月曜日, 6月 17, 2024
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《続・平熱日記》76 娘がいる東京の美容院に行った

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【コラム・斉藤裕之】今日は次女のいる美容院に行く。次女の休みの日を使ってカミさんがカットしてもらいに行くというので、ノコノコついて行く。実はこれが2度目である。最初は今年の夏。長い間坊主頭でセルフカットしていたために、床屋というところへ行くのも10数年ぶりのことで、恐らく最初で最後だと思っていたのだが、再び訪れることとなった。

このにぎやかな街には思い出がある。故郷から受験のために出てきて、最初に滞在したのがこの街にある先輩のマンションで、次女のいる美容院はそのすぐ目と鼻の先だった。ゼロイチゼロイチ? 駅のそばにあるそのデパートを丸井と読むことを知り、快速や特別快速という電車があることも知った街だ。その後も何度かこの街には来ているが、10数年ぶりに訪れた街の変わりようは私をまごつかせた。

子供に頭を触られるという経験。この私でさえちょっとした幸福感を味わえる。いわんや、母親にしてみるとこれほどの孝行もないだろう。

まあ、私の方は座ったとたんにバリカンで刈り上げられて、それでも1000円カットよりはさすがに丁寧に切ってもらって、30分というところか。カミさんは髪を染めている。あと小1時間かかるというから、懐かしき街を散策することにした。夏に来たときは確かとても暑い日だったが、今日はダウンを着てちょうどいい。店はほとんど変わっているのだが、それでも角を曲がるたびに、少しずつ記憶のピースがはめ込まれていく。

「インチキアーティストカット!」

それからカミさんのカットも終わり、3人で昼飯を食べた。人気のカレー屋さんということで、遅い時間にもかかわらず混んでいた。「私にはサンタさんは来ないのかなあ?」と次女はカミさんに冬のコートをねだったようだ。

夕方に子供たちがアトリエに来るので、私は一足先に帰ることにした。茨城は実に平坦で高い建物もないと思っていたが、車窓から見える東京こそ地平線まで家並みが続く、平らな街であることに改めて驚いた。今日、「私はこの街が好き」と次女が言った言葉を思い出した。いろいろ大変だろうが、その一言で多分幸せに暮らしているのだろうと思った。

ところで、この髪型には名前があるのか? 次女曰く「インチキアーティストカット!」なるほど。髪型がインチキなのか、本人のせいか、それともアーティストそのものがインチキなのか。はたまたそのすべてか。

夕方には子供たちが来て、ボール紙と松ぼっくりでクリスマスリースを作った。お迎えのお母さんに「先生、素敵な頭ですね!」と社交辞令を言われた。冷たい風が刈り上げた後ろ頭を横切った。(画家)

《吾妻カガミ》96 NEWSつくば 学園記者会に入会

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左は編集室がある筑波学院大の建物、右は1階入口に立て掛けてある案内版

【コラム・坂本栄】NEWSつくばの筑波研究学園記者会への入会がこのほど承認されました。同記者会はつくば市とその周辺地域をカバーする新聞・通信・テレビ・ラジオ記者の取材拠点ですが、ネットメディアが会員になるのは初めてです。地域ニュースを伝える本サイトの実績と役割が認められたと言えるわけで、メンバー各社の理解に感謝しております。

土浦記者会への入会手続きも開始

2017年10月にスタートした本サイトの編集方針は、コラム67(2019年11月4日掲載)でも触れましたように、「比較的若いまち 研究学園都市つくば市の諸相」「商業都市から観光都市に脱皮しつつある 歴史あるまち土浦市の諸相」を、地域ばかりでなく全国にも発信することです。この3年3カ月、地域のいろいろな話題のほか、税金で仕事をする行政の観察にも力を注いできました。

これまで記者クラブの「外」にいたかというと、そうではありません。記者会の会員であったFM放送「ラヂオつくば」の特約記者として、記者会が関わる会見などには出席、ラジオや本サイトで発信してきました。これからはNEWSつくば記者として活動することになります。

非営利のNPO法人NEWSつくばの執筆陣は、旧常陽新聞(1948~2017年)の記者経験者、元専門紙の記者や問題意識の高い市民記者、各分野で活躍してきた(今も活躍している)コラムニストで構成されています。地域紙出身者が記者会のルールに通じていることも、入会に際して考慮されたのだと思います。

学園記者会入りが認められたことから、現在は市長会見への「オブザーバー出席」だけが認められている土浦市政記者クラブへの入会手続きも開始しました。地域の各種情報ソースへの経路を広げ、本サイトの発信力を強めていく考えです。

記者クラブの対外開放では悪役に

記者クラブについては苦い思い出があります。通信社の証券部長時代(1990年代半ば)、ブルームバーグ、APダウジョーンズ、ロイターなどの米英メディアが東京証券取引所の記者クラブに入会したいと言ってきたとき、私は反対の旗を振りました。外国勢が上場会社の業績といった情報に日本勢と同条件でアクセスできるようになると、競争上まずいと判断したからです。

これに怒った米国勢は、「日本の記者クラブは閉鎖的だ」と、日米摩擦の一つに仕立てました。米政府の抗議を受けた日本政府は報道各社の説得に動き、記者クラブが外国勢にも開放されるようになり、今に至っています。金融証券情報を扱う内外メディアの激突を描いた『勝負の分かれ目』(下山進著、講談社、1999年)で、私は時代の流れ(記者クラブの対外開放)に抵抗する悪役として登場しました。

それから四半世紀。伝統メディアを主会員とする在京記者クラブでは、内外差別は解消されたものの、ネット系など新興メディアの扱いをめぐってはギクシャクがみられます。それに比べると、われわれのような弱小ネットの入会にOKを出した学園記者会は開放的です。25年前の私の振る舞いを反省しながら、以上、NEWSつくばの近況をお知らせしました。(NEWSつくば理事長)

《沃野一望》22 正岡子規『水戸紀行』追歩(2)

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【コラム・広田文世】
灯火(ともしび)のもとに夜な夜な来たれ鬼
我(わが)ひめ歌の限りきかせむ  とて

明治22年に東京本郷より水戸まで歩き抜いた正岡子規を見習い、令和版『水戸紀行』を気取り、年末休暇を利用、夜が明けたばかりのJR天王台駅から歩き始めた。

国道に近づくと、右手水戸方面、左手東京方面の道路標識に出会う。さっそく「水戸」の文字を発見し、柄にもなく気負ってしまう。では、水戸へ向かいましょう。

国道を席捲(せっけん)するさまざまな車の轟(ごう)音に追い抜かれながら、味気なく歩をすすめると、すぐに大利根橋にさしかかる。前方に利根川河川敷、利根川本体の流れはうかがえない。さらに先に茨城県は取手市の台地が望める。

子規の『水戸紀行』には、風景描写が意外と少ないが、利根川の景色については「一面の麦畑処々に菜の花さきまじりて無数の白帆は隊をたてゝ音もなく其上を往来す川ありと覚ゆれども川面は少しも見えず実に絶景なり」と賞賛している。

さて令和版は真冬の県境大橋にさしかかる。上流を望む。冬晴の空気の澄み切った朝は、雪をいただいた富士山が平に広がる景色のアクセントとなる橋上だが、今朝は残念、靄(もや)に煙っている。

ゴルフのOBは「場外邪飛」?

