金曜日, 5月 3, 2024
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いばらきフラワーパーク 《日本一の湖のほとりにある街の話》10

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イラストは筆者

【コラム・若田部哲】茨城県の花「バラ」をメーンとするテーマパークとして、長年地域に愛されてきた「茨城県フラワーパーク」。同園は2021年4月、「見る」から「感じる」をコンセプトに、「いばらきフラワーパーク」としてリニューアルオープンしました。

園の設計・運営を手掛けるのは、都内を中心に洗練されたお花を提供する「青山フラワーマーケット」を運営する「株式会社パーク・コーポレーション」。今回は同園広報の潮田さんに、リニューアル後の見どころをご紹介いただきました。

まず挙げられたのが「地域とのつながり」。エントランスに大胆に積み上げられた大きな石は、地元の石職人が切り出した筑波石の石積みです。さらに最初に出迎えてくれるバラは、園の所在地「八郷」にちなみ、フランス語で「八」をあらわす「ユイット」、「郷」を意味する「カンパーニュ」に日本語の「結い」という言葉を組み合わせた、同園のための新品種「ユイット・カンパーニュ」。

レストランでは茨城県・八郷の食材をふんだんに用いたメニューが楽しめるなど、バラを中心とするコンセプトを引き継ぎつつ、地域文化を洗練した形で散りばめたものとなっています。

そして、種々の工夫により体で「感じる」フラワーパークが広がっています。中心となるバラ園は、360度バラの香りに包まれる「バラのトンネル」にはじまり、「バラテラス」や「色別バラ」といった目を楽しませるエリアのほか、「香りのバラ」として様々な香りを楽しめるエリアなど900品種も。

見るだけでなくバラを用いたスイーツなど、味覚でも楽しめるうえ、バラなど季節の植物の蒸留体験といった体験プログラムなど、まさに五感で感じられるコンテンツが展開されています。

八郷の風土を丸ごと楽しめる施設

もちろん、バラだけでなく四季を通じて折々の花々が楽しめるようになっており、4月の今は関東でも有数、100万本のシャガの群落が咲き誇ります。白いかれんな花が、森の中の小道を埋める清々しい美しさは格別。その他の季節も、季節ごとの美しい花やイルミネーションが園内を飾ります。

そして、「100の体験」アクティビティとして、「バラ摘み体験」「季節のボタニカルリースづくり」「季節の花々のポストカードづくり」「パークヨガ」など、花とロケーションを生かし、季節にあわせた様々なアクティビティが用意されています。こうした取り組みにより、リニューアル前と比較してお客様の滞在時間が大きく伸びたそうです。

さらに、リニューアルに合わせ整備された宿泊施設「花やさと山」では、コテージやグランピングなどで気軽に自然と触れ合うことが可能。日中に花を楽しんだら、夜は都会では味わえない満天の星空に出会えます。また、宿泊者だけの特別な体験として、花が最も美しい開園前の早朝の園内を散策することができる、スペシャルな特典も!

22人ものガーデナーが丹精込めて育てる折々の季節の花々と、八郷の風土を丸ごと楽しめる同施設。爽やかな散策が楽しいこれからの季節に、ぜひ足をお運びください。一回では味わいつくせない、四季折々の美しさを体感するために、年間パスポートの購入がおススメです!(土浦市職員)

<注> 本コラムは「周長」日本一の湖、霞ケ浦と筑波山周辺の様々な魅力を伝えるものです。

これまで紹介した場所はこちら

茨城のポテンシャルは高いはずだが… 《地方創生を考える》28

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ダイアモンド筑波

【コラム・中尾隆友】私の持論は「地方経済にとって有望な成長産業は、農業・観光・医療の3つの分野である」ということだ。

産業育成に欠かせない「相乗効果」の視点

実は、この3つの産業は密接にリンクしている。たとえば、海外の富裕層や中間層に、日本への観光をかねて、先端的な医療あるいは人間ドックを受けに来てもらう。そして、湯治などを含めた観光では、ご当地のおいしい日本食を楽しんでもらう。

それができれば、帰国した後も、安全で品質の高い日本の農産物を食べてもらえる機会が増えるだろう。ひとたび日本のファンになってもらえれば、その後もたびたび日本を訪れてもらうことができるかもしれない。

こういった日本の強みを生かせる産業の組み合わせこそが、農業・観光・医療の高付加価値をさらに高め、日本ブランドを確立すること、ひいてはそれが地方経済の発展につながる。そうなれば、中国や韓国、台湾などアジアのライバルたちとの価格競争にも巻き込まれることはなく、賃金水準が比較的高い新たな雇用をつくりだすことができるのだ。

特に茨城県は農業に強く、医療水準が高い大病院が多い。しっかり整備をすれば、モノになる観光資源も少なくない。ポテンシャルは高いはずだ。

「点」ではなく「面」で考える重要性

しかし現状では、農業と医療は国の規制でがんじがらめになっているし、観光は国の経済規模でみると、諸外国に比べて圧倒的に予算が少ないというハンデを背負っている。

茨城県の2023年度の一般会計では、PRによる観光振興や農産物のブランド化など、少ないながら予算が配分されているものの、それよりも予算の硬直化が否めないのは非常に残念に思う。

これは、国と地方自治体が抱える共通の問題点だ。かつて行政に身を置いたからよく分かるのだが、予算を農業という「点」、観光という「点」でしか考えず、相乗効果をもたらす「面」で配分できない仕組み(あるいは慣習)なのだ。

私は「これら3つの分野を10年かけて成長産業に育てることが望ましい」と言い続けてきたが、すでに言い始めてから15年が経ってしまった。地方の活性化を本気で考えるならば、このような閉塞(へいそく)した予算を早く打ち破ってもらいたいところだ。(経営アドバイザー)

おいしいものに宿るもの 《ことばのおはなし》56

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私が作ったペペロンチーノ

【コラム・山口絹記】「神は細部に宿る(God is in the details)」という有名な格言がある。芸術をはじめ、様々な分野よく引用されるものの、実は誰が最初に言ったことばなのかはよくわかっていないそうだ。

ある休日の昼下がり。娘に何が食べたいか聞くと、ペペロンチーノがいいと言う。ニンニクやトウガラシ、バジルなんかをコトコトとキッチンに並べていると、娘がどうやって作るのか知りたいと言い出した。

じゃぁ、作るから見てなよ、ということで、水の入った鍋を火にかけ、にんにくの皮をむきながら説明をする。ペペロンチーノは材料が少ない分、ひとつひとつの素材を丁寧に扱わないといけないということ。ニンニクなら、同じ厚み、大きさに切ることが大切だということ。スライスしたニンニクを見せながらそんな話をする。

沸いた湯に塩とパスタを入れながら娘を見やると、娘は、小さなニンニクのかけらを手に取りながら、それで味が変わるの? と言いたげな表情だ。娘からニンニクを受け取って、オリーブオイルの中に入れる。火を弱火にしてから台の上に娘を乗せて、ニンニクの色が変わる様子を見せた。

ペペロンチーノとひとことに言っても、ニンニクの使い方にはいろいろある。切らずにつぶしていれてしまうこともあるし、みじん切りにすることだってあるのだが、我が家は厚めのスライスだ。芽は焦げるので取り除く。

