水曜日, 6月 26, 2024
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《法律かけこみ寺》24 いつつのかい

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土浦市文京町の神龍寺山門(写真は本文と関係ありません)

【コラム・浦本弘海】おかげさまで法律かけこみ寺の連載もついに24回。今回と次回では、過去11回分の連載を振り返りつつ、まとめと解題をしたいと思います。(<>内の青字部をクリックするとそのコラムに飛べます)

13 素顔の告白

冒頭からですが、この回も連載第1回から第6回までを振り返った総集編。詐欺的商法から著作権まで、いろいろなトピックをまとめた、いわば幕の内弁当です。

見出しは三島由紀夫『仮面の告白』より。

ちなみにコラムのなかで特段の告白も告発も告訴もしておりません…。ところで告発は「被害者など以外の者が、犯罪事実を捜査機関に対して申告し、犯人の処罰を求めること」、告訴は「被害者などが、犯罪事実を捜査機関に対して申告し、犯人の処罰を求めること」で、両者は微妙に異なります。

14 かけこみ寺の十二か月

この回も連載7回から12回までの総集編です。放置自転車から隣家から枝が伸びてきた場合の話まで、近隣トラブル関係が多くなっております。

見出しは福永令三『クレヨン王国の十二か月』より。

15 最後から二番目の裁判

よくいただくご質問に「裁判に勝ったら、国が相手方から強制的にお金などを取り立ててくれるの?」というのがあります。その辺について詳しく(ちなみに、裁判に勝っただけでは国はなにもしてくれません)。

見出しはフィリップ・K・ディック『最後から二番目の真実』より。『最後から二番目の恋』ではありませんよ~。

16 なぜ、クーリング・オフに頼らなかったのか?

消費者保護のため、一定の期間であれば契約の申し込みを撤回したり、契約を解除したりできる場合があります。それがクーリング・オフ。そのご紹介です。

見出しはアガサ・クリスティ『なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?』より。

17 善悪の此岸

第16回に続き、消費者保護に関連して、送りつけ商法対策に特定商取引に関する法律を取り上げました。ちなみに、この時期はマスクを送りつけてくるトラブルが多発していました。国民生活センターについても紹介しています。

見出しはフリードリヒ・ニーチェ『善悪の彼岸』より。 以上、第13回から第17回までを簡単に振り返りました。(弁護士)

《吾妻カガミ》94 「NEWSつくば」は今秋で3周年

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左は編集室がある筑波学院大の建物、右は1階入口に立て掛けてある案内版

【コラム・坂本栄】本サイトはスタートから今秋で3年経ちました。スマホからのアクセスが多いことを踏まえ、今春、新しいデザインを導入して今の画面に一新。型にはまらない記事が多いこともあってか、アクセス数は大きく増えました。でも喜んでばかりはいられません、思わぬ事故が10月25日に起きました。

「有事」にはサーバー能力を強化

つくば市長選挙の最初の開票状況(21時30分)を伝えるタイミングで、サイトが動かなくなってしまったのです。ハッカーから悪さをされたかと思いましたが、技術担当者がチェックしたところ、21時半前後にアクセスが殺到、サーバーが閲覧を拒んだことが分かりました。短時間に数万のアクセスがあり、危険を察知してゲートを閉じてしまったようです。

本サイトはこの3年、平均1日3本の記事とコラムを朝昼晩に分けて発信してきたこともあり、特定の時刻にアクセスが集中することはありませんでした。ところが25日夜には、「21時半から開票速報します」と事前告知したことが効いたのか、ほぼ同時刻に想定外の読者が押し寄せました。

画面は30~40分で元に戻ったものの、この間多くの方々の期待に応えることができず、お詫び申し上げます。選挙後の編集制作会議では、「平時」は分散型の発信を維持しながら、今回のような「有事」にはサーバーの増強で対応することを確認しました。次の「有事」は大丈夫です。

「権力監視」の対象を拡大します

スタート後1~2年と比べると、発信のルートも拡がりました。当初は本サイトだけでしたが、「Yahoo!ニュース」「Googleニュース」といった大手サイト経由での発信のほか、FM放送、ケーブルTV、フリーペーパーなどにニュース素材を提供するようになったからです。図らずも、「地域通信社」の機能も備えることになりました。

参加するライターも増えています。現在登録されている書き手は、常陽新聞の記者を経験したプロが5人、地域の問題に関心を持つ市民ライターが15人、一家言あるコラムニストが24人―です。こういったサイトを面白いと思ったのでしょうか、この1カ月の間に3人のライター希望者が来られました。

昨夏には朝日新聞、今春には毎日新聞から取材されました。朝日さんの記事の要点は「…全国紙が注目」(2019年8月5日掲載)、毎日さんの要点は「…また全国紙の話題に」(2020年2月3日掲載)をご覧ください。両紙とも本サイトの編集の柱の一つ「権力の監視」に注目しています。この方針に基づき、これまでは主につくば市の行政施策を監視してきましたが、これからは「市権力」の政治基盤や調達構造にも目配りしていきます。(NEWSつくば理事長)

《沃野一望》21 正岡子規『水戸紀行』追歩(1)

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霞ケ浦と筑波山

【コラム・広田文世】
灯火(ともしび)のもとに夜な夜な来たれ鬼
我(わが)ひめ歌の限りきかせむ  とて。

明治22年、文科大学(現在の東京大学文学部)国文科に籍をおく学生が、寄宿舎のある本郷から水戸へ向け、徒歩で出立した。国文科の学友で水戸人の菊池謙二郎訪問を、ふっと思いついた。足にまかせ行ってみるかと、明治時代の学生は、気楽に歩きはじめる。

学生の名は、正岡子規。22歳。ただし正確には、この時点でまだ子規の号を名乗っていない。水戸から帰ったあと大喀血(かっけつ)し、「鳴いて血を吐く」子規を号することになる。しかしここでは子規、と使わせていただく。

子規は、水戸から帰ると発病、壮健だったときの旅の思い出を『水戸紀行』としてつづった。あのときは、元気だったなあと、回想している。

さて、その『水戸紀行』のコース。

東京本郷の寄宿舎を出立し、はるか前方に筑波山を遠望しての北千住、松戸、我孫子。我孫子の先で利根川を渡り茨城県に入り、取手、藤代、牛久と水戸街道を北上、土浦から石岡を経て水戸、さらに大洗にまで足をのばしている。帰路は、水戸線と東北線の汽車を乗り継ぎ(当時、常磐線はまだ開通していない)上野へ戻る4泊5日の日程の、ほとんどが徒歩だった。

子規先生、気負いなく歩きとおした。なかなかの健脚だ。病弱で知られ36歳の短命だったが、子規をふくめ明治初期の人の旅行は、まだまだ徒歩があたりまえの時代なのだ。

子規が歩いてから130

『水戸紀行』を興味深く読んだ。水戸街道歩き、馴染(なじ)みの地名のオンパレードに、よしそれならば私にも追歩できるかと、令和版我流『水戸紀行』に挑戦してみた。

子規は、「春十日許(ばか)りの学暇を得ければ」水戸へ向かったのだが、令和版は、正月前の年末休暇を利用することにした。

さて、令和版のコース。

ビールではないが、とりあえず、いや大きなビール工場のある取手から6号国道沿いに北上、土浦から石岡を経て水戸へ至り、その先、子規先生を追歩し大洗へ足をのばし、先生も眺めた太平洋の海岸まで、…、行けるか?

