火曜日, 5月 13, 2025
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満天の星 大曲のSPRING FESTA《見上げてごらん!》2

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「SPRING FESTA」のプログラム表紙(左)と「新作花火コレクション2022」の出品花火師

【コラム・小泉裕司】何十年ぶりだろう。最後は家族でキャンプだったのか、テーマパークだったのか、とにかく思い出せないし、今後もないはずだったGW旅行。コロナ禍、恐る恐る出かけた先は秋田県大仙市大曲。実は昨年11月、「大曲の花火実行委員会」は2022年度の花火大会の年間日程を発表、その第1弾は4月29~30日の2日連続と知り、早速、宿を手配していたのだ。

訪れた「SPRING FESTA(スプリング フェスタ)大曲の花火」は、「再始動」をテーマとして「新作花火コレクション」と「春の章 世界の花火・日本の花火プログラム」の2夜連続、合計1万3千発を打ち上げる豪華プログラムだ。

初日の「新作花火コレクション」は、45歳以下の若手花火師の登竜門となっている競技大会。茨城県からは昨年に続き、㈱山﨑煙火製造所(つくば市)の山﨑智弘さんが出品した。予報通り、冷雨の中で行われた競技は、今野貴文さん(大仙市)が総合優勝。土浦全国花火競技大会「創造花火の部」で16回優勝している老舗煙火店㈱北日本花火興業の5代目候補として、各地の競技大会で実績を積み上げている。

私のお気に入りは、アイデア豊富な芳賀火工(宮城県)の石村佳恵さんの花火。今回も、同県出身の羽生結弦選手の氷上4回転半ジャンプを時差式花火で夜空に見事に描ききり、新作花火の部準優勝を受賞した。

私が所属する日本花火鑑賞士会は、当夜鑑賞した会員によるスマホ投票で「会長賞」を決める。私は迷うことなく地元の山﨑さんを一押ししたが、受賞は次回以降に持ち越しとなった。次代を担う若手花火師の止まらぬ挑戦に胸を熱くしつつ、ホテルに戻り冷えた体を温泉でリハビリし、翌日に備えたのである。

みんな、この日を待ってたんだよね

2日目は絶好の花火日和。3年ぶりの開催となった「春の章」は、日中から多数のカメラマンが土手上に位置取りしていた。「みんな、この日を待ってたんだよね!」

今回のメーンプログラムは、日本煙火芸術協会60周年記念事業花火だ。まるで「日本花火物語」と言っても過言ではないほど、過去から現在に至る花火技術の進化を凝縮した構成は圧巻。究極とも言われる五重芯菊や様々な色の小花を咲かせる千輪菊、回転しているかのごとき時差式花火など、一玉一玉が半端なく高品質で花火博覧会のごとし。

当協会は、競技大会で優勝経験のある煙火業者29社で構成し、茨城県からは野村花火工業㈱(水戸市)や㈱山﨑煙火製造所など4社が加盟している。

「大曲の花火」は全演目が終了した後、南こうせつさんの「満天の星」(作詞・岡本おさみ、作曲・南こうせつ/1995年発売)が流れる中、雄物川をはさんで花火師さんと観客がトーチや電灯を振り合い、エール交換を行うのが恒例。花火旅に巻き込んだ「相棒」とともに、対岸の花火師さんに「ありがとう、大曲」の思いを込めて懐中電灯を振り返した。

久々のGW旅行は、「相棒」も満喫したようで、まん丸の菊型花火のごとく大団円なり。本日はこの辺で「打ち止めー」。「ドン ドーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

<参考動画> スプリングフェスタ「春の章」ダイジェスト

TX県内延伸で何が実現するのか 《茨城鉄道物語》23

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つくばエクスプレス

【コラム・塚本一也】前回のコラム「TX延伸ルート選びに必要な視点」(4月8日掲載)では、国家プロジェクトの行方に迷いが生じたときには「そもそも論」に立ち返ることが重要であると述べました。そこで今回は、延伸先選びの視点をいくつか示してみます。

茨城空港を「国際空港」にするには?

第1の「そもそも論」は、首都圏の羽田・成田国際空港はいずれ「満杯」になることが予想されるため、第3の国際空港として、茨城空港の機能をアップすることです。TXが茨城空港に伸びるだけでなく、羽田との直通運転が可能となれば、首都圏の様々な航空需要に応える能力を備えることになります。

国際化が格段に進むであろう10~20年先を見据え、また甚大な被害をもたらす大規模災害を想定したバックアップ機能として、TXを首都圏の重要交通インフラに位置付ける視点です。

アジアの大手LCC(格安航空)会社に茨城空港を使ってもらおうと、県がその社長を現地へ招いた際、「TXでも乗り入れてくれるなら就航させてもいいですよ」といった発言があったそうです。彼らは、TXの茨城空港乗り入れが実現すれば、使い勝手が悪い成田便を茨城便に切り替えるのではないでしょうか。

しかし、この構想に問題がないわけではありません。茨城空港は航空自衛隊の飛行場ですから、現状では滑走路使用に制限があり、成田並みの国際便受入は無理です。でも空港の周辺には平坦な土地が豊富にありますから、やる気になれば滑走路拡張は可能です。

もう一つの問題は、競争相手として米軍横田基地があることです。元都知事の故石原慎太郎氏は、横田基地の軍民共用構想(首都圏第3国際空港化)をぶち上げ、同基地への高速鉄道乗り入れを準備しました。しかし、共用交渉は進んでいません(茨城空港にチャンスがあります)。

水戸を「東京通勤圏」にするには?

第2の「そもそも論」は、北部延伸によって県内経済を活性化するために、水戸市とつくば市をTXでつなぐというインフラ整備構想です。その沿線が活性化するだけでなく、常磐線とのコラボレーションによって、水戸~東京が「1時間圏内」になるでしょう。水戸地域がごく普通の「東京通勤圏」に入るということです。

TX延伸先絞り込みは関心を呼んでいますが、当事者の1人、つくば市長は関心が薄いと聞きます。TX延伸が都市機能を拡大すること(第3の「そもそも論」)が分かっていないようです。つくば市内には「県立高校が少ない」という声がありますが、土浦方面に伸びれば、土浦市内の高校への通学が容易になり、教育圏が拡大します。

政治や行政を担当する者にとって、インフラ整備と財政運営は基本中の基本です。視野を広く持ち、鉄道や道路で他市とつながり、自らも発展するという構想が必要ではないでしょうか。私事によりこのコラムを少しの間休載します。再開の際には、またTXの話をしたいと思います。(一級建築士)

障害者もヨットやボートで遊べる 《夢実行人》8

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3年前の「誰でも楽しもう霞ケ浦」子供の日大会の様子=土浦市川口、ラクスマリーナ

【コラム・秋元昭臣】霞ケ浦遊覧船運行やヨット・ボート係留をしている会社「ラクスマリーナ」(旧土浦京成ホテル・京成マリーナの事業を継承)では、年4回の「誰でも楽しもう霞ケ浦」イベントを開催しています。

1997年、同系列の犬吠埼京成ホテル(現犬吠埼ホテル)が客室を増築した際、同ホテルを「バリアフリー」にしようと、車椅子でも利用できるホテルに改装したのがきっかけでした。

その3年後、同ホテルは「天然温泉黒潮の湯」をオープン。当時では珍しいバリアフリー温浴施設を設けたところ、地域の高齢者や観光客が大きく増えました。そして、翌年には全館バリアフリーに改装されました。それが、同系列の土浦京成ホテル・京成マリーナにも及んだわけです。

