水曜日, 6月 26, 2024
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《吾妻カガミ》95 つくば市長の「上から目線」

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】民間会社の場合、株主や顧客に業績や商品について理解してもらう仕事を広報と呼び、企業活動にとっては大事な分野です。公の市政の場合、その対象は市民になりますが、10月に再選された市長の五十嵐さんは、選挙活動の中で市政への理解不足を痛感したらしく、2期目では広報に力を入れるそうです。

その意気込みについては、11月の会見記事「発信の在り方 根本から検討」(11月5日掲載)をご覧ください。理解不足の例として、①市のかなりの取り組みを知らない市民が多かった②対抗候補も市の基本的な取り組みすら知らなかった③市政について相当いい加減なことを書く人もいた―などを挙げ、「市民が必要としている情報をどうやって届けられるか、あらゆる手段を考えたい」と述べました。

広報の充実はメディアも大歓迎です。でも、市民の理解不足を嘆き(平均的な市民が市政の詳細を知るのは無理)、対抗候補を見下す(彼らは無投票を避けようと急な準備で出馬を決断)ような、「上から目線」はいただけません。また、観察者(開示情報を基に市当局とは違った視点でチェック)を煙たがるようでは、度量が狭すぎます。

施策を立案・実施する市長がその内容に精通しているのは当たり前ですから、自分との比較で、①②③の方々の理解度にブツブツ言うのはいかがなものでしょうか。

広報は「自然体で」「虚偽はダメ」

経済記者が長かった私は、上場会社の広報責任者から広報の在り方についてよく相談されました。旧財閥系企業の広報コンサルタントが主催するセミナーでも、よく講演させられました。そういった際には、「自然体で対応する」「ウソをつかない」ことが大事とアドバイスしたものです。別の言い方をすれば、装飾や虚偽はいずればれる、そのとき会社は信用を失い、経営が危機に至るケースも―ということです。

行政広報と企業広報は同じではありませんが、「自然体で対応する」「ウソをつかない」は受け手が誰であろうと同じです。そして大事なのは、「広報の方法」ではなく、「広報の中身」であることは言うまでもありません。テクニックにこだわると宣伝臭くなり、信用されなくなります。

「NEWSつくば」は5月、市長と日本財団理事長の面談録(新型コロナ軽症者施設を市内の同財団敷地に設置する件)を開示するよう市に請求しました。6月9日付の回答は「存在しない」でしたが、25日にその旨を記事にしたところ、30日になって「発見された」と修正してきました。虚偽がばれると思ったのでしょうか? その詳細は本サイトの記事(7月29日掲載)をご覧ください。

五十嵐さんは市長選の討議資料で、1期目を「9割以上の公約が達成もしくは順調」と自己採点しています。これに対し、本コラム(10月19日掲載)では「総合点は60点以下」と判定しました。選挙向けとはいえ装飾はいけません。市報でも、市HPでも、SNS発信でも、報道対応でも、広報は虚偽と装飾を排し、自然体でお願いします。(経済ジャーナリスト)

《介護教育の現場から》2 介護における外国人労働力

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介護の実習

【コラム・岩松珠美】現在日本で働く外国人介護職は4つに分類される。第1分類は経済連携協定(EPA)事業の一環で、インドネシアやフィリピンなどから受け入れているEPA介護福祉士候補者。第2分類は日本の介護福祉士養成校を卒業した在留資格「介護」をもつ外国人。筆者が勤務する専門学校の学生がこの区分に該当する。

さらに、第3分類は技能実習制度を活用した技能実習生、第4分類は在留資格「特定技能1号」を持つ外国人である。いずれも、5年の日本滞在中に国家資格「介護福祉士」を取得できれば、永続的に日本で介護職としての就労が可能となる。

実際、来日の時点での日本語能力や介護知識・技術については、大きなバラツキがある。第2分類の学生たちは日本語学校で、半年から1年学び、それから介護福祉士の養成校に進学し、2年間、日本の生活文化や介護について専門的に学ぶ。

これらの学生たちに比べると、EPA候補者、技能実習生、特定技1号職は、日本語や日本文化、介護の専門的知識・技術を学ぶ時間が短く浅い。日本の日常生活に不自由しない力と介護に必要な基礎的技能に求めるラインをどこに引くのか―教育と技能訓練に対する考え方の違いに現れているように思う。

外国人介護労働力は欠かせない

茨城県労働局の調べ(2019年)によると、県内で働いている外国人労働者は約3万7千人で、茨城は全国11位である。うち医療福祉分野で働く人は670人いる。

また千葉県の外国人労働者受入施設への調査(2018年)によると、これまでに外国人介護労働者を受け入れた施設は34.1パーセント、1施設当たり1.8人。これらの数字をみると、地域での外国人介護労働力は欠かせない存在となっている。

最近訪問した土浦市内の特別養護老人ホームの施設長はこう話している。

「私たちは、EPAや技能実習での介護スタッフを採用して、衣食住環境を整え、日本語研修講座への送迎までやっています。受け入れ仲介組合に手数料や事務費を支払うと、日本人を雇用する場合の1.5倍くらいコストがかかります。施設を経営する立場では、今後どんどん外国人雇用を進めようとは思えないのが現状です」

身近な生活圏で、外国人介護職員が当たり前のように働く時代がまもなくやってくる。そういった流れの中、お互いの文化や考え方を大切にしながら、介護を受ける共生社会づくりをどう進めたらよいのであろうか。(つくばアジア福祉専門学校校長)

《続・気軽にSOS》74 あなたの選択は?

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【コラム・浅井和幸】私達は、毎日毎日、様々な選択をしています。靴下をどちらの足から履くかというささいなものから、プロポーズをするかとか、どの職業に就くかとか、人生の大きな分かれ道のものまでです。それは、無意識レベルから、長い時間をかけて悩んで答えを出すレベルまで、様々です。

いつも忙しくて選んでいる暇なんてないよという方も多いことでしょう。そういう方は、無意識でいつもと同じ選択肢を選んでいることがすべてなのかもしれませんね。

自分が選んでいるのではなく、それしかないから仕方なくだよ、という方も多いことでしょう。そういう方は、こうすべきという決めつけで、状況のせいにして自分の希望の選択を後回しにしているのかもしれません。

今、幸せである人、好循環でますます幸せになっている人であれば、無意識の選択や流された選択でもよいのかもしれません。しかし、今が苦しいとか、悪循環を起こしているとかで、どうにかしたいと考えるのであれば、この選択ということを意識して考えることが大切です。