ひとつひとつのニンニクのかけらがきつね色になり、部屋に食欲をそそる香りが広がる。大きさがそろってないと焦げるものや生焼けのものができてしまうことを説明すると、娘も納得したようだ。

辛い物も食べられるようになった娘

「神は細部に宿るんだよ」と私が言うと、娘は怪訝(けげん)な顔をした。「丁寧に作ればおいしくなるってこと」。私は言いながらバジルとパセリをみじん切りにする。少しのゆで汁を加えてできたソースに、種を取り除いたトウガラシをハサミでちょきちょきと切り入れる。これくらいのタイミングで入れれば辛くなり過ぎず、娘も食べられるのだ。

できたソースにパスタを絡め、刻んでおいたバジルとパセリ、塩を加えてさっと混ぜ、スライスしたレモンを皿に絞り入れてから、その上にパスタを盛り付ける。食べるときに混ぜながら食べるとおいしい。

トウガラシを器用に取り除きながらペペロンチーノをほおばる娘を見ていると、辛い物も食べられるようになったんだな、と感慨深くなる。私はこれといって信仰は持たない。細部に宿るのが神だろうが悪魔だろうが知ったことではないが、あえて信じるものがあるとすれば、おいしいものには幸せが宿る、ということだ。(言語研究者)

大人も知らないキーワード「春闘」 《雑記録》46

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春の花 筆者撮影

【コラム・瀧田薫】3月23日、毎日小学生新聞「大人も知らないキーワード」のページが「春闘」を取り上げていた。もとより「死語」とされて久しい「春闘」であり、子ども新聞によって「大人も知らない語」とされても違和感はない。しかし、死語だったはずの「春闘」が一般紙に頻繁に登場し、子ども新聞によってキーワードとされるに至っては、死語から復活したということだろう。いやそれどころか、今や「春闘ブーム」が進行中、それが実態らしいのだ。

ブーム前段の動きは昨年11月の毎月勤労統計調査が発表されたころに現れた。調査によれば、現金給与総額が前年比1.9%伸びている。しかし、同月の消費者物価上昇率は4.5%。つまり実質賃金は前年比で大幅マイナスである。さすがに政府も危機感を抱き、労使トップに働きかけて、8年ぶりに「政労使会議」を開いた。政府の狙いは「春闘」とタイアップして賃上げの機運を醸成することにあった。

それが効いてか、3月15日に主要企業の賃上げ回答があり、高水準の賃上げが相次ぐこととなったのである。

日本労働組合総連合会(以下「連合」)は3月24日、プレスリリース「2023春期生活闘争 回答集計結果」を発行し、「高い賃上げ額・率回答を引き出した」と宣言し、この水準は比較可能な2013年闘争以降で最も高いとした。連合にすれば、今春闘における高水準の賃上げを、連合が闘い取った成果と言いたかったのだろう。

しかし、今回の春闘の主導権は連合ではなく、政府と使用者側にあったことは明らかだ。連合の報告にある2013年という年は、第2次安倍政権が「政労使会議」を初めて設け、経済界に賃金の引き上げを要請した年である。当時のマスコミは、本来労使交渉で決めるべき賃上げに政府が介入したことを揶揄(やゆ)して、「官製春闘」という言葉を使用するようになった。

「政労使」における労組の衰退

今回、岸田政権によって「政労使会議」が再生され、それと同時に「官製春闘」という言葉も復活したと言えよう。

つまり、今回の「春闘ブーム」は政府と使用者側主導のブームであり、労組あるいは連合の存在は、子ども新聞が指摘したように、大人も知らないほど影の薄いものになっているということだ。現状、政労使のトライアングルは労組の衰退によってバランスがとれていない。このままであれば、この国の権力バランスがさらに不健全なものとなろう。当面、労働者側はOECD諸国の政労使関係に範を求めて自力をつける努力をすべきだろう。

ところで、中小企業の賃金動向は大企業のそれとはタイムラグを伴う。今回の賃上げが中小企業にも浸透するかどうか事態を見守る必要がある。さらに、政府、使用者側そして労働者側も、財務省が公表した「国民負担率」資料、特に昭和45年(1970)からの負担率推移表を手に取り、国民がどれほど重い負担に耐え続けてきたか確認すべきだ。

政府はもとより、使用者側も労働組合も国民全体の生活に責任を負っていることを忘れないでほしい。(茨城キリスト教大学名誉教授)

研究学園駅南の未利用地、自動車研が売却へ 《吾妻カガミ》154

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日本自動車研究所の正門=つくば市西岡

【コラム・坂本栄】日本自動車研究所(JARI)が研究学園駅の南側に保有している未利用地(つくば市学園南、約16ヘクタール)が売却されるそうです。この土地の活用案を公募する「サウンディング(良案収集)」が昨年11月に実施され、近く、取得希望企業から活用計画や購入価格を出してもらう「プロポーザル(事業提案)」が公募されるようです。年内には活用計画と開発企業が決まるのではないでしょうか。

つくば市に残された「一等地」

日本自動車工業会の関係組織JARIのつくば研究所には、楕円形の高速テストコースが設けられていました。ところが敷地内をTXが横切ることになり、2005年、テストコースは水戸市の左上に位置する城里町に移されました。建物などはまだ残っていますが、使っていない広い用地を処分することになったようです。

未利用地はTX線とエキスポ大通りに挟まれた場所にあり、「つくば市に残された一等地。坪(3.3平方メートル)50~60万円はする」(不動産業者)そうです。坪100万円以上する研究学園駅北側の駅前通り沿いに比べれば安いものの、16ヘクタールだと土地だけで240~290億円。これに建物などへの投資が加わると、かなりビッグな開発事業になります。

未利用地の取得を考えている開発会社によると、土地は準工業地域で、建蔽(けんぺい)率60%、容積率200%だそうです。この条件だと、戸建て住宅の建設は無理ですが、マンションは建てられるそうです。オフィスビル、商業店舗、ホテル、軽工業工場、物流倉庫などもOKということです。10数社が公募に応じるとの情報もあり、どんな計画が提案されるのか注目されます。

同地区開発に強い関心を持っている不動産業者は「価格優先で売却するなら、マンション開発業者か物流倉庫業者が落すだろう。事業の採算性を考えれば、どちらの業者も高い購入価格を提示できるからだ。ただ、JARIは売却額にこだわらず、つくばの都市づくりに配慮した開発提案を採用するのではないか」と予想しています。

「スーパーアリーナ」を望む声も

今のところ、研究学園駅南の開発に県や市が関与するとの情報はありません。先の不動産業者は「さいたま市の(スタジアムやホールなどが入る)スーパーアリーナのような公共施設が整備されれば、つくば市の目玉になり、東京からもTXで人を呼べる。県や市が主導してそういった施設を建てれば面白いが、県と市の(ギクシャクした)関係からすると、とても期待できない」と残念がります。(経済ジャーナリスト)

<参考>JARIに未利用地処分の詳細を問い合わせたところ、広報担当者は「公募の公平性に影響を与える可能性があるため回答が難しい」とし、公募については「4月上旬をめどに準備を進めている」と回答してきました。

