木曜日, 4月 18, 2024
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過程を事実とはき違える 《続・気軽にSOS》101

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【コラム・浅井和幸】人はいろいろなことを想像するものです。そして、想像と事実の区別をつけずに、事実とは別のところで怒ったり泣いたりして、苦しんでいることが多々あります。

相手のことを気遣う想像力が足りないからだ、と指摘されることがあります。もちろん、そのような理由もあるでしょう。複数の想定をして、それらは自分が想像した仮説であることが認識できれば、事実でないことでの腹を立ちはないでしょう。

それと同じぐらい、自分の思い込みを足して苦しんでいないかを改めて考えてみると、苦しんでいることの多くの部分がなくなる可能性があります。いろいろな例を羅列しますので、自分自身でどのように対応したいのかを想定してみると面白いでしょう。事実は何で、どこが想像なのか、考えてみてください。

確認して事実と置き換えて進む

私は友人に「今日のランチはカレーを食べるか?」と聞きました。友人は「食べない」と答えました。私は「なんだ、昨日の夜もカレーだったのならば、最初から言ってくれよ」と言う。

友人に送ったラインに「既読」がついたまま返事がない。友人は自分のことを無視している、自分のことを軽く見ている、バカにしている―と怒る。

誰も自分に声をかけてくれない。それは自分の見た目が悪いからだ。自分に魅力があればみんなが寄ってくる。

何もかも忘れて集中できる趣味があるから、みんな幸せに生きている。

私「お金に困らない生活をしています」。Aさん「それは、たくさんの収入や貯蓄があると言うことですか?」。私「人並以下の支出しかしないからです」。

想像、想定、過程、予想―それがいけないのではありません。確認できることは確認して、それらを事実と置き換えて次に進むことが大切です。事実を無視して決めつけてしまうと、思い込みの中で生きていくことになってしまいます。(精神保健福祉士)

初雪に思う Let it beとLet it go 《遊民通信》32

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【コラム・田口哲郎】
前略

謹賀新年。初雪が大雪になった年の初めでしたね。雪が降り積もり、いつもの街が真っ白になり、とても新鮮な景色が現れました。雪でいろいろ大変だった方々もおられると思いますが、純白の光景は心が洗われるようでした。

ひたち野うしく駅前のメタセコイヤの並木はイルミネーションが飾られているのですが、雪が降り始めた夜はなんとも幻想的でした。樹氷のようになった木の枝に光の粒が煌(きら)めき、黒い空に映えていました。白い絨毯(じゅうたん)が異世界に来た感覚にしてくれます。

私は「アナと雪の女王」を思い出しました。映画とともに主題歌のLet it goが大ヒットしましたね。ありのままの〜というサビが印象的です。Let it goを思い出すと、ザ・ビートルズのLet it beも思い出します。こちらは1970年発表ですから、2013年のLet it goの43年前ということになります。

be「ある」からgo「なる」へ

Let it goに時代の流れを感じるのは私だけでしょうか。流行当時、Let it beと比べて、その違いが言われていた気がします。Let it beは苦境にある僕の前に聖母マリアが現れて、「Let it be」という金言を与え、僕を孤独から救うという内容です。Let it beは「あるがままに」とか「身を委ねなさい」と訳されます。

一方、Let it goは「ありのままの 姿見せるの」とか「ありのままの 自分になるの」と訳されました。

ビートルズのLet it beはbeが使われています。beはご存知のようにbe動詞で存在を表します。ですから、訳も「ある」がまま。今そこに存在しているだけでよいという「ゆるし」のようなものを聖母マリアが与えてくれる。そこには静かな肯定感が感じられて、宇宙的な静けさのなかでおだやかに自分に向き合えば、小さな欲望や意地などがどうでもよくなり、心が解放されるのでしょう。

時代は流れ、40年の間に世界は劇的に変動し、日々競争が激しくなっている。日常のストレスも昔とは質が変わっているように思います。Let it goはそれをちゃんと映しとっています。使われている動詞はgoです。これはある人がその場所からどこかへ移動するという意味。ふつうは「行く」と訳されます。自分を新たな世界に解き放て、という意味が込められています。ありのままの自分に「なる」。変わる自分が求められています。

そこに「いる」でよかったbeが、どこかへ行かねばならないgoに変わったわけです。存在から行動へ。

今の世の中「何者であるのか」よりも「何をする者なのか」が重視されます。「ある」ことはもちろん大切です。でも、今はその人がどんな人で「ある」のかよりも、どんなことを「する」のかが見られる。「ある」は簡単には変えられないけれども、「する」はその気になれば変えられる。「ある」を守りつつ、「する」で世の中をよりよく変えていく。

コロナ禍で大変ですが、自然が雪景色でエールを送っているのかもしれませんね。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

新成人の「経済的自立のために」 《ハチドリ暮らし》9

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ネモフィラのぐいのみと片口(坂東市の琉球ガラス工房で製作)

【コラム・山口京子】このほど「経済的自立のために」というテーマで約40分講演しました。春に就職するか大学生になる高校3年生が対象です。①給与明細の見方、②1人暮らしに必要なお金、③クレジットカードの仕組み、④今春からの18歳成年のこと、⑤トラブルを避ける方法―などを取り上げ、収入の範囲で暮らす習慣をつけること、自分の行為に責任を持つことの重要性を伝えました。

給与明細の見方では、記載されている勤怠・支給・控除のほか、社会保険の働きや社会保険料についても説明しました。総支給額から税金や社会保険料を引かれた金額が可処分所得ですが、それは総支給額の8割程度になる―などです。

1人暮らしに必要なお金については、住むための経費(家賃や水道光熱費など)は手取りの3割以内に収めるように、暮らすための経費(各種の生活費など)は同5割以内に収めるように、将来のためのお金(積立金など)は同2割程度を目安に予算化するように―と伝えました。いざという時のために、100万円は貯めるようにとも言いました。

トラブルは専門機関に相談

クレジットカードの仕組みについては、クレジット会社と消費者との立替払契約、クレジット会社と加盟店との加盟店契約、加盟店と消費者との売買契約によって、「クレジットカード契約」が成立すると説明。特徴としては、キャッシュレス・後払い・金利手数料の3点があり、金利手数料の有無とリボ払いには注意するよう促しました。

「18歳成年」については、契約の責任の重さを伝えました。これからは20歳ではなく、18歳になると保護者の同意なしで契約ができますが、契約上のトラブルを避けるために、正確な情報を収集する必要性を強調しました。

トラブルを避ける方法では、特に、悪質商法トラブルと防止策について話しました。友人や先輩から簡単に儲かると勧誘され、断り切れずに契約してしまうマルチ商法や、ワンクリック請求詐欺の手口などについてです。また、不当な請求をされた場合は1人で悩まず、消費生活センターや法テラスといった専門機関に相談するよう言いました。(消費生活アドバイザー)

