【コラム・古家晴美】前回取り上げた「こも豆腐」に引き続き、今回も藁(わら)を使った食品を作ろうと思う。そこで「納豆」に挑戦した。他県の人から見た「茨城」のイメージとして、納豆は切っても切れないものかもしれない。

蒸し大豆を藁苞(わらづと)に詰め、納豆菌を繁殖させた「糸引き納豆」は日本独自のものだ。それまでは、中国から伝来した「塩辛納豆(浜納豆)」が寺院を中心に作られていた。糸ひき納豆の由来譚(ゆらいだん)は、八幡太郎義家をはじめ諸説あり、その出生は明らかではない。

しかし、江戸中期の『和漢三才図会(わかんさんさいずえ)』を見ると、たたいて豆腐と蕪(かぶ)青菜の汁に加え、芥子(けし)を放って食べるとおいしい、と記されている。そして、江戸末期になると、納豆売りの行商が盛んになり、醤油をかけて食べる方法も普及した。

茨城の小粒の納豆が注目されるようになったのは、明治22年(1889年)に水戸線が開通して以降のことだ。販売のための流通手段を獲得した水戸の「天狗納豆」は、現在に至る水戸名物としての地位を確立していく。

なんと納豆の糸が引いているではないか!

総務省の家計調査からも、2016~2020年の都道府県別納豆消費量は、「東高西低」傾向が依然見て取れる。2020年消費量は、東北諸県が上位に食い込み、茨城県は惜しくも5位になった。が、現在でも、納豆好きの県民が多いのではなかろうか。

納豆作りは県内全域で行われてきたが、煮た大豆を藁苞に詰め、発酵する時の寝かせ方は様々なようだ。藁苞を俵に詰めむしろを掛ける、藁苞をもみ殻の中に寝かせる、庭に穴を掘って火を焚いて土を温めてからむしろに包んだ藁苞を入れて土を掛ける―などの工夫が凝らされた。

マンション住まいの筆者には、俵ももみ殻も納屋もなく、先日こたつを処分した後だけに、ハードルの高い作業だった。結局、ひざ下にコの字型に立て掛ける学習用暖房パネルと電子レンジの発酵機能で挑戦した。前者は温度調節に毛布を掛けたり外したりを繰り返したが、結局、安全装置が働き、途中で電源が自動的に切れてしまった。後者は24時間継続して発酵機能を稼働させた。

出来上がった納豆は、匂いと舌で感じる酸味は紛れもなく納豆のものだったが、糸を引くには至らなかったので、成功とはいえない。最後に、藁苞だけでは不安だったので、粉末の納豆菌の力を借りたことを告白せねばならない。1回だけの挑戦だったが、現代人としての己の無力を痛感した。しかし、再度挑戦したい。

と、原稿を書き終わって帰宅したら、なんと納豆の糸が引いているではないか。昼間、暖かかったから、室内に放置したのが功を奏したようだ。やったー。(筑波学院大学教授)