月曜日, 4月 29, 2024
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最後の一葉《続・平熱日記》129

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筆者の絵

【コラム・斉藤裕之】冬の初めに1人用の土鍋を買った。その日から今日まで、つまりひと冬の間、鍋を食べ続けた。まず大きな白菜を買って、毎日2枚程度を外側からはがして使う。長ネギ半本、豆腐は3分の1。これを基本として、豚、鶏、魚介などの動物性のたんぱく質と、それに合う、塩、みそ、しょうゆ系の汁のシンプルな鍋だ。

好みで春菊とセリをあしらうことはあっても、キノコや他の野菜は入れない。無駄になるものはほとんどなく、残ったら卵などを落として次の日の朝食とした。

気が付くと、油を使うことも全くなくなり、洗い物も少なく、胃もたれなどもない。しかし、量、質ともに極めて質素な夕食なのだが、なぜか体重が増えた。冬の寒さに体がエネルギーを蓄えようとするのか、あるいは寒いのであまり体を動かさないためか。

多分、現代の食事は何を食べても、基本的に栄養過多になるのだろう。今日はハンバーグだの、明日は中華だのと、おいしいものをこれでもかと食べ過ぎているに違いない。それから、毎日同じような物を食べているわけだが、不思議と飽きることはない。

インドの人が毎日カレーを食べるように、フランス人がパンとチーズを食べるように、私の体は米と汁物でできていることを実感する。

余談だが、フランスのポトフという料理は、金偏(へん)にかまどを表す旁(つくり)でできた鍋という字と一致する。学生のころ、フランスから留学してきたエマニエルが作ってくれたポトフの味は、今でも忘れられない。日本では手に入り難い牛の脊椎を入れたポトフ。その中の髄(ずい)がおいしいと教えられてパンにつけて食べた記憶がある。

みんなで「囲む」「つつく」鍋

こうして今風に言うと、「鍋しか持たん」1人鍋生活は続いているわけだが、本来、鍋はみんなで「囲む」もの、「つつく」ものだ。長い間マスク生活を強いられ、パーティションで仕切られたり、人数制限をされたりしていたので、鍋物はしばらく敬遠されていた。しかし、いよいよというかやっとというか、日本でもマスクから解放される日がやってきた。大手を振って、鍋を囲んでつつくことができる日がきたのだ。

しかるに今日は鶏のブツが手に入ったので、いつものように鍋の用意をする。足元にはパク。もちろん目当ては骨だ。こいつが家に来て、ちょうど2年が経った。

思い立って、先日、かつて過ごした茨城町の古道具屋に連れて行った。仲良しだった犬たちと新たに小さな兄弟の保護犬がいて、最初は警戒していたが、やがて仲良く寝床でくつろいでいた。その中の1匹は3月末にもらわれていくという。

春は別れの季節。そして白菜の旬も終わる。いつまでも鍋というわけにもいかないか。よし、次の白菜の最後の一葉を食べきったら、鍋よ、いざさらば…。そして、春は出会いの季節でもある。とりあえずマスクを外してスーパーに行こう。そして春キャベツを買おう。(画家)

つくば市の幸和義肢研究所 《日本一の湖のほとりにある街の話》9

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幸和義肢研究所

【コラム・若田部哲】様々な別れと出会い、新しい人生がスタートする季節、春。今回は、義手や義足といった福祉機器により、多くの人達の新たな一歩をサポートする企業、つくば市の幸和義肢研究所をご紹介します。

2021年に創業100年を迎え、義手や義足・車椅子などの福祉器具の製造のみならず、ユーザーの生活を多岐にわたりサポートする事業内容について、同社の三浦さん、志賀さんにお話を伺いました。

創業は1921年。現在の常総市でメスやハサミなどの医療器具の販売からスタートしました。1983年、社名を「株式会社幸和義肢研究所」と改め、義肢・装具の製造販売を本格的に開始。現在製造する品目は、義手や義足といった義肢・コルセットなどの装具・車椅子や、靴の悩みを解消するインソールなど、実に多彩です。

同社の心臓部ともいえる製作室には、義手や義足などの元になる様々な素材が並び、ユーザー一人ひとりで異なる身体形状に合わせた義肢装具を製作しています。1点ごとに微妙に異なる形状、要求される性能を満たすため、熟練の手作業により製作・調整がなされていますが、さらなる精度向上のため、ユーザーの身体形状を3Dデジタル化し、切削機で身体形状を再現する最新機材「CAD / CAM(キャドキャム)」を導入するなど、品質向上に余念がありません。

ユーザーを「トータルサポート」

また、アフターメンテナンスについての態勢も万全。常に体をサポートし続けるこれらの器具は、強い負荷がかかるため、数カ月ごとの定期的なメンテンスが欠かせません。ところが通常、義肢装具は病院のカルテに基づき製作されるため、ユーザーは転院・転居などにより、義肢装具の来歴が分からない「装具難民」となってしまうことが少なくないのだそうです。

こうした状況を解消するため、装具の状態を常に把握できるよう、製品状態を管理する「義肢QRコード『ぽーさぽーとシステム』」を開発、製品に添付しているとのこと。さらに、約2カ月ごとにメンテナンス会を開催し、気軽にメンテナンスに訪れることができる機会を提供しています。

そして、同社の事業理念で最も特筆すべきなのが、ユーザーの生活を「トータルサポート」するという姿勢が貫かれている点。その一環として、2016年に障害者就労支援継続支援B型「ワーク・イノベーション・センター(WIC)」を設立しています。

これは、それまでは装具による生活のサポートにとどまり、ユーザーの就労までサポートできていなかった、という思いから設立された施設で、既存の建物を改修している場合が多く使いづらい面がある他の就労施設と異なり、設計に十分余裕をとったユニバーサルデザインとなっています。その広さは茨城県内の同種施設では随一とのことで、そのゆとりと細部まで配慮がなされた室内空間に驚きました。

こうした多岐にわたる取り組みを紹介するため、同社では定期的に福祉機器展を開催し、装具の紹介や業界の啓発活動を行っています。開催の際はぜひご覧になり、福祉にかける真摯な思いをご体感ください!(土浦市職員)

<注> 本コラムは「周長」日本一の湖、霞ケ浦と筑波山周辺の様々な魅力を伝えるものです。

これまで紹介した場所はこちら

アーカイブ「遠藤周作『聖書』をゆく」 《遊民通信》60

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【コラム・田口哲郎】
前略

J:COM茨城で放送されている「泉秀樹の歴史を歩く」アーカイブの今月の番組は「遠藤周作『聖書』をゆく」です。以前書きましたが、泉さんは若いころ産経新聞の文芸担当をしていて、遠藤周作と知り合います。昭和41年(1966)のことで、遠藤は代表作『沈黙』を執筆した直後でした。遠藤周作はカトリック作家としての地位を確立し、ぐうたらシリーズ、狐狸庵先生シリーズなどのユーモア・エッセイで一世を風靡(ふうび)していました。

その後、泉氏はフリーのライターとなり、遠藤と親交をさらに深めます。そして昭和44年(1969)に、エルサレムへの遠藤周作の取材旅行に同行します。今月の番組「遠藤周作『聖書』をゆく」はこのエルサレム旅行の模様を中心にすえています。

