【コラム・川上美智子】荒田耕治先生の作品との出会いは、結婚して東京から茨城に移り住んだ1970年春のこと、笠間の佐白山(さしろさん)の麓で開かれていた陶芸市をのぞいたときでした。内側がチタンマット、外側が黒釉彩(こくゆうさい)の洗練された素敵なコーヒーカップのセットを見つけ購入しました。新聞紙に包んでくれた係の人が、「荒田耕治さん」という笠間の若手ホープ作家が焼いたものだよと教えてくれました。

当時、先生はまだ32歳で県窯業指導所を終了し、笠間に築窯されたばかりの頃だったようです。実際に、荒田先生にお目にかかったのは、2005年、国民文化祭茨城県実行委員会で一緒に企画委員をしたときでした。

それがご縁で、2009年、国民文化祭が終了した年に、荒田耕治先生の陶芸教室でご指導を頂くことになりました。以来15年間、茨城県美術展覧会と水戸市芸術祭美術展覧会に連続入選することができ、先生のご指導のおかげで奨励賞や市議会議長賞などの賞も頂き、すっかり陶芸にはまってしまいました。

土をこね、土と向き合い大きな壺(つぼ)や花器に仕上げる工程は、もろもろのことを忘れ手仕事に没頭できる貴重な時間です。手を動かすことで、脳も心も浄化されるのを感じます。そのような大切な機会を与えてくれたのが荒田先生との出会いでした。

先生も、ご自分の作品とは異なる新しい形、思いがけないものが出来上がるのを楽しみにしてくれていたようです。手ひねりで大きな作品を作る手法を、この15年間でしっかり学ぶことができ、そろそろ個展を開いて、先生に見て頂きたいと思っていた矢先の、とても残念な先生のご逝去でした。

伝統工芸の第一人者として活躍

荒田先生は、茨城県を代表する陶芸作家で、伝統工芸の第一人者として活躍されました。黒釉彩、緑藻釉(りょくそうゆう)、幾何文様(きかもよう)、木葉天目(このはてんもく)などの先生独自の作風により、文部科学大臣賞、板谷波山賞、大観賞など、多数の賞をとられ、日本工芸会正会員、茨城工芸会顧問、茨城県美術展覧会参与として、茨城の陶芸界をけん引して来られました。まだまだ作品作りへの情熱をお持ちでいらしたので残念でなりません。

12月18日(日)まで、しもだて美術館で「板谷波山生誕150年記念 茨城工芸会展」が開かれています。先生の遺作となってしまった珍しい黄色の木葉天目茶碗(ちゃわん)が展示されています。木葉天目は、葉の葉脈の跡を茶碗の底に残したもので、木の葉には、珪酸(けいさん)分を多く含む椋(むく)の葉を使います。中国の吉州窯(きっしゅうよう、現在の江西省吉安市)で唐代に始まり南宋時代に最盛期を迎えた技法で、きれいに葉脈の形を残すのには高度な技術が求められます。

荒田先生が、県の三の丸庁舎の庭で、ここには椋の木があるんだよと、うれしそうに葉っぱを集められていたのが懐かしく思い出されます。いつか、そのような作品にもチャレンジし、先生に教えて頂いた陶芸の道、歩んで行ければと思います。(茨城キリスト教大学名誉教授)