日曜日, 5月 26, 2024
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《電動車いすから見た景色》14 好きな時に好きな場所に行ける自由

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【コラム・川端舞】年が明けてから、県内の新型コロナ感染者が急増し、緊張感が高まっている。私自身は、身体障害はあるが、内科的な疾患は持っていないため、重症化はしないだろうと楽観視したくなる。でも、呼吸器や痰吸引など、普段から医療的ケアが必要な障害者は、感染すると重症化する危険性が高い。そのような仲間の切実な声を聞くと、背筋が正される。

私が軽率な行動で新型コロナに感染し、介助者を媒介として、他の仲間にうつしてしまったら責任重大である。少なくとも、県内に外出自粛要請が出ている期間は、通院や買い物など、最低限の外出しかしないつもりだ。

1月12日現在、茨城も東京も全域に外出自粛要請が出ているはずなのに、テレビに映る街中には、たくさんの人が歩いているように見える。「仕事などで外出しなければならない人もいるだろう」「ずっと自粛していたら疲れちゃうよね」と、街を歩いている人にも事情があるのだろうと想像してみるが、それでも羨ましく思ってしまう自分がいる。「自粛警察」と呼ばれる行動に出てしまう人の気持ちも分かるような気もする。

新型コロナが出てくる前、私は介助者にサポートしてもらいながら、好きな時に行きたい場所に行けることが当たり前に思っていた。しかし、ずっと施設の中で生活している障害のある人にとっては、施設から外出許可をもらわないと、気軽に買い物にも行けないことが、新型コロナが出てくる前から当たり前だった。そのような生活は息が詰まるに違いない。

頭では分かっているつもりだったが、実際に自分が気軽に好きなところに出かけられない状況になることで、自分は何も悪いことをしていないのに、そして他の人は外出しているのに、外出できないつらさが初めて分かった。施設で生活している人たちは、今までテレビなどから伝わってくる、気軽に買い物に行ったり遊びに行ったりしていた人々のことをどう思っていたのだろう。その気持ちを以前より想像できるようになった気がする。

コロナ後の世界

コロナ禍で、誰もが少なからず行きたいところに自由に行けない気持ちを味わっただろう。でも、車椅子ユーザーの私は、コロナがあってもなくても、段差があるお店には入れない。そして、施設で生活している障害のある人は、バリアフリーなお店でも気軽に立ち寄ることができない。

新型コロナのために、行きたいところに自由に行けないという経験を世界中の人が共有したからこそ、アフター・コロナの世界は、どんな障害があっても、好きな時に好きな場所に行けるような社会になっている。そう信じながら、このような状況でも毎日の生活をサポートし続けてくれる介助者に感謝しつつ、家で静かに過ごす今日このごろだ。(つくば自立生活センターほにゃらメンバー)

《つくば法律日記》14 時代の変化を楽しむ

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堀越氏の弁護士事務所があるつくばセンタービル

【コラム・堀越智也】正月に小学3年生のおいっ子が実家に遊びに来て、乗るだけで腹筋が鍛えられる機械で遊んでいた。古き時代の野球部だった僕は、若いうちから楽して腹筋を鍛えていいのだろうかと、一瞬思った。しかし、僕らの時代にも、つらく苦しい「うさぎ跳び」はやらない方がいいと言われていた。最近は、僕らが教わった腹筋の鍛え方も否定する意見があるらしい。

昔は、正月に親戚の子どもが集まれば、かるたやトランプをしていたが、最近はやらないし、小3のおいっ子も携帯のゲーム機に夢中である。そこで、僕は部屋に閉じこもり、昔は当たり前だったが今は否定されているものを、できる限り思い出してみた。

まず聖徳太子。小学生のころ、絵まで描かされ、あれだけすごい人物だったと教えられたのに、今は、実在しなかったわけではないが、教科書で教えられたように、いろいろなことを成し遂げた事実はないということになっている。1万円札や5千円札になったことも、誤解に基づく結果ということなのだろうか。

歴史つながりで言うと、大河ドラマにこれから出て来る本能寺の変は、僕らが教科書で習った事実とは違うような見解が主張されている。まだ何が真実か明らかになっているわけではないが、教科書には、はっきりと明智光秀が本能寺の変を起こして、織田信長を討った旨の記載がある。光秀に大勢が味方して信長を討ち、その後、豊臣秀吉に大勢が味方して光秀を討つという、昔教わった人間関係がイメージしにくいので、早く真実が明らかにならないかと思っている。

債権法・相続法も大幅改正

今でもたまに話題になる未確認飛行物体(UFO)。昔は、UFOを呼べますという人が現れ、民放テレビのゴールデンタイムにUFOを呼ぶ番組があった。しかも、番組の最後に本当に呼べたかのような場面もあり、今そのような放送をしたらまずいことになるのではないかというくらい、UFOは人気のコンテンツだった。

最近、UFOが取り上げられることが減ったのは、科学が発達し、人間が宇宙に頻繁に行くようになり、さすがにないのではと思われるようになったのだろう。僕も、空を見ている時間が長い天文学者や気象予報士に、UFOを見たと言っている方がほとんどいないと知り、UFOはないのではないかと思ってしまう。

やっと法律の話になりますが、法律も学生時代に習ったものから別のものに移りゆくもので、最近、民法の債権法と相続法が大幅に改正された。成人の年齢も変わることになっている。そして、判例も変更される。古い判例を理由に裁判を起こしたら、大変なことになる。

僕が司法試験の勉強をしていたころに比べ、世の中が変化するスピードはますます速くなっている。そんなことを思い、時代の変化に前向きについていこうと、買いあさった本の山に囲まれ、明智勢に包囲された信長のように、是非に及ばずと思いつつ、今年の計画を立てる令和3年1月。(弁護士)

《続・平熱日記》77 初夢考 還暦を迎える年に

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【コラム・斉藤裕之】私は毎晩夢を見る。昨夜も見た。それほど面白い夢ではなかった。最近はそうでもないが、若いころはとても愉快な夢を見ることがあった。時には腹がよじれるほどゲラゲラ笑う。とにかく本人は面白おかしくてたまらないのだが、暗闇に響き渡る笑い声は家族にしてみれば不気味であったそうだ。

そんな夢見がちな私であるが、初夢というものを見た記憶がない。あれだけ連日連夜オールナイトで上映される夢が、正月だけはなぜか休館となる。そこで、来年こそは初夢を見てやろうと思う。ここまで2020年の師走に記す。

初夢に封切大作映画なし

さて、2021年1月2日早朝これを記す。ついに初夢を見た。目が覚める寸前に「おーっと、これが初夢なら覚えておかなければ」と思い忘れないうちにノートに書いた。どうもパッとしない内容だ。断片的に覚えている場面もあるのだが、確実に覚えているのは目覚める前に見ていた場面。漬物の桶(おけ)のふたのような丸い形の木の板で、胸の前と背中にプロテクターを作って、それを一生懸命装着して…。

2日後、山の中腹にある焼却炉のような施設を舞台にした近未来的な夢を見た。外国人もキャスティングされていた。アボリジニは夢の中の世界をもう一つの人生だと考えていたそうだが、夢の元ネタはその人を取り巻く現実の世界。彼らといえども、今の世界は複雑過ぎてカンガルーとかコアラとかはキャスティングされにくいだろう。

だから、初夢に富士山はまだしも、鷹やナスが夢に出てくる方は相当牧歌的な日常を送っているということか。考えてみれば毎日毎晩、世界の何十億という人の見る夢に意味があったら大変だ。結論、初夢に封切大作映画なし。夢は取るに足らない脈絡のないナンセンス劇場だからよいのであって、逆に、これほど意味不明な脚本を毎晩書ける脳は大したもんだと改めて感心した。

2回り目の航海へ出発!

