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《光の図書館だより》1 Our story starts here. 

入沢弘子館長

また、光が降ってきた。足元を照らす光の帯に視線を移し、たどった先は天井近くの窓。雲が早く流れている。青空が広がっていく。思い悩んでいたことが吹っ切れた。光輝燦然(こうきさんぜん)。この光とともに前へ進んでいこう。この場所から、新しい物語が始まろうとしています。

土浦市立図書館は、1927年生まれの今年93歳の図書館。土浦の長い歴史を刻んできた図書館が、今年11月27日に土浦駅前に移転開館しました。

初めは、今の筑波銀行本店の場所にあった土浦町役場内に開館。開館翌年の1928年には、第1回の土浦花火大会が実施されました。ツェッペリン号が飛来した翌昭和5年には、現在の常陽銀行土浦支店の場所にあった元霞ケ浦航空隊下士官集会所に移転。1969年に現在の土浦博物館の場所に、73年には文京町に移転しました。

新図書館の必要性は21年前の1996年から審議され、2006年に建設が決定。リーマンショックと東日本大震災の影響による2度の事業中断を経て、ついに完成したものです。

新図書館への引越しと開館準備には3カ月を要しました。段ボール約9000箱分の本の搬入と書架への配架。約35万冊の書籍や資料へのICタグ貼り付け。修理が必要な書籍や約1000冊の紙芝居の修理。蔵書を管理するパソコンシステムの導入と動作や利用法の確認。書棚や家具備品類の納入。

さらに、新しい設備とこれまでの4倍の面積のフロアに対応するための職員の配置や訓練。駅前に立地することからの危機管理対策―などなど。休日返上で夜遅くまで作業する職員と、約50名の市民の配架ボランティアのおかげで、ついに開館日を迎えることができました。

11月27日午前10時、入口前に並んだ約100名の方が次々に入館。「うわ~、明るい!」感嘆の声をあげながら、エントランスの吹き抜けから差し込む外光を見上げる来館者の方々。ここは、光の図書館。これから、この新しい場所でたくさんの物語が生まれていきます。(入沢弘子)

【いりさわ・ひろこ】1962年、福島県喜多方市生まれ。1969~76年、新聞記者だった父の転勤で土浦市に住まう。約30年の博報堂勤務のあと、つくば市任期付職員として広報・プロモーションを統括。2017年4月、土浦市立図書館長(公募)に着任。

《くずかごの唄》3 交通事故ボウシ・転倒ボウシ作戦

茨城県は、老人の交通事故件数が多いらしい。

田んぼに水を引く。上の田、中間の田、下の田。それぞれの持ち主がいて、どの田にも公平に水が流れるようにしなければならない。茨城には今も、田んぼの「農村の文化」が残っていると思う。みんなと一緒に何か行うのにかけては誰も上手だが、一人で行動すること、目立つことが嫌われる。

お年寄りの服装を見ても、皆と同じ色、形にしないと気がすまない。黒や灰色ばかり。少し明るい色の上着がほしいと思って、洋服屋さんを探したが、どこも同じ黒い色ばかりだった。

黒い服を着て、冬の夕方、薄暗い道路を、信号を無視して渡ってしまう。これでは交通事故が起らないわけがない。どうしたらいいだろう? 交通事故ボウシ、転倒ボウシをかねて、帽子の飾りを造ってみよう。

昔、イタリアの貴族は、競って、帽子の飾りにお金をかけたらしい。私も貴族の一人になったつもりでいる。お金はかけられないが、時間とアイデアをかけてみよう。昔、亭主が着けていた派手なネクタイ。沖縄の人から頂いた貝殻。トリの羽。着物の端切れ。少し、明るく、反射して見える雑多なものを集めてきて、「帽子飾り」を造ってみた。

90歳の誕生日を迎えた友には、亀城公園の樹齢500歳のシイの実を拾ってきて、リボンに貼り付けてプレゼントした。私はいま真心こめて、「転倒ボウシ」を願いながら、古ネクタイにどんぐりを貼り付けている。(奥井登美子)

《土着通信部》2 名木・古木指定制度の現在 ㊤

土浦市右籾の鹿島神社にムクロジの木がある。銀杏によく似た実をつける。寒くなると実は乾燥し、ベール状の皮殻をまとって落果する。中には黒い種子が入っていて羽根突きの球―羽子(はご)になる。

頼まれてバス停「右籾神社前」付近まで実を拾いにいった。巨木はすでに葉を落とし、果実は飴色に色づいていた。直下のごみ集積場に落ちた実の大半は踏みつぶされていたが、枝の高みにはまだ多くが残っていた。

無事な落果を探して根元付近を見やると、「鹿島神社のムクロジ」は土浦市指定の名木・古木であることを示す銘板が目にとまる。1996年に指定された第54号で、樹高22m、胸高周2.01mと記されている。

銘板を最後まで読むと「所有者に断ってから見学してください」と土浦市からの断り書き、十分に観察してから気がついた。こんな屋外で、しかも天下の公道沿い、所有者は右籾町の「宮本某」と書いてあるが連絡先の記載はない。

右籾にはもうひとつ、日先(ひのさき)神社がある。神職はたしかミヤモトさんと言ったはずだ。関係先ならば、実の採集を断わろうと思って社務所を訪ねた。はたしてミヤモトさんは鹿島神社の管理も兼ねていた。

日先神社はご神木のスギをはじめ巨木だらけで、ここにも土浦市指定名木・古木があった。第2号(1994年指定)「日先神社のクヌギ」は、樹高26m、胸高周3.3mと形状が記録されている。樹齢までは分からないが、周囲の杉木立を圧するような威容を誇っている。

しかし大ぶりになり過ぎた枝の一部が落下している。神社では他にツネ、キャラボクが同様の指定を受けていたが、指定から約20年経ち、ツネはすでに枯死し、キャラボクも危機的状況にあった。

いったい名木・古木の指定制度とは何なのだろう。ミヤモトさんは指定の特典はないという。

土浦市が条例で、名木・古木指定要綱を制定したのは1993年のことである。国、県、市の天然記念物に指定されている樹木や公園や学校などの公共管理分は除き、民間・在野のものに限って「名木・古木」を選定し、所有者の申請に基づいて指定する制度、所有者には適正な管理を条件に1本当たり年間5000円の補助金を交付した。

まれな樹種を対象とし、推定樹齢が100年以上あり、樹姿に格調があることなどが要件で、市は選定のための調査を民間人3人に委嘱した。高校の生物教師だったり造園業を営んだりで植物に精通する顔ぶれ、いずれも当時60代だった。調査員は毎年20本ずつ、5年をかけて100本を選び、以降は保存状態を見ながら、対象木の入れ替えなどを担うことになった。

その制度がいつの間にか休眠状態になっていた。条例じたいは廃止になっていないが、当局に問い合わせると「運用の記録がない」といい、指定した木々の台帳すら残ってなかった。(次回=12月19日掲載に続く)(相沢冬樹)

