【コラム・斉藤裕之】その日は朝から冷えていた。さて何をしようかとアトリエを見渡していたら、大きなマップケースの中が気になってごそごそと引っ張り出し始めた。これは20数年前、東京のある出版社が引っ越すので不要になったものがあるからと友人からの知らせがあって、のこのこ取りに行ったものだ。

大判の用紙からメモのようなものまで、とりあえずこの中にぶん投げとけばホコリもたからないので、無造作に5段の引き出しに入っている。あれだけ探したけど見つからなかったパンフレット、幼い日の子供たちが描いた絵、描きかけのデッサン…。その中に、フランス留学中に描いたドローイングやエスキースがあった。

少し厚手の紙に色を塗って、それらを切って何枚も貼り合わせたもの。その頃は抽象的な作品を描こうとしていて、セーヌ川の見えるアトリエの壁に貼って描いては切って貼りを繰り返していたことを鮮明に思い出す。その中から、青く塗られた1枚を手に取って眺める。

と、なんだ! 今描いている絵と変わらないじゃないか。紙を切って貼ることが金網と漆喰(しっくい)に代わっただけで、笑ってしまうほど変わらない自分の絵。フランスから帰国して何年が経過したかは、帰国直後に生まれた二女の年齢で分かる。ざっと30年。

例えば引っ越しのたびに捨てられずになぜか手元に残っているもののように、このマップケースの中にも、とりあえずしまい込んだものや捨てられなかったものが入っていて、この色の塗ってある紙切れたちも捨てきれずにフランスから持ち帰って、ここに入れた理由があったはずだ。

それが何なのかを言葉で説明する必要はない。というか、そこに残っている言葉こそが大事なのだと思った。

931211日に描いた絵

それから、マップケースの中にノートほどの大きさの紙に描いた絵を見つけた。黒い空に三つの白い雲が描かれた絵。93年12月11日の日付がある。

なぜ空が黒い空を描いたのかも記憶にない。確かに、冬のパリは鉛色の空が美しいが…。あれだけうろついたパリの街だが、風景を描くことはほとんどなかった。またお腹の大きくなった妻を描いた絵も何枚かあった。当時、絵を描く私の横で無心で紙を切り刻んでいた長女。今そのお腹には2人目の子供がいる。

当時のパリでは寒波という言葉が使われていて、寒波に覆われると街の噴水が凍り、冷蔵庫の中にいるように冷えた。日本では以前は寒波という用語は使われずに、寒気団が云々と言ったような気がするが…。マップケースから取り出した何枚かの紙のドローイングを壁に画びょうでとめた。これに何か描き足してみたいと思ったからだ。

果たして、30年の時と場所を超えて何か描き足せるものだろうか。10年に一度の寒波がやって来た。大陸からの空気を運んで。(画家)