日曜日, 4月 20, 2025
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金柑と干し柿 《続・平熱日記》128

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【コラム・斉藤裕之】古い友人が訪ねてきた。奥さんは小さなビンをくれた。中には金柑(キンカン)のシロップ漬けが入っていた。子供の頃、金柑は人の庭からもいで食べるものだった。だから、買ってまで食べるものではないと思っていた。事実、毎週のように出かける近くのカフェの窓からは金柑の木が見え、ちゃんと断って何度か口に入れてみたが、甘くておいしかったのだけれども、持ち帰ろうという気にはならないでいた。

ただでさえ果物をあまり食べない私。冷蔵庫を開けるたびに目に入る金柑のビン。なかなかふたを開ける勇気がなかったのだが、冬は案外喉が渇くので、ある日サイダーの中に金柑を入れてみた。

コップの底に残った金柑を口に入れた瞬間、あの独特の風味が甘さとともに広がった。それから、毎日、金柑入りのサイダーを飲むのが楽しみになった。ついでに、レシピを聞いて自分でも作ってみようと思った。けれども今年に限って、くだんのカフェの金柑は不出来で、どうやらシロップ漬けにはできない。初めて金柑を買って作ってみたら、なんとなく同じようなものはできた。まあ、金柑の実を砂糖と蜂蜜で煮るだけだから。

それからしばらくして、またその夫婦がやって来た。どうやらメールで送った画像を見て、私の作ったものがいまいちの出来だと思ったらしく、金柑と蜂蜜とレモンまでそろえて持ってきてくれた。

次の日、久しぶりに次女が東京から帰って来た。駅から降りてきた彼女は金髪だった。美容師という職業柄かどうかは知らないが、毎度変わる髪の色にはもう驚かなくなった。美容師という仕事は、かなりブラックに近い肉体労働だということは想像できる。多分疲れているだろうから、その日はどこにも出かけずに、食べたいと言っていたサツマイモ入りの豚汁を作った。

それから、「これ食べていいの?」と、彼女はシロップ漬けになるはずの金柑を見つけて言った。「どうぞ」。彼女はムシャムシャと金柑をほおばった。

憧れのロッキングチェアーに遭遇

翌日は小春日和の快晴。長女の安産祈願をしに、雨引観音に詣でた。次女と2人で出かけるのは久方ぶりだ。車中、仕事場の話や友人の結婚などの話題とともに、政治家のLGBTに対する発言について彼女は熱く語った。七三に分けたおじさん方よりも、この金髪の姉ちゃんの方がよほど筋が通っていると思った。

岩瀬の中華料理店でニンニク油とどっさりニラの入ったレバー炒めを食べた後、益子を回って帰ることにした。途中立ち寄った古道具店で、憧れのロッキングチェアーに遭遇。ただ今入荷したばかりだという店主の言葉に、勝手に運命を感じる。形、値段ともに納得の上、車に乗せて帰宅。

帰りは助手席でぐっすり寝ていた次女。自分を含めて弟や周りの友人も、彼女の歳には先の分からないなりに希望に満ちた日々を過ごしていたことを想い返した。

数日後、長野の知り合いの方から、まことに立派な干し柿が送られてきた。実は干し柿に目のない次女。金柑のシロップ漬けを送る代わりに、益子で買ったお皿といっしょに干し柿を宅配便で送ることにした。(画家)

「ただいま」「おかえり」 《短いおはなし》12

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挿し絵は筆者

【ノベル・伊東葎花】
妻と別れて、アパートで独り暮らしをしている。
年金暮らしの老人だ。
わびしい暮らしの中にも、楽しみはある。
隣から聞こえる、ほほ笑ましい会話だ。

隣の部屋は母と娘のふたり暮らしだ。
娘は、まだあどけなさが残る中学生だ。
母親は8時に家を出て4時半に帰ってくる。
娘は部活を終えて5時半に帰る。

「ただいま」
「おかえり」
「おなか空いた。ごはん何?」
「今からカレーを作るところ」
「じゃあ私、ジャガイモむくね」

こんな会話が聞こえてくる。何とも幸せだ。
私の家も母だけだった。
もっとも母は夜遅くまで働いていたから、「おかえり」を言うのは私の方だった。
おかずは少なくて、水みたいに薄い味噌汁だったが、今となっては懐かしい。

「部活でレギュラーになれそう」とか、「新しい先生がカッコいい」とか、娘ははしゃぎながら話す。
母親は、どんなに疲れていてもきちんと応える。
ときどき他愛のないことでケンカもするが、夕方にはやはり「ただいま」と「おかえり」が明るい声で聞こえてくる。
ステキな親子だ。

しかしある日、隣の会話が聞こえなくなった。
耳を澄ましても、物音ひとつしない。
どうしたのだろう。旅行でも行ったのだろうか。
気になったが、隣に住んでいるだけで親しいわけではない。
訪ねてみるわけにはいかない。

1週間が過ぎた。カーテンは閉じたままだ。
まさか入院。いや、きっと実家の両親に何かあったのだ。
色々大変だろうが、娘の学校もあるし、週明けには帰るだろう。
早く明るい声が聞きたいものだ。

しかし10日たっても隣の母娘は帰ってこなかった。
私は、たまりかねて管理人に尋ねた。

「205号室の方を見かけないのですが、何かご存知ですか?」
「ああ、引っ越しましたよ」
「えっ、引っ越した?」
「ここだけの話ですけどね、部屋に盗聴器が仕掛けられていたんですよ」
「盗聴器?」
「前のダンナが仕掛けたのかもしれないって、怖がってね。あの親子、ちょっと訳ありだったから。それで、夜中にこっそり引っ越したんですよ。まるで夜逃げみたいにね」

ああ、そういうことか。
寂しいな。
あの明るい「ただいま」「おかえり」を聞くことが、唯一の楽しみだったのに。
盗聴器が仕掛けられていたなんて…。

どうしてバレたんだ?
(作家)

JAつくば市のアグリコ桜楽農園 《菜園の輪》11

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JAつくば市本店前で清水さん(左)と塚田さん

【コラム・古家晴美】今回は、「アグリコ桜楽農園」を運営しているJAつくば市(本店・つくば市東岡)営農部営農企画課の清水祐記課長(49)と農園担当の塚田晴樹さん(23)にお話を伺った。同農園はつくば市内の貸農園としては古株で、約30年の歴史を持つ。市民農園整備促進法の施行(1990年)を受け、合併してできた現JAの前の旧桜農協が設立した。

1区画20平方メートルの耕地を馬蹄(ばてい)型に配置し、境界にレンガを埋めるというおしゃれな空間を演出している。空いた土地には、当初はオーナー制の果樹を植え、そば打ちや餅つき、イチジクのジャム作り、ラベンダースティック作りなどのイベントを、毎月、参加費無料で開催していた。

調理台が付いた談話室、農具の貸し出し、トイレ設備などがそろった共用棟、たい肥・水・マルチの無料提供もあり、施設の充実度は高い。

利用者は農業初心者がほとんどで、学園都市以外にも、土浦や都内からも集まって来た。東京都文京区から毎週リュックを背負って通っていた年配の女性は、開設当時からつい最近まで利用していたという。書面上の契約者は男女比7:3だが、夫婦で来る家庭、契約者は夫だが妻が中心に農作業をする家庭、夫が出勤前に水やりに来る家庭と多様で、実質的な男女比は5:5とのこと。外国籍の方も1割いる。40~50代が多いという。