人というものは、私たちが考えている以上に、積み重ねることや今を耐えてより大きな満足を得ることが苦手です。また、目の前の小さな苦を避ける傾向もあります。例えば、目の前に大好きな粒チョコを1つ置きます。今すぐ食べてもよいのですが、10分待ったら3つ食べてもよいというルールがあるとします。意識して考えると3つ食べたいのに、目の前の1つのチョコを食べてしまうようなものです。

自分の望みに近づける行動

また、半年待てば10万円で買えるものを、今すぐ欲しいので11万円で買ってしまう性質もあります。ローンを組んで物を買うというのは、そのようなことですよね。小さな摩擦を避け続けるために、ストレスがたまって大喧嘩をしてしまうという経験はしたことがないでしょうか。

ほとんどの人は、幸せになりたいとか、金持ちになりたいとか、健康になりたいとかの望みを、ある程度は真剣に持っているでしょう。しかし、これらは積み重ねなければ達成できません。

毎日の生活の中で、「幸せ」「お金」「健康」をないがしろにして優先する快楽だったり、危険を避けるだったりの行為を優先してしまうことがあるでしょう。人や自分自身の悪口を考えたり、言ったり、何で買ったのだろうと後悔するようなものを購入したり、運動せずに暴飲暴食をすることを優先して行うなどです。

毎日が忙しく、無意識に行動してしまっている。よくないと思っていても、面倒だから行動している。それらの行動は、本当に仕方のないことでしょうか。自分の希望よりも優先して選ばなければいけない選択肢なのでしょうか。

もう一度だけ考え直して、自分の望みに近づけるような行動はできないのか試してみてください。人とのささいな勝負に勝つのではなく、様々な困難に克つことを大切にできるとよいと私は考えています。(精神保健福祉士)

《ことばのおはなし》27 紙の書物の存亡

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【コラム・山口絹記】スマートフォン片手に本屋を徘徊(はいかい)するのは、私のいつもの休日だ。「せどり」をしているわけではない。しばらく立ち読みをして、目的の書籍たちが、紙の書物で購入すべきものか、電子書籍で購入した方がよいものかを検討する。三度の飯より読書が好きとはいえ、自宅の本棚が崩落しては面倒だ(実際この10年で本棚を2度壊している)。電子書籍で済ませられるものは済ませるに越したことはない。

電子書籍といえば、電子書籍が紙の書物を駆逐するか、という議論がされて10年以上が経つ。個人的には紙の書物が駆逐されようと、レイ・ブラッドベリの『華氏451度』のような、読書という行為そのものが禁じられる世界がやってこなければよいと思ってしまう。

度重なるビブリオコースト(書物大虐殺)の後の世に、博物館のショーケースに飾られた、ボルヘスの『砂の本』、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』、寿岳文章の『書物の共和国』を眺めて歩いたその午後に、伊藤計劃の『ハーモニー』のごとく「誰かが孤独になりたいとしたら、死んだメディア(紙の本)に頼るのが一番なの」とうそぶいて、紙のページをめくれるならそれはまだきっと贅沢(ぜいたく)な時間だ。

ここまで書いて、やはり紙の書物は私の身体の一部、延長なのだな、と再確認する。紙の書物の絶滅の話になると、どうも文章が感傷的になってしまう。

電子書籍は紙の書物を滅ぼすか?

さて、「これがあれを滅ぼすだろう」という台詞(せりふ)は、ヴィクトル・ユゴーの『ノートル=ダム・ド・パリ』に出てくるものだ。“これ”は“書物”で、“あれ”は“建物(ノートル=ダム大聖堂)”を示している。もちろんここでの意味は本の重みが大聖堂を崩壊させる、ということではない。

少し説明すると、グーテンベルク革命が石の書物、人の思想・知・記憶の結晶ともいえる教会を滅ぼすだろう、ということだ。もう少しだけ説明すると、グーテンベルク革命というのは、1455年にヨハネス・グーテンベルクによって、活版印刷による本の複数生産が可能になったという、技術革命のことである。

15世紀当時の“書物”と“建築”の関係と、21世紀現在の電子書籍と紙の書物の関係は相関するのだろうか。もし相関があるのならば、書物の普及がある意味において当時の特権に影響を与えたように、電子書籍もまた紙の書物という媒体に影響を与えることもあるだろう。

だがしかし、いくらでも書籍を手の内に召喚できる電子書籍とはいえ、画面をスリスリこすったり、スクロールしているうちは紙の書物は安泰だというのが私の考えだ。そもそも私が読みたい書籍はあまり電子化されていないのだ。まだ絶滅されては困ってしまう。

紙の書物の存亡を憂うよりも、電子媒体で書籍を読むようになって、私たちと書籍の関係はどう変わってゆくかを、しばらく観察するほうが有意義だろう。(言語研究者)

《くずかごの唄》74 イチョウの雌と雄

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コラム・奧井登美子】わが家の庭の真ん中に大きなイチョウの木がある。兄の奥井誠一が生まれたときに、舅(しゅうと)が大喜びしていたら、今の土浦一中地区公民館の敷地にあった平本医院の平本先生が、「誕生記念だ」と言ってイチョウの木を下さったという。

樹齢100年、高さもいつの間にか20メートル近い大木になってしまった。秋、葉の色は美しい黄金色。家の庭はまるで黄金の扇子で敷き詰められた絨毯(じゅうたん)。イチョウは雄雌で木の葉の形が違うらしい。昔の東京大学のマークの切れ込みのある葉は雄の木の葉。わが家のイチョウは雌なので切り込みのない扇形である。

イチョウの精子は元気がよくて1000メートルくらい飛ぶという。わが家の雌イチョウめがけて亀城公園あたりから精子が飛んできて、仲良くなって結実する。

秋、ギンナンが落ちる。ギンナンの果肉は皮膚炎を起こす人が多いので、「ツラの皮の厚い人」しかギンナンむきができない。私のツラの皮は人一倍厚いと見えて、かぶれないので皮むきも私の仕事になってしまった。

粋な戯れをする植物

敗戦後、疎開先から東京に帰ってきた私は、下町が、大空襲の焼け跡ばかりなのに、神田、お茶の水、上野などを歩いてみて、古い建物が残っている場所があるのに気づいた。イチョウの木があったおかげで、火が止まって、燃えずに残ったという町もいくつかあった。

昔から神社やお寺の境内にイチョウを植えたのは、火事の時の、安全の願いもあったのかも知れない。イチョウは気温が急に高くなると、シュウシュウと音がするほどの、ものすごい勢いで湯気を吹き出す。街角にイチョウの木があれば、火事で急に気温が上ったとき、湯気を吹き出すに違いない。

イチョウの木と仲良く付き合ってみると、植物のくせに動物に近いような、奇妙な意志のあることがわかる。1000メートルも精子を飛ばして、高い木の上で合体するなどと、粋な戯れをする植物は他にないだろう。(随筆家、薬剤師)