改装前、車椅子ではマリーナの2階へ上がれませんでしたが、現在では可能です。また、多目的トイレも2カ所設置、国内でも有数のバリアフリーな施設になっています。

でも、ハード面のバリアフリーだけでは、カヌー・ヨット・モーターボートを誰もが楽しむことができません。そこで勉強会を開き、課題解決に取り組みました。その一つが、JR土浦駅からのアクセス改善です。駅員の協力を得て、視覚障害者用の音声・点字案内を設け、介助者なしでもマリーナに来られるようにしました。

3年前の子供の日大会

4回の「誰でも楽しいよね」大会

京成マリーナの社員はホテルのバリアフリー研修会にも参加して、介助のノウハウなどを学びました。そして、「誰でも楽しもう霞ケ浦」というキャッチフレーズを掲げ、2005年から年4回、障害者も参加できる「安全祈願・寒風大会」(1月)、「子供の日大会」(5月)、「海の日大会」(7月)、「体育の日大会」(10月)を開催してきました。

昨年まではマリーナが主催していましたが、今年から「B&G土浦海洋クラブ」の主催になり、ラクスマリーナは共催で参加しています。それぞれの大会には「海洋レジャー安全・振興協会」(小型船舶操縦士免許試験機関)も加わり、土浦警察署に警備艇を出してもらい安全を確保しています。

「誰でも楽しもう霞ケ浦」の理念は、「国籍・年齢・性別・障害の有無に関わらず、お互いに助け合い、安全に楽しくマリンスポーツを体験する」です。今年の「寒風大会」、「子供の日大会」は終わりましたが、障害者カヌー「パラマウントカヌー in 茨城」(6月4日)、「海の日大会」(7月10日)、「体育の日大会」(10月9日)はこれからです。(元ラクスマリーナ専務)

問い合わせ先> 電話:029-822-2437 メール:info@lacusmarina.com

入院で高額療養費制度を使う 《ハチドリ暮らし》13

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ジャガイモ畑

【コラム・山口京子】4月に連れ合いが8日ほど入院しました。医療費の総額は約50万円、そのうち自己負担は3割の約15万円でした。ですが、高額療養費制度を使うことによって、実際の支払額は66,800円でした。

事前に、市役所の国民健康保険課に行き、「健康保険限度額適用認定証」を申請しました。高額療養費の限度額は本人の所得によって変わるので、限度額を知ることが大事です。その額と高額療養費の対象にはならない項目(食事患者負担額、差額ベッド、日用品レンタル代など)を加えて、支払額が算出されます。

4人部屋に入りましたが、差額ベッド代はかからず、日用品費の支払いは別でした(4人部屋でも差額ベッド代が取られることがあるので事前の確認が必要)。なので、病院に払ったのは高額療養費限度額57,600円と食費9200円(1食460円×20食)だけでした。これに日用品レンタル代と雑費12,000円を加えても、総費用は8万円弱でした。

医療保険はチェックが必要

以前、終身医療保険に加入した場合、支払う保険料の総額がいくらになるのか、一生のうちに何回くらい入院するのか―などについて調べたことがあります。わが家の場合、連れ合いが加入していた医療保険の月額保険料は約5000円、30歳から80歳まで入っていた場合の総額は300万円になります。保障は入院日額5000円と手術給付金でした。

ですが、定年を機に解約したので、実際は210万円程度を払ったことになります。それに対して、30歳以降の入院歴は4回、入院日数は延べ33日。支払った医療費の実費は約30万円。公的医療保険制度や健保組合の療養付加金のおかげで、自己負担はかなり軽減されました。

突然のケガや病気による入院や手術は予想外であり、不安が募ります。「お守り」として保険に加入する人も多いのでしょう。ですが、医療保険加入にあたっては、医療費に充てる備えに不足があれば、その不足を保険で補うという整理をします。

どの程度を想定するかは、①公的医療保険制度の仕組みや健保組合の福利厚生を知る、②わが家の家計を把握する、③本人はどういう治療を希望するのか―などを踏まえた判断になるでしょう。元気なうちに家計のたな卸しや、病気に対する心構えをしておきたいと思いました。(消費生活アドバイザー)

「ゲルニカ」を思い出すとは… 《続・平熱日記》109

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【コラム・斉藤裕之】玄関の壁に1枚の薄汚れた色紙が飾ってある。もう大分前のことになるが、ある古物屋でのこと。特に興味もなかったのだが、色紙がぎっしり詰まった箱に何となく手を伸ばした。レコードを探すように、手前から次々と引き出して見ていた。と、引き抜いた1枚の色紙を見た瞬間、「これは!」と手が止まった。値段を聞くと、どれでも10円だという。

持ち帰った色紙はピカソのドローイングだった。ハト、その中に顔が描かれている。ペンで一息に描かれた線は天才の引いたものだと、一瞥(いちべつ)しただけで分かった。画集やカタログなどで調べてみると、確かに書き入れられている年にピカソは来日している。また、よく似た絵柄も確認できた。だが、ピカソの絵が10円で売っているはずがない。多分印刷だろうと思って、ルーペで拡大してみたが…。

パリにいたときは、すぐそばにピカソ美術館があってよく通った。スペインでもピカソの美術館を訪れた。よくピカソについて質問される。大方の場合、ピカソはうまいのか否かの質問なのだが、何と答えていいかいつも戸惑ってしまう。「太平洋は広いのか?」と聞かれているように。

絵画というよりプロパガンダ

これがうわさに聞く「ゲルニカ」か。長女をベビーカーに乗せてスペインを貧乏旅行した折に訪れた、マドリードのソフィア王妃芸術センター。防弾ガラスに収まる「ゲルニカ」は想像したものより大きく、モノクロームで力強くスピード感にあふれていた。

まさに彼にしか描けない美術史上重要な代表作であることは確かだが、絵画としてよりもむしろプロパガンダという側面を感じずにはいられない。戦争を描くのは大変繊細なことだ。当時すでに高名であったピカソは、様々な理由からこの絵を描かざるを得ない状況にあったといわれている。だが、発表された作品の評価はイマイチだったとか。

その後教科書にも掲載され、万人の知るところとなるわけだが、21世紀の今、こんなかたちで思い出すとは…。

「日本の幸せと平和のために」

「日本で一番大きい島はどこじゃ?」「佐渡!」「沖縄!」…「正解は国後島じゃ!」。45年前、高校1年最初の地理の授業の記憶。ワールドカップでロシアはヨーロッパ予選に入っているが、東の端は日本の目の前。今、はるか西で起っている惨事は文字通り対岸の火事ではない。

我が家を訪れた人のほとんどがこの色紙に気付かない。「これピカソ?」。以外にも気付いたのは、美術にほとんど興味がないと思われる義兄だった。ゲルニカのものとは違って、優しいふっくらとした線。色紙にはフランス語で「日本の幸せと平和のために」と書かれている。(画家)

ウクライナ人が書いた「プーチン幻想」を読む 《邑から日本を見る》111

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孫も手伝う谷津田の田植え

【コラム・先﨑千尋】ロシアのウクライナ侵攻(侵略)から2カ月以上経つ。プーチンが当初考えていた数日間での占領はかなわず、いつどのような形でこの戦争が終わるのかに焦点が移った。今日(5月9日)はロシアの対独戦勝記念日だそうだが、プーチンはどのような演説をするのだろうか。