《吾妻カガミ》19 地域メディアが持つ抑止力

NEWSつくばスタートから2カ月。全国紙、地方紙、業界紙、ヤフーなど多くのメディアで取り上げていただいた。NPO+地域+ネット。このユニークな組み合わせに興味が持たれたのではないか。筑波大学新聞からも取材を受け、インタビュー記事が第338号(11月発行)に掲載されている。

さすが筑波大学の新聞、記者の問題意識も高い。「記者の目」では、私が「地域メディアの存在が行政の不正への抑止力になる、と力説した」と書かれている。地域メディアの役割について、私は安全保障概念のイメージで説明したところ、正確に理解していただいた。

こちらが強力な反撃兵器を持っていれば相手は報復を恐れて攻撃を思いとどまる。こうした抑止力の概念は軍事分野では常識。メディアの役割として指摘したかったのは、メディアなどのモニター役が存在しないと、税金で仕事をしている「公」が放縦になるということだ。メディアは恐れられる存在でなければならない。

北朝鮮の抑止力(少し脇道)

この原稿を書いている最中、北朝鮮が2カ月半振りにミサイル発射実験をしたとのニュースが飛び込んできた。そのミサイルは米本土をカバーする、ICBM(大陸間弾道弾)の能力を持つという。すでに原爆も開発(弾頭に搭載できる?潜水艦搭載ミサイルも開発?)したというから、対韓を意識した通常兵力に加え、対米を想定した核抑止力も持つに至った。

北朝鮮の本音、国民の困窮、米日韓中の困惑は別にして、北朝鮮のドンは抜け目がない。内政問題は置くとして、国際政治、安全保障の分野では、欧米のリーダーを混乱に陥れているからだ。

国民の生活を犠牲にし、こういった枠組みをつくったからには、ドンは核弾頭と運搬手段の開発を続行することはあっても、放棄することはない。米日韓中としては、短期的には刺客を養う、中期的にはクーデターを画策する、長期的には経済の崩壊を促す―工作に力点を移すべきだろう。ドンの愚かな側面(強権政治、経済軽視)を突くしかない。

編集作業の基本2

話が逸れてしまったが、筑波大新聞の記事に間違いが二つあったことを指摘しておきたい。ひとつは私の経歴記述。「時事通信社元ワシントン支局長、元経済部長」ではなく、「…元ワシントン特派員、元経済部長」。

もうひとつ。「市長は白紙撤回となった総合運動公園の建設事業の『検証』など未だ公約の多くは達成されていない」と述べたと記されているが、検証作業はもう済んでいる。達成されていないのは用地の活用とか処分の方法。言い方が不味かったのかも知れない。でも、地域の問題にも通暁するメディアとして、問題の経緯は押さえておいて欲しい。(坂本 栄)

▽筑波大学新聞はPDF化されており、同大HPでも読むことができます。

第338号URL: http://www.tsukuba.ac.jp/public/newspaper/pdf-pr/338.pdf

▽Yahoo!の記事は同サイトの「news HACK」欄で読むことができます。

記事URL:https://news.yahoo.co.jp/newshack/media_watch/news_tsukuba.html

《続・気軽にSOS》3 同じ間違いはしたくないと

同じ間違いをしたくないと、多くの方が考えているでしょう。それでも同じ間違いは繰り返すものです。それは、そのような結果を生む、同じ条件、同じ生活習慣があるからです。原則、人間は同じ間違いを繰り返すものだという前提で考える方が妥当だと私は考えています。

同じことをしていることに気づくことが、同じ間違いを繰り返さないことの第一歩です。「自分は、同じ間違いは繰り返さない」と豪語している人は要注意です。自分自身が、同じ間違いを繰り返していることにすら気づいていない可能性が高いからです。

気づいていなければ、改善のしようがありません。自分に何の落ち度もないのに、周りと衝突してばかりだとか、自分ばかりが割に合わないことが多いと感じている人は、同じ間違いを繰り返している可能性大ですから、自分の癖、行動習慣を見直すことをお勧めします。

一般的には、一つの原因が一つの結果を生むと捉えられがちです。しかし、何かしらの結果が生まれるのは、一つの原因で生まれる訳ではありません。環境や周りの人の言動、そして、自分自身の言動や考え方、捉え方、体の調子などが複合的な事柄から結果は生まれてきます。

自分は悪くないのだから、悪いやつが変わればいいと、環境が良くなるのを待つのも一つの方法だと思います。しかし、良い悪いは別にして、結果を変えたいと思えば、変えられるところから、自分から変えた方が、結果は早く変わりやすいのです。

私は、物事を変えたいのであれば、次のことを実践するように伝えています。

1.後悔→2.反省→3.計画→4.行動→1に戻る

1の後悔で、行動したことのまずかったことを確認します。後悔はしない方が良いというのが一般的ですが、後悔が深い方が次の行動のばねになります。しかし、ここにとどまり続けることはつらいことですので、日々、苦しいと感じている人は早く2以降を実践してください。

2の反省で、行動したことの良いところを考えます。

そして、3計画して、4行動して、また1後悔しての繰り返しをするのです。

当たり前にしていそうですが、多くの人は行動したことへの振り返りが無く、後悔を繰り返すだけ、もしくは、行動への微調整をせずに、ひとつの行動を良かった、悪かったと大雑把に切って捨ててしまうものです。

それだと、結果、自分の習慣のまま、同じ言動を繰り返してしまうものなのです。疲労がたまっていると、さらに今までと同じことをしてしまいます。一気に大きく変えようと、きっかけばかりを求めがちですが、小さな些細な変化の積み重ねが大切です。誰かと少し関係をよくしたければ、ちょっとだけ明るめにあいさつをするでも良いでしょう。

どんな言動にも、良いところと悪いところの両面が含まれています。それに気づくことで、自分には、未来を変える力があると信じて、動いていけるようになることが、自分の目的の場所に近づく大きな力になるものなのです。(浅井和幸)

《映画探偵団》1  映画で問題解決を図る

江戸川乱歩の少年探偵団シリーズは、第1作が『怪人二十面相』、第2作が『少年探偵団』で、小説からラジオドラマ、そして映画化もされ、私も夢中になった。その影響は現在も続いているようだ。「映画探偵団」なるチームを結成、活動しているからだ。

拠点は、「NEWSつくば」編集室がある筑波学院大内のフランス料理店「グルマン」。隔週土曜日の午前、『芸者文化史』を講義したあと、午後1時から3時まで会合を開く。団員は7名で、私はリーダー役をつとめる映画探偵だ。

活動といっても、お茶を飲み何の役にも立たない映画の話を交わすに過ぎない。例えば、石原裕次郎が大スタアとなった『嵐を呼ぶ男』(昭和32年)の併映作品(当時の映画館は2本立て)は『燃える肉体』だが、主演は五浦(北茨城市)出身の筑波久子で、大ヒットは彼女の功績大、といった話題。

翌年の主演作『狂った関係』では、生まれ故郷の大津港が舞台となり、彼女の実家五浦観光ホテルが映し出された。これは、まち興し地域映画のルーツと言えないか、など他愛のない話をしている。

映画探偵を自称する私の持論は3つある。①人生は1本の映画である②あらゆる問題解決のヒントは映画に隠されている③未来はすでに映画の中で予告されている―というものだ。