きびしい神の沈黙とやさしい神の愛

エルサレムはキリスト教の始祖イエスが宗教家として成長し、最終的に十字架にかけられた場所です。聖書のクライマックスの舞台を遠藤周作はカトリック信者として、そしてカトリック作家として旅します。エルサレムは砂漠のなかにある都市です。まわりは荒地でとてもきびしい環境です。このきびしい世界こそが、イエスが生きたユダヤ社会の神、つまりユダヤ教の神ヤーウェのきびしさを生み出したのではないか、と遠藤は考えていました。

そのユダヤ教の改革者としてイエスは生き、そして保守的な人々と対立し、無実の罪で処刑されました。これはとても悲しい出来事です。イエスの弟子からしたら、師匠がみじめに処刑されたなんて、なんとも救いようがないことだったでしょう。しかし、イエスは不思議なことに復活して救い主になります。こうしてキリスト教が生まれました。

この沈黙と見えるみじめさのなかの希望は、なにもイエスの復活物語だけのことではないのです。歴史的なむごい出来事の前にも神は沈黙する。たとえば戦争が起きて、無数の悲劇が繰り返されて終わりません。それについて神は沈黙しているのではないか? 遠藤は神はなぜそんなことをするのか、と考えます。人間の罪を責めて、罰を与える神、きびしい神だけしかこの世にはないのか?

遠藤の答えは、神はきびしいだけではない、イエスは人類のために犠牲となった。それは人類への愛である。そして聖書に描かれるイエスは人間とともに一緒に歩む、やさしい神なのだ。神の沈黙は冷たく、人間を見はなしたように見える。でも、それは物事の一面でしかない。かなしみのなかに希望があるのではないか。神はイエスのように人間を愛している。それは愛であり、いつも人間に注がれている。そのようなイエスのようなやさしい神はたしかにいる。遠藤はこうした信仰を読者に伝えたかったのだと思います。

遠藤周作が亡くなって27年になります。遠藤の遺した作品を読んでみるのは意味があることでしょう。世界が混乱し、さわがしいいま、きびしい神の沈黙ではなく、やさしい神の愛を感じてゆきたいものです。ごきげんよう。

草々
(散歩好きの文明批評家)

高校不足と土浦一高の学級削減 《竹林亭日乗》2

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【コラム・片岡英明】学校とは、3月の卒業式の生徒の笑顔のためにある。自分の指導が行き詰ったとき、私は何度も卒業式の生徒の笑顔を思い浮かべた。卒業式は生徒の笑顔に自信を読み取る日でもある。

3月14日は県立高校の合格発表だが、つくばの中学生にはつらい日である。つくばエリアの中学卒業生に対する県立高校の枠を何とか県平均まで高められないか、そんな思いで小さな「高校進学を考える会」で学習を続けてきた。

昨年11月の森作教育長の「中学生の進路選択に影響がないように学級増を行い、その計画を示す」との発言を受けて、私たちは不足学級数を検討した。その不足学級数と改善案を、2月19日の市民のつどいで説明した。この会合には国会議員をはじめ県議の方が5名参加され、多様な観点から深い議論が行われた。

つくば地区、30年までに25学級不足

私たちの会の計算では、県立高校の平均収容率や高校改革プランから、つくばエリア(つくば市、つくばみらい市、守谷市、常総市)で、現時点で15学級、2030年までにさらに10学級、合計25学級増が必要と分かった。

つくばエリアの中学生のために、25学級増を既存の高校でまかなえるのか? それとも学級増のひとつの方法として、高校新設も考える必要があるのか? 学級増と高校新設は対立的なことではないのだから、冷静に生徒数や算定基準を設定し、議論を積み上げれば、必ず着地点はある。

25学級増には、1校2学級として、12~13校の学級増が必要である。つくばエリアには並木中等や茎崎高校を入れても10校しかない。そのため、エリア外の土浦・牛久・下妻の協力を得る必要がある。また、エリア内の高校でも、校舎の増築・校地の拡張・教育の体制などで、2学級増が実際に可能なのかも検討する必要がある。

土浦一高、24年の入試から改善を

今回の改善案では、25学級増の案、10学級の高校新設含む案、10学級と8学級2校の新設を含む案―3案を提示した。その上で、2024年に県立高校の2学級増と土浦一高の定員削減停止を求めた。

手元に「三六会 卒業60周年記念誌 土中三六回同窓会 H8」がある。片岡久会長の発刊の言葉に始まり、恩師永山正先生からの文もある。地域に根差す伝統校の息づかいが感じられる184ページの大著である。

さて、土浦一高は2020年まで8学級募集だったが、2021年に7学級、2022年には6学級となった。それが、2024年から4学級に半減する。以前は、土浦の一つの中学校から10~20人と入学した話を聞くが、2022年は市内8中学で33人だった。これが4学級となれば、20人ぐらいになると心配している。

三六回の記念誌を読むと、卒業生が地域の伝統校としてネットワークを生かし、土浦の産業や文化を支えていることが分かる。高校を広い視点でとらえ、地元の中学生と高校不足のつくばの中学生のため、さらに土浦地域の発展のために、土浦一高の定員削減を停止してほしい。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会・代表)

亡くなった父の喪主を務めました 《ハチドリ暮らし》23

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道の途中に七福神がいらっしゃいました

【コラム・山口京子】母には、父ちゃんが亡くなっても自分が喪主を務めることは無理だから、京子がやるようにと以前から言われていました。喪主を務めることは難しいと母の様子を見ていて感じていましたので、了解しました。ですが、実際喪主をしてみると、わからないことが多くありました。

施設で亡くなった父の遺体をどこに安置するのか? 葬儀社は事前に契約しておらず、実家のある農村がよく利用する葬儀社に連絡しました。遺体の移動と葬儀の依頼の電話を入れると、3時間後に施設に引き取りに来てくれました。

自宅ではなく、葬儀社の安置室においてもらうようにお願いし、そのまま葬儀会社の応接室で、今後の打ち合わせが始まりました。まずは火葬場の空き状況、そして、菩提(ぼだい)寺の住職の日程を確認し、通夜と告別式を決めます。お客様情報と葬儀日程表が作成されると、葬儀の見積もりの打ち合わせです。

家族葬で行いたい旨を伝えると、そのコースが示され、そこから選択し、その基本コースに別注品を加えます。遺体の搬送費、引出物、料理などを決めていきます。それらをトータルすると、基本コース料金の約3倍の費用となりました。

また、ご住職へは戒名と本位牌の費用、供養など、合わせて50万円程度のお布施をいたしました。家族葬のつもりでしたが、親戚や村内の付き合いがあった方々がいらして、一般葬のような家族葬でした。

何もわからない私に対して、葬儀社の担当者が丁寧に説明してくれます。無事に葬儀が終わると、今度は四十九日の法要の段取りです。こちらはご住職がリードされ、それを踏まえて、葬儀社に準備のお願いをしました。

宣伝の葬儀費用には要注意

家族葬の宣伝をテレビやチラシでよく目にしますが、そこで示されている価格で、家族が希望する葬儀ができるかはとても疑問です。今回思ったのは、やはり事前に、どんな葬儀を自分は望むのか、それにはどの程度の費用が必要なのかを調べておいたほうがよいということです。葬儀は残された家族の心のけじめをつける場であるのでしょうが、形式的なことに追われてしまいました。

