【コラム・田口哲郎】

前略

江戸川乱歩がペンネームの元にしたエドガー・アラン・ポーというアメリカの作家がいます。「黒猫」や「モルグ街の殺人」などの推理小説で知られています。ポーは推理小説以外にも小説を書いています。私がバイブルのように思っている作品があります。「群集の人」です。

ロンドンのとあるカフェにいる語り手は、窓の外にある老人を見つけます。なんとも言えない奇妙な魅力を放つ老人を、語り手は追いかける。老人は当てもなく大都会を歩き回ります。さまよいは延々と続くので、語り手は追跡を諦めるというあらすじです。

何が面白いのかと思われるかもしれませんが、これは街を無目的に歩き回る遊歩者像と人間観察家である遊歩者像をズバリ書いた作品ということで、遊歩愛好家の間では隠れた名作となっています。

題名にもある「群集」は大都市だからこそあるもので、群集では個人が大勢の人に紛れます。田舎では個人は目立って紛れることはない。田園風景に人混みはないし、人が一人一人はっきりと分かりますからね。だから、推理小説は大都市ならではの作品だと言われます。犯人が群集に紛れて逃げることができるからです。

それはさておき、遊歩者を自称する私は群集の一人である老人や語り手を見習って、人間観察や街歩きに励まねばなりません。遊歩者というものは、大都市といういわば一冊の書物のさまざまな物語が繰り広げられる舞台を読み解く者なのですから。

ライブカメラとバーチャル 進化する遊歩

しかし、コロナ禍の昨今、そうそう不要不急なのに、街をうろつくわけにもいきません。そこで、便利な文明の利器が登場します。YouTubeです。

YouTubeには各地のライブカメラチャンネルがあり、それを見れば、世界中の今が映し出されます。我が国が誇る首都、大東京には複数のライブカメラがあります。私がよく見ているのは、渋谷のスクランブル交差点と新宿歌舞伎町のライブカメラです。

渋谷の交差点の角のビル2階にスターバックスカフェがあり、交差点を見下ろしながらコーヒーを飲める絶好の場所があります。でも、茨城から毎日通って、ひねもす群集を眺めるというわけにもいきません。コロナ前は遠い場所だった交差点が、今は自室のテレビに映ります。コーヒーを飲みながら、人波を眺めるのは至福のひとときです。

歌舞伎町は夜が面白い。コロナ禍で「焼け野原」になった歓楽街も、徐々に活気を取り戻しています。紅茶を飲みながら、世知辛い不夜城を行き交う人たちの生き様を垣間見る楽しさはなんともいえません。コロナ禍が大都市を変えようとしています。

Facebookが「メタバース」という巨大な仮想現実空間を構築すると発表しました。将来、大都市はバーチャルに入り込むでしょう。そこを遊歩者が歩き回る日も近いかもしれません。そうすれば遊歩者はリアルとバーチャルを渡り歩くのですね。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)