研究学園都市というやや特殊な環境で、全国から集まって来た見ず知らずの様々な人々が、ここで土を介して交流している。

現在はキャンセル待ち16人

この30年間、農園の運営は順風満帆というわけではなかった。開設して15年くらいは、充足率10割をキープしていたが、10年前には6割程度に減少してしまった。開設当初の利用者が高齢化して脱退したこと、市の補助金が止まり、無料のイベントが開催できなくなったことなど、いくつかの要因が重なった。

そこで、利用料金値下げという一大改革に乗り出した。その甲斐(かい)あって、現在ではキャンセル待ち16人という盛況ぶりだ。特に、コロナ禍以降は、外で体を動かしたいという希望者がおり、増加傾向にあるという。

このような地道な努力のもと、JAは自らの存在のPRも怠らない。直売所もライスセンターも協同病院も、みなJA経営であることを初めて知る利用者もいる。JAの活動を地元の方々に理解してもらう場にもなっている。(筑波学院大学教授)

小津映画が教えてくれるしあわせな日常《遊民通信》59

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【コラム・田口哲郎】
前略

今さらながら、小津安二郎監督の名作をアマゾンビデオで鑑賞しました。紀子三部作と言われる『晩春』(1949年)、『麦秋』(1951年)、『東京物語』(1953年)と『お茶漬けの味』(1952年)です。

小津映画については蓮實重彦氏の著名な評論があり、さまざまな論者がさまざまな切り口で論じています。ですから小生がなにを言ったところで、誰かがどこかで言っているかもしれないのですが、それにしても、小津映画を見たら余韻にひたるだけではなく、誰かに感想を言いたくなるものだなと思いました。

こんなに語りたくなる映画は、そうはない気がします。小生のような者にも語らせるのですから、小津映画の内容の厚さはそうとうなものでしょうし、だからこそ小津映画の評論は絶えず出つづけているのでしょう。

さて、映画素人の小生が感じたことは、セリフのなかの「あいさつ」の多さです。たとえば、『麦秋』で原節子演じる紀子は丸の内でタイピストをしているわけですが、北鎌倉の自宅から通っています。すると、紀子が帰宅すると「ただいま」となるし、出勤するときは「いってまいります」となる。家族団欒(だんらん)のあと、就寝の時間になると演者たちはめいめい「おやすみ」「おやすみなさい」と言います。

冒頭のシーンは家族の朝ごはんのシーンですから、「おはよう」「いただきます」「ごちそうさま」「いってまいります」です。逆にあいさつがこれだけ出てくるシーンの連続なのに、飽きないのです。

「あいさつ」であふれる生活のありがたさ

小津映画は庶民の生活を描いたと言われますが、われわれの日常生活の会話、そのほとんどは「あいさつ」なのではないかと気づかされました。

『晩春』『麦秋』は紀子の結婚が中心テーマなので、人生の一大事です。一大事を決めるときに、家族は話し合い、たまに深い話をします。けれどもそれは「あいさつ」が交わされる長い日常にはさまれて、ときどき顔を出すのです。平凡な日々はなんとなく何度も、何度も「あいさつ」をすることでつつがなく流れてゆく。そこに駆け引きや企(たくら)みなどはあまりない。気をゆるせる相手がいるから成り立つ生活です。

こういう生活がしあわせなのだろうと画面が教えてくれました。ご近所さんとはお天気の話をしなさいと言われます。差しさわりのないおしゃべりをしていれば間違いがないということです。政治、野球の話をすると口論になりやすいから、やめておけとも言われます。

人が熱くなるということは面白く刺激的な話題です。お天気話は刺激がない分、危険もない。これは消極的なリスク管理なのですが、裏返せばこの程度の気遣いで平和な生活を送れること自体がありがたいことなのだということになります。小津映画にはもしかしたら、あたりまえで平凡だけれども、実は理想的で夢のような世界があるのかもしれません。

小津映画の人々のように生きたいものです。ごきげんよう。

草々
(散歩好きの文明批評家)

つくば洞峰公園バトル、勝者は県? 市? 《吾妻カガミ》151

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茨城県庁(左)とつくば市役所

【コラム・坂本栄】県営洞峰公園(つくば市二の宮)の運営をめぐる茨城県とつくば市のバトルが収拾に向けて動き出しました。県が提示した「県営⇒市営」無償譲渡案を市が受け入れる意向を表明したからです。公園運営の考え方では県が譲歩、運営費用の面では市が譲歩するという、双方が納得できる形で決着しそうです。

県の「大人の対応」で決着へ

私は、本コラム134「…洞峰公園問題…市が買い取ったら?」(2022年6月6日掲載)で、公園の「県営⇒市営」を提案、「(この問題で)市と県のバトルが続くことは好ましくありません。それは市と県の関係の泥沼化を意味するからです」と書いたこともあり、親(県)子(市)ゲンカの収束にひと安心です。

県の公園改修計画と市がそれに反対する理由は以下のようなことでした。民活方式で洞峰公園にアウトドア施設を設け、公園を魅力的なものにするとともに、その収益を公園運営費に回して県の歳出を抑える―が県の考え方。これに対し、アウトドア施設は自然公園になじまない、県の計画に反対する―が公園利用者の意を汲(く)んだ市の考え方。

こういった対立を背景に、大井川知事は、▽公園利用者は反対のための理屈を並べている▽市が県に示した運営費補填案(施設利用料値上げ)はバランスが悪い―と市を批判。五十嵐市長は、▽公園は現在の形をいじらない方がよい▽大型テント(一種の住宅)設置は市の権限で阻止する―と反発。それはそれで面白いバトルでしたが、結局、知事が提案した収拾案(無償譲渡という大人の対応)に市長が乗る形になりました。

今度は「市街戦」が勃発か?

「県営⇒市営」で決着すれば、県の計画は無くなりますから、市がこだわった自然公園の形は維持できることになります。しかし、市営になると、これまで県が出してきた公園管理費・施設修繕費は市の負担になります。県は「名(改修計画)を捨て実(費用転嫁)を取る」、市は「実を捨て(費用を負担し)名(現状維持)を取る」ことになります。どちらが勝ったのか? その判定は「名」を見るか「実」を見るかで異なるでしょう。

市は14日、洞峰公園管理費と園内施設修繕費を試算した数字を議会に出しました。それによると、譲り受けに伴う年間支出は、1億5085万円(公園管理費)+7800万円(施設修繕費)=2億2885万円になるそうです。

今年度の全公園(356カ所)管理費は8億9978万円(施設修繕費は別会計)ですから、1億5085万円(今年度比14%増)が大きいか小さいか、意見が分かれるでしょう。市の計算に議会がどう反応したかは、記事「費用負担 年2.3億円 無償譲渡受ける方針を議会に説明…」(2月14日掲載)をご覧ください。

市議の意見や記事に寄せられたコメントを読むと、市民の評価は割れています。赤(止め)派=洞峰公園を使っておらず支出増は認められない。青(行け)派=公園の現状が維持されるのだから負担は仕方ない。黄(待て)派=アウトドア施設を受け入れ県営のままがよい。県とのバトルは収束しそうですが、今度は「市街戦」が勃発(ぼっぱつ)しそうな気配です。(経済ジャーナリスト)