12月28日。

午前7時過ぎ、夜が明けたばかりのJR常磐線天王台駅に下車する。天王台駅は、千葉県我孫子市。ここから出立し利根川を渡り茨城県の南端からスタートする徒歩行を演出してみた。

天王台西口駅前からの直線路が、新興住宅街を貫通している。平日の通勤時間帯ならば、通勤通学の人波が足早にホームを目指す駅前通りだろうが、年末休暇の早朝で人影は見当たらない。もちろんこのあたり、子規先生の時代は、住宅など一軒も見当たらなかっただろう。思えば子規が歩いてから130年が経過している。景色も人も、どれほど変わったことか。

ともかく令和版我水戸紀行は、静穏なスタートとなる。(作家)

《茨城鉄道物語》7 TXの8両化施策に想う

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【コラム・塚本一也】今回はつくばエクスプレス(TX)の8両化について書かせていただきます。TXでは現在、車両を6両から8両へ増設する施策を実行しています。鉄道の増車というと、車両を連結するだけかというと、そうではありません。まず、車両の増設に合わせてホームを延伸しなければなりませんし、それに伴い、線路の改良、上家(うわや)の増築、出発信号の移設など、関連する工事がたくさん発生します。

しかも、工事は深夜の限られた時間内に施工しなければなりません。ゆえに、お金と時間が、一般の工事よりもかなりかかります。これは鉄道に関わる工事の宿命と言えます。

そこで、鉄道の新線を敷設する場合は、開業当時から将来を見込んで、ある程度の準備をしておきます。TXの場合も、ホーム延伸のための用地は確保してあり、線路も改良しなくて済むようにしてあります。また、ホームの床板を受ける桁を施工してある駅もありますし、なるべく省力化で対応でき、かつ過剰投資にならないような体制で開業しました。

開業後、順調に利用者数も伸びて、混雑緩和対策としての8両化が求められるようになりました。しかし、TX側の今の予定では、工期に10年かかるということであり、2030年の利用開始という説明です。これでは、あまりにも時間がかかりすぎます。鉄道事業で「旅客サービス向上」のための施策は、いつやるかというと、「今でしょ」という回答になります。

一斉老朽化を見据え今から準備を

私が在籍していたJR東日本でも、30年ぐらい前、「山手の11両化」という施策がありました。工事内容としては、ホームの延伸も線路の改良も含まれていましたが、29駅を2年ぐらいの工期で完了させたと思います。

当時は、混雑時に立席だけの車両を増設するということで、世間の注目を集めていた施策であり、決められた工期内に完了することが至上命令でした。そのためには、例えばクレーンを使わないで済むように軽量鉄骨を採用するなど、それぞれのセクションが知恵を絞りました。

TXによると、保守用工事車両の出入り口が限られており、工事間合いが確保できないために、工事に時間がかかるということです。しかし、点検や修繕などを主とする保守工事と、新たに鉄道設備を造る建設工事を同じ考え方で取り組むというのは基本的に間違っているような気がします。

例えば、建設用の仮構台を設けて資材の搬出入を効率化するとか、快速の停車駅だけを先行して開業するとか、旅客サービス向上のために最大限の努力をすべきです。

TXは開業後15年が経過しましたが、同じ時期に施工しているので、電気設備や信号設備などは間もなく一斉に老朽化の時期を迎えます。また、その他の駅舎や線路設備なども、ある時期に同じような劣化が発生することになり、その時には大規模な改良工事が必要になってきます。将来を見据えた施工体制を今から準備しておくべきと思います。(一級建築士)

《遊民通信》4 中心なき世界 アフター・コロナを生きる

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【コラム・田口哲郎】
前略
コロナ禍は現実社会をI Tネットワークの中に呑(の)み込みました。網の目に中心はありません。社会は「中心なき世界」の到来に直面しています。しかし、人間の歴史は中心をめぐる物語です。集中と集積が人類の進歩の証でした。例えば、首都という中枢都市は古代からあり、徐々に拡大し、近代になって大都市になりました。

我々が当たり前だと思っている大都市は、19世紀に出現した比較的新しい社会機構です。産業革命で飛躍的に工業化が進み、農村人口が都市に流入しました。工業は富を生み、巨大都市の住人の食い扶持(ぶち)をまかなえるまでになったのです。近代国家にとって巨大都市は自国の勢力を誇示する格好の装置でした。しかし、大都市の特権的地位もコロナ禍の前には無力かもしれません。

古代ギリシアの哲学者ソクラテスは、誤った思いこみである「ドクサ」に気をつけるよう人々に教えました。何でも中心に集めることが便利で効率的だという考えはドクサだったのではないでしょうか? 中心の周辺が肥大化し、中心に至るまでの過程と中心内の移動にムダやロスが多くなりすぎたのです。

それでも、私たちはついつい中心を求めました。ドクサが現実をつくり、その紛れもない現実が人々を真綿で締めつけていました。

自由ゆえの苦悩

中心が無ければ、ひとつのモードに縛られませんから、自由です。社会にゆとりが生まれるでしょう。良いことです。しかし、自由はただ気楽なものでしょうか? 自由には責任が伴い、往々にして不安を生みます。新しい生活様式では、ひとりひとりが中心にならざるを得ません。群衆のひとりだった私が中心になります。主役というものがどれほどの重責を担い、ストレスにさらされるか、私たちは知っています。

さらに、かつての中心は形を変えて人々を支配しようとするでしょう。ネットワークの隅々にまで入り込んで。支配というよりも管理と言った方がよいかもしれません。効率化されたICT(情報通信技術)管理社会で、各々は小さな中心として数々の選択を迫られるようになります。

こんな社会を予言していた人がいます。ニーチェです。「神は死んだ」で知られる哲学者は、神という中心がなくなった大衆資本主義社会に呼びかけました。人生はいわば一期一会なので、とにかく強い人間になろう、と。永劫回帰(えいごうかいき)と超人の思想です。

強くなることは頑張ることではありません。群衆のうちのひとりなら「頑張っています!」と言えば見逃されたものも、全員自らが中心になるのですから自己満足ではダメなのです。超人は自分の選択に揺るぎない確信を持ち、現実を創らねばなりません。過去でも未来でもなく今の創造です。

そんなの無理!と即答したくなりますね。でも、強くなる秘訣があります。新様式社会を生き抜くヒントです。紙幅がありませんので、それは次の便で。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

《映画探偵団》37 中心市街地活性化 変わる議論の方向

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【コラム・冠木新市】『つくつくつくばの七不思議』と題して、2014年、筑波学院大学コミュニティ講座で話をした。テーマは「伝説と文化を活用したまちづくり」である。「中心市街地つくばセンタービル吾妻篇」では、イタリア人映画監督フェデリコ・フェリーニの『甘い生活』(1960)を例に取り上げた。