それにしても富士山、どこそこから富士山が見えた、見えないの見聞は昔から多い。富士見坂、富士見町などの地名が各所に残る。

子規の大先輩の芭蕉には「霧しぐれ富士を見ぬ日ぞおもしろき」との、ひねった句がある。日本人特有の、富士山展望への憧憬。北斎の富岳三十六景はまさにその世界。菜の花畑に入日薄れるころに利根川を渡った子規は、富士山を眺められなかったことだろう。芭蕉とおなじ興を覚えたか。

子規の時代、はじめて東京へ出た学生が、平野のかなたに鋭角な山容を発見し、「あっ、富士山だ」と喊(かん)声をあげたものの、友人に「あれは、常陸の筑波山だ」とたしなめられた逸話が残っている。富士山みたがり症候群とともに、東京から筑波山が見えた時代の雰囲気が伝わってくる。

さて令和版は大河を渡り、取手へ近づく。足元の河川敷はゴルフ場。冬枯れのコースにOB杭が白く列をなす。野球好きの子規、ベースボールを「野球」と訳したと知られているが、果たしてゴルフを知っていただろうか。知っていれば、OBを「場外邪飛」とでも訳したか。ちなみに子規が水戸へ向かって歩いた明治22年、イギリスではゴルフの全英オープンが、すでに回をかさねている。

「川を渡れば(子規の時代は渡し舟)取手とて今迄にては一番繁華なる町」とほめられた取手市の標識に迎えられる。さあ、ここからが茨城だ。橋を渡りきり6号国道を進むと、JR取手駅入口交差点の歩道橋に、水戸まで70キロ、土浦まで16キロとある。

うーむ、なかなかの距離。なに、まだスタートしたばかり。さらに国道を下ってみる。(作家)

《続・気軽にSOS》75 学びか?勉強か?

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【コラム・浅井和幸】今回は、「学びか?勉強か?」ということで考えていきたいと思います。と言っても、国語辞典で正確な概念を知識として蓄えようという趣旨ではありません。何となく日々の生活の中で、私たちが次のように捉えているのではないかというところから考えていきたいと思います。

さて、「学び」と聞いて、どのようなことを思い浮かべるでしょうか? 「勉強」と聞いて、何を思い浮かべますか? きっと、学びとは全ての新しい知識や知恵を得ることで、勉強とは学校のテストや資格試験で他人よりも良い点を取るためのものとイメージするのではないでしょうか。

なんとなく、学びは自発的で、勉強は我慢して社会や親から強いられてするものって気がします。学びは楽しく、勉強は苦しいというニュアンスを感じませんか?

どのような運動能力の人でも、自分にあった身体の動かし方で動くことは楽しいことが多いです。例えば、散歩や指の運動や手遊びなんて楽しいですよね。コンサートを見に行って、みんなでこぶしを振り上げたり、身体を一緒に揺らしたりするのも楽しいですね。しかし、学校での運動会やスポーツテストは嫌いな人も多いでしょう。

「学び」「勉強」「運動」「スポーツ」、一体何かが違うのでしょうか? 学校が関わっているかどうか? それもあるかもしれませんが、それだけでは一つ悪者を見つけたから安心しているだけのような気がします。

ポジティブな感覚を得られるか

私が感じるのは、勝負、競争、合格不合格などがあり、それに勝つことが素晴らしいこと、

良いことという考え方が強すぎるためだと思います。なので、負け、不合格はダメなことですから、自分に合わないところでいつも勝負させられ続ければ、面白くないことを植え付けられてしまうのです。相手を蹴落とすというニュアンスも含まれますよね。

しかし、学ぶことや運動の中には、勝ち負けでない領域があるということです。クイズ番組を見て新しい知識を得ることも、去年まで弾けなかった楽器が弾けるようになることも、少しだけ昨日よりも軽快に歩けることも楽しく感じられた経験はないでしょうか。

「昨日の自分よりもより良く」を意識しすぎると、また自分との勝負になって苦しくなる人もいますから注意が必要です。勝負の楽しみが分かるまでは、負けても次に勝てるという喜びを知るまでは、勝負事は刺激が強すぎるのです。何かの知識を得るとき、何か身体を動かすとき、どのようなことで自分が楽しいとか、うれしいとかのポジティブな感覚を得られるか試してみてください。

ちなみに、楽しいと感じる方が、新しい知識や、新しい身体の動きを覚えるには有利らしいですよ。自分自身でも楽しむ技術を身に着けられるとよいですね。

学びは楽しい。勉強は苦しい。運動は楽しい。スポーツは苦しい。さて、あなたの人生は、楽しいですか? 苦しいですか?(精神保健福祉士)

《電動車いすから見た景色》13 言語障害のあるライターとして

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【コラム・川端舞】このコラムを書き始めて、丸1年。基本的に三日坊主の私としては、よく継続していると思う。毎回、とりとめのない話をしている気もするが、福祉施設に入所するのでも、家族から介助を受けるのでもなく、毎日ヘルパーから介助を受けながら、つくば市のアパートで1人暮らしをしている重度障害者の日常を、1人でも多くの人に知ってもらえれば幸いである。

今年3月ごろからは、NEWSつくばのライターとしても活動させていただき、つくば市内で様々な活動をしている方々にお話をお聞きした。コロナ禍で人と会う機会が減っている中で、つくば市をよりよくしようと奮闘しているたくさんの人と、対面やオンラインでお話しする機会をいただけて、幸せな1年だった。

私は言語障害もあり、言葉をはっきり発音することができない。特に初対面の人は、私の言葉を聞き取ることが難しいことも多い。相手が自分の言葉を聞き取れていないと感じたときは、私は伝わるまで繰り返し同じ言葉を言い直す。相手から何回も聞き返されることは、私は全く気にしないし、ちゃんと聞き取ろうとしてくれていることが分かって、逆にうれしく感じることもある。

それでも、あまりに会話の流れを中断させてしまうと、申し訳なく思うときもある。できるだけはっきり話そうとして、いつもより体に力が入り、余計に聞き取りづらい言葉になってしまうことも多い。その空気感が嫌で、幼いころの私は人前でほとんど話さなかった。

介助者がもたらす安心感

しかし、今は取材時を含め、外出するときは必ず、私とのコミュニケーションに慣れた介助者がそばにいる。どうしても言いたいことが相手に伝わらないときは、介助者に助けを求めれば、介助者が私の言ったことをすぐに通訳してくれる。だから今の私は初対面の人とでも安心して話せるのだ。