パソコンとチェンソーが故障した 《続・平熱日記》101

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【コラム・斉藤裕之】昨年11月のこと。突然パソコンが勝手に何かを始めた。それから、スカイブルーの画面に「あとはお任せください…」という自信ありげなメッセージを残して、うんともすんとも言わなくなった。再起動、強制終了。とりあえず、私のできることはそのくらい。

全く今の世の中、大局的にも個人的にも悩みの種の一つはデジタルだ。デジタルがいかに世の中を便利にしてくれているかは分かっているつもりだが、万に一つのエラーがあるとほぼお手上げだ。

そして師走。大方のことは片付いたのだが、最後に頼まれ事が一つ残った。それは知り合いのお宅の月桂樹(ゲッケイジュ)の伐採。最初に下見に行ったのは夏前だったか、月桂樹としてはかなり立派な大きさで、厄介なことにお隣との塀際に生えていて、根元からバッサリというわけにはいかない。段取りを考えつつ冬を待った。

ところが、そろそろ頃合いかなと思って、久しぶりにチェンソーのエンジンをかけてみたのだが、なかなかかからない。わかる人にはわかると思うが、チェンソーのスロットルのひもを引く作業はすぐに反吐(へど)が出るほど疲れる。ほんの数分で汗がにじんでくる。

プラグやエアフィルターを掃除してみたものの、結局、エンジンはかからず。しかし、このまま年を越すのは気が重い。何とか年内に片を付けたい。よ~し、この際、かねてから目をつけておいた、ちょいとお高いチェンソーを思い切って買いに行こう。

暮れも近い風の強い日の朝、まずは月桂樹に一礼。それにしても、最新式のチェンソーは予想以上のパワーと切れ味で、昼前に月桂樹は軽トラいっぱいのぶつ切りの山となった。次の日の朝、すがすがしい充実感と体中の筋肉痛で目が覚めた。

温故知新:古木で温まり新しきを汁?

そしてある朝、パソコンに吉兆が。実は心のどこかで復活を信じていて、電源を入れたまま毎朝再起動を試みていたところ、「初期化しますか?」という言葉が画面に現れた。「ようわからんが、いちかばちか!」。すると、何やら今までと違う作業に取り掛かった。そして奇跡の復活。

バージョンアップを果たした上に、半ばあきらめていた思い出の画像も生きていた。 でも、もうこれ以上のことは望まないから、二度と勝手なバージョンアップはやめておくれ。

一方、古いチェンソーの方は、あれ以来エンジンをかけていない。しかし焦ることはない。桜が咲き始めるころに、おもむろにスロットを引くと、けたたましくエンジンがかかるという経験を何度もしている。「温故知新、古機は温めて新し機で切る」。

明けて寅の年。例年のごとく日の出前に散歩を済ませ、薪(まき)ストーブに火を入る。それから、火鉢に炭を熾(おこ)して餅を焼いて雑煮にする。「古木で温まり新しきを汁」。ちょっと無理があるか。とりあえず今年も平熱が続きますように。(画家)

これでいいのか、太陽光発電 《邑から日本を見る》103

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軒先まで太陽光のパネルの波

【コラム・先﨑千尋】最近、この近くで目立つモノ。それは太陽光発電のパネルだ。昨日まで田んぼや畑だったこことあそこ。道沿いの山の木が切られていると思ったら、ほどなくパネルが並んでいる。人家に近い所も容赦なし。所かまわずだ。

極め付き(?)は、わが家の南西3キロにできたメガソーラー(1000キロワット以上の発電所)だ。64ヘクタールの山林などをつぶし、地ならしをした。発電量は2万5000キロワットとか。昨年11月に発電が始まっている。わが旧瓜連町の全世帯の電気をまかなって余りがある。

JA常陸の秋山豊組合長は「山林を伐採して造成する太陽光発電所は自然破壊ではないのか。CO2を酸素やオゾンに換える山林をメガソーラーに転換することが温暖化防止につながるのか」と怒っている。だが、農協の力ではこれを止めることはできない。

このメガソーラーに土地を貸した知人に話を聞いた。「集中豪雨の時の水が心配だが、山林を持っていても、木材価格は安く、切れば持ち出しになり、カネにならない。だから、この話が持ち上がったとき、1人を除いて誰も反対しなかったよ」。

水戸市北部で県の外郭団体が大規模なニュータウン建設を進めていた。バブルがはじけ、この構想は途中でストップし、外郭団体は倒産。約半分の土地は太陽光発電の業者に買い取られ、現在は県内で有数のメガソーラーになっている。

集合住宅の前は一面パネルが張り巡らされている。戸建ての住宅の前もパネルの波。自然豊かな、閑静な住宅地になると期待して家を建てた人たちは「こんなはずじゃあ、なかったのに」と唖然(あぜん)としている。

水戸市農業委員会の権限でもこの事業は止められなかった。2015年、茨城県は筑波山の中腹での太陽光発電建設計画を不許可にしたが、裁判で負けたことがあった。

「市町村レベルでは私権の制限ができない」

昨年7月の熱海市伊豆山での土砂流災害ほどではないが、太陽光発電の建設により、周辺の人家や農地などに被害が出ている。新聞には、常陸太田市や笠間市などの事例が載っている。被害の規模は小さくとも、当事者にとってみれば、たまったものではない。

茨城県は2016年に「太陽光発電施設の適正な設置・管理に関するガイドライン」を制定し、業者の指導に当たっている。また市町村段階でも、笠間市や常陸太田市などが条例を作っている。しかし、いずれも罰則規定がないため、問題が起きても事後指導にとどまっている。

那珂市と笠間市の市長、副市長に話を聞いたが、「事業の認定は資源エネルギー庁にあり、市町村レベルでは私権の制限ができないなど、現場での対応が難しい。国レベルで適正な方策を考えて欲しい」と頭を抱えている。

被害が生じても、「国策」という自然エネルギー推進政策と、私権には口出しできないという建前のもとで、大方は泣き寝入りだ。

大本は、戦後すぐに始まった木材の自由化による関税ゼロという森林行政と、TPP(環太平洋経済連携協定)に象徴される農産物の自由化攻勢による農業破壊にある。昔は、山林所有者は村の有力者だったが、今は逆だ。田畑を作っても生活できない。後継者もいない。それにつけ入るような業者の甘いささやき。断る理由はない。これこそ政治の貧困ではないか。(元瓜連町長)

KEKの初夢? 放射光施設に「ハイブリッドリング」《土着通信部》49

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【コラム・相澤冬樹】高エネルギー加速器研究機構(KEK、つくば市大穂)を「高エ研」と呼んでいた1980年代初め、フォトンファクトリー(PF、直訳すると光の工場)というしゃれた名前の施設が運転を開始した。その初代施設長が3年前の冬に97歳で亡くなった高良和武さんで、第3代施設長の千川純一さんも昨年暮れ92歳で逝去された。

KEKが新年5日に、研究成果「放射光源設計の新機軸–ハイブリッドリングによる放射光2ビーム同時利用」の発表をすると知って2人の名を思い出した。フォトンファクトリーこそ放射光施設で、光といっても主にX線を幅広く用いる。その40年目の新機軸ということで、初夢感たっぷりの話が聞けるのではとオンライン記者会見への参加を申し込んだ。