ロシアのウクライナ侵略開始前から不思議に思っていたことの一つに、アメリカのバイデン大統領が「プーチンがウクライナへの侵攻を決断したと確信している」という類の情報を流し続けてきたことがある。米政府は、侵略後も、ロシアの攻撃状況や兵力、後方支援の問題などの機密事項と思えることを、それこそリアルタイムで刻々公開してきている。さらに、ミサイルや新兵器などを次々にウクライナに提供し続けている。

実質的にロシアとアメリカの代理戦争ではないかとすら思える。もうかるのはアメリカなどの「死の商人」だけだ。国連は無力であることも証明された。

先日、脱原発を目指す首長会議に出席した折、世話人の1人、三上元・元静岡県湖西市長から「この本が面白いよ」と、グレンコ・アンドリー「プーチン幻想」(PHP新書)を紹介された。著者はウクライナ人。翻訳ものではなく、著者が日本語で直接書いている。本の帯には「かつてウクライナは、世界三位の核保有国だった。しかし『非核三原則』を掲げ、あげくはクリミアをロシアに奪われた。日本在住のウクライナ人が、平和ボケ日本人に贈る警告の書。プーチンに騙(だま)されるな!」とある。

なるほど面白い。小説を読むときの面白さではなく、初めて知るロシアとプーチンの世界。新書だから一気に読める。3年前、安倍首相の在任中に出版された本だから最新の情報はないが、本書は「日本人が知らないプーチンの正体」「ロシアは『約束を破るために約束をする』」「ウクライナの教訓-平和ボケと友好国への妄信が悲劇を招く」から成り、読めば、プーチンとはこういう人なのだということが分かる。

侵略前のプーチン像は100%ウソ

柔道や秋田犬などから、プーチンは親日、プーチンは反中、プーチンはロシアや東スラブの伝統文化を目指す保守主義者、プーチンは国際金融資本と戦っている勇者という、ウクライナへの侵略前の日本人のプーチン像は100%ウソ、と著者は最初に断じる。そして、そういう説がなぜ間違いなのかを著者は次々に論証、立証している。その筋道がはっきりしているのが面白いゆえんだ。

プーチン体制はいかにして出来上がったのか、責任の半分はアメリカにある、アメリカはソ連の崩壊を望まなかった、インターネット空間も徹底的にコントロール、プーチンと側近による国家の私物化、人を殺してもよいという考え方、安倍政権の対露外交は間違っている―などのフレーズは、今読んでみるとホントによく分かる。

日露間の北方領土問題は当分棚上げされるだろうが、著者の主張は「北方四島は不法占領されているのだから、『返ってくる』ではなく、『取り返す』『返還させる』だ。早期に解決しなければならない理由はない。千島列島も南樺太も係争地なのだ。唯一の解決策は占領状態の終了」と明快だ。政治家や外務省の人たちだけでなく、多くの日本人に読んでもらいたい本だ。(元瓜連町長)

時間の使い方を法で縛ること 《つくば法律日記》21

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堀越さんの事務所があるつくばセンタービル

【コラム・堀越智也】2年ほど前、香川県でネット・ゲーム依存症対策条例が施行されて話題になりました。18歳未満を対象として、ゲームの利用時間を1日60分、休日は90分までとし、スマホは中学生以下が21時まで、それ以外は22時までとする目安を設け、家庭内でのルール作りを促す―というものです。

賛否両論あったことは想像に難くありません。しかし、この条例施行からたった2年の間でも、ネットによる誘惑が日に日に増えているように感じ、誘惑に負けないように工夫している自分を思うと、条例を作らなければと考えた気持が分かります。

大人も子供も、スマホでゲームやネットサーフィンやSNSを楽しんでいます。僕らが子供のころ、ファミコンは1時間までと親にルールを作られ、それなりに守っていたように思えます。しかし、ファミコンはあえてやろうとしなければできませんが、スマホは手元にあり、ほぼ無意識に利用してしまいます。

そんなスマホの利用を、子供の意思だけでコントロールすることは、容易ではなさそうです。

受験生の間では、スマホ断ち、SNS断ちという言葉があるようで、できる子供はできるのだと思います。それでも、大人も子供も、この誘惑の多い社会で、やるべきことに集中して成果を上げるには、強い意志と秀逸な工夫が必要です。

時間を無駄に使うと寿命を縮める

時間術に関するビジネス書の大半は、スマホやSNSとの付き合い方について触れています。僕もネットのニュースを見る時間を決めたり、プロ野球の開幕前には、スポーツ中継専門チャンネルを解約するなどの工夫をしていますが、それでもネットの誘惑に飲み込まれそうになります。

先日、勉強のためにという言い訳をしながら、投稿された数秒の動画が次々に出る某アプリをインストールしましたが、面白くて永久に見ていられるのではないかという恐怖を覚え、封印しました。

100歳まで生きる時代と言っても、人生には限りがあります。堀江貴文さんがよく書いていますが、時間を無駄にすることは、寿命を縮めるのと同じです。誘惑が多いせいで損する時間を100年から差し引くと、いくつになるのか計算してみたくなります。

確かに、どの時代にも誘惑はあり、1つの誘惑でも膨大な時間を無駄にします。しかし、アリストテレスが生きていた古代ギリシャと比べたら、はるかに多くの誘惑があり、時間を無駄遣いする要素であふれています。ネットがなければ生まれていたはずの哲学者の生まれ変わりが、生まれないままになっているかもしれません。

そんな訳で、ネットの誘惑から法で国民を守ることの賛否はともかく、ネットの誘惑に負けそうになったとき、それを見ている時間、アリストテレスだったら勉強しているぞと自分に言い聞かせて、誘惑を撃退したいと思います。(弁護士)

ユーチューバー、そんなにダメ 《続・気軽にSOS》108

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【コラム・浅井和幸】第一生命が3月16日、第33回「大人になったらなりたいもの」の調査結果を発表しました。子どもたちの考えは、社会、大人、親、学校などの影響を受けるので、とても興味深いものです。いろいろと空想して遊ぶのも悪くないですね。

この中で、医療関係者が人気と見出しにもなるのは、このご時世だからでしょうか。小学生男子、中学生男子女子、高校生男子女子の一番人気が会社員というのも、面白いなと感じますよね。職業、職種、業種―大人でも迷うというか、わからないものですね。

会社員とは書くけど団体職員はないのかな、なんて考えるのは、私がひねくれているからに他ならないわけです。会社員というのは、デスクワーク、事務職、ネクタイ、スーツとか、そのあたりをイメージしているのでしょうか? 安定した給料や解雇されにくい正社員という意味合いが強いのでしょうか?

ここの部分は、親から、学校から、テレビからの影響が強いのでしょうね。会社員イコールちゃんとしている人というイメージはあります。でも、そうだとすると、公務員の方が上のような気もします。そうではないとすると、不祥事がマスコミで取り上げられて印象に残っているとか、会社員の方が給料が高いイメージがあるのでしょうか。

「ふざけた人間がなるような職業…」

興味深いランキングの中、ちょっと古いかなと思っていましたが、まだ残っていましたね。ユーチューバー。小学生の男子、女子と中学生男子に。残っていたというよりも、年齢を経るにつれて減っていっていますね。女子の方が早熟?

