【コラム・オダギ秀】そこらへんをただ歩き回っていると、「隣のオッチャン、ハイカイが始まったぜ」なんて言われる。だけど、カメラを持っていると、徘徊(はいかい)でなく、「おっ、おじさん、芸術づいてきたなあ」なんて言われる。

写真を撮るということは、思い出を記録するとか、何かの証明にするとか、その効用を言うことは多い。だけど、写真というかカメラのいいことっていうのは、そんなことだけでなく、もっともっとある。

感性が磨かれ、若くなる

たとえば。少しでもいい写真が撮れないかと、ちょっとしたブラブラ歩きでも、辺りを見回し、おっ、こんな季節になったか、きれいな花が咲いとるなあ、とか、今日の天気は今の季節らしくない、などと、季節感が鋭くなり、それまでは通り過ぎていたものにも眼が向くようになり、感性や気持ちが豊かになる。

たとえば。歩いていると、ほほ~この建物も古くなったな、とか、あれ?ここはこんなに変わってしまったよ、あんな人がいたっけなあ、どうしているかなあ、などと、時の流れや歴史などに興味を深められる。

たとえば。現役を離れたりしていると、どうしても世界が広がり難くなるが、写真を撮る新たな仲間と知り合ったり、興味を持ったり持たれたりすることが多くなり、自然に世界が広がっていく。

たとえば。通りがかりの家の庭にきれいな花が咲いていたり、小さな子が遊んでいたりに出会ってカメラを向けて褒めたりすると、若いママと親しく話せるようになったりする。

たとえば。撮った、できのいい写真をプレゼントしたりすると、すごく喜ばれ、思いがけず、いいことした気分に即なれる。年配になると、気分のいいことしたと思えることなんて、そうザラにはないのに。

たとえば。カメラを持って、いい被写体がないかとウロウロ歩くことで、感性が磨かれ若くなり、体が鍛えられ、心が生き生き元気になる。

たとえば。気に入った写真が一枚撮れるごとに貼っていくアルバムなんか作っていると、そのアルバムに写真が増えるのが楽しみになり、大げさに言うと、目標のある人生の生きがいになる。やがて写真展でも開こうかなんて気持ちが湧いたら、もうワクワクしてたまらないのだ。

「うわぁ、大きなカメラ」

このように、写真を撮る効用は、たくさんある。あなたも、カメラを持って、出かけてみませんか。もっとも、時代は変わっているという経験を先日した。

公園を散歩していたら向こうから5歳くらいの元気な子が来る。で、いつも腰のポーチに入れている小さなコンパクトデジカメを向けた。アマゾンで3,500円で買った中古の小さなカメラだ。それを見たその子がいきなり言った。「うわぁ、大きなカメラ」。そんな時代だ。(写真家、土浦写真家協会会長)