打ち上げ花火、下から見る? 上から見る? 《見上げてごらん!》11

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花火とドローン

【コラム・小泉裕司】今回は花火とドローンのお話。各紙は2月8日付で、「第91回土浦全国花火競技大会での無許可ドローン飛行を書類送検」を報じた。土浦署は、日没後に違法にドローンを飛ばしたとして、航空法違反の疑いで、撮影した男性を書類送致した。

その男性は「きれいな花火を空から撮影したかった」と容疑を認めているという。実際、目視されたドローンは3機。以来、土浦署は捜査を継続していたようで、今回、うち1機の摘発に至った。花火愛好家の1人として、頼もしい限りで、今後の抑止効果を期待したい。

記事を読みながら脳裏に浮かんだのは、ドローンが今ほど普及していない2014年、職場の後輩が喜々として、世界で2番目に見られているという米国の花火ショーで撮影したYouTube動画を教えてくれたこと。

打ち上げ花火の中にドローンを突入させて撮影。今にも燃える星が飛び出してきそうな空撮映像は、まるでSF映画に出てくる、星々の間を高速で飛行する宇宙船のよう。

当時、この衝撃映像に対する評価は分かれており、斬新性が評価される一方、多くの人の上を飛行する危険性が指摘されていた。

こうした中、昨今のドローン技術は日進月歩で、産業や公共現場での活躍は周知のとおり。相まって、操縦資格を取得するためのスクールが増加し、ドローン本体も家電量販店で容易に入手可能な環境にある。

筆者が操縦を初体験したときは、子どもの頃初めてリモコンを手にしたワクワク感を思い出すと同時に、モニターの映像は、さも「空を飛ぶ夢」の実現がかなったようだった。

閑話休題。こうして花火会場の上空に一度飛び立ったドローンを中止させるのは、落下による観客の安全を考えると、至難の業となる。実際、昨年訪れた花火大会で何度かドローン飛行を目撃し、花火鑑賞に集中できない不快な思いを経験したが、大会主催者は、さぞ対応に苦慮していたに違いない。

ちなみに、日本花火鑑賞士会が、大会前、土浦の実行委員会事務局に対策を確認したところ、事前の禁止告知以外の具体策は難しいとのことであった。

ドローン技術は表裏一体

一方、大会主催者が国の飛行許可を得て、例えば、昨年2月、霞ヶ浦湖畔で開催した「大曲 土浦夢の競演!!」や「茅ヶ崎サザン芸術花火2018」のように、上空から、会場や観客、花火の俯瞰(ふかん)映像などを撮影し、記録として後日公表する事例もある。

昨年6月の「東北未来芸術花火2022」では、あいにく濃いかすみで地上からは花火の全容を見ることはできなかったが、その後公開されたドローン映像では、雲上で虹色の輝きを放つ花火が確認された。初めて見る幻想的な光景に興奮した。

まして、このたびのトルコ・シリア大地震の被害調査や震源調査へのドローン活用、ウクライナ戦争で明らかになった不条理な軍事使用を思うとき、ドローン技術は表裏一体、まるで「火薬の歴史」のようだ。

ともあれ、打ち上げ花火は、下から見上げることを前提に、「生け花」のごとく、上空、中空、低空を絶妙に組み合わせた夜空を彩る光の芸術。花火師さんが精魂込めて打ち上げる花火作品に集中したいものだ。

本日は、この辺で「打ち止めー」。「ドン ドーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

つまずきと達成のはざま《続・気軽にSOS》127

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【コラム・浅井和幸】例えば大学受験に合格したいという相談が入ったとします。まず必要なのは、目的地である合格ライン、必要な学力です。そして、現在地である、今の学力を知る必要があります。

今の学力は、教科の合計点数を知る必要もありますが、各教科の点数を知る必要があるでしょう。場合によっては、大学受験の勉強をするよりも、高校1年の勉強から始めた方が近道である教科もあるかもしれません。

さらには特殊事情で、受験をする場所までの交通費を工面できないとか、身体的な障害があるために受験会場にたどりつけないとか、親が受験を認めてくれないなどの事情があるかもしれません。

これらすべてをひっくるめて、日本の受験というものがおかしいから大学に行けないんだと捉えた場合は、文部科学省に申し入れをするのか、政治家になって法律を変えていくのかとなるのでしょうか。

人によって物事の捉え方が違いますので、大きく日本が悪いと思うか、苦手な教科のある場所で自分の学力が止まっていると思うかは自由です。しかし、目的を達成するには、そのつまずきの部分に対応する必要がありますし、現状では対応が難しい場合は誰かの協力が必要になります。

どこでつまずいているか具体的に探る

話は変わって、別の困難を抱えた方や支援者の意見。ある人は言いました。もっとお金があれば部屋をもっと簡単に借りられた、生活困窮をしているから割高の部屋を苦労して借りなければいけないと。

ある人は言いました。日本の政策がおかしいから、自分は仕事に就くことが出来ないと。ある人は言いました。日本の社会は気持ちをストレートに表現しないから、忖度(そんたく)して生きなければいけないので苦しい、アメリカならばもっと楽に生きられるのにと。

この言葉をそのまま受け取れば、アドバイスは、お金を得る手段を考えていきましょう、議員に立候補しましょう、アメリカに住む方法を考えましょう、となります。

しかし、話を進めていき、状況を詳細に聞いて私がアドバイスしたのは、もう少し約束を守るようにしましょう、とりあえずはハローワークに行きましょう、ごめんなさいとありがとうを伝えてみましょう―でした。

物事がうまく回っているときは、細かいことは考えずにどんどん進める方がよいと思います。しかし悪循環をしている場合は、大ざっぱに物事をとらえずに、一つ一つどこでつまずいているかを具体的に探ることが大切です。

支援者からの相談の引き継ぎで、ケースの詳細をお聞きすることもあります。そのときに私が重視するのが、当人の目的とこのつまずきの部分です。

ちなみに、つまずきとは、どこまで達成しているかと同義と捉えても間違いではありません。10キロ先の目的地に行きたい。今3キロのところで身動きできずにいる。3キロのところでつまずいているとは、3キロまで進んで来られたということですから。(精神保健福祉士)

高校時代の友人が気づかせてくれたこと 《電動車いすから見た景色》39

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高校時代の同級生と一緒に。中央が筆者

【コラム・川端舞】今月初め、生まれ故郷の群馬で、障害者権利条約の勉強会があり、2年ぶりに帰省した。会場で高校の同級生2人と再会し、写真を撮った。

国連が障害者権利条約を解説した「一般的意見」には、「(障害のある子とない子が同じ教室で学ぶ)インクルーシブ教育は、すべての生徒の基本的人権」と書いてある。5年ほど前、初めて読んだとき、その意味を理解するのに苦労した。「インクルーシブ教育は、障害のない生徒のためにもなるのか」と。

その考えが変わり始めたのは、数年前、ふとしたきっかけで、同級生たちと連絡を取るようになってからだ。高校当時、私は自分の障害への劣等感や、大学受験のプレッシャーで、息の詰まる学校生活を送った記憶しかなかった。しかし、友人と話しているうちに、当時の楽しかった記憶も思い出した。