市役所の手続き、未支給年金と母の遺族年金の手続き、各種引落口座の変更、各種契約の名義変更、父名義の財産目録の作成、遺産分割協議の話し合いなどが続きます。先月、施設の経理担当の方から電話があり、父の施設費と医療費が通帳から引落しできないと言われ、現金で持参しました。人が亡くなったあとの手続きについて、経験させてもらっています。(消費生活アドバイザー)

まだまだ終わらない つくば運動公園問題《吾妻カガミ》152

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】前回は洞峰公園問題でしたが、今回は運動公園用地問題を取り上げます。市は運動公園用地という言い方が嫌いらしく、市の記述では「高エネ研南側未利用地」となります。この市有地(46ヘクタール)、すでに倉庫運営会社へ売却され、代金(110億円)も払い込まれています。ですから、大方の市民は「もう終わった問題」と思っているようです。ところが、まだ終わっていないのです。

住民訴訟の水戸地裁判決は夏ごろ

市有(帳簿上は市土地公社)であった土地を買った業者さんは、森林を伐採抜根して更地にし、物流倉庫と電子データ倉庫を造る計画です。そのためには、市の都市計画審議会に用途変更(住宅・文教区画⇒準工業地区)を認めてもらうだけでなく、市民有志による「議会の決を取らないで市有地を売り払うのは違法だ」との住民訴訟で市が勝つ必要があります。

最初のパラグラフで「…まだ終わっていない」と書いたのは、用途変更が承認されないとか、住民訴訟で市が敗訴するようなことになれば、業者さんは買った土地を市に返さなければならないからです。

市担当課によると、用途変更の方は、問題ないとする都計審の判断をチェクする県からも異議は出ず、OKになったそうです。関門の一つはクリアしたわけです。しかし、水戸地裁にかかっている住民訴訟の方はまだ審査中で、判決が出るのは今夏ごろになるようです。

実質的に市が所有する土地なのに、議会の議決を得ないで市の財産を処分した手順のおかしさ、前市長時代に買った運動公園用地を売り急ぐ現市長の政治的理由については、135「…用地売却に見る つくば市の不思議」(2022年6月20日掲載)、137「…市長の宿痾(しゅくあ)運動公園問題」(同年7月18日掲載)をご覧ください。前者では、住民訴訟の訴状全文へのリンクも張っておきました。

高エネ研南と県有地を交換したら?

話を元に戻します。住民訴訟で市が負けた場合(地方自治法と市条例に違反する場合)、どうなるかというと、業者さんは倉庫団地を元の状態に戻して、市に返さなければなりません。そのリスクを承知して(市が負けることはないと思って)土地を買ったわけですが、地裁の判決がどうなるかは分かりません。

業者さんにとって厄介なのは、地裁で市が勝訴し、二つめの関門もクリアしたとしても、土地返却のリスクが消えないことです。というのは、市民有志は、地裁で負けたら高裁、高裁で負けたら最高裁に持ち込むと言っているからです。売買契約には、市が敗けた場合は土地を返さなければならないとの条項が入っていますから、住民訴訟が続く限り、運動公園用地問題は「終わらない」ということです。

土地を買った業者さんは、世界中から高配当を謳ってお金を集め、そのお金で建てた倉庫を荷主に貸して儲ける、外国系ファンドです。土地返却リスクをずっと抱える不透明な状況に耐えられるでしょうか。 売却議案を議会で通しておけば、業者さんは余計な心配をせずに倉庫運営に集中できたのに、市執行部は罪深いことをしたものです。

そこで提案です。運動公園用地を返してもらい、県がTX研究学園駅の北側に持っている準工業地区(C46街区、14ヘクタール)と運動公園用地を交換。同駅近くに市立高校を建て、運動公園用地に県営陸上競技場(県南市町村も資金分担)を造ってもらったらどうでしょう? つくば市の2大懸案、市内公立高校不足問題と棚上げ陸上競技場問題をセットで解決する案です。(経済ジャーナリスト)

日銀と同友会のトップ人事は日本を変えるか? 《雑記録》45

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春到来(筆者撮影)

【コラム・瀧田薫】本年4月、日本銀行総裁と経済同友会代表幹事の任期切れに伴い、それぞれに新総裁と新代表幹事が就任する運びとなっている。

日銀総裁についてはまだ衆参両院の同意を取り付けるなど諸々の手続きが残っているが、経済学者・植田和男氏の就任で決まりのようだ。2月24日付の日経社説は「植田氏は金融政策の明快な説明と対話を」と早すぎる注文を付け、その上で、黒田東彦総裁が主導した「異次元緩和」はほころびが目立つとし、植田氏の最初の大仕事はその修正になるとしている。

新総裁の任期は5年。大仕事だけに、就任早々の進路変更はないだろう。しばらくは前任者の敷いた路線をたどり、不確実な世界情勢や国内政治の動きを見ながら、徐々に日本丸の舵(かじ)を切っていくのだろう。長い目で見て、この国の危機を救う人事となることを祈りたい。

経済同友会については、現職の桜田謙梧代表幹事(SOMPOホールディングス会長兼CEO)が4月末に任期満了を迎える。後任には、サントリーホールディングス社長の新浪剛史氏の就任がすでに発表されている。任期は2期4年。同友会は経済3団体の一つで、経団連は大企業トップの集まり、日本商工会議所は中小企業の立場で政府にもの申してきた。

同友会は一風変わっていて、経営者が個人の資格で参加することもあって、個性派集団であり、時には正面から政府を批判したりもする。新浪氏も改革志向が強い人で、同友会でも副代表幹事として積極的に発言してきた。昨年12月の就任披露の記者会見で「日本は良いものをもっているのに自信を失っている。新しい社会をつくるために変えるべきところを変えていきたい」と語っている。

桜田現代表幹事も、新浪氏について「日本を変える情熱の塊」と評価している。停滞が続く日本経済を活性化するには民間主導の構造改革が不可欠であり、同友会にはその先駆けとなることを期待したい。

民主主義のインフラ、独立財政機関

さて、新浪氏には独自のアイデアもあるだろうが、桜田氏が残した実績のなかで特に継承してほしいものがある。それは同友会による「2019年11月提言」である。提言は「財政健全化や社会保障改革が遅れており、これを改めるには国民が必要とするデータを長期的かつ客観的な視点から提示する機関が不可欠である」として、民主主義のインフラとして「独立財政機関の設置」を提唱している。

2000年代以降、経済危機を契機とし、政府から独立して長期推計の作成などを行う独立財政機関の設立がOECD加盟国を中心に相次いだ。しかるに、この国の長期債務残高のGDP比は最悪の水準にありながら、独立機関の設置には政府与党を中心に反対が強く、提言は顧みられることなく今に至る。

新浪氏には、複眼的に将来を展望する社会の構築を目指し、独立財政機関の設立を広く国民に向けて主張してほしい。(茨城キリスト教大学名誉教授)

情報は道具《続・気軽にSOOS》128

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【コラム・浅井和幸】なんだ、そんなことも知らないのか、〇〇のくせに。〇〇は大人を入れてもよいし、カウンセラーなどの職業を入れてもよいです。このような言葉で自分の知識を武器に、相手を見下す場面に遭遇することがあるでしょう。

近年、インターネットとスマートフォンの普及で、知識や情報は手軽に手に入りやすくなりました。すぐ人に聞かないでグーグルで検索をしろという「ググレカス」という言葉ができ、今ではその言葉も廃れ、検索はツイッターも使って調べるなど、どんどん変化してきています。