『甘い生活』の「ヴェネト通り」

この作品は、作家志望のジャーナリスト・マルチェロ(マルチェロ・マストロヤンニ)が、取材対象を追ってローマをさ迷う話で、街が主役ともいえる3時間の大作だ。深夜、トレビの泉にマルチェロがグラマー・スター(アニタ・エクバーグ)と一緒に入るシーンは、流れ落ちる水の音と相まって神秘的なまでに美しい。

また、ローマの高級レストランやホテルが並ぶヴェネト通りが魅惑的に描かれる。道路には車が駐車、カフェには美女や文化人がたむろし、深夜までにぎやかな場面が映る。誰でも一度は行ってみたいと思わせるような場所に見えてくるのだ。

事実、映画が公開されると、フェリーニに何人もの外国人から電話がかかり、ヴェネト通りに連れていってほしいと懇願されたという。だがフェリーニ自身もめったに行かない場所だった。実は、ヴェネト通りは一部分を除き映画のセットとして建てられたもので、現実とはまるで異なる通りだった。架空の場所に近いといってもよい。

ところが、「映画の『甘い生活』に応じて本物のヴェネト通りが一変してしまい、私が映画のなかで与えたヴェネト通りに迫ろうと猛烈な努力をしたのである」(フェリーニ著『私は映画だ』)。つまり映画のイメージが現実のヴェネト通りに影響を与え、映画のような光景になってしまったわけだ。

つくば市の中心市街地活性化とは何を意味するのだろうか。ある場所に多くの人が集まり、楽しく過ごすことであろうか。これまで中心市街地活性化のイメージは、映画のヴェネト通りのような街を目指していたのではなかったか。昭和生まれで映画探偵の私には、強くこの思いが染み付いている。

市長・市議選の「争点」にならず

10月のつくば市長選挙では、新聞各社が「中心市街地活性化が争点」と報じた。しかし、五十嵐市長は簡単な公約を載せただけだし、他の2人には中心市街地への言及がなかった。市議候補者は、41名中4人がちょっと触れただけだった。つまり、「争点」にはならなかったわけだ。

何も批判しているのではない。新型コロナウィルスによって「三密」が否定されたことにより、「中心部と周辺部の活性化」の考え方に変容を迫られているように思えるからだ。これから、中心市街地活性化を目指して「まちづくり会社」が創られるようだが、その前に活性化の意味をもう一度考え直す必要があるのではないだろうか。

10年以上も続く「つくばセンター地区活性化協議会」のメンバー、2年半前に「つくば中心市街地まちづくりヴィジョン」を作成したアドバイザーの意見を聞いてみたいと思っているのは、私1人だけであろうか。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

《地方再生を考える》17 中小企業再編論と忍び寄るリスク

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ダイヤモンド筑波(筑西市)

【コラム・中尾隆友】菅政権が日本の生産性を引き上げるために中小企業再編論を掲げている。ただし問題なのは、その手段にある。菅政権は最低賃金の大幅な引き上げを通じて、中小・零細企業を次々と淘汰していく考えを持っているからだ。実際に菅首相は最低賃金の引き上げについて、ことあるごとに「5%程度を目指す必要がある」と述べている。

最低賃金が低いから経営が成り立っているような中小零細企業は淘汰されるべきだ。中小・零細企業の淘汰が進めば、日本の生産性は上がるはずだ。菅政権の中小企業再編論は、そういった論理で成り立っている。

これは少し考えればわかることだが、この考え方では「中小零細企業の経営者がやる気を出せば生産性を高められる」と言っているのと何ら変わりがない。精神論の類に近いといわざるをえず、論理的に破綻している。

たとえば、最低賃金を毎年5%ずつ引き上げていくと、5年で1.28倍に、10年で1.63倍になる。ということは、現在の最低賃金(全国平均902円)は3年後に1000円を突破し、5年目に1100円、10年目に1400円を超える。

その帰結として、地方でアルバイトやパートで成り立っている零細企業の大半は、雇用を保って赤字経営が慢性化するか、雇用を削って縮小均衡を図るか、倒産・廃業をするか―主に3つの選択を迫られることになる。

大半の零細企業は淘汰される可能性が高い。そのときに真っ先に失業に追い込まれるのは、低賃金だからこそ仕事にありつける、特別なスキルを持たない人々だ。最低賃金の無理な引き上げは、最も社会が助けなければならない人々をさらなる窮地に陥らせてしまうわけだ。

つぶれなくてもいい企業までつぶれてしまう

そもそも最低賃金が低いから成り立っているような企業に対して、生産性が低いゾンビ企業と一律にみなすのは、非常に浅はかな考えだ。低賃金の労働に支えられる企業のなかには、デジタル化や自動化が難しいうえに、私たちの生活に欠かせないサービスを提供するものも多いのだ。

そういったサービスが最低賃金の大幅な引き上げによって失われるようなことになれば、それは経済的にも社会的にも大きな損失だ。企業が淘汰されるか否かは、消費者の動向が決めるべきであり、政府が最低賃金の大幅な引き上げによって基準を決めるというのは正しいといえないのではないか。

さらに付け加えれば、最低賃金を上げ過ぎると、つぶれなくてもいい企業までもがつぶれてしまうという弊害がある。競争力のある健全な企業までもが、淘汰の波に巻き込まれてしまうというのは、由々しき問題だ。

中小零細企業が多い地方にとって、菅政権の中小企業再編の動きは目が離せない。(経営アドバイザー)

《続・平熱日記》73 冬が来る前に薪ストーブをゲット!

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【コラム・斉藤裕之】その日は水栽培用のヒヤシンスの球根を求めてホームセンターに向かった。特に用もないが木材売り場の辺りをうろついていると、目新しい薪ストーブが目に留まった。1桁違う値段が付いていて量販店では以前には見なかった知る人ぞ知る代物だ。

「これいいんだよね!」と言ってみたものの、色のいい返事は期待していない。ところがカミさん、「煙が少ないのはいいね。中古がネットで出てたりしないの?」と、まんざらでもなさそうな返事だ。しかしオークションサイトではほとんど見かけたことがない。

試しにネットオークションを見てみるとなんと、出品されたばかりの「NEW」のマークとともに、同社製の上位機種の薪(まき)ストーブを発見。これは何かの縁。久しぶりに物欲というかリビドーってヤツか、アドレナリンが沸いてくる。

「こんなん出ました!」とカミさんに見せる。しかし引き取り限定。しかも新潟県。おまけにオークションの経験もないので、ここは一息置いて熟考。交通費や手間を考えると、ホームセンターで新品を買ってもいいのか?

結局タイムリミットを迎えたのだが、翌朝もう一度ネットをのぞくと、入札がなかったらしく「即決価格」に変わっている。起きてきたカミさんを待って相談の上、「ポチリ」。めでたく落札と相成った。

今年の冬はこれで万全!