閑話休題。2021年に還暦を迎える。しかし還暦とはよく言ったもので、なんとなく一回りした感がある。成人式も厄年も四十肩や五十腰も無縁に生きてきた私の場合、高い山を目指したわけでもなく、どうにかこうにか小舟で「還暦島」に辿り着いたという感じ。

五十になったときにやっと成人できたかなと思ったのだが、大きな勘違いであった。六十こそ成人だ。十二進法万歳!ということで、いざ、2回り目の航海へ出発するとしよう。さて今宵(こよい)の夢は? 七福神に宝船?(画家)

《邑から日本を見る》79  秋田からの「いぶりがっこ」を食べながら

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麦畑と前方後円墳=那珂市静

【コラム・先﨑千尋】30年来の秋田の知友から手作りの「いぶりがっこ」が届いた。添えられた手紙には「昔は金が無くても暮らせる世の中だった。バスにも乗らず、飲み物は水。食堂に入らず、宿は親戚や知り合いの家。オリンピックの総費用1兆5000億円以上、参加選手約15,000人。選手1人あたり1億円。何かおかしい」とある。そうだそうだとうなずきながら、いぶりがっこをかみしめる。

その秋田は大雪で、救助のために自衛隊が出動している。横手市立栄小学校は30年前に木造校舎を建てたが、雪に埋もれ、雪をかきだす様子をテレビで見た。そのモデルとなったのは私が住んでいる瓜連小学校の木造校舎だったので、関心が人一倍だ。これでは子供たちが「かまくら」を作って楽しむどころではないなと、かの地に思いをはせた。

昨年から地球を襲っている新型コロナウイルスの脅威。テレビでは朝から晩までこのニュース。コメンテーターや医療専門家たちがそれぞれ自分の主張をしているが、一向に事態はよくならない。菅首相は小池東京都知事らから背中を押されて、7日にやっと緊急事態宣言を出したが、世論調査の数字やテレビで聞くちまたの声からもわかるように、遅すぎたという声が圧倒的だ。

私もそう思う。医療崩壊が始まっているのが一番怖い。「Go Toトラベル」などにうつつを抜かしているよりも、そのカネを医療現場に注ぎ込み、PCR検査を大幅に増やし、人の動きを止める、休業要請をした業者には損害補償をきちんとする。私はそのことが最低限必要だと考えている。

「今だけ、カネだけ、自分だけ」

そして菅総理大臣や西村担当大臣、政党幹部らが医療現場に足を運び、現場で懸命に努力している人たちの声を聴く。そしてコロナを止めるという覚悟を決める。政治家として当たり前のことがどうしてできないのか不思議だ。経済を回すこと(カネ)よりも命最優先ではないか。「命あっての物種」という言葉もある。

国民の共感と協力を得るためには、手元の紙に目を落として読み上げるのではなく、ドイツのメルケル首相などのように、メリハリのある自分の言葉で強く訴えることが大事だと思っている。

平時なら優秀なスタッフがいるから、首相、知事、首長は、極端な言い方をすれば誰にでもできる。しかし今は国民すべてが戦場にいる。事態がどうなっていくのかわからない。瞬時に情勢を判断し、的確な指示を出す。それがトップの役割だ。それができないのなら、辞めてもらうしかあるまい。週刊誌やネット情報では、すでに次の首相選びが始まっている。

東日本大震災と東京電力福島第一原発の事故からまもなく10年になる。経済の仕組み、人としての生き方など、震災と事故によって国民と政治家の考え方が変わると期待していたが、その後の世相を見ていると、「今だけ、カネだけ、自分だけ」という考え方は変わっていないようだ。コロナ騒ぎがあっても同じだと思える。私たち日本の人々は、どうして同じ轍(てつ)を踏むのだろうか。(元瓜連町長)

《茨城鉄道物語》8 試乗記「鹿島臨海鉄道大洗鹿島線」

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大洗鹿島線鹿島神宮駅

【コラム・塚本一也】正月休みを利用して、以前から気になっていた県内の鉄道に乗車しようと思い、大洗鹿島線に乗ってきた。私は鉄道マニア「てっちゃん」ではないが、鉄道会社の社員であったという血が騒ぐのか、わざわざ九州新幹線や島原鉄道の体験乗車にも行ったことがある。今回は水戸へ行くたびに気になっていた大洗鹿島線に試乗した。

大洗鹿島線は、茨城県などが出資する第3セクター鹿島臨海鉄道株式会社が運営する、営業距離が53キロの単線鉄道である。電化はされておらず、始発の水戸駅から終点の鹿島サッカースタジアム駅まで、2両編成の気動車がひた走っている。特筆すべきは、ローカル線としては異例ともいえる、線路のおよそ6割(私の目見当)が高架で、残りも掘割(切土)であったりするため踏み切りがほとんどない点である。

水戸駅を出発すると、すぐに常磐線や水郡線と共用の踏切が2箇所あるが、そこを過ぎて高架に昇ると、残りのおよそ52キロは終点まで踏み切りが一切ない。それゆえに、スピードアップも図れるため、最高速度は時速95キロという設定の鉄道である。そういった構造だから、線形もほぼ直進になっており、この2点はつくばエクスプレス(TX)と同じ特徴といえる。

建設した鉄道技術者の意気込みを感じる

高架から望む涸沼の夕日や、車窓の彼方まで延々と続く田園風景は、どこか昭和を感じさせ、ノスタルジックな雰囲気にさせてくれる。あまり乗り心地の良くない気動車の振動も、何となく心を穏やかにしてくれるマッサージチェアのように思えてくるから不思議である。さらに途中で交差する道路は全て立体交差であり、建設当時の鉄道技術者の意気込みが感じられる。

そういえば、開業時である1985年はつくば科学万博開催の年であり、茨城県にとってもバブル経済に向かって最も勢いのあった時代だったのではないだろうか。

大洗鹿島線は日本国有鉄道(現JR)の路線として計画されたが、建設が始まったころには国鉄の膨大な赤字が問題となり、その後の分割民営化に向けて地方ローカル線を分離しなければならなくなった。それゆえに、大洗鹿島線は完成しても経営主体が無いという事態に陥り、それを茨城県が全国に先駆けて第3セクター方式で開業させるという、数奇な運命をたどった路線である。

近年では、ガルパンをプリントしたデザイン車両を導入したり、サイクルツーリズムに参加すべく、自転車を車内に持ち込めるように実証実験に取り組んだり、新しい試みにもチャレンジしている。地方ローカル線が消えゆく中で、頑張っている部類に入るのではないだろうか。茨城県の財産として、大事にしていかなければならないものの一つであろう。(一級建築士)