情報があふれる中、「そんなことも知らないのか」と、情報が頭に入っていることを自慢したくなるものです。何かを覚え、その記憶を引き出して使うことは大切なことです。何かのテストのときは、記憶力は大きな武器となるでしょう。

しかし、その場面ですら、情報を道具として問題を解くという目的のために使っていることになります。さらにそのテストも、何かの資格を得るため、収入を得るため、栄光を得るため―などの目的を達成する道具と言えるでしょう。

冒頭の例は、情報という道具を、相手を見下すために使うことです。はっきり言って、つまらない使い方ですね。しかも、その本当の目的は、意識的であれ無意識であれ、自分を偉い人だと思ってほしい、自分の地位などを守りたいというものです。

ですが、見下された相手からすれば、自分を見下す相手を偉いとか、たたえるとかとは程遠いものになります。パワハラのように力関係があれば、表面上は偉いですねと言うかもしれませんが、その場の表面上だけのことにすぎません。

ポジティブ・ネガティブな使い方

手段と目的を正しく認識することは難しいものです。そして、その道具(情報)は使いようによって、ポジティブ、ネガティブ、どちらのためにも使えるものです。

例えば、カウンセリングの知識や手法を使って、相手を苦しめることだってできます。カウンセリングの知識や情報を持ち、それを使えば、相手は気持ちが楽になり、幸せになれると思い込んでいる支援者すらいます。

相談の場面で、教科書に載っている通りに、あるいは偉い先生が言った通りに共感をしておけば、悩んでいる人のためになるのだと目の前の現実を見ずに実行してしまって、相手を傷つけ続けてしまうことも実際にあります。

情報や技法などは力ですが、自分や相手の目的に即した使い方をしているか、検証をしておいた方がよいです。自分の正しさを証明するために、相手を傷つけるようなことを繰り返していたら、本来の目的を外れ、いつしか自分自身が傷つくことになるのですから。(精神保健福祉士)

日本一の獅子頭から自転車散歩《ポタリング日記》13

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日本一の獅子頭

【コラム・入沢弘子】春らしい陽気に誘われ、桜の名所・常陸風土記の丘に来ました。石岡市のウェブサイトで案内されている“サイクリング拠点の無料駐車場”に車を止め、BROMPTOM(ブロンプトン)を組み立てます。

自転車を押しながら入口の長屋門をくぐると、見事な茅葺(かやぶき)住宅が出現。L字型の住宅は「曲屋(まがりや)」と呼ばれるもの。中はソバ屋さんとして使われています。園内を進んでいくと、江戸時代の会津地方の茅葺民家を移築したものもありました。ここ常陸風土記の丘は、茅葺屋根のふき替え技術継承のために、職人の育成も行っているそうです。

さらに行くと、巨大な獅子頭が見えてきました。「石岡のおまつり」で町を練り歩く幌(ほろ)獅子の獅子頭を巨大化し、展望台にしたものです。この大きさは日本一。ちびっこ広場を見下ろす階段の上に鎮座します。迫力満点の獅子頭は、子ども時代だったら怖かったかもしれません。

茨城のブランド豚の故郷

獅子頭にご挨拶をしたら横道から自転車に乗り、ふるさと農道をスタート。走り始めると、すぐに上り坂。しかも結構長い。立ち漕(こ)ぎをしながら頑張りますが、既に脚がつりそう。

坂の上には「鬼越峠の梅林」の看板がありました。左手には白梅の梅林。甘い香りが漂っています。ここからは下り坂。頻繁に横を通るトラックに注意しながら快適に進みます。坂を下りると、「茨城県畜産センター」の看板。後で調べたらfacebookもあり、かわいい子豚の生育状況なども掲載されていました。茨城のブランド豚の故郷なのですね。

平地に出て視界は開けましたが、車やトラックの通行量も多いです。前方の、峰が一つになった筑波山を眺めながら走ります。なだらかな山脈に囲まれるように民家と田畑が広がる風景は癒されます。「手打ちそば」の幟(のぼり)もちらほら。八郷地区に入ったのでしょうか。

季節限定のいちごパフェ

初めて信号のある道にぶつかりました。下青柳の交差点を右折すると、すぐに「いばらきフラワーパーク」。スタートから約90分。全身汗だくです。入園料が不要のフラワーパーク併設のRose Farm Market & Caféで、近所の農園の朝摘みいちごを使ったいちごパフェを注文。酸味と甘さに癒されながら帰り道を思い、ちょっと憂鬱(ゆううつ)な仲春(ちゅうしゅん)の午後でした。(広報コンサルタント)

<お知らせ>このコラムは筆者の都合により今回が最後になります。

手紙を書くということ《ことばのおはなし》55

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私の筆記用具

【コラム・山口絹記】私は手紙を書く。手紙を書くときに考えるのは、便箋と封筒と切手と封の組み合わせ。そして相手に伝えたいことだ。写真を入れるか、挿絵を描くか、なんてことも考える。

手紙を書くときに下書きはしない。構成も考えない。ただ、はじめにどうしても伝えたい一文を決める。それに向かってひたすらことばを繋(つな)いでいく。だから、とんでもないことになる。書きながら、弱気になったり、おどけてみたり、誤魔化(ごまか)してみたり。

どうしてこんなにも大変な労力をかけて手紙を書くのだろう。これはたぶん、ことばに質量を持たせたいからなのではないかと思う。紙に万年筆のインクが染みこみ、やがて水分が蒸発しても、そこには染料や顔料が残る。空気の振動でもなく、0と1の信号でもなく、何かもっと、確かなカタチをもって、伝えたいことがあるのだと思う。

そうして伝えることばに、託したい想(おも)いがあるのだと思う。伝えるべきことは、自分の意思をもって、何を介すことなくできる限りを尽くして伝えたい。だから、手紙を書く。字、汚いのだけど。

手紙を書き始めると「あーあ、ことばなんて」と思うことがある。ことばなんて、くだらない。つまらない。恥ずかしい。どうせことばにしたところで。それでも、伝えたいことをことばにしないのは、ただの怠慢なのだ。うまい言い回しができなくても、ちょっとタイミングが悪くてもいい。

伝えたいことに質量をもたせる

手紙を書いたら、できるだけ早くポストに投げ込む。送ろうかどうかいつまでも迷っていると、相手が消えていなくなってしまうこともある。その手紙は、読む人を失って、机の奥底で静かに死ぬことになる。たまに読み返そうと思うのだけど、その勇気はなかなか出ない。かといって、捨てる勇気もない。そういうのは辛(つら)いからイヤなのだ。

私には、時折思い出したように連絡をとるひとがいた。もう10年以上の付き合いだった。最近、いつものように、ふと電話をかけてみると、通じなかった。なんとなく胸騒ぎがして、書留で手紙を送ったものの、数日後に宛所(あてどころ)がないと戻ってきてしまった。私よりずっと年配で、共通の知り合いもおらず、もうどうしようもない。三十路を過ぎてからというもの、少しずつこういうことが増えてきた。 それでも、私は手紙を書き続ける。伝えたいことに質量をもたせるために。(言語研究者)

認知症予防 事故すれすれの日々《くずかごの唄》124

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】夫は76歳で大動脈解離(かいり)。運よく命はとりとめたものの、「いつ何があってもおかしくない体」を自覚して、93歳まで楽しい宇宙人を生きてきた。