少子化対策は女性の過剰負担になる 《ひょうたんの眼》56

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駐車場に降り散ったサクラの花びら

【コラム・高橋恵一】少子高齢化を「国難」と言った元首相がいたが、昨年の出生数が80万人を割り込んだ結果を受けて、少子化が大きな国政の課題とされている。

少子化が進めば、若い世代が減少し、高齢者を支える社会保障制度が維持できない。さらに、いずれ人口が減り、経済規模が縮小し国力も低下するとされ、少子化問題を説明するために、若者が数人で高齢者を持ち上げて支えているイラストを示し、将来、少子化で支える若者が減る一方で高齢者が増え、若者が支えきれないとして、世代間の確執をあおり、「高齢者の集団自決の薦め」まで登場している。

その論点を整理する必要がある。人口の年齢区分を、国連(WHO世界保健機構)は、年少人口(0~14歳)、生産年齢人口(15~64歳)、老年人口(65歳以上)に3区分している。前述イラストの若者が生産年齢人口、高齢者が老年人口である。また、国連は、年少人口と老年人口を足して、生産年齢に対して従属人口という区分も設定している。つまり、働き手人口全体で、子どもも老齢人口も支えているのだということである。

国連は、高齢化を7.0%からとし、日本の場合1970年に達し、その後も高齢化が急速に進行した。一方、日本の年少人口は、1970ごろまで40%弱あり、従属人口は、50%を下回っていた。このように生産年齢人口比率が高い時代を「人口のボーナス期」というが、大戦終結後の欧米や日本にほぼ同時期に現れ、世界的な高度成長期となった。イラストで言えば、支える若者数が、子どもと老齢者を上回っている時代である。

スウェーデンなどのヨーロッパ諸国は、この余力を、高齢社会に備えて堅実に生かし、1人当たりのGDPは、世界のトップ水準を維持している。日本は、この「余力」を生かすべき時代を、「ジャパンアズナンバーワン」などと浮かれ、社会保障費や医療、教育費などを軽視して、ヨーロッパ社会に後れを取った。

男性優位社会を根底から直せ

その後の日本の若者支えイラストは、どうなったか? 生産年齢人口は、長寿化で国連の設定を越え、定年延長や再雇用などで、高齢者が就労を続けたのだ。もう一つ、女性が就労に大きく参加したのだ。短絡的にいえば、支える若者(?)が、モデルよりも増えたのだ。人口のボーナス期が伸びたのだ。

しかし、再雇用も、女性の就労参画も、賃金を抑えた。さらに、若者まで、非正規雇用とした。イラストで言えば、支える人数は確保されても、体力の弱い若者なのだ。賃金が安いということは、稼働人数が少ないと同じ、個人購買力が低迷した。

北欧などが国力を高めたのは、女性の社会進出の要因が大きい。社会の男女格差を無くし、女性の能力が大きく生かされた。日本の少子化問題を解決するためには、非正規雇用を無くし、同一労働、同一賃金を制度として保障することだ。

そして、男性優位社会を根底から直すことだ。旧統一教会のお題目でもあるまいに、日本の伝統的家族観などを理由に、夫婦別姓も、同性婚も、LGBTに至っては「理解増進」さえも進めない。今のままでは、結局、子育てが母親の精神的、肉体的、経済的過大負担になってしまう。児童手当の増額や、教育費の無償化などとは次元を変えて、我々の意識切り替えが必要だ。(地図好きの土浦人)

問題解決は後回しに 《続・気軽にSOS》130

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【コラム・浅井和幸】相談を受けていて、問題解決をしてはいけない時期があると感じる今日このごろです。相談に来られた悩める人が解決できると思う手法が、必ずしも解決にならないと感じることがあります。また短期的な解決が、中長期的な事態の悪化につながることもあります。

例えば、人間関係のトラブルで、嫌な相手に仕返しをすれば気持ちが収まり楽になる。例えば、ひきこもっている自分の人生がつらいのは親が自分を生んだせいだから、親に暴力をふるい賠償金を支払わせる。例えば、今の住まいが過ごしにくいところがあるから、とにかく急いで別の場所に引っ越す。

支援の中ではニーズをとらえることが大切だという言葉が飛び交います。ですが、仕返しをしたり、安易に住まいを変えたりすることが、さらなるトラブルや住みにくさを招くことがあります。強迫性障害を持つ方が、鍵が閉まっていることを確認すればするほど苦しくなっていく、アルコール依存症の人が、アルコールを飲めば飲むほどつらくなっていく―ことに似ています。

現状がつらいとき、人は隣の芝生が青く見えます。なので、今と違うところに行けば幸せになれる、少なくとも今よりも楽になれると考えるのです。

確かに、今の生きづらさは減ることは多いのですが、次の場所でさらに別の苦しさが待っている可能性もあります。さらには、今と同じ種類の生きづらさが、さらに上乗せされてしまうこともあります。静かな環境に引っ越したと思ったら、道路工事が始まってうるさいというように。

生活に好循環を起こす支援

物事は様々な要素がそろったときに起こります。一つの要因を取り除いても、総合的な物事が必ずしも自分の都合のよいように変化するとは限らないのです。支援者も、本人が言っているのだから、その言っていることだけ手伝って、その後は支援者には関係ないから言うとおりにしてしまえ、というのはあまりにもお粗末です。強い言葉でいえば、消極的な人権侵害ともいえるかもしれません。

マーケティング用語を使えば、それは「ニーズ」なのか「ウォンツ」なのかと言えるかもしれません。この用語はインターネットで調べてもらえると良いかなと思います。

支援者は被支援者に寄り添う必要はあります。しかし、辛さに直面している被支援者と全く同じ感覚になってしまうと、今だけ乗り切ればいいという安直な支援になってしまいます。

あまりにも辛いときは、休養も必要でしょう。緊急避難も必要です。しかし、長期的に見て生活が好循環を起こすにはどのような支援が必要なのかを考え、被支援者に伴奏できることが大切です。短期的な考えだけで問題解決をしてはいけないのです。(精神保健福祉士)