世の中、「ゴートゥー〇〇」で高価なホテルがお安いだの、ランチがお徳だの、金持ちが多いのか、全く別の世界のように感じてしまうのは、多分私がズレているからだろう。

というか、そもそも何万円もする部屋に泊まって、テーブルいっぱいに並べられた料理を食べることになんの興味もない私は、ひとり「サイトゥーキャンペーン」と称して、この冬を楽しく過ごすために新潟行きを決意。ちなみにカミさんは高速道路が嫌いという理由で自宅待機。

出発は朝5時。カミさんの軽自動車で圏央道から関越道へ。朝日に映える赤城山、榛名山を通過して、紅葉美しい谷川岳は晴天。しかしトンネルを抜けると、そこは雨。越後妻有 (えちごつまり)トリエンナーレの名残を車窓に、現地に着くころはすっかりまた晴れていた。

恐らく、もう1カ月もすれば、雪景色となる日本有数の豪雪地帯。基礎の高さや屋根のつくりから冬の厳しさが想像できる。小旅行気分を味わいながら、グーグル先生に導かれて無事現地に到着後、ストーブをゲット。帰りに魚沼産の新米を買って2時過ぎには帰宅。思いの外疲れなかった。

さて、ここからは百戦錬磨の夫婦の技の見せどころ。培った知恵となけなしの体力で100キロの代物を何とか家に運び入れ、夕方には煙突も着け終えて火入れ式。

「かーちゃん、よく頑張った! これで今年の冬はこれで万全! 今日は回転ずしだ!」。「割引クーポンでもあるの? 都民割? 何割?」。そうさなあ、あえて言えば、このストーブの暖かさは「じんわり 」。それからあるとすれば「薪割り」かな。(画家)

《邑から日本を見る》75 この国は独裁国家なのか

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【コラム・先﨑千尋】「オレの言うことを聞かないヤツはみんなクビだ!」。この国は、将軍や大名が支配していたころに戻ってしまっているようだ。「総理大臣になれば、自分の考えや思っていることは何でもできる」。日本学術会議をめぐるこの1カ月余りの動きを見ていての感想だ。

「はじめにおわりがある。抵抗するなら最初に抵抗せよ」。私が師と仰ぐジャーナリスト、むのたけじの言葉だ。

ナチスドイツの時代の牧師マルティン・ニーメラーの言葉も引く。「ナチスが共産主義者を攻撃しはじめたとき、私は声を上げなかった。私は共産主義者ではなかったから。次に社会民主主義者が投獄されたとき、私はやはり抗議しなかった。私は社会民主主義者ではなかったから。労働組合員が攻撃されたときも私は沈黙していた。そして彼らが私を攻撃したとき、私のために声を上げる人は1人もいなかった」。

私はしがない田舎の一農夫。だがやはり今、「菅さん、独裁者づらするな。この国は一応民主主義の国ですよ」と声を上げよう。この国の未来のために。

発端は周知の通り、先月9日の菅首相の次の発言。「日本学術会議が提出した会員推薦者名簿は見ていない。決裁直前に6人が除外された99人分の名簿を見ただけだ」。しかし、その後の首相や加藤官房長官らの説明や答弁はめまぐるしく変わり続ける。

政府の言い分は支離滅裂

最初は「総合的、俯瞰(ふかん)的に決めた」と意味がわからないことを言い、「任命すると公務員になるので政府として関与し、責任を取る必要がある。人事のことだから、具体的な説明はしない」と居直り、いまだに6人を除外した理由を明らかにしていない。除外したのは政権の政策を批判していたから、とは口が裂けても言えないだろう。

10月26日のNHKの番組では「説明できることとできないことがある」と本音をもらした。これも恐ろしい言葉だ。私たち国民に説明できないことを、総理が自分の判断でやってしまう。やりたい放題、なんでもできるということだ。

菅首相は最初に、6人を除外したことは知らなかったと言った。しかしその後の発言で、6人を標的にして意図的に外したことがだんだんわかってきた。2日の衆議院予算委員会では、学術会議は「閉鎖的で、既得権益のようになっている。前例踏襲はやめ、民間人や若い人が増えたらいいと私が判断した」と答弁している。

本会議での代表質問に対しても「(学術会議は)専門分野にとらわれない広い視野に立って、バランスのとれた活動を行い、国民に理解される存在であるべき。出身や大学にも偏りが見られる。多様性を念頭に私が判断した」と言っている。6人を外したことには答えず、組織のあり方をやり玉にあげているのだ。論理のすり替えでしかない。

これらのことから、最初の学術会議からの提出名簿を見ていないという発言はウソだったことがわかる。名簿を見ていないのに、どうして判断したのかを説明できない。2日の予算委員会でも菅総理は、加藤陽子氏以外は知らなかったと答弁した。著作も論文も読まないで、どうして5人を排除したのか。

加藤氏については、素晴らしい業績を知っていたが、政府に楯突いたから外した、と言っている。語るに落ちるとはこのことを言う。6人の中には、学術会議の会員がいない私大の研究者も含まれている。政府の言い分は支離滅裂だ。(元瓜連町長)

《食う寝る宇宙》73 宇宙に行きたい人、注目!

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【コラム・玉置晋】文部科学大臣が10月23日の記者会見で、JAXAが13年ぶりに宇宙飛行士を募集すると発表しました。僕の周りにも宇宙飛行士を目指す若手が何人かいて、ちょっとざわついています。2021年秋ごろをめどに募集を行い、その後は5年に1度のペースで継続して募集するとのことです。今後の恒久的な月開発を視野に入れた動きでしょうね。

まだ募集要項は出ていないので、前回の募集要項を参考にすると、(1)日本国籍を有すること(2)大学(自然科学系)卒業以上であること(3)自然科学系分野における3年以上の実務経験(4)宇宙飛行士としての訓練活動、宇宙飛行活動に柔軟に対応できる能力を有すること(5)訓練時に必要な泳力(水着及び着衣で75メートル泳げること、10分間立ち泳ぎが可能であること)(6)円滑な意思疎通が図れる英語能力を有すること(7)宇宙飛行士活動に適応できる医学的・心理的特性を有すること(8)日本人宇宙飛行士としてふさわしい教養等を有すること(9)10年以上JAXAに勤務かつ長期間海外勤務が可能なこと(11)所属機関の推薦が得られること―。

具体的には:JAXAホームページを参考にしてください。

10年以上前の要項なので、現在とは求められる能力は変わってくると思います。今後、どんな募集要項が出てくるか楽しみです。でも、(5)の泳げること―というのは、地球帰還時や緊急時の脱出の際、海上で待機する可能性もあるので、間違いなく残るでしょうが、僕は子供のころから泳ぎが苦手でねえ。宇宙飛行士を目指す子供たちは、しっかり泳げる練習をしておいてください。

ハロウィン・イベントにざわつく心

11月になりました。先月、我が家では調子にのって、ハロウィン柄の使い捨てマスクを1箱購入したのですが、ハロウィンが終わったにもかかわらず、数十枚、使わずに残ってしまいしました。

どうしようか考え中です。気にせず使い続けるか、来年用にとっておくか。僕はハロウィンには特別な思い入れがあります。17年前の2003年10~11月、太陽活動が非常に活発になった時期があって、宇宙天気界隈では「ハロウィン・イベント」と呼ばれています。

