【コラム・斉藤裕之】うわさではパリの美術学校はとてもオープンな雰囲気で、もぐりの学生なども結構いて活気があると聞いていた。ところが、学校が始まっても学生の姿をほとんど見かけない。閑散としている。いったいどういうことだ。

ところで、私のフランス語があまりにもひどかったのだろう。留学生担当のマダムは3カ月間の語学研修を私に勧めた。早朝のクラスだったと思う。アナ先生は若くて明るいパリジェンヌ。自己紹介をする段になって、私は少し驚いた。

あまり耳慣れない名前の、それも決して語学を習おうとするには若くない生徒たち。ポーランドでパン屋だったとか、ソ連の原子力施設の研究員だったとか。15人ほどの生徒のうち半数は、東側からの移民だとわかった。私が留学したのは、ちょうどベルリンの壁が崩壊し、ソ連が解体された直後だった。

だから始めはよく分からなかったが、物見遊山の私と違って、自国を出た彼らは死活問題としてこの学校に言葉を習いに来ていたのだ。しかし陸続きの国々にとって、否応なく入ってくる移民は決して歓迎されるものではない。元々アフリカなどの旧植民地からの移民大国であるフランス政府は、彼らに厳しい政策をとった。

当時の担当相の名前にちなんで、確かパスクワ法といったか。美術学校も例外ではなく、部外者に対して厳しい締め付けが行われたのだ。その余波を受けて、留学生は希望する先生のアトリエに入ることに難渋した。私はそんな学校に見切りをつけて、毎日美術館やギャラリー、街中散策を楽しむことにした。

おごれるものも久しからず盛者必衰の

話は現在。友人が企画するグループ展に、今年も小さな作品を出すことにした。テーマは「花」。野の花や食用になる実のなる木の花は描くことがあるが、わざわざ花屋で買った花を描くことはない。ただこの数年、近所の公園にあるヒメシャラの木から落ちた花を拾って帰って描いている。

理由は特にないが、しいて言えば別名「夏椿」というだけあって、花がそのままポトリと落ちるので持ち帰って描くのに便利だ。

それから厳密には違う種類だそうだが、「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声…」の「沙羅双樹(さらそうじゅ)」というのが面白いと思って描いている。古文の時間はよく居眠りをしていたから偉そうには言えないが、要は「枝から落ちた様がいとおかし」というところか。落ちた花をよく思わない人もいるかもしれないが、昨年同様、その花の絵を出そうと思う。

フランスから帰って来て何年経つか? 勘定するのは簡単だ。カミさんは臨月に近い体で誓約書を書いて飛行機に乗って帰国した。だから、次女の年齢が帰国してからの年数だ。つまり30年近く経っているわけだ。

沙羅の花の絵を郵送する箱に入れる。当時KGBにいたという彼も同じ30年を過ごしたはずだ。ねえ、ウラジミール君。「おごれるものも久しからず盛者必衰の…」。(画家)