《つくば法律日記》13 お酒の法律で変わるマーケット

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堀越さんの事務所があるつくばセンタービル

【コラム・堀越智也】昔から、お酒に関する法律がマーケットに大きな影響を与えてきました。特に、酒税はそれなりの税収になることもあり、酒税法が度々改正されるのですが、酒税法の改正で、僕らもよく知っているようなマーケットの変化が起きています。

つくば市や茨城県では、クラフトビールのイベントがよく開催されます。新型コロナ禍のため、今年はないのが残念ですが、つくばセンター広場でも、毎年クラフトビールのイベントがあります。

クラフトビールがはやり出したのは、酒税法が改正されて、地ビールが造りやすくなったからです。かつて、酒税法の改正で地ビールが盛んに造られ始め、さらにクラフトビールという名前に変えて、世間に広まりました。

発泡酒も第3のビールも、テレビのCMで聞くようになったのは最近です。1990年代に、サントリーが「ホップス」という発泡酒を販売してから、世間に広まり始めました。

酒税法上、ビール、発泡酒、第3のビールは、ざっくり言うと、麦芽の割合と副原料を使用しているか否かで区別されるのですが、発泡酒は、当時、酒税法上、税金が安かったため、安く販売されたのです。

ところが、後に酒税法が改正され、発泡酒とビールの金額の差が縮まります。すると、第3のビールが日本を席巻。そして先々月10月の改正で、ビールは値下げ、発泡酒は一部値下げ、第3のビールは値上げになります。こうして、マーケットは酒税法に動かされることになり、メーカーも大変です。

つくばのワインが面白い

つくば市に影響しそうな酒の法律というと、通称ワイン法ではないかと思います。正式名は「果実酒等の製法品質表示基準」ですが、日本のワインを定義し、国産ワインの信用を高めることを目的に制定され、2018年10月から施行されています。

つくばで育てたブドウでなければ「つくばワイン」と名乗ることができません。逆に言うと、つくばでワイン用のブドウができれば、「つくばワイン」と名乗ることができ、地元の名産品に加わる可能性があるのです。

幸い、つくばにはいくつかワイナリーができました。地質的にワイン用ブドウに適した場所で栽培されているようで、それもつくばらしいです。追い風は、2017年につくば市がワイン特区に認定されたことです。

酒税法上、ワインを造るには、年間6,000リットルの製造量が条件になりますが、特区に認定されたことで2,000リットルに緩和されました。その結果、小さな施設もワインが造れます。

このワイン特区、いかに市民が利用するかにかかっていますが、つくばの経済にとって、ひとつの強い味方になると思います。(弁護士)

《雑記録》18 バイデン次期大統領 前途に嵐の予感

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【コラム・瀧田薫】アメリカ市場で「ダウ平均株価」が初めて3万ドル台に乗った。トランプ大統領による「バイデンが勝利すれば株価は暴落する」とのご託宣は大外れで、自称・ビジネスの天才としては赤っ恥もいいところだ。

しかし、この未曾有(みぞう)の株高はバイデン氏の勝利に直接結びつくものではない。コロナウィルスの恐怖に凍りついた経済を支えるため、アメリカをはじめとする主要国が総額10兆ドル(1000兆円 未曾有の規模 日経・11月25日付)を超える財政支出に動いたこと、それが株高をもたらした最大の要因だろう。

ワクチン開発への期待も多少は後押ししたかもしれないが、ウィルスの跳梁(ちょうりょう)が続く限り、財政拡大や金融緩和政策が続くはずだという期待(人命にかかわる政策には誰も反対できない)の方が大きいだろう。また、コロナ禍が勝ち組企業と負け組企業を鮮明に色分けした結果、「買いと売り」の判断に迷いがなくなったことも株高につながっただろう。

しかし、この株高は一時のにぎわいでしかない。膨張する国家債務、実態経済というアンカーを持たない緩和マネーが暴走し始めたら、そのとんでもないツケが回っていく先は、富裕層ではなく、株を買いたくても買えない大方の国民の方である。

コロナ禍は、勝ち組企業と負け組企業を分けただけではない。キャピタルゲインを積み上げる富裕層とひたすら真面目に働くしかない人々との間に、巨大な「格差と分断」をもたらしつつある。

民主党 上院で過半数失う可能性も

ところで、バイデン次期大統領はその勝利宣言で「分断ではなく、団結させる大統領になることを誓う」と述べたが、トランプ大統領は敗北を認めず、選挙に不正があったとして法廷闘争に打って出た。これに呼応して、トランプ氏の支持者の多くが大統領のツィッター「盗まれた選挙」に同調し、トランプ大統領支持の思いを募らせている。

トランプ大統領は、過去4年間、自分の支持層だけに語り掛け、政敵の言は「フェイク」の一言で片づける政治姿勢を貫いてきた。つまり、アメリカ建国以来の「分断」(人種、所得格差、生活信条、地理、世代、党派)を、むしろあおることで自らの支持層を拡大してきたのである。

確かに、トランプ氏は、エリート政治家に反感を抱く人々に政治参加の道を開いた。しかし、その代わりに、国内の分断をより先鋭なものにしたのも事実だ。今回の選挙でトランプ氏が獲得した7000万票は、トランプ氏が大統領職を退いた後も、いわゆる「岩盤」として残り、何かのきっかけで再浮上する可能性が高い。

ちなみに、バイデン氏の与党・民主党は、来年1月にジョージア州で実施される2組の決戦投票次第で、上院での過半数を失う可能性がある。その場合、バイデン氏の選挙公約の実現が難しくなるばかりか、それ以前に、バイデン氏が選んだ閣僚候補者の就任が上院で否決される可能性がある。バイデン次期大統領はスタートからいばらの道を歩むことになりそうだ。(茨城キリスト教大学名誉教授)

《食とエトセトラ》8 大掃除~正月準備 年末の思い出

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【コラム・吉田礼子】いつの間にか冬に足を踏み入れている。今年の紅葉は美しかった。特に真紅の赤に心奪われ癒された。寒いと赤がきれいだと祖母が話していたのを思い出した。今年はコロナに翻弄(ほんろう)された1年だったように思う。来年こそこの閉塞感から脱したいと願うのみである。

子どものころ、12月の行事と言えば大掃除から始まるお正月に向けての準備。少しずつ整えていく日々が思い出される。12月の半ばごろは不思議と晴れの日が続き、大掃除にも適していた。

障子を貼ったり畳を上げて陽に当てる。母のモンペ姿、手拭いの姉さんかぶりが目に浮かぶ。昭和の風物詩だった。きれいになったところでいよいよおせち作り。献立や段取りを考える。