《食う寝る宇宙》77 「できれば平坦な登山をしたい」

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【コラム・玉置晋】ゼイゼイ、ハアハア。震える膝をさすりながら岩に腰掛ける僕と妻。後ろから登ってきた2組の家族が「お先に失礼します」と追い抜いて行きます。山道を登り始めてから、どれくらいの時間が経ったでしょう? 疲れていると時間の流れが遅く感じます。

そして、疲れると変なことを考えます。ちょっとお付き合いください。アインシュタインは時間が一定でないことを理論的に予想しました。僕らに「お先に失礼」と追い抜いて行った家族が持つ時計の時間の進み方は、静止した僕らから見て、ほんのちょっぴり遅れます。あまりにもわずかな時間なので、僕らの日常でこの時間の遅れを感じることはありません。

でも、もっと速く動く物体。例えば、航空機に乗せた原子時計の進みは、ごくわずかに遅れることが実験で確認されています。速度ともう一つ時間の流れをつかさどるものが、物理の世界にあります。重力が大きいほど、時間の流れは遅くなります。地上が重力の井戸の底にあるとすると、人工衛星が飛行する高度だと重力は小さくなるので、時計は早く進みます。

極めて精密な時刻情報を発信しているGPS衛星に搭載されている時計は、地上と比べて毎秒100億分の4.45秒だけ遅く進むように調整して、つじつま合わせをしています。時間は一様に流れないというのは、紛れもない事実です。

ロコモティブ・シンドロームと宇宙飛行士

まあ、疲れていると時間の流れを遅く感じてしまうのは、僕の気持ちの問題でしょう。ちなみに、この日、アタックした山はつくば市にある宝篋山(ほうきょうさん)で、標高461メートルの初心者向けの山です。そのまま頂上を目指すと帰れなくなると判断し、残念ながら下山しました。

登頂を断念した旨を後期高齢の母に報告したところ、「お前たちの体力の無さはロコモティブ・シンドロームだ」と皮肉られました。ロコモ…? 医療番組で聞きかじったそうですが、日本語でいうと廃用症候群。高齢者に起こる筋力低下や骨粗しょう症などを指すとのこと。筋肉や骨は年を取ると衰えていきます。

さらに病気で寝たきりになると、活動性の低下により衰えが加速します。これは、宇宙に滞在する宇宙飛行士にも言えることで、微小重力下で負荷の少ない環境にいると、健康な彼らでさえも「ロコモティブ・シンドローム」にかかります。

これを少しでも遅らせるために、高齢者も宇宙飛行士も運動訓練をするわけですが、僕ら夫婦はこれを怠ったために山に登れなかったのです。これに反省して、明日から運動をがんばろうと思った矢先、妻が秀逸な言葉を残しました。「できれば平坦な登山をしたい」。ダメだ、こりゃ。(宇宙天気防災研究者)

《くずかごの唄》76 人と人の出会いが膨らんでつながる

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】上野桜木にあった東京薬科大学女子部1年生。アイウエオ順で、加藤(私の旧姓)、川上さん、京極さんの3人は、実験も席も1年間一緒だった。京極さんは東大の薬学を受験して転校してしまった。この人たちと、結婚も、自然保護も、人生の大きな転機で関わりを持つことになるとは、その時はわからなかった。

近くの東大から若い先生がたくさん講師に来てくれていた。コーラス部をつくりたいけれど、女声が足りないという。そこで20人近くの薬科大女子部の学友が東大コーラス部の立ち上げに参加した。東大生だった宇井純さんと綿貫礼子さんが出会ったのも、このコーラスがきっかけだったという。後で、そのいきさつを聞いて3人で大笑いした。

化学は、まだ英語よりもドイツ語が必要な時代だった。私はドイツ語の中山久先生の課外授業「ゲーテのファウスト」が面白くてトリコになった。高校生の弟、加藤尚武が聞きにいきたいという。中山先生が両国高校の大先輩だったせいか、課外とはいえ、男子高校生が入り込むことを許してくれた。尚武は哲学者となり、昨年12月に「環境倫理学のすすめ」と増補版の2冊を丸善書店から発刊している。

「土浦の自然を守る会」で宇井純さん講演

私は薬剤師になることよりも、絵画の修復に興味を抱き、その基礎を学び始めていた。しばらくして、奥井清との結婚話が持ちあがった。偶然、京極さんと同じ製薬会社の研究所へ同時入社した3人の1人だ。彼女は一緒に入社したもう1人の森田氏が好きだったらしい。「1人で山登りばかりしている。3男なので気楽でいいわよ。彼ならあなたの好きなことなんでもやらせてくれるわ、結婚しちゃいなさいよ」

兄の奥井誠一先生の説得もあって、私たちは1958年に結婚し、東京へ戻る予定を立てながらも土浦に住むことになった。

1970年、宇井純さんは東大工学部で自主講座を開き、日本の環境問題に市民が参加する扉を開いてくれた。1971年、霞ケ浦の水質浄化を目的に、医師の佐賀純一氏が中心となって「土浦の自然を守る会」を結成。森田氏と結婚し、「多摩川の自然を守る会」を立ち上げ、市民の力でさまざまな調査を始めた森田(旧姓・京極)さんから、自然保護の貴重なアドバイスを受けた。

霞ケ浦の流入河川は56本。市民の手で56本の200カ所の水質調査をすることになり、発会式では、宇井純さんが自主講座の学生さんたちを連れて参加講演してくれた。宇井さんの父上は古河の出身。土浦の高校の先生で、彼も3歳まで土浦で育ったという。人の和が輪となって膨らんで、環境問題につながっていく。(随筆家、薬剤師)

《遊民通信》8 ゆるキャラを自作してみた 誕生はひたち野うしく

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【コラム・田口哲郎】

前略

謹賀新年。今年は丑(うし)年、牛久の年。牛つながりから始めましょう。JR常磐線ひたち野うしく駅は1998年に牛久駅と荒川沖駅間に開業しました。関東の駅百選に選定された美しい駅です。有名な話ですが、85年に開催されたつくば科学万博のために造られた臨時駅「万博中央駅」の跡地に建てられました。

当時、TX(つくばエクスプレス)はありませんから、常磐線の駅が万博会場の玄関口だったのですね。かつて科学技術の未来を夢見て胸を躍らせていた人々がここから会場に出発したのか…。牛久とつくば万博。関係なさそうなものを結びつけられないだろうか…。

名前は「ひたちのうしか」

そして一案浮かびました。ひたち野うしくの「ゆるキャラ」を考案してみてはどうだろう。続いてあのキャラクターが浮かびました。つくば科学万博のキャラクター「コスモ星丸」です。土星の環をフラフープのように履いている未来的なキャラクター。科学が夢を見させてくれていた時代への郷愁を誘う原色の青さは色あせません。コスモ星丸と牛を組み合わせたら…。

名前は「ひたちのうしか」にしよう。「く」を「か」にすると響きがなんとなく未来的だ。勝手な妄想は膨らみ、絵を描き、粘土でフィギュアまがいのものを作ってしまいました。2013年のことです。勢いにまかせてツイッターアカウントを作り、細々とつぶやいていました。