10年かけて建設目指す

高エネルギーの電子など荷電粒子が磁場によって曲げられるとき、電磁波を放射する現象(シンクロトロン放射)が起こる。エネルギーのそろった強力なX線を得られることから、高良さんらは分子・原子レベルの構造解析や微細加工に利用できると目をつけた。PFは国内最初の放射光利用の専用施設として1982年にファーストビームの発生に成功、以来40年の長きにわたり、大学の基礎研究から企業の応用研究まで、幅広く活用されて成果を挙げてきた。

発表資料には、KEK加速器研究施設の原田健太郎准教授、小林幸則教授、KEK物質構造科学研究所の船守展正教授(放射光実験施設長)らの研究グループが、新概念による放射光源施設「ハイブリッドリング」を考案したとある。今のところ、線形加速器と蓄積リングとを組み合わせた新しい放射光源のアイデアの提案で、予算化や建設・稼働の時期などに見通しをつけたものではない。2030年代前半までにPFの後継施設の建設を目指しているという。

40年の間に、日本の放射光施設は11光源を数え、極めて高い輝度を得られるSPring-8が1997年、播磨科学公園都市(兵庫県)に稼働開始するなどし、「第4世代」に突入した。「第3世代」のPFは2つめの光源加速器PF-ARを設けるなど改良を加え、現在も一線級の放射光施設として運用されているが、輝度偏重から脱却し、汎用性と柔軟性を実現する方向に転換しようとしている。

使い勝手を優先した設計の蓄積リングを基本とし、入射器として長パルスの超伝導線形加速器を組み合わせた、ハイブリッド型が考案された。従来型の蓄積ビームからの放射光利用に加え、リングの⼀部分(3分の2周)に入射器からの超高性能電子ビームを⼀度だけ通過(シングルパス)させ、そのビームからの放射光利用も行う。線形加速器からのシングルパスビームを使えば、ビームサイズやパルス幅、ビーム繰り返しといった蓄積リングでは変更困難なパラメーターに対する柔軟性も得られ、さらに、蓄積ビームからの放射光と組み合わせることで、放射光2ビーム同時利用も可能となるという。

光源の設計や性能についての解説は、難解極まりない。会見で出た話の中では「光学・電子顕微鏡に出来て、放射光に出来ないことを実現するのがハイブリッドリングの目的になる」(原田准教授)という説明が分かりやすかった。

たとえば「大きな試料全体の測定から始め、特徴的な場所に向け倍率をあげていきながら、詳細な測定を段階的に行っていくこと」が放射光では出来ないそうだ。顕微鏡では対物レンズを替えながら倍率を大きくしていくが、放射光では焦点を当てた箇所が狙い通りとは限らない。輝度を上げることで細かいものは非常によく見えるようになっているが、どこを見ればいいか、その指標がない。放射光2ビームの同時利用で、段階的な詳細測定が可能になるという説明だった。

こうした開発研究から放射光科学を先導する新しい技術が生まれる期待がある。2つのビームの独立制御などシミュレーションを繰り返すなどして、10 年先の実現に向け、夢を追う形だ。船守教授は「PFの先人たちは40年前、世界に例のない施設を作って放射光科学を引っ張っていこうとしていた。今日、大変難しい技術が多いが、私たちも改めて難関に取り組んでいきたい」と語った。(ブロガー)

あゝ懐かしの土浦駅 《茨城鉄道物語》19

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現在の常磐線土浦駅

【コラム・塚本一也】2022年最初のコラムになります。本年もよろしくお願い申し上げます。年頭に当たっては、私にとって最も思い出のある土浦駅を取り上げます。

JR常磐線土浦駅は1895(明治28)年に開業しました。当初は常磐線のみの停車場でしたが、1918(大正7)年に本コラム2(2020年6月13日掲載)でも取り上げたことがある筑波鉄道線が開業し、同線の始発駅も兼ねるようになりました。

現在の橋上駅舎は、1983(昭和58)年、つくば科学万博開催に合わせて、駅ビル「WING(ウィング)」と共に開業しました。私の思い出に残っているのは、その前の2代目木造駅舎の時代です。中央に時計台がそびえ立つ「軍艦型駅舎」と呼ばれた駅です。

1981(昭和56)年ごろの土浦駅

小学生のころ、出張から帰る父を土浦駅まで迎えに行くと、改札口を出る前に、立ち売り駅弁をお土産に買ってきてくれました。竹の皮でできた弁当のふたを開けると、ご飯粒がたくさん付いており、一つずつ剝がして食べるのが楽しみでした。

衝撃的なフィッシュバーガー

また、千代田村(現かすみがうら市)志筑にある、母の実家へ夏休みに遊びに行くときは、土浦駅で石岡行バスに乗り継ぎました。駅舎の向かいにあった2階建ての土産物店の上階が食堂になっており、そこでクリームソーダを飲みながら眺める駅前の景色が、子供心に都会の風景として焼き付いておりました。

中学生くらいになると、友人とバスで土浦へ行くことが「大人の証し」となってきました。木造駅舎の1階にハンバーガー屋ができたのも、この時代だったような気がします。今風に言えば「エキナカ」という表現になるでしょうが、タルタルソースがたっぷりかかったフィッシュバーガーは田舎の少年にとって衝撃的な味でした。

そんな、時代の最先端だった土浦も、いつの間にかさびれてしまい、市街地からは大型商業施設が消えて久しくなります。土浦駅からは一度駅ビル会社が撤退したものの、今では、都心に展開する駅ビル「atre(アトレ)」が進出し、星野リゾートと共同でサイクルツーリズムを目玉に新たな分野にチャレンジしています。

茨城県南の中心だった土浦の当時を知る世代の一員として、土浦市の再生を願ってやみません。(一級建築士)

年賀状にもコロナが跳梁 《くずかごの唄》100

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【コラム・奥井登美子】我が家の茶の間の隅に「年賀状の展示コーナー」がある。頂いた年賀状の中で、いつまでも見ていたい、すてきな作品を展示しておくコーナーだ。毎年、干支(えと)の動物を使った面白いデザインが多い。一昨年はネズミ、昨年は牛の絵。個性的なものが多く、茶の間の話題を提供してくれた。

頂いた年賀状の中から、面白いデザインや愉快な言葉を探し出すのが、私の次の楽しい作業なのだ。関寛之先生の手づくり木版画は、毎年、我が家の展示品中の名品だ。80歳過ぎの人の格調高い手書き賀状にはすばらしいものがある。

しかし、今年の年賀状のエトの虎はなぜか元気がない。コロナ禍で家にいて時間を持て余している人が多いから、手の込んだ虎デザインの作品が集まるのではないかと期待していたが、少しあてが外れてしまった。