3回目の桜《短いおはなし》13

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筆者が描いた 満開の桜

【ノベル・伊東葎花】

早春の公園。青空に映える満開の桜。

私は公園のベンチに座って、砂遊びをする息子を見ていた。

「見事に咲きましたなあ」

隣に座る老人が話しかけてきた。

老人は、息子を見ながら言った。

「あの子は、あと何十回も桜を見るんでしょうな」

「ええ、まだ5歳ですから」

「あなたも若い。たくさん桜を見ることができるな」

老人は、ふっと息を吐いた。

「しかし私はダメだ。きっと今年が最後だ」

「そんなことありません。とてもお元気そうですよ」

「そうかね。じゃあ、賭けようか」

老人の目がきらりと光った。

「私があと何回桜を見られるか、賭けるんだよ」

「賭けませんよ。そんな不謹慎な」

「あなたが勝ったら、私の財産をやろう」

「ふざけないでください」

老人は、笑いながら息子に話しかけた。

「ぼうや、好きな数字は何だね?」

息子は、うーんと考えながら「3」と答えた。

「3回か。私が桜を見られるのは、あと3回というわけだね」

「何を勝手に! 賭けなんかしませんよ」

私は、さらうように息子を抱いて公園を後にした。

3年が過ぎた。

あれから3回目の春、3回目の桜だ。

もちろん、ずっとあの老人のことを考えて暮らしたわけではない。

ただ春になって桜が咲くと、どうしても思い出してしまう。

買い物の帰り道、公園の前に救急車が止まっていた。

ベンチで桜を見ていた老人が、急に倒れたのだという。

嫌な予感がした。

公園で老人が亡くなったという話は、近所中で広まった。

老人は「3回目の桜です」と、会う人ごとに話していたという。

あの老人だ。間違いない。

恐ろしくて震えた。まるで息子が予言者みたいだ。

子供が気まぐれで言った数字で、運命が変わるわけがない。

それでも何だか落ち着かなくて、公園に行って、満開の桜に手を合わせた。

どうか成仏して下さいと。

見上げた桜の枝に、白い封筒がぶら下がっていた。

『3年前に、賭けをした方へ』と書かれている。私への手紙だ。

手に取って、恐る恐る中を見た。

老人の、娘からの手紙だった。

『3年前、父と賭けをした方へ』

父は、何かを賭けるのが好きな人でした。だからといって、おかしな賭けを持ちかけられて、さぞ困惑したことと思います。

だけどあの日、父はうれしそうに言ったのです。

「あと3回桜が見られるよ。あと3年、生きられるんだ」と。

父はあの日、余命半年の宣告を受けたばかりだったのです。

3回も桜を見られたのは、あなた達のおかげです。

賭けはあなたの勝ちです。どうか父の財産を受け取ってください。

財産なんて…と思いながら見ると、封筒に1枚の宝くじが入っていた。

ああ、そういうことか。

5億円か、それともただの紙切れか。賭けが好きな老人らしい。

私は、老人の最期の賭けにのることにした。(作家)

個展「平熱日記in千曲」 《続・平熱日記》130

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筆者の絵

【コラム・斉藤裕之】日雇い先生の良さの一つは長い休みがあること。かといって特に計画があるわけでもないのだが、この春休みは、またパクを連れて山口に帰ろうと考えている。そこで気になるのが、このコラムの原稿のこと。気兼ねなく休みを満喫するために、前倒しで原稿を書いておくことにした。

さて、何のことについて書こうかと考えたが、これが出るころには桜の便りも聞かれて、私事としては信州千曲市での個展が半月後に迫っている。特に焦るわけでもなく、平熱で準備を進められているといいのだが、既に今の時点で、DM(個展案内のはがき)の原稿が出来上がってきた。この度お世話になるギャラリーのオーナーさんによるDMのテキストが、何とも私好みだったので抜粋してみたいと思う。

「牛久に音楽ライブを見に行って、併設のギャラリーの個展で一目惚(ほ)れしたのが斉藤裕之さんとの絵との出会い。優れた俳句のような絵っていうのかなあ。誰にでもありそうな親しみやすい日常に、すばやくさりげなくスポットをあててくれて、ハンパない画力が無駄なものを排して、小さなサイズに、十分な想像の余地のある世界というか、宇宙をつくってくれている。ふっと笑えるように、かろやかで楽しい。そして美しい。本展では長野や千曲市の風景も描いて…」

現代美術に関係したお仕事もされていた、オーナーの上沢かおりさん。故郷の千曲市に帰られて、一念発起。時間と手間をかけて、ご自宅を素敵なアートスペースに改装された。アートに対する深い造詣と美学をお持ちの上沢さん。美術に限らず、音楽やその他の表現の場として、また地域の交流の場としての役割も考えていらっしゃる。もちろん故郷への思いは特別なものだろう。

415日~51日、art cocoon みらい

そのオープン企画に抜てきされたことは、何とも光栄である。作家にとって、自分の作品を認めてもらうということは、この上ない喜びなのである。なにせ、日々ちまちまと描いてきた小さな絵だから。そんな私の絵を見つけてくれて、なおかつ、美術界特有の表現を一切排した上沢さん自身の、どストレートな言葉で作品について語っていただいたことに、平熱も上がり気味だ。

だから、ギャラリートークというものにあまり乗り気ではない私も、上沢さんとの掛け合いということを聞いて、二つ返事で引き受けることにした。

さて、当地は日本一の「あんずの里」として知られ、4月の上旬には雪をかぶった山々を背景に満開の花が咲き誇り、まさに桃源郷のごとき景色を楽しめるとのこと。ちょうどそのころ、こけら落としとして富田久留里さんの作品がギャラリーの壁を飾る。第2弾として私の個展「平熱日記in千曲」が4月15日から5月1日まで、千曲市の「art cocoon みらい」で開かれる。お忙しい方はネットでアクセスを! これも今の文化の在り方。(画家)

ひたちなか市で「ほしいも世界大会」 《邑から日本を見る》132

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「世界ほしいも大会」の会場

【コラム・先﨑千尋】「ほしいも学校」という不思議な学校がある。建物がなければ、先生や生徒がいるんだか、いないんだか、外からは分からない。しかし、校歌があり、応援歌まである。一般社団法人として法務局に登記されてもいる。学校は15年前にできた。

その「ほしいも学校」が今月18日、ひたちなか市阿字ケ浦で「第2回世界ほしいも大会」を開いた。氷雨が降る寒い中、会場の阿字ケ浦ふれあい交流館には、北海道から鹿児島県種子島までの県内外の来場者約400人が訪れ、著名人の対談や国内外の干し芋、スイーツなどで干し芋の魅力を満喫していた。開会式では、地元の子どもたちが校歌を歌った。

ほしいも学校は、15年前にグラフィックデザイナーの佐藤卓さんがプロジェクトリーダーとなり、ひたちなか市や周辺の干し芋生産者、研究者、愛好家、商工会議所のメンバーらを集め、2年かけて『ほしいも学校』という本と「ほしいも学校」というネーミングの干し芋を作りあげた。

佐藤さんは超売れっ子のデザイナーで、「ロッテキシリトールガム」や「明治のおいしい牛乳」のパッケージデザインなどで知られている。

第1回の大会は7年前、やはりひたちなか市で開かれた。当初は4年に一度開く予定だったが、コロナウイルスの影響で延期されていた。

天日干しでしか味わえないうまさも

この日の大会は、人気の高いサツマイモの「『べにはるか』の誕生秘話」という講演、料理研究家の土井義晴さんと佐藤卓さんの対談「ほしいもに見る食の未来」、産地報告会、ほしいも販売、ほしいも料理の食堂など干し芋づくし。

干し芋の主要品種である「べにはるか」の開発に携わった、九州沖縄農業研究センター研究推進部の甲斐由美さんは「品種登録までに11年かかった。当初は干し芋用としては期待していなかった。色がきれいで甘みが強く、やわらかいのが消費者の好みにあったようだ。焼き芋などの食用にも向いている。大分の『甘太くん』、新潟の『いもジェンヌ』、静岡の『うなぎいも』などオリジナルブランドも出ている」などと話した。

土井さんは佐藤さんとの対談で、「昔からある玉豊という品種の干し芋がおいしかった。ほしいもの生産は、長いこと風と太陽を活かし、天日で干してきた。その景色は冬の風物詩だった。最近では経済優先、効率化の流れで機械乾燥が主流になってしまった。伝統的な天日干しでしか味わえないうまさもある。両方を活かす二刀流はどうか。玉豊も残してほしい」と、最近の傾向にくぎを刺す考えを述べた。

産地報告会では、国内では栃木県と三重県、海外では韓国、中国、東アフリカのタンザニアの生産者らから、それぞれの取り組みの現状と課題について報告があった(中国とタンザニアはオンライン参加)。