つくばセンター地区も

先日、団員から「つくばセンター地区」の話題が出された。TXの研究学園駅周辺と比べ、つくば駅のあるセンター地区の衰退が著しいというものだった。東西南北の大通りに囲まれた長方形のセンター地区にある駅周辺は、デパートの西武が撤退、オークラホテルとノバホールの間にあるセンタービルは空き店舗が多い。つまり活性化していない。

その証明として、つくば市都市計画部学園地区市街地振興室とか、つくばセンター地区活性化推進協議会なる組織が存在する。いろいろと工夫をこらしているようだが、いまひとつ成果が上がっていないようである。駅前ビルのBiViでは中心地区活性化のワークショップが開かれている。

「なんとかならないものでしょうかね」と、センター地区内のマンションに住む団員はつぶやいた。続けて「活推化のヒントとなる映画はないのですかね」と聞いてきた。私は「うーむ」と、よくシナリオに出てくるセリフを唸った。これは「あらゆる問題解決のヒントは映画に隠されている」という持論に対しての挑戦に等しい。

こういう時にはどう振る舞うか。『仁義なき戦い』(昭和48年)の山守親分(金子信男)の姿が思い浮かんだ。親分は責任を子分に押しつけるのである。「それでは今後、皆で、センター地区活推化案につながる映画をさがしましょう」と。今後は、役に立つ映画の話し合いの場になりそうだ。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(冠木新市)

▼12月の会合は2日と16日に開きます。

【かぶき・しんいち】脚本家、アートプロデューサー。TV映画フィルム編集助手を経て、映画監督市川崑に師事。1991年、角川映画15周年記念「天河伝説殺人事件」で脚本家デビュー。以後、ゲーム『ダークハンター』(コーエー)、映画『マヌケ先生』(大林宣彦総監督)、舞台『奥様は化け猫』(瀬川昌治演出)など。2008年から活動をつくばに移し、ラジオ『ロボットナース』、TV『サイコドン』、宴劇『桜川芸者学校』を制作。著書に『ゴジラ・デイズ』(集英社)、『映画「極道の妻たち」ノ美学』(近代映画社)など。福島県生まれ、つくば市在住。

《好人余聞》1 「ノーチラス」

オダギ秀さん

夏休みの暑い日。小学生だったボクは、亀城公園近くの、堀端にあったお船松という大きな松の木の傍でちょっと休んだ。公園の横には、高い石塀で囲われた拘置所があった。その近くを通るのは、子どものボクにはちょっと怖かった。だからその先の図書館を目指していたボクは、一休みしたのだ。

ボクは、その先の、警察署の前の木造二階建ての図書館で、毎日夢中になって、ジュールベルヌの「海底二万哩」を読んでいた。その本は、1870年という古典的なSFなのに、すごい性能の潜水艦が登場して、ワクワクする夢の冒険潜航を続ける話だった。ボクはその潜水艦に夢中になったが、その潜水艦の名前はノーチラスと言った。

そんな日のことを突然思い出したのは、「ノーチラス」という看板を見たからだ。懐かしさに、思わずドアを開けた。ジャズカフェ「ノーチラス」は国道沿いの目立たぬ店で、蝶ネクタイをした穏やかなマスターが、少しボリュームを上げたジャズを流しながら,香り高い珈琲を炒れていた。

「15年ぐらい前でしたか、たまたま阿見町でお昼を食べてる時に、ジャズプレイヤーの生クラリネットを間近で聴いたんです。素晴らしかった、感動しました。はまって通い始めましたよ」 語り始めたマスターの山本哲夫さんは、その頃、家業を継いで忙しく建材の販売をしていた。その彼が、仕事の傍ら、生のジャズにのめり込んでいったと言う。

ところが、そんな山本さんは、4年ほど前、大きな病で倒れ、入退院を繰り返した。「何もできない。コタツに入って、ただじっと、テレビを見て過ごす生活になりました」 参りましたよ、と山本さんは言うが、この、多忙の後に訪れた休息のような時間が、彼に、大きな転機をもたらした。

「何もできずゴロゴロしている私に、妻が、ジャズカフェの図面描いてみたら? って言ったんですよ。えっと思ったけど、図面を引き始めてみたら、これが楽しくて、楽しくて」

奥さんは、彼の気持ちを見抜いていたのだろう。病は辛かったが、病が、夢を実現に向かわせた。「ピアノを置く位置とか、スピーカーをどうするかとか、カフェのこと考えていると楽しくてねえ」

それで、このジャズカフェノーチラスが、2014年5月、オープンしたと言う。お店がオープンすると、彼は早速、ジャズライブもスタートさせた。「毎月、ライブしてます。すると、ジャズなんか聴いたことなかった人がファンになってくれたりして。回を重ねるごとに、順調に定着して行くのが嬉しくて」 山本さんは、たまらないという笑顔を見せた。

「ノーチラスって、オウム貝のことなんです。進化はしないけど、4億5000万年も生き続けている。しかも浮き沈みする仕組みは潜水艦と同じなんです。この店は、私にとっては今、ジュールベルヌの潜水艦、夢を載せてくれるノーチラスみたいなもんです」 山本さんは、艦長のような顔で笑った。

話を聴いていているうちに、ボクの珈琲がちょっと冷めた。でも、クラリネットの音色に包まれた珈琲は、やっぱり美味しかった。(オダギ秀)

▽ジャズカフェ「ノーチラス」:阿見町阿見79 電話029-887-0375

【おだぎ・しゅう】本名は小田木秀一。早稲田大政経卒。写真家。高度な技術に裏付けられたハートフルな写真に定評があり、県下写真界の指導的立場にある。専門はコマーシャルフォト全般およびエディトリアル。㈳日本写真家協会(JPS)会員、㈳日本広告写真家協会(APA)会員。水戸市生まれ、土浦市在住。

山本哲夫さん

《続・平熱日記》2 ちょっと朝ドラ的な感じで②

斉藤家は明らかに女系家族。親戚の中でも珍しい男兄弟の私と弟。でもって、それぞれに娘2人。小さいころは夏休みの度に帰省して仲良く過ごしていた娘たちも、この10年余りはそれぞれの道を歩み出し会うこともなくなりました。

ところで、牛久で新築を手掛けるために我が家に弟が居候するところから、朝ドラ的な半年が始まるわけですが…。その手伝いを兼ねてしばらくぶりに弟の嫁さんが我が家を訪れたのを皮切りに、次女が就活で滞在し、長女がカナダから一時帰国で泊まるなど懐かしい顔で我が家はにぎわいました。

そして、家の完成も間近に迫ったころ、長く寝たきりだった母が亡くなります。斉藤家が久方ぶりに集まり、これで朝ドラ的な半年が幕を閉じると誰もが思いました。実は40年近く朝ドラを見たことがないのですが、朝ドラの肝は「つづく」ですね。いいところで「つづく」。

さて、母の葬儀も終わり家も無事完成。「おわり」と思いきや、「つづく」の字幕。「パパ、週末の予定は?」長女からのメールです。そんなこと聞かれたことがないのにと、いぶかりながら「特に予定なし」と返すと、「彼氏が挨拶に来たいって」。