この時は人工衛星が壊れて大変なことになり、僕は宇宙天気から人工衛星を守る仕事をしようと思って、今に至ります(コラム62参照)。僕の宇宙天気との「くされ縁」は、17年前のハロウィンから始まっており、この季節が来ると心がざわつきます。(宇宙天気防災研究者)

《続・気軽にSOS》72 感情を出そう

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【コラム・浅井和幸】とても美人なAさん。無口で、あまり喜怒哀楽を表に出さない人だった。人とコミュニケーションを多くとる人でなかったので、あまりトラブルは無かった。

けれど、周りからの評価は、「冷たい」とか「お高くとまっている」だった。Aさん本人も、自分が周りから良く思われていないのは感じていた。出来るだけ嫌なことも顔に出さないように努めているのに、どうすればよいか分からなかった。

私が接している限りでは、Aさんは少しだけコミュニケーションが苦手なのと、人見知りをする人という印象である。慣れた人とだとよく笑い、人の言葉をよく聞く人であった。

さて、人に好かれるには感情的になってはいけないという教えを受けた人は多いことだろう。怒らずに、いつも笑顔で人に接することが大切だ、むしろ感情は押し殺すものだ、と。

女性は人前ではニコニコしていることが大切で、それが出来ないから自分は人から好かれない。ニコニコしようと思ってもぎこちなくなるから、余計に人と話が出来ずに距離が出来てしまう。Aさんは、そのように考えていた。

大切なのはその表現方法

実は、感情を表に出すことは悪いことばかりではない。喜びばかりでなく、怒りも悲しみも嫉妬もすべて大切な感情で、役割があることは間違いない。

大切なのは、その表現方法である。相手が受け取れるだけの表現である必要がある。暴力が怖いと感じる人に、怒りを暴力的に伝えることは恐怖を与えることであるが、自分が怒っていることをちょっとした表情や言葉で落ち着いて伝えることは出来る。

人にはミラーニューロンという他人の言動などから相手の気持ちを読み取るために役立つといわれている神経細胞がある。なんて、難しいことを言わなくとも、相手が無表情で怒っているのか喜んでいるのか分からないときは、得体が知れない、怖いと感じてしまうことはあるだろう。

相手の感情が推測できるとき、安心感にもつながる。相手が怒っているときは近寄らないようにするとか、喜んでいるときは何かものをおねだりしようかと画策できるとか、行動をとりやすいだろう。

感情を表現することは、普段表現しない人にとっては難しいことで、練習が必要になる。実際に感情表現をしたほうが人から好かれるという研究もある。感情を押し殺して無表情になり、波風を立てない代わりに周りから得体のしれないやつと思われる道と、感情をうまく表現して摩擦はあるけど人に好かれる道。そんな両極端なことは無いにせよ、どちらを選ぶかは自分自身で考えていくことである。(精神保健福祉士)

《くずかごの唄》72 「ごじゃっぺ」方言の衰退

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【コラム・奥井登美子】

「薬がひとつ増えてっぺ、血圧が高くなった」

「気候がめちゃめちゃ、暑さから急に寒くなっちゃって、心臓だってびっくりしちゃう」

「そうだ、そうだ」

「2.5ミリグラムのノルバスクが1錠増えているわね」

調剤の客と話をしながら、私は何とかしてこの地域の方言を聞き出したいと、いろいろ雑談を仕向けるのであるが、見事な方言を話す客が次々にいなくなってしまって、私の方言を聞く趣味は、今はもう不可能になってしまった。

このあたりの方言で面白くて好きな用語は、「ごじゃ」「ごじゃっぺ」「ぐぢゃっぺ」。いろいろな発音がある。分類すると、地域によっても違いがあるが、霞ケ浦のほとりなどは農業と漁業。職業によっても違いがあるように思えてならない。

見事な方言を話すおばちゃん

昔、奥井薬局が薬品の卸をやっていたころ、美浦村からトクホンなどを仕入れに大きな風呂敷を抱えてやってくるおばちゃんがいた。お茶を飲みながら、時には1時間くらい姑(しゅうと)と楽しそうにおしゃべりをしていく。

整った顔立ちのおばさんで、そこからほとばしり出てくる言葉。最初はリズムが早すぎて何を言っているのか聴き取れなかったが、そのうち耳が慣れてくると、そのリズムと抑揚に聞きほれてしまう何かがあった。

「あのおばさん名前は誰?」

「柳生さん、雑貨屋さんをやってる」

「見事な方言を話す人ね、発声がほかの人と違うのかなあ」

以来、柳生さんのお茶出しは私の係になってしまった。俳優の柳生博氏は彼女の息子さんらしいと、後で聞いた。同じ方言でも、人によってリズムとテンポがまちまちなのも面白い。

幼い時の言葉が聞きたくて転院したのが亀谷哲治先生(1917-1988 、薬学者、東北大教授、星薬大学長)。「大学病院は医療の質では最高かもしれないけれど、こちらの病院で掃除のおばさんたちのおしゃべりを聞くのが、今の私にとって最高の癒やしです」。

「ごじゃっぺ」方言も、残念ながら衰退してしまってなぜか淋しい。(随筆家、薬剤師)

《ことばのおはなし》27 本に埋もれて

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【コラム・山口絹記】とある事情で短期間に2回引っ越しをした。それも、荷造りの時間的猶予も与えられない夜逃げのような引っ越しだ。このおはなしに関しては、いつかこのコラムでも書こうと思う。

さて、私は引っ越しが大嫌いである。理由は単純明快。蔵書の箱詰めや整理が苦痛なのだ。我が家にはおそらく1200冊程度の本がある。たぶん、そのくらい…ということにしておく。これでも実家から厳選して運び出した私のお気に入りの蔵書。「趣味は読書です」という一言にも、「毎週図書館に通ってます」から「一度、実家の床が抜けました」まで幅広い規模が想定されることを忘れてはならない。

実家にはおそらく1万冊程の蔵書がある。たぶん、きっと、その程度…だと思いたい。備え付けの壁一面の本棚もあるが、そのようなものはとうの昔に飽和し、虫もわかないほどに隙間がない。増えた本はなんの疑問もなく床や廊下や机やベッドの上に積まれていく。

ちなみに本というのは、背と小口で厚みが異なるため、高く積み上げると崩れる。そのため折を見て向きを変えて積み上げる必要があるのだ。大切なライフハックである。

一度病気をして、服や雑多な荷物は処分したが、本だけは処分できなかった。これが煩悩というやつなのだろう。たまに実家の母と話すと、決まって蔵書のおはなしになる。「私が死んだらこの本は…」「いや、死ぬ前から行動に移さないと間に合わないでしょ…」というような不毛な会話がお約束のようになされる。最近では貸倉庫の話まで出てきて、いよいよ悲壮感が漂ってきた。

記憶のなかの本たちの中を漂う

妻は私の部屋に入ると、「この部屋の床、傾いてる気がする」と言って出ていく。蔵書の重みを心霊現象のように表現するのはやめてほしい。この建物は鉄筋コンクリート造りだ。きっと大丈夫。

