学者クラウゼヴィッツ(1780~1831)の名言「戦争とは異なる手段を持って継続される政治に他ならない」を言い換えたものです。ウクライナに対するプーチンさんの振る舞いを見て、彼の頭の中は19世紀の状態であることを痛感しました。私たちの戦争に対する否定的な考え方はナイーブに過ぎ、政治指導者は自分の都合で戦争を始めると考えておいた方がよいのかもしれません。

20世紀半ば以降、私たちは自由貿易の恩恵を受け、そのシステムを広げてきました。ところが、経済と軍事がセットになった強国を志向する習さんに、米欧日が敏感に反応、戦後の貿易システムは壊れつつあります。半導体など多くの商品が輸出入規制の対象になり、日本にとって好ましい国際経済のシステムは過去のものになりました。

この77年間、私たちの常識であったことが、崩れつつあるようです。私たちは20世紀前半に引き戻され、政治の延長上の戦争が常態化し、経済が窮屈な思いをする時代に突入したのでしょうか。

地域メディアの新モデル模索

NEWSつくばは、新しい地域メディアのモデルを模索してきました。税金で運営される自治体の監視、解決が求められる地域問題の提起、地域のイベントやそこで活躍する方々の紹介―などの記事は新聞と同じですが、既存メディアとの大きな違いは「ネットで発信する非営利法人」であるということです。

新聞・ラジオ・テレビなどのメディアは、購読(視聴)料や広告料などで運営されています。これに対しNEWSつくばは、個人や法人の小口支援、法人の大口支援によって運営されています。経費の多くは有力法人の支援でまかなわれており、現在、十数社の支援を得ています。地域メディアの必要性に理解がある、これら法人の識見に深く感謝しております。

昨年12月、紙メディア時代の終わりを示唆する事件がありました。県南で配布されてきた有力フリー・ペーパーが休刊になったことです。また、新聞やテレビは、紙や電波だけでなく、ネットを使った発信に経営資源を振り向けています。大観すると、メディアの主流はネットに移りつつあり、私たちの試みもその流れに沿ったものです。

冒頭、ニュース・プラットフォームに触れましたが、私たちは、Googleニュース、Yahoo!ニュースなどのプラットフォーム(大手発信サイト)に記事を提供しています。つくば・土浦地域のニュースを、できるだけ多くの方々に読んでもらいたいと思っているからです。伝達範囲に制約のある紙メディアに比べ、全国津々浦々に届くネットメディアは、この点、圧倒的に有利といえます。(経済ジャーナリスト、NEWSつくば理事長)

眼がいいということ 《写真だいすき》15

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忘れられたような古い虚空蔵堂に、小さな絵馬が貼ってある。いつ誰が、何を願って掲げたのか、思いを馳せると、写真はグッと面白くなる。撮影筆者

【コラム・オダギ秀】写真を見ていて、よく、いい眼(め)をしているなどと評することがあります。眼がいいということは、視力のことを言っているのではありません。被写体、つまりカメラを向ける事物を、どれだけ深く見ているか、ということなのです。

たとえば、枯れた木が生えているなら、木をそのまま見るなら、眼をこすったりメガネをかけたりすればいいのです。でも、写真を撮るには、枯れた木に何を見るか、が大切なのです。季節の移ろいを感じたり、移ろうことの楽しさやはかなさを感じたり、なぜその木が植えられているのかなど見抜けば、写真はさらに面白く、深みあるものになります。

葉が枯れる季節なのに生き生きとしているから大切にされている木なのだろうとか、それなのに今はなぜ邪魔にされているのかとか、どんな思い出がある枝なのだろうとか、木を巡る様々なことが見えてきます。それが、いい眼で見るということなのです。問題はそれから。そのように見たことを、いかに写真で表現するか。そこが、写真の苦しいところであり、楽しいところなのです。だから写真の世界は、奥が深く、素晴らしい世界なのです。

被写体つまり世の中の事物には、眼に見えるものも多いのですが、それだけではありません。匂いや音や温度や、周りの空気や季節、時の流れ、その事物に向かっているあるいは向かっていた人の思い、気持ち、美意識、愛情、うれしさ、悲しさ、悔しさ、憎しみ、寂しさや後悔など、さまざまな眼に見えない背景や周辺も、一緒に存在し、漂っているのです。