週末、お洒落して出かける娘を見て、彼氏がいることはなんとなく分かってはいましたが、まさかの「ご挨拶」ときました。畳に正座、着物の袖に手を入れて腕組みし、緊張の面持ちの父―なんてイメージですが、現れたのはさわやかな好青年。かるーく挨拶をしてからの「結婚します」に「はい、どうぞ」。

近所の洋風居酒屋に場所を移し和やかに会食。朝ドラ的な半年の最終回はワインで乾杯する場面で「おわり」ました。めでたし、めでたし。

さて、やや微熱気味だったこの半年が過ぎ、いつものように犬のフーちゃんと散歩に出かけた折、ふと目に留まった白い花。お茶の花です。柔らかく小さな白い花。ちょいとつまんで持ち描くことにしました。どうやら平熱日記が続けられそうです。(斉藤裕之)

《邑から日本を見る》4 クナッパーさんのこと

もみじが美しい晩秋のある日、大子町塙のゲルト・クナッパーギャラリーに行ってきた。ギャラリー開廊10周年を記念する「ゲルト・クナッパーの皿達展」を観たかったから。

クナッパーさんは私や東海村の村上達也前村長と同学年。ドイツで生まれ、アメリカで陶芸を学び、1967年に来日。栃木県益子で文化勲章を受章した浜田庄司らに学び、1975年に大子町に移住した。廃屋同然の庄屋屋敷を買い、膨大な量のカヤを集めて屋根をふき替え、明かり取りの半円窓を造り、和洋折衷の住まいとした。西脇には陶器を焼く登り窯を作り、長屋門も改造してギャラリーに、家畜小屋は工房にした。私が最初に訪れた時、クナッパーさんは屋根に上り、補修をしていたのでびっくりしたことを憶えている。

日本に来る前に世界36か国を回ったという彼は積極的に地域に入り、集落の道普請(みちぶしん)でスコップやツルハシで汗を流し、組内の葬式は夫婦で手伝った。結婚式は羽織袴。5年前に前立腺がんで亡くなったが、葬儀は神式だった。日本が大好きで、日本を愛し、「日本の作家だともドイツの作家だとも思わないが、日本人以上に日本を好きだ」と語っている。

大海原に揺れる波、静かに姿を変化させる砂漠の砂紋を思わせる、ひだのような独自の表現。そのきっかけとなったのは笠間で見た菊の花だと聞いた。菊への感動は、渦や螺旋(らせん)となり、表情をさまざまに変えていく。太陽や貝殻、時には人体のような造形を伴いながら、陶芸からブロンズ、白銅などさまざまな素材を使って増殖していく。

大自然の中から生まれた彼の作品は、来日後まもない1971年の陶芸展で文部大臣賞を、1986年には内閣総理大臣賞を受賞し、ドイツでも功労勲章を受け、駐日ドイツ大使も大子を訪れている。こうして、日本とドイツで不動の地位を得てきた。

作品展は日本国内だけでなく、故郷のドイツをはじめ、世界各国で開かれ、日独、東と西の懸け橋の役割を果たしてきた。その作品はギャラリーで見られるが、大子町の湯の里大橋や月居トンネルの出入り口壁面、やみぞホテルのホールと大浴場、那珂市立図書館、常陸大宮市の済生会病院など各地にある。

問題なのはこれからだ。長屋門に陳列してあった作品は、大半があの3・11の地震で粉々になってしまった。残された広大な屋敷を妻のキエ子さんと2人の娘が守っている。大子町を国の内外に広め、ここから陶芸文化を世界に発信してきたクナッパー邸。これを維持していくのは大変なことだ。公的な機関の支援が欠かせないと改めて考えている。(先崎千尋)

▽ゲルト・クナッパーギャラリー:大子町塙1222 電話0295-72-2011

今回の展示は26日まで。企画展以外は予約制。

《食う寝る宇宙》2 宇宙の防人

9月6日11時53分(UT)に、活動領域2673(SO9W30)でX9.3フレア(12時2分=UT=に最大、12時10分=UT=に終了)が発生しました』

「なんてこった…」僕はこれから起こりうることへの恐怖と興味により、何とも表現しづらい感情と湧き出るアドレナリンを感じていました。

宇宙天気臨時情報のメールが自宅のパソコンに届いたのは、2017年9月6日21時40分(日本時間)。僕は即座にアメリカの静止気象衛星GOES(Geostationary Operational Environmental Satellite)のデータにアクセスし,太陽からのエックス線の強度トレンドをチェックしました。

「通常の1000倍の太陽フレアが発生した」

発生場所はどこだ?太陽面の中心付近か…。エックス線のトレンドから判断するに、コロナ質量放出現象も伴っているな。地球への直撃コースじゃないか。あと30分で放射線が来る。まずいな…。妻にちょっと出かけて来ると言い残し、人工衛星の運用室へと向かいました。

上記は、限りなくノンフィクションな「フィクション」です。実在の個人,団体とは関係ございません(お察しください)。

この現象はメディアでも大々的に報道されました。しかし、メディアがこの現象を知り、報道されはじめたのは、発生から約17時間後でした。幸い、この時の現象が私たちの生活に影響を及ぼすことは、ほとんどありませんでした。聞こえてくる情報としては、GPSの誤差が通常より大きくなった事、海外の人工衛星で軽微な障害が発生した事くらいです。

少し語弊がある言い方(専門家に怒られる)をしますが、太陽から放出されたガスの塊の「磁場の向き」が偶然、地球が耐放射線バリアを張るのに都合がよかったために救われたのです。怖いのは、影響がほとんどなかったのは「運がよかった」に過ぎない点です。

僕は、宇宙の天気を日々気にしています。「今日は晴れるかな?」「洗濯物は乾くかな?」と同列に「今日も人工衛星は無事かな?」と考えています。

2017年10月に新潟市で開催された第61回宇宙科学技術連合講演会にて、「衛星運用現場の宇宙天気アナリスト」なる職域を宣言して参りました。いわば宇宙の防人(さきもり)です。宇宙天気の新たな時代が始まりますので、「宇宙天気」というワードにご注目を。本コラムでは「宇宙天気」ネタが時々登場します。(玉置 晋)

《つくば法律日記》1 Windows95以降の証拠

堀越智也さん

最近、某芸能人がポケベルという言葉を使うものだから、ポケベル以降の電子端末の移り変わりを年表のように、だけど、そこはかとなく振り返ってみた。

パソコンOSのWindows95が発売された1995年と言えば、野茂英雄投手がメジャーに渡り活躍した年。秋葉原のキヨスクには「野茂〇勝目」というタブロイド紙の見出しが現れ、日本人の通行人を勇気づけた。キヨスクのすぐ隣には、総武線のホームであるにもかかわらず、Windows95を買おうと行列ができていた。

それが世の中を大きく変える出来事だとは、大学1年の自分には全く分からなかった。その3年後にまだワープロを使っていたのだから。そんな自分も、ポケベルや携帯電話は友人よりも早く使い始めた。別に自慢できることではない。自分だけ茨城という遠方に住んでおり、携帯端末を使って友人との距離を埋めたかったからだ。

