【コラム・先﨑千尋】

ねがはくは花のもとにて春死なん その如月のもちづきのころ(西行法師)

世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし(在原業平)

私は、桜の花が咲くとこの2首が頭に浮かぶ。これだけではなく、桜を詠み込んだ歌は無数にある。桜に関する本を見ると、平安時代の頃から日本人は桜に浮かれていたようだ。「桜の樹の下には屍体が埋まってゐる!」という梶井基次郎の小説の一文も刺激的な表現だ。

桜は不思議な花だ。1週間前には枯れ木同然の木のつぼみが急にふくらみ、魔法使いの手にかかったように、木全体が無数の花びらでぱっと覆われてしまう。咲いたと思ったら、10日もたたずに散ってしまう。

桜の咲く春は、寒い冬から暖かい新たな季節の幕開け。出逢い、別れ、入学、進級、就職、退職など、人の一生で忘れがたい出来事のある季節だ。うす紅色の淡い美しさ、柔らかく小さな花弁、散り際の見事さ。桜は、美しさに感動する繊細な日本人の感性にぴったり合う。

このことが桜と日本人の素晴らしい関係をはぐくんできた。桜は私たちのこころの中にも花を咲かせてくれる。桜に狂う人がいて、桜信仰が生まれるゆえんであろう。

花見は大勢でにぎやかに

桜の語源にはいろいろ説があるようだ。民俗学では、「サ」はサオトメ(早乙女)、サツキ(五月)、サナエ(早苗)といったように、すべて稲霊を表す、とされている。「クラ」はイワクラ(磐座)、タカミクラ(高御座)のように神霊が依り鎮まる座の意味があるという。

わが国では、桜の花の咲くのを見て稲の種もみをまき、桜の咲き具合を見て、その年の豊凶を占うなど、農作業の目安としてきた。私も、田んぼの周りにあるヤマザクラを見ながら田植えの準備をするが、とても気持ちがいい。

平安時代に貴族の楽しみ、遊びとして始まった花見は、江戸時代には庶民の楽しみとなった。落語「長屋の花見」ではないが、花見は大勢でにぎやかになるものなのだ。八代将軍徳川吉宗が飛鳥山、品川、隅田川などに桜を植えたのは、健全な娯楽の場をつくるためだったという。

日本桜名所百選 静峰公園

桜前線が海を渡って北海道に上陸したというニュースが流れた。5月下旬には根室近辺に達する。私の近くの静峰公園は日本桜名所百選に選ばれており、ネットで検索した「お花見桜名所ランキング」では茨城県で第1位。現在、カンザン、ショウゲツ、フゲンゾウなど2000本の八重桜が満開になっている。

先週の日曜日、17日に、静峰公園の水上ステージで3年ぶりにイベントが開かれた。地元出身のエレキ琵琶、尺八の奏者が登場し、おはやし、太鼓、吹奏楽などがにぎやかに演奏され、最後はよさこいソーランの饗宴。夜は25日まで八重桜がライトアップされる。

30年前には、2キロ離れた国道118号から車が数珠つなぎ。桜を見ないで帰った人も多かったが、今はそれほどでもない。この日、私は公園内を一回りし、イベントを楽しみ、桜の木の下で農協女性部の手づくり弁当を広げる。近くでは、いくつかのグループがわいわい楽しんでいる。桜を愛で、つかの間のいのちの洗濯をした。(元瓜連町長)