それらは、たんに、「きれい」とか「いい」と、ひとくくりにはとても出来ません。面白い写真とか、いい写真とか、中身がある写真というのは、写真にそのようなふくらみがあるかどうかを云々していることが多いのです。もちろん、写真の善し悪しや価値は、それだけではないのですが、そのような価値観や尺度で写真を見ることもあるということなのです。

そこに、写真を撮る難しさや、むしろ楽しさ面白さがあると思います。写真でそれらを表現するということは、写真撮影の感性であったり技術であったり、それこそ眼であったり、なのです。美しいとかかわいとか、それだけでもいいのですが、それをどう表現したら、写真として魅力的になるかは、言葉では単純に言い表せません。

よく、こんな写真はどうやって撮るのですか、というような質問を受けます。その気持ちはわかるのですが、ジェット機の操縦の仕方を教えてください、と言われているようで、戸惑ってしまいます。一言では言い表すことが難しいことなのです。どう説明したらわかってもらえるでしょうか。

被写体の様々なものを感じ取る

たとえば花と向き合う。単純に、きれい、で片付けるのは簡単です。何がきれいなのか、色なのか形なのか、花びらの柔らかさなのか、みずみずしさなのか。ああこんな花が咲く季節になったのだ、といううれしさが、きれいという言葉に発露したのかもしれません。その感じたものを表現するテクニックは、単純なものではありません。

古い建物がある。いいなと思う。何がいいと思ったのか。今の時代にはないデザインの美しさなのか、昔の大工職人の仕事ぶりに感心したのか、その家に住んでいる人の気持ちに共感するのか、陽の光の浴び方が美しいと思ったのか、その家の歴史がしのばれるのか、くすんだ建物の色が美しいと思うのか、流れる風に涼しさを感じたのか、影が美しいと思ったのか、などなど。

人を撮る時、その人の何に感じてシャッターを切るのでしょうか。美しい人と思ったのか。なぜ美しいと感じたのか。肌がきれいか、姿が整っているのか、髪がみずみずしいか、声や話し方がすてきか、付けている香りがいいのか、セクシーだからか、年取った髪がきれいなのか、しわが美しく見えるのか、それならそれはなぜか、まなざしがやさしいからか、光線がいいのか、何かくれるからか、昔交際していた人に似ているのか、高価そうな衣服を着ているからか、近所に住む人だからか、などなど、シャッターを切る理由は様々なのです。

そのような被写体の持つ様々なものを、感じ取り、カメラの眼で見つめ、写真として魅力あるものに表現することが、写真を撮るという意味になることがよくあるのです。難しいから、写真は楽しい世界なのでしょうか。(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)

災害の少ない茨城にも暗雲? 《ひょうたんの眼》55

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垣根のサザンカ

【コラム・高橋恵一】茨城県は、自然災害の少ない、生活しやすい地域です。火山も無く、台風や異常な豪雨も少ない。県南部は地震多発地帯ですが、震源地が深くて、地表面では新幹線の車内程度の震度にしかなりません。

ところで、先のG7で岸田首相は、日本の防衛力を抜本的に強化すると宣言し、続いて安倍元首相が防衛費をGDPの2%にするよう指示しました。議論の積み上げもないまま、たった2人の発言で、日本の安全保障政策の大転換と赤字財政の超拡大が決められようとしているのです。理由は日本周辺に軍事上の危険が差し迫っているとして、日本の敵基地攻撃能力をはじめ、防衛能力を強化するためです。

敵基地攻撃能力とは、敵のミサイル攻撃を防ぐには、発射されてからでは遅いので、敵が発射に着手したら攻撃するというのです。西部劇映画のジョンウェインのように、相手が銃に手を掛けてから、早業で相手を撃ち殺すというのです。

実際には、日本が敵の発射着手を感知してから日本のミサイルを発射したとしても、敵基地の破壊には間に合わないのではないのでしょうか? 先制攻撃をしない限り、防げないことになります。しかも、「敵」にしてみれば、自分が発射しないうちに、日本が攻撃するわけですから、「敵」も敵基地攻撃能力を有し、使用する権利を行使できる理屈になります。

今回の、防衛力整備構想では、南西諸島の与那国、石垣、宮古の各島に自衛隊基地を整備し、反撃ミサイルを発射できるようになり、「敵」からの攻撃目標にもなります。自然災害の少ない茨城県にも、首都防衛の百里基地や、我が国最重要の防衛装備品(武器)の補給処があります。当然、有事に臨んで「敵」の攻撃目標になります。