実家の大量の書物のことを考えると、今も気分が落ち込んで、夜も寝れなくなることがあるのだが、気がつくと本屋に行って書物を抱えてニヤニヤしてるし、Amazonからは自然現象のように定期的に本が届くし、カウンセリングとか受けたほうがよいのだろうか。これ多分、心療内科的案件だと思う。

賢い友人には、「図書館使えばいいじゃない」「電子書籍にしたら?」「定期的に処分しなきゃ」と言われるのだが、図書館は利用しているし、定期的に処分はしている。そして、電子書籍の所有数はすでに考えたくない量になっている。

このようなおはなしをしたとき、一般的な反応としては「よくそこまでたくさんの本を読めますね」というものかと思う。しかし、読書というのはそもそも最初から最後まで読み通す必要はない。

本の中のことばが、別の本の中にあることばと結びついて、気がつくと、1冊の本ではなく、蔵書という本棚全体を、今は所有していない記憶のなかの本たちの中を、ことばの海を漂うように、流れに身を任せながら読んでいる。これが私にとっての読書なのだ。(言語研究者)

《雑記録》17 3匹の子豚の物語 理想の戸建ては?

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【コラム・瀧田薫】長男ブーは藁(わら)の家、次男のフーは木の家、末っ子のウーは煉瓦(れんが)の家をそれぞれ建てたそうだ。ある日、オオカミがやってきて、3匹は家に逃げ込んだが、頑丈な家に隠れたウーだけが助かった。

このお話、原作はイギリスの民間伝承らしいが、いろいろ変更が加えられ世界中に広まったようだ。賢いウーだけが助かる結末はどこでも同じだが、家の材料は国によって違う。まあ、そうでしょうね。地震の多い所で煉瓦の家がベストとも思えませんからね。

ところで、もし今の日本にウーがいたとしたら、どんな家を建てるでしょうか。賢いウーですから、地震や台風に備えて、基礎や構造のしっかりした家にするはずです。でも、お金持ちではないし、子どもの教育費も考えて、新築は諦めるかもしれません。

日本には空き屋が846万戸(2018年総務省統計)もあります。「質の良い中古の木造住宅」を探し出すことは可能でしょう。ウーであれば、それを上手にリフォームして、新築よりはるかに安いコストで、楽しく、豊かな暮らしを手に入れるのではないでしょうか。

住宅投資累計を下回る住宅資産

ところで、2013(平成25)年、国土交通省の肝いりで、「中古住宅の流通促進・活用に関する研究会」が立ち上げられ、同年、研究会提言が発表されました。提言の中身は現状認識と対策の二つに分かれています。

1.英米では、住宅投資の累計額を上回るストック(住宅資産)が形成されているのに、日本では住宅投資累計額より500兆円程度下回るストックしか形成されていない。

2.木造住宅は約20年で価値ゼロという「常識」が中古住宅市場にも担保評価にも「共有」されており、ストック形成を妨げている。建物評価の適正化を図る必要がある。

さて、住宅ストックが貧しい理由は単に建物評価の不適切さだけではありません。現状、空き屋が800万戸以上もあるのに、2015年以降、毎年90万戸以上(2018年国交省統計)もの新築住宅が建てられており、これが既存住宅の資産価値を下落させています。欧米では住宅数の総量規制をしていますが、日本政府は、新築をむしろ助長しています。

住宅建設の経済効果は、住宅投資額に対する生産誘発額が約2倍あるそうですから、成長経済志向の政府からすれば、GDP(国内総生産)、雇用、税収に悪影響を及ぼす住宅建設の抑制などもっての外でしょう。

一方、提言は、明言を避けてはいますが、政府の経済政策には批判的です。つまり、人口が減少し経済成熟が進行している事実を見据えて、ストック重視(資産による豊かさ志向)の経済への転換を示唆しています。これを一種の社会改革提言と読めないこともありません。賢いウーに、日本の未来はどうなるか、聞いてみたくなりますね。(茨城キリスト教大学名誉教授)

《吾妻カガミ》93 つくば市のキーマン2人が続投

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筑波大学㊧とつくば市役所

【コラム・坂本栄】選任の仕方は違いますが、つくば市のキーマン2人の続投が決まりました。1人は筑波大学学長の永田恭介さん、もう1人は市長の五十嵐立青さん。続投決定、おめでとうございます。今回はお2人の選任と実績の話にします。

筑波大学長 数々の実績>伝統的選び方

永田さんの続投決定までの経緯については、本サイトの「永田学長を再任 筑波大 選考プロセスの正統性問う声噴出」(10月21日掲載)をご覧ください。紛糾の背景には、<実績ある永田さんに続投してもらうために選任方法を変えよう>対<伝統的かつ民主的な従来の投票方式で選ぶべき>という、学長選びの考え方の違いがあったようです。

この動きを見ていて、6年前の永田学長インタビューを思い出しました。当時発行されていた常陽新聞の「キーパーソン」にQ&Aが載っていますが、私は取材後記で「永田さんは学長というよりも社長という感じがする(もっとも英語では学長も社長もプレジデント)。そこで、最近の国立大学長のタイプを聞いたところ、永田さんは『プラクティカルな方とフィロソフィカルな方がいるが、前者が多い』とコメント…」と書いています。

どうやら、「プラクティカル」な永田さんは「社長」として大学を「経営」、数々の実績(国立大学協会の会長に就任、防衛省の研究費を受け入れ、念願の『指定国立大』入りが確定など)を評価した先生方が続投を画策したところ、伝統的で「フィロソフィカル」な大学運営にこだわる先生方が反発した―といった構図だったようです。

結局、続投を狙った「プラクティカル」派が勝ったわけですが、学長の任期制限が外されたことで、筑波大がプーチン大統領のロシア、習近平主席の中国のようなイメージで見られるようになるかもしれません。また、「フィロソフィカル」派の怒りのマグマが大学に内包されることも考えられます。こういったリスクを承知して、永田「社長」がなぜ続投を受けたのか、どうして経営センスのある後継者を育てなかったのか、不思議です。

つくば市長 実績は不足?<現職の強み

つくば市長選の結果については、「現職の五十嵐氏再選」(10月25日掲載)をご覧ください。現職の強みを生かした五十嵐さんは、対抗馬の知名度・準備不足もあり、民主的な選挙で圧勝しました。ただ、永田さんと違い、「実績集」「経営力」では挑戦者2人の厳しい評価も受け、「?」の感を残しました。

この4年間、五十嵐市政はいろいろな話題を提供してくれました。本コラムでも取り上げた「看板公約・運動公園問題が未解決」(8月17日掲載)、「新型コロナ禍対応の不手際」(5月4日掲載)、「指定管理者選定で迷走」(2019年3月4日掲載)、「空振りに終わった駅前空きビル再開発」(2018年11月5日掲載)などです。引き続き面白いネタを期待しています。(経済ジャーナリスト)