周囲の同級生が障害のある自分をどう見ていたのかも聞くことができ、少し客観的に過去を振り返ることができた。「こんなに悩んでいるのは自分だけだ」と思っていたが、実は障害のない生徒も深い悩みを抱えていることがあり、悩みの原因の多くは、社会や学校が多様性に寛容でないためであると気付くこともできた。

一方、卒業後10年以上たってから、当時の自分の悩みを友人に聞いてもらうこともでき、「高校時代、川端がふさぎ込んでしまったのも無理ないよ」と言われ、気持ちが楽になった。

しんどいのは障害児だけではない

「しんどさを抱えながら、学校に通っているのは障害児だけではない。だから、どんな子でも過ごしやすい普通学校に変える必要があるのだ」。友人と話しながら、こんなことを思った。

勉強や運動が他の子どもと同じようにできなくても、違いを受け入れ、どのように環境を変えれば、障害児でも過ごしやすくなるのかを考えられる学校は、障害のない子どもにとっても過ごしやすい学校になるのかもしれない。それが、「インクルーシブ教育は、すべての生徒の基本的人権」ということなのだろう。

いろんな同級生と一緒に高校時代を過ごした記憶と、大人になってから果たせた同級生との再会が、私に「インクルーシブ教育とは何か」を改めて考え直させてくれるのだ。(障害当事者)

自分の顔 ウソの顔《写真だいすき》17

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カカシの顔(筆者撮影)。自分では、鏡に写った顔がいい顔だと思っていても、他人が見ている顔は違っているというのが顔というものだ

【コラム・オダギ秀】分かっている人にはくだらない話なのだが、多くの人は当然と思っているから、チョットはショックなことを話す。自分では鏡を見て、うん私はこんな顔がいいかななんて思っていると、世間の人々は、まったく違う顔を見ているという話だ。自分はいいと思っていても、世間はなかなかそうは見ていないという話だ。

よく「私は右(左)から見た顔がいいのよ」などと言い、鏡を見ながら、丁寧にそちらの向きの顔の手入れをしている人などがいる。それはそれで、間違いではない。だが、世間の人々は、自分が見ている鏡に写ったその顔を、まず、見ていないのだ。自分が、鏡の顔をいいと思っても、世間の人々は、その顔を見ているわけではないのだ。

なぜなら。たとえば、髪を右分けしている人は、鏡の顔は、向かって右に髪分けしている。だが、鏡を通してではなく、本人を直接見る人は、向かって左に髪分けしているのだ。これを左右反転とかミラー反転と言うが、パソコンやスマホなどで自撮りしている場合も、多くの場合、鏡のように写っているはずと思っている。

だから、こんな顔がいいとして写真に撮ってもらう。すると、それこそ世間の人が見ているような顔に出来上がった写真を見ることになる。だから、「ええっ、自分の顔はこんな顔と違う。写真、下手ねえ」などと言い出すのだ。どのようなことを言っているか、意味がわかるだろうか。

あなたが、見ている鏡に写った自分の顔を見て、それが正しい自分の顔だと思っているのは、それなりに正しい。だが、大切なことは、世間の人々は、鏡に写ったその顔を見ていないということなのだ。

なんか違う 免許証の写真

特にそのことを感じるのは、免許証の写真ではないだろうか。正々堂々と撮ったのに、なんかヤダなあ、なんか違うなあ、と思ったりする。もちろん、写真の出来映えは様々な要因がある結果なので、免許証の写真を単純に例に挙げるのは申し訳ないのだが、自分の顔を正面から見ることは鏡くらいしかないし、世間の眼が正面から注がれることも少ないから、それぞれの顔の落差に驚いたりするのだ。

免許証の写真。うわ、こんなに写っちゃったヤダあ、と感じながら見たことはなかったか。鏡でいつも見ている自分の顔と違う、と感じていないか、下手ねえ、と。だが、正々堂々と撮ったその顔が、大抵の場合、ガッカリだが、世間の人が見ているあなたの顔なのだ。鏡にではなく、ストレートに世間の眼で見た顔は、写真に写された顔なのだ。

スナップ写真などは正面ではなく動いている瞬間などを捉えたものなので、微妙な違いには気が付かず、鏡に写った顔と同じものが写っていると思ってしまう。自然な本当の顔だと思わされる。写真はウソをつかないから、と思っているのだ。だけど、写真よりも、鏡ってヤツは、もっとウソつきみたいに、あなたを誤解させているんだよ。(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)

「国民安全保障・国家論」考《雑記録》44

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自宅の花(筆者撮影)

【コラム・瀧田薫】昨年12月16日、政府は「国家安全保障戦略」(以下「戦略」)の改定を閣議決定したが、これに先立つ11月22日、「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」が、会議の主催者である首相に対し「報告書」(以下「報告」)を提出している。

「報告」と「戦略」を付き合わせてみると、両文書は高いレベルで「整合性」を示しているが、「戦略」が防衛力を重視しているのに対して、「報告」は「防衛力だけでなく、外交力、経済力、技術力、情報力を「総合的国力」として取り上げている点、「戦略」よりも包括的な国家戦略論となっている。

「報告」が提出されてから1カ月も経たない時点で「戦略」が閣議決定されていることから推して、両文書とも有識者会議における議論に出自を同じくしていると思われるし、さらに一歩進めて、「報告」をいわば総論、「戦略」を各論という位置付けをしても違和感はない。

ところで、今回、新聞やテレビの報道が、おしなべて、各論である「戦略」を中心テーマとして扱っていて、総論としての「報告」については地味な扱いしかしていない。しかし、総論としての「報告」こそ、この国と国民の安全保障に関する議論の肝心要の部分なのである。

報告の要点は、「我が国を取り巻く厳しい安全環境を乗り切るには、防衛力だけではなく、技術力や産業基盤を強化し、有事にあっても、我が国の信用や国民生活が損なわれないようファンダメンタルズを涵養(かんよう)する。同時に、国の外交力と情報力の強化が不可欠だ」ということだ。つまり、狙いは、「総合的国力の涵養」にある。

「総合的国力の涵養」

なぜ「総合的国力の涵養」が必要なのか。それはこの国に、戦前・戦後を通じて、総合的国力を国家と社会に実装する構想、そのための方法を模索する意識、つまり「安全保障リテラシー」が欠落していたからである。例えば、「戦前の日本軍は戦闘重視で、後方軽視、情報軽視、民間軽視であった。それは国民を軽視した戦争だった」(兼原信克『安全保障戦略』日経BP、2021年、72ページ)との指摘がある。

そして戦後、米軍占領下にあった時期、さらに日米安全保障条約締結以後、この国と社会は、安全保障面は言うに及ばず、経済面でも対米依存することで、めざましい戦後復興を遂げていく。

そうした成長過程で、敗戦の原因を追及し、戦前に欠けていた総合的国力とそれを涵養するための「安全保障リテラシー」を求める意識が薄れていった。しかし、そのツケがやがて回ってくる。福島原発事故、コロナ禍による医療崩壊は、戦後日本の国家と社会に国民を守るための「安全保障リテラシー」が欠落している事実を突きつけた。