5年後には第3位の軍事費大国に

ところで、国の公にする政策や予算において、特定国を「敵」と指名してよいのでしょうか? 賢い外交政策とは思えません。軍拡へのプロパガンダでしょう。

計画の実効性や経費の妥当性など、国民に、十分な説明も無いままに、5年間で43兆円とする計画を政府決定し、大幅な防衛費の増額を含む来年度予算114兆円余が閣議決定されました。財源の32%は国債です。今までの日本の政治では、政府の当初予算案が国会審議で変更になることは無いから、このまま議決されるでしょう。

5年後には、世界で第3位の「軍事費大国」が、実現することになります。OECDの最下位レベル、30位前後の生活水準の日本なのに。戦後の日本は、日本国憲法の下、平和国家としての外交で国際社会に臨み、防衛費を極力抑えながら経済成長をして、世界の信頼も獲得してきました。

500年ほど前、茨城県の鹿島に、塚原卜伝という最強の剣豪がいました。卜伝は、跡継ぎを選ぶとき、屋敷の出口に待ち伏せをさせて、防ぎ方を試し、戦って打ち負かした者ではなく、危険を避けて別の出口を通った者を選びました。当初から戦わなければ、負けることも、被害を受けることも無いということです。

日本は、本来の平和外交を駆使して、我が国だけでなく、世界の安定平和に全力を尽くすべきです。危機をあおる動きの背後に、内外の軍事産業の動きが大きくなっていることの危惧を感じつつ。(地図好きの土浦人)

室積とモンサンミッシェル 誘われる景色 《続・平熱日記》124

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【コラム・斉藤裕之】先日の授業中のできごと。「先生どこで育ったの?」って聞かれた。その子はモンサンミシェルの絵を描いていた。「山口。瀬戸内海で…」って答えた。すると、隣に座っていた子が「お父さん、山口県出身なんです」「へー、どこ?」「金魚の形をした島で…」「そりゃ周防大島でしょ」「そうそう…」。

奇遇というのか、同郷のご子息に出会うことがたまにある。話の流れから続けて、私は将来海のそばに住みたいという話をした。「室積(むろづみ)というところがあってさあ…」。山口県の東部、光市に「室積」という町がある。むろずみ、という響きも好きなのだが、ここは瀬戸内の潮流によって運ばれた砂で島が結ばれた陸繫砂洲(りくけいさす)といわれる地形で、美しい弓なりの砂浜がある。

すぐ近くの虹ケ浜という遠浅で大きな海水浴場は多くの人でにぎわっていたが、この室積はどちらかというとひっそりとしていて、私も幼い頃バスに乗って母と訪れた、室積海岸の断片的な景色をわずかに覚えている程度だ。

「その名前この前授業で習いました。むろずみ」。思いがけず生徒が繰り返した「むろずみ」という地名。「それ地理でしょ。陸繋砂嘴(さし)か砂洲で習ったんじゃない」「多分そうです…」「そういえばあなたが描いているモンサンミシェルも陸繋島だよ。島と陸が砂洲でつながって参道になっていて。むかし行ったことがあるんだ。ここは大きなオムレツが有名で…」

海のそばで暮らしてみたい

モンサンミシェルを建築設計図のように鉛筆で忠実に描いているその子は、初老の先生の話を嫌がらずに聞いてくれた。頭の中には、まだ小さかった長女を連れて訪れたモンサンミシェルのグレーの風景が流れていた。5月というのに寒かったノルマンディ。

「先生、何年かしたら室積に住むんですか?」「来年ぐらいかな!」「うそ、私たちが卒業するまではいてください…」「大丈夫、よくそういうこと言われるけど、そんなこと言って卒業までに一度だって美術室を訪ねてきた生徒はいないから。とりあえず、私のことはさっさと忘れていいから…」

昔から海のそばで暮らしてみたいという願望があった。朝、犬と一緒に砂浜を散歩する。窓から海の見える家。ところが現実はそれほどロマンチックではない。家はさびるし、洗濯物は塩っぽい。台風が来れば海は荒れるし、夏は暑い。買い物も大変だし…。それでも、故郷に帰るたびに海はいいと思う。

最近は暇なときにネットで検索する。「瀬戸内 住む 海沿い」。しかし、意外に思うような物件には出会わない。出会ったところで本気で移住するかと問われれば、いろいろと考えてしまう。今年生まれた男の子には「碧」「凪」「湊」という名前が多いという。人はいつか故郷に帰るということも聞く。「室積の海はきれいよ」という母の言葉を妙に思い出す。(画家)