少しずつ買い出しが始まる。25日過ぎたころから黒豆を煮たりする。故郷の宮城県ではあんこ餅を必ず食べる。大きなシャモジであんを練っていた姿が忘れられない。商家の大みそかは、みそか振る舞いと言って、細やかなご馳走で1年の労を労う。31日は忙しくなるので30日にしていた。

お正月は生ものや四足ものは食べないので、年内のご馳走にはお刺身が付く。それにナメタカレイの煮魚。茶碗蒸しもこの日の付き物。おせちやお雑煮の準備をして年越しそばを食べる。

紅白歌合戦を見たり、年賀状を書いたり、おせちの準備をしたり。除夜の鐘を聞くころには、何とか1年の仕事が終わる。

人気の公民館「おせち料理」講座

今年はコロナの影響もあり家で過ごす時間が増え、お料理や家庭菜園など、家族と一緒にする家庭が増えたという。色々なことに気付くきっかけになったという若い方の感想はうれしい。

お正月は家族そろっておせちを食べるお宅が多いということで、売れ行き好調のニュースも流れていた。今年の公民館講座「おせち料理」には定員の4倍の希望者があり、関心の高さを感じている。

節目=季節の区切りに神様にお供えをし、そのお供えを下げていただく御節供(おせちく)が、おせちの始まりと言われている。

年末年始の家庭行事は各地方や各家庭で千差万別。また時代の流れで変わる。その精神性をよく理解したうえで取捨選択していきたい。先ずは先輩の方々から譲り受けたことを、次の世代の方々に語り部として伝えたい。(料理教室主催)

《令和楽学ラボ》10 リンゴ狩に行こう 茨城は南限産地

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水戸市木葉下のりんご園

【コラム・川上美智子】リンゴの生産量のランキングをみると、青森、長野、岩手、山形、福島などの市町村が上位を占め、100位以内に茨城の市町村は入っていません。平均気温10度前後の冷涼な気候を好むリンゴにとり、茨城は南限に位置するので、商業ベースに乗りにくいのであろうと思われます。

茨城では、大子町がリンゴの主産地として有名ですが、日立市、水戸市、石岡市、城里町などでもおいしいリンゴが生産され、観光リンゴ園では手軽にリンゴ狩を楽しむことができます。

リンゴの品種改良が世界一の日本では、本当に多くの品種が栽培されていますが、現在の品種の主流は、「ふじ」「つがる」「王林(おうりん)」「ジョナゴールド」です。子どものころに食べた「国光(こっこう)」や「紅玉(こうぎょく)」は、料理に使いたいと思ってもなかなか手に入れることができません。

先日、蜜が多いことで「幻のりんご」として人気上昇中の「高徳(こうとく)」を食する機会がありました。大子ではこのリンゴを木で完熟させ「奥久慈りんご」として販売しています。実は固めですが、リンゴ本来の甘い香りをもち、甘味も強く感じられました。

この甘い蜜の正体は、ソルビトールという糖アルコールです。リンゴは、葉で光合成の作用で作られたでんぷんをソルビトールに転換して、果実に転流(運ぶ)させる性質があります。運ばれたソルビトールは、果実の中でブドウ糖や果糖に変えられ細胞内に蓄積し、甘さを増して行きます。

完熟のころには、ブドウ糖や果糖が飽和状態になり、芯の部分にソルビトールが蜜となって残ります。そのため、葉がたくさんついた木ほど、蜜がよく入ると言われています。

茨城のリンゴは隠れたブランド品

このソルビトールは、リンゴの機能性成分の一つです。ソルビトールのような糖アルコールには吸熱作用があるので、口に入れたときに冷涼感が感じられます。また、ブドウ糖などの糖分に比べ、腸内で吸収されにくいので血糖値を上げにくく、糖尿病予防効果があります。さらに、リンゴの果実や果皮に含まれる水溶性食物繊維のペクチンは、腸内の善玉菌を増やし、血清コレステロールを抑制します。

また、褐変(かっぺん)の要因物質であるカテコールやエピカテキンなどのポリフェノールは、強い抗酸化活性をもち、がん予防や老化防止が期待されます。英ウエールズのことわざ「An apple a day keeps the doctor away(1日1個のリンゴは医者を遠ざける)」に合点です。

大学の研究室で、大子産の完熟ふじと青森産のふじの香りを比較分析したことがありました。

大子産のふじは酢酸ブチル(butyl acetate)や酢酸イソバレル(2-methylbutyl acetate、3-methylbutyl acetate)、酢酸ヘキシル(hexyl acetate)などの甘いリンゴ臭をもつエステル類とフレッシュな青臭もつ(E)-2-hexenyl acetateや青葉アルデヒド((E)-2-hexenal)が数倍含まれていることがわかりました。茨城のリンゴは、実は隠れたブランド品なのです。(茨城キリスト教大学名誉教授)

※高徳:青森で1985年に品種登録されたリンゴ。青森では「こみつ」と命名し販売

《宍塚の里山》71 コロナ禍で野外活動参加者が急増

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子ども田んぼ 三密状態の「かかし」

【コラム・及川ひろみ】新型コロナ感染がまた広がっている。春ごろから、秋~冬には再拡大が心配と言われていたが、いきなり起こった拡大。私たちの会の活動に参加している会員も濃厚接触者になり、近隣施設でも感染者が出たそうで、コロナ禍が身近に迫っている。今回は、里山で何が起こり、会はどのように対応したのか、まとめてみた。

3~6月、全国の小中高が休校になり、保育施設なども休園した。そのころから、里山にやって来る人が急増。散策、写生、釣りを楽しむ親子が増えた。と言っても程よい程度で、その姿から、日ごろ「ゆっくり」「のびのび」することに飢えている人が多いように感じた。

会の活動は野外が主で、「三密」を心配するようなことは少ない。しかしコロナ禍で、月例テーマ観察会などに参加する親子が急増し、危険な状態になった。そこで、参加希望者は会のホームページから申し込んでもらい、参加人数を制限した。その際、在学校をまんべんなく選び、初参加者を優先した。活動人数は、スタッフを含め40人ほどに抑えている。

収穫祭など大イベントは中止

「大池の魚の観察会」には250人以上の申し込みがあり、自然体験欲求が強いことを感じた。多田多恵子さんを講師に依頼した「実と種観察会」では、「植物のたくさんの秘密を、実物を見ながら学べるなんて、なんて幸せなんだろう」との感想も寄せられた。

今年は特に、「田んぼの学校」(年間を通して田んぼに関する親子の活動)も参加者が増えた。三密にならないように、田植え、稲刈り、かかし作りも複数回ずつ行った。参加する親子に、モノの本質を見て考えてもらう活動の大切さを感じた。