「報告」は、米中の狭間(はざま)にあって、この国にまず求められるのは自前の「国民安全保障・国家論」の構築であると指摘している。(茨城キリスト教大学名誉教授)

昨年末開店した「マツシロバーガー」 《ご飯は世界を救う》54

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【コラム・川浪せつ子】「マツシロバーガー」(つくば市松代4丁目)は、2022年12月24日にオープンしたばかりのハンバーガー屋さんです。このお店、10月に閉鎖されたショッピングセンターの中にあった、フランチャイズのハンバーガー屋の店主さんが独立して始めました。

ショッピングセンターには、私が通っていたフイットネスクラブもあり、そこに行く前、ハンバーガー屋さんで、絵の下描きをしたり、本を読んだり。ランチタイム以外は静かな空間でしたので、仕事の打ち合わせや友人との語らいに使わせてもらった、私の大好きで大切な場所でした。

たくさんのハンバーガーをスケッチして、絵の修練にもなりました。描いた絵を額に入れて飾ってもらっていました。店主さんとお話しするのも楽しい時間。そこで色々なつながりができたこともわかり、とても親近感を持ちました。

そのお店がなくなってしまってから、私の生活は急変。なんと!絵が描けなくなってしまったのです。他の喫茶店などをウロウロしたのですが、憩いの場所の喪失感で、日々がうまく回りません。家での仕事や家事などの切り替えの場で、憩いだけでなく、活力の根源にもなっていたと気がついたのでした。

食べ物には作る方の人柄が移る

その店主さんが新規オープンしてくれてから、元気が出てきて、色々なこと―頭と心―が、動き始めました。でも今度は、このお店に人が来てくれるのか、心配でたまらない。ですが、新規オープンから1カ月半、固定客さんが増えたそうですよ!

食べ物は、作る方の人柄が乗り移りますね。以前にはなかった新メニューが開発されました。バンズだけでもおいしいのですが、中身のハンバーグの上に、クリームチーズが乗っていて、その上には薄切りのパイナップルです。チーズの塩味とねっとり感。パイナップルのほどよい酸っぱさ。今まで食したことない味です。

シャレた店内に、親切で和やかなお店の方々。地域の皆さんを、おいしいものとステキな空間、それから笑顔で癒してくださいね。応援しています。(イラストレーター)

東海第2原発訴訟、東京高裁が担当判事を変更《邑から日本を見る》129

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厳戒な警戒の日本原電東海第2発電所の正門付近

【コラム・先﨑千尋】先月25日、安全性に問題があるとして住民らが日本原子力発電 東海第2原発の運転差し止めを訴えた訴訟の控訴審で、東京高裁は担当裁判官を交代させることを決め、弁護団に通知した。このことにより、先月31日に予定されていた控訴審の第1回口頭弁論は延期された。

原告側の弁護団によると、控訴審を担当する永谷典雄裁判長は、行政訴訟で国側の立証を担う法務省の訴訟部門に長年在籍。複数の原発関連訴訟で国側代理人を務めたほか、国に東海第2原発の運転差し止めを求めた行政訴訟では、訴務担当の審議官などで指揮する立場にあった。

このことを問題視した弁護団は「公正な裁判が行われない」として、昨年12月、永谷氏に自主的に辞退するよう申し入れていた。弁護団は、申し入れが拒否された場合には、31日の口頭弁論で公正な裁判を受けるために、裁判官の交代を求める「忌避」を申し立てる方針だった。交代の理由について裁判所側は「諸般の事情を鑑みた」からだと弁護団に説明したという。諸般の事情とは、交代する理由を明らかにしないために、としか考えられない。

ものものしい警備の中で見

東海第2原発については、一昨年3月に水戸地方裁判所が、避難計画の作成の遅れや内容の不備などを理由に再稼働は認められないとして、再稼働の差し止めを命じた判決を出していた。最大の争点となった周辺自治体の広域避難計画の策定は、30キロ圏内にある14市町村のうち5市町村が終えたのみ。策定した市町村でも、大地震による道路の寸断など複合災害を想定した複数の避難経路が設定されていないなどの問題点がある。

さらに、避難所の収容人数を算定する際に通路やトイレなどの非居住空間まで見積もるなどしたため避難先の見直しを迫られていて、全体として実効性のある避難計画策定の見通しは立っていない。

こうした事情にいら立ちをみせた地元の東海村では、商工会が中心となって、村に早期に避難計画の策定を求める請願が出され、昨年3月の議会で可決されるなどの動きが出てきている。

裁判の先行きが不透明な中、日本原電は東海第2原発の再稼働を目指し、防潮堤の建設などの安全性向上対策工事を進めている。当初の計画では22年12月に完了の予定だったが、24年9月に延期になっている。テロ対策設備も含めた工事費は2350億円。この経費は私たちの電気料金で賄われる。工事が終わっても、周辺の6市村の同意がなければ、再稼働はできない。

同原電では、昨年12月から今年の3月まで、東海村など5市1村の住民を対象に発電所見学会を行っている。私も、どのような工事が行われているのかを確かめるため、今月1日に出かけてみた。最初に全体の工事計画などの説明を受け、バスで現場を案内してもらった。

最大17.1メートルの津波を想定した防潮堤は、原発の施設をコの字形の壁で囲う。地下60メートルの岩盤まで直径2.5メートルの鋼管杭を30センチ間隔で打ち込み、地上に杭を継ぎ足し、コンクリートで覆うというもの。他の工事現場も見て回ったが、こんなことまでして再稼働しなければならないのかと感じた。バスに乗る際、カメラやスマホの持ち込みは禁止され、ものものしい警備の中での見学だった。(元瓜連町長)

洞峰公園の用心棒《映画探偵団》61

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「用心棒」の三船敏郎。イラストは筆者

【コラム・冠木新市】洞峰公園の野球場の青いベンチに座っていると、黒澤明監督作品『用心棒』(1961)が思い浮かぶ。絹市が立つ宿場町でやくざの跡目争いが起き、組が二つに分裂し対立し合っている。その荒廃した町にふらりとやって来た浪人の桑畑三十郎(三船敏郎)が、2人の親分を競い合わせ全滅させ宿場町を整理するお話だ。

三十郎は町の真ん中にある居酒屋に陣取りあれこれ思案し、飲み屋の親爺(おやじ)と状況を分析する場面が面白おかしく描かれる。

いま洞峰公園は、県から市への「無償移管」でグズグズと煮えてきている。昨年末、大井川知事が「無償移管」をつくば市に持ちかけ、公園を引き取らなければ改修計画を進めると言ってきた。私は始め、これは嫌がらせかなと思ったが、いやいやグランピング計画に反対の声が多いので、撤退するための提案かもと好意的に解釈した。

しかし、つくば市はなかなか返事をしない。そんな中、1月27日、近隣の2つのマンション組合が、県案に賛同する要望書を知事に提出した(つくば市にも提出)。受け取ったのは知事ではなく、都市整備課長だった。

そして、1月30日、つくば市の担当課は電話で県の担当部署に、31日夕方には五十嵐市長がツイッターで、受け入れに前向きな姿勢を示した。いくらスマートシティだからといっても、簡単な文書を送るべきではなったかと思う。2月3日の市長会見でも、この方向を確認した。今後、県と市とのやり取り、市議会と市民への説明会が続くことになる。

反対活動した人たちはどう出る?