「百姓作家」山下惣一さんとお別れ 《邑から日本を見る》126

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山下惣一さんを偲ぶ会

【コラム・先﨑千尋】去る12月18日、東京都千代田区の日本教育会館で「山下惣一さんを偲(しの)ぶ会」が開かれた。参加者は山下さんと関わりがある人たち約100人。私が山下さんに会ったのは30年も前のこと。本も10冊程度しか読んでいないが、影響を受けた1人として、彼と付き合ってきた人たちがどういうことを語るのかを楽しみに参加した。

山下さんは1935年に玄界灘に面した佐賀県唐津市に農家の長男として生まれた。「百姓の跡取りに学問は要らない」という父親の考えで、中学を卒業すると就農。2度の家出を経て農業技術の習得に励み、青年団活動などを通して仲間と村社会を変えていく活動を展開した。若い時は葉タバコやミカンが経営の中心だった。

山下惣一さんの著作

1967年に小説『嫁の一章』で佐賀県文学賞、70年に『海鳴り』で第13回農民文学賞を受賞。81年には小説『減反神社』『父の寧日』が直木賞候補になった。この時の受賞者は青島幸男さんだった。根っからの百姓が文章を書くのは変わり者と言われながら、書いた本は60冊を超える。すごいとしか言いようがない。

『くたばれ近代化農政』『それでも農民は生きる』『いま、村は大ゆれ』『土と日本人』『身土不二の探求』など、農や土、食べ物とは人間にとって何なのかを主に消費者に訴え続けてきた。

山下さんは、減反政策や、国が栽培を奨励したミカンの大暴落などを体験し、規模拡大など効率化だけを追求する農業の「近代化」に疑問を抱き、食料の生産を海外に委ねた日本の農政を鋭く批判。家族農業や小規模農業こそが持続可能で安定的な社会を築くという信念から、地産地消、消費者との交流などを唱え、実践した。

「田んぼや畑は先祖からの預かりもん」

この日の偲ぶ会では、生前の活動の映像が上映されたあと、山形県の佐藤藤三郎さん(元「やまびこ学校」卒業生)が特別発言。エピソードなどを紹介した。さらに、千葉県三里塚の石井恒司さんらが「山下さんの言葉は、頭で考えた言葉ではなく、土との対話から生まれたコトバ」など、山下さんとの関わりについて話した。

「田んぼや畑は先祖からの預かりもんであって、自分のもんじゃなか。未来永劫(えいごう)にリレーされるべきものなんだ」。「農業とは本来、常に未来のために汗を流す、夢を育てる仕事。だから明日を信じ、木を植える。父に限らず、一世代前まで日本の百姓の思想、生き方はそのようなものであった。その遺産の上に私たちは生きている」

山下さんが書いていることは皆当たり前のことだと私は考えている。しかし、戦後の農業や農政の動きはそういう考えを否定しようとしてきたのではないか。

さらに、私の周りにいる農家の人も多くの都会の人(消費者)も、彼のようには考えていない。「日本の農業のことは考えない。自分の暮らしを考えているんだ」という彼のセリフは強烈だ。「自らの頭で考えよ! 孤立を恐れるな。時代を変えるのは常に少数派だ」とも書いている。私への励ましの言葉だ。(元瓜連町長)

幼い頃の食べ物 《くずかごの唄》121

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】「いつ何があってもおかしくないです。無理をなさらないでくださいね」。大動脈が乖離(かいり)し、大出血。運よく命をとりとめ、退院する時に夫が医者から言われた言葉を、2人は噛(か)みしめながら生きてきた。

10年前、東京の本郷の画廊で「丸木位里さんを偲(しの)ぶ会」(7月3日付)の最後の日。製薬会社の昔の仲間たちがたくさん集まってくれた。「僕は大動脈の中膜(ちゅうまく)が乖離して、いつ死んでもおかしくない体だ。今日は生前の葬式だと思って、おおいに、笑って楽しく、飲んでください」

「葬式なのに、なぜ? 笑うんですか」

「生きていることがうれしいんだよ。丸木位里さんも俊さんも、原爆という人間の究極の悲劇を見た人だから、とても優しい人だった。私たちに命の楽しみ方を教えてくださった。君たちとの出会いもそうだよ」

私は食いしん坊なので、人との出会いが食べ物と結びついている。秋のある日、丸木先生の家にマツタケがたくさん送られてきて、「食べろ、食べろ、好きなだけ食べろ」と先生に言われ、マツタケをぜいたくに、おなかいっぱい食べた日のことを思い出していた。