散策路や雑木林の管理などの活動では、誰でもが楽しめる里山になってきたと、うれしそうに語る地元の人にも出会えた。とはいえ、コロナ禍の活動は神経を使う。コロナ注意パネルを掲示し、注意喚起を徹底させた。

今年は、収穫祭などの大きなイベント、企業との協働活動、法政大学グループの活動などは中止。この状態がいつまで続くのか。遠方からやって来た大勢の人との再会はいつのことか。(宍塚の自然と歴史の会 元代表)

《ひょうたんの眼》32 コロナ感染対策 今の選択肢

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【コラム・高橋恵一】冬季のインフルエンザ流行と重なると恐れられていた第3波の新型コロナ感染拡大の様相があらわになって来た。欧米や東アジアでの再感染拡大と軌を一にしており、さらに本格的な対策が必要である。しかし驚くべきことに、今日に至っても我が国の検査体制、医療体制の不足が報告され、従事者は極限に達している。

新型コロナ感染の情報を察知したのが1月。一斉休校や緊急事態宣言などを経ながら、5月中旬になると、医学的にも、論理的にも、有効な対策の方向も見いだせず、右往左往しているうちに、運よく落ち着いた。当然、次の感染拡大に向けて、医療体制、感染防止対策の万全を期すことと、感染拡大によって引き起こされた収入減と雇用崩壊の救済策が最重点策であった。

一方、経済対策としてGoToキャンペーンを推進し、観光や飲食業界へのテコ入れ、人々の消費マインドの振興のための補助金の給付、ポイント還元などの実質的値引き支援などが実施されているが、何よりも、コロナ感染の恐怖と不自由を抱えたままで経済活動が回復するとは思えない。

もともと、我が国の経済不振は、コロナショックで始まったわけではない。1990年代のバブル崩壊後、不況が繰り返され、失われた20年を取り返すとしてアベノミクスを推進したが、効果が無く、失われた30年へまい進している。個人消費が回復しないのだ。税の優遇策はなどで大企業の業績を上げれば、トリクルダウンして広く個人所得も増大するなどというのは、妄想だということが明らかになった。むしろ、個人所得の格差は拡大するばかりだ。

医療体制を立て直し国民生活の安定を図れ

多くの分野でIT化デジタル化が進み、業務の効率化が図られたが、その成果は、労働時間の短縮、休暇の拡大など労働環境の改善に向けず、雇用人員の削減につなげてしまった。公務員の世界でも、アウトソーシングの拡大により正規職員を削減した。働き方改革などの掛け声の下で、これらの流れが非正規職員の拡大、不安定な雇用の拡大になり、この点でも低所得層が増えてしまった。

また、高齢化社会の進展により増額が当然なのに、社会保障負担の抑制を図り、医療介護費の増額を抑えた結果、その分野に働く人たちの賃金を低水準にしてしまい、慢性的な人手不足が続いている。

個人消費を改善するには、低所得層の所得、賃金を上げることだ。医療も介護も政府が従事者の給与額をコントロールできる職種であり、年金や生活保護費、雇用保険の拡充なども政府が決定できるのだ。ベーシックインカムも検討する。もともと足りない所得層にカネが回れば、消費にまわる率が高く、経済の好循環が実現するのだ。

コロナ感染の中で、エッセンシャルワーカーの頑張りを称賛したりしても、賃金などの改善が無ければ、長続きしない。長期的な格差社会の是正を目標に置きながら、医療体制を立て直し、国民の生活の安定を図ることが、新型コロナ感染の現状で選択すべき道であろう。(地図好きの土浦人)

《遊民通信》5 これでいいのだ―罪の意識とカタルシス

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【コラム・田口哲郎】
前略

日本人には罪の意識がないと言われます。しかし一体なぜこんなことが言われるのでしょう? 自分たちが悪いと思っていないから、日本人は過去の過ちを認めず、心のこもった謝罪をしないと言いたいのではありません。罪の意識というときに焦点になるのは、日本人と西洋人との違いについてです。西洋人というのは古い言い方ですが、キリスト教圏の欧米人という意味です。さて、西洋人と比べたときに日本人に罪の意識がない、と言うことができると思います。

罪の意識とはなんでしょうか? キリスト教には原罪という考え方があります。人間は生まれながらにして罪を負っているという思想です。禁断の果実を食べたことで神の怒りを買い、エデンの楽園からアダムとイブが追放されました。以来、人間には死が与えられ、食うために労働しなければならなくなりました。

これは創世神話に過ぎないと言われるかもしれません。でも、アダムとイブの過ちにまでさかのぼらなくても、人間は生きていれば大なり小なり罪を犯します。夏目漱石の『こころ』の「先生」は、労働不要の遊民でしたが、横恋慕(よこれんぼ)と略奪愛のせいで親友Kを自殺させてしまったという罪の意識によって自死に追い込まれます。

罪意識がいかに人間を不安にさせるかが分かります。罪の意識は人間が生きている限りつきまとう、どうしようもない不安なのです。この厄介な不安は現代社会にもまん延し、大勢の人がうつ病に苦しんでいます。

罪の意識とキリスト教

西洋人は原罪と二千年以上も付き合ってきました。キリスト教は、人間の原罪をキリストが代わりに背負ってくれたと考えます。キリストの犠牲のおかげで、人間は神と和解し、原罪から解放される、と。これは贖罪(しょくざい)思想と言われるものです。贖罪思想という強烈な浄化装置を西洋人は持っていることになります。

「これでいいのか?」を「これでいいのだ」にするカタルシスです。ニーチェの言う超人(強く生きる人)になる秘訣です。

人生の始まりから罪を背負っているなんて日本人は考えもしませんでした。西洋人のやり方を無理してまねる必要はありません。しかし、西洋人の方法論を知ることは、コロナ禍を生き抜くヒントになると思います。

アフターコロナの新様式社会では、社会のITC(情報通信技術)化が急激に進展し、個々人が主体的に選択をすることが求められるでしょう。自由である分、不安も増大します。選択が成功することもあれば、失敗することもあります。罪の意識に苛まれるかもしれません。そのときこそ罪を浄化するカタルシスは大いに役立つと思います。

自分は悪くないと開き直れと言っているのではもちろんありません。たとえ自分に都合の悪い状況でも、目をそらさないことです。そして、苦しみや悲しみが自分の罪に対する罰などではないと悟ることが大切です。それでは、ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