2006年、『複眼の映像一私と黒澤明』(橋本忍著)が出版された。脚本家・橋本忍が黒澤明とのシナリオ作りの内幕を描いた本である。そこに貴重なエピソードが紹介されている。

「『用心棒』がスタートした時、東宝の製作の総師である、森岩雄氏が脚本を読み、既に撮影が始まっているのに中止を命じた。『この脚本はよくない、黒澤君の撮るべきものじゃない。今、やめると会社の損失は大きい。しかし、黒澤君の名誉には代えられない。即刻中止すべきである』…」

しかし撮影は続行され、大ヒットし、世界的な評価を獲得した。森岩雄はシナリオライター出身のプロデューサ一であり、脚本の良し悪しは分かる人だ。だが、こういうことがたまに起きる。特に演出力がずば抜けている場合、単調な場面を面白く見せてしまうことがある。『用心棒』では、居酒屋の状況説明の場面がそれにあたる。

これから、市議、県議、市民が意見を表明することになるだろう。そうそう、昨年、盛んに反対署名活動した人たちが何を思っているかも気になる。果たして、つくば市に『用心棒』に匹敵する物語が生まれるかどうか、「乞うご期待」といったところだ。サイコドン ハ トコヤン サノセ。(脚本家)

大きなマップケース 《続・平熱日記》127

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筆者の作品

【コラム・斉藤裕之】その日は朝から冷えていた。さて何をしようかとアトリエを見渡していたら、大きなマップケースの中が気になってごそごそと引っ張り出し始めた。これは20数年前、東京のある出版社が引っ越すので不要になったものがあるからと友人からの知らせがあって、のこのこ取りに行ったものだ。

大判の用紙からメモのようなものまで、とりあえずこの中にぶん投げとけばホコリもたからないので、無造作に5段の引き出しに入っている。あれだけ探したけど見つからなかったパンフレット、幼い日の子供たちが描いた絵、描きかけのデッサン…。その中に、フランス留学中に描いたドローイングやエスキースがあった。

少し厚手の紙に色を塗って、それらを切って何枚も貼り合わせたもの。その頃は抽象的な作品を描こうとしていて、セーヌ川の見えるアトリエの壁に貼って描いては切って貼りを繰り返していたことを鮮明に思い出す。その中から、青く塗られた1枚を手に取って眺める。

と、なんだ! 今描いている絵と変わらないじゃないか。紙を切って貼ることが金網と漆喰(しっくい)に代わっただけで、笑ってしまうほど変わらない自分の絵。フランスから帰国して何年が経過したかは、帰国直後に生まれた二女の年齢で分かる。ざっと30年。

例えば引っ越しのたびに捨てられずになぜか手元に残っているもののように、このマップケースの中にも、とりあえずしまい込んだものや捨てられなかったものが入っていて、この色の塗ってある紙切れたちも捨てきれずにフランスから持ち帰って、ここに入れた理由があったはずだ。

それが何なのかを言葉で説明する必要はない。というか、そこに残っている言葉こそが大事なのだと思った。

931211日に描いた絵

それから、マップケースの中にノートほどの大きさの紙に描いた絵を見つけた。黒い空に三つの白い雲が描かれた絵。93年12月11日の日付がある。

なぜ空が黒い空を描いたのかも記憶にない。確かに、冬のパリは鉛色の空が美しいが…。あれだけうろついたパリの街だが、風景を描くことはほとんどなかった。またお腹の大きくなった妻を描いた絵も何枚かあった。当時、絵を描く私の横で無心で紙を切り刻んでいた長女。今そのお腹には2人目の子供がいる。

当時のパリでは寒波という言葉が使われていて、寒波に覆われると街の噴水が凍り、冷蔵庫の中にいるように冷えた。日本では以前は寒波という用語は使われずに、寒気団が云々と言ったような気がするが…。マップケースから取り出した何枚かの紙のドローイングを壁に画びょうでとめた。これに何か描き足してみたいと思ったからだ。

果たして、30年の時と場所を超えて何か描き足せるものだろうか。10年に一度の寒波がやって来た。大陸からの空気を運んで。(画家)

骨の量 《くずかごの唄》123

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】
「93歳ですか。骨の量、多すぎです。すごいなあ」
夫が亡くなったが、コロナのクラスターを恐れて、葬儀など行事一切、私と3人の子供の家族だけで行うことにした。葬儀場の焼き場の職員に言われて、私もその量のすごさに驚いた。

「つぼに入り切れない。崩して入れていいですか」

「おいしそう。なめてみたいわ?」

私は指の先で骨を触って匂いをかいでみた。香ばしくて、炭酸カルシュウム独特のざらつきがあって、とても、いい香りだ。誰も見ていない。しめしめ、安心して指先ですくって、ちょっとなめてみた。香ばしくておいしい。

骨を維持するカルシウムを夫に食べてもらうのに、私がどれだけ苦労したか、誰もわかってくれない。しかし、そのお礼に、彼が私に最後にプレゼントしてくれた味だと思う。

昭和一桁は「もったいない」に弱い

76歳で大動脈解離。「いつ何があってもおかしくない体です」と、医者に言われてから、十数年たつ。「今日は何を食べてくれるかな」と、毎日毎日の食事が、私にとっては闘いの場であった。

牛乳とヨーグルトは、気にいった銘柄を、瓶で家に配達してもう。「ほら、瓶の牛乳がこんなに残ってしまったわ。もったいないから飲んでちょうだい」

昭和一桁生まれは、「もったいない」という言葉に、敏感に反応するのだ。病院の栄養指導で塩分は1日6.5g。コンビニなどで調理済みの食品を買って食べたら、1日15~12gになってしまう。「食べる子魚」「煮干し」「白魚」。魚の加工品は、塩分の少ないものを探すのが難しい。

塩分の多い魚は、家の庭石の上が猫の食事場。市役所の通報で野良猫に食べ物をあげてはいけないことになっているが、野良か、飼い猫かわからない奴がうようよ跋扈(ばっこ)している。

その猫にあだ名をつけて、「今日は珍しくチャツピイが来てくれたわよ」などと、彼の関心を猫に向けて、ごまかして、食べてもらっていた。(随筆家、薬剤師)

やさしい国家が人をしあわせにする 《遊民通信》58

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【コラム・田口哲郎】
前略

1789年のフランス革命のあとに、「人間と市民の権利の宣言」、いわゆるフランス人権宣言が採択されました。この宣言は世界各国に影響を与え、それは当然、日本の民主主義の根幹にかかわるものでもあります。

フランス共和国の人権宣言をごく簡単にまとめるとこうなります。人間は生まれながらにして自由と平等を保証されている。共和国が基本的権利を保証するのであって、ほかの団体などがその権利を侵害してはならない。つまり国家だけが、福沢諭吉が言ったところの「天は人の上に人をつくらず、人の下にも人をつくらずと言へり」を約束できるということです。国民と国家の信頼関係によってすべては成り立っているわけです。

規則と改革

そんなのあたりまえじゃないかと思ってきました。でも、よく考えると、わたしたちは基本的人権によって自由と平等をあるていど享受しているけれども、その自由と平等は完全ではありません。完全な自由と平等の実現はかなり困難でしょう。でも、それでも人権宣言の理念を目指していかなければならない。そのためには、規則よりも人間の真情に寄り添う姿勢が大切です。