昨年のランキングと比べると、今年は順位が落ちている感じがしますね。ちょっとずつ大人の言うことを聞くようになっているのでしょうか? ユーチューバーなんか、あんなふざけた人間がなるような職業ダメよ、と。

でも、宇宙飛行士、野球選手、パティシエだったら、夢があって良いねぇなんて言うのですよね。安定していなくても、大人もあこがれていると、「夢があって良い」という評価になる典型です。

だから、将棋やゴルフで若いヒーローが出ると、こぞって自分の子どもに勧めたりして…。商売敵が多い「レッドオーシャン」だから、リスク高いですよ~と言っても耳に届きませんね。

ユーチューバーは、ユーチューブのシステムの中で完全な下請け業者なので、親会社が勝手に収入減を決めてしまうリスクがあります。商売をするのであれば、自社製品も含めて、収入源は分散している方がリスク回避ができます。(そういう意味では、会社員も、嫌な上司とか無茶な働かせ方をする場が一つしかないとなるとリスクは大きいですね)

ユーチューバーの労働組合が出来る動きもありますが、どうなるでしょうか。今回は、まとめずに、このまま締めましょう。(精神保健福祉士)

こどもと一緒に本を読むということ② 《ことばのおはなし》45

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【コラム・山口絹記】一緒に本を読む、というのは不思議な行為で、即興演奏のようなところがある。基本は私が朗読しているわけだが、娘も慣れたもので文章の途中でも平気で飛び込んでくるのだ。

7年も一緒に本を読んでいれば、なんとなくお互いの呼吸がわかるものだ。「つまりこういうことだよね」と、娘の解釈&要約が始まれば、「パパはこう思うんだけども」と議論になる。話が終われば、何事もなかったかのように朗読に戻るのだが、先ほどの会話も踏まえた適切な位置から文章を継ぎはぎして、なおかつ議論の要約や確認を織り交ぜながら再開する。

「さぁ、読み始めようか」といった掛け声はいらない。2人の会話と物語は地続きで、現実の世界に物語があるとも言えるし、物語の中に2人がいるとも言える。シームレスにつながっているのだ。

もちろん、読んでいて「あー、コレは理解できてないだろうな」という瞬間もたびたび訪れる。しかし、娘も一時的にわからないことには慣れているので、そうそう待ったはかけない。娘の中でも、話の途中でいちいち止めていたらきりがない、という一線があるようなのだ。とはいえ、何度も同じ単語が出てくれば諦めて聞いてくる。

例えば、「猫又(ねこまた)って何?」と聞かれれば、私も「あぁ、猫って長生きすると妖(あやかし)になるんだよ。実家で一緒に暮らしてた猫も20年くらい生きていなくなっちゃったから、たぶん妖になってどこかで暮らしてるんだろぁなぁ。パパが通っていた大学の近くで、昔、猫又が集まって踊ってたって場所もあったよ」といった感じで説明をする。

「忠臣蔵って何?」と聞かれれば、その日のお風呂は忠臣蔵談義になり、孫悟空がわからなければ「じゃあ『西遊記』読んでみようか」というおはなしになるのだ。

こういった、いわば名前的なものは簡単だ。わからなければ説明してもよいし、それに関する本をもう1冊同時進行で読み始めることもある。わからないことは増え続けるが、大切なのは諦めないことだろう。

共有する語彙を増やす

問題は、「教養」や「精神」のような単語だ。こういった単語については、私は徹底的に自分なりの考えを伝えることにしている。娘は私の説明と、物語からくみ取った意味を織り交ぜて吸収し、そしてまた一緒に考えるのだ。

こうして共有された語彙(ごい)というのは、私と娘が会話するときに使える新たな概念になる。親子と言えど、しょせん完全に理解しあうなんて不可能なのだ。私は娘のことを思っているほどよく知らないし、娘だって私のことは実はよくわかっていないはず。

成長すればするほど、その溝はもっと深まっていくのだろうが、その溝を乗り越えてわかりたいと思い続けるのが愛情であって、そのメインツールはことばなのだ。

読書を通じて何かを学んでほしい、などと生ぬるいことを言っている余裕は一切ない。少しでもお互いの見解を知っている語彙を増やしておきたい。そんなことを考えながら、今日も一緒に本を読んでいる。(言語研究者)

マスクで「こえわずらい」《くずかごの唄》107

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】
「声がうまく出ないんです。どうしたらいいでしょうか? 医院に行くのもいやなので、薬屋さんに聞きにきました」

「すごく厚くて、いいマスクしていらっしゃいますね」

「そうなの、特別厚い、いいマスクですって、友達からもらったのよ」

「厚いマスクに合わせて、最近、大きな声を出していらっしゃいませんか?」

「うちのおじちゃんもおばあちゃんも耳が遠いから、マスクして聞こえるようにしゃべるのが大変なんです」

「ご両親と同居していらっしゃるのね、家ではマスク外していてかまわないと思うんですけれど」

「高校生の娘がうるさいんです。いま学校でコロナのクラスターがはやっているので…」

コロナの流行が若い人たちに広がって、高校生も対応に頭を痛めているのだ。

「娘さんを説得して、家ではマスクを外すか、薄いのにしては? アメをなめるとか、緑茶でうがいをするとか」

「えっ緑茶ですか?」

「そういうときは、強い消毒薬のうがいは皮膚を刺激しますので、避けた方がいいです。緑茶はタンニンも入っていて、喉にもいいと思いますけどね」

「マスク障害」もばかにならない

マスクも2年、3年も続けていると、ツラの皮の厚い人はともかくも、薄い人は皮膚炎に似た症状が出たり、急に気温が上がったりしたときに、アセモができてしまったりする。

「気温障害」に伴って「マスク障害」もばかにならない。ツラの皮の薄い人は夏のマスクに気を付けた方がいいのだ。

そういうとき、高価な消毒薬や高価な

ウエットティッシュを使って、早く直そうとする人種が多い。高価なものは効果があると思い込んでいる節がある。

皮膚炎、声患い。医者に行くほどでもないのなら、家庭にあるものを使い、なるべく皮膚と喉を刺激から守って様子をみる。1週間刺激を避けて、悪くなるようなら医者に看てもらう。

人類がこれほど長い間マスクをつけるのは、人類の歴史始まって以来の試金石。うまくマスクと付き合うしかないのだ。(随筆家、薬剤師)

春の野の花が教えてくれること 《遊民通信》40

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ネモフィラ、ナガミヒナゲシ、ツツジ(左から時計回りに)

【コラム・田口哲郎】
前略

天気がすぐれない日が続いていますが、春真っ盛りですね。桜が散ってしまっても、花がちまたに咲きみだれています。阿見町の阿見プレミアム・アウトレットに行ったら、ネモフィラが咲いていました。ひたち野うしく駅前ではツツジが満開です。そして道端には、ナガミヒナゲシが鮮やかなオレンジ色をあふれさせています。

野の花といえば、新約聖書の一節を思い出します。「今日は生えていて、明日は炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる」(マタイによる福音書6.30『フランシスコ会訳新約聖書』)。イエスは着る物をどうしようかあれこれ思いなやんでいる人々に、こう言いました。神は花のように人間をありのままでも美しくつくってくれたんだから、いろいろ不安にならなくてもよいよ、というメッセージです。

しかし、この短い一節にはもうひとつのメッセージがあります。美しい野の花も枯れれば明日はゴミに出されて焼かれるということ。命ははかない。神は人間を美しくつくったけれども、命には限りがあることをストレートに表現しています。これは桜の花のはかなさを味わう日本人のこころと通じますね。

花は桜だろうと、道端のなんでもない花でも、人間に何かを教えてくれます。ふと思うのは、毎年当たり前みたいに見ている花でも、来年見られる保証はないということです。花は人間がいなくなっても咲き続けるでしょう。この場合、人間のほうのはかなさの問題です。