80歳から、蜂窩織炎(ほうかしきえん)、骨折、動脈炎、鼻出血、肺炎などでの入院が7回。そのたびに医療関係者の方にお世話になり、感謝している。私に出来ることは、食事、睡眠の管理のほか、精神的支え、認知症の予防がある。「死にもの狂いでやるしかない」と決心した。

「おじいちゃんに似てきましたねって、言われてしまったよ」

「髪の毛が黒いって、褒めてくれたの。おじいちゃんも85歳で白髪がなかったわ」

暗い方に持っていきたい話題を、明るくはぐらかすのだ。

「困ったなあ…、似てほしくないよ」

「親子だから似るのは仕方ないわよ」

「親父の最後が大変だった。あんなこと誰にもさせたくない」

舅(しゅうと)は、昔ながらの家の存続しか頭になかった。期待していた長男に死なれ、鬱(うつ)状態になってしまったが、しっかりした姑(しゅうとめ)と隠居所で暮らしていた。しかし、姑の突然の死亡で、「ボケ」といって、何とか世間体をごまかしていた鬱病が、ノコノコと這い出してきてしまったのである。

「死にたい」と言い出すと、紐(ひも)状の物を首に巻き付けてしまう。ネクタイ、腰紐など、紐類を全部隠したが、カーテンの紐を首に巻き付けてしまった。

仏壇の下に蝋燭(ろうそく)のマッチがあるのを知っていて、マッチをすってしまう。布団と畳のボヤが2~3回。幸い、早く見つけて消すことができた。事故すれすれの日が続く。

「手を縛らせていただきました」

千葉大学の外科医の兄も心配して、精神科に詳しい友達の医者がいる病院に入院させてくれたが、今のように老人性鬱病のノウハウがしっかりと確立されていない時代だった。「立派な鬱病です。危険なので手を縛らせていただきました」。両手ともベッドの枠に縛られて、動かせないようにしてある。

家に帰りたいと言っているが、私が家で手を縛ったりしたら、ご近所や親戚の婆さんたちに何を言われるかわからない。さあ、困った。家に帰る条件として、事故につながる危険なものは一切触らないという約束をして、家に連れて帰ってきた。

夫は東京勤務。私は薬局と3人の子供の子育て中。舅生存の5年間、よく体が持ったと思う。(随筆家、薬剤師)

「さつまいも博」に行ってきた 《邑から日本を見る》130

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大勢の人でにぎわうさつまいも博の会場

【コラム・先﨑千尋】全国のさつまいも産地や専門店が一堂に会する「さつまいも博」が、埼玉県さいたま市の「さいたまスーパーアリーナ」で先週開かれた。私はひたちなか市の干し芋生産農家の人たちと24日に行ってきた。22~26日の会期中に5万人が集まったという。この「さつまいも博」は、同実行委員会がさつまいもの多彩な味わい方やトレンドを発信しようと2020年に始め、今年は3回目。

同博名誉実行委員長の山川理さんは「さつまいも博は、さつまいもの優れた点を社会にアピールし、生産者と加工業者、消費者との絆を深めることが目的。ロシアのウクライナ侵攻は、肥料やエネルギー資源の世界的な不足を引き起こしている。この影響は農業にも及び、資材の高騰など経営の圧迫につながっている。さつまいもは最低限の肥料や農薬、農業資材で生産され、食料危機を回避できる大切な食べ物だ」とメッセージを寄せている。

会場には、地元埼玉のほか、沖縄や宮崎、神戸、京都、新潟などの焼き芋・スイーツ専門店など26店が、自慢のさつまいも製品を出品。そのほか、鉾田市やなめがたしおさい農協なども出店していた。けやき広場に設けられた会場の各ブースには、焼き芋や干し芋のほか、さつまいもを使ったアイス、プリン、ポタージュ、サンドイッチ、豚汁など約200種類のメニューが並んだ。生イモを買えるコーナーもあった。

同博の目玉は、ナンバーワンの焼き芋を来場者の投票などで決める「全国やきいもグランプリ」。参加した焼き芋店から自分の好きな焼き芋を購入。食べ比べをして、うまいと思った店に投票する。

ひたちなか市は業者も農協も不参加

各店自慢の焼き芋は、イモの種類や焼き方などで味や食感が異なる。熟成、つぼ焼き、塩味、超密、オリーブ焼き芋など、セールスポイントはさまざまだ。芋の種類も、人気が高い紅はるかやシルクスイート、安納芋など、「ほくほく系」と「しっとり系」があり、熟成期間や焼き方に工夫をこらしている。本県からは、行方市の「なめがたファーマーズヴィレッジ」と東海村の「㈱照沼」がエントリーしていた。

同博は入場時間に制限があり、2時間が限度だ。時間で区切って来場者を入れている。時間前から行列ができ、若い男女がほとんど。私たちのような高齢者は少なかった。私たちは同博から「いもの町」川越市に回ったが、こちらも、平日にもかかわらず、すごい人波に驚いた。若い人の着物姿も多かった。駐車場はどこもいっぱい。店もにぎわっている。私が住んでいる那珂市の近くの神社の祭りでも、これだけの人は出ない。

今回同博に行って気づいたのは、日本一の干し芋産地であるひたちなか市からは、業者も農協も行政も参加していないということだった。

さつまいもや干し芋は、健康食品、自然食品としてブームが続いており、農産物として人気が高い。これだけ人が集まるイベントに関心を持たない最大の干し芋産地。それはどうしてなのだろうか。そんな所に出なくとも、売れているからいいということなのだろうか。もったいないではないか。同行の人たちと車中でそう話しながら帰ってきた。(元瓜連町長)

ふるさと納税の顛末記 ④ 《文京町便り》13

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土浦藩校・郁文館の門=同市文京町

【コラム・原田博夫】ふるさと納税による市町村民税(個人)控除額は2022年度、全国では540億円超で、前年度より168億円増えている。初年度(2009年度)の19億円と比べると、28倍である。控除額=流出額の多い地方自治体はほとんどが大都市である。高所得者で、インターネットやSNSへのアクセスが日常的で、目端(めはし)の利く大都市住民がこの制度を活用しているようだ。

ところが、この市町村民税(個人)控除額の流出のうち75%は、地方交付税制度で多数派の交付団体ではカバーされる。ただ、少数派の不交付団体は、ふるさと納税の流出額はカバーされない。

そもそも地方交付税制度(普通交付税)では、それぞれの自治体ごとに標準的な財政運営と財政収入を想定して、基準財政需要額と基準財政収入額(標準税率による地方税収の75%)を算出して、前者が後者を上回る分を財源不足とみなし、その不足分が交付額になる。

前者が後者を上回れば交付団体となり、下回る場合は財政的に富裕とみなされ不交付団体となる。交付団体において、ふるさと納税の流出額の75%がカバーされるとは、この仕組みによる。

一方、不交付団体ではこうした補填(ほてん)がきかない。不交付団体は2022年度では、東京都と72市町村(市町村総数は1718)である。東京都(および23特別区)はこの地方交付税制度の創設(1954年度)以来、一貫して不交付団体である。都内の市町村の中にも不交付団体がある。現に2022年度は、全39団体中9団体が不交付団体である。茨城県では、つくば市、神栖市、東海村の3自治体である。

他方、東京23区は、東京都と同様に地方交付税制度では不交付団体である。ところが、市町村民税(個人)控除額のランキングでは、全国20位までに東京都23区のうち8区が入っている。特別区長会ではかねてから、ふるさと納税制度の問題点を指摘し、廃止も含めた見直しを要望している(例えば2017年3月13日付)。