ひたちのうしかの語尾には「ヒュー」がつきます。牧瀬里穂の真似ではありません。ひたち野うしく駅の電略記号(鉄道電報で使用される駅の略号)が「ヒウ」であることに由来しています。「駅前のツツジが満開だヒュー!」などとつぶやきます。

作者が飽きっぽいのが原因ですが、うしかはそのうちつぶやきをお休みするようになりました。…… 最近、茨城県南ゆるキャラ界の大物「つちまる」の可愛さのとりこになって、ふと、うしかを思い出した次第です。ぼちぼちツイッターの発信を再開しようと考えています。

憧れの先輩は「コスモ星丸」

せっかくですから、「ひたちのうしか」のプロフィールを紹介しようと思います。

▽名前:ひたちのうしか
▽誕生日:1998年3月14日
▽憧れ:コスモ星丸先輩
▽好きな食べ物:かっぱせんべい
▽好きな場所:ひたち野うしく駅とエキスポセンター
▽趣味:つくば科学万博を思い出すこと

ゆるキャラ業界が飽和状態になり、いまさら感がありますが、別にかまいません。ただ、思うに任せてキャラを作って実感したのは、どのゆるキャラも地元に対する何らかの想いが形になっているということです。

ギリシア神話には多くの神々が登場しますが、元々ギリシアの神ではなく、東方や北方から伝来した神々もいます。それぞれの土地の想いが神格化されて拡がるわけです。ゆるキャラ現象も本質的には似ていますね。ひたちのうしかが住民も想いを表象する存在になればよいなと思いつつ、街をキョロキョロして街の魅力を発信しようと思います。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

《ことばのおはなし》29 音楽とことばの限界

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【コラム・山口絹記】最近、新しいアコースティックギターを購入した。もともとアコースティックギターを1本、クラシックギターを2本、エレキギターを1本持っていたのだが、現役で使っていたのはアコースティックギター、クラシックギター1本ずつだ。そのうちのアコースティックギターの調弦がどれだけ合わせても狂うようになってしまったのが、今回の購入動機である。

ギターというのは、ざっくり言うと6本の弦が張ってある楽器だ(7弦ギターとか、12弦ギターという楽器もあるが)。

日本でよく耳にするバンドや弾き語りなどでは、太い弦からEADGBE(ミラレソシミ)の音に調弦するレギュラーチューニングが使われていることが多いが、アイリッシュギター(アイルランドの伝統音楽)などでは、6弦と1弦をD(レ)の音に下げたチューニングを施すこともある。細かいおはなしを始めると終わらなくなってしまうので、今回はこのあたりにしよう。

アコースティックギター(クラシックギターも含む)というのは、木材で作られている。そのため、どれだけ高級なギターを使っていても、高温多湿な環境や、極端に乾燥した場所に放置していると、ギターが変形して音がおかしくなってしまったり、最悪壊れてしまうことがある。私のギターの場合は、ボディが膨らんでしまってチューニングが合わなくなってしまったのだ。

キラキラした音、やわらかい音、…

楽器屋に何百本と並ぶギターから自分の気に入ったギターを探すのは大変な作業である。まったくの初心者であれば、入門セットが用意されていたり、あるいは憧れのメーカーで選んだりもできるが、なまじ10年以上弾いているとそうもいかない。好きな音色、というのがあるのである。

大抵、楽器屋の店員さんとの会話は混沌(こんとん)を極めたものとなる。「キラキラした音が欲しい」とか、「やわらかい音が欲しい」とか。そもそも音色、音質とはなんだろうか。触れもしない音に、かたいとかやわらかいなどという表現をなぜ使うのだろう。

しかし、使ってしまうのである。もともと大学で4年間クラシックギターサークルに所属していた私も、「そこはもっとかたい音出してよ」とか、「もっとまろやかな音出せないの?」などいうやりとりを幾度となくしてきた。もう、そう表現するしかないのである。

実際、クラシックの楽譜にも「愛らしく」とか「軽く」とか「神秘的に」などといった発想標語が、平然と使用されている。クラシックの世界ですらこれなのだから、このあたりが人のことばの限界なのかもしれない。

とにかく、私は幸運にも恋をした。ジャラーンと鳴らした瞬間にキミだ、というギターに巡り会えたのである。そこにはことばを超越したものがあるのだ。私が音楽が好きなのは、そこにことばで表現できない何かがあるからなのかもしれない。(言語研究者)

《雑記録》19 日米とも「賢い政府」出でよ!

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【コラム・瀧田薫】19世紀初頭、フランスのジョゼフ・ド・メーストル伯爵は「いかなる民も、その器量にふさわしい指導者しか持てない」という言葉を残し、思想史上の人物となった。新しい1年、コロナ禍との闘いが続くなかで、政治に期待する以外に個々人にできることがあるとすれば、手洗いとマスクぐらいだろうか。しかし、メーストルの言葉をかみしめれば、問題の解決を政治家任せにはできない。せめて、あるべき政治を考え続ける1年にしたいと思う。

最近、アメリカの政治学者の間で「必要なのは大きな政府や小さな政府ではなく、賢い政府だ」と言われるようになった。その含意は、「大きな政府と小さな政府を時宜に照らして使い別ける智恵」がほしいということのようだ。

こうした見解が出てくる背景に、アメリカ民主主義の制度疲労があることは言をまたない。「アメリカ国民を真二つにした政治的分断と分裂」。これは一義的にはトランプ大統領のもたらしたものだが、共和党の少なからぬ下院議員が同大統領の「不正選挙をやり直せ」という主張に同調している事実が示すように、政治家個々の資質の劣化も深刻なレベルにある。

トランプは嫌だからバイデンに?

さて、バイデン次期大統領だが、賢い政府を目指していることは見て取れる。しかし、政治的環境、経済状況、国際関係(対中国、対ロシア、対中東、その他)など重要課題が山積し、しかもそれらが絡まり合って解決の糸口を見つけることすら難しい状況にある。

彼の支持票の多くは、「トランプは嫌だからバイデンに」という、いわば消去法によるものとの見方が強い。新政権の常道として、成果がすぐ出そうな課題から取り組みたいところだが、今回ばかりはコロナ対策を最優先しなければならず、しかも短期間のうちに成果を上げねばならない。それができないと、バイデン支持者の期待は一転して失望に変わり、トランプ大統領支持者の新政権攻撃は激化する。

つまり、バイデン新大統領にとって、時間こそが最大のリソースであると同時に足かせなのだ。最初の3カ月、いや2カ月かもしれないが、そこで成果を上げれば、その後は比較的安定した政権運営が可能になるだろう。しかし、つまずこうものなら、2年後の中間選挙はすぐにやってくる。そこで民主党の敗北、さらにその2年後の大統領選へのトランプ氏の再出馬、そんな事態さえ予想される。

スガノミクスはスガノリスクに変異?