干し芋販売コーナーでは、本県産の他、鹿児島の安納芋の干し芋、タンザニア産の玉豊などが並び、干し芋を使った菓子類も販売されていた。来場者は作り方や味の違いなどを聞きながら、商品を選んでいた。寒かったけれども、心温まる大会だった。(元瓜連町長)

C・フェルバーの「公共善エコノミー」 《文京町便り》14

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土浦藩校・郁文館の門=同市文京町

【コラム・原田博夫】オーストリア・ウィーン在住のクリスティアン・フェルバーによる独語の「Gemeinwohl-Ökonomie, Deuticke im Paul Zsolnay Verlarg, 2010」の邦訳「公共善エコノミー」が、ドイツ在住の池田憲昭氏によって、2022年12月に鉱脈社(宮崎県)から出版された。この著作は2010年の初版以来、8カ国語に翻訳され、14カ国で出版されている。英語版も「Change Everything: Creating an Economy for Common Good, Zed Book, November 2019」(「すべてを変えよう~公共善エコノミーを創出することで~」)として出版されている。

私自身、国際「生活の質」研究学会(ISQOLS)第15回大会(2017年9月、オーストリア・インスブルク大学)で著者フェルバーの基調講演を聴き、その主張と講演スタイルに独自なものを感じた。主張は後述するが、講演スタイルは壇上を縦横無尽に動き回るのもので、その後、彼が作家であると同時にダンスパフォーマーとしても活動していることを知り、さもありなんと得心した次第である。

講演終了後に面識を持ち、邦訳に関してもいくつかのやり取りをしたが、なかなか的確な出版社を見いだし難かった。そうしたところに、今回の邦訳が届いた次第である。私も邦訳の遅滞を(広義の)関係者の1人として気にしていたので、本書が原著から翻訳されたことを、うれしく思う。

そこでフェルバーの主張だが、これまでの標準的な(アダム・スミス以来の効率性を重視しGDP成長を是とするメインストリーム)経済学の認識や前提を覆すものである。彼の主張は、アリストテレス(紀元前4世紀)の経済社会認識に淵源を求めている。今日の経済学は、すべての人間の良き生活を目標とする「オイコノミア」ではなく、本来副次的・手段であるべきお金の獲得と増殖を自己目的とした「クレマティスティケ」に脱している、と非難する。

主流経済学の潮流に異を唱える

そもそも、どの国の憲法にも、人々の平等な幸福追求の権利とその確保が規定されている。ドイツ基本法(1949年5月公布・施行)第1条では、「人間の尊厳」を尊重・保護することが、国家権力の義務とされている。

日本国憲法(1946年11月公布、47年5月施行)第13条でも、「すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由および幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、…最大の尊重を必要とする」と明記されている。アメリカ独立宣言(1776年7月)でも、「すべての人は平等に造られ、…奪うことのできない権利には、生命、自由および幸福の追求が含まれる。…これらの権利を確保するために政府が組織される」と明記されている。

今日の多くの政府が至上命題にしているGDP成長などは、明記されてはいない。それがどうして主客が転倒してしまったのか? メインストリーム経済学の暴走とその潮流を変えたい、というのがフェルバーのそもそもの問題意識である。その主張がどの程度成功しているかは、読者層の広がりから推測したい。(専修大学名誉教授)

お米を買ってもらい、谷津田を保全 《宍塚の里山》99

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宍塚オーナー米の発送風景

【コラム・福井正人】宍塚の里山を構成する重要な環境の一つに谷津田があります。冬にも水が張られた谷津田では、早春、ニホンアカガエルが多数産卵します。カエルが増えると、それを食べるヘビが増え、ヘビが増えるとそれを食べる猛禽(もうきん)類が増えるといった「生き物のつながり」が生まれます。このように、谷津田は生き物の生息域として重要な場所になっています。この環境を守ろうと始めたのが「宍塚米オーナー制」で、今年で25年目を迎えます。

人類が稲作を始めたころ水田が作られたのは、水が手に入りやすい谷津田のような環境だっただろうと言われています。しかし、現代のようなかんがい設備の整った水田耕作では、水が引きにくく、田んぼの形も不揃いで小さく、また周りの木々にさえぎられて日当たりも悪いといった問題があります。さらに、湧き水が入るために水温も低い谷津田の環境は、稲の生育にも作業する人間にとっても不利な状況になっています。

このように、生き物の生育環境としては重要でも、耕作条件としては不利な谷津田での耕作を続けていくためには、いろいろな工夫が必要です。例えば、里山のもつ公益的機能の恩恵を受けている非農家である都市部の市民にもお金や労力を提供していただくことです。私たちの会では、支援としての「宍塚米オーナー制」と労力としての「田んぼ塾」(現在の「自然農田んぼ塾」と「田んぼの学校」)を立ち上げ、谷津田での耕作を維持してきました。

「田んぼの学校」では、たくさんの子どもたちが自然と触れ合い、我々の主食である「お米」がどのように作られるのかを学ぶ場所になっています。

宍塚米のオーナーを募っています

宍塚米オーナー制では、毎年4~9月、谷津田の支援に賛同してくれるオーナーを募り、10月末に谷津田を耕作してくれている宍塚の農家からお米を買い取り、オーナーに発送しています。品種はコシヒカリで、宍塚の里山の猛禽類の象徴サシバにちなんで「宍塚サシバ米」と呼んでいます。

田植え直後の谷津田の田んぼ

具体的な支援となる2023年(第25期)宍塚米オーナーについては、募集が始まっています。精米、玄米の各5キロ、10キロで料金を設定しており、精米5キロの場合で3200円(税・送料込み)、現地引き取りは各800円引きになります。詳しくは事務局まで。ホームページはこちら

宍塚サシバ米を購入して、宍塚の里山の谷津田を支援してくださるオーナーになりませんか。(宍塚の自然と歴史の会 副理事長)

桜と遠藤周作が教える 日本人の心 《遊民通信》61

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土浦市霞ケ浦総合公園のソメイヨシノ(22日)と垂れ桜 (20日)

【コラム・田口哲郎】
前略

東京で桜の開花が宣言され、21日にははや満開。茨城県南の桜も咲き始めましたね。これからがとても楽しみです。毎年、この時期になると街のいたるところで桜が咲きます。満開もすばらしいですが、散りぎわも美しいです。

世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし
(この世に桜がなかったならば、春の気分はおだやかだろうに)

これは有名な在原業平の歌です。古代から日本人は桜を愛してきました。桜の花の咲き方は日本人の心を表している、なんて言われます。桜を見ながら、何もむずかしく考えなくても湧いてくる素直な感動、これが日本人の心というものなのかな、と思ったりします。

それにしても、日本人の心とはなんでしょうか? それについて深く考えたのは、前回も取り上げました作家の遠藤周作です。

いろいろなものを仕立てなおしてきた日本人

遠藤周作は多くの作品を通して、日本人がいかにキリスト教と向き合ってきたのかを追究しました。遠藤は、キリスト教という西洋の宗教は日本人である自分の体にはそのままではなじまないものだと考えました。だから、キリスト教を日本人の自分になじむように仕立てなおすと言いました。

この言葉を思い出すたびに、日本人の心とはなんだろう、と思います。日本人は古来仏教をはじめ、いろいろな宗教を取り込んで、それらを共存させてきました。神仏習合はその典型でしょう。そういった柔軟性を持ち合わせている日本人ならではの発想が遠藤の「仕立てなおし」なのでしょうか。

