【コラム・瀧田薫】昨年12月16日、政府は「国家安全保障戦略」(以下「戦略」)の改定を閣議決定したが、これに先立つ11月22日、「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」が、会議の主催者である首相に対し「報告書」(以下「報告」)を提出している。

「報告」と「戦略」を付き合わせてみると、両文書は高いレベルで「整合性」を示しているが、「戦略」が防衛力を重視しているのに対して、「報告」は「防衛力だけでなく、外交力、経済力、技術力、情報力を「総合的国力」として取り上げている点、「戦略」よりも包括的な国家戦略論となっている。

「報告」が提出されてから1カ月も経たない時点で「戦略」が閣議決定されていることから推して、両文書とも有識者会議における議論に出自を同じくしていると思われるし、さらに一歩進めて、「報告」をいわば総論、「戦略」を各論という位置付けをしても違和感はない。

ところで、今回、新聞やテレビの報道が、おしなべて、各論である「戦略」を中心テーマとして扱っていて、総論としての「報告」については地味な扱いしかしていない。しかし、総論としての「報告」こそ、この国と国民の安全保障に関する議論の肝心要の部分なのである。

報告の要点は、「我が国を取り巻く厳しい安全環境を乗り切るには、防衛力だけではなく、技術力や産業基盤を強化し、有事にあっても、我が国の信用や国民生活が損なわれないようファンダメンタルズを涵養(かんよう)する。同時に、国の外交力と情報力の強化が不可欠だ」ということだ。つまり、狙いは、「総合的国力の涵養」にある。

「総合的国力の涵養」

なぜ「総合的国力の涵養」が必要なのか。それはこの国に、戦前・戦後を通じて、総合的国力を国家と社会に実装する構想、そのための方法を模索する意識、つまり「安全保障リテラシー」が欠落していたからである。例えば、「戦前の日本軍は戦闘重視で、後方軽視、情報軽視、民間軽視であった。それは国民を軽視した戦争だった」(兼原信克『安全保障戦略』日経BP、2021年、72ページ)との指摘がある。

そして戦後、米軍占領下にあった時期、さらに日米安全保障条約締結以後、この国と社会は、安全保障面は言うに及ばず、経済面でも対米依存することで、めざましい戦後復興を遂げていく。

そうした成長過程で、敗戦の原因を追及し、戦前に欠けていた総合的国力とそれを涵養するための「安全保障リテラシー」を求める意識が薄れていった。しかし、そのツケがやがて回ってくる。福島原発事故、コロナ禍による医療崩壊は、戦後日本の国家と社会に国民を守るための「安全保障リテラシー」が欠落している事実を突きつけた。

「報告」は、米中の狭間(はざま)にあって、この国にまず求められるのは自前の「国民安全保障・国家論」の構築であると指摘している。(茨城キリスト教大学名誉教授)