自由にのびのび『トラ』イする1年に

なぜだろう? 年賀状には「コロナが早く収まりますように」という、祈りに近いような言葉で願いを書いたものが多かった。年賀状に込める楽しい夢、格調の高い希望を実現できるかどうか―コロナちゃんの跳梁(ちょうりょう)で自信がなくなってしまったに違いない。

世界中の情報がその日のうちに伝わるすごい世の中。しかし、情報の伝わり方の速さが、人間の頭脳のテンポと合っていないのではないかと思う。人間が人間らしさを楽しむ速度はご飯を食べる速度と同じで、その人によって違う独特のテンポが存在する。ただ早ければいいというものではない。

コロナオミクロンちゃんに私も一言。「人類の試練としてのコロナウイルスをトラブルことなく体験し、何事にもトラわれることなく、自由にのびのびとトライして、今年1年、心豊かに生きたいと思います」。(随筆家、薬剤師)

外国語を学ぶコツ⑦ 《ことばのおはなし》41

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【コラム・山口 絹記】外国語学習について、約半年間。やや長い連載になった。ここで書いた内容が少しでも誰かの役に立てていたら幸いである。

最後に、せっかくこういった場で語学学習について書く機会を得たのだから、純粋な営利目的ではなかなか書けないことについて書いて終わりにしようと思う。

最後の最後にこのようなことを書くのも気が引けるが、英語を習得する『利益』があるのか、ということについてだ。これに関してはいくつかの仮定を想定しなくてはならないだろう。

まずあなたが、義務教育や高等教育課程の途中ならば、悪いことは言わないから励んでおいた方がよい。ここでサボったツケは大きく、後で取り返すのは至難だ。もっと言えば、自分にとって必要になる瞬間というのは、学んでいた者にしかわからないことだってあるのだ。

問題は、学校教育を終えてから、自発的に英語を学ぶ場合である。例えば「英語ができると仕事に役に立つかも」というような漠然とした目的で学ぶ場合だ。

正直、厳しいと思う。無理やりやらされている者が、好きでやっている者にかなうことはまれだ。もしも他に身に着けたいと思っていることがあるのならば、素直にそちらに力を注いだ方が、毎日が豊かになるのではないだろうか。

英語による読み書きに限るならば、機械翻訳のような様々なツールを活用すれば、最低限の知識でかなりのことができる。セキュリティなどの問題で外部開発されたものを使用できない環境でない限りは、こういったものの使い方を熟知する方が効率が良い。

「まだ見ぬ景色に対する予感」

そう、『利益』を考えるならば『効率』を考えなくてはならないのだ。そして、語学に限った話ではないが、新しいスキルの習得と『効率』という考え方は非常に相性が悪い。

語学というのは、『利益』の名のもとに無理やり習得できるほど、楽なものではないと私は感じている。漠然と英語ができるようになりたいと思っている消費者は、利益を得るより利益にされる可能性のほうがずっと高い。

つまるところ、『利益』ではないのだ。連載の中でも書いたが、大切なのは『他者には理解されない類の情熱』だ。

世の中には、なんだかよくわからないけれど、山登りが好き、という人が結構いる。山登りというのは、基本的に危険な行為だ。筑波山だって遭難することはある。それでも、自分の足で登った者にしか見ることのできない景色というのがある。

語学だって同じだ。身につけた者にしか見えない景色がある。機械翻訳という、ロープウェイみたく便利なものもあるが、そういったものを使っては見えない景色。あなたの中に宿っている情熱には、そういった、まだ見ぬ景色に対する予感のようなものがあるのではないだろうか。

私から言えることは、「うん、そういう景色、あるね」ということだけだ。

ままならない世の中のまま2022年が始まってしまったが、己の信ずるところに従って、まだ見ぬ景色を目指して山道を登り始めてはいかがだろうか。無理にとは、言わない。(言語研究者)

資本主義のことを考えた元旦 《つくば法律日記》19

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堀越さんの事務所があるつくばセンタービル

【コラム・堀越智也】毎年、100年前には何があっただろうと、歴史の教科書を引っ張り出してみます。去年は中国共産党結成100周年。ソ連邦が成立したのは今から100年前です。僕が学生のころ、ざっくり言うと「これからは社会主義でなく資本主義だ」的な教育を受けました。現に中学生のとき、ソ連は解体され、東欧の社会主義圏は崩壊しました。そのころは、資本主義が肯定されたまま、世界は進んでいくのかと思っていました。

ところが、去年売れていた本とか経済関係のテレビ番組では、資本主義を否定する考え方あるいは修正する考え方が目立つようになりました。新型コロナが先進国の成長が行き詰まっている中で蔓延したこともあり、貧富の差を実感し、経済的・物質的な豊かさだけで幸せになれないと考える人が増えたのではないでしょうか。

資本主義を疑う考え方を整理すると、①資本主義を推し進めても市場には限界があることからどこかで行き詰まる、②経済的・物質的な豊かさだけでは幸せになれない―という視点があります。それぞれ密接に関連しているように思います。

何主義でも日々精進

その先を少し考えてみても、僕は経済学者ではないので、前者についての結論は出せません。また、哲学者でも宗教家でもないので、後者についての結論も出せません。資本主義の限界を語っている本でも、堂々とそれに代わるべきものが何かは分からないと言う著者もいるぐらいです。ただ、少なくとも後者については、生きていく以上、また法律の仕事を通して人の生活の重大な部分に関わる以上、日々考えていかなければなりません。

一つ、このことは確実に言えます。資本主義を疑うと、競争そのものを疑い、日々努力して成長することまで否定されてしまうことがあります。しかし、日々の努力を怠れば、仕事ではもちろん、仕事以外でも大切な人を守れなくなってしまうかもしれません。何主義でも、このことは同じでしょう。ということで、日々精進かと思うに至る、2022年元旦。(弁護士)

パーパスとミッション 年頭経済展望《雑記録》31

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【コラム・瀧田薫】昨年の師走、「1年を象徴する漢字」が発表されました。京都・清水寺の貫主が揮毫(きごう)したのは「金」(きん)の一字でした。オリンピックの「金メダル」、大谷翔平選手が打ち立てた「金字塔」などの印象が強かったようです。

この催しは昨年で27回目。そのうち「金」という字が選ばれたのは4回目だそうです。他に複数回選ばれた字としては「災」が2回あるだけだそうですから、「金」は大変な人気です。ちなみに、この字を「かね」と読んだ例は、2016年に1回(政治と金)あるだけでした。毎年選ばれても不思議はないと思うのですが、当たり前過ぎて印象に残らないのかも知れません。

さて、お金からの連想ですが、今年の世界経済、日本経済はどのような1年になるのでしょうか。例年、新聞や雑誌が新年特集号を組み、経済の先行きを予想するのですが、筆者は「存在意義・パーパス」や「使命・ミッション」といった言葉が2022年度経済のキーワードになると予想しています。

「パーパスとミッション」は、コロナ禍で疲弊した社会や組織を立て直そうとする勇気ある人々にふさわしい言葉ではないでしょうか。コロナ禍によって、社会は多くのことを見直しつつあり、人々の意識も大きく変化しつつあります。アフター・コロナにおいて、経済活動や社会活動がコロナ以前と同じ形で復元されることはあり得ません。もし復元できると考えたとしたら、時代と社会を読み誤ることとなります。