私が安心して話せていると、自然と言葉の発音もはっきりしやすくなるようだ。最初は介助者に通訳してもらわないと、聞き取ってもらえなかった相手でも、次第に通訳なしでコミュニケーションをとれるようになってくる。また、介助者も私の言葉が聞き取れずに、何回か聞き返す様子を見て、「聞き取れないときは聞き返していいんだ」と分かってもらえることもある。

そんなふうに、初対面の人とだんだんコミュニケーションがとれるようになる楽しさをたくさん感じた1年でもあった。(つくば自立生活センターほにゃらメンバー)

《くずかごの唄》75 私たちが受けた雑然教育

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【コラム・奥井登美子】80歳を過ぎて、私たちが中高校時に受けた目茶目茶(めちゃめちゃ)教育の、雑然とした有り難さが、やっと分かってきた。食べ物も就職もない時代、青年たちは中高校の教師か大学の講師になるしかなかった。私たち生徒は、逆に考えると、個性的で優秀な教師に恵まれていたのかもしれない。

高校時代、後に東京芸大の教授になった石桁真礼生(いしけた・まれお)氏に「発声法」を厳しく鍛えられた。私が後に「NHKのリポーター」になったとき、この発声法が思わぬとところで役に立った。

私は文学部の部長で戯曲作家を目指していたが、京都二条城の御製薬所だった加藤翠松堂(かとうすいしょうどう)出身の父から、親戚の手前もあって、私に薬剤師の免許を取るように強く言われ、あまり気が進まないまま東京薬科大学に入学した。

大学の校舎は上野桜木町。芸大に潜ってデッサンを見たり、音楽会を聴いたり、動物園の中に塀の隙間から潜り込んだりした。新制大学3年目、大学になったものの、専門学校にはなかった単位を、どの教師に依頼するか、学校側でも皆目分からない時期だったのだろう。個性的な先生ばかりだった。

寺田寅彦、正木昊、奧井誠一…

黒板に、週替わりで寺田寅彦(てらだ・とらひこ)のエッセイが張ってある。物理学と文学との間のこのような世界がある。私は戯曲以外の文学にも心を奪われていった。寺田寅彦は今読んでも楽しい。古くさくなく新しい宇宙を感じることができる。

法学は「首なし事件」の正木昊(まさき・ひろし)先生。この先生は漫画の天才で、黒板に漫画を描きながら話をする。松川事件、三鷹事件、口角泡を飛ばして言葉が弾き出され、飛び交い弾ける。「そもそも官僚根性は、自分の立身出世のためには何ものをも犠牲にする。独善、無責任、形式主義」。言葉のリズムと漫画が混然一体となった授業だった。

弁護士の正木先生は、水戸の先まで行って首のない遺体を掘り起こし、電車で運んで殺人を立証した人である。世間では、その事件を「首なし事件」といって話題になった。

東大は地理的に近いせいか、助教授クラスの若い先生がたくさん講師に来てくれていた。「裁判化学」の奧井誠一もその一人である。後々、この人に「弟と結婚してやってほしい」と、口説かれるとは夢にも思わなかった。(随筆家、薬剤師)

《ご飯は世界を救う》30 「アルゾーニ・イタリア」デッキでお昼

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【コラム・川浪せつ子】ますます増えてきたコロナ! でも、気分転換しないと、メンタルやられそうな私です。そんな感じで、デッキでランチできる場所を求めて「アルゾーニ・イタリア」(つくば市赤塚)さん。こちらのデッキは北側で、晩秋はやや寒かったものの、おいしいご飯で心が温まりました。

とっても人気のお店。午前11時開店なのですが、事前予約はできないということで、11時少し前に到着。すでに何組かのお客様が、玄関外で待っていました。そしてデッキには、7人くらいの女性のグループも。かなり久々に皆さん会ったようでした。お外だったら、少しまとまった人数でも、安心感ありますね。

「アルゾーニ・イタリア」のミモザ

このお店の道路側のお庭には、大きなミモザの樹があります。3月になると花をたくさんつけて、見事です。そして、道を隔てて斜め前には赤塚公園。ここは洞峰公園と遊歩道でつながっていて、どちらも県立公園です。穴場かな。紅葉も美しく、とても整備されていて、池の周辺には、たくさんの水鳥もいます。

美味しいイタリアンと、ステキなお花、マッタリとした公園。茨城県、そして、つくば市って、いいなぁ~ (イラストレーター)

《法律かけこみ寺》25 かけこみ寺の功績

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土浦市神龍寺(本文とは関係ありません)

【コラム・浦本弘海】法律かけこみ寺も早いものでいよいよ最終回、今回で連載18回から前回までを振り返りたいと思います。

〈18 特別法のある金曜日〉

検察庁法改正という時事ネタにからめ、「上位の法は下位の法を破る」、「特別法は一般法を破る」、「後法は前法を破る」という制定法相互間の優劣に関する3つの原則を紹介しました。

見出しは赤川次郎『上役のいない月曜日』より。

〈19 とある会社の消滅時効〉

民法に非常に大きな改正が行われ、2020年4月から施行されています。そこで、この改正でも特に重要と思われる、消滅時効の部分がどのように変わったかを取り上げました。

見出しは鎌池和馬『とある魔術の禁書目録』より。

〈20 大量の雨が―おお!おお!おお!〉

ネタに困ったときは身近なトラブル。この回は隣地から雨水が流れ込んだときの法律関係として、民法の条文を紹介。ロシアのことわざに「家を買うな、隣人を買え」とあり、中国の故事に「百万宅を買い、千万隣を買う」とあるのもうべなるかな。

見出しはコードウェイナー・スミス『黄金の船が―おお!おお!おお!』より。

〈21 法律トリビアの泉〉

法律トリビアとして、一番短い法律を紹介。なんと、条文にしてわずか1条、法律全体の文字数がたった12文字! その法律とは、「陪審法ノ停止ニ関スル法律(昭和18年法律第88号)」。

見出しはTV番組『トリビアの泉』より。

〈22 登記にかける症状〉

登記には公信力がない、つまり登記簿上、所有権の権利者(所有権者)とされている者が(法律上の)真の所有者とは限らないという話。

見出しは映画(大林宣彦監督作品)『時をかける少女』より。

〈23 大いなる(負の)遺産〉

遠戚の遺産を相続するかしないかという話。最近は負の遺産の場合もあり、相続放棄にフォーカスして紹介しています。

見出しはチャールズ・ディケンズ『大いなる遺産』より。

〈24 いつつのかい〉

連載第13回から連載第17回までを振り返った総集編。前回と今回で、1年分の連載をあっという間に読めるお得な回。

見出しは加納朋子『ななつのこ』より。内容はもちろん装画も素晴らしい逸品です。

〈25 かけこみ寺の功績〉

今回です。

見出しはロバート・バー『ヴァルモンの功績』より。内容的に「功績」というのは諧謔(かいぎゃく)で、どれだけ皆さまのお役に立てたか分からないこのコラムの締めくくりには、もってこいの作品と申せましょう。