ところで、われわれは菅政権に期待できるだろうか。12月27日、トランプ大統領がコロナ感染拡大に対応する総額9000億ドル(約93兆円)規模の追加経済法案に署名した。その途端、日経平均株価が700円超急騰、30年ぶりの2万7000円台を突破した。日本の証券市場で「米国のコロナ対策」が評価され、外国人投資家が買いに回る展開である。

折しも菅政権の支持率が急落中で、口の悪い市場関係者が「スガノミクスはスガノリスクに変異した」とコメントしている。どうやら、メーストルの言葉をかみしめ直すしかないようだ。(茨城キリスト教大学名誉教授)

 

《介護教育の現場から》3 シンガポールの外国人介護者

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実習生の餃子づくり

【コラム・岩松珠美】筆者は15年ほど前、学生のシンガポール海外研修に引率で参加したことがある。同国は多民族国家であり、マレーシア、インドネシアなど広くアジア圏から出稼ぎ労働者を受け入れている。その中で、家事労働(高齢者介護を含む)の出稼ぎ労働者は、住み込みで家族に準ずる形で仕事をしている。

家族主義の思想が強いシンガポールでは、高齢者介護は家庭で行うのが一般的であり、その手助けのために、外国人家事労働者が雇われている。また、子育て世帯の保育も住み込みで担っている。

これら外国人出稼ぎ労働者の活用を効果的に進めてきたことが、隣国マレーシアでの女性の社会進出の原動力ともなってきた。社会的地位を高めてきた女性たちは、子どもたちの多額の教育費を負担する。将来の老後の生活をきちんと支えてもらえるように、子供に教育という投資を惜しまない。

出稼ぎの家事労働者は、Sパスという雇用保険に準ずる社会保険制度も保障されている場合、賃金や身分保障は安定することになる。もちろん、本国で看護師などの資格を取り、シンガポールに出稼ぎに来るとSパス取得者とされ、退職年齢時までの雇用や家族妻帯もできる体制になっている。

高齢者向けケア施設は高額

シンガポールにも高齢者向けケア施設などがあるが、費用は高額だ。社会保障費用は、義務的な個人の積立基金から支出するのが原則で、経済成長以前に現役世代だった現在の高齢者には、十分な積立金がないという問題もある。高齢者介護には、月額数万円で雇える外国人家政婦を使う家庭が多く、政府も雇用税の優遇などで奨励している。

シンガポール政府は1970年代の終わりに、労働力不足の解消のため、女性の積極的な労働市場投入とともに、家事や育児、介護の仕事を外国人家政婦に任せる方針を打ち出した。その結果、今では5世帯中1世帯以上が家政婦を雇っているとされる。

家庭の中に高齢者介護を担う外国人家政婦の雇用することで、シンガポールは少子高齢化に対応している。これが、中国系、マレー系、インドネシア系、インド系と多種多様な思想や文化を持った国民への効果的な対応法となってきた。

また、多種多様な民族のために、イスラム圏の施設、キリスト教系の施設、華僑の施設など、バラエティーに富んだ介護施設や社会福祉施設を見学したことを思い出す。(つくばアジア福祉専門学校校長)

《続・気軽にSOS》76 死ぬ前に後悔することは

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【コラム・浅井和幸】あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。おかげさまで、私は自由奔放にコラムを続けることができ、やりたいことをできる範囲で行いつつ、健康に毎日を幸せに生きています。

世界一幸せに生きていると豪語している私ですが、じゃあ、明日死んでもよいか?と聞かれたら、もっともっと生きていたいと正直思っています。やりたいことも、たくさんあります。

希望、欲望は限りありませんので、後悔しないはずはないということも前提で、今回考えてみたいのは、「死ぬ前に後悔すること」です。「一年の計は元旦にあり」と言って、希望に満ちた明るいコラムの方がよいのでしょうが、ひねくれ者の私は、「今年の目標」ではなく、繰り返しますが「死ぬ前に後悔すること」です。

後悔先に立たずといいまして、今の時点で大切だと思っていることと別で、やっておけばよかったと思うことがあるらしいのです。私たちは、現代の日本の中で人の死に直面することが少なくなりました。人の死に目にあったことがない人も思ったよりいるでしょうし、自分が死ぬのはまだ先だと感じて生活しているのが当たり前だと思います。

そして、今できていないことも、先になればできるだろうと考える癖が人間にはあるようです。去年できなかった掃除は、来年はできるだろう。今やり残している仕事も、締め切りに追い詰められたらできるだろう―などなど。今日より来週、今年より来年の自分の方が、格段にパワーアップした自分がいるという感覚になりやすいらしいですから、気を付けなければいけません。

あなたの今年の抱負は何でしょうか?

話しを元に戻すと、コーネル大学のT・ギロヴィッチ教授は、人が最も後悔することは、義務や責任に関してではなく、「理想の自己」で生きられなかったことという論文を発表しました。

社会人として立派な仕事ができるべきとか、学校の成績はよくするべきとか、人とは仲良くするべきなどの義務は、その場を過ぎてしまえば少々の後悔で済む。しかし、自由に生きられる人間になりたいとか、人の役に立ちたいとか、上記のものでも義務ではなく、仕事ができるようになりたいとか、成績を良くしたいとかというように、自分の理想がそれであれば、こちらに近づくことをしないでいると、後悔は大きなものになるということなのです。

私たちは、毎日の生活で、「~になりたい」という希望や理想よりも、「~しなければならない」という考え方に縛られやすいものです。さらには、二つを混同してしまいやすいです。

もっともっと、自分自身の希望や理想を感じ直し、「しょうがないじゃないか絶対にしなければいけないんだよ」と勘違いしている、実はやらなくてもよいことを見つけ直してみてください。そして、希望や理想に近づく自分を意識して喜ぶことが大切です。やっとここまで来て、お聞きします。「あなたの今年の抱負は何でしょうか?」(精神保健福祉士)

《吾妻カガミ》97 あけましておめでとうございます

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【コラム・坂本栄】今年もよろしくお願い申し上げます。昨年はコロナ禍に振り回され、今年もコロナで明けました。早く終息して、V字型の経済回復を祈るばかりです。明るい材料は、国際秩序混乱の元凶、トランプさんにサヨナラできることです。でも、かなり壊しましたので、その修復は大変でしょう。バイデンさんに期待するところ大です。

NPOメディア「NEWSつくば」を立ち上げてから3年経ちました。地域ニュースをネットで全国に向け発信しています。ご関心ある方は是非のぞいてください。これまでの実績と役割が認められ、昨年末、学園記者クラブに入会できました。これをテコに、つくば地域のニュースの発信力をより強化していきたいと思います。

以上の2パラグラフは、今年の年賀状からの転載です。年頭のコラムでは、昨年、一昨年同様、このパターンを踏襲しました。というのは、この文面に私の思いが込められているからです。

今年は「密な場」で編集会議!