不安になったら思い出すニーバーの祈り

イエスが、大丈夫!と言っても、生きる不安は簡単に消えるものではありません。どうすればよいのか?と問う民衆にイエスは答えます。祈りなさい、と。そしてイエスは民衆に祈りを教えます。これが、仏教でいう般若心経のごとく、キリスト教の大切な祈り、「主の祈り」です。主の祈りは解釈が少々難しいので、今回は別の、とても美しい祈りを紹介したいと思います。「ニーバーの祈り」と呼ばれる祈りのはじめの部分です。

神よ、変えることのできないものを、平穏なこころで受け入れるために、あなたのいつくしみをわたしたちに与えてください。変えるべきものを変えられる勇気を与えてください。そして、変えることのできないものと変えるべきものを見分ける賢さを与えてください。

この祈りは作者不詳ですが、もともと負傷した軍人を励ますものだったのを、ニーバーというプロテスタント神学者がアルコール依存症患者の更生プログラムのために用いて広まったと言われています。人生にはジタバタしても仕方ないことと、努力してなんとかなることがあるようです。それを静かに見分ける賢さは野の花が美しさとともにわたしたちに教えていることなのですね。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

国連・安保理 改革が必要に 《雑記録》35

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【コラム・瀧田薫】国連安全保障理事会(安保理)・常任理事国であるロシアがウクライナに侵攻した。明らかに国連憲章違反である。しかし、安保理はこれをとがめることができなかった。安保理の機能不全、この問題は今に始まったことではない。過去、何度も改革の必要が指摘されてきたが、常任理事国側の抵抗にあって実現していない。

イラク戦争時、米国が主導して安保理決議に基づく多国籍軍を編成した事例があったが、今回の対象国はイラクではなく、安保理常任理事国のロシアである。そこで、安保理決議を経ずに米軍主導の多国籍軍を編成する策も検討されたが、バイデン米大統領が第3次世界大戦の可能性を否定できないとして回避した経緯がある。

ところで、4月26日、国連総会に安保理改革案が提案された。その内容は、「安保理で常任理事国が拒否権を行使した場合、総会において拒否の理由について説明する責任を負わせる」というものだ。リヒテンシュタインが主導して起草し、米英仏のほか日本やドイツ、ウクライナなど、国連加盟国193カ国中80カ国以上が共同提案国に名を連ねた。

一方、ロシアや中国はこれに加わらなかった。総会での採択では、提案に対する投票を求める声は上がらず、総会の総意として採択され成案となった。決議の具体的内容は、常任理事国が拒否権を行使した場合、国連総会議長に対し、総会を招集し、拒否権を行使した国に説明を求めること、同時に安保理に状況報告文を提出するよう呼びかけることを義務付けるというものであった。

残念なことに、総会に出席して理由を説明するか否かは、拒否権を発動した国の判断に委ねられるという不徹底なものであり、実効のあるものとは到底思えない。

常任理事国が他国に武力侵攻するとは!

これに対して、今後の安保理改革の手掛かりになりそうな動きもあった。非常任理事国のノルウェーは「安保理におけるロシア非難決議に際して、ロシアは棄権すべきだった」と発言し、その論拠が国連憲章第27条にあることを示した。実は、第27条には「紛争当事国は投票を棄権しなければならない」との規定がある。これを素直に読めば、今回のロシアに該当するはずであった。ただし、これまで、この第27条が発動された事例はない。

もともと、安保理において、常任理事国が武力をもって他国に侵攻すること自体が想定されていなかった。今回のロシアによる武力侵攻はその例外が実際に発生したということであり、その意味で、安保理の機能不全、ひいては国連の制度疲労が極限に達したということになる。

これまで、日本政府はドイツ政府と連携して、「常任理事国の枠の拡大」を主張し続けてきたが実現していない。今回、ノルウェーの提案を積極的に支持するとともに、「準常任理事国」を創設する選択肢を議論の俎上(そじょう)に乗せるなど、積極的に動くべきであろう。国連憲章に通底する憲法を保持する国として、日本ほど国連を立て直す役割にふさわしい国はない。(茨城キリスト教大学名誉教授)

つくば市の「善政」に強い違和感 《吾妻カガミ》132

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】市委託事業の事業者公募で新参者が選ばれ、これまで従事していた古参者が外された。ところがこの事業の利用者たちが、慣れ親しんだ事業者でないと困ると、市に抗議。困った市は予算を倍増し、古参者に事業を継続させながら、新参者にも類似の事業を開始させた。市は「三方良し」で問題を処理。利用者も古参者も新参者も皆ハッピー!

2~3カ月前、つくば市でこんなことが起きました。一見「善政」に思えるかもしれませんが、このおかしな決着に強い違和感を覚えています。詳しい経緯は「運営事業者の継続を求め陳情 不登校の学習支援拠点…保護者会」(1月20日掲載)、「新年度も運営事業者継続へ…つくば市が追加提案」(3月3日掲載)をご覧ください。

揺らぐ「調達の仕組み」への信頼

違和感その1は、提案型公募の選定結果を市が自ら覆したことです。事業委託者に新参者を選んだのは、古参者よりもサービスが優れていると判定したはずなのに、新参者を不安に思う利用者に対し、そのサービス内容を説明したのでしょうか? 新参者のサービスが提案内容よりも劣る場合は、新参者との契約を解除して委託先を古参者に戻すから、心配しないで大丈夫ですよ、と説得したのでしょうか?

事業提案型にしても価格入札型にしても、モノやサービスの調達(プロキュアメント)は公的機関にとって大事な仕事です。選定作業が正しく行われたとしての話ですが、それに落ちた事業者が簡単に復活するようでは、調達の仕組みに対する信頼が揺らぎます。

違和感その2は、正式に選ばれた新参者からの反発を恐れたのか、ほぼ同額の予算を付けて、新参者にも類似の事業を委託したことです。その結果、市がこの事業に支出する予算は当初予定のほぼ倍になりました。それが2千万円強でも「アリの一穴」となり、「善政」は安易な財政運営につながります。

違和感その3は、市の正式決定であっても、受益者が強く文句を言えば、「善政」が期待できるという前例が出来たことです。これにより、正式な手順はあくまでも仮のものという印象を多くの市民は持つでしょう。事業者も公式な手順を軽視するようになり、市政の混乱は避けられません。

「3方良し」でなく「3方悪し」

調達制度への信頼低下。場当たり的な予算付け。手順軽視の行政迷走。つくば市の「善政」は、よく考えると「悪政」と言えるでしょう。新参者・古参者・利用者への「3方良し」は、調達制度・財政措置・行政手順に対する信頼を損なう「3方悪し」ではないでしょうか。

以上は、選定が正しかったことを前提にした議論です。選定がいい加減なものだったとすれば、利用者が文句を言うのは当然です。新年度に入りましたので、利用者は新参者と古参者のサービスを比べてみてください。新参者のサービスが古参者より劣るようでしたら、誤った判断をした市担当部局の責任が問われます。(経済ジャーナリスト)

「鎌倉殿の13人」の1人・八田知家と小田氏 《ひょうたんの眼》48

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特別展のパンフレット(左)と展示図録の一部=土浦市立博物館発行

【コラム・高橋恵一】土浦市立博物館の特別展「八田知家(はった・ともいえ)と名門常陸小田氏」は、知家や初期の小田氏に関する資料が少ない中で、幅広く情報収集を行い、展示資料もすべて翻刻版を用意するなど、展示の工夫がみられ、博物館の努力は称賛すべきものです。5月8日までの特別展も終盤になりましたので、前回コラム「常陸小田氏の土浦市展示に事実誤認あり」(4月20日掲載)で問題提起した私なりに、八田知家について、もう一度まとめておきたいと思います。