ご愛読、ありがとうございました!(弁護士)

《邑から日本を見る》77 大飯原発設置許可取り消し判決の波紋

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畑で餌をついばむハクチョウ=那珂市下大賀

【コラム・先﨑千尋】今月4日、大阪地裁は関西電力大飯原発3、4号機の耐震性を巡り、新規制基準に適合するとした原子力規制委員会の判断は違法だとした。この裁判は、福井県や近畿地方の住民が、同発電所の設置許可を取り消すよう求めていたもので、「原子力規制委員会の判断に看過しがたい過誤、欠落があり、設置許可は違法」という内容。一審の判決なので、確定ではないが、東海第2原発など各地で起こされている原発再稼働差し止め裁判に影響を与えよう。「琉球新報」は「再稼働のよりどころ否定。再稼働を推進してきた国や電力会社に与える打撃は大きい」と書いている(5日付け)。

争点となったのは、関電が算出した耐震設計の目安となる揺れ(基準地震動)の値や、これを基に設置を許可した規制委の判断が妥当かどうかだった。関電は、新基準に基づき、大飯原発の基準地震動を福島原発事故前よりも引き上げて856ガル(ガルは加速度の単位)と算定し、規制委も了承した。

これに対して住民側は、この基準地震動は少なくとも現行の1.34倍の1150ガルになる、規制委の審査ガイドにも「ばらつきも考慮される必要がある」と記載されている、現在の原子炉は耐震性を満たしていない、と主張していた。規制委内部でも、元規制委員長代理の島崎邦彦氏は、この数値は過小評価であると再考を求めていた。

判決で重視されたのはこの「ばらつき」。福島原発事故や熊本地震のときもそうだったが、自然現象には「想定外」がつきものだ。規制委が審査ガイドを作る際、「基準値(計算式)よりも大きな地震が起きることを想定すべきだ」という指摘があったことを踏まえ、数値を上乗せする必要性に言及。森裁判長は「国(規制委)が自ら作った基準通りに従わず、審査すべき点を審査していないので違法」と規制委の審査姿勢を糾弾している。

再生可能エネルギーが世界の主力電源

東海第2原発については、施設が壊れるギリギリを示す原子炉基準値は1009ガル。この数値がどの程度のものなのか、素人の私にはわからないが、先月に開かれた日本原電の住民説明会でも「この数値は過小評価ではないか。この2倍の地震が来ればどうなるのか」という質問に、あいまいな回答しか返ってこなかった。東海第2では、このばらつきの上限はどれくらいなのかを聞いておきたかった。

この基準地震動は他の原発でも大飯原発とほぼ同様の手法で計算しているようなので、審査の土台となる規制基準の妥当性そのものが疑われよう。「日本経済新聞」は「原発安全審査、信頼性に影。福島事故から10年を迎えようとする中、規制の棚卸しが必要な時期」と指摘している(5日付)。また「茨城新聞」は「関電は司法判断を謙虚に尊重し、運転は見合わせるべきだ」と提言している(5日付社説)。

関電幹部は「どこまで巨費をつぎ込めば安定稼働できるのか」と悲鳴を上げているそうだ。再生可能エネルギーが世界の主力電源に向かっている今、安全対策に無限の投資を続けるより、危険極まりない原発の再稼働を止め、別の道を歩くことの方が安全なのではないか。(元瓜連町長)

《食う寝る宇宙》75 「はやぶさ2」を見た子供たちの未来は?

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【コラム・玉置晋】2020年12月6日未明には、ムクムクっと起き出してテレビをみていたので、寝不足の中で本原稿を書いています。はやぶさ2から分離したカプセルが大気圏に突入し、大気との摩擦熱で発光しながら、帰還する姿にはウルウルしてしまいました。

2014年12月3日に地球を飛び立ってから6年の歳月が経っていました。はやぶさ2の本機はカプセルを分離後、地球を離脱して、次なる目的地に向かいました。

このニュースを見た子供たちの中から、宇宙を目指す人材がたくさん生まれるに違いないと考えています。私の母はこのニュースを見て、母が子供のころに読んだ絵本の話をしてくれました。絵本には「将来、動く歩道ができるだろう」「将来、人類は月に行くかもしれない」と書いてあったそうです。

15年後、母は高校の教員になり、修学旅行の引率で東京を経由した際に、初めてエスカレータに乗ったそうです。1960年代初頭のことだと思います。そして、1969年に人類は月に降り立ちました。今、はやぶさ2のニュースを見た子供たちが活躍する15年後、どの様な世界になっているのか。

どうか、次の15年後にどうなっているのかと、希望を持てる世界であることを願います。

中国は月でサンプルを採取

日本では、はやぶさ2のニュースの影に隠れていますが、2020年12月1日、中国の月探査機「嫦娥(じょうが)5号」が月面に軟着陸し、12月3日、月面の岩石や土壌の採取に成功し、地球に戻るために月面を離陸したそうです。

同じころ、アメリカのNASAは、月の表土サンプルを収集し地球に持ち帰るプロジェクトへの参加企業を募集、日本の企業も選定されたというニュースが流れました。宇宙資源の争奪戦が始まりつつあるようです。

宇宙の真理を追究する時代、違う流れが大きくなっていることを、楽しみとみるか、懸念とみるか、現時点では判断は避けますが、世の中の動きをしっかり見ておきたいものです。(宇宙天気防災研究者)

《遊民通信》6 バンプ・オブ・チキンと寅さん―芸能人の結婚―

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【コラム・田口哲郎】

前略
今回はコロナを離れて閑話休題といきましょう。この間、人気バンドのバンプ・オブ・チキンのニュースを目にしました。ボーカル藤原基央氏の結婚です。おめでとうございます。さて、世間を驚かせたのは、未婚だと思われていた他のメンバー(直井、増川、升各氏)が実は既婚者だった、という続報です。事務所関係者談というのですから穏やかではありません。

プライベートですから、結婚を非公開にすることにもちろん問題はないです。しかし、なぜ結婚を非公表にしたのでしょう? ファンがそう望むだろうから、という答えが返ってきそうです。ロックバンドとはいえ、あれほどの人気があれば、アイドル的といえるでしょう。

アイドルはファンみんなのものです。某女性アイドルグループは恋愛禁止をうたっていますね。確かに好きなアイドルが誰かの恋人、妻、夫なのは面白くないでしょう。疑似恋愛だとしても、不倫みたいで嫌だと心の底で思うのでしょう。人間は思ったよりも道徳的で潔癖な動物なのかもしれません。

人気者は孤独をまとう

映画「男はつらいよ」シリーズの寅さんを思い出しました。寅さんは全国各地の露店を回る渡世人です。行方定めぬ旅人は遊民に似ていて親しみを覚えます。

さて、寅さんは毎回登場するマドンナにほれますが、結局恋仲になる前に玉砕して、また旅に出ます。もし寅さんが名うての色男でマドンナを次々とものにしたら、あの映画は国民的映画になり得たでしょうか? 長寿シリーズたりえたのも、寅さんが万年失恋独身男だからだと思います。