普段、当たり前だと思っている日本人的な心について、桜も遠藤周作も気づかせてくれますね。おだやかに桜を楽しみたいと思います。ごきげんよう。

草々
(散歩好きの文明批評家)

洞峰公園の市営化、住民投票が必要?《吾妻カガミ》153

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洞峰公園野球場=つくば市二の宮

【コラム・坂本栄】県営洞峰公園(つくば市二の宮)の無償市営化について、市議や市民の賛否が割れているようです。知り合いの市議から市議の皆さんの考え方を聞き、本サイトの記事に寄せられた読者のコメントを読むと、そんな感じがします。151「…洞峰公園問題バトル…」(2月20日掲載)では「今度は『市街戦』が勃発か?」と書きましたが、予想通りの展開になっているようです。

公園の維持管理費と運営構想で対立

151では、無償譲り受けに対する市民の反応を3グループに分けました。市営化によって公園維持管理予算が増えることに反対する派。県のアウトドア施設計画を受け入れて管理は県に任せておいた方がよいとする派。公園の現状が維持されるのだから市の負担増は仕方ないとする派。つまり、公園管理経費の出所、公園運営のコンセプトをめぐる「市街戦」です。

市が県の計画を蹴っていれば県営が維持されましたが、県は「無償で譲るから市の考え方で管理したらどうか」と提案。市が「市営にすればアウトドア施設を止められる」と受け入れたことで、問題が複雑になりました。

無償譲り受けには、市営公園リストに洞峰を加える条例の可決、市営化に伴う必要予算の可決が必要になります。市議さんは両議案に賛成するか反対するか悩んでいるようです。市議さんの場合、先のような議論のほかに、市長提案には基本賛成する(基本反対する)といった会派的な思惑、自分の地盤・支援者は賛成する?(反対する?)といった選挙上の対応もありますから、賛否判断はより複雑になります。

そこで提案です。市民の考えの大勢を知り、市議さんの判断を助けるためにも、住民投票を実施したらどうでしょうか? 以前、総合運動公園の是非判断で使った意見聴取手法です。もちろん、無作為抽出アンケート調査という簡易版もあります。無償譲り受けが正しい選択であることを確認するためにも、市はいずれかの調査が必要でしょう。

県営赤塚公園の方も市営化したら?

先週、国道354号沿いの県営赤塚公園(つくば市稲荷前)に行ってきました。洞峰は市営化されるのに赤塚は県営のままでいいのかと思い、園内を見ておきたかったからです。面積は、洞峰が20ヘクタール、赤塚が8ヘクタール。開園は、洞峰が1980年、赤塚が1981年。両公園の距離は1400メートル。県がセットで造った兄弟公園です。

洞峰公園(上)と赤塚公園(下)の位置:園内の掲示板

洞峰は市営化されるのに、赤塚が県営のままだと、維持管理に差ができないでしょうか? 洞峰が県の手を離れることで、赤塚の管理が粗末にならないでしょうか? 洞峰周辺市民と赤塚周辺市民の住環境に、優劣が生じないでしょうか? 赤塚も譲り受け、市が一括管理した方が、市民の間の公平性は保たれるのではないでしょうか?

私は毎朝、霞ケ浦総合公園(土浦市大岩田、32ヘクタール、1990年開園)を散歩しています。ここは県営区画と市営区画が混在しており、県と市の共管になっています。文化体育館は県、多目的広場も県、水郷プールは市、風車がある湖畔も市―といった具合に。公園造りを決めた知事と市長は息が合っていたようです。(経済ジャーナリスト)

<参考>市長は無償譲渡に伴う議会手続きについて議会をミスリードしています。小森谷議員の「議会に議案として出るのか」との質問に「無償譲渡を受けるのに議会の議決は必要ない」と答弁しているからです。質疑応答の詳細は「…無償譲渡受ける方針を議会に説明…」(2月14日掲載)をご覧ください。

船は軽いから水に浮く 《続・気軽にSOS》129

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【コラム・浅井和幸】船は軽いから水に浮きます。と言っても鉄の塊が軽いと言えるのでしょうか。地球上にあるものはすべからく万有引力の法則をもって地球に引っ張られている。いわゆる物は下に落ちる。あれっ? ヘリウムが入った風船は浮いているなと思う。そうだ、ヘリウムが入った風船は軽いから浮いているんだと考える。

この流れはおおよそ間違っていないと思います。でも、風船より軽いと思われる、ティッシュ1枚や糸くずは下に落ちますね。軽いから浮いて空まで届いていたヘリウム入りの風船と、ゆっくりでも落ちていく糸くずは何が違うのでしょうか。何か引っかかりますね。

この「軽い」という抽象的な言葉が、「引っかかり」の原因となります。軽いとは、何キロ以下が軽いのでしょうか?と考えるのは間違いです。この場合、軽いというのは風船や糸くずの重さが問題ではありません。それぞれの体積に対する重さが、同じ体積の空気より軽いか重いかで、空気に浮くか落ちるかの違いとなります。

冒頭の鉄の塊である船も同じです。船は中が空洞で空気がたくさんあるので、同じ体積の水よりも軽いから浮くわけです。

分かろうとする努力や姿勢が大事

このように基準が違うと、同じ言葉でも全く別のことを指し示し、全く別のふるまいをしてしまいます。明日はいつもよりも早めに家を出るから、早めに用意をするんだよと伝えます。いつもは、8時に家を出ているとします。さて、「いつもより早い」は何時を指すでしょうか。6時30分でしょうか。それとも7時59分59秒でしょうか。

一つの場所でほうきを動かしているだけの子どもがいました。教室全てを掃いてほしいと思った先生は、もっと一生懸命掃除をしなさいと注意しました。その子は、一生懸命一つの場所を倍のスピードで掃き始めました。

一生懸命に頑張っているけれど悪循環を起こしている人に対して、もっと頑張れと言うこと。我慢することも、頑張ることと似た性質があります。頑張ること、我慢することにも、ある程度の心身の余裕が必要です。場合によっては、頑張ることや我慢することのためには、休憩することや手を抜くことも必要になってくることもあります。

うまくいっていない時には、より慎重に、より正確に状況を把握して、より慎重に言葉を選んで使うことが大切です。「より正確に」が大切で、私たちは真に物事を正確に捉えること自体が出来ないのですから、「より正確に」なのです。

分かった気にならず、分かろうとする努力や姿勢を取り続けることは、分かり合えることに近づくとても重要な要素となるでしょう。(精神保健福祉士)

久慈の山々に囲まれた 西金小学校のこと 《写真だいすき》18

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このクラスは、人数の多い学年だったから、1学年1クラスだった。教室はいつもきれいに磨かれていた。撮影筆者

【コラム・オダギ秀】今から二昔も前の1年間、ボクは茨城北部の西金(さいがね)小学校を撮らせてもらった。写真を撮る楽しさを、この時ほど感じたことはない。写真を撮っていたから、こんな小学校に行けた。

西金小学校は、水戸市からは北へ車で1時間30分ほど。久慈郡大子町の入り口付近にある、久慈の山々に囲まれた小学校だった。すべて木造の校舎は、その町の林業で栄えた時代を表していて、雰囲気のあるものだった。長い歴史は持っていたが、児童数の減少によって、2005年3月、閉校された。