知家の父親は宇都宮座主(ざす)の八田宗綱(むねつな)で、領域南端の五行川と小貝川が合流する手前(筑西市)の「八田」に居館を置き、本拠地としていました。宗綱・友家親子は、保元(ほうげん)の乱で源義朝(みなもと・よしとも、源頼朝=よりとも=の父)に従軍し、知家は乱後も京で北面の武士を務め、小山政光の妻(寒河尼=さむかわのあま=知家の姉)は頼朝の乳母になっています。

宇都宮・八田(小田)一族と小山一族の結びつきは強く、1180年の頼朝の挙兵には、双方一族を挙げていち早く駆け付け、頼朝から信頼される御家人として、鎌倉時代を通して幕府を支えました。

頼朝は富士川の戦いに勝利すると、関東を抑えることを優先しました。当時、常陸国は平氏の知行国であり、大掾多気(だいじょうたけ)氏を本宗とする常陸平氏一族と那賀川以北を治める佐竹氏(源氏)は、頼朝追討の指示を受けており、反頼朝あるいは日和見の立場にありました。

頼朝は、常陸国の国府まで出向いて佐竹氏を降伏させ、鎌倉への帰途に「八田館」に立ち寄ります。吾妻鏡には「小栗重成(おぐり・しげなり)の小栗御厨(おぐりのみくりや)の八田の館」とありますが、御厨の荘官・小栗氏は自分の居館を持っているので、御厨エリアの中にある八田氏の舘を指していると考えます。源頼朝が立ち寄ったのは、より信頼できる八田氏の居館です。

頼朝は鎌倉に戻ると、八田氏領域の「茂木保」を知家に安堵(あんど)します。直前に佐竹氏から収公した領地を勲功者に配分していますが、隣接する八田・宇都宮領との境界の混乱を避ける意味があったのかもしれません。

筑後守、常陸介、紀伊守

1183年。常陸国信太(しだ)郡にいた頼朝の叔父・志田義広(しだ・よしひろ)の乱がおこり、小山一族が追い払い、八田知家も戦功を挙げます。志田義広の旧領のうち、知家は、信太荘,南野荘を与えられ、国府を挟んだ南郡の地は、下河辺氏に与えられます。知家は、南野荘西端に位置し、常陸国府と東山道や奥大道を結ぶ路線上にある小田に居館を構えて本拠とし、嫡子・朝重(ともしげ)から戦国時代末期まで「小田」を称します。

知家は平氏追討の後、常陸国守護職(しゅごしょく)となり、奥州攻めでは、東海道大将軍となり常陸の武士を率いて参戦しました。

鎌倉での知家は、大蔵御所(頼朝居館)の南御門前に屋敷を持ち、京からの要人接待にたびたび起用され、知家の京の所作に通じた見識は、頼朝に頼られたようです。頼朝が後白河法皇に会うため初上洛した際に、知家は遅参しましたが、頼朝は隊列構成などで相談したいと知家を待ち、全軍の鎌倉出発を数時間も遅らせ、知家の意見を取り入れてから出発したという話が吾妻鏡にあります。

常陸大掾本宗の多気義幹(たけ・よしもと)は、平氏追討や奥州征伐の後も、鎌倉政権へは距離を置いていたようでした。有名な曽我兄弟の仇討(あだうち)のとき、頼朝警護の動員がかかりますが、多気義幹はウソの動員と思い込んで参陣せず、謀反を疑われて没落しました。知家の陰謀とされていますが、仇討の日から逆算すると、策謀の日数はなく、義幹の失態と考えられます。

頼朝の死後、2代将軍・頼家を補佐する有力御家人を、尼将軍・政子(まさこ)が選びました。いわゆる「鎌倉殿の13人」で、八田知家はその1人です。また知家は、1203年ごろ「筑後守(ちくごのかみ)」に任官します。源氏嫡流以外の御家人が国守(こくしゅ)に任官するのは、北条時政の「駿河守」と並んで、一番早いのではないでしょうか。なお、嫡子・知重は「常陸介(ひたちのすけ)」、さらに「紀伊守(きいのかみ)」に任官しています。(地図と歴史好きの土浦人)

あの子は冷蔵庫に住んでいる 《短いお話し》2

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【ノベル・伊東葎花】

あの子は冷蔵庫に住んでいる。

きっと暑いのが苦手なんだ。

冷蔵庫に住んでいるけれど、中の物を食べたりしない。

ただ静かに、息を潜めているんだ。

最初の出会いは春休み。

プリンを食べようと冷蔵庫を開けたとき、あの子がいたんだ。

イチゴ模様のタッパーの上に、ちょこんと座っていた。

つぶらな瞳の可愛い女の子。

思わず見とれていたら「早く閉めなさい」とママに叱られた。

あの子は、ぼくにしか見えない。

パパが冷蔵庫から出したビールの缶に、あの子がうっかりくっついてきてしまったことがある。

水滴と一緒に張り付いて、冷蔵庫から出てしまったんだ。

パパは何も気にせずに、テレビを見ながらビールを飲んだ。

ぼくはそうっとあの子を手のひらに乗せて、冷蔵庫に戻してあげた。

あの子はホッとした顔で、お礼代わりに小さくウインクをした。

あの子はいろんな所にいる。

たまごの上、ジャムの瓶、お肉のパック、ヨーグルトの上。

あの子を見たくて冷蔵庫を開けていたら、やっぱりママに叱られた。

「早く閉めなさい」

五月を過ぎて気温が上がると、冷蔵庫はぎゅうぎゅう詰めになる。

あの子はコロコロ場所を変え、それでもちゃんと座っていた。

ある夜、すごい雷が鳴って、町中の電気が消えた。停電だ。

ぼくは何をおいてもあの子のことが心配だった。

「ママ、停電になったら、冷蔵庫の中は大丈夫かな」

「大丈夫よ。このくらいで腐ったりしないわ」

ママはそう言ったけど、ぼくは心配でたまらなかった。

真っ暗な中で怖がっていないかな。

溶けていなくなったらどうしよう。

しばらくして、電気がついた。たぶん3分くらいだったと思うけど、ぼくにはすごく長い時間に感じた。

真っ先に冷蔵庫を開けると……あの子がいなかった。

どこにもいない。まさか本当に溶けてしまったのかな。

「早く閉めなさい」とママに言われても、ぼくはしばらく動けなかった。

それからは、冷蔵庫を開けるたびに悲しくなった。

あの子がいない。あの子が消えた。

季節は夏に向かっているのに、ぼくの心は氷河期だ。

汗ばむ季節が来て、学校から帰ると「アイスがあるよ」とママが言った。

手を洗って冷凍室を開けると、ひんやりした空気の中につぶらな瞳が見えた。

あの子だ。あの子がいた。

氷の妖精みたいな白いドレスを着て、アイスの蓋にちゃっかり座っている。

そうか。夏が来る前に、冷凍室に移動したんだね。

「きみは本当に暑がりだね」

嬉しくなって何度も何度も冷凍室を開けていたら、やっぱりママに叱られた。

「早く閉めなさい」

あの子に小さく手を振ると、すました顔で無視された。

冷たいなあ~。(作家)

2×3は5でもいい 《写真だいすき》7

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海の記憶

【コラム・オダギ秀】ボクの人生は、ずっと、2掛ける3は6、を正解としてきた。ところが、そんなことにこだわってはならないのか、と思わせられることが起こった。これまでの人生を否定されたような、衝撃が走った。