ぬかみそ漬け、イワシの塩焼き

その頃から、私の頭の中は夫に何を食べさせようか、という課題でいっぱいだった。日仏薬学会の事務長だった夫は、ワインもフランス料理もくわしい。我が家はワイングラスがあふれていたのに、どうしたわけか、自分が幼い時に食べたものだけが食べ物で、ほかのものは食べなくなってしまっていた。

昭和初期の食べ物。ぬかみそ漬けの樽(たる)も大きくて、邪魔だけれど捨てるわけにいかない。かつお節をたくさん入れた千六本(せんろっぽん)ダイコンのみそ汁。ナスのぬかみそ漬け。味の濃い卵焼き。サンマやイワシの塩焼き。ダイコンおろし。しょうゆをたくさん入れた煮魚。

土浦はしょうゆの町。何にも、しょうゆを大量に使う。塩分は1日6.5グラムと医者に言われているのに、彼の言う通りにしていたら、15グラムは軽く超えてしまう。「今日は庭のギンナンをいれた茶碗蒸しが食べたいなあ。早く、早くしてくれよ」

食べたくなると、待つことができない。私は宇宙人につかえる魔法使いに変身するしかない。(随筆家、薬剤師)

手と耳と鼻で楽しむ里山《宍塚の里山》96

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【コラム・北村まさみ】風もなく、紅葉が美しい12月10日土曜日。目の不自由な方を含む『馬場村塾』の方たち7人が、宍塚に来てくれました。会員でもあり、2017年6月に実施した月例観察会「手と耳と鼻で楽しむ観察会」の講師、全盲の大川和彦さんが塾長を務める『馬場村塾』は、視覚障害関連の団体や施設が集まる高田馬場で、松下村塾のような、様々な人や情報との出会いの場、学び合う場として開かれています。

今回は里山歩き企画として訪れました。私たちの会からは6人が参加し、里山の案内と同行ガイドをしました。

大通りから宍塚の里山に入ると、コジュケイなど鳥の声がよく聞こえます。ふれあい農園のガッチャンポンプの井戸体験、脱穀作業で表に出ていた足踏み脱穀機と唐箕(とうみ)を、安全を確保しながら触っていただきました。クルミの木のごつごつした幹と枝先のかわいい冬芽、ふわふわのガガイモの種の綿毛、朽木に生える固いキノコ、むっちりしたカブトムシの幼虫など、冬の里山ならではのものを手で触れて観察。

また、草むらに埋もれて、目では見つけにくいクルミの実を足裏の感覚で探したり、モグラがごそっと持ち上げたモグラ塚、落ち葉のじゅうたんが敷かれた観察路など、足の感覚もフル稼働します。モグラの簡易はく製も用意し、ビロードのような毛並みとスコップのような手足も観察しました。

カモたちの鳴き声でにぎやかな大池を通り、こんもりしたゲンベー山を登り、中学生が竹の皆伐作業を進めた子パンダの森では、人が手入れをすることで保たれてきた里山を、一つのまとまり、生態系として保全することを目指していることなど、お伝えしました。

感覚をフルに使って感じる

大川さんからは「久しぶりに宍塚の自然に戻り、心身、元気になりました。私は宍塚から届いたお米をおいしく頂いています。昔ながらの機器にも触れさせていただき、一粒一粒のありがたさを感じます」と、感想をいただきました。

目の不自由な方に伝えたいと、目の前の物をいつもよりよく観察する、言語化することでよく認識する、感覚をフルに使って感じる…。ご一緒に歩くと、私たちが頂くものがたくさんあり、共有できた喜びも合わせて、とても楽しいです。

馬場村塾では、活動をyou tubeで発信しているそうで、私たちの会の活動について取材も受けました。You tubeの「馬場村塾」で検索してみてください。(宍塚の自然と歴史の会 会員)

可処分時間でYouTubeを楽しむ 《遊民通信》55

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【コラム・田口哲郎】

前略

テレビの視聴習慣がなくなりつつあると言われ始めて、ずいぶんたちます。いまは個人が自由に使える時間を可処分時間というそうで、動画コンテンツのサブスクサービス、たとえばAmazonビデオとかネットフリックスがその可処分時間を獲得する激しい競争が起きているそうです。

むかしは可処分というと所得で、個人がお金をどう使うか、企業は市場調査に余念がなかったのですが、時間までも企業が虎視眈々(こしたんたん)と狙っているとなると、文明もゆくところまできたなという感があります。