閉校前の2004年春からの1年間、ボクは、歴史を終えるその西金小学校の生活を撮らせていただいた。きっかけは偶然で、以前から木造校舎を撮影しておきたいと思っていたボクは、茨城の現役の木造小学校校舎はすでにその西金小学校しかなく、この機会を逃したら、まず木造小学校の学校生活を撮影することは不可能と知ったからだった。ただ撮りたい、という願望だった。

自分自身をスローダウンさせる魅力

その校舎は奥久慈の山間にあり、全校生20人が学んでいた。1年生はひとり。翌年の新入生の予定はなかったから、6年在校生8人が卒業すればあとは12人になり、閉校がやむを得ない状況にあった。人数の少ない学年は、他の学年と一緒に1クラスになっていて、低学年の子は、授業中でも当然のように歩き回って、上級生に教えてもらっていた。

しかし、その小学校の生活は、ボクを、単に、何十年も昔の自分の小学時代に引き戻しただけでなく、生活のテンポや価値観や、空気感、季節感、歴史観、家族観、はたまた地域との関わりなど、様々な事柄を見直し、自分自身をスローダウンさせる魅力に充ちていた。ボクは、西金小学校にはまった。

給食は、全校生と先生全員がひとつの部屋で一緒に食べた。旧いラジカセで、モーニング娘なんかかけながらだった。校舎の周りの木立には、生徒たちで作って掛けた鳥の巣がたくさんあって、野鳥が来ていた。学校で催し事があると、集落の人が、久慈川で取った鮎などをどっさり持ち込んでくれた。流しそうめんの時は、近所の大人たちが仕掛けを作ってくれ、一緒に食べた。

「オダギさんが、ドーナツをくれた」

2005年春の閉校までにボクは、月に3、4日、時には連日、水戸の仕事場から西金に通った。まだ誰もいない真冬の早朝もあれば、暑い夏の夜もあった。時には西金の集落に出て、生徒たちと走り回ることもあった。教室・廊下・校庭で、授業中、休み時間、放課後など、生徒たちと過ごしている時間、ボクは子ども時代に戻った。

撮影しながら、西金小学校の生徒になっていた。だから20年近く過ぎた今も、ボクにとって、西金小学校はボクの母校そのもののように思えて熱くなる。

全校生は20人だし、先生入れてもたいした数ではなかったので、ある日、水戸のミスタードーナツのドーナツをお土産に買って行った。後で先生に聞いたのだが、半分だけ食べて残り半分はティッシュに包み、おばあちゃんにと持ち帰った子もいたという。街にあるような店なんてなかった山間の町の小学校だった。

放課後の教室の壁に生徒の作文があった。「オダギさんが、ドーナツをおみやげにくれた。この次はなにをくれるかなあ」。そう書いてある後に、校長先生が赤ペンを入れていた。「オダギさんはカメラマンです。おしごとで来ているのですから、おみやげはきたいしないようにしましょう」。あの子たちは、もう30歳近くになっているはずだ。(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)

議論は当事者の声を聞いてから 《電動車いすから見た景色》40

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イラストは筆者

【コラム・川端舞】最近、メディアやSNSで、体の性と自認する性が一致しないトランスジェンダーに関する議論をよく目にする。しかし、なぜ「トイレや更衣室の利用」についてばかりが注目されるのだろう。もっと早急に議論すべきことがあるはずだ。

2021年にイギリスのトランスジェンダー当事者であるショーン・フェイにより書かれた「トランスジェンダー問題―議論は正義のために」(明石書店)は、当事者が社会の中で経験する様々な課題を論じている。

同書によると、イギリスではトランスジェンダーの子どもの6割が学校でいじめに遭っているが、その半数がいじめについて誰にも相談できていない。また、トランスジェンダーの若者の8割が、自傷行為をした経験がある。トランスジェンダー全体の4割が、否定的な反応を恐れて、家族に自分の性について話せていない。

本書を訳した高井ゆと里さんの解題によると、日本でもトランスジェンダーを理由に家族から拒絶される当事者は多い。今、世間でトランスジェンダーについて議論している人は、当事者の生きづらさをどのくらい直接聞いたことがあるだろうか。

障害者とトランスジェンダーの連携

私たち障害者も社会から生きづらさを押し付けられてきた。障害者が他の人と同じように、どこで誰と住むかを自分で決めたり、障害のない子どもと同じ学校で学ぶ権利があることを定めた国連の障害者権利条約は、2006年に世界中の障害者が参加して作成された。日本の障害者関連の法律を権利条約に合わせたものに整備するよう、日本政府に働きかけたのは国内の障害者たちだ。

この背景には「障害者のことは障害者が一番分かっている。障害者のことを障害者抜きに決めないで」という信念がある。障害者自身の声によって作られたからこそ、障害者権利条約はそれまで社会から抑圧されてきた障害者の権利を丁寧に規定し、世界中の障害者を勇気づけるものになった。

トランスジェンダーが社会から負わされる生きづらさを一番よく分かっているのはトランスジェンダー自身だ。偏見にさらされやすい今の社会で、人口の1%にも満たないトランスジェンダー当事者が声を上げるのは想像を絶する勇気がいることだろう。しかし、今現在も堂々と情報発信している当事者もいる。トランスジェンダーについて議論するのなら、当事者の声をじっくり聞くことから始めなければならないのではないか。

障害当事者の声を法律や政治に反映させるために長く運動してきた障害者団体の経験は、トランスジェンダー当事者にとっても役に立つだろう。障害者とトランスジェンダーが連携することで、互いに生きやすい社会に変えていく速度を上げられると私は確信している。(障害当事者)

TX研究学園駅前公園の桜 《ご近所スケッチ》3

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研究学園駅前公園の桜

【コラム・川浪せつ子】桜の花の開花を心待ちにする日々です。桜の名所はたくさんありますが、名所とまではいかない穴場スポットがけっこうあります。「研究学園駅前公園」もその一つ。染井吉野はたった1本だけなのですが、古民家「つくばスタイル館」とマッチして、独特の雰囲気をかもしだしています。

つくばエクスプレス(TX)が開通。そして市庁舎が研究学園駅に移転してから、この周辺は急激に人口が増えた所です。その地域で、街の活性化を行っている団体があります。通称「けんがく」。研究学園(けんきゅうがくえん)の略だそうです。「研究学園駅周辺」を「見学しながら」盛り上げていく?なんていうのが、私の勝手な解釈。

その「けんがく」グループが3月25日、この研究学園駅前公園で「さくらまつり」を開催するそうです。どこかな?って、「ラーメン祭り」イベントなどをやっているあの場所です。時間は午前11時から午後3時まで。初春のひと時を、楽しみにお出かけください。

今回は、昨年に引き続き2回目とか。昨年より進化したイベントになっていて、「つくばスタイル館」(古民家)では、私も桜の絵を出展させて頂くことになりました。

出展を勧めてくださったSさんとは、つくば市主催の「ショートムービーコンペディション」で9年前に知り合いました。地域のつながりを深めるため、尽力されている方です。今回、このようなイベントの成り立ちや団体のお話などを、たくさん伺いました。地域の方々が自分に合った活動ができるよう、いろいろな団体があるそうです。