参考】永田学長インタビュー(上)は2014年8月18日付常陽新聞、同(下)は同8月25日付。つくば市と土浦市の図書館で閲覧できます。

《介護教育の現場から》1 介護福祉士養成学校のいま

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家政学実習準備
岩松珠美さん

【コラム・岩松珠美】今年の春先は未知なるコロナ感染症の流行に見舞われた。皆が今の日常生活の当たり前さについて見直しを迫られている。

文部科学省の学校基本調査(2016年)によると、高校を終えた約116万人の進路は、大学が54.7%、専修学校が16.4%という。その中では、医療系の国家資格が取れる学科や専攻が人気のある分野と聞く。しかし、介護福祉や社会福祉について専門的に学び、介護福祉士や社会福祉士などの資格取得を目指したいと思う生徒は決して多くはない。

介護福祉士養成施設協会の報告(2019年)によると、加入している大学、短期大学、専門学校を卒業して、福祉現場に就職した学生は5697人。そのうち、17%が職業訓練生、6.7%が外国人留学生だった。

そのような状況の中で、私は今春、新3K(きつい、汚い、給料安い)といわれる介護現場のイメージをどう払拭できるかよりも、介護の仕事は「多くの人々の生き様に触れる『感謝と感動の仕事』である」ことを伝えたいと思い、介護福祉士を養成する新設の専門学校に赴任した。迎えた学生は全員が留学生の10人。

実践の場での学びが大事

感染症予防をしつつ、多くの大学、短大、専門学校がオンライン授業や課題自己学習指導で新学期を始めた時期に、私たちは通常対面式の授業・演習開講を決め、5月から学生を迎え入れた。感染対策として、検温、体調確認、手指のアルコール消毒を入口で確認してから、50席以上入る教室に10人が離れて座ってもらい、教室換気の手順も徹底して実施した。

介護教育では、2年間の修学期間(約2000時間)のうち、社会福祉関係施設で450時間の実習をすることが必要になっており、実習がカリキュラムの根幹を占めている。つまり、福祉の実践場での学びを重要視している。

コロナ禍の2020年度は、厚生労働省から、学内での介護実習内容に相当する授業・演習を介護実習と見なすという通達があったが、こういう状況下で、学生の現場実習を受け入れてくださった施設に深く感謝をしている。

オンラインゲームやSNSが普及した今、いろいろな世代とコミュニケーションを深めることがとても大事である。こういったツールも使いながら、介護分野での生徒のやりがいや感動を育てていくことが、現場の要請を担う専門学校の使命と思っている。(つくばアジア福祉専門学校 校長)

【いわまつ・たまみ】同志社女子大学(栄養生化学)卒。女子栄養大学大学院修士課程(食生態学)修了。老年看護学、地域看護学に研究分野を拡げ、大学や専門学校で教育に携わる。管理栄養士、社会福祉士、精神保健福祉士、介護福祉士、看護師。著書に「六訂栄養士・管理栄養士をめざす人の社会福祉」(みらい出版、2020)など。現在、つくばアジア福祉専門学校(土浦市東真鍋町、2020年5月開校)校長。1961年、長野県生まれ。

《遊民通信》3 オンライン講義の本当の意味と影響

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【コラム・田口哲郎】
前略
コロナ禍でオンライン授業を受けた体験から、IT技術が大学の学知に及ぼす根本的価値転換について前回お話しました。では、学生がキャンパスに通わなくなることでどのような影響が出ると考えられるでしょうか?

キャンパスに通えないことで、学生は他の学生と従来のような対面交流ができなくなりました。オンライン授業では言語情報のやり取りはできますが、人間のコミュニケーションは言語情報だけで成り立っているわけではありません。臨床心理学では、人間の交流にラポール(rapport)が必要だとされています。ラポールは言葉以外の情報から人同士の間に生まれる信頼関係を指し、交流の前提です。

まだオンライン化元年ではありますが、オンラインでラポールを築くのは、対面よりかなり困難だなというのが率直な印象です。コロナ禍以前、大学生は仲間とつるんで、無駄なことをしゃべるゆとりがありましたが、それは実は無駄ではなかったのではないかと思います。

テレビでよく見るタレントに実際会ったこともないのに親しみを感じ、その訃報に接して落ち込むことがあります。例えば、志村けんさんのように。だから、オンラインでもラポールは築けるのではないか? という疑問がわきます。しかし、志村さんと私の間に信頼関係は当然ありません。逆に、オンライン化によって、大学で親しみを感じるけど、信頼関係がない仲間が増えるかもしれません。

学園の起源 プラトンのアカデメイア

学園の起源は紀元前387年にアテナイ近郊にプラトンが開いたアカデメイアです。師匠と弟子達は寝食を共にし、議論し、独自の学説を作り上げました。プラトンの師ソクラテスまでは哲学者は無派閥でした。アカデメイア以後、明確な学派が生まれるのです。

ソクラテスは市民の耳に痛いことを平然と述べ、倫理を説きました。結果、裁判で無実の罪を着せられ服毒処刑されました。プラトンは衝撃を受け、哲学者の身を護(まも)る意図もありアカデメイアを造ったと言われます。学園には学生の表現の自由を保障する役割があったのです。

もしそうなれば、人類が2000年以上かけた進歩が元の木阿弥(もくあみ)です。それはあまりにも悲しいですね。でも、嘆いてばかりもいられません。これからのことについては、次の便で。ごきげんよう。
草々(散歩好きの文明批評家)

《県南の食生活》18 七五三の祝い 7歳のヒモトキ

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紐解きの時に引き出ものと共に出される紅白餅

【コラム・古家晴美】11月に入ると、祝日や週末の神社で、鮮やかな晴れ着を身にまといご家族に手を引かれる「七五三」の子どもたちの姿を見かける。中国の元服儀礼の影響を受け、元来は宮中や武家の間で行われていた。3歳の髪置き、5歳の袴着、7歳の紐(ひも)解きなど成長期の重要な節目の通過儀礼だが、7歳の祝いが最も重要とされた。紐が取れた本裁ちを着るようになることからヒモトキ(紐解き)、オビトキ(帯解き)とも呼ばれる。

ところで、茨城県南部から千葉県北部にかけて、現在でもヒモトキを盛大に祝う慣習がある。七五三パーティーのカラー刷り新聞折り込み広告を目にしたことがある方もいらっしゃるかもしれない。

結婚式の披露宴並みのご馳走が並び、主人公の子どもが着物・袴(はかま)からドレス・洋服に2回ほどお色直しをし、子どもの芸事の披露、両親への花束贈呈などが結婚式場や宴会式場を借り、数十人の客の前で執り行われる。宴席の席順は結婚式とほぼ同じで、出席者は現金のお祝い以外に、ピアノやタンスなどを贈った例もあった。(『牛久市史』)

それ以前に自宅で宴会を行っていた頃も、近所や親戚の人に手伝ってもらい、惣領(そうりょう)の場合は3俵の餅を夜中の1時頃から明け方ころまで搗(つ)いた。コネ取りは入らず、4人で細い杵(きね)で水をつけない餅を搗く(練るに近い)。かなりの力仕事だったので、20人くらいで交替した。搗きあがった餅は、かご屋に注文した籠(ヒゲコ)に入れて親元・親戚・近所に配り、宴会への招待を告げた。(『取手市史 民俗編』Ⅰ・Ⅱ)