企業も社会も、この大変化を踏まえて、未来を見据え、自らのパーパスとミッションを再構築しなければなりません。

広がる「パーパス経営」の動き

昨年11月、日立製作所は、同社の歴史を展示する「日立オリジンパーク」(日立市)を報道陣に公開しました。創業者の小平浪平(なみへい)氏が最初のモーターを製作した場所を復元した「創業小屋」など、創業のシンボルをIT(情報技術)機器製造の拠点に移し、日立の事業転換を印象づける狙いのようです。

同所の開設式典で、東原敏昭(ひがしはら・としあき)会長は「コロナウィルス禍など不確実性が高まる時代だからこそ、日立は原点に返ることが重要だ。優れた自主技術・製品の開発を通じて社会に貢献するとの創業時代からのミッションは変わらない」(日本経済新聞、11月5日付)と述べました。

最近、「パーパス経営」への動きは、製造業だけではなく、金融機関(三菱UFJ、三井住友トラストHD、東京海上HDなど)にも広がりつつあります。ESG(環境、社会、企業統治)の動きや顧客や従業員の多様化などで社会が急速に変化する中、自社の存在意義を見つめなおす必要を感じてのことでしょう。

数年来、資本主義をめぐって、数多の著作・論文が発表されていますが、「ミッション・エコノミー」の邦訳題で出版されたマリアナ・マッカ―ト氏の著作が「パーパスとミッション」という言葉の火付け役となったようです。(茨城キリスト教大学名誉教授)

世界一幸せだと自負してます 《続・気軽にSOS》100

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【コラム・浅井和幸】あけましておめでとうございます。昨年同様、今年も正月三が日内にコラムをお届けでき、とてもうれしく感じております。何気ない日常を楽しく感じる心身でいられることが、自分が世界一幸せだと自負しているゆえんです。

とても優しく私を気遣ってくれる、素晴らしい人たちに囲まれていて、そのおかげだと思います。「目が赤いけど大丈夫ですか?」「夜眠る時間はありますか?」「浅井さんは何人いるのですか?」「休む時間はありますか?」って。

老眼は進んでいるけど、問題なしです。夜は、現代人には珍しいぐらい眠っています。もちろん1人です。それほど忙しい毎日を送っていませんし、楽しんでいます。

そして、その優しい方々から「いつまでも健康でいてください」「長生きしてください」という言葉を、あちらこちらでいただくようになりました。それって、もう少しお年を召された方に伝える言葉なのではないかと思いつつ、「ありがとうございます。頑張って生きますよ」と答えています。

ですが、あと数カ月で50歳になりますから、今年の抱負は「人間ドックに行く」としておきましょう。このコラムに出せば、行かざるを得ないのではないかと。

皆さんに会えて本当に幸せです

さて話は変わって、先日、「採用するとしたら強い人間と優しい人間どちらですか?」「浅井さんならばどう考えますか?」との質問をある会合でもらいました。私は、どちらも持ち合わせている人を採用したいので、どちらがというのは悩ましい質問です。究極の選択というやつですね。

単純にどちらとも答えなかったのですが、こんな感じで答えたかなと記憶しています。その1点のみで採用するわけではないけれど、無理に考えれば、どちらでもよいから採用して、それに合わせて事業を行うと。

どちらにも長所と短所があり、どちらが上とは捉えていません。また同じ事業でも、それぞれの性質に合った仕事や作業があるものです。スタッフの力をできるだけ発揮できるような関わりが、自分に求められていると思っています。

固定した事業のイメージにスタッフを合わせて窮屈な事業にするのではなく、それぞれの特性を生かした事業を成長させていく。それで足りないところは、私を含めた別の人間がカバーする。カバーできないのであれば、他の事業所や行政にフォローしてもらいます。

それで事業が成り立たないのであれば、人をつぶすのではなく、事業を手放します。そうすれば、その事業は、私よりもずっと優秀な人間や法人が立派に運営してくれるでしょう。そもそも私は、人を見る目がありません。

良い方にも悪い方にも、たくさん裏切られ、だまされています。目を見ればその人のことはほとんど分かるという人が、とてもうらやましいです。私は、間違えてばかりの小さな人間ですから。それでも、皆さんに会えて本当に幸せです。(精神保健福祉士)

結城七福神とゆでまんじゅう 《ポタリング日記》4

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結城蔵美館

【コラム・入沢弘子】七福神巡りを思い立ち、近くの地域を調べていたら結城市にありました。茨城県西の北端、ユネスコ無形文化遺産の結城紬(つむぎ)が有名な都市。訪問は初めてのことです。同市ウェブサイトで七福神の社寺を確認して出発。

まずは、同観光協会お勧めの「結城蔵美館(ゆうきくらびかん)」駐車場に車を止め、福禄寿様を祭る「乗国寺」を自転車で目指します。蔵美館の近く、結城小学校横には陸軍大演習時の大本営跡があり、明治天皇御座所の石碑がありました。築地塀が巡らされた結城小学校付近は落ち着いたいい雰囲気。

しばらく行くと住宅街が途切れ、そばに栃木県小山市の表示のある橋を渡ります。橋の上からは冠雪した日光連山が望めました。県境を越え田園地帯を進んで行くと、お寺が見えてきました。乗国寺は結城家の菩提寺。朱色の山門と五百羅漢が印象的でした。

次は大黒天様と布袋様を祭るお寺です。乗国寺近くの蔵造り風の校舎・結城東中学校は、見世蔵(みせぐら)のある街並みと統一感があります。正門前から住宅地を進んだ先の「華蔵寺」には結城百選の石碑がありました。百カ所お勧めの場所があるのかな? 結城百選にも興味津々です。「大輪寺」は住宅街の一角に現れました。近い場所に、恵比須様を祭る「蛭児(えびす)神社」。

ゆでまんじゅう

蔵美館まで戻り二十三夜塔の角を曲がると、すぐに目についた「ゆでまんじゅう」の貼紙に引かれ、富士峰菓子店に入店。結城市ウェブサイトに「ゆでまんじゅう食べ歩きマップ」があったことを思い出しました。結城名物ゆでまんじゅうは、江戸末期に疫病退散の病祓(はら)いのために生まれたものとのこと。縁起が良いので七福神巡りと両立を目指すことにします。

ばんく、こんびに、干瓢屋…

少し先のなか川菓子鋪でも真誠堂でも購入。「弘経(ぐぎょう)寺」に突き当たり、道なりに進んで行くと、毘沙門様を祭る「毘沙門堂」がありました。結城酒造に後ろ髪を引かれ、武勇の酒蔵に感心しつつ、再び蔵の通りへ。社寺や見世蔵の多い結城市内は見どころがたくさん。街灯サインも、ばんく、こんびに、干瓢(かんぴょう)屋などと書かれて楽しく、ついに自転車を引いて歩き始めました。