タウンの会、花壇・グリーンの会

その趣旨は、研究学園駅周辺は、移住してきた方=新住民が多いため、地域のつながりがないので、いろいろ協力をして、地域を盛り上げていこうというですね。例えば「グリーンネックレス」の会の中には、「タウンの会」「花壇・グリーンの会」などがあり、ゴミ拾いや駅前周辺の花壇の手入れを、「街の広場」は定期的に広報誌も出しているとか。

お聞きして、私も研究学園駅に住みたくなってしまいました。ゴミ拾いには、多い時で、子供から大人まで60人も集合なさるとか。結束の強さを感じました。

駅から数分の大型ショッピングセンター向かいの「学園の杜公園」の桜並木は圧巻です。横が住宅地ということもあり、家族連れが多く、軽いスポーツを楽しんでいます。研究学園駅方面は新規店舗も多く、便利で魅力的ですね。小中学校も新しく出来たのに、まだまだ人口が増え、新しい小中学校も建てられるそうです。

私は40年前に転居した新住民ですが、いまや「新新住民」の方々が多くなり、うれしい限りです。(イラストレーター)

洞峰公園と「他人の顔」《映画探偵団》62

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「他人の顔」主演の仲代達矢(筆者作)

【コラム・冠木新市】白い包帯で顔をぐるぐる巻いた姿は、まるで透明人間のようだった。仕事中の事故で顔にやけどを負った主人公が、医師によって作られたプラスチック状の仮面を装着する。包帯の時と仮面を付けた時との主人公の心境変化と周囲の反応の違いを前衛的な手法で表現していく。

安部公房原作・勅使河原宏監督の「他人の顔」(1966)は、ゴシック(神秘的で幻想的な)ホラーとも近未来ものとも見える、何とも形容しがたい作品だった。

人間の体の模型やフラスコなどが飾られた、美術館や舞台セットを思わせる病室。顔を失い屈折した主人公を演じる仲代達矢。冗舌に解説する医師の平幹二郎。何か企んでいる風な瞳輝く看護婦の岸田今日子。3人の演技を見ていると、映画とも舞台ともTVともつかぬ、異空間に迷い込んだ錯覚にとらわれる。

そうそう、この作品の美術を担当したのは、後につくばセンタービルを設計する若き日の磯崎新である。

気になるグランピング反対派の沈黙

2月14日の「つくば市議会全員協議会」は記念すべき日になった。それまで、洞峰公園をめぐるやり取りは、大井川知事も五十嵐市長も議員もNHKも新聞も、「無償移管」の表現を用いていた。しかし、この日を境に「無償譲渡」となったからだ。「移管」は公園を県が所有し運営は市。「譲渡」は所有も運営も市となる。

私も含めて、このことを理解していた人はほとんどいなかったと言ってよい。洞峰公園にグランピング施設は必要ないと考えるシン・旧住民の私は、県から市への「無償譲渡亅はよかったと考える1人だ。

知事はグランピングに未練を残し「無償譲渡」を渋々決めた様子だった。しかし、つくば市区の県議は賛成なのか反対なのかはっきりしない。一方、市長は昨年からグランピング反対の狼煙(のろし)をあげ、主張を貫いた姿勢は評価できる。しかし、市議は賛成なのか反対なのかはっきりしない。

さらに気になるのは、グランピングに反対する署名活動をしたグループの沈黙である。当初の主張が実現したのはよいが、今後の公園運営にお金がかかるので、これでよかったのかどうか迷いが生じているのだろうか。

また、洞峰公園問題を他人事として見ていた周辺地域の人たちが、運営費用がかかるため「無償譲渡」に反対だと言い出しているというのだが、本当にそうかどうかは疑わしい。反対ならば、何らかの行動を起こすはずだからだ。

何はともあれ、洞峰公園問題を語る際には、ぐるぐる巻きの包帯と仮面をはずし、「他人の顔」から素顔をさらして意見表明すべきだろう。などなど、洞峰公園の野球場の青いべンチで考えた。サイコドン ハ トコヤン サノセ。(脚本家)

「国策」と無茶苦茶 《邑から日本を見る》131

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北帰行を前に畑でエサを探す白鳥たち(那珂市下大賀)

【先﨑千尋】岩波書店が出しているPR誌『図書』3月号が面白い。巻頭のエッセイのタイトルは「満蒙開拓団の歴史から『国策』を考える」。筆者は『満蒙開拓団』(岩波書店)や『「大日本帝国」崩壊』(中公新書)などの著書がある加藤聖文さん。日本近現代史が専門だ。

加藤さんは冒頭、岸田首相が原発再稼働を決めたことをやり玉に挙げ、「この国は一度決めた国策を止めることはおろか転換することもできない。大日本帝国でも日本国でも国策をめぐる本質は変わっていない」と書く。そして「78年前に破綻した満蒙開拓団を巡る歴史は、国策がどのような背景で生まれ、どのように変質し、悲劇の大きさに反比例してなぜ責任の所在が曖昧になるのか、その本質を見事に表している」。

満州へ移民を送り出すという国策は、一見すると一石二鳥にも三鳥にもなる国策だったが、結末は悲劇でしかなかった。今日の原発政策は戦前の満蒙開拓団の「国策」と同じではないか、教訓とすべきだと加藤さんは言う。

小説家の柳広司さんは「無茶苦茶」の書き出しで、昨今の日本の情勢を表すのにこれほどぴったりな四字熟語はあるまいと書いている。無茶とは「道理が立たないこと。乱暴なこと」、無茶苦茶は「無茶」を強めていう意味の言葉だ。

柳さんが無茶苦茶だと言っているのは、昨年12月に「岸田自公政権が国会でろくな議論もしないで、敵基地攻撃能力保有のための防衛〝軍事〞費倍増を決めたこと。この国の形を変える原発再稼働ならびに稼働期間延長という方針転換を行ったこと」の2つだ。「敵基地攻撃などと口にできる者たちこそ平和ボケしている」という。

「千載青史に汚名を残す」

原発について柳さんは「事故で故郷を失った人たち2万人以上が理不尽な生活を強いられている。だから、再稼働を云々する前に、原子力緊急事態宣言解除に向けた取り組みこそが最優先課題」と言う。

さらに、「現岸田政権関係者、そして今回の基本方針作成に関わった官僚、有識者(って何だよ?)の皆さん、『千載青史(せんざいせいし)に汚名を残す』という言葉の意味がわかりますか? 目先のわずかばかりの地位や名誉やお金のためにフクシマ原発事故で苦しむ関係者の心情を平然と踏みにじり、事故が原因で命を落とした人たちや犬や猫たちのことを忘れ、未曽有(みぞう)のあの原発事故を『なかったこと』にして、日本の未来を破滅に売り渡したあなたたちのことを、私は書き留めます」と糾弾する。読んでいて、そうだそうだと拍手を送りたくなった。

原発事故があった東京電力福島第1原発周辺の地域は、復興事業が進むにつれ、町の姿が半ば強引に消されてしまう。それを恐れた写真家の中筋純さんは、写真の定点記録として原発直下の双葉町などの被災状況を撮影記録し、全国各地で写真展を開いてきた。水俣の伝承活動に倣ったことだと言う。中筋さんの「おれたちの伝承館」という一文は、官製の「原子力災害伝承館」と対比させながら、「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」というドイツのワイツゼッカー大統領の言葉を引き、本当の過去を遠ざけてしまわないように「おれたちの伝承館」を作っていくのだという覚悟を語っている。(元瓜連町長)