ファンはバンプ・オブ・チキンのメンバーには寅さんであって欲しかったのです。藤原氏は孤独や生きる不安を詩に込めて唄い、他メンバーは抒情的旋律を奏でますから、彼らからは、成就する恋愛を想像しにくいのです。

そういえば寅さん役の渥美清氏はプライベートを一切明かさないことで有名でした。山田洋次監督でさえ家も家族も知らなかったそうです。渥美さんは大衆が寅さんに何を求めるのかよく分かっていたのでしょうね。そういう意味ではバンプ・オブ・チキンのメンバーの姿勢はたたえられるべきです。ファンの独占欲と道徳心を満たすために、プライベートをひた隠してロック界の寅さんを演じていたのですから。ご苦労さまです。

孤独はアーティストにとって軽視できない要素です。自分に対するイメージのみならず、創作の本質としても。『変身』で知られるカフカは結婚まで考えた恋人と結局別れました。結婚すると孤独ではなくなり、小説を書けなくなると考えたからです。

『叫び』で知られるムンクは独身時代に暗く強烈な絵を描きました。しかし、幸せな結婚をして、同じ画家の作品かと驚くほど画風が明朗になりました。さて、かく言う私は孤独な遊歩者ですから、哀しいかな、何も隠すことはありません。気楽ですが、少し寂しいです。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

《映画探偵団》38 中心市街地で運動公園問題を考える

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イラストは筆者

【コラム・冠木新市】12月6日。ある市議と出会ったので、つくばの中心市街地を運営する予定の「まちづくり会社」について、どうなっているのか尋ねてみた。すると市議は「他の市民からも聞かれているが、自分もまだ市から知らされていない」と答えた。そして、「最近では『まちづくり会社』に疑問を持つ市議が増えている」とも教えてくれた。

同日午後1時。TBSテレビ『噂の!東京マガジン』を見た。「つくば市総合運動公園」の特集だったからだ。約20分の構成は、5年前に運動公園計画に反対し住民投票で白紙撤回させた「つくば市民の会」代表2人への取材と、その後の経過報告。次に東京ドーム10個分の運動公園予定地跡をどうするのか、市議へ質問。①土地売却と活用案の併用②条件付き売却③防災拠点活用案―の意見が紹介された。

そして、番組コメンテーター清水国明氏が、つくば市にRVパーク(キャンピングカーで車中泊ができる場所)を造ったらと提案し、防災拠点にもなると語った。その後リモート出演した市長は「一部は防災倉庫に活用して残りは民間に売却したい」との考えを話した。

これらの話を聞くうちに、私には、中心市街地で行われたイベントの記憶が蘇ってきた。2018年、中央公園の雑木林での「手ぶらでバーベキュー」。2019年、中央図書館隣の空き地での「つくばVAN泊」(キャンピングカーが集まった)。

あのときは、他にいくらでもよい場所があるのに、どうして中心市街地でやるのか不思議だった。しかし、今回のテレビ番組で謎が解けた。これまでの企画は、「総合運動公園跡地利用」への宣伝効果を狙ったものだと考えると一本の線でつながるからだ。

初めて知った「防災拠点=RVパーク」(?)計画と「売却」が悪いのではない。中央メディアで発表する前に、市議や市民へ知らせるべきではなかったかと言いたいのだ。だから私には、土地とキャンピングカーとテント用品などを売るビジネス計画に見えてしまった。

『猿の惑星』シリーズ

12月に入って、映画『猿の惑星』オリジナルシリーズ5部作(1968∼1973)と新シリーズ3部作(2011∼2017)を見直した。第1作『猿の惑星』(1968)は『2001年宇宙の旅』と同時期に公開され、それまでゲテモノ扱いされていたSF映画が一躍1級ジャンルへと昇格するきっかけになった作品である。また未来への不安をかきたてる先駆けとなった作品でもあった。

地球に帰還するロケットに乗った宇宙飛行士テイラーが事故で不時着する。ゴツゴツした赤茶けた岩山と砂漠が広がる惑星。そこは、ゴリラの軍団やオランウータンの行政官やチンパンジーの学者たちが人間を支配する猿の惑星だった。

テイラーは猿のまちで獣の扱いを受ける。そして、猿に抵抗したテイラーはノバという女性を連れて猿たちが恐れる禁断地帯へと足を踏み入れる。すると、テイラーは砂浜を叩いてわめきだす。目の前には、腰の辺りまで砂浜に埋まった自由の女神像があった。猿の惑星は核戦争で滅んだ未來の地球だった。テイラーは猿にも劣る人間を罵倒していたのだ。

中心市街地つくばセンタービルと総合運動公園跡地の森が一本の線で結ばれていると考えると、色んな思いが湧いてくる。センタービルは遺跡であるから老朽化などしない。エレベーターは3基あり、車イスで広場に入れる場所は5カ所もあるから、弱者用をアピールするエスカレーター2基は必要ない。

むしろ、センタービル改造資金を総合運動公園跡地や学校建設関連に回す方が得策だと思う。猿知恵と皆から笑われるだろうか。私はテイラーの気持ちがよく分かる。サイコドン  ハ トコヤン サノセ。(脚本家)

《土着通信部》42 福島第1原発事故から10年が迫る町

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双葉町の東日本大震災・原子力災害伝承館と伊沢史朗町長(円内)

【コラム・相澤冬樹】東京電力福島第1原発事故に伴う住民避難が続く福島県双葉町を先月末、約6年ぶりに訪ねた。環境省が現地で開いた「福島再生・未来志向シンポジウム」に参加を申し込んだ。原発の隣接地に設けられた「中間貯蔵施設」への現地見学を希望してのGoToだった。

東日本大震災から10年となる来春に向けての情報収集という意図が働いた。そのせいか、取材メモは数字を書きとる作業に終始しがちだった。

たとえば中間貯蔵施設では、毎日約2800台のダンプトラックを受け入れているという話を聞いた。「ペースカー」と呼ばれる10トントラックには1台6~7個のフレコンバッグが積まれているそうだ。

フレコンバッグには、福島県内の除染に伴い発生した土砂や廃棄物などが詰め込まれている。6年前には地表を剥ぎとられた田畑や原野に、膨大な量の土のう袋が野積みされていた。あの黒い袋の現時点の回収地点が、中間貯蔵施設ということになる。

施設は、原発を取り囲むように、双葉、大熊両町にまたがって6号国道から海側の約1600ヘクタールの地域を占めている。ここに汚染土を最終処分までの間、安全に集中的に貯蔵すべく、環境省が設置、中間貯蔵・環境安全事業(JESCO)が運営する事業が2015年から行われてきた。

輸送対象となる福島県内の汚染土は約1400万立方メートルに達するとされ、11月までに約7割の965万立方メートルが同施設に運びこまれた。21年度中には完了の見通しということである。