見世蔵で商いを営んでいる秋葉麹味噌醸造や喫茶カヂノキをのぞきつつ、山田屋菓子店でゆでまんじゅうを購入。横道に入ると、朱塗りの山門が現れました。結城藩藩主水野家菩提寺の「孝顕(こうけん)寺」です。

孝顕寺近くで道に迷い住宅地をさまよっていたら、道の角にぽつんと神社。弁財天様を祭る「市杵島(いちきしま)神社」でした。おまんじゅう買い歩きで散財した後にたどり着いたのは戒めなのでしょうか。池の奥の拝殿にそっと拝みます。

最後は寿老人を祭る「金光寺」。結城駅隣の小田林駅に近い場所なので、自転車を電車に携行することにします。愛車「BROMPTON(ブロンプトン)」は輪行バッグに入れて簡単に持ち運べるのです。

電車待ちの時間、ゆでまんじゅう4種類を改札前のベンチでいただきました。餡が見えるほど皮の薄いものや、皮の食感が生麩(なまふ)のようなものなど、店舗によって個性的。ゆでまんじゅうを作るお店は、他に結城駅南側にあと2軒あるようです。帰りのお楽しみにして電車に乗りましょう。(広報コンサルタント)

《吾妻カガミ》123

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【コラム・坂本栄】「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます」「(希望も込めて)2年続いたコロナ禍も今年は収まるのではないでしょうか。縮こまっていた消費が活気づき、経済はV字回復すると思います。心配は、自信過剰気味の中国と焦り気味の日米欧がうまく折り合っていけるかです」「『NEWSつくば』は立ち上げてから4年がたちました。全国紙や研究者からも注目され、地域に必要なメディアに育ちつつあります」

以上は、私の年賀状からの転載です。改めて、今年も本サイトへのご支援、よろしくお願いします。

原稿料を昨年12月からアップ!

「登録されているライターは、記者経験者が5人、市民記者が15人ぐらいです。市民記者は、大学教授や大学生を含む、いろいろな分野の人が参加しています。記者経験者は、元地域紙、元専門紙、フリージャーナリストと多彩です」「市民記者には車椅子記者もおります。元筑波大生で、主に身障者問題をリポートしています。朝日新聞がその取材活動に関心を持ち、10月20日付朝刊の『ひと』欄に紹介されました」

以上は、私が属していた通信社のOB会報へ送った近況報告からの抜粋です。車椅子記者・川端舞さんの取材・執筆ぶりについては、「ひと」欄から少し引用させてもらいます。

「取材する時は介助者がメモをとるが、質問は必ず自分でする。介助者に任せることはできるが、同じように言語障害のある人でも、気兼ねなく話せる社会になってほしい―その思いが勝る」「執筆は左手の人さし指1本でパソコンを打つ。障害者や貧困世帯支援に目を向け、昨年2月以来約50本の記事を書いた。報酬は1本6000円。その中から取材を手伝う介助者への報酬も支払う」

つくば支局・鹿野幹男記者の取材で、安い原稿料がばれてしまいました。そこで、12月から7000円に値上げしました。「それでもいい、市民記者、面白そうだ」と思う方は是非応募してください。

自治体の監視も取材目的のひとつ

「NEWSつくばは、従来の地域紙に代わって地元自治体からの支援を受けずに自治体行政の監視を目的に行政関係のニュース取材を行うニュースサイトとして運営されており、これは地域のネットメディアとして極めて貴重な存在である。ぜひ今後とも茨城県県南地域で、地域ジャーナリズムの役割を担い続けて欲しい」

また引用になりましたが、松本恭幸・武蔵大教授が「月刊マスコミ市民」12月号に寄稿した「廃刊した地域紙から誕生したニュースサイト」と題するリポートの最後の段落です。識者が寄稿する「ジャーナリストと市民を結ぶ情報誌」に紹介いただき、大変光栄です。今年も、地域行政には厳しく目配りをしていきます。(NEWSつくば 理事長)

シャッターは「触る」もの 《写真だいすき》3

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こんなカメラを使っていた時代もあった

【コラム・オダギ秀】公園を散歩していたら5歳くらいの元気な子が来る。で、いつも腰のポーチに入れている小さなコンパクトデジカメを向けた。アマゾンで、3500円で買った中古の小さなカメラだ。それを見て、その子が叫んだ。「うわぁ、大きなカメラ」

その子の世代にとって、カメラと言うのは、スマホの後ろの5ミリほどの丸い穴、レンズのことなのだろう。だから、写真を専門に撮る機械なんて、大きな驚きの物体だったのかも知れない。

ある日、ボク自身を撮ってもらおうとして、若い人に、ボクのコンパクトデジカメを渡した。ここがシャッターだよ、と教えて。何枚も撮ってもらったつもりで確認したら、1枚も写っていない。「シャッター押してくれたよね?」と尋ねたら、「もちろん、ちゃんと触りましたよ」と言う。いまの一般の若者たちにとって、カメラのシャッターとは、「押す」ものではなく、「触る」だけでいいものなのだ。

時代の変化に少しショックを受けているボクは、最近、小さなカメラを買った。コンパクトデジカメの半分もない小さなカメラだが、結構使われていると聞いたからだ。そう思って気を付けてテレビなど見ていると、なるほど、よくこんなところで撮影しているなというような場面では、そんなカメラを手首に着けたり首に下げたり、ヘルメットに着けている。「ヒロシのぼっちキャンプ」だって、車のフロントに2台も着けているじゃないか。

時代の変化に愕然

日本製名器カメラとして定評があったニコンも、年内にはメイドインジャパンではなくなるという。国内生産はすべて止め、タイ工場に移るそうだ。だからというわけでもなかろうが、スタッフがボクに尋ねた。「冷蔵庫の中から外を、一眼レフのニコンカメラで撮れますか? ドアを開く瞬間を、中から外を」。あなたなら、どうやって撮る? ボクも、中から撮れるカメラを買ってしまう。今は、そんなカメラが簡単に手に入るのだ。

もちろん、大きなカメラでていねいに撮った写真の価値と、小さな、今に対応したカメラによって撮ることを比較することに、意味があるか否かの話ではない。映画やテレビがいかに発達しても、文学の価値が下がることはないことと同じだ。もともと、違うものなのだから。

だが、しかし。いま我々は、何と変化する時代に生きていることだろうと、愕然(がくぜん)とすることが多い。テレビや電話のダイヤルを回さなくなったように、カメラのシャッターは触るものなんだよ。(写真家、土浦写真家協会会長)

孫との入浴に備え風呂の扉を修理 《続・平熱日記》100

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【コラム・斉藤裕之】我が家の扉は全てもらってきたものか、リサイクル屋で安く買ってきたもの。その中で、上下が大きな曇りガラスになっている木製の引き戸が2対ある。1対はアトリエの掃き出しに、それから残りの片方は子供部屋の扉に、もう片方は下のガラスを板に変えて風呂の扉として使っている。ちなみに1枚1000円だった。