地域社会の「氏子入り」

自宅で調える膳には、酢の物・鯉の旨煮・トロトロ豆・汁・赤飯・フナ・松竹梅の打ち菓子などが並ぶ。婚礼の時と同様、村の素人料理人を頼み、近所の女性にも手伝ってもらった。大正11年の記録では、招待したのが村内の42軒で、それに親戚全部を加え、手伝いの女性が7名、膳椀・鍋釜は共有のものを借用とあるから、かなりの規模であったようだ。(『麻生町史』)

この儀礼が庶民に広まってからは、ヒモトキは村の「氏神」に子どもの無事を祈り、子どもが地域社会の一員として承認される「氏子入り」の機会となった。一方、ヒモトキを機に、家督が子どもの祖父母から両親に譲られる、両親とその仲人との盆暮の贈答付き合いが一区切りを迎えるなど、子どもの周囲にも少なからぬ変化がもたらされた。

七五三パーティーの主人公はあくまで子どもであるが、このように家族が次のステージに入ったことを周囲に広く披露する場であると受け止めれば、盛大な祝いとなるのもうなずけるかもしれない。(筑波学院大学教授)

《続・平熱日記》72 「平熱日記展」 10回目は記念すべき?

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【コラム・斉藤裕之】「セロ弾きのゴーシュ」という物語がある。セロを練習していると、夜な夜な動物がやって来てはリクエストをする。それに応えているうちに、セロの腕が上がっていたという宮沢賢治の童話だ。シンプルなストーリーだが、ものづくりのエッセンスが描かれている。

身の回りの出来事を小さな板切れに描くことにした。四季の移り変わりや食べ物、出会った人やモノ、2匹の犬や家族…。謙虚に、つべこべ言わずに描く。ゴーシュが動物たちのリクエストに応えたように。芸術やアートという言葉から離れて、制作や表現ではなく、単なる絵を描こうと思った。そうやって何とか細々と絵を描き続けて来られた。

それから、今書いているこのエッセイ。ちょうど6年前、当時の常陽新聞の記者の方が別件で取材に来られたことがきっかけとなった。親しい友人の「斉藤さんの絵もいいけど文章が好きだな」という一言が、後押しをした。

結果的に、この2つの作業は私に向いていた。絵に飽きたら文章を書く。エッセイによって気持ちの整理がつく。日記のようにして絵と文が残っていくのは、怠け者の私には都合がよかったし、早朝の小1時間での作業は私の生活リズムにピタリとはまった。

27日から牛久で3週間

記憶をたどると小さな絵は15年ほど前から描いているが、ゴーシュにシンパシーを感じるとすれば不器用で下手ということだ。しかし、ここが絵と音楽の違いなのか、下手でも絵は描ける。

当初は人に見せるつもりはなかったが、「展覧会をやってみたら」という、これも友人の言葉がきっかけで小さな絵を飾ってみた。ゴーシュのように思い通りの演奏ができたというような実感こそなかったが、意外に多くの人が褒めてくれた。

今年も、牛久市の「サイトウギャラリー」で展覧会(10月27日から3週間)をすることにした。今回は描いた絵を自作の箱に収めているのだが、相変わらず同じようなものばかり描いていることにあきれたり、変わりのない暮らしぶりをしている証しか、などと納得したり。

展覧会は今回でちょうど10回目になる。紙粘土で作った牛久シャトーを描いたものを案内のハガキにした。少しお祭り気分で「第十回記念展」にすることも考えたが、「九の次の十回展」ということにした。

しかし、コロナ禍でオリンピックをはじめほとんどのイベントが中止された記念すべき?年に、これほどピッタリの記念すべき展覧会もなかろう。なにしろ「平熱日記」展というぐらいだから。(画家)

《邑から日本を見る》74 安倍政治を検証する(4) 福島の汚染水と東海第2

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【コラム・先﨑千尋】安倍政治検証の最後は原発問題だ。「フクシマについて、ご案じの向きには、私から保証をいたします。状況は統御(アンダーコントロール)されています」。2013年9月、アルゼンチンで開かれたIOC総会で安倍首相はそう演説した。帰国後、安倍氏は「汚染水の影響は、湾内の0.3平方キロの範囲で完全にブロックされている。汚染水処理は国が前面に出て、私が責任者として対応したい」と言った。

しかし7年たった今でも、汚染水の流出は1日平均で180トン。止まっていないのだ。この汚染水は多核種除去装置(ALPS)で浄化しているが、それでもトリチウム、セシウム、ストロンチウムなど63種類以上の放射性物質が溶け込んでいる。処理水を詰めたタンクはすでに1000基を超え、限界に近づいている。

この汚染水について、原子力規制委員会の田中前委員長、更田現委員長は、トリチウム濃度を告示濃度以下に薄めて海に流せ、と発言してきた。所管の経産省はこれまでに有識者会議や小委員会を開き、地層注入、海洋放出、コンクリート化して地下埋設、水蒸気にして放出、水素にして大気放出―の案を検討し、委員会はこの2月に「現実的な選択肢は海か大気への放出で、海洋放出の方が確実に実施できる」という報告書をまとめた。

地元ではこの問題をどう受け止めているだろうか。朝日新聞と福島放送が今年2月に行った世論調査では、汚染水を薄めて海に流すことに賛成が31%、反対が57%だった。福島県議会は丁寧な意見聴取や風評被害対策を求める意見書を採択し、郡山市、浪江町議会など13議会が反対、8市町村が慎重に検討するよう求める意見書を採択している。地元の大熊町と双葉町の町長は保管継続に反対の考えを表明。福島や茨城、宮城などの漁業団体などは強く反対している。

メルトダウンを起こした3基の原子炉内部には溶け落ちた燃料デブリがそのまま残され、廃炉の見通しは立っていない。安倍氏は世界に「アンダーコントロール」と見栄を切った。しかし安倍氏はフクシマの解決策を示さないまま逃げていく。

負の遺産だけを残し去った

東海第2原発の再稼働についても同じだ。本欄で何度も書いてきたように、東海村にある日本原電東海第2発電所は世界で最も危険な原子炉と言われている。それを20年延長して再稼働させるというのが国の方針だ。

東海第2の30キロ圏内には100万人近くの人が住んでいるし、日立製作所などの大工場が林立している。首都圏にも近い。国、原子力規制委員会、日本原電は「事故が絶対に起きない」とは言明していない。

マスコミ各社の世論調査や那珂市のアンケートでは、県民、市民のおおよそ3分の2が再稼働に反対だ。民意を無視する国の姿勢は沖縄でも見られるが、東海第2が再稼働し、事故を起こしたらどうなるか。影響は私たちだけでなく、首都圏が壊滅し、日本は沈没してしまう。そのとき誰が責任を取るのか。取れる訳がない。

コロナ以後の世界と日本の社会の仕組み、経済構造は、確実に変わる。エネルギーの使い方も大きく変わる。安倍氏は負の遺産だけを私たちに残し去っていった。私たちは、国が言うから「働き方改革」をするのではなく、自分自身の生き方、国と私たちとの関わり方などを考えるいいチャンスを与えられた、と考えたい。(元瓜連町長)