皆さんも同様と思いますが、昨年は本サイトもコロナ禍に振り舞わされました。編集制作室がある筑波学院大体育館がコロナ対応で封鎖され、週1回の編集会議が「放浪の旅」になったことがその一つです。幸い、土浦市とつくば市のコミュニティセンターの広めの室を借りることができ、週1回2時間の会議はこなせたものの、従来のような熱の入った議論ができないのは残念でした。

もう一つ、NEWSつくばの「通信社機能」(地域の他メディアへのニュース素材提供)が影響を受けました。昨年から、本サイトはケーブルテレビ局への地域ニュース(映像と音声で構成)の提供を開始しましたが、コロナ禍の影響で同局の番組編成が大幅に見直され、年央から中断に追い込まれたからです。

「密な場」での議論はメディアの編集活動には欠かせません。また、ネットメディアは活字と写真に加え、音声と動画も扱うことにより、発信力を強化できます。コロナの終息によって、本サイトが持つ編集力、発信力を早期に取り戻せればと思います。

市民記者・コラムニスト 大歓迎

コロナ禍にもかかわらず、一般記事とコラムのライター陣は充実しました。昨年秋の私の最大の仕事はライター希望者との面接だったくらいです(年明け早々にも予定されています)。一般記事でいえば、学生ライターの活躍により、大学内のいろいろな話題を提供することができました。大学は研究学園都市の「核」ですから、地域が地域メディアを通じて大学の話題を共有することはとても大事です。

面接で感じることは、大学生ライター希望者でも、市民ライター希望者でも、コラムニスト希望者でも、問題意識がとても高いことです。こういった方々の視点を取り上げることは、われわれ地域ネットメディアの可能性を広げます。多くの方々の参加を歓迎します。(NEWSつくば理事長)

《食とエトセトラ》9 今年もいざ、おせち料理づくり

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【コラム・吉田礼子】10代のころより母とおせち料理を作る時間は至宝のような時間であった。縁あって1977年に宮城県で結婚生活が始まったが、盆と暮れには茨城県の主人の実家に帰省した。暮れには茨城のレンコンを使ったおせち料理を教えてもらう。ユズをたっぷり入れたレンコンの酢バスは宮城のお友達にも大好評。きんぴらと言えばゴボウとニンジンが定番と思っていたのに、縦に1センチ角の拍子切りにしたレンコンのきんぴら、レンコンの丸煮などは産地ならではのお料理と驚きの連続。

コンブ巻きは東北ではニシンと決まっていたのに、茨城では焼きワカサギを巻く。良いだしが出てこちらもおいしい。所変われば品変わる。一つの料理が気候、風土、歴史によって様々に作られることを実感した。私の実家の十八番(おはこ)料理も加わって、栗きんとん、のっぺい、…。義父が活躍する餅つきは、29日は避けて28日につくものと教わって、家族総動員で正月の準備をする。

13日過ぎごろからおせちの材料をお店に相談したり、予約注文したりする。日持ちの良いものは2週間ぐらい前から作るが、25日ごろから集中して作る。正月は歳神様がいらっしゃるので、煮炊きをすると神様が落ち着けないから、年末にあらかじめ用意しておくとのこと。

定番の料理には意味がある

子供のころは、お寺の除夜の鐘を百八つ数えて1年が終わる。その後、父のすることを真似て二礼二拍手、一礼し、新年のご挨拶をしてお神酒を歳の順にいただく。子供は飲む真似だけといわれたハレの日の中でも、お正月は別格。

餅は特に大切な食べ物。まずは神様に供え、下げていただく。生もの、四足ものは避けると祖母が話していた。おせち料理の定番には意味がある。お重詰めにするのは良きことが幾重にも重なるように、黒豆は真っ黒になるまで元気に働けるように、田作りは豊作を祈願して、カズノコは子孫繁栄の象徴として―と。

さらに、だて巻は反物に見立てて反物がたくさん買えるように、また巻物に見立て学業が向上するように、養老エビは腰が曲がるほど長寿に、栗きんとんはお金がたくさん入るように、かまぼこは初日の出を表す―と。昨今は、何日もかけておせち料理を作ることは難しい時代ではあるが、数品でも十八番料理を家族と作って食べていただきたい。(料理教室主宰)

《邑から日本を見る》78 ひたちなか市で「干しいもの歴史」展

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ひたちなか市で開かれている干しいもの歴史展

【コラム・先﨑千尋】茨城県の冬の風物詩は干しいもにアンコウ。その干しいもづくりは今がピークだ。産地は、ひたちなか市、東海村、那珂市など。北東からの寒風にさらされ、独特の甘さになり、他の追随を許さない。中でもひたちなか市は明治末期からの伝統があり、生産農家、生産量が飛び抜けて多く、直売所や国道沿いの直販店は、歳暮・年始の贈答用に買い求める客でにぎわっている。そのひたちなか市那珂湊支所で「干しいもの歴史」展が開かれている。以前は「乾燥いも(なまって“かんそいも”)」と呼ばれていたが、今では「干しいも」だ。

干しいものルーツは静岡県御前崎市。江戸時代末期に、サツマイモを煮て、皮をむき、細かく切り、干すという製法が考案された。それが明治40年代初めに那珂郡湊町(現ひたちなか市)の魚の干物屋に伝わり、やがて近辺の農家の副業として広がり、今日まで続いている。

1955(昭和30)年までは、元祖の静岡県が日本一の生産量を誇っていたが、「産地は移動する」という言葉のように、現在は茨城県が日本一。農林統計では全国のほぼ100%に近い。三重、愛媛、高知の一部の地域などで作られている(呼び方は違う)が、地場消費の生産量しかない。

干しいもづくりは、かつては農家の副業だった。ひたちなか地方の農家は、冬場の暇な時期に干しいもづくりに励み、家計の足しにしていた。干しいもの販路は、北海道や長野、群馬などの機織りが盛んな地域が主だった。軍隊にも納められていた。いつでもどこでも食べられる干しいもは「貧しい人が作り、貧しい人が食べる」と言われていた。原料のサツマイモも、貧乏人が食べるもの。飢饉のときや戦時中の救荒作物だった。

大きく変わった作り方

しかし今ではまったく違う。サツマイモはヘルシーな食べ物として女性に人気があり、焼き芋もスーパーの店頭で買うことができる。コンビニやドラッグストアでも中国産の食べきりの干しいもが買える。国産の干しいもは値段が高くなり、丸干しのものは高級和菓子と言ってよい。

「干しいもの歴史」展では、生産農家である永井喜平さんと木名瀬一さんの資料をもとに、伝統的な製法と最近の人工乾燥機を使った製法や、干しいもの品種などが実物やパネルで展示され、会場を一回りするとその歴史がわかるという構成になっている。

かつては、サツマイモを蒸し、皮をむき、スライスして、農家の庭先や畑で干したが、今の主流は人工乾燥機。最も速いやり方だと8時間で干し上がる。魚の干物と同じだ。大きな農家はほとんどがこのやり方。この10年で大きな変化を遂げている。また製品も、以前はカチカチになるほど干しあげ、白く粉が吹くのが好まれたが、今の消費者の好みは柔らかめ。

会場の一部に、私が『農業いばらき』という農家向けの雑誌に1月から1年間連載した「茨城の干しいも物語」の記事が、拡大したパネルで展示されている。また映像も流されているので、茨城だけでなく、これまでの干しいも作りの歴史や製法などを知ることができる。会場は那珂湊支所1階の展示室、会期は来年1月24日まで。(元瓜連町長)

《食う寝る宇宙》76 年末の大掃除と宇宙のゴミ

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【コラム・玉置晋】本来、本コラムは沖縄旅行の合間に書くつもりだったのですが、残念ながらコロナ禍が収束せず、旅行は断念しました。会社には事前にお休みの申請を出していたので、わが家は大掃除を行っています。