2019年6月から新制度がスタート

こうした経緯を経て、2019年6月1日からふるさと納税の新制度がスタートした。返礼品を「寄附額の3割以下の地場産品」に限定し、ルールを守る自治体のみ税優遇を認める、というもの。総務省は2019年5月14日、この新制度を利用できる地方自治体を公表した。この新制度には、東京都はそもそも手を挙げなかった。

また、税優遇を受けることができないとされたのは4市町、税優遇期間が4カ月(2019年9月30日まで)に限定されたのは43市町村(茨城県では稲敷市、つくばみらい市)だった(これらの市町村は、いわばイエローカードで、再度の申請は可能)。

ここ10数年の展開を見ると、この制度の立ち上げをリードしたと自負している菅義偉前首相に、ふるさと納税制度(案)の問題点を縷々(るる)説明した当時の総務官僚の心配、懸念は杞憂(きゆう)ではなかった。とはいえ、せっかくここまで人口に膾炙(かいしゃ)した制度をご破算にするのは難しい。

せめて、ふるさと納税の寄附先を過疎地自治体885団体(2022年度では全国1718市町村=東京23区を除く=中51.5%)に限定するなどの改革で、当初の問題意識を昇華させたい。(専修大学名誉教授)

今、考えよう! 無報酬性の限界 《宍塚の里山》98

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田んぼの学校での稲作

【コラム・佐々木哲美】私たちの会は、宍塚の里山が土浦市主導による土地区画整理事業で開発されることに危機感を持った人たちにより、1989年9月に設立されました。その後、2003年7月にNPO法人に認証され、2010年に認定NPO法人として承認され、現在に至っています。

認定NPO法人でありながら、専従の職員もいなければ、有償のスタッフもいない、ボランティア団体のままの運営方法をとっています。多くの方に宍塚里山の良さを知って頂き、支援者を増やすために、様々な活動を立ち上げ、ほとんどのイベントを無償で提供しています。

おおらかで自由な雰囲気もあり、新たな参加者が増え、活動も活発に行われ、盛況をみせています。

しかし、活動が広がると、他の人が何をやっているのか関心がなく、自分の興味があるところだけしか参加しない人や、無償のサービスを受けていながら意識しない人が多くなっているように感じます。

組織には、その基盤を支える労力、マネジメント能力を備えた人材と資金が必要です。そういった外部から見えにくい負担が一部の人たちにのしかかってきています。

無償でサービスを提供できるのは、無償で奉仕してくださる方がいるから成り立ちますが、そのバランスが崩れようとしています。また、無償性であることを誇りにして参加している方もいますが、無償にはなじまない専門性が必要な作業もあります。

NPO=ボランティア」ではない

一番の問題は、行政をはじめ、多くの人が「NPO=ボランティア」と解釈して対応していることにもあります。

これらの食い違いは、NPOへの理解が浸透していないことから発生しています。NPOとは、Non-Profit Organization(非営利団体)の略称です。非営利とは、収益を得てはいけないという意味ではなく、収益を構成員で分配してはならないということで、収益を得た場合は、それをNPOの事業に使いますという意味です。

また、認定NPO法人制度は、法人への寄付を促すことにより、法人の活動を支援するために、税制上の優遇措置として設けられた制度です。

ボランティア活動とは、自主性、公共性、無償制に基づく地域貢献活動です。NPOも求めるものは同じですが、ボランティアとNPOとの大きな違いは無報酬性か非営利性の違いとなります。

また、NPOと株式会社は、ミッションがNPOは社会的利益、株式会社は株主に対する経済的利益と、違いがありますが、株式会社は企業の社会的責任(CSR)が大きく問われるなど、もはや同一レベルにあると言えます。NPOも企業並みの経営感覚が求められます。

私たちは、特定非営利活動促進法(NPO法)の主旨に沿って、独自の収益の道を模索し、最低限の専従職員を雇用し、ボランティア活動の素晴らしさを生かしつつ、理念に基づいた活動をすることです。そのために、行政、一般市民、参加者もNPO団体を支援し、育てるという視点が重要です。(宍塚の自然と歴史の会 顧問)

金柑と干し柿 《続・平熱日記》128

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【コラム・斉藤裕之】古い友人が訪ねてきた。奥さんは小さなビンをくれた。中には金柑(キンカン)のシロップ漬けが入っていた。子供の頃、金柑は人の庭からもいで食べるものだった。だから、買ってまで食べるものではないと思っていた。事実、毎週のように出かける近くのカフェの窓からは金柑の木が見え、ちゃんと断って何度か口に入れてみたが、甘くておいしかったのだけれども、持ち帰ろうという気にはならないでいた。

ただでさえ果物をあまり食べない私。冷蔵庫を開けるたびに目に入る金柑のビン。なかなかふたを開ける勇気がなかったのだが、冬は案外喉が渇くので、ある日サイダーの中に金柑を入れてみた。

コップの底に残った金柑を口に入れた瞬間、あの独特の風味が甘さとともに広がった。それから、毎日、金柑入りのサイダーを飲むのが楽しみになった。ついでに、レシピを聞いて自分でも作ってみようと思った。けれども今年に限って、くだんのカフェの金柑は不出来で、どうやらシロップ漬けにはできない。初めて金柑を買って作ってみたら、なんとなく同じようなものはできた。まあ、金柑の実を砂糖と蜂蜜で煮るだけだから。

それからしばらくして、またその夫婦がやって来た。どうやらメールで送った画像を見て、私の作ったものがいまいちの出来だと思ったらしく、金柑と蜂蜜とレモンまでそろえて持ってきてくれた。

次の日、久しぶりに次女が東京から帰って来た。駅から降りてきた彼女は金髪だった。美容師という職業柄かどうかは知らないが、毎度変わる髪の色にはもう驚かなくなった。美容師という仕事は、かなりブラックに近い肉体労働だということは想像できる。多分疲れているだろうから、その日はどこにも出かけずに、食べたいと言っていたサツマイモ入りの豚汁を作った。

それから、「これ食べていいの?」と、彼女はシロップ漬けになるはずの金柑を見つけて言った。「どうぞ」。彼女はムシャムシャと金柑をほおばった。

憧れのロッキングチェアーに遭遇

翌日は小春日和の快晴。長女の安産祈願をしに、雨引観音に詣でた。次女と2人で出かけるのは久方ぶりだ。車中、仕事場の話や友人の結婚などの話題とともに、政治家のLGBTに対する発言について彼女は熱く語った。七三に分けたおじさん方よりも、この金髪の姉ちゃんの方がよほど筋が通っていると思った。

岩瀬の中華料理店でニンニク油とどっさりニラの入ったレバー炒めを食べた後、益子を回って帰ることにした。途中立ち寄った古道具店で、憧れのロッキングチェアーに遭遇。ただ今入荷したばかりだという店主の言葉に、勝手に運命を感じる。形、値段ともに納得の上、車に乗せて帰宅。

帰りは助手席でぐっすり寝ていた次女。自分を含めて弟や周りの友人も、彼女の歳には先の分からないなりに希望に満ちた日々を過ごしていたことを想い返した。

数日後、長野の知り合いの方から、まことに立派な干し柿が送られてきた。実は干し柿に目のない次女。金柑のシロップ漬けを送る代わりに、益子で買ったお皿といっしょに干し柿を宅配便で送ることにした。(画家)