初めて買ったJ-phoneの携帯電話は、今の携帯電話に比べてずっと重い上に、通話機能しかなかった。しかないと言っても、電話なのだから通話機能しかないのが当たり前。何度か機種交換をしているうちにメールも送れるようになり、なんて便利な機能かと驚いた。

ほぼ同時期に、パソコンのダイヤルアップ接続が過去のものとなっていき、インターネットを利用するストレスが緩和すると、パソコンのメールを使用する頻度も増えていく。

21世紀に入って、携帯業界の競争の激化とともに、その機能が急速に発達する。その発達の産物のように現れたのがSNSだった。僕の場合、mixiから既にSNSという新たな社会にも居場所をつくった。その後、twitterやFacebookにも住まうことになる。メッセージ機能があり、それなりに利用するが、これらにLINEでのやりとりも加わる。

こうして、人と人の気軽な会話も、重い内容の会話も、消えずに残ることが自然となる。これは、裁判で提出できる証拠が増えることを意味する。今では当たり前のようにメールの履歴が証拠として提出されることになった。以前の弁護士はメールの証拠がなくて大変だったろうと思う一方で、20年後の弁護士は今の僕らに同じく同情するのだろう。

Windows95登場のころから振り返ると、この複雑な世の中を少し整理できるというのは嘘ではなさそうだ。(堀越智也)

【ほりこし・ともや】土浦一高校卒。法政大法学部卒。茨城県弁護士会所属「つくば中央法律事務所」代表弁護士。つくばコミュニティ放送株式会社代表取締役。離婚、相続、中小企業・ベンチャー企業、借金の問題、交通事故、成年後見等民事全般、著作権、刑事事件を主な業務とする。筑波大アソシエイトプロフェッサー、スピードリーディングインストラクター。東京都出身、つくば市在住。42歳。

《宍塚の里山》3 収穫祭&案山子送り

里山が秋色に包まれる季節になりました。大池には、はるかシベリアからやって来たたくさんのカモたちが羽を休め、林には冬を過ごすために里山にやって来たマヒワやカシラダカなどの小鳥たちが、安住の地にやって来た喜びなのかにぎやかに鳴き交わし、林の梢をせわしなく飛ぶ姿が見られます。

11月26日(日)は、宍塚の自然と歴史の会にとって最大の祭り「収穫祭」の日です。里山で収穫したもち米、マンゲツモチで餅をつき、地元の方に教わったヌッペ(するめをだしにした、地元のおばあちゃんから「合格だっぺ」のお墨付きが出た野菜汁)、里山のクルミを使った柚餅子(土浦4中科学部の生徒達が作っています)、大学芋、焼き芋、カボチャの蒸しパン(法政大の学生たち「キャンパスエコロジーフォーラム」が自然農で栽培)などが「食べるコーナー」並びます。

そのほか、里山の赤や青、黄色の草の実・木の実を飾ったリース、正月飾りなどを創る「クラフトコーナー」。竹馬、お手玉、げんこなどの「里山遊びコーナー」。地元農家の庭にたわわに実った柚や里山で収穫したサトイモなどの「直売コーナー」。そして、祭りを盛り上げる、オカリナ、お琴、太鼓が里山に響きます。

餅つき、ヌッペ、クラフト、遊び、どのコーナーも、ベテランとともに活躍するのが子ども達、若者達です。地元の方が教えてくださる「なわない」。はまる子どもが必ずいて、子どもが作るものを見て、他の子も思わず手をだし、好きなことをゆったりと楽しみ、里の幸を味わうひと時です。

地元の方には一軒ずつ、ご一家用の招待状を届けています。毎年大池がよく見える場所に地元の方用のテントを準備、大勢の方の団らんのひと時になっています。

準備も片づけも、法政大の学生が力を発揮します(彼らは2002年から毎月里山で活動しています)。収穫祭が終わると、間もなく雑木林の木々は葉を落とし、日の光が林床に当たり、小鳥たちの姿も確認しやすくなります。

自然と歴史の会では、3種類の田んぼに関する活動を行っています。親子で春から楽しみ、学んだ「田んぼの学校」、刈り取った稲の脱穀も終わり、田んぼにはかかし達がさびしく立ち並んでいます。頑張って田を、稲を守ったかかしを天に送る行事「かかし送り」(お焚きあげ)を12月初めに行います(今年は9日)。

8月、親子で竹を組み、色とりどりの衣装を着せたかかしに、親子で竹を組み、色とりどりの衣装を着せ、形も思い思いのかかしに、感謝を書いた短冊をつけ燃やします。火の周りでは歌ったり踊ったり、焼きミカン、焼きリンゴ、焼き大根、焼きいも、それに篠竹につけて火にあぶった篠竹もち、マシュマロ…、いろいろ焼いていただきます。初冬の親子の集いです。(及川ひろみ)

▽収穫祭、かかし送り、どなたでも参加できます。

会のホームページhttp://www.kasumigaura.net/ooike/をご覧ください。

《ひょうたんの眼》1  他の尊ぶものを尊ぶ ユネスコ

高橋恵一さん

文化の日、文化勲章、様々な文化祭、秋空に映える銀杏並木、紅葉と読書、芸術祭とくると、なんとなく誰もが文化人を気取れそうな季節だ。文化といえば、国連教育科学文化機関(UNESCO=ユネスコ)もある。

「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」で始まるユネスコ憲章は、2度の世界大戦が諸人民の無知と偏見が相手に対する差別と不公正を生み出したことにより可能になったとして、人類の知的及び精神的連帯の上に築く永続する平和を謳っている。憲章は1945年11月に採択され、国連機関として1946年11月4日設立された。日本国憲法公布の翌日になる。

第1次世界大戦の前までは、人々が無差別に戦争に巻き込まれることは少なかった。武器にしても、銃剣、大砲の類で、人間がコントロールしながら使っていた。しかし、第1次大戦中に戦車、毒ガス、飛行機からの爆撃が登場し、武器の破壊力、殺戮力は飛躍的に発達し、新型兵器の脅威を克服できないまま、第2次世界大戦に突入。ロケット、潜水艦、そして原子爆弾が登場し、人間にはコントロール出来なくなり、市民の生活の場が破壊され、無数の一般市民が老若男女の別なく犠牲になってしまった。

コントロールできない以上、次の大戦争で人類が破滅することは明らかであり、破滅を避けるために、国連ができ、ユネスコが設立された。日本国憲法もその流れの中で日本人が手にすることができたといえる。

ユネスコは、政府間の政治的及び経済的取り決めに基づく平和では安心出来ないとして、自らを諸人民の教育、科学及び文化上の関係を通じて国際平和と人類の共通の福祉を促進しようとする機関としている。さらに、その目的を実現するための第一に掲げられているのが、諸人民が相互に知り且つ理解することを促進するマスコミの役割への期待である。

我が国は、国連加盟に先んじて、ユネスコへの加盟が認められ、平和を求める心の連帯は、市民運動としても普及した。最近は、世界遺産ばかりが取り上げられ、一流観光地のお墨付きみたいに扱われ、報道されているが、それぞれの「遺産」の地域的、民族的、歴史的存在を理解し尊重することが要であり、他の地域の者が評価できるものではあるまい。「他の尊ぶものを尊ぶ」ユネスコの平和のための活動をどう支持するか。メディアの基本姿勢を問うてみたい。