《県南の食生活》19 保存性が高い野菜カボチャ

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【コラム・古家晴美】少々、先のことになるが、正月までに10日ばかり残すころに、1年のうちで昼が最も短くなる「冬至」がやって来る。このときにカボチャを食べてきた地域は多い。カボチャを粥(かゆ、岩手県)や小豆汁(あずきじる、鳥取県)に入れる所もあるが、多くの地方では、砂糖や醤油を加え甘く煮たものを、この日に食べると中風にならないと言われている。茨城県内でも、同様の慣習は広く見られる。

カボチャはアメリカ大陸原産のウリ科の植物だが、16世紀にポルトガル船によってカンボジア経由で日本にもたらされたことから、この名がつけられた。

その野菜がどこで中風と結びつくのか明確な証拠はない。一つの可能性として考えられることは、冬至に食べられる自家用国産カボチャは、ある程度、季節外れの希少性を帯びていたという点だ。夏~初秋に主に収穫され、2~3カ月とっておくことができる保存性が高い野菜だ。

しかし、さすがに12月半ば過ぎとなると、寒冷地域では5個のうち1~2個が腐っていなければよい方で、納屋の隅に転がっているものを持って来て冬至に煮て食べた、との記録も散見される。

旬をうろ覚えの現代人にとって、旬を外した農作物の価値というのは実感が湧いてこないかもしれないが、24節気に当たる「冬至」の季節の変わり目に、カワリモノを食べるということは、新たな力を得るとともに厄払いの意味があったのかもしれない。

瓢箪から駒の「江戸崎かぼちゃ」

ところで、県南で「カボチャ」と言えば、「江戸崎かぼちゃ」を思い浮かべる方も多いかもしれない。江戸崎(現稲敷市)で出荷用のカボチャを生産し始めたのは、昭和40年代のことだ。

「江戸崎かぼちゃ」誕生には一つのエピソードがある。昭和44~45年ごろ、複数産地からのカボチャの出荷が重なり、値崩れの可能性があった。そこで、江戸崎では、これを避けるため、通常、着果後45日で収穫し1週間追熟させて出荷していたものを、50日くらいまで先延ばしに完熟させてから収穫した。

まさに「瓢箪(ひょうたん)から駒」で、これを食べてみたら、甘くておいしいカボチャになっていることが判明。それから約5年かけて、着果後55日の数字を割り出したという。「江戸崎かぼちゃ」は現在、厳しい基準をクリアし、地理的表示保護制度(GI)に登録され、ブランドを確立した茨城県自慢の一品だ。

今年の冬至は、奮発して「江戸崎かぼちゃ」を買って、中風除けとともにコロナの厄払いをしてしまおうか。(筑波学院大学教授)

《続・平熱日記》75 画家の目「老眼思考」

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【コラム・斉藤裕之】自分の絵が掛かっている以外何もないギャラリーでじっとしているのは正直耐えられない。しかし有難いことに、このギャラリーはカフェに併設されている。いつものカウンター席でコーヒーを飲みながら客人を待つことができる。

平熱日記展も終盤にさしかかったころ、「若い女性がいらしてますよ」とオーナーに耳打ちされた。はて、若い女性に知り合いはいない。なにせ、日ごろ付き合う女性はおおむね16歳以下か50歳以上なのだから。それでも、もしかしたら知り合いかもしれないと声をかけてみた。

やはりはじめてお目にかかる。聞けば、ご自身は日本画をお描きになるそうで、私の絵はネットで知ったとか。ほぼ娘と同じ年ごろで、電車に乗ってやってきたとのこと。絵についてご質問を受けたが、「肩の力が抜けていてとてもいいですね」と褒められた。「はあ、なにせ平熱日記というぐらいですから…」。

時を同じくして、もうひとりの女性が入ってきた。知り合いの絵描きさんだ。私が小さな絵を描くからだろうか、最近目が悪くなったという話になった。

「私なんかほぼぼんやりした世界で暮らしていますが、それはそれでいいと思っているんですよ」。事実、老眼のせいで新聞以外の文字は読まなくなったし、視力も多分衰えているので、若いころのように鮮明な世界にはいない。だから、たまに老眼鏡でテレビの画面に目をやると、映っている人の歯茎さえも鮮明に見えてドキッとしてしまう。

だが、実は見える世界だけではなく色んなことがぼんやりしていて、世間が私から遠ざかっていくようだ。

例えばテレビの中の人の名前もわからない。新聞の広告チラシもわが身にほとんど関係ない。野球やサッカーの勝敗も気にならないし、はやりの歌も右から左へ流れていく。実はそれが妙に心地よい。「老荘思想」ではないが、私の「老眼思考」である。

あっけらかんとした絵

私の故郷の絵描きさんで松田正平という人がいる。山口県の瀬戸内海に住まわれて、周防灘をテーマに絵を描かれ、ずいぶんと長生きをされた。お目にかかったことはなかったが、それこそ、これ以上力の抜けた絵を描く人がいるだろうかと思うほど達観した絵を描かれる。

あるとき、大学の尊敬する先生が松田正平さんの絵を褒められたのを覚えていて、私もいつかこのぐらいあっけらかんとした絵を描きたいと思ったことがある。

絵はある意味で、画家の眼を通した世界であるともいえる。その世界観を共有できたとき、つまりそれがリアリティというものだ。

「また発表されることがありましたらご案内ください」。そう言って若い女性は出て行った。「もちろんです」。われながら弾んだ声で答えてしまった。マスクをしていたということもあって、すでに彼女の顔はぼんやりとしか覚えていないが…。(画家)

《邑から日本を見る》76 いきなり権力者が出てきた

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常陸農協瓜連支店でのそば打ち講習会

【コラム千尋前回取り上げた日本学術会議の任命拒否問題。初めは「総合的、俯瞰(ふかん)的に判断した。6人を外したのは人事のことだからその理由は言えない」と木で鼻をくくったような、説明にならない説明を続けてきた菅総理。だが国会の論戦などで少しずつ化けの皮がはがれてきた。

10月26日の国会開会の日、菅総理はNHKの「ニュースウオッチ9」に生出演した。その終わり際に、「説明できることとできないことがある」とキャスターをにらみつけた。翌日、内閣広報官からNHK報道局に「総理、怒っていますよ。あんなに突っ込むなんて、事前の打ち合わせと違う」という電話がかかってきたという(『週刊現代』11月14、21日号)。

前回、「私たちに説明できないことを、総理が自分の判断でやってしまう」ことは恐ろしいことだと書いた。広報官がNHKにクレーム電話をかけたことはもっと恐ろしいことだと思う。異論を許さない空気をつくり、電波を意のままにしようとすることだから。

国会の質疑では、任命拒否の理由を「総合的、俯瞰的な活動を求める」から「多様性が大事」に変わり、さらに日本学術会議は「閉鎖的で既得権益」だとし、支離滅裂、それぞれの答弁はつじつまが合わないことが暴露された。

また政府に、安全保障関連法や特定秘密保護法に対する過去の言動を問題視し、「学術会議内で『反政府』の影響力を行使することを危惧した。学術会議を政府批判の先鋭的な集団にさせてはならない」という考えがあることも報道されている。6人の業績が学術的に劣ると判断したのではなく、政府に楯突くとこういうことになるという見せしめであり、人格の否定でしかない。

作家の保阪正康さんは「明治、大正、昭和にかけて最高権力者が前面に出て学者をパージすることはなかった。これほどわかりやすい形で任命拒否をする中に菅首相の傲岸(ごうがん)さ、市民意識の欠如、すべてが象徴されている」と言っている(『世界』12月号)。「煽動(せんどう)者、攻撃者、威圧者が出てきて、最後に権力者が出るのが普通だが、いきなり権力者が出てしまった。本丸は学術会議潰し」とも語っている(同)。

政府は好き勝手なことをできる!