そうなると対立するのは、規則と改革です。ある人が困っている。でも規則はその人の望みを解決することはできない。だからその規則を変えるしかない。いや、規則を変えることは国家の根幹を揺るがすので簡単にはできない。しかし、このままでは国家が保証すると約束したその人の自由がないがしろにされてしまう。

こうしたせめぎ合いはとてもむずかしいもので、簡単に答えは見つからないでしょう。でも、基本的人権の理想を実現してゆくためには、変えるべきところを変え、変えるべきではないところを見極めて、「新しく」なってゆくしかない気がします。国家は国民にやさしくする義務があり、それは国家が国家として存続できる条件です。たとえば国民の安全を守ることであり、困っている国民がいたらその声を聞いて社会を変えることです。

近代国家は国民に対して、実はものすごい権力を持っています。その権力を行使して幸福を生み出すのは、基本的人権の理念を理解したうえで、ひとりも取り残さないという難しい課題に積極的に取り組むやさしさです。このやさしさがなければ、国家は暴走して多くの国民を傷つけるだけになります。

天下国家を語るとき、頭でっかちになってもよいと思います。頭でっかちで、同時に手足も大きければ、多くの人をしあわせにできるからです。ごきげんよう。

草々
(散歩好きの文明批評家)

装着型サイボーグのサイバーダイン 《日本一の湖のほとりにある街の物語》8

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装着型サイボーグ「HAL」

【コラム・若田部哲】多くの研究所が立地する科学のまち、つくば。今回はその中でも最先端企業のひとつ、CYBERDYNE(サイバーダイン)についてのご紹介です。同社が開発した世界初の革新的技術・製品について、広報の片見さんにお話を伺いました。

サイバーダインは筑波大学の山海嘉之教授により2004年に設立され、世界初の装着型サイボーグ「HAL」をはじめとする機器により、医療をはじめとして様々な社会課題の解決に取り組んでいます。

HALは、装着するだけで「サイボーグ化」する身体装着型の機器。その仕組みは、体を動かそうとするときに脳から発生するごく微弱な信号をセンサーで検出し、認識した動作に合わせてパワーユニットが作動、装着した人の意思に沿った動きをサポートするというものです。

ここまでは、すごいなあと思いつつ、なんとなくイメージしやすいところですが、さらにここからが驚きです! HALが脳からの信号を読み取りアシストした後、その「動いた」感覚は脳にフィードバックされ、それを繰り返すことにより、身体機能の改善・機能再生が図られるそうです。

つまり、弱って動かなくなってしまった身体機能が、HALのサポートで繰り返し動かすことにより回復し、再度動けるようになるとのこと。日本では、神経筋難病という従来は治療が困難とされていた疾患に対し、機能を維持・改善する効果が認められ、病院で治療できるようになっているそうです。

また海外では、脊髄損傷や脳卒中などの治療にも使われているとのこと。介護などの作業支援用や医療用など、様々なタイプのHALが製品化され、世界20カ国で約2500台が稼働中だそうです。

介助や運搬などに恩恵は多大

さて今回は、イーアスつくば内のつくばロボケアセンターで、高齢者向けのフィットネスプログラムとして、腰に装着するHALを体験させていただきました。ここからはそのリポートとなります。

腰部3カ所に電極を貼り付け、器具を腰と太ももに取り付けると準備完了。腰の装着部がしっかりしているため、それだけでウエートトレーニング時につける保護ベルトのようなサポート感があります。

おもむろにスクワットの動作を開始すると…。かがんで、足を伸ばして立ち上がろうとするや、その動きに合わせてHALが作動し、動きをサポートしてくれます。サポートは自分の動きより早くも遅くもなく、まさに意思と同時になされ、スムーズに立ち座り動作をサポートしてくれます。

その感覚に最初は戸惑いを覚えましたが、何度か繰り返すと、すぐに自然にアシストを受けられるようになりました。なるほど、介助や運搬など、常に腰に負担のかかる分野にあって、この恩恵は多大なるものであることが容易に感じられます。

お話を伺い、また体験する中で、このような技術が地元で生まれたことに誇らしい気持ちが湧いてきました。高齢化社会の進展にあたり、今後さらに人々の暮らしを支えるであろう、同社製品の活躍が楽しみです。(土浦市職員)

①サイクリストの宿(2022年7月8日付
②予科練平和記念館(8月11日付
③石岡のおまつり(9月8日付
④おみたまヨーグルト(10月6日付
⑤冷たくてもおいしい焼き芋(11月12日付
⑥阿見町のツムラ漢方記念館(12月9日付
⑦行方市でコイを養殖(2023年1月11日付

<注> 本コラムは「周長」日本一の湖、霞ケ浦と筑波山周辺の様々な魅力を伝えます

知事との対話の芽―高校が足りない 《竹林亭日乗》1

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【コラム・片岡英明】毎日、竹林と筑波山を見ながら散歩している。天声人語を読むと、コラムとは少し離れた視点で書くようだ。世相と少し離れたところから日記を書いた永井荷風を参考に、コラムの名前をつけた。

片岡英明さん

私は「出会ったところで考える」「対話で耕し合意形成」を心掛けている。その構えの方が疲れず、楽しいからである。では、どんなことに出会っているか。

1月27日のNHK首都圏ニュースのTX沿線特集で、つくば市は高校が足りないことを扱った6分ほどの放送があった。私たちは、2021年5月に「つくば市の小中学生の高校進学を考える会」を立ち上げ、学習・懇談・署名などの活動を行ってきたが、当事者の受験生がマスコミに登場したのは初めてである。

取材された学生の「つくば市は結構人口も増えたので、もう少し高校を建ててもいいと思います」との発言に、「大人がこれに応えなければ」と感じた。

人口・子ども増「第3の波」

つくば市には「第3の波」が到来している。4町村が合併した1987年ごろ、第2次ベビーブーム世代の中学生増が「第1の波」。1989年をピークにして減少に転じた引き波が「第2の波」。多くの都市では、出生率低下により減少が続くが、つくば市は違った。TXが開通した2005年を底にして、中学生は増加に転じた。

TX沿線開発に伴い、2015年以降、つくば市では人口・子どもが増加し、「第3の波」が到来した。この事態への理解が問題解決の最初の鍵だ。

総務省人口移動報告(1月30日発表)によると、茨城県の人口は2年連続して転入超過になった。東京圏からTX沿線に移る人が増えたからだ。県としては、「第3の波」が続いていることへの対応が求められている。

私たちは、子ども増への対応について、県知事や教育長と対話を始めた。森作教育長は県民の声を受けとめ、つくばエリアの県立高校定員について、昨年11月の県議会で「進路選択に影響が出ないように検討し、その計画を示す」と答弁した。

大井川知事も、12月8日の茨城県総合教育会議で「通学圏のなかで学級数が足りないというのであれば、クラスを増やすなど、対応できるように県として努力します」と答えた。これは県との対話の芽である。