最近、権力への忖度がやたら目立つ大新聞・TVに対して、「NEWSつくば」が、小なりとは言え、人間の尊厳・平等・相互の尊重という民主主義の原理の上に立ち、表現の自由を守るメディアとして活動することに期待している。(高橋恵一)

【たかはし・けいいち】土浦一高卒、中央大経済卒。茨城県庁に入り、知事公室長、生活環境部長などを歴任。この間、明野町(現筑西市)、土浦市に助役で出向。県庁退職後、オークラフロンティアホテルつくば社長(2006~11年)、JA茨城県厚生連理事長(11~16年)。現在NPO法人NEWSつくば理事。土浦市生まれ、同市在住。71歳。

《土着通信部》 1 「十王図を読む」を聞く

相沢冬樹さん

一般財団法人つくば里の文化(根本健一代表)による「近世の仏教絵画里帰り展」が19日まで、つくば市吉瀬で開かれた。つくば文化郷・ギャラリーなが屋門に吉瀬地区ゆかりの仏教絵画10幅などを展示した。これらの絵画はふだん同市の桜歴史民俗資料館に保管されているが、公開の機会がほとんどないことから曝涼を兼ねての里帰り展となった。

ギャラリーのある旧根本家住宅は、2015年に国の有形文化財に登録となり、管理のための財団設立などを経て、文化財として活用する方策が整ってきた。そのお披露目を兼ねての記念事業が同展で、17日には茨城民俗学会長、今瀬文也さんを招いての講演会「十王図を読む」が行われた。

「十王図」は、平安時代の僧、源信が著した『往生要集』に記された地獄や六道の様子が原典。絵画の部分だけ抜き出して掛け軸としたことで、江戸時代以降、民間に広がった。一般には10枚の十王像と地蔵像の1枚で構成され、お寺では盆や供養の後、十王図を掛け、説法に使われた。

吉瀬地区には年代不詳ながら江戸中期に入ってきて、鹿島神社に奉納され、集落の念仏講の席に掛けられてきた。神仏習合である。作者も不詳だが、1枚に2王ずつ配した5幅と地蔵像の組み合わせの掛け軸は、明治と昭和に村民の手で軸装が改められたことが記されている。

十王図じたいは近世社会にはどこにでもあったもので、文化財としての希少価値には欠ける。「それでもこれだけ保存状態のいいのは珍しい」と今瀬さんはいう。大の閻魔(えんま)好きである今瀬さんは「閻魔さんの顔はやっぱり赤くないと」と色彩の鮮やかさをほめるのである。

そう、十王図は閻魔大王はじめ冥界の十王が登場し、忿怒(ふんぬ)の形相で死者の群れを裁く地獄絵だ。罪深い亡者は虫けらのように小さく描かれ、繰り返し地獄の責めを受ける。釘を打たれ、火に焼かれ、痛々しい様が延々と続く。

初七日の秦広王に始まり、七日ごとに初江王、宋帝王、五官王、閻魔王、変成王と来て、四十九日が泰山王、百ケ日の平等王、一周忌の都市王、三回忌の五道転輪王で十王となる。三途の川や奪衣婆(だつえば)、閻魔帳など地獄模様も織り込んで、生前の行いが地獄の沙汰に通じると殺生や盗み、不倫などを「いましめ」つつ、遺族には回向の大切を説く構図となっている。

冥土で怖い形相で亡者を裁く役目を果たす十王は、実は本地の菩薩様の形を変えた姿であるというのが信心の救いになっている。衆生済度。閻魔王は、地蔵菩薩の化身として考えられており、地蔵像の1幅が十王図と対になる所以ともなっている。

僕なんぞにはなかなか立ち入れない、地域社会の奥深いメンタリティーの根源をのぞき見するようでもある。冥界の王に申し開きは出来ぬから、今のところはすごすごと引き返すしかない。(相沢 冬樹)

▽つくば文化郷:つくば市吉瀬1679-1 電話029-857-3355

【あいざわ・ふゆき】1953年土浦市生まれ。常陽新聞(旧社)に在籍もキャリアは1999年まで。辞めて18年も経つのに周囲も自分も記者扱い・記者気分が抜けない。この間地域政策コンサルタントを経て、現在は地元財団の発行する機関誌でパートタイム編集長を務める。記事はもっぱらブログ「重箱の隅に置けない」に書いている。http://fykai.blog.fc2.com/

《吾妻カガミ》18 幻の副市長 瀧本徹氏を偲ぶ

10数年前に茨城県商工労働部長をしていた瀧本徹さんが、11月上旬亡くなった。56歳だったから、私よりも一回り以上若い。一部全国紙の訃報では主職歴が「元九州経済産業局長」となっていたが、エネルギッシュな経産キャリアだった。合掌。

学園都市の田舎議会

新聞経営を引き受けて土浦に戻ったころ、瀧本さんは県の部長をしていた。仕事の延長でベンチャー育成に強い関心を示し、その芽がころがっているつくばによく来ていた。県庁がある水戸にいる時間よりも、在つくばの方が多かったのではないか。県の部長というよりも市の部長という感じだった。

当時の藤澤順一つくば市長は、彼の思い入れを市政に取り込もうと(もちろん本人も承知)、副市長に迎える人事案を議会に諮った。ところが市議会はこの案を否決、藤澤・瀧本コンビは実現しなかった。藤澤さんの議会工作が十分でなかったこともあっただろうが、学園都市の田舎議会には呆れた。

「つむぎつくば」というNPO法人があった。ベンチャー育成を目的とする組織で、瀧本さんも運営に深く関わっていた。有望な起業家を毎年選び、賞金を与え顕彰していた。私も、放電によるプラズマ現象を利用して焼いた壺「つくば焼」(都賀俊雄氏作)を副賞として出した。作り方にサイエンスを感じたからだ。

ベンチャーの卵たち

表彰式の後のパーティーは楽しかった。起業家の卵たちの飲み会だから、テクノロジーの話が多く興味が尽きない。私の関心はマネージメントにも向けられたが、理系の彼らは一様にこちらの方で苦労していた。

出席者の中に、筑波大発ベンチャーのシンボル的存在、山海嘉之先生(ロボットスーツのCYBERDYNE社長)もいた。大和ハウス工業がまだ出資していなかったころだから、初々しい起業者の一人だった。今やCYBERDYNEは、技術(山海先生)+資本(大和ハウス)によるベンチャーの成功事例になっている。

瀧本さんを慕い行動を共にしていた人たちの中に、花山亘筑波出版会代表もいた。彼には新聞紙面を提供、地域のいろいろな起業家を紹介するコラムを連載してもらった。瀧本さんが愛媛県の松山市長選に出馬したときは(結果は落選)、応援に駆け回った。訃報を知らせてくれたのはその花山さんだ。

常識的に県部長⇒副市長人事は格下げであり、役人の世界ではあまり聞かない。当時の橋本昌知事は思いとどまらせようとしたようだが、瀧本さんはポストや肩書きよりも仕事の面白さを選んだ。血が騒いだのだろう。享年56歳。私が地元に戻った歳であり、やり残したことが随分あったと思う。(坂本 栄)

《郷土史あれこれ》1 つくばには博物館がない!