もう一つ、今回の任命拒否で問題なのは、学術会議から推薦があった者を政府が法律上拒否できるのかということだ。政府はこれまで「形式的な任命を行う」と国会で答弁してきた。今回はそれをひっくり返し、「必ずそうしなければならないというわけではない」と言っている。

解釈は変えていないと言っているのだ。「法律にはこう書いてあるけれど、必ずそうしなければいけないというわけではない」。政府はなんでも好き勝手なことをできる。それは法治国家ではない。過去の政府答弁を覆すのなら、明確で具体的な理由を説明しなければなるまい。

政府が日本学術会議の人事に介入したいのなら、それを可能にする法改正を行えばよい。あのヒトラーですら、「全権委任法」の制定など、形式的には整えていた。法律に書いていない任命拒否の理由を認めてはいけない。元通産官僚の古賀茂明さんは「日本学術会議が犯罪者を会員候補に推薦した場合でも、菅首相は任命を拒否してはならない」と言っている(『週刊朝日』11月20日号)。(元瓜連町長)

《食う寝る宇宙》74 野口さん打ち上げ時の宇宙天気は?

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【コラム・玉置晋】11月16日9時27分(日本時間、米東部時間は15日)、野口宇宙飛行士が乗ったスペースX社の新型民間宇宙船「Crew Dragon」が米ケネディ宇宙センターから同社のFalcon 9ロケットで打ち上げられました。10分後には国際宇宙ステーション(ISS:International Space Station)に向かう軌道に投入され、打ち上げ成功となりました。

ちなみに1段目ロケットは海上のドローン船に「着陸」し、再利用されるという凄技も成功させています。その後、Crew Dragonは、27時間かけてISSに接近し、11月17日13時すぎにドッキングに成功しました。

Crew Dragonは、2019年3月に「Crew Dragon Demo-1」という無人テスト飛行(宇宙服を着たダミー人形を搭載)、2020年5月に「Crew Dragon Demo-2」という有人最終テストを成功させました。そして、今回、実運用初号機に野口さんが搭乗しました。このコラム「かっこいい宇宙船の打ち上げ!」(6月5日掲載)でも書きましたが、この宇宙船はとにかくカッコいい。昭和生まれの僕としては、ようやく21世紀がやってきたと、やや興奮気味です。

プロマネは宇宙天気キャスター候補

野口さんの打ち上げ時の宇宙天気はどうだったか? ニュースなどでも全く話題にならず悔しいので、せめて「NEWSつくば」には書かせていただきましょう。

太陽には目立った活動領域(黒点)はなし。太陽フレアなどの爆発現象の発生もなし。地球周辺はどうだったかというと、オーロラ活動は低調で、磁気嵐の発生はなし。「実によい宇宙飛行日和(びより)」でした。メディアのみなさん、宇宙天気も注目しておいた方がよいと思いますよ。

僕はABLabという宇宙ビジネスサロンで「宇宙天気プロジェクト」リーダ-をしています。そこでは、近い将来、宇宙天気キャスターといった新たな職域つくり出そうと熱い議論をしています。このたび、プロジェクトマネージャーをお迎えすることになりました。この方は地上の天気予報士、天気キャスターとしてテレビや講演会で活躍している方です。

この方に「宇宙天気キャスター」という肩書が加わる日は遠くないでしょう。このコラム「求ム!宇宙天気防災カリスマリーダー」(1月26日掲載)に書いたことが着々と実現しています。僕たちはこの強力なカリスマリーダーとともにミッションを実現していきます。(宇宙天気防災研究者)

《続・気軽にSOS》73 緊張とリラックス

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【コラム・浅井和幸】緊張をせずに人前で堂々と話ができたり、発表会でいつも通りの力を発揮したりできたらよいな~と考えることはありませんか。真面目な日本人、失敗したら人生が終わってしまうと考えて日々を過ごしていないでしょうか。

緊張から手が震えたり、頭が真っ白になって言葉が出なかったり、変な歩き方をしてしまったりと、いろいろな失敗をしてしまいます。おなかが痛くなったり、めまいがしたり、呼吸がしづらくなったり、不安やイライラがあったり、手を長く洗ってしまったりと、心身に不調が出てくることもあります。

これらは緊張するからではなく、緊張し過ぎてしまうからと捉えるとよいです。緊張は一概に悪いものではないからです。リラックスし過ぎても、仕事や勉強、人と話をすることなどはできないものです。ダラダラした状態だとうまく動けないので、気合いを入れて試合に臨むというとニュアンスが伝わるでしょうか。適度な緊張がある方が、物事をなすには向いています。

人前でリラックスし過ぎて失敗してしまう人は、少し気合いを入れるために両こぶしに力を込め、身体の前で交差し、肘を後ろに引くようにして手を開き、「ふんっ!!」なんて声を出しながら、何回か続けて行って…。

身体の力が抜けちゃうとか、もう少しやる気を出したいときは試してみてください。という緊張しなさ過ぎの対処法はいらないでしょうか。それよりも、緊張し過ぎでうまくいかないときの対処法の方がニーズはありますか。心と体はつながっているので、身体が楽になると、それにつられて心も楽になりますので試してみてください。

ルーティーンを変えてみる

まず一つは、呼吸。吸うのも吐くのも5秒ぐらいして、3分ぐらい続けてみてください。吸うのが先でも、吐くのが先でも、鼻からでも、口からでも、好きな方法で試してみてください。3秒ぐらいしかできないのであれば、そこから始めても構いません。出来る人は7秒ぐらいを目指しましょう。

二つ目は、筋肉のリラックス。緊張すると身体に力が入ります。不安やイライラが大きいときも、身体に力が入っています。力が入っているところに、さらに力を入れ、そして力をゆっくり抜き、力が抜けることを感じてみましょう。