「ただいま」「おかえり」 《短いおはなし》12

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挿し絵は筆者

【ノベル・伊東葎花】
妻と別れて、アパートで独り暮らしをしている。
年金暮らしの老人だ。
わびしい暮らしの中にも、楽しみはある。
隣から聞こえる、ほほ笑ましい会話だ。

隣の部屋は母と娘のふたり暮らしだ。
娘は、まだあどけなさが残る中学生だ。
母親は8時に家を出て4時半に帰ってくる。
娘は部活を終えて5時半に帰る。

「ただいま」
「おかえり」
「おなか空いた。ごはん何?」
「今からカレーを作るところ」
「じゃあ私、ジャガイモむくね」

こんな会話が聞こえてくる。何とも幸せだ。
私の家も母だけだった。
もっとも母は夜遅くまで働いていたから、「おかえり」を言うのは私の方だった。
おかずは少なくて、水みたいに薄い味噌汁だったが、今となっては懐かしい。

「部活でレギュラーになれそう」とか、「新しい先生がカッコいい」とか、娘ははしゃぎながら話す。
母親は、どんなに疲れていてもきちんと応える。
ときどき他愛のないことでケンカもするが、夕方にはやはり「ただいま」と「おかえり」が明るい声で聞こえてくる。
ステキな親子だ。

しかしある日、隣の会話が聞こえなくなった。
耳を澄ましても、物音ひとつしない。
どうしたのだろう。旅行でも行ったのだろうか。
気になったが、隣に住んでいるだけで親しいわけではない。
訪ねてみるわけにはいかない。

1週間が過ぎた。カーテンは閉じたままだ。
まさか入院。いや、きっと実家の両親に何かあったのだ。
色々大変だろうが、娘の学校もあるし、週明けには帰るだろう。
早く明るい声が聞きたいものだ。

しかし10日たっても隣の母娘は帰ってこなかった。
私は、たまりかねて管理人に尋ねた。

「205号室の方を見かけないのですが、何かご存知ですか?」
「ああ、引っ越しましたよ」
「えっ、引っ越した?」
「ここだけの話ですけどね、部屋に盗聴器が仕掛けられていたんですよ」
「盗聴器?」
「前のダンナが仕掛けたのかもしれないって、怖がってね。あの親子、ちょっと訳ありだったから。それで、夜中にこっそり引っ越したんですよ。まるで夜逃げみたいにね」

ああ、そういうことか。
寂しいな。
あの明るい「ただいま」「おかえり」を聞くことが、唯一の楽しみだったのに。
盗聴器が仕掛けられていたなんて…。

どうしてバレたんだ?
(作家)

JAつくば市のアグリコ桜楽農園 《菜園の輪》11

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JAつくば市本店前で清水さん(左)と塚田さん

【コラム・古家晴美】今回は、「アグリコ桜楽農園」を運営しているJAつくば市(本店・つくば市東岡)営農部営農企画課の清水祐記課長(49)と農園担当の塚田晴樹さん(23)にお話を伺った。同農園はつくば市内の貸農園としては古株で、約30年の歴史を持つ。市民農園整備促進法の施行(1990年)を受け、合併してできた現JAの前の旧桜農協が設立した。

1区画20平方メートルの耕地を馬蹄(ばてい)型に配置し、境界にレンガを埋めるというおしゃれな空間を演出している。空いた土地には、当初はオーナー制の果樹を植え、そば打ちや餅つき、イチジクのジャム作り、ラベンダースティック作りなどのイベントを、毎月、参加費無料で開催していた。

調理台が付いた談話室、農具の貸し出し、トイレ設備などがそろった共用棟、たい肥・水・マルチの無料提供もあり、施設の充実度は高い。

利用者は農業初心者がほとんどで、学園都市以外にも、土浦や都内からも集まって来た。東京都文京区から毎週リュックを背負って通っていた年配の女性は、開設当時からつい最近まで利用していたという。書面上の契約者は男女比7:3だが、夫婦で来る家庭、契約者は夫だが妻が中心に農作業をする家庭、夫が出勤前に水やりに来る家庭と多様で、実質的な男女比は5:5とのこと。外国籍の方も1割いる。40~50代が多いという。

研究学園都市というやや特殊な環境で、全国から集まって来た見ず知らずの様々な人々が、ここで土を介して交流している。

現在はキャンセル待ち16人

この30年間、農園の運営は順風満帆というわけではなかった。開設して15年くらいは、充足率10割をキープしていたが、10年前には6割程度に減少してしまった。開設当初の利用者が高齢化して脱退したこと、市の補助金が止まり、無料のイベントが開催できなくなったことなど、いくつかの要因が重なった。

そこで、利用料金値下げという一大改革に乗り出した。その甲斐(かい)あって、現在ではキャンセル待ち16人という盛況ぶりだ。特に、コロナ禍以降は、外で体を動かしたいという希望者がおり、増加傾向にあるという。

このような地道な努力のもと、JAは自らの存在のPRも怠らない。直売所もライスセンターも協同病院も、みなJA経営であることを初めて知る利用者もいる。JAの活動を地元の方々に理解してもらう場にもなっている。(筑波学院大学教授)

小津映画が教えてくれるしあわせな日常《遊民通信》59

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【コラム・田口哲郎】
前略

今さらながら、小津安二郎監督の名作をアマゾンビデオで鑑賞しました。紀子三部作と言われる『晩春』(1949年)、『麦秋』(1951年)、『東京物語』(1953年)と『お茶漬けの味』(1952年)です。

小津映画については蓮實重彦氏の著名な評論があり、さまざまな論者がさまざまな切り口で論じています。ですから小生がなにを言ったところで、誰かがどこかで言っているかもしれないのですが、それにしても、小津映画を見たら余韻にひたるだけではなく、誰かに感想を言いたくなるものだなと思いました。

こんなに語りたくなる映画は、そうはない気がします。小生のような者にも語らせるのですから、小津映画の内容の厚さはそうとうなものでしょうし、だからこそ小津映画の評論は絶えず出つづけているのでしょう。

さて、映画素人の小生が感じたことは、セリフのなかの「あいさつ」の多さです。たとえば、『麦秋』で原節子演じる紀子は丸の内でタイピストをしているわけですが、北鎌倉の自宅から通っています。すると、紀子が帰宅すると「ただいま」となるし、出勤するときは「いってまいります」となる。家族団欒(だんらん)のあと、就寝の時間になると演者たちはめいめい「おやすみ」「おやすみなさい」と言います。

冒頭のシーンは家族の朝ごはんのシーンですから、「おはよう」「いただきます」「ごちそうさま」「いってまいります」です。逆にあいさつがこれだけ出てくるシーンの連続なのに、飽きないのです。

「あいさつ」であふれる生活のありがたさ

小津映画は庶民の生活を描いたと言われますが、われわれの日常生活の会話、そのほとんどは「あいさつ」なのではないかと気づかされました。

『晩春』『麦秋』は紀子の結婚が中心テーマなので、人生の一大事です。一大事を決めるときに、家族は話し合い、たまに深い話をします。けれどもそれは「あいさつ」が交わされる長い日常にはさまれて、ときどき顔を出すのです。平凡な日々はなんとなく何度も、何度も「あいさつ」をすることでつつがなく流れてゆく。そこに駆け引きや企(たくら)みなどはあまりない。気をゆるせる相手がいるから成り立つ生活です。