栗原亮さん

昭和40年代、茨城県内では多くの博物館が建設された。県が設立した県立歴史館、市町村では水戸市立博物館、日立市立博物館、土浦市立博物館、土浦市立考古博物館、かすみがうら市歴史博物館、古河歴史博物館など。そのほか、北茨城市歴史民俗資料館(野口雨情記念館)、那珂市歴史民俗資料館、龍ケ崎市歴史民俗資料館、稲敷市歴史民俗資料館、八千代町歴史民俗資料館などがある。

博物館は、歴史に関する古文書、古写真、考古資料など様々な資料を保存し、後世に伝えていく役割も持っている。その意味で、過去、現在、未来にわたり、われわれの歴史的体験を大人から子どもまで伝えていく役割を持っている。現在に生きるわれわれは歴史の一コマを生きていくのであり、決して無に過ごしていいわけではない。歴史資料を後世に伝えていくことは、一人一人の生きる責任とでもいうべきものであろう。

歴史資料というと、貴族や武士、庄屋などが保存してきた資料だけではなく、庶民の家にはその家に関する資料が多く残されている。だが、こうした資料に関心が向けられることはなく、家の改築の際に処分され焼却されたりすることが多い。これは歴史教育が政治史や経済史に偏るとか、歴史への関心の低いことが原因であろう。

博物館のある市町村以外に、郷土資料館のある市町村もあるが、その規模は大きくなく、収蔵倉庫も小さく、貧弱なものである。問題なのは、つくば市である。

つくば市は学園都市と言われ、多くの留学生が住み、今や国際都市である。にもかかわらず、博物館は一つもなく、旧谷田部町などに郷土資料館があるのみ。常時公開されているわけではない施設もあり、規模も小さい。つくば市に国立公文書館つくば分館はあるが、歴史資料を保存し公開する施設がないのは、いかがなものであろうか。市議会議員からも、博物館建設を訴える話も聞こえてこない。

江戸時代、つくば市には大名がいた居城(城跡)はなく、いわば在村であり、消費都市江戸を支える農村であった。その関係で武家文書はほとんど残っていないが、多くの村方文書が残っている。昭和40年代、立正大学古文書研究会が桜川流域の江戸時代の古文書調査を行ない、現地の公民館でその内容を公開してきた。この研究会は、村方文書を東京の国文学研究資料館や博物館に移管するのではなく、資料を現地に残し活用するという方針で活動してきた。

その村方文書が危機に晒されている。個人所有だと保存に手が回らず、土蔵が壊れて古文書がダメになる。こうした古文書を博物館に移管し、修復を加え長期保存し、公開していくことを、つくば市の教育委員会や市長、議員の方々に強く訴えたい。(栗原亮)

【くりはら・りょう】土浦一高卒、中央大経済卒。1976~2010年、霞ケ浦高で世界史と日本史を担当。「新治村史」「図説 土浦の歴史」「牛久市史」「八郷町史」の編纂に参画。旧常陽新聞で「江戸時代とは何か」を連載。著書に「忠臣蔵の真実」(常陽新聞新社、2012年)、「近世村落の成立と検地・入会地」(岩田書院、2013年)。土浦市出身・在住。71歳。

《続・気軽にSOS》2 悪い習慣、良い習慣

私は10年ほど前にギターを買い、マイペースに気軽に弾き続けています。それまで、草野球チームに属していたのですが、30歳を超えるぐらいになってくると、試合をする人数が集まらなくなってきました。その後、一生の趣味があると良いなと思っていて、いくつかの候補の中から選んだ趣味が、ギターでした。

半分冗談で、そのうち、高齢者施設に弾きに行けるぐらい上手くなれたらなあと思いながらも、絶対無理だろうなとも思っていました。カラオケに行って歌いながら手拍子をすると、自分だけ手拍子がずれていくというぐらいリズム感がありませんでした。楽器というものは、持って生まれたセンスがある人が出来て、ない人は出来ないものなんだと思っていましたから。

一万時間の法則という話を聞いたことがあるでしょうか?大雑把に言うと、長い時間を費やすと出来るようになるといったところでしょうか。私は、ギターにその数十分の一しか費やせていませんが、高齢者施設や児童施設にギターを持って訪問し、演歌や童謡、アニメの歌を施設の利用者と一緒に歌えるぐらいにはなれました。まだ、下手の横好き程度のレベルなので、もっとうまくなりたいと思っています。

今まで何人も、ギターが弾けるようになれたらいいなと、私に言ってきた方がいます。しかし、その中でギターの練習を始めた人は、ほんの少しです。始めて長続きしない人もいます。しかし、全く始めずに、繰り返し、ギターが弾けるようになればよいなと言っている人もいます。

当たり前ですが、ギターを弾けるようにならなければいけないと、私は考えていません。人はそれぞれで、いろいろな生き方があります。なので、生活の中で優先順位がありますから。趣味でギターを始めるよりも、大切なことを選択して、毎日の生活を送ればよいのです。出来れば、楽しい人生を送ってもらいたいものです。

しかし、やりたくもない事だけど、やらなければいけない事だから、仕方なくやっている事がある。そのせいで忙しいから出来ないと考えているのであれば、勿体ないなと思います。やらなければいけない事と思っていても、本当は、やらなくても良い事をたくさんしているのが私たち人間じゃないかなと考えています。

それが趣味のギターであれば深く考える必要はありません。しかし、健康のためにやせるように医者に言われている、家族のために時間をつくりたい、嫌なことばかり考えないで楽しい事を考えたい、本当にやりたいと思っていることが出来ないなど、深刻なことでさえ何となく忙しいからと後回しにしていないでしょうか。

このような状態が酷く続くときは、心の病になってしまう事さえありますから、本当に心配です。それぞれが思う良い習慣に変えて続けることのヒントを、皆さんと考えていきたいと思います。(浅井 和幸)

《泳げる霞ケ浦へ》1 世界湖沼会議まであと11カ月

2018年10月中旬開催の第17回世界湖沼会議(県など主催)まで、あと1年を切りました。関係者のご苦労は大変なことと思います。私自身も22年前、初めての湖沼会議に向け、企画委員として身も心もぶっ飛ぶような嵐の日々を経験したからです。

閉会時のあの感動から22年。長いようで短い年月でした。3年前、一般社団法人霞ケ浦市民協会の会議で「最近、霞ケ浦の水質や浄化について、市民の意識が少し薄れてきているのではないか。市民協会が発足したころの情熱を復活できないだろうか…」と発言したところ異論がなく、会議再誘致に向け関係先に働きかけようということになりました。

前回、1995年の第6回会議のときには、「市民参加」をキーワードに「世界湖沼会議市民の会」を設立。霞ケ浦への関心を高めるために、交流・啓発を中心とした数多くの事業を寝食忘れる忙しさで実施しました。