既存高の学級増か高校新設か

既存高の学級増か高校新設か? 新設高校は県立か市立か? 二者択一を迫る声もあるが、昨年の教育長と知事の答弁を基点に、まず、学級増の検討を始めてほしい。

教育長が言う「中学生の進路選択に影響がない学級増」とは、つくばエリアの全日制県立高の入学枠を広げ、県の平均収容率に合わせる努力をする「宣言」と考える。県平均に合わせるには、まず現時点で何学級不足か、さらに今後何学級不足するか―明らかにする必要がある。

県と市が生徒数や目標のすり合わせ作業をし、まず必要学級数を検討する。次に、その学級をどう増やすかがテーマになる。そのとき、学級増か高校新設か、県立か市立か―の問いは解消するように思う。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会・代表)

【かたおか・ひであき】福島高校卒。茨城大学農学部卒業後、太陽コンサルタンツ勤務。茨城大大学院修了。39年間、霞ケ浦高校勤務。主な著書は、英語Ⅰ教科書「WORLDⅠ」(三友社、1990年)、「たのしくわかる英語Ⅰ 100時間」(あゆみ出版、同)、「若い教師のための授業・HRづくり」(三友社、2016年)。現在、「つくば市の小中学生の高校進学を考える会」世話人。1950年福島市生まれ、つくば市在住。

つくば市の2大懸案 県が提示した解決策《吾妻カガミ》150

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茨城県庁(左)とつくば市役所

【コラム・坂本栄】つくば市の2つの問題に茨城県が解決案を示しています。市内の公立高不足問題では「県立高に頼らずに市立高をつくったら」と。県営洞峰公園問題では「県の改修案に反対なら公園を無償で譲る。市の考え方で維持管理したら」と。いずれも本コラムが提案したアイデアです。施策立案の参考になったのでしょうか?

市立高をつくるなら県も手伝う

公立高不足問題では、118「つくば学園都市は公立高過疎地」(2021年10月18日掲載)で、「…『市設・県営』はどうでしょう。ハード(校舎)は市が造り、ソフト(授業)は県が動かすという折衷案です。おカネの面では県立or市立よりも両者の負担が軽く、教育効果は県立と同じになります」と提案しました。

6町村が合併して生まれ、中央をTXが通る研究学園都市には、新興市特有の凸凹がいくつか生じています。県立高配置はその一つです。場所が周辺地域に偏り、TX沿線には、高レベルの県立高はあるものの、平均的な学生が通える県立高がありません。そこで、親たちは沿線地域に新しい県立高がほしいと県に求め、市も県に働きかけています。

ところが、県は少子化・人口減という全体の傾向を踏まえ、高校新設には消極的です。つくば市=人口増加市の学生は、▽周辺の人口減少市の高校に通ってもらう(広域圏での過不足調整)▽既存高の学級増で対応する(現施設内でのやりくり)―この2つが県の基本対処方針の柱です。

県に見えている景色(歴史ある旧市の人口減)とつくば市に現出している景色(新興市の人口増)が違う。これが県と市の対立の原因です。しかし、「県立高をつくるのは県の仕事」という市の主張に、上の2本柱だけでは説得力がないと思ったのか、県は「こちらも手伝うから市立高をつくったら」と言い出しました。本コラム案と考え方は同じです。

県と市の公立高論争については、記事「…押し付け合い? 知事『市立を』、つくば市長『県の仕事』」(1月6日掲載)をご覧ください。

市営公園にして維持管理したら

県営洞峰公園問題では、134「…洞峰公園、つくば市が買い取ったら?」(22年6月6日掲載)で、「公園管理費を減らしたい県の立場を考え(魅力度アップの方は勘弁してもらい)、同時に市民の疑問や反対に応えるためにも、洞峰公園を買い取って市営にするのも一案です」と提案しました。

「県の立場」とは、①洞峰公園の運営を民間に任せ(グランピング施設はその目玉)、その収益で維持管理費を捻出したい、②キャンプやBBQ施設を園内に設け、アウトドア活動を振興し、県の魅力度をアップさせたい―ということです。一方、「市民の疑問や反対」とは、③自然公園なのに、キャンプ者の騒音や酒、BBQの煙や臭いは迷惑―ということです。

コラム134の提案は、①と③をセットで解決するには、公園を市に譲ってもらい、公園の現状を維持することで、「市民の疑問や反対」に応えたら、という趣旨でした。この時点では、譲渡額=簿価+アルファと思っていましたから、「買い取ったら?」になりました。ところが、県は市との協議が面倒くさくなったのか、無償で譲ると言い出しました。こちらも本コラムが示したアイデアの対市超配慮案です。

県の提案に対する市の対応は、記事「…市管理も選択肢…市長」(22年12月8日掲載)、同「『無償譲渡を前向きに調整』…市長」(2月1日掲載)をご覧ください。つくば市は県が示した洞峰公園市営化案を受け入れざるを得ないでしょう。(経済ジャーナリスト)

国も地方も政治劣化が止まらない 《地方創生を考える》27

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ダイヤモンド筑波

【コラム・中尾隆友】日銀の異次元緩和が始まってもうすぐ10年になる。異次元緩和の最大の問題は、いくら政府が借金を増やしても日銀が国債を引き受けてくれるので、放漫財政が常態化してしまうということだ。

政府債務は恐ろしく膨らんだ

実際に、一般会計の総額は10年連続で過去最高を更新し、近年は補正予算の規模が数十兆円に膨らむ事態となっている。

その結果、過去10年間で政府債務は恐ろしく膨張した。税収で返す必要がある普通国債の発行残高は、2023年度末に1068兆円になる見通しだ。政府債務はGDPの2.5倍超にまで拡大し、持続的な金利上昇に脆弱(ぜいじゃく)な財政になってしまったといえるだろう。

日本の成長率は大幅に低下した

それに加えて、異次元緩和は経済効率を高める金利本来の機能を損ない続けてきた。その典型的な事例は、金融機関の融資に占める不採算企業の割合が一貫して増加基調で推移してきたということだ。その帰結として、2022年末までの10年で実質GDPは4%程度しか増えず、その前の10年とほぼ変わらない低成長から抜け出せなかったのだ。

この間の日本の潜在成長率は0.8%から0.2%まで大幅に低下した。この点においても、日本は金利上昇への耐久力が著しく弱まったといえる。金利が上がっても成長率が高まっていれば、債務が膨らんでも何とかやりくりもできるだろう。しかし、逆に低くなってしまったのでは、金利が上がると利払い費に窮する局面が訪れるかもしれない。

問題は日銀よりも政治の劣化

この重大な責任は、日銀だけが負うものではない。選挙向けの安易なばらまきに終始し、構造改革を実行してこなかった政府にも大きな問題があるからだ。日銀が大規模緩和をする間、政府は構造改革を進めて経済成長率を高めていくという約束をしたはずだ。その約束を果たさなかった政府の怠慢には、非常に残念でならない。

特に2010年代以降の日本を見ていて不安に思うのは、政治の劣化が深刻だということだ。「政府がいくら赤字国債を出しても、日銀が無制限に引き受ければ問題ない」というジョークを本気で信じる政治家が意外に多いことを、皆さんはご存知だろうか。

これは国政に限らず、地方でもよく見られる現象だ。構造改革を伴わない財政拡大では、その甚大なツケを支払うのは市井の人々だということを忘れないでほしい。(経営アドバイザー)