さて、その可処分時間の話です。ローカルテレビ番組が好きで、テレビをつけているときはほぼテレビ神奈川かJ:COMチャンネルをつけている私のような者でも、動画サブスクを見るようになっています。私の場合はYouTubeです。

テレビ局もYouTube人気はしっかり把握していて、一部の番組はYouTube配信を行っています。でも、YouTubeのおもしろさはユーチューバーの番組でしょう。

私が見ているYouTube番組

私は鉄道が好きなので、鉄道系ユーチューバー、スーツさんの動画をよく見ます。かなり多くのコンテンツを紹介するスーツさんの才能はすごいと思います。そのスーツさんに影響を受けてユーチューバーになったという、ぼっち大学生のパーカーさんの番組も見ていて楽しいです。孤独な大学生の何気ない日常をありのままに見せる趣向が共感を呼ぶのでしょう。

こうしたユーチューバーの番組はついつい見てしまい、可処分時間を費やしてしまいます。新しいコンテンツが次々とあげられるので、視聴が習慣的になります。

さて、こうした人気ユーチューバーの番組もよいのですが、私がこのごろ見ているのは、「舞原学【アニメの美学】」です。東大文学部の美学芸術学専攻の学生さんが、趣味のアニメについて語るというシンプルなもの。アニメにまったく通じてない私は、語られているアニメ作品について予備知識なく動画を見ます。

でも、舞原さんの見方や切り口がとてもおもしろいので、アニメを見てみようという気持ちになります。少々哲学的なテーマでアニメを見る楽しさは、一般向けの番組とはひと味違ったものがあります。アニメはいまや日本文化の大きな柱です。紙の本を読むのも楽しいですが、アニメを精神の涵養(かんよう)のために見る時代が来ているのですね。

メディアは受け手の好奇心や探究心を刺激することで、生活を豊かにするものだと思います。その意味で、このごろのメディアの多様化はいろいろな問題がありつつも、人間社会にとって有益なのかもしれません。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

ゆきおんなの話 《短いおはなし》10

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【ノベル・伊東葎花】

あら、お客さん? 泊めて欲しいって?

こまったねえ。もう民宿はやってないのよ。

2年前に夫を亡くしてね、私ひとりじゃどうにもならなくてねえ。

ちょっと先にペンションがあるから、そちらに連絡してあげましょうか。

どうしてもここに泊まりたいって?

まあ、女性ひとりくらいなら何とかなるかね。

大したもてなしは出来ないけど、それでもよかったらどうぞ。

お客さん、寒くない?

こっちで火に当たりなさいよ。

「だいじょうぶ」

あらそう。

珍しいねえ。女の一人旅? しかもこんな雪山に。

顔色悪いけど、まさか自殺とか考えてないよね。

ダメだよ。生きたくても生きられない人だっているんだからね。

夕飯は? 食べないの? じゃあ、何かお話ししようか。

雪女の話とか、どう?

「ゆきおんな」

そう、雪女。夫がね、雪山で会ったのよ。

怖かったらしいよ~。

つり上がった眼をして、氷みたいに冷たい息を吐いて、人間を凍らせるんだって。

だけどね、夫のことは殺さずに助けてくれたんだ。

どうしてだろうね。夫が色男だったからかね。ふふふ。

もう40年も前の話だけどね。

「よんじゅうねんも、まえ」

そうだよ。

夫はね、普段は無口だったけど、酔うとおしゃべりになってね、民宿の客によく雪女の話をしていたよ。

その話は雪女伝説なんて言われて、すっかり評判になってね、晩年はよく語り部なんかもしていたよ。

夫が話す雪女の話は、本当に怖かったよ。

何しろ自分の体験だからね、雪女の恐ろしさが手に取るようにわかったよ。

真っ白な顔に、目は血が滲(にじ)んだような赤、長い黒髪をたらりと夫の首にからませて、地の底を這うような低い声で言ったそうだよ。

「わたしのことを、だれかにはなしたら、ころす」

そうそう。お客さん、よく知ってるね。夫の話を聞いたことあるの?

うまいねえ。本物みたいだ。夫の後を継いで、語り部やる?

夏の夜なんか、怪談話でひっぱりだこだよ。

「なつは、むり」

あはは、お客さん、暑さに弱いのかい?

さては北国生まれだね。

あれ、お客さんどうしたの? 泣いてるの?

「あのひと、しんだのか」

あの人? 夫のこと? お客さん、夫を知っているの?

「わたしが、ころしたかった」

(作家)