こんな数字ばかりをメモしていると、逆に現場にいることのリアリティーを失いかける。目の前では、集めてきた土を、放射線量の最も高い原発隣接地の地面の中に埋め立てるという風変わりな作業が展開されている。しかも、これはあくまで中間処理でしかない。法律では「45年3月12日までに同施設から全ての廃棄物を搬出し、県外最終処分しなければならない」と定められている。地中のアンダーコントロールを、どこまで信じたらいいのか。

まだだれ一人戻っていない

結局、2日間のシンポジウム日程で、一番印象に残った数字は双葉町の伊沢史朗町長による「町にはまだだれ一人戻っていない」だった。

県内自治体で唯一全町避難が続いていた双葉町だが、3月に一部の地域で避難指示が解除された。JR常磐線双葉駅周辺の帰還困難区域と、町北東部の避難指示解除準備区域。ただ、産業団地への企業誘致や住宅整備などを進めるための「先行解除」で、居住は想定していない。

町長は2022年春の特定復興再生拠点の解除を目指し、双葉駅周辺に役場や住宅、商業施設などを集約するコンパクトな町づくりを掲げる。住民が帰還した際の雇用の受け皿になるよう産業団地が整備され、県内外の12件17社と立地協定を結んだ。

3月に常磐双葉インターチェンジが供用開始、常磐線は全線での運転が再開され、町へのアクセスは向上した。9月には解除区域に飲食店が入る産業交流センターや東日本大震災・原子力災害伝承館がオープンした。農地再生を目指し、営農再開に向けた実証実験も始まった。

しかし町長の前には冷たい数字が横たわる。震災・原発事故以前の2011年2月末の人口7100人は、ことし11月30日現在5798人まで減少した。住民意向調査では、「戻りたいと考えている」との回答は約1割にとどまり、「戻らないと決めている」が6割を超える。住民帰還への道のりは険しい。(ブロガー)

《続・平熱日記》74 シャツのシワに想う

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【コラム・斉藤裕之】先日新聞を読んでいて目に留まったのは、最低賃金の算出にアイロン代を入れるべきか否かという議論。つまり、働くためには最低限シワのないシャツが必要だというお話。この一見バカバカしいとも思える話はコロナとも無関係ではなく、営業悪化のツケは結局非正規の社員やアルバイトに回ってくるということらしい。

お手てのシワと違って、シャツのシワを合わせてもシワヨセがくるということだ。例えば、フランスの銀行にはスーツを着てないどころかラフな格好にピアス姿のあんちゃんが普通に窓口にいる。日本人の清潔感や礼儀正しさは美徳だと思うけれど、少しばかり過包装に感じることもある。

学校や会社での面接でも、きちんとしているから優秀とも限らない。リクルートスーツなんてのも、考え直した方がいい。ちなみに、おカネがなくてヨレヨレのシャツを子供に指摘された経験を持つ私としては、「シャツにシワあるのは自然素材を着ている証!」という詭(き)弁?でごまかしてきたのだが…。

このごろやっと世間が追い付いてきたようで、つまりあれだ! SDGsとか言っている人はまず地球にやさしくないクリーニングやアイロンはやめて、シワシワのシャツで会議に出なさい!ってことだ。

世の常識は「日雇い」の身には負担

話はガラリと変わるが、このコロナ禍で私のツブヤキが予言の如く現実となっているのだが、あまり自慢できることでもない。例えば、オリンピックはもう少し質素にとか、修学旅行や学校の行事の在り方や、働き方の見直し―など。先の国勢調査で自治会の意味も問われたとか、国民放送の映らないテレビを発売することなども話題に上がっているようだ。つまりはコロナのせいで本質が見えてきたのか、建前が通じなくなってきたということか。

それから、マイナンバーカード。4桁の暗証番号が必要だというので、窓口のご婦人に尋ねた。「あなたご自分の番号覚えておいでですか?」って。怪訝(けげん)な顔をされたが、顔写真まで付いた自分を証明するカードにまた数字の証明がいるとは。予想通り、定額給付金の支給でこの暗証番号がわからなくなってしまった人が役所に殺到した。

とはいえ、予言者のパラドクスは自分の未来を予言できないということ。私も日銭を稼ぐために、週に何度かはシワのない(できない)シャツを着なければならないのだが、1本しかない折り目のある夏物のズボンをまだ履いていて、さすがにスースーすると思ったらもう12月だ。

慌てて引っ張り出した冬物のズボンが、太ったらしく入らない。そもそもズボンに折り目が必要なのか。そもそも夏物とか冬物とか気にしたこともなく、綿のズボンを年中履いていたのだが。

シャツのシワだけではなく、私の経験からもサラリーマンを基準にした世の中の常識が、日雇いの身には結構な負担になることが多々あった。ちなみに、ネクタイはかの美浦村にて子供の柔道大会の参加賞でもらった中央競馬会の青いヤツを1本きり、今でも使っている。日雇いに出掛けるときは、それをシワシワになった首に巻く。(画家)

《吾妻カガミ》95 つくば市長の「上から目線」

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】民間会社の場合、株主や顧客に業績や商品について理解してもらう仕事を広報と呼び、企業活動にとっては大事な分野です。公の市政の場合、その対象は市民になりますが、10月に再選された市長の五十嵐さんは、選挙活動の中で市政への理解不足を痛感したらしく、2期目では広報に力を入れるそうです。

その意気込みについては、11月の会見記事「発信の在り方 根本から検討」(11月5日掲載)をご覧ください。理解不足の例として、①市のかなりの取り組みを知らない市民が多かった②対抗候補も市の基本的な取り組みすら知らなかった③市政について相当いい加減なことを書く人もいた―などを挙げ、「市民が必要としている情報をどうやって届けられるか、あらゆる手段を考えたい」と述べました。

広報の充実はメディアも大歓迎です。でも、市民の理解不足を嘆き(平均的な市民が市政の詳細を知るのは無理)、対抗候補を見下す(彼らは無投票を避けようと急な準備で出馬を決断)ような、「上から目線」はいただけません。また、観察者(開示情報を基に市当局とは違った視点でチェック)を煙たがるようでは、度量が狭すぎます。

施策を立案・実施する市長がその内容に精通しているのは当たり前ですから、自分との比較で、①②③の方々の理解度にブツブツ言うのはいかがなものでしょうか。

広報は「自然体で」「虚偽はダメ」

経済記者が長かった私は、上場会社の広報責任者から広報の在り方についてよく相談されました。旧財閥系企業の広報コンサルタントが主催するセミナーでも、よく講演させられました。そういった際には、「自然体で対応する」「ウソをつかない」ことが大事とアドバイスしたものです。別の言い方をすれば、装飾や虚偽はいずればれる、そのとき会社は信用を失い、経営が危機に至るケースも―ということです。

行政広報と企業広報は同じではありませんが、「自然体で対応する」「ウソをつかない」は受け手が誰であろうと同じです。そして大事なのは、「広報の方法」ではなく、「広報の中身」であることは言うまでもありません。テクニックにこだわると宣伝臭くなり、信用されなくなります。