こういう生活がしあわせなのだろうと画面が教えてくれました。ご近所さんとはお天気の話をしなさいと言われます。差しさわりのないおしゃべりをしていれば間違いがないということです。政治、野球の話をすると口論になりやすいから、やめておけとも言われます。

人が熱くなるということは面白く刺激的な話題です。お天気話は刺激がない分、危険もない。これは消極的なリスク管理なのですが、裏返せばこの程度の気遣いで平和な生活を送れること自体がありがたいことなのだということになります。小津映画にはもしかしたら、あたりまえで平凡だけれども、実は理想的で夢のような世界があるのかもしれません。

小津映画の人々のように生きたいものです。ごきげんよう。

草々
(散歩好きの文明批評家)

つくば洞峰公園バトル、勝者は県? 市? 《吾妻カガミ》151

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茨城県庁(左)とつくば市役所

【コラム・坂本栄】県営洞峰公園(つくば市二の宮)の運営をめぐる茨城県とつくば市のバトルが収拾に向けて動き出しました。県が提示した「県営⇒市営」無償譲渡案を市が受け入れる意向を表明したからです。公園運営の考え方では県が譲歩、運営費用の面では市が譲歩するという、双方が納得できる形で決着しそうです。

県の「大人の対応」で決着へ

私は、本コラム134「…洞峰公園問題…市が買い取ったら?」(2022年6月6日掲載)で、公園の「県営⇒市営」を提案、「(この問題で)市と県のバトルが続くことは好ましくありません。それは市と県の関係の泥沼化を意味するからです」と書いたこともあり、親(県)子(市)ゲンカの収束にひと安心です。

県の公園改修計画と市がそれに反対する理由は以下のようなことでした。民活方式で洞峰公園にアウトドア施設を設け、公園を魅力的なものにするとともに、その収益を公園運営費に回して県の歳出を抑える―が県の考え方。これに対し、アウトドア施設は自然公園になじまない、県の計画に反対する―が公園利用者の意を汲(く)んだ市の考え方。

こういった対立を背景に、大井川知事は、▽公園利用者は反対のための理屈を並べている▽市が県に示した運営費補填案(施設利用料値上げ)はバランスが悪い―と市を批判。五十嵐市長は、▽公園は現在の形をいじらない方がよい▽大型テント(一種の住宅)設置は市の権限で阻止する―と反発。それはそれで面白いバトルでしたが、結局、知事が提案した収拾案(無償譲渡という大人の対応)に市長が乗る形になりました。

今度は「市街戦」が勃発か?

「県営⇒市営」で決着すれば、県の計画は無くなりますから、市がこだわった自然公園の形は維持できることになります。しかし、市営になると、これまで県が出してきた公園管理費・施設修繕費は市の負担になります。県は「名(改修計画)を捨て実(費用転嫁)を取る」、市は「実を捨て(費用を負担し)名(現状維持)を取る」ことになります。どちらが勝ったのか? その判定は「名」を見るか「実」を見るかで異なるでしょう。

市は14日、洞峰公園管理費と園内施設修繕費を試算した数字を議会に出しました。それによると、譲り受けに伴う年間支出は、1億5085万円(公園管理費)+7800万円(施設修繕費)=2億2885万円になるそうです。

今年度の全公園(356カ所)管理費は8億9978万円(施設修繕費は別会計)ですから、1億5085万円(今年度比14%増)が大きいか小さいか、意見が分かれるでしょう。市の計算に議会がどう反応したかは、記事「費用負担 年2.3億円 無償譲渡受ける方針を議会に説明…」(2月14日掲載)をご覧ください。

市議の意見や記事に寄せられたコメントを読むと、市民の評価は割れています。赤(止め)派=洞峰公園を使っておらず支出増は認められない。青(行け)派=公園の現状が維持されるのだから負担は仕方ない。黄(待て)派=アウトドア施設を受け入れ県営のままがよい。県とのバトルは収束しそうですが、今度は「市街戦」が勃発(ぼっぱつ)しそうな気配です。(経済ジャーナリスト)

打ち上げ花火、下から見る? 上から見る? 《見上げてごらん!》11

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花火とドローン

【コラム・小泉裕司】今回は花火とドローンのお話。各紙は2月8日付で、「第91回土浦全国花火競技大会での無許可ドローン飛行を書類送検」を報じた。土浦署は、日没後に違法にドローンを飛ばしたとして、航空法違反の疑いで、撮影した男性を書類送致した。

その男性は「きれいな花火を空から撮影したかった」と容疑を認めているという。実際、目視されたドローンは3機。以来、土浦署は捜査を継続していたようで、今回、うち1機の摘発に至った。花火愛好家の1人として、頼もしい限りで、今後の抑止効果を期待したい。

記事を読みながら脳裏に浮かんだのは、ドローンが今ほど普及していない2014年、職場の後輩が喜々として、世界で2番目に見られているという米国の花火ショーで撮影したYouTube動画を教えてくれたこと。

打ち上げ花火の中にドローンを突入させて撮影。今にも燃える星が飛び出してきそうな空撮映像は、まるでSF映画に出てくる、星々の間を高速で飛行する宇宙船のよう。

当時、この衝撃映像に対する評価は分かれており、斬新性が評価される一方、多くの人の上を飛行する危険性が指摘されていた。

こうした中、昨今のドローン技術は日進月歩で、産業や公共現場での活躍は周知のとおり。相まって、操縦資格を取得するためのスクールが増加し、ドローン本体も家電量販店で容易に入手可能な環境にある。

筆者が操縦を初体験したときは、子どもの頃初めてリモコンを手にしたワクワク感を思い出すと同時に、モニターの映像は、さも「空を飛ぶ夢」の実現がかなったようだった。

閑話休題。こうして花火会場の上空に一度飛び立ったドローンを中止させるのは、落下による観客の安全を考えると、至難の業となる。実際、昨年訪れた花火大会で何度かドローン飛行を目撃し、花火鑑賞に集中できない不快な思いを経験したが、大会主催者は、さぞ対応に苦慮していたに違いない。

ちなみに、日本花火鑑賞士会が、大会前、土浦の実行委員会事務局に対策を確認したところ、事前の禁止告知以外の具体策は難しいとのことであった。

ドローン技術は表裏一体

一方、大会主催者が国の飛行許可を得て、例えば、昨年2月、霞ヶ浦湖畔で開催した「大曲 土浦夢の競演!!」や「茅ヶ崎サザン芸術花火2018」のように、上空から、会場や観客、花火の俯瞰(ふかん)映像などを撮影し、記録として後日公表する事例もある。

昨年6月の「東北未来芸術花火2022」では、あいにく濃いかすみで地上からは花火の全容を見ることはできなかったが、その後公開されたドローン映像では、雲上で虹色の輝きを放つ花火が確認された。初めて見る幻想的な光景に興奮した。

まして、このたびのトルコ・シリア大地震の被害調査や震源調査へのドローン活用、ウクライナ戦争で明らかになった不条理な軍事使用を思うとき、ドローン技術は表裏一体、まるで「火薬の歴史」のようだ。

ともあれ、打ち上げ花火は、下から見上げることを前提に、「生け花」のごとく、上空、中空、低空を絶妙に組み合わせた夜空を彩る光の芸術。花火師さんが精魂込めて打ち上げる花火作品に集中したいものだ。

本日は、この辺で「打ち止めー」。「ドン ドーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)