【コラム・田口哲郎】
前略

1789年のフランス革命のあとに、「人間と市民の権利の宣言」、いわゆるフランス人権宣言が採択されました。この宣言は世界各国に影響を与え、それは当然、日本の民主主義の根幹にかかわるものでもあります。

フランス共和国の人権宣言をごく簡単にまとめるとこうなります。人間は生まれながらにして自由と平等を保証されている。共和国が基本的権利を保証するのであって、ほかの団体などがその権利を侵害してはならない。つまり国家だけが、福沢諭吉が言ったところの「天は人の上に人をつくらず、人の下にも人をつくらずと言へり」を約束できるということです。国民と国家の信頼関係によってすべては成り立っているわけです。

規則と改革

そんなのあたりまえじゃないかと思ってきました。でも、よく考えると、わたしたちは基本的人権によって自由と平等をあるていど享受しているけれども、その自由と平等は完全ではありません。完全な自由と平等の実現はかなり困難でしょう。でも、それでも人権宣言の理念を目指していかなければならない。そのためには、規則よりも人間の真情に寄り添う姿勢が大切です。

そうなると対立するのは、規則と改革です。ある人が困っている。でも規則はその人の望みを解決することはできない。だからその規則を変えるしかない。いや、規則を変えることは国家の根幹を揺るがすので簡単にはできない。しかし、このままでは国家が保証すると約束したその人の自由がないがしろにされてしまう。

こうしたせめぎ合いはとてもむずかしいもので、簡単に答えは見つからないでしょう。でも、基本的人権の理想を実現してゆくためには、変えるべきところを変え、変えるべきではないところを見極めて、「新しく」なってゆくしかない気がします。国家は国民にやさしくする義務があり、それは国家が国家として存続できる条件です。たとえば国民の安全を守ることであり、困っている国民がいたらその声を聞いて社会を変えることです。

近代国家は国民に対して、実はものすごい権力を持っています。その権力を行使して幸福を生み出すのは、基本的人権の理念を理解したうえで、ひとりも取り残さないという難しい課題に積極的に取り組むやさしさです。このやさしさがなければ、国家は暴走して多くの国民を傷つけるだけになります。

天下国家を語るとき、頭でっかちになってもよいと思います。頭でっかちで、同時に手足も大きければ、多くの人をしあわせにできるからです。ごきげんよう。

草々
(散歩好きの文明批評家)