ある日、写真の先生のボクは写真教室で、得々と生徒の作品の講評をしていた。「ここは入れないで、カットした方がいがっぺえ」と、いうようにだ。で、最後に「でも、カメラが傾いているから、カメラが曲がらず、真っすぐだったら、もっとよかったねえ」と付け加えたのだ。

すると、あるベテラン生徒が手を挙げて言った。「でも先生、許容量ってあるんじゃないですか」

はあっ! ボクは狼狽(うろた)えた。そうかあ、許容量の範囲なら、2×3は、5でも7でもいいのかあ。正しい答えにだいたい近ければ、当たりにしたほうがいいのかあ、と思った。

そんなに厳しく正解を求めなくとも、だいたい合っていればよし、とする優しさが、必要なのかも知れない。ボクは、何十年もスバリ正解を求めてきた。何をやってきたんだろう。

そういえば、数年前には円周率は計算がしやすい3にしようと、文科省も優しさを見せていた。ボクは、円周率3.14も、正解ではなくて、3.1415926535897932384626433832795……だって、まだダメなんだと思ってきた。ファジーな価値観を持つ人もいるんだ、と人生がひっくり返る思いで知った。

レンズ遠近感、色彩遠近感、空気遠近感

最近は、注目され販売量が増えて儲かることこそ価値があるとされているから、写真でもテレビなどのCMなどでも、色彩がケバく、目立って眼を引くものがとても多い。自然な色彩を美しく見せるのではなく、派手な眼を引く色彩に仕上げる。

だから、植物の色なども、人工的な、あり得ないほどドギツイ色になっていて、それをいつも見ていると、そんな色が正しい色と思うようになる。それを、当然のように「きれい」と言う、思う、信じる。色の差だとか、違いとか、色の持つ感情や心など、まったく関係なしになる。

たとえば遠近感というものには、様々な種類があるが、とくに写真が表現する遠近感で重要視されるのは、レンズの焦点距離による遠近感、色彩感からくる色彩遠近感、空気感がもたらす空気遠近感なのだが、レンズの焦点距離による遠近感のみしか意識していない人が多い。

だから、写真の奥行とか厚みとか深さの表現など気にもならない、というより、考えようともしない。だいたいこんなもんでいいだろうとか、これでもういいと納得する。(ありゃ、これはちょっと難しい話になっちゃったかな)

許容量ってのは、いいかげんにしていいってことなのだろうか。厳しい時代になったもんだ。(写真家、土浦写真協会会長)

<今日の写真>

水平線を水平に撮るというのは、基本中の基本。つまり、カメラを傾けないで撮影するということ。どんな大工さんも、家を建てるのに傾かないように建てることと同じ。この写真は、水平線を傾けずに撮っている。表現意図によっては、わざと傾けることもある。傾けると、不安感などを表現できる。傾いたビル、不安だろ?

ハーブがいっぱい インド出身親子の畑 《菜園の輪》3

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サナさんとサミラちゃん

【コラム・古家晴美】TXつくば駅から車で10分ほどのところにある、貸し農園を利用しているインド出身の30代女性サナさんとサミラちゃん(5歳)親子にお話をうかがった。来日して長いサナさんは、流ちょうな日本語で、3年前から借りている20坪(66平方メートル、年間使用料1万円)の畑について説明する。

家事育児に忙しいサナさんは、普段は週1~3回、この菜園に来て野菜の手入れをするが、天気がよくなかったり、子どもが春休みだったりで、今回は2週間ぶりだった。

今、畑には何もありませんよと、あらかじめ言われていたが、実際目の当たりにすると、畑は各種のハーブで青々と彩られていた。サフラン、ミント、パクチー、ローズマリー、ディルなど、近くのホームセンターで購入したものだ。ドラムスティック(ワサビノキ、未熟な種ざやをカレーなどに入れる)をホームセンターで見つけたときには、故郷が懐かしくて思わず買ってしまった。

このほか、いつもたくさん採れるホウレンソウ、インドでは使わないが健康に良いので選んだケールやキュウリ、インゲン、トマト、ゴーヤなども作っている。ジャガイモは今年初めて挑戦する。また、秋から冬にかけて、里芋や大根、ネギも作っていた。イチゴ、ラズベリーやグーズベリー(西洋スグリ)、ブルーベリーなどはサミラちゃんのお気に入りだ。

トマト、キュウリ、インゲンなどの夏野菜やケールは、自宅のベランダのビニールハウスで、種をまいてポット苗を作る。バジルのように、すぐに使いたいもの以外はある程度の大きさになってから、こちらの菜園に持って来て植え付ける。

菜園で地域の人たちと交流

無論、インド料理も食べるが、家族がパスタ好きなので、ペペロンチーノに新鮮なバジル、ローズマリーポテトにハーブを使うこともある。サミラちゃんは日本の甘いカレーや肉ジャガが好物だと言う。

昨夏、キュウリとゴーヤが大量に採れた際には、深い穴を掘って土と混ぜて埋め、堆肥を作った。

コロナ禍でどこへも行けなかったので、ここで過ごす時間はとても楽しく貴重だった。時々、姿を見せるキジを眺め、夏にはトンボ、秋にはバッタを捕まえて過ごした。

同じ菜園の利用者である年配の方たちからは、季節ごとに作業や作物について助言をもらい、畑でおしゃべりし、リラックスした気分になる。また、種や収穫物を相互にやり取りすることもあると言う。

異国で、ストレスも少なからずあるであろう生活に、菜園での暮らしが潤いを与え、家族や地域の方々との交流が心のバランスをもたらしているのではなかろうか。(筑波学院大学教授)

あれから30年 《続・平熱日記》108

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【コラム・斉藤裕之】うわさではパリの美術学校はとてもオープンな雰囲気で、もぐりの学生なども結構いて活気があると聞いていた。ところが、学校が始まっても学生の姿をほとんど見かけない。閑散としている。いったいどういうことだ。

ところで、私のフランス語があまりにもひどかったのだろう。留学生担当のマダムは3カ月間の語学研修を私に勧めた。早朝のクラスだったと思う。アナ先生は若くて明るいパリジェンヌ。自己紹介をする段になって、私は少し驚いた。

あまり耳慣れない名前の、それも決して語学を習おうとするには若くない生徒たち。ポーランドでパン屋だったとか、ソ連の原子力施設の研究員だったとか。15人ほどの生徒のうち半数は、東側からの移民だとわかった。私が留学したのは、ちょうどベルリンの壁が崩壊し、ソ連が解体された直後だった。

だから始めはよく分からなかったが、物見遊山の私と違って、自国を出た彼らは死活問題としてこの学校に言葉を習いに来ていたのだ。しかし陸続きの国々にとって、否応なく入ってくる移民は決して歓迎されるものではない。元々アフリカなどの旧植民地からの移民大国であるフランス政府は、彼らに厳しい政策をとった。

当時の担当相の名前にちなんで、確かパスクワ法といったか。美術学校も例外ではなく、部外者に対して厳しい締め付けが行われたのだ。その余波を受けて、留学生は希望する先生のアトリエに入ることに難渋した。私はそんな学校に見切りをつけて、毎日美術館やギャラリー、街中散策を楽しむことにした。