私は環境グループ代表として関連の事業をリードしましたが、会議では女性参加の重要性を強く感じました。会議には8200名余もの参加があり、当初の目的を達成できました。

閉会式では「霞ケ浦宣言」が採択されましたが、この宣言は格調が高く、市民グループにとっても大変有意義なものでした。この精神を継承し、市民の英知・情熱を結集する目的で結成されたのが社団法人霞ケ浦市民協会です。

でも22年も経つと、その精神も忘れがちになります。「霞ケ浦の浄化は行政の役目だ」と考える人も多くなった気がします。確かに県は、この会議を機に「霞ケ浦環境科学センター」をつくるとか、「森林湖沼環境税」を制定するとか、多くの施策を実施してきました。特に環境税は、霞ケ浦などを意識してその名称に「湖沼」が入りました。

問題は、「霞ケ浦宣言」の精神に経年劣化がみられ、センターや環境税などの施策についても県民の理解が不足していることです。市民協会は県担当者に会ったとき、①森林湖沼環境税の「見える化」を図るべきだ②湖沼会議再誘致は県民の環境意識啓発に役立つ―と話しました。今度の会議では、市民活動の結果も県が報告するよう伝えてあります。

われわれの努力もあり、橋本昌前知事は再誘致を決断、つくば・土浦地域での第17回世界湖沼会議開催が決まりました。招致運動を進めてきた市民協会には会議を盛会裏に終わらせ、県・国内の湖沼を恥ずかしくない遺産として子孫に残す義務が再び両肩にのしかかっています。(堀越昭・霞ケ浦市民協会初代理事長)

【かすみがうら・しみんきょうかい】1995年の世界湖沼会議で採択された「霞ケ浦宣言」の理念を継承し、「霞ケ浦及び流域環境の浄化・保全及び創造をめざす市民活動を推進し、人と自然が共生できる快適で文化的な地域社会を構築する」ため、翌96年「社団法人霞ケ浦市民協会」として発足。2013年一般社団法人に。

コラム《泳げる霞ケ浦へ》は市民協会のメンバーが輪番で執筆します。

《つくば道》1 「我田引鉄」に想う

塚本一也さん

つくばエスクスプレス(TX)の延伸について、様々な場面で話題に上ることが多くなりました。特に、最近の選挙においては東京駅への延伸よりも県内の延伸について言及する候補者が目立ちます。明確な目標を提示することができれば、県民を勇気づけ、地域活性化のカンフル剤にもなるため、茨城県が人気度ランキング最下位からワンランク上にステップアップするためにも必要不可欠であると思います。しかし、あまりにも荒唐無稽で現実離れしたプランは、かえって専門家や一般市民から「絵にかいた餅」という冷ややかな評価を受けることになります。

例えば延伸を議論する場合に技術的見地から言えば、在来線で130㎞運転を維持するための線形や設備の問題を考慮しなければなりません。また柿岡(石岡市)にある気象庁地磁気観測所に対して影響を与えるため、県南地域では直流電源の鉄道は運行が制限されてきました。そのためTXは高価な交直両用電源を採用していますが、常磐線は快速電車の土浦乗り入れがかなわず、民鉄の進出や電化にも大きな障害要因となってきました。このような条件を理解したうえで、公共交通の将来計画を立てることが一般社会の理解や共感へとつながるのではないかと思います。

近代の茨城県は、鹿島臨海工業地域開発、筑波研究学園都市建設、常陸那珂地区開発などの歴史に残る国家的プロジェクトを実現させてきました。また1980年には国際博覧会としては大阪万博、沖縄海洋博に次ぐ日本で3番目のつくば科学万博を成功させたという実績もあります。それぞれのプロジェクトには、国策として国家の繁栄に貢献するという明確な大義があり、それによって当該地域のみならず、県全体が一丸となり目標に向かって邁進(まいしん)し、関係行政庁の協力も得ることができたのです。

つまりTXの県内延伸を可能にするのは「我田引鉄」ではなく、誰もが納得する大義を確立することにあるのです。例えば、常陸那珂港開港に向けては「海の無い栃木・群馬に港を開く」という大義の下、北関東3県がスクラムを組んで難色を示す運輸省港湾局(当時)を説得したという過去の事例があります。

それに倣えば、TX延伸は常磐線のバイパス機能の付加という役割だけでなく、茨城空港への乗り入れを計画し、首都災害を想定した羽田・成田のバックアップ機関としての機能を主張すべきです。このプランは千葉県内の同一沿線である東葛地域にも多大なメリットをもたらすことになります。さらに震災の復旧以降、国策的な大型インフラプロジェクトの無い水戸・日立・いわきなどの浜通り地区に空港直結・都心への時間短縮という一筋の光明をもたらすのではないでしょうか。(塚本一也)

【つかもと・かずや】1965年つくば市生まれ。土浦一高卒、東北大学工学部卒、筑波大学大学院修了。一級建築士。大曽根タクシー(株)取締役社長。元JR東日本グループリーダー。茨城県ハイヤー・タクシー協会経営研究会会長、つくば市花畑自治会長。著書に「つくばエクスプレス最強のまちづくり」(創英社 三省堂書店)

《くずかごの唄》 2  河童から教えてもらった水のこと②

世界湖沼会議をきっかけにして、私たちは「水郷水都全国会議」を結成し、年に一回現地見学と市民交流をつづけている。土浦の自然を守る会は、以来、河童(かっぱ)と仲良しになり、未来の人類とのつながりを念じて、河童の扮装(ふんそう)をして子どもたちの環境教育に力を入れている。

私の弟の加藤尚武(京都大学名誉教授・環境倫理学)は著書「環境倫理学のすすめ」の中で、「いかなる世代も未来世代の生存可能性を一方的に制約する権限をもたない」と書いている。

ヱルザ自然保護の会の藤原英司さんは、日本の河童伝説の原点は江戸時代にどこの川にもたくさんいたカワウソがモデルだと教えてくれた。カワウソは何年か前、残念ながら日本から絶滅してしまったが、モデルの存在が解ったので、私たちの劇も、カワウソにウソだといわれないように、楽しいものにすることができた。

「河童」のような架空の動物が全国的に存在し、それぞれが個性的に水の問題に深く関わってきた日本の歴史は、外国人たちからみると、かなり面白い存在として興味をもたれた。

世界湖沼会議は、日本の地域をいろいろな国の人に知ってもらい、その人たちから新しい水の知恵をいただく地域起しの会だと私は割り切っている。

現在、WTOでトリインフルエンザの世界的な権威、ケイジ・フクダ氏の父福田実さんは土浦の人。アメリカで、州の医師会会長などもして世界中を飛び回っていらした。学会などで日本に来ると、土浦にお寄りになり、私の車で、霞ケ浦の沖宿あたりの花の咲いた蓮根畑を見に行くのをとても楽しみにしていらした。

「ハス田のこのひろがりは日本一ですね」と私が言ったら、「霞ケ浦の沖宿のあたりの蓮根の風景。これは日本一ではなくて世界一です。世界の人たちに見せたい日本の風景ですよ」。霞ケ浦には世界一の風景もあるのだ。(奥井登美子)