「NEWSつくば」は5月、市長と日本財団理事長の面談録(新型コロナ軽症者施設を市内の同財団敷地に設置する件)を開示するよう市に請求しました。6月9日付の回答は「存在しない」でしたが、25日にその旨を記事にしたところ、30日になって「発見された」と修正してきました。虚偽がばれると思ったのでしょうか? その詳細は本サイトの記事(7月29日掲載)をご覧ください。

五十嵐さんは市長選の討議資料で、1期目を「9割以上の公約が達成もしくは順調」と自己採点しています。これに対し、本コラム(10月19日掲載)では「総合点は60点以下」と判定しました。選挙向けとはいえ装飾はいけません。市報でも、市HPでも、SNS発信でも、報道対応でも、広報は虚偽と装飾を排し、自然体でお願いします。(経済ジャーナリスト)

《介護教育の現場から》2 介護における外国人労働力

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介護の実習

【コラム・岩松珠美】現在日本で働く外国人介護職は4つに分類される。第1分類は経済連携協定(EPA)事業の一環で、インドネシアやフィリピンなどから受け入れているEPA介護福祉士候補者。第2分類は日本の介護福祉士養成校を卒業した在留資格「介護」をもつ外国人。筆者が勤務する専門学校の学生がこの区分に該当する。

さらに、第3分類は技能実習制度を活用した技能実習生、第4分類は在留資格「特定技能1号」を持つ外国人である。いずれも、5年の日本滞在中に国家資格「介護福祉士」を取得できれば、永続的に日本で介護職としての就労が可能となる。

実際、来日の時点での日本語能力や介護知識・技術については、大きなバラツキがある。第2分類の学生たちは日本語学校で、半年から1年学び、それから介護福祉士の養成校に進学し、2年間、日本の生活文化や介護について専門的に学ぶ。

これらの学生たちに比べると、EPA候補者、技能実習生、特定技1号職は、日本語や日本文化、介護の専門的知識・技術を学ぶ時間が短く浅い。日本の日常生活に不自由しない力と介護に必要な基礎的技能に求めるラインをどこに引くのか―教育と技能訓練に対する考え方の違いに現れているように思う。

外国人介護労働力は欠かせない

茨城県労働局の調べ(2019年)によると、県内で働いている外国人労働者は約3万7千人で、茨城は全国11位である。うち医療福祉分野で働く人は670人いる。

また千葉県の外国人労働者受入施設への調査(2018年)によると、これまでに外国人介護労働者を受け入れた施設は34.1パーセント、1施設当たり1.8人。これらの数字をみると、地域での外国人介護労働力は欠かせない存在となっている。

最近訪問した土浦市内の特別養護老人ホームの施設長はこう話している。

「私たちは、EPAや技能実習での介護スタッフを採用して、衣食住環境を整え、日本語研修講座への送迎までやっています。受け入れ仲介組合に手数料や事務費を支払うと、日本人を雇用する場合の1.5倍くらいコストがかかります。施設を経営する立場では、今後どんどん外国人雇用を進めようとは思えないのが現状です」

身近な生活圏で、外国人介護職員が当たり前のように働く時代がまもなくやってくる。そういった流れの中、お互いの文化や考え方を大切にしながら、介護を受ける共生社会づくりをどう進めたらよいのであろうか。(つくばアジア福祉専門学校校長)

《続・気軽にSOS》74 あなたの選択は?

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【コラム・浅井和幸】私達は、毎日毎日、様々な選択をしています。靴下をどちらの足から履くかというささいなものから、プロポーズをするかとか、どの職業に就くかとか、人生の大きな分かれ道のものまでです。それは、無意識レベルから、長い時間をかけて悩んで答えを出すレベルまで、様々です。

いつも忙しくて選んでいる暇なんてないよという方も多いことでしょう。そういう方は、無意識でいつもと同じ選択肢を選んでいることがすべてなのかもしれませんね。

自分が選んでいるのではなく、それしかないから仕方なくだよ、という方も多いことでしょう。そういう方は、こうすべきという決めつけで、状況のせいにして自分の希望の選択を後回しにしているのかもしれません。

今、幸せである人、好循環でますます幸せになっている人であれば、無意識の選択や流された選択でもよいのかもしれません。しかし、今が苦しいとか、悪循環を起こしているとかで、どうにかしたいと考えるのであれば、この選択ということを意識して考えることが大切です。

人というものは、私たちが考えている以上に、積み重ねることや今を耐えてより大きな満足を得ることが苦手です。また、目の前の小さな苦を避ける傾向もあります。例えば、目の前に大好きな粒チョコを1つ置きます。今すぐ食べてもよいのですが、10分待ったら3つ食べてもよいというルールがあるとします。意識して考えると3つ食べたいのに、目の前の1つのチョコを食べてしまうようなものです。

自分の望みに近づける行動

また、半年待てば10万円で買えるものを、今すぐ欲しいので11万円で買ってしまう性質もあります。ローンを組んで物を買うというのは、そのようなことですよね。小さな摩擦を避け続けるために、ストレスがたまって大喧嘩をしてしまうという経験はしたことがないでしょうか。

ほとんどの人は、幸せになりたいとか、金持ちになりたいとか、健康になりたいとかの望みを、ある程度は真剣に持っているでしょう。しかし、これらは積み重ねなければ達成できません。

毎日の生活の中で、「幸せ」「お金」「健康」をないがしろにして優先する快楽だったり、危険を避けるだったりの行為を優先してしまうことがあるでしょう。人や自分自身の悪口を考えたり、言ったり、何で買ったのだろうと後悔するようなものを購入したり、運動せずに暴飲暴食をすることを優先して行うなどです。

毎日が忙しく、無意識に行動してしまっている。よくないと思っていても、面倒だから行動している。それらの行動は、本当に仕方のないことでしょうか。自分の希望よりも優先して選ばなければいけない選択肢なのでしょうか。

もう一度だけ考え直して、自分の望みに近づけるような行動はできないのか試してみてください。人とのささいな勝負に勝つのではなく、様々な困難に克つことを大切にできるとよいと私は考えています。(精神保健福祉士)

《ことばのおはなし》27 紙の書物の存亡

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【コラム・山口絹記】スマートフォン片手に本屋を徘徊(はいかい)するのは、私のいつもの休日だ。「せどり」をしているわけではない。しばらく立ち読みをして、目的の書籍たちが、紙の書物で購入すべきものか、電子書籍で購入した方がよいものかを検討する。三度の飯より読書が好きとはいえ、自宅の本棚が崩落しては面倒だ(実際この10年で本棚を2度壊している)。電子書籍で済ませられるものは済ませるに越したことはない。

電子書籍といえば、電子書籍が紙の書物を駆逐するか、という議論がされて10年以上が経つ。個人的には紙の書物が駆逐されようと、レイ・ブラッドベリの『華氏451度』のような、読書という行為そのものが禁じられる世界がやってこなければよいと思ってしまう。

度重なるビブリオコースト(書物大虐殺)の後の世に、博物館のショーケースに飾られた、ボルヘスの『砂の本』、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』、寿岳文章の『書物の共和国』を眺めて歩いたその午後に、伊藤計劃の『ハーモニー』のごとく「誰かが孤独になりたいとしたら、死んだメディア(紙の本)に頼るのが一番なの」とうそぶいて、紙のページをめくれるならそれはまだきっと贅沢(ぜいたく)な時間だ。

ここまで書いて、やはり紙の書物は私の身体の一部、延長なのだな、と再確認する。紙の書物の絶滅の話になると、どうも文章が感傷的になってしまう。

電子書籍は紙の書物を滅ぼすか?