おごれるものも久しからず盛者必衰の

話は現在。友人が企画するグループ展に、今年も小さな作品を出すことにした。テーマは「花」。野の花や食用になる実のなる木の花は描くことがあるが、わざわざ花屋で買った花を描くことはない。ただこの数年、近所の公園にあるヒメシャラの木から落ちた花を拾って帰って描いている。

理由は特にないが、しいて言えば別名「夏椿」というだけあって、花がそのままポトリと落ちるので持ち帰って描くのに便利だ。

それから厳密には違う種類だそうだが、「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声…」の「沙羅双樹(さらそうじゅ)」というのが面白いと思って描いている。古文の時間はよく居眠りをしていたから偉そうには言えないが、要は「枝から落ちた様がいとおかし」というところか。落ちた花をよく思わない人もいるかもしれないが、昨年同様、その花の絵を出そうと思う。

フランスから帰って来て何年経つか? 勘定するのは簡単だ。カミさんは臨月に近い体で誓約書を書いて飛行機に乗って帰国した。だから、次女の年齢が帰国してからの年数だ。つまり30年近く経っているわけだ。

沙羅の花の絵を郵送する箱に入れる。当時KGBにいたという彼も同じ30年を過ごしたはずだ。ねえ、ウラジミール君。「おごれるものも久しからず盛者必衰の…」。(画家)

桜と日本人 《邑から日本を見る》110

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桜と観客を前に水上ステージで歌の競演

【コラム・先﨑千尋】

ねがはくは花のもとにて春死なん その如月のもちづきのころ(西行法師)

世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし(在原業平)

私は、桜の花が咲くとこの2首が頭に浮かぶ。これだけではなく、桜を詠み込んだ歌は無数にある。桜に関する本を見ると、平安時代の頃から日本人は桜に浮かれていたようだ。「桜の樹の下には屍体が埋まってゐる!」という梶井基次郎の小説の一文も刺激的な表現だ。

桜は不思議な花だ。1週間前には枯れ木同然の木のつぼみが急にふくらみ、魔法使いの手にかかったように、木全体が無数の花びらでぱっと覆われてしまう。咲いたと思ったら、10日もたたずに散ってしまう。

桜の咲く春は、寒い冬から暖かい新たな季節の幕開け。出逢い、別れ、入学、進級、就職、退職など、人の一生で忘れがたい出来事のある季節だ。うす紅色の淡い美しさ、柔らかく小さな花弁、散り際の見事さ。桜は、美しさに感動する繊細な日本人の感性にぴったり合う。

このことが桜と日本人の素晴らしい関係をはぐくんできた。桜は私たちのこころの中にも花を咲かせてくれる。桜に狂う人がいて、桜信仰が生まれるゆえんであろう。

花見は大勢でにぎやかに

桜の語源にはいろいろ説があるようだ。民俗学では、「サ」はサオトメ(早乙女)、サツキ(五月)、サナエ(早苗)といったように、すべて稲霊を表す、とされている。「クラ」はイワクラ(磐座)、タカミクラ(高御座)のように神霊が依り鎮まる座の意味があるという。

わが国では、桜の花の咲くのを見て稲の種もみをまき、桜の咲き具合を見て、その年の豊凶を占うなど、農作業の目安としてきた。私も、田んぼの周りにあるヤマザクラを見ながら田植えの準備をするが、とても気持ちがいい。

平安時代に貴族の楽しみ、遊びとして始まった花見は、江戸時代には庶民の楽しみとなった。落語「長屋の花見」ではないが、花見は大勢でにぎやかになるものなのだ。八代将軍徳川吉宗が飛鳥山、品川、隅田川などに桜を植えたのは、健全な娯楽の場をつくるためだったという。

日本桜名所百選 静峰公園

桜前線が海を渡って北海道に上陸したというニュースが流れた。5月下旬には根室近辺に達する。私の近くの静峰公園は日本桜名所百選に選ばれており、ネットで検索した「お花見桜名所ランキング」では茨城県で第1位。現在、カンザン、ショウゲツ、フゲンゾウなど2000本の八重桜が満開になっている。

先週の日曜日、17日に、静峰公園の水上ステージで3年ぶりにイベントが開かれた。地元出身のエレキ琵琶、尺八の奏者が登場し、おはやし、太鼓、吹奏楽などがにぎやかに演奏され、最後はよさこいソーランの饗宴。夜は25日まで八重桜がライトアップされる。

30年前には、2キロ離れた国道118号から車が数珠つなぎ。桜を見ないで帰った人も多かったが、今はそれほどでもない。この日、私は公園内を一回りし、イベントを楽しみ、桜の木の下で農協女性部の手づくり弁当を広げる。近くでは、いくつかのグループがわいわい楽しんでいる。桜を愛で、つかの間のいのちの洗濯をした。(元瓜連町長)

ウイルス対策ソフト騒動 その後 《文京町便り》3

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土浦藩校・郁文館の門=同市文京町

【コラム・原田博夫】今回はコラム2「恥ずかしながら 私のウイルス体験記」(3月27日掲載)の後日談です。3月23日に家電量販店Kで紹介され、その場で導入したウイルス対策ソフトはカスペルスキーです。前回は特定の企業名を出さないとの配慮で、安全対策ソフトKと表記しましたが、今回は明記します。

米国連邦通信委員会(FCC)は「2019年安全で信頼できる通信ネットワーク法」に基づき、2021年3月に初めて、国家安全保障と米国人の安全に容認できない脅威をもたらし得る対象機器・サービス業者として、中国の華為技術(ファーウェイ)、中興通訊(ZTE)、ハイテラ、ハイクビジョン、ダーファの5社を公表していました。

そこへ、2022年3月25日に、業者のリストを更新したと発表。追加されたのは、ロシアのウイルス対策ソフト大手カスペルスキー、中国電信(チャイナテレコム)米州<アメリカス>、中国移動(チャイナモバイル)インターナショナルUSAの3社。これにより、同リスト掲載企業は中国企業7社、ロシア企業1社の計8社となったわけです。

FCCは、今回の追加指定はいずれも、他の連邦政府機関による関連の決定に基づくとしています。カスペルスキーに関しては、国土安全保障省が2017年9月に連邦政府機関に対し、情報システムから同社製品を排除するよう命じたことを挙げています。

中国電信米州<アメリカス>や中国移動インターナショナルUSAに関しては、司法省などから成る省庁横断の委員会(大統領令13913号で2020年4月設立)がリスクをもたらすと判断したことが理由のようです。

「カスペルスキー」への日米の差

米国内でカスペルスキー製品への規制は、2017年末に米トランプ政権が、政府機関全体での使用を全面的に禁止する大統領令を出しています。それに対してカスペルスキーは、米政府を相手に「自社が不正を行ったとする公の証拠」はないと、訴訟を起こしています。

カスペルスキーは自社からの反論に対してこれまで、米政府から特段正当な公の証拠が出されていないことから、今回の決定が「地政学的情勢への対応」だと反論しています(2022年3月26日)。

同様のサイバーリスクに対する警告は、ドイツ連邦政府情報セキュリティ庁(BSI)からも2022年3月15日に出ています。日本では、カスペルスキーはすでに公的機関・民間企業や個人(そのうちの1人は私ですが)で使用されていますが、2017年にパートナー契約を締結していたNTTグループは、そのサービスの切り替えを検討しているとの報道もあります(4月8日)。

それにしても日本では官民ともに、この種の問題に対するアクションではどうしても追随型に終始しているようです。他に先駆けた形跡は、ほとんどありません。それはそれで慎重さの表れなのですが、主体性が欠落しているとも見えます。これは私自身の反省の弁でもあります。(専修大学名誉教授)