緊張時は、力が入っていることが通常なので、そこから力を抜くことは難しいので、力を入れてから抜くとよいのです。肩がこる人は肩、顔に力が入る人は顔を意識して行います。緊張し過ぎる人は、頭痛、肩こり、冷え性という症状を持っていることも多いものです。

三つ目は、いつもと違う行動。同じシチュエーションでは、緊張するきっかけをつくるようなものです。いつもは行かない公園に行ってみたり、仕事の帰り道を変えてみたり、違う場所で違うものを食べたりしてみてください。

とにかく緊張しているルーティーンを変えてみる。もしかしたら、自分自身で緊張するように仕向けている毎日に気づくかもしれません。笑顔もよいですよ。(精神保健福祉士)

《電動車いすから見た景色》12 ちょっと失敗したさつまいもご飯

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介助者と一緒に作ったさつまいもご飯

【コラム・川端舞】秋の味覚、さつまいも。近所の畑からたくさんもらい、どうしようか考えていたところ、誰かが「さつまいもご飯にしてもおいしいよ」と言っていたことを思い出し、作ってみることにした。

インターネットで検索したレシピをもとに、調理を開始。と言っても、私自身は台所に立つことはできないため、台所の床に座ったまま介助者に指示を出して、介助者に調理してもらう。

「さつまいもを洗って、切る」と私が指示を出すと、介助者が冷蔵庫からさつまいもを取り出し、台所で洗う。床に座っている私には、台所の上は見えないので、介助者はまな板と包丁を床に置き、私の見えるところでさつまいもを切る。さつまいもをどんな大きさで切るか、私が細かく伝えると、介助者がその通りに切っていく。

さつまいもが切り終わったら、介助者にお米をといでもらう。といだお米は釜に入れられ、私の目の前の床に置かれた。

「みりんを大さじ2杯入れて」。レシピを見ながら、介助者に指示を出し、介助者は私の指示通りに調味料を入れていく。最後に水をどのくらい入れるかを介助者に伝え、介助者がお釜に水を入れ、炊飯器にセットしたら、スイッチON。

失敗できる楽しさ

炊き上がったさつまいもご飯をさっそく食べてみると、思ったよりご飯がベチャベチャ。水を入れすぎた模様。でも、誰かに食べてもらうわけでもないし、自分で責任をもって食べれば問題なし。

今度作るときは、ちゃんと水の量もインターネットで調べてから、やってみよう。こんなふうに試行錯誤しながら料理をするのが、私は楽しい。

重度障害者は自分1人では何もできない。その代わり、障害者が介助者に指示を出して、介助者にやってもらったことは、障害者が自分でやったことと見なしてよいという考え方が自立生活センターにはある。裏を返せば、障害者側が誤った指示を出し、障害者の指示通りに介助者が動き、それが結果的に失敗に終わったら、失敗の責任は、介助者ではなく、誤った指示を出した障害者にある。

厳しい考え方のようだが、幼いころは、ささいな失敗でも、親に怒られないか、学校から追い出されないか、びくびくしていた私には、失敗しても、誰にも怒られることなく、どうしたらうまくいくか、自分で試行錯誤できることがうれしく感じる。(つくば自立生活センターほにゃらメンバー)

《ご飯は世界を救う》29 伊で修行したシェフの「サクラカフェ」

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【コラム・川浪せつ子】コロナが猛威を振るい始めて、恐々(こわごわ)の毎日です。ですが、オウチばかりにいると、他の病気になりそう。それで気分転換に、密にならない安心のテラス席の飲食店を求めて。この「サクラカフェ」さん(つくば市松代)にも、テラス席がありますよ。

こちらのお店は、1年少し前に開店。そして今年7月からはシェフが変わって、ますますグレードアップのお料理です。

実は、新しいシェフさんのこと、数年前からのファンでした。イタリアンのお店のオーナーシェフだったのですが、店舗契約更新のとき、お店を閉じることに。あっという間のことだったので、「どこに行っちゃった?」でした。それが、今回「サクラカフェ」さんでの再会。感激でした。

「ブラッドオレンジジューズ」

このシェフさんは、イタリアのコルシカ島に1年間、単身料理修行に。以前、私がイタリアに行ったときに飲んだ、「真っ赤な色の飲み物!」と思っていた液体の名前を教えてくれました。

「ブラッドオレンジジューズ」というものでした。ブラッドとは血という意味だそうです。これがね、超オイシイのです。そして栄養満点。元気出ます。

お店を始めた当初は、お客さんがあまりいなくて少々心配でしたが、行くたびに増えてきている感じで、身内のような喜びです。つくば市松代のスーパー横。車も止めやすいし、ぜひ食べに行ってみてくださいね。(イラストレーター)

店頭のテラス席

《くずかごの唄》73 弟の初孫 奎ちゃんの俳句

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イラスト右は「俳句2020年11月号」(角川文化振興財団発行)の表紙の一部

【コラム・奥井登美子】本屋さんと図書館は私の楽しみのポイント。読みたい本を探すささやかな興奮は何ものにも代えがたい。この間、本屋で角川文化振興財団が発行する『俳句』11月号の表紙を見つけてびっくり。「角川俳句賞受賞 岩田奎 38年ぶりに最年少受賞記録を更新」。うれしくて、3冊も買ってしまった。

コロナ禍もあって、加藤の家で父の代から続いていた「正月」「ひな祭り」「誕生日」など、年に4~5回の兄弟おしゃべり会が途絶えてしまっている。奎ちゃんに会えないのが何より寂しい。奎は私の実弟・加藤尚武の初孫。高校生になって以来、この集まりのリーダー的存在になっている。

奎の両親は2人とも数学者。京都から東京へ越して来て、どういう偶然か、私が青春を謳歌(おうか)した東京薬科大学の校舎跡地に建った住宅に住んでいる。

「赤い夢」 岩田奎

にはとりの骨煮たたする黄砂かな

煮るうちに腸詰裂けて春の暮

珈琲に氷の残る蜃気楼

餡を炊く焜炉三台藤の花

トマト切るたちまち種の溢れけり

夕日いま葱のうしろへかたむけり

葱を煮るどろりと泡を抱くところ

男の子なのに調理に関心があるのは尚武と似ている。尚武は哲学者のくせに「食いしん坊」。調理が好きでいろいろなものを探してきては料理して人に食べさせる。そういうところは加藤の父にそっくりだ。父もそれで電気冷蔵庫の仕事をしたのだと思う。

祖父の哲学と両親の数学。大学3年21歳の奎ちゃんが俳句をどう発展させるか。これからが見ものである。(随筆家、薬剤師)