さて、「これがあれを滅ぼすだろう」という台詞(せりふ)は、ヴィクトル・ユゴーの『ノートル=ダム・ド・パリ』に出てくるものだ。“これ”は“書物”で、“あれ”は“建物(ノートル=ダム大聖堂)”を示している。もちろんここでの意味は本の重みが大聖堂を崩壊させる、ということではない。

少し説明すると、グーテンベルク革命が石の書物、人の思想・知・記憶の結晶ともいえる教会を滅ぼすだろう、ということだ。もう少しだけ説明すると、グーテンベルク革命というのは、1455年にヨハネス・グーテンベルクによって、活版印刷による本の複数生産が可能になったという、技術革命のことである。

15世紀当時の“書物”と“建築”の関係と、21世紀現在の電子書籍と紙の書物の関係は相関するのだろうか。もし相関があるのならば、書物の普及がある意味において当時の特権に影響を与えたように、電子書籍もまた紙の書物という媒体に影響を与えることもあるだろう。

だがしかし、いくらでも書籍を手の内に召喚できる電子書籍とはいえ、画面をスリスリこすったり、スクロールしているうちは紙の書物は安泰だというのが私の考えだ。そもそも私が読みたい書籍はあまり電子化されていないのだ。まだ絶滅されては困ってしまう。

紙の書物の存亡を憂うよりも、電子媒体で書籍を読むようになって、私たちと書籍の関係はどう変わってゆくかを、しばらく観察するほうが有意義だろう。(言語研究者)

《くずかごの唄》74 イチョウの雌と雄

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コラム・奧井登美子】わが家の庭の真ん中に大きなイチョウの木がある。兄の奥井誠一が生まれたときに、舅(しゅうと)が大喜びしていたら、今の土浦一中地区公民館の敷地にあった平本医院の平本先生が、「誕生記念だ」と言ってイチョウの木を下さったという。

樹齢100年、高さもいつの間にか20メートル近い大木になってしまった。秋、葉の色は美しい黄金色。家の庭はまるで黄金の扇子で敷き詰められた絨毯(じゅうたん)。イチョウは雄雌で木の葉の形が違うらしい。昔の東京大学のマークの切れ込みのある葉は雄の木の葉。わが家のイチョウは雌なので切り込みのない扇形である。

イチョウの精子は元気がよくて1000メートルくらい飛ぶという。わが家の雌イチョウめがけて亀城公園あたりから精子が飛んできて、仲良くなって結実する。

秋、ギンナンが落ちる。ギンナンの果肉は皮膚炎を起こす人が多いので、「ツラの皮の厚い人」しかギンナンむきができない。私のツラの皮は人一倍厚いと見えて、かぶれないので皮むきも私の仕事になってしまった。

粋な戯れをする植物

敗戦後、疎開先から東京に帰ってきた私は、下町が、大空襲の焼け跡ばかりなのに、神田、お茶の水、上野などを歩いてみて、古い建物が残っている場所があるのに気づいた。イチョウの木があったおかげで、火が止まって、燃えずに残ったという町もいくつかあった。

昔から神社やお寺の境内にイチョウを植えたのは、火事の時の、安全の願いもあったのかも知れない。イチョウは気温が急に高くなると、シュウシュウと音がするほどの、ものすごい勢いで湯気を吹き出す。街角にイチョウの木があれば、火事で急に気温が上ったとき、湯気を吹き出すに違いない。

イチョウの木と仲良く付き合ってみると、植物のくせに動物に近いような、奇妙な意志のあることがわかる。1000メートルも精子を飛ばして、高い木の上で合体するなどと、粋な戯れをする植物は他にないだろう。(随筆家、薬剤師)

《つくば法律日記》13 お酒の法律で変わるマーケット

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堀越さんの事務所があるつくばセンタービル

【コラム・堀越智也】昔から、お酒に関する法律がマーケットに大きな影響を与えてきました。特に、酒税はそれなりの税収になることもあり、酒税法が度々改正されるのですが、酒税法の改正で、僕らもよく知っているようなマーケットの変化が起きています。

つくば市や茨城県では、クラフトビールのイベントがよく開催されます。新型コロナ禍のため、今年はないのが残念ですが、つくばセンター広場でも、毎年クラフトビールのイベントがあります。

クラフトビールがはやり出したのは、酒税法が改正されて、地ビールが造りやすくなったからです。かつて、酒税法の改正で地ビールが盛んに造られ始め、さらにクラフトビールという名前に変えて、世間に広まりました。

発泡酒も第3のビールも、テレビのCMで聞くようになったのは最近です。1990年代に、サントリーが「ホップス」という発泡酒を販売してから、世間に広まり始めました。

酒税法上、ビール、発泡酒、第3のビールは、ざっくり言うと、麦芽の割合と副原料を使用しているか否かで区別されるのですが、発泡酒は、当時、酒税法上、税金が安かったため、安く販売されたのです。

ところが、後に酒税法が改正され、発泡酒とビールの金額の差が縮まります。すると、第3のビールが日本を席巻。そして先々月10月の改正で、ビールは値下げ、発泡酒は一部値下げ、第3のビールは値上げになります。こうして、マーケットは酒税法に動かされることになり、メーカーも大変です。

つくばのワインが面白い

つくば市に影響しそうな酒の法律というと、通称ワイン法ではないかと思います。正式名は「果実酒等の製法品質表示基準」ですが、日本のワインを定義し、国産ワインの信用を高めることを目的に制定され、2018年10月から施行されています。

つくばで育てたブドウでなければ「つくばワイン」と名乗ることができません。逆に言うと、つくばでワイン用のブドウができれば、「つくばワイン」と名乗ることができ、地元の名産品に加わる可能性があるのです。

幸い、つくばにはいくつかワイナリーができました。地質的にワイン用ブドウに適した場所で栽培されているようで、それもつくばらしいです。追い風は、2017年につくば市がワイン特区に認定されたことです。

酒税法上、ワインを造るには、年間6,000リットルの製造量が条件になりますが、特区に認定されたことで2,000リットルに緩和されました。その結果、小さな施設もワインが造れます。

このワイン特区、いかに市民が利用するかにかかっていますが、つくばの経済にとって、ひとつの強い味方になると思います。(弁護士)