【コラム・斉藤裕之】玄関の壁に1枚の薄汚れた色紙が飾ってある。もう大分前のことになるが、ある古物屋でのこと。特に興味もなかったのだが、色紙がぎっしり詰まった箱に何となく手を伸ばした。レコードを探すように、手前から次々と引き出して見ていた。と、引き抜いた1枚の色紙を見た瞬間、「これは!」と手が止まった。値段を聞くと、どれでも10円だという。

持ち帰った色紙はピカソのドローイングだった。ハト、その中に顔が描かれている。ペンで一息に描かれた線は天才の引いたものだと、一瞥(いちべつ)しただけで分かった。画集やカタログなどで調べてみると、確かに書き入れられている年にピカソは来日している。また、よく似た絵柄も確認できた。だが、ピカソの絵が10円で売っているはずがない。多分印刷だろうと思って、ルーペで拡大してみたが…。

パリにいたときは、すぐそばにピカソ美術館があってよく通った。スペインでもピカソの美術館を訪れた。よくピカソについて質問される。大方の場合、ピカソはうまいのか否かの質問なのだが、何と答えていいかいつも戸惑ってしまう。「太平洋は広いのか?」と聞かれているように。

絵画というよりプロパガンダ

これがうわさに聞く「ゲルニカ」か。長女をベビーカーに乗せてスペインを貧乏旅行した折に訪れた、マドリードのソフィア王妃芸術センター。防弾ガラスに収まる「ゲルニカ」は想像したものより大きく、モノクロームで力強くスピード感にあふれていた。

まさに彼にしか描けない美術史上重要な代表作であることは確かだが、絵画としてよりもむしろプロパガンダという側面を感じずにはいられない。戦争を描くのは大変繊細なことだ。当時すでに高名であったピカソは、様々な理由からこの絵を描かざるを得ない状況にあったといわれている。だが、発表された作品の評価はイマイチだったとか。

その後教科書にも掲載され、万人の知るところとなるわけだが、21世紀の今、こんなかたちで思い出すとは…。

「日本の幸せと平和のために」

「日本で一番大きい島はどこじゃ?」「佐渡!」「沖縄!」…「正解は国後島じゃ!」。45年前、高校1年最初の地理の授業の記憶。ワールドカップでロシアはヨーロッパ予選に入っているが、東の端は日本の目の前。今、はるか西で起っている惨事は文字通り対岸の火事ではない。

我が家を訪れた人のほとんどがこの色紙に気付かない。「これピカソ?」。以外にも気付いたのは、美術にほとんど興味がないと思われる義兄だった。ゲルニカのものとは違って、優しいふっくらとした線。色紙にはフランス語で「日本の幸せと平和のために」と書かれている。(画家)