その風呂の扉が引っかかっているような感じで、開け閉めにコツがいる。今まではそれほど不便に感じたことはなかったのだが、孫を風呂に入れた時にこの扉が片手で開けにくいので、修理することにした。要するに、戸車を調節するか交換すればいいのだが、いっそつり戸の方がいいのかなと思い、とっておきの扉を引っ張り出して算段し始めた。

この木製の扉は、卒業した高校のピンク色に塗られた古い建物(ピンク校舎と呼ばれていて文化部の部室だったらしいが私は入ったことはなかった)を壊す時に、縁あってもらい受けたもので、台風に追いかけられながら車の屋根に積んで山口から持ち帰った思い出の品だ。

ところが、ホームセンターに材料を買いに行って、急に面倒に思えてきた。結局、新しい戸車を買って帰った。風呂に使っていたので戸車は傷みがひどかったが、薄い板を挟み込んで高さを調節しながら戸車を変えた扉は実にスムースにレールの上を動いた。ついでに、浴室側だけペンキを塗りなおそうと思い、使いかけの鈍いみどり色の缶があったのでそれを塗った。

美しく古びていくサステイナブルな我が家

我が家の風呂は腰の高さまでブロックでできていて、その他は壁も天井もすべて杉で作ってある。ブロックの表面は船用の塗料でざっくり塗ってあって、杉は20年経ってもさほど傷んでいない。床は建築現場用の歩み板がちょうど4枚分ほどの幅で、痛んだら簡単に替えられる。そんな風呂に、このみどりの扉はしっくりとなじんだ。

でも、なんだか塗料の垂れ具合が妙だったので、老眼鏡をかけて缶をよく見てみた。「鉄部、門扉用油性塗料、カントリーグリーン」とあった。水性塗料と間違えて油性を塗ってしまった。いよいよ老人力を発揮か? しばらく匂いが残ったが、結果的に水には強い扉となったのでよしとした。

これで、孫を抱えたままワンハンドで扉を開けて、「でるよー!」と大声で叫ぶことができる。

先日、東京から帰ってきた次女が、「こんな家よく建てたね…」と改めてつぶやいた。いやいや、時代がやっと追いついてきたのよ。確かにきれいな「おうち」ではないが、美しく古びていくリユース、サステイナブルかつカーボンニュートラルな「我が家」は間もなく20回目の正月を迎える。そうそう、孫が転げ落ちないように、階段の手すりと2階の柵を作らなければ…。(画家)

原発再稼働めぐり 東海村議会が大変 《邑から日本を見る》102

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住宅密集地の先にある東海第2原発=村役場5階から

【コラム・先﨑千尋】「東海村議会が大変だ」。村の友人が知らせてくれた。何が大変なのかを調べてみた。

顛末(てんまつ)はこうだ。日本原電東海第2発電所の再稼働について今年3月、水戸地裁は避難計画の不備などを理由として認めない判決を出している。原発に大きく依存している村の商工会は「これは困った、東海第2が再稼働しなければ商売が成り立たない」と考えた。そして4月30日、議会に再稼働を求める請願と速やかな避難計画を村が策定するよう求める請願を出した。

文面には「村内商工業者が自立し、安心して健全な経営を維持継続させるために、東海第2の再稼働に伴う広域避難計画の策定についての議論を進めていただくよう」とある。水戸地裁の判決が避難計画策定を再稼働の条件にしているので、議会が請願を通して、村当局に早く避難計画を作るように圧力をかける狙いだと読める。

一方、原発の再稼働反対を訴える「3.11を忘れない東海村アクション」も、6月に「計画策定には慎重を期し、住民との合意が必要だ」とする請願を出している。同村では、2016年5月に避難計画の素案を公表しているが、計画の策定には至っていない。

12月17日に開かれた議会原子力問題調査特別委員会では、商工会からの請願をめぐって激しいやりとりがあった。

18日付「茨城新聞」によると、賛成する最大会派の議員からは「請願は早期に策定するか慎重に進めるべきかが論点で、同計画の中身の審査ではない」「今できる最大限の計画を作ることが事故時のリスク低減につながる。その後見直しながら実効性を高めていくべき」などの意見が出され、採決を求めた。他の議員からは「専門家や福島原発事故避難者らの話を聞くなど、さらなる調査が必要だ」「実効性のない計画を作ることは村民を不安にさせる」などの意見が出され、採決は時期尚早とした。

同委員会では議論の末に採決を行い、次回に論点を整理し、請願を採決することを多数決で決めた。来年1月の委員会で採決の見通しだ。

議会や村長だけで決めてもらっては困る

原発再稼働の条件の一つに「実効性ある避難計画の策定」ということがあり、国や茨城県知事のこれまでの説明では「具体的かつ合理的だと国の原子力防災会議で了承されること」となっている。請願に賛成する議員は「中身ではなく、形だけでいいから早く作れ」という考えのようだが、そのような計画では、原子力防災会議では通らないのではないか。それよりも、私は「東海村が不十分な避難計画でもOKした」という事実が広まることの影響を懸念する。

東海村は日本の原子力発祥の地だ。村の経済は原子力とともに歩んできた。さらに村民あっての商工会だ。もし東海第2が事故を起こせば、村はなくなり、商売もできなくなる。それなら「安全対策を万全にし、避難計画も万全なものにしてほしい」という請願にすべきではないか。この商工会の請願は、村民全体の安全ではなく、自分たちの商売のことしか考えていないようだ。

委員会では、これまでに請願の内容や避難計画の中身について議論されることはなかったという。東海第2の再稼働は、これからの村、そして私たち周辺の住民にとっても極めて大事な課題だ。東海村の議会や村長の考えだけで決めてもらっては困る。まず村民が議会の動きに強く関心を持ってもらいたい。(元瓜連町長)

里山と若者たちの活動《宍塚の里山》84

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落ち葉ブロック製作(左)とアズマネザサの伐採

【コラム・佐々木哲美】自然豊かで春夏秋冬の多様な変化を見せる里山には、若者たちの元気な姿が似合います。認定NPO法人「宍塚の自然と歴史の会」では、小さな子どもから大人まで様々な世代の人たちを受け入れてきました。それは、広く宍塚の里山を知っていただかないと保全に結びつかないと考えているからです。

特に次世代を担う大学生が参加しやすいように気を配り、多くの大学から学生を受け入れてきました。地元の茨城大、筑波大、筑波学院大をはじめ、法政大のサークル、東京大のゼミ、NPO法人ドットジェピーからの大学生などです。また、宍塚里山をテーマにした卒論や論文で博士号を取得した方も多くいます。内容も自然系だけでなく、保全手法に踏み込んだ社会系、地元集落まで入り込んでの歴史系まで多種多様です。

その中でもユニークな取り組みが筑波学院大OCPです。学院大では、平成17年度から「社会力」育成を目的に「OCPプログラム」に取り組んでおり、大学と地域が連携して教育に関わる先駆的な取り組みとして、全国から注目を集めてきました。