旅行がなくなってしまったので、わが家の奥方もご機嫌ナナメのご様子で、僕としては暗雲が通り過ぎるまで低姿勢で地雷を踏まぬようにと、気をつけてはいるのですが、「ほら、そこ、汚れ落ちてない!」と。しまった、大掃除という地雷原に迷い込んでおります。

宇宙のゴミに関するお話は、SFの中では随分昔から題材になっていますが、今や現実の問題として日本のみならず世界中で議論されています。この原稿を書いている時点(2020年12月22日)で、4万7295個の宇宙物体が登録されています。これは観測可能な10センチ以上のものです。

このうち3万9021個は宇宙ゴミ(Space Debris)として分類されています。1万7702個は大気圏に突入して燃え尽きましたが、残りは軌道上を高速で飛び回っています。

10センチ未満の宇宙ゴミはもっと沢山あるのですが、現時点では観測・公開はされていません。放っておくと、これからどんどん増えていきます。運用中の人工衛星に宇宙ゴミが接近する場合は逃げる必要があるので、衛星運用者はとっても困っています。

宇宙ゴミを回収する仕事が、ビジネスとして成立する世界が出来つつあります。日本の民間会社も数社参入してきているので楽しみですね。僕が研究している宇宙天気も宇宙ゴミの掃除とも関係していて、太陽活動が活発な時期は宇宙ゴミが大気圏に落ちて掃除されやすくなります。

大学院の半期学費はお小遣い2ヵ月分

僕が大学院で宇宙天気や宇宙ゴミの研究を進めるためには、年に2回授業料を納入する必要があります。僕が在籍している茨城大学の場合、半期で26万7900円なのですけど、授業料半額免除(年収900万円未満なら通ります)+長期履修制度(3年間を6年間に延長)を適用すれば、6万6975円で済みます。

僕のお小遣いを暴露しますと、月あたり3万円いただいていますので、大体お小遣い2カ月分で半年間大学院研究することができます。研究したいテーマがある方は挑戦してはいかがでしょうか。

もう一つアドバイス。研究生活においては、くれぐれも奥方の地雷を踏まぬようにね。(宇宙天気防災研究者)

《土着通信部》43 2021年どうする?  GoTo初詣

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新年を迎える準備が進む筑波山神社

【コラム・相澤冬樹】年の初めの例(ためし)とて-とはいうものの、コロナ禍の2021年、初詣は例年通りとはいかず、様変わりしそうだ。県内の主な神社に聞くと、大みそかから元旦の終夜参拝を取りやめる例は確認できなかったが、「密」を避けるため「分散参拝」を呼び掛けるなど、「新しい生活様式」に準じた参拝方法を提案している。

常陸国一之宮の鹿島神宮(鹿島市)では、「初めて参拝した日が初詣」という考え方や、正月三が日にこだわらず節分までは初詣だとの理解を求めている。楼門参入口にサーマルカメラを導入して体温を測り、37.5度以上の人には境内の外から本殿を向いて拝む「遙拝(ようはい)」にとどめてもらう。マスクをつけない人も参拝を遠慮してもらうなどの対応だ。

同神宮では遠隔初祈祷を案内している。ホームページを介した郵送祈祷に加え、代参祈祷の参拝方式を取り入れる。昭和初期まで存在した参拝者の世話をする「御師(おし)」を復活させ、ネットを通じて代参する様子の動画を依頼者に見てもらう。同神宮によれば、神道の本義から外れることなく、インターネットという現代の技術を用いて新しい生活様式の選択肢を提案したそうだ。

あんばさま総本宮、大杉神社(稲敷市)は、分散参拝に取り組むのは今回が初めてではないという。厄年・八方除(よけ)の厄払いで知られており、立春や旧正月(2月12日)も新しい年の始まりと扱うことから、従前3月までを初詣とみなしてきた。

「新年は、節分の豆まき行事を中止にした以外は例年どおり神事を行う」(市川久仁守宮司)としながらも、手洗い場に次亜塩素酸水の噴霧装置を設けたり、お守りの授与にICタグを用いた会計方式を取り入れるなど新機軸も打ち出している。

筑波山神社(つくば市)は、「一月中のお参りが初詣となるので、混雑を避けてお参りください」と呼び掛けている。ご祈祷は例年拝殿に300人ほどを招き入れたが、新年は「密」を避けるため昇殿は代表者1人に限り、1回約50人で執り行うことにした。7日までの祈祷は予約制。控室の入室前に、体温計測、手指の消毒、マスク着用などの決まりを設けている。

筑波山では緊急事態宣言が出された4月、5月の大型連休中には、神社周辺のつくば市営駐車場(4カ所470台)が一斉閉鎖となったが、大みそかの夜間を含め新年は供用となる。筑波山観光鉄道のケーブルカー、ロープウエイによる初日の出早朝運行も午前4時30分始発で行われる。

土浦市の八坂神社でも大みそかからの初詣は、手洗いやマスク装着の励行などを呼びかけるほかは例年通りの催行。境内には出店も立つが、「境内では食べずにお持ち帰りになるよう」求めるということだ。(ブロガー)

《宍塚の里山》72 遅い紅葉のときを経た里山

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上段左イイギリ、右シロダモ、下段左からマンリョウ(万両)、カラタチバナ(百両)、ヤブコウジ(十両)

【コラム・及川ひろみ】12月上旬、遅い紅葉のときを経た里山。今ではだいぶ木々の葉が散り(厳しい寒さを迎えてもまだ落ちない葉も結構あります)、林がだいぶ明るくなってきました。木々を飛び交う、シジュウカラ、エナガ、ヒガラ、メジロなど小鳥たちの群れ。寒さで里に降りてきたのか、見られる種類が最近グンと増え、観察が楽しみです。

この時期、雑木林をめぐると、乾いた落ち葉が足元でガサガサ音を立て、12月ならではの里山の音が響きます。この枯れ葉の音、今が最高。しばらくすると木の葉が湿り、今のような軽やかな音は鳴りを潜めます。

さて、里山が冬の装いを迎えるころになると、ガマズミやイイギリ、マンリョウ(万両)、シロダモなどの赤い木の実が目立つようになります。ガマズミは霜にあたると実が柔らかくなり、同時に酸味も熟し柔らかな味に変わります。

林でこの実を見つけると、つい口に含んでしまいます。いつでも、酸味は人を元気づけてくれますが、ガマズミも楽しみの一つです。酢大根を漬けるとき、この時期のガマズミを混ぜ込むと、大根が美しい紅色に染まり、これも初冬のお楽しみです。

鳥は植物にとって種子散布の道具

さまざま見られる赤い実の中で、今の時期の代表格はマンリョウ。雑木林や暗い杉林にも明るい赤が目立ちます。発芽後3年目ごろから実をつけ、年々成長し1メートルほどの高さに育ちますが、ヒョロッとした木の上部に葉と実を付ける独特なスタイル。

門松などの正月飾りによく使われるセンリョウ(千両)は、茨城ではもっぱら庭木。残念ながら自生していません。関東の南部、西日本、九州が自生地です。

カラタチバナ(百両)は、茨城県の宍塚でも見られます。ヤブコウジ(十両)は、林床に群生する高さ10センチほどの植物で、真っ赤な実を1個、ときに数個付けます。これらの植物はどれもサクラソウ科、実はどれも1センチほどの大きさ。

植物が赤い実を付けるのは、鳥に見つけてもらうためです。鳥は植物にとって種子散布の道具。動くことができない植物は、種子を遠くに運ぶために、誰かの力を借りなければなりません。赤い実は鳥をおびき寄せ、歯を持たない鳥は実を丸のみ、消化できない種子をふんと一緒に出します。結果、鳥によって種を遠くに運ばせるのです。

しかも、赤色は昆虫には見ることができない色。昆虫の食害からも逃れ、生き物同士の巧みな、絶妙な関係にある赤い実です。(宍塚の自然と歴史の会 元会長)

《遊民通信》7 土浦のキャラクター「つちまる」をゲット

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東大安田講堂を背景につちまるを撮影

【コラム・田口哲郎】

前略

メリークリスマス。宗教色の薄い日本では、クリスマスはモノと結びついていますね。ケーキにプレゼント。そして、この時期にたくさん出現する、サンタクロースの格好をしたキャラクターたち。カワイイは世界の共通語になりましたが、日本人のキャラ好きは文句なく世界一でしょう。

日本人のキャラ好きは今に始まったことではありません。『のらくろ』を読んでいたら、のらくろグッズに埋もれてご満悦の田河水泡(たがわ・すいほう)先生の白黒写真を発見して、我々キャラ好きはご先祖様からの有り難い遺伝なのだと思った次第です。

大学のとあるフランス語講師の話を思い出しました。このパリジェンヌが来日して間もなく、銀行口座をつくったときのこと。行員に無地の通帳かキャラクターの絵柄つきの通帳か選ぶように言われ、ムッとしたそうです。日本人なら抵抗なく「じゃあミッキーの方」とか言って喜ぶでしょう。

しかし、フランスではキャラ付きのモノは子供用であって、大の大人にキャラ通帳にするか訊くなんて、ワタシはバカにされているのかと思ったそうです。

おじさまもカワイイものがお好き

『おじさまはカワイイものがお好き』という漫画がはやり、ドラマ化されました。五十路のバツイチ小路課長がパグ太郎なる癒し系キャラを愛しているが、世間体を気にしてひた隠しにする苦労が面白く、切なく描かれます。

キャラ愛好はフランスのように子供のすること、とはいかないまでも、日本でさえ最近まで女子の嗜(たしな)み的なところがありました。しかし、ダイバーシティ先進国を目指す日本です。そこにジェンダーバイアスはあってはならぬと、男子も秘密の花園に進出し始めている。

かく言う私も、カワイイものがお好きになってしまいました。小路課長のように躊躇(ちゅうちょ)せず、推しキャラ(愛好しているキャラクター)を公表します。それは「つちまる」です。ご存じ土浦市のイメージキャラクター。永遠の1歳6カ月の男の子。

チャームポイントはつぶらな瞳とよちよち歩きです。J:COMで放送されている「マイシティつちうら」で目撃してから虜(とりこ)になりました。

きっと体重はレンコン3個分なのだろうと想像しています。好きが高じて、おじさま(私)は、商業施設にしか見えないと近ごろ話題になった土浦市役所の1階にある売店に赴き、「つちまる」のぬいぐるみとストラップをゲットしました。

なかなかやり手のデキる奴

ストラップは一緒におでかけして写真を撮り、「つちふぉとコーナー」に応募するため。安田講堂をバックに撮った写真が「マイシティつちうら」で紹介されたときは、つちまると喜びを分かち合いました。

大の大人が情けない、なんて言われたら、寅さんが出てきて言うでしょう。「それを言っちゃあおしめえよ」。カワイイは老若男女を問わず湧き出る自然な感情です。こんな当たり前なことを躊躇せず言う勇気を与えてくれるつちまる。

カワイイだけが取りえじゃない、なかなかやり手のデキる奴だと思うのです。ごきげんよう。 草々(散歩好きの文明批評家)

《県南の食生活》20 おせち料理あれこれ

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焼きワカサギの昆布巻き

【コラム・古家晴美】今年も残すところわずかとなったが、昨年末には想像だにしなかった「新しい生活様式」に振り回された1年だった。新型コロナウイルスの影響で、日々の生活ばかりか、冠婚葬祭や様々な行事なども中止を余儀なくされ、そのあり方自体が問い直されている。新型ワクチンが開発されたとしても、これまでの日常がそのまま回復されるのかと、漠然とした疑問を抱きつつ、年末を迎えようとしているのは、筆者だけであろうか。

昨年12月にはお雑煮についての記事を書かせていただいたので、今年はおせち料理について触れてみたい。正月用に予約注文を受ける、重箱に美しく詰められた色鮮やかなおせち料理のチラシを目にするようになって久しいが、そもそも重箱に詰めるということ自体が、それほど古くから行われてきたわけではない。元来は、歳神様(としがみさま)との共食(きょうしょく)を目的とした供えものであった。

三方に裏白やゆずり葉を敷いた上に、米・橙(ダイダイ)・搗栗(カチグリ)・串柿・昆布・伊勢エビ・野老・ホンダワラなどを積み、中央に松竹梅を飾った「食積(くいつみ)、関西では蓬莱(ほうらい)飾り」を作り、床の間に置き、家族以外に年始客にも振る舞った。その後、それは食べない飾り物となり、正月料理は膳に盛られた年迎えの膳(御節)と重詰めの組重(食積)へと移行した。

江戸時代後期の江戸では、『諸国風俗問状(しょこくふうぞくといじょう)』(1804~18)の「組重のこと」には、4段重ねの重箱に「数の子・田作り・たたきごぼう」の他に、焼き物・酢の物・煮物などが詰められているようすが記されている。現在のような重詰めのおせち料理の形に変化したのは、これ以降のことだ。

黒豆、数の子、ごまめの他に、口取りのきんとん、伊達巻、かまぼこ、塩鮭の焼き物、紅白なます、酢蓮、昆布巻き、煮しめ(八つ頭、ごぼう、人参、コンニャク)など、それぞれに言祝(ことほ)ぎのメッセージが込められてきた。

ステイホームの年末年始は?

全国的に共通する内容が多いおせち料理だが、県南地域の事例をいくつか挙げてみたい。昆布巻きの芯にする魚については、美浦村や牛久沼から行商で売りに来るフナや霞ケ浦のワカサギを使う(牛久市井岡、牛久市柏田)。

また、おせち料理とともに、大晦日に3カ日分のヌッペ、ヌッピ、ノッペ(けんちん汁と素材は同じだが、野菜はうす切りでなく賽=さい=の目に切り、油を使用しない)を大量に用意しておく(つくば市玉取・猿壁、龍ケ崎市、行方市麻生町)。

自家用のアズキで羊羹(ようかん)を作る(かすみがうら市宍倉、牛久市柏田、つくば市猿壁)。霞ケ浦湖岸では、蓮の煮物や酢の物などは、おせち料理に欠かせない(土浦市)。

Go Toトラベルに待ったがかかり、ステイホームの年末年始。おせち料理に新たな動きが現れるであろうか。(筑波学院大学教授)