OCP(Off Canpus Program)とは、大学のキャンパス内だけでなく、つくば市およびその近郊地域をキャンパスにして、社会力を育成するプログラムです。学生が希望する団体で30時間以上活動するもので、参加すると単位がもらえます。残念ながら、17年続いてきたOCPですが、学校の方針で今年が最後になるようです。

会の観察会や保全活動に参加

当会では、当時の門脇厚司学長と何度か意見交換をして、趣旨に賛同して毎年受け入れてきました。同大では、学生の興味や関心に応じた最適な受入れ団体との橋渡しは教職員だけでは困難とし、外部から「社会力コーデネーター」を業務委託契約で採用しました。その「社会力コーデネーター」の1人が、当時の里山さわやか隊の隊長だった野島伸三さん(故人)のおいだったことから、より付き合いが緊密になりました。

参加する学生は毎年3~5名で、会の観察会、保全活動の行事に参加して学びます。どちらかというと身体を動かし体験したいと、里山さわやか隊、田んぼさわやか隊、自然農田んぼ塾への参加が多くなりがちです。学生にとって、ノコギリ、スコップなど道具使い方など基本的なことから、様々な年齢層との交流など、刺激的だったと思います。その反面、もっと深いところでつながり合えなかったかなと反省もあります。

筑波学院大の「社会力の豊かな人間」とは、様々な人たちとよい関係を作りながら、仕事や様々な活動を通して、自分から進んで「社会の一員」としての、「市民」としての義務と責任を当たり前のこととして果たすことを喜びにし、それを生きがいに、社会の運営に参加できる人間のことです。すぐに成果は見られないでしょうが、将来は必ず成果が表れてくると信じています。(宍塚の自然と歴史の会 副理事長)

国が宇宙天気防災の議論を開始 《食う寝る宇宙》100

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【コラム・玉置晋】2017年にスタートしたコラム「食う寝る宇宙」も100回に到達しました。開始時に「宇宙天気防災研究者」という肩書をいただいたものの、宇宙天気は研究の世界のもので、防災という現実世界に出るのはもう少し時間がかかるかなと考えていました。

あれから4年。2021年12月20日に総務省から「宇宙天気予報の高度化の在り方に関する検討会」を発足させるとの発表がありました。これは、宇宙天気予報について、分野横断的に国の観測・分析能力や対処の在り方を検討するというものです。

本コラムの執筆中に、僕は宇宙ビジネスサロン「ABLab」で宇宙天気プロジェクトを立ち上げました。そして、組織にはカリスマリーダーが必要と考え、テレビで気象キャスタを務める気象予報士の斉田季実治さんを、プロジェクトマネージャにお迎えしました。その斉田さんが検討会のメンバーに選ばれました。国として宇宙天気防災に立ち向かう機が熟したといえます。

本コラムは今回が最終回となります。2025年の太陽活動サイクル極大に向けて、すでに準備は始めています。僕はこれから大学院で博士の学位を取りに行きます。そして、本格的に宇宙天気防災に取り組んでいきたいと思います。学位をとったら、また戻ってきますね。

過去20回のタイトル一覧

100宇宙天気防災を国で議論開始 99~97太陽フレアの情報 96宇宙天気防災戦略 95宇宙で髪を切る 94宇宙天気キャスタ 93宇宙天気を朝ドラに出すぞ 92地球温暖化が宇宙ゴミを増やす 91国際宇宙ステーションから放たれた謎の物体

90理科の自由研究をどうしよう 89未確認飛行物体と遭遇 88「大気の窓」と3ミリの宇宙服 87宇宙の物質は弱虫とマッチョ 86宇宙の最前線に迷い込むハチ 85トランポリンで宇宙へ 84宇宙が観光地へ 83桜の開花と宇宙天気キャスタ 82「知識」と「知恵」の違い 81衛星のクリーンルームに住みたい 80火星探査「魔の7分間」

1~79を含めこれまでのコラムは、トップ画面の最上部にある「コラム」をクリックして「コラム一覧」に入り、さらに「玉置晋」をクリックすると、全てただで読むことができます。「NEWSつくば」って便利だな~。(宇宙天気防災研究者)

ブラタモリで紹介された地質標本館《遊民通信》31

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地質標本館の立体地質図

【コラム・田口哲郎】

前略

つくば市東に産業技術総合研究所(産総研)があり、その敷地内に地質標本館があります。先日、NHKでブラタモリの「つくば」編が放映され、国土地理院とともに紹介されていました。地質標本館は産総研・地質調査総合センターの中の一組織です。1882(明治15)年に設立された、初の国立研究所である地質調査所を前身としています。地質にかかわる研究を行い、地質図を作成し、国民の利用に供することが使命だそうです。

ブラタモリでは、ボーリング調査(長い筒で地面を掘り地盤を調べる)で筒の中に残るコア資料の収蔵庫、地質資料調整グループなどが紹介されていました。地質資料調整グループには岩石を30ミクロンという厚さの薄片にまで削る技術があり、これであのゴツゴツした岩石の成分を顕微鏡で見ることができるようになります。

地質標本館の使命は日本の地下の地質を調べること。全国各地から採取された岩石の成分を調べられることは、発信する地質情報の証拠を取ることになります。薄片を作るという地道な作業は、標本館、ひいては産総研の研究を支える中核事業なんですね。

地質の研究者が全国の山や谷を、道なき道を分け入り、苦労して採取してきた岩石を、高度な技術で薄くして、調べて地質図にする。その成果が立体地質図として展示されています。日本列島の立体模型にプロジェクションマッピングで、様々な地質情報を映します。これは圧巻ですし、一見に値すると思います。

博物館は収集好きのあこがれ

さて、ブラタモリでは紹介されていませんでしたが、私が心ひかれた展示は岩石・鉱物・化石の分類展示です。美しく珍しい石から、火山活動でできた灰色の岩、そして古代生物の化石がずらりと並べられています。

パワーストーンでおなじみの水晶やアメジストなどの大きな原石や、私たちが住む大地をつくり上げている岩石があり、アンモナイトやナウマンゾウの歯の化石があります。あらゆる石には標本館が保証するプロフィールがきちんとつけられているのです。たくさんの石に囲まれて、私はなんともいえない幸福感に包まれました。

博物館の第一の役目は資料の収集と保存です。最近、博物館は魅力的な企画展、イベントでしっかりアピールして、来館者数を増やすことが求められているそうです。来館者にとっては楽しみが増えて学べるのでよいと思います。でも、モノを集めてめでるというオーソドックスな使命もやはり博物館の醍醐味(だいごみ)だと思うのです。

私は文学研究をしていますが、本を集めるのが好きです。読み切れない本が部屋に積み上がり、机は本に埋もれそうです。読書よりも買書だねとからかわれます。でも、好きなものに囲まれる幸せは何にもかえがたいです。断捨離(だんしゃり)もよいですが、モノにあふれた空間が妙に落ち着く人間もいます。博物館はそういう意味で収集